[言乃葉] 出席番号32番 衛宮(ネギま!× Fate/stay night) 言乃葉様からの頂き物。 「……なんでさ」がお約束の鍛鉄の魔術使いが 麻帆良にやってきてしまったのですが ……なんでさ(爆) さて、士郎に何がおきたのか。 そして、どんな騒動に巻き込まれ、踏み込んでいくのか。 目が離せない一作です。「士郎———!」 「凛っ! 落ち着いてください! 来ます!」 「———————!!」 「っ! ……ありがとうセイバー、お陰で少し落ち着けた」 「いえ、それでシロウはあの死徒に取り込まれたようですけど……」 「やることはひとつ。あいつをぶっとばして士郎を取り戻す。それだけよ」 「……承知!」  出席番号32番 衛宮              第一話 月下の魔術師  墜落感——その後全身に感じる衝撃、耳に響く液体の爆ぜる音、全身を包む冷たいモノ。数瞬、心臓があまりの冷たさに止まりかける。  視界に映るのは泡、泡、泡。浮かんでは弾ける。  体は浮遊感を感じ、同時に圧迫感を感じる。  息苦しさ。脳に酸素がまわっていない体の警告。 (液体——水。俺は水の中にいるのか)  人間は水中で生活できる構造にはなっていない。すぐに限界を迎え、それを超えてしまえば死しか残らない。 (死にたくない。死にたくない。死にたくない。俺は死にたくない!)  なぜ死にたくないとか、生きてどうするなんて余分なことに思考は一切まわらない。思考、身体、本能、理性すべてを生存のみに傾ける。  生きるには空気、酸素が必要。水中にある酸素ではなく、大気中の膨大な酸素を体は欲している。  水面、水から呼吸器である鼻や口を出さなくては。  落ちた衝撃のせいか天地の区別が付かない。首を巡らせて水面を探す。  探す—— (明るい……外!)  上が仄かに光に照らされて揺らめいている。そこをめがけて手足をバタつかせる。格好なんて気にしていられない。体全てが生き残るための叫びをあげる。  何か突き抜ける感覚、途端に入り込む空気。  咳き込む。でも体は空気を欲しており、また空気を吸い、咳き込む。  水中から大気中に適応するまでこれを繰り返す。  空気を吸い。  水を吐き。  空気を吸い。  血も吐いた。  手近な岩にしがみついて水から上がり、倒れこみ、さらに咳き込む。  ここまで何の思考もしない。そんな余分は一切無い。  ——どの位の時間がたっただろうか。ふとひかりを感じて体ごと上を向いた。  そこには木々の間から顔を覗かせる、大きなガラスのような満月が夜空にひとりいた。  水の中にいた俺を導いた光はこの月の光なのだろう。 (ありがとうな)  返ってくるはずも無い感謝を空の月に向かって念じる。でも気分という奴だ。 「へっくしょんっ」  くしゃみ、次に悪寒が体に走る。  ずぶ濡れの上に冷たい外気にさらされているのだ。体温がどんどん下がるのが分かる。早く暖をとるか着替えなくてはいけない。 「服か……ん? なんだこれ」  服の事を考えて、初めて俺が着ているものに目を落とした。  黒いシャツに黒いパンツ、クツは軍隊で採用していそうな無骨なブーツ。上着には真紅の色鮮やかな外套。それ自体はおかしなところはない。  ただ、いずれも体に合っておらず、パンツはずり落ちそうだし、ブーツは脱げそう、シャツや外套はぶかぶかで手は袖に隠れてしまっている。  要するに大きすぎるのだ。大人の服を子供が無理やり着ているくらいにサイズが合っていない。 「どうしてこんなものを着て……あれ?」  当面死の危険性がないおかげか、思考は落ち着きを取り戻したのだが、この疑問から端を発する考えは再び思考を凍りつかせるには十分だった。  なんで俺はこんなところにいる?  考えを止めるな。常に思考しろ。凍りつきそうな思考をすぐに復帰させてすぐに現状確認をしなくては。  改めて周囲を見る。  月明かりに照らされた川とその周りにある森。俺がいるのはその川辺にある岩場の上。 森は人が入っている痕跡も見て取れるので人里離れた山奥というわけではないようだ。近くに人の匂い、影、気配も感じないけど昼はそこそこ人が出入りしているのだろう。  とりあえず周囲に敵意は感じない。落ち着いて思考しよう。  最初は自身について。 ——まず、名前は?  衛宮士郎、年齢は二十七。魔術師をしている。 ——……現在の身体状況は?  二十七ある魔術回路全て異常なし。ただし、魔力はほとんどない。強化三回、投影二回、変化、付加それぞれ四回ぐらいしかできない。固有結界なんてもっての外。 ——こうなった原因、ここに至る経緯は?  …………不明。過去の記憶全てが闇の中のため、現状との関連づけは不可能。  自問自答で思考しても自身に関することは不明不明のオンパレード。  分かっていることといえば、俺は衛宮士郎という二十七歳の魔術師であることぐらいだ。  後の記憶は全てない。靄がかりもせず記憶がないのだ。 「これはいわゆる記憶喪失というやつか?」  妙に小さく感じる自分の手を見つめて、この状態を表す言葉を呟く。  俺の知識には、記憶とは脳が行う四つのシステムを指すとある。  『銘記』見たものを情報として脳に書き込む。  『保存』銘記したものをとっておく事。  『再生』保存した情報を呼び出す、つまり思い出す。  『再認』再生した情報を以前のものと同一か確認すること。  これらの内どれかひとつが欠けても記憶障害になる。  とするならば、今の俺は保存と再生ができないのか?  そも、記憶喪失とは一定期間、銘記した情報が再生できないことを指し、保存はされているはず。けれど俺の場合は文字通りの『喪失』みたいだ。  知識はある。  今こうして持っている知識で現状を理解しようとしているのだから。魔術師としての知識はもちろん、一般教養でも大学レベルは問題なく。語学も英語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、あと何故かハングルが知識としてある。  経験もある。  魔術師としての経験、戦闘経験、知識を使った実践的な技術経験。例え、今すぐ戦闘になっても培った経験で生き延び、生存できる自信はある。  なのにただ過去の記憶だけが消滅している。  それだけの事のはずなのに、足場が不安定になる錯覚。人の精神がいかに脆いか思い知らされる。これで名前も、知識、経験などがない真っ白な状態ならば不安に思うこともないのに、中途半端なものだから精神のバランスが偏っているのだ。  手を打たなくては。まず出来ることは—— 「人を探さなくては」  そう、まずは話のできる物、すなわち同族、人間に会って話を聞いてもらわなくては。  人は群体。ただ独りでは精神的に生きていけない。それはどこに行こうと変わらないはずだ。  幸い、人里が近いみたいだし、言語も英語とドイツ語が出来れば何とかなると思う。  今この身に起こっていることはひとまず保留。今は着るもの、食べるもの、落ち着ける場所、要するに人間が必要な最低限の衣食住の確保が先決だ。  行動は決まった。  体にまとわり付く濡れた服を鬱陶しく思いながらも、横になっていた岩から立つ。全身から未だに垂れる水滴を軽くふるい落とす。 「ん……あっちか?」  気配を探り、遠くに人の集まっている気配を感じる。同時に霊脈、結界も感じ取れる。  このことから大規模な魔術的な町が予想できる。これではどこの馬の骨とも知れない魔術師が入るのはまずいだろう。しかし、 「他にあてがないからな。非常時ということで納得してもらおう……」  満月が照らす川辺。赤い魔術師はその一歩を踏み出した。  それが鍛鉄の魔術使い・衛宮のこの世界での第一歩だった。  情けない。それが四つ。  これが真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの今日の自分に対する感想である。  それは久しぶりの月光浴の最中だった。ここ最近は満月の夜は吸血活動をしているため、のんびりする機会がなかったためだ。 けど、結界に入る侵入者を感知して、従者である絡繰茶々丸と共に舌打ちしながら現地に向かった。  諸般の事情でこの身は結界内である麻帆良学園から出られず、その上魔法使いとしての力の源、魔力を大幅に制限されている。そしてこの学園の生徒兼警備員をして生活をしている。これが最初からある『情けない』という感想その一。  空を飛んで現地に到着すれば、いるわいるわの魔物の群れ。この学園にいる人物や重要なアーティファクトを狙う輩が召還したであろう有象無象。  月光浴を邪魔された腹いせに茶々丸に前衛を任せ、手持ちの魔法薬を触媒に次々と魔法を連射。掃討する。本来の自分ならこの程度、触媒に頼らずとも瞬きの間に殲滅できるのにと、これが『情けない』のその二。  そんな鬱屈していた気分のせいか上空に対する警戒をすっかり怠ってしまった。  そこを突くように上空からの攻撃に地面に叩きつけられ、意識が飛んでいる間に間合いを詰められ、魔物の剣が迫る。これが『情けない』のその三。  茶々丸は間に合わない。体術、呪文も間に合わない。いくら自分が真祖の吸血鬼といっても頭部への攻撃は致命的だ。 こんな場所、こんな時に……なんて無様。  自分を叩き落した烏族の亜種と思われる魔物。そいつが口元に残酷な笑みを浮かべて剣を振り下ろして—— ——ドン  細身の西洋剣を胸に刺してふっとんだ。手近な木にピン刺しの標本のようにぶつかり、そのまま消えて、『還った』 ——ドドドン  さらに剣は飛んで来て、自分や茶々丸の周囲の敵を吹き飛ばす。一体どういう仕組みで飛来する剣が大型ダンプカー並みの衝突力を持つのか疑問だが、援護する人間が来たようだ。  すぐに上体を起こし、剣が飛んできた方向を見た。  見たことも無い人間だった。てっきり同じクラスにいる退魔師や魔法教師が来たのだと思ったが、違う。 「お前らに言葉が通じることを前提で言おう。この場を速やかに引け。さもなければ全滅を覚悟してもらおう」  夜空に凛と響く声。 特に大きな声ではないはずなのに、自分を含め魔物の群れ全てに浸透する。一斉にその人影に視線が集中しその一瞬が永遠になる。  森の暗闇から出てきた赤い人影。  月に照らされ、草地に立つ様は不動を容易く思わせる。  エヴァンジェリンにはそれがどこか真っ直ぐな剣を連想させた。  それが不覚にも綺麗だと思ってしまったことが『情けない』のその四だった。「う…ん」  人工的な光がまぶたを刺激する。月の光と違い、柔らかさがなく閉じた目をいやおう無く開けさせる。  薄く開いた目に映るのは木造の天井、カーテン、蛍光灯。そのいずれも白く清潔感が溢れている。こういった場所は、病院かもしくは学校…… 「目が覚めたかの?」  耳に入る日本語と同時に視界に現れる人物。長く伸びた白い眉毛と髭、禿げた頭は異様に長く、こちらを見ているはずの目はシワと眉毛で隠れよく分からない。イメージとしては仙人のような老人。 「……わっ」  とたんに意識が覚醒する。老人にぶつからないように上体を素早く上げて周囲を見渡す。  鼻を突く薬品の臭い。近くにある棚に見える薬品。俺が寝かされていたパイプベッド。 (病院?) 「ふん、目が覚めたか」  老人とは別の幼い声。  視線を向ければ、隣のベッドに腰掛けている金髪の女の子が見えた。傍には緑色の髪をした背の高い女の子が従者のように控えている。 「あ、無事だったんだ」  森で見かけた異形に襲われていた二人の女の子。とっさに投影して投げつけた黒鍵。宣言した言葉。後は—— 「まさか同族に助けられるとは思わなかったがな。倒れたのを放っておくのも寝覚めが悪いから連れてきてやった。これで貸し借りなしだ」  不機嫌そうに女の子はそっぽ向く。何か悪いことしただろうか? 「気を悪くせんでくれ。あれでも君に感謝しているんじゃよ。それとワシからも感謝を言わせてくれ、うちの生徒を助けてくれて感謝する」  女の子に代わってご老人がこちらに頭を下げてきた。 「いえ、危ないところを助けるのは当然です。そこまでして頂くほどの事ではありません」  手をフルフルと振ってご老人の感謝に応える。実際、あの女の子は異形に襲われていたのだ。助けるのは自分の中では当然と思っている。 「ふむ、今時感心するような娘さんじゃ。いや、吸血鬼のようだから娘さんというのは失礼じゃったかな?」 「こんな甘い奴はそれほど歳を重ねていないだろうよ。長く生きてもジジイと同い年ぐらいだと思うぞ」  は? 娘さん? 吸血鬼? ナニヲイッテイル? 「え? 娘さんに吸血鬼? 誰?」 「寝ぼけているのか? お前のことだ」  はい? 俺? この『衛宮士郎』が『娘さん』で『吸血鬼』?  とっさに布団の中にある体を見下ろす。魔術回路を『視る』のではなく、外面を『見る』。  着ていたずぶ濡れの服はなく、今は体に合う白い下着をつけていた。それも婦人用のショーツとスポーツブラとか言われる代物。 「念のために言っておくが、着替えさせたのはここにいる茶々丸だ。じじいではないぞ」 「ワシを何だと思っておる」  二人のやり取りは遠くに感じる。  この体は明らかに女性、それも女の子の体。『衛宮士郎』の本来の体は身長180センチ台の筋肉質の体のはずと知識は訴える。  現実と知識の齟齬。それが頭を混乱させている。 「あの、鏡はありますか?」  二人に問いかける言葉も衛宮士郎本来の声とは違うと感じる。 「うん? そこじゃよ」  ご老人の指す部屋の隅に姿見が見える。わき目も振らずそこに向かい、そこで見知らぬ下着姿の少女に出会った。  一言で言って白と紅。それが鏡に映る少女の印象だ。  背中まで真っ直ぐに伸びる雪のように白い髪。前髪も長く、左目を完全に隠している。ついでに自分の視界も左に白いレースが掛かっているみたいになっている。  肌も新雪のように滑らかで色素が薄い。  全身これ白色の中、瞳だけが真紅。ルビーのように硬質で、けれど決して冷たくない紅色。それは白い中で一際鮮やかなアカである。  体全体のバランスも良く、いい意味でお人形さんのように出来すぎな容姿を持つ目の前の少女。これで厳しい目つきをすれば、幼いがどこぞの雑誌のモデルになってもおかしくはない。けれど実際は、 「……なんでさ」  呆然となっているこちらの動きにあわせて、言葉を失った表情でへたり込んでいた。それはそうだ、何せこれが今の『衛宮士郎』なのだから。 「ほう、衛宮士郎というのが君の名前なのかね。……ふむ、さっきの驚きようからも鑑みるに元は男性ということになるのかね?」 「よく分かりません、先ほども言いましたけど俺の過去に関する記憶がごっそりと抜け落ちて何とも言えないんです。ただ、自分が女の子であることに違和感は覚えています」  ご老人——俺が今いる学園の学園長を勤める近衛近右衛門さん——は俺が落ち着いてベッドに戻ったところで話し掛けてきた。自分も現状の理解のために積極的に近衛老と話をする。  今、俺がいる場所は麻帆良学園というとても大きな学園。そこの中等部にある保健室。自分たち四人がいる場所がそこになる。  学園の近くの森で金髪の女の子——エヴァンジェリンと名乗った——を魔物から助け、その後失神。緑色の髪をした背の高い女の子——絡繰茶々丸というみたい——に抱えられ、保健室に担ぎ込まれて、連絡をうけた近衛老がやってきた。というのがあの後の経緯。  俺も積極的に自身について話す。川に落ちる前の記憶が一切なく、霞も掛からず思い出せないことから、どうもこの身は魔術師で、魔術的な場所であるここにいて大丈夫か? などの話になる。 「まあ、君がこの麻帆良に害をなす魔法使いでないのは分かった。それに記憶がないのも今、エヴァンジェリンに魔法で確かめてもらったしの」 「え?」  今の『魔法使い』という単語が俺の知識に引っかかりをもったが、さっきから黙っていたエヴァンジェリンがそんな事をしているとは思わなかった。  思わずエヴァンジェリンに視線を向ける。  確かに魔術的な視点で見るとエヴァンジェリンと自分との間に擬似的なパスが感じられ、そこから記憶を手繰っているように見える。 「記憶を覗く精神干渉系の魔法は魔法使い相手には効きにくいはずなんだがな、お前の場合易々と出来てしまったぞ」 「えっと、俺の魔術の特性上、抗魔力はとことん低いから」  妙に邪悪な笑みを浮かべるエヴァンジェリンに引きつった笑みを返す自分。 「すまないな衛宮君、学園の安全のためとは言え、記憶を覗くという不快な事をしておる」  一方、近衛老はそういって再び頭を下げてくる。 「いえ、当然の処置だと思います。俺はどこの馬の骨とも知れませんし、怪しむのは当然です。むしろこうして頂けるだけでも感謝しています」  こっちも思わず恐縮して言葉を返してしまう。  エヴァンジェリンはこっちの様子に頓着することなく、小さく呪を呟いて記憶を探っている。やがて結果がでる。 「ふむふむ、じじい安心しろ、こいつはシロだ。まっしろ。こいつが言ったように過去が全く見えない。記憶だけレジストなんて器用な真似は出来そうもないしな、疑いはほぼゼロだろう。それに……吸血鬼の自覚もなしか…それと、これは…ほほう、面白い」  記憶を覗かれる気分はあまり宜しくない。けれど身の証を立てるには必要なことだと言い聞かせる。ただ後半のセリフがすごく不穏当。 「あの、エヴァンジェリン。さっきも聞いたけど、俺が吸血鬼ってどういうことかな?」  さっきは自分が女性だという事で流れていた話題を持ってくる。正直、気になる。 「お前、私を助けた時のこと覚えていないのか? 中々に美しい光景だったぞ」 「助けたって、襲われているエヴァンジェリンを助けて…」 「その後だ」  その後……確か——  夜の森に響く凛とした宣言。魔物達に浸透するのにさして時間はかからなかった。 「威勢のいいお嬢ちゃんじゃねえか」 「全滅ね。面白い、少し飽きていたところだ」  などなど、自分の宣言はかえって魔物たちの闘争心を煽り立ててしまったようだ。群れに立ち上る気質が変化するのが分かる。 (うわ、まずいな)  もちろんハッタリだ。今の俺は外側は健常でも内面の魔力は無い。先ほど鉄甲作用つきで投げつけた黒鍵が最後の投影だ。  これで動揺を誘って、言葉でどうにか立ち回る。というもくろみだったが、相手は思っていた以上に戦闘狂達だった。 (どうする? いまなけなしの魔力でできるのは強化ぐらい。これでどうやって打開の道を開く?)  賭けに失敗した以上、撤退が優先。けれど倒れている女の子を助けなくてはいけない。近くで戦闘を続行している緑色の髪の女の子もいるが、思うように進めず、女の子を助けられないようだ。 (女の子の近くにどうにかして接近。その後に回収、もう一人に声をかけつつ撤退か。厳しくなったな)  厳しくなったのは見積もりが甘いせい。ツケは自身で支払わなくては。  川辺から人の気配がする方向に森を進んで、こんな光景に出会い思わず首を突っ込んでしまった。  軽率だったかと反省、でも後悔はしない。そんなものは時間の浪費だ。 (前進のみ。いくぞ、衛宮士郎) 「おっ、来るか」 「面白い物を見せてもらおうじゃないか」  相手は油断している。俺が付け込むのはそこしかない。油断している内に彼らをすり抜け、女の子にたどり着き、その後どうにかして撤退。  次の手はない。よって全てを賭ける。 ——同調開始[トレース・オン]  脚に魔力を通して強化、一気にトップスピードをだし百メートルを三秒で駆け抜ける速さを叩き出し、最短距離で目標の女の子を目指す。 「む!」 「ぬう」  すり抜けられた魔物たちが動揺の声を上げる。それはそうだろう、襲い掛かられると思ったら、通り抜けるだけで終わり。さぞ拍子抜けだろう。  でも、魔物が動揺している数秒が自分には大切な時間だ。この間に何とか女の子を—— 「馬鹿者! 逃げろ!」 「え?」 ——ドズ  背中から腹に何か抜ける軽い衝撃。  知らず足は止まり、視線は下を向く。  お腹に剣の切っ先が生えていた。 「かはっ」 「いや、危なかったというべきか? お嬢ちゃん、稚拙ながらも策士だな。我ら相手に心理戦を仕掛けるとは。だが、これで終わりだ」  引き抜かれる剣。腹から背中に引っ張られ、仰向けに地面に倒れる。  倒れるときの衝撃よりも体に走る灼熱感が酷く嫌だった。  体の前後に穴が開いている。 穴から血が流れる。命が流れる。アカが流れる。 「ハッタリをかける度胸は大したものだけど、その前に実力を付けてからだな」 「お前、説教くさいな。どうせこの人間は死ぬんだから」 「せめて苦しまないよう、某が止めを刺してやろう」  こちらを見下ろす魔物たち。そいつらが遠くに感じる。痛みで自分しか視界に入らない。  死ぬ? さっき死にかけて助かったのに死ぬのか?   嫌だ。まだ死にたくない。何も分からずに死ぬのはお断りだ。でも、体は動かない。『いつも』ならこの程度の傷でならまだ動けるはず。  体を走査。——異物発見。簡単な麻痺の呪い。おそらく刺しこまれた剣に刻まれている呪刻が原因。普通に邪眼、魔術の類で放たれたものなら聖骸布製の外套で阻むことができる。こういった武器に付加させたものだって、回路に魔力を流せば押し流せるのだが、その流れを作るべき魔力がない。  つまり、このまま動けず終わってしまう。  それは嫌だ。  考えろ。思考しろ。状況を打破する手はもう無いのか? 打てる手は全て打ったのか? これ以上の手は無いのか模索したのか?   考えろ。考えろ。考えろ。考えろ————  ノイズ。  思考に介入者。ハッキング—— (生きたいか? 生き延びたいか?) (お前は?) (私はお前さ。答えろ、質問は簡潔だ。このまま死にたいのか、死にたくないかだ) (死にたくない。俺は何も分からずに死ぬわけにはいかない。それに、あの女の子も助けたい) (良かろう。ならば今これより私●●●は完全にお前と一体化し、お前の願いを永久に叶える鏡となろう)  内よりの声に警戒心も湧かず応える。これは何なのか、どうしてこうなのかなんてその時は露ほども感じなかった。  感覚が戻ると、目の前には繰り出される槍の穂先がゆっくりと迫っている。 (遅い)  柄をむんずと捕まえて、引っ張る。 「な、に!?」  槍を繰り出した魔物がバランスを崩して、無防備な体をこちらに向けた。  狙うはその首筋。  どうすれば良いかなどは、自分の中の『私』が教えてくれる。 「があああああああ」  牙を突きたて、体液を根こそぎすする。  初めての吸血はとても甘美なものだった。  体に入る血が体の隅々にまで行き渡り、失った魔力を補填する。飲んだ血が魔物という幻想種じみた存在だからだろうか、補填どころか前よりも身体が強化された気がする。 「こ、こいつ!」 「なんと吸血鬼か!?」  周りがやかましい。せっかくの良い月夜なんだから少し静かになってもらおう。  ゆっくりと立ち上がり、右手に幻想を結ぶ。 ——投影開始  剣の丘からこいつらを静かにさせる武装を検索——該当アリ 「I am the bone of my sword[我が骨子は神々を焼く炎の剣]」  口ずさむ呪文と共に右手に剣の神秘が再現される。 「神炎の剣[フレア・ジ・スルト]!」  真名を開放、同時に周囲に向けてその剣を真横に一閃。遠心力をそのまま一回転。全周囲攻撃。 ——ブゥワァウ! 「があ!」 「ぎゃー」  かつて、神の国を焼き落とした炎の剣。その神威の一端がここに顕現した。  襲い掛かろうとした魔物たちはカウンター気味にその金色の炎を受け、灰も残さず消滅。残りの魔物達も逃げること叶わずに焼き尽くされる。けれど、同時に焼いてはならない対象である女の子や森の草木は火傷ひとつ、焦げひとつ無い。 「なんだ、あのトンでもないアーティファクトは!」 「まさか、吸血鬼の真祖!?」 「敵わん! 逃げるぞ!」  焼き残した魔物たちが炎の剣に脅威を覚えて撤退しようとしている。  相手は片手で数えるくらいしかいない。放っておいても害にはならない。本来の自分なら逃げる奴は捨て置いただろう。 (でも、今の『私』は優しくないぞ)  炎の剣はそのままに、左手を逃げる魔物たちの背中に向ける。 ——投影・重複 「投影連続層写[ソードバレル・オープン]」 ——ドドドドドドドドドドド 「ぐぎゃー」 「ごえ」 「ぴぎゃ」  阿鼻と叫喚を呼ぶ鋼の雨。  魔物たちの上空に剣の群れを投影して、それらをライフル弾並みに加速して射出、撃ち放っただけのシンプル技。  投影した剣は概念の蓄積が少ない新鍛の魔剣。ランクにするとD〜Fぐらい。一本一本はそう大した物ではない。けれどそれが二十本。まとめて雨のように降ってきたのだ、威力は推して知るべし。  抵抗らしい抵抗もなく、魔物の殲滅に成功。  奇しくもハッタリで言った警告が真実になった。  負傷した体はすでに復元呪詛で修復を終えている。魔力の余力も有り余るほどあり、これほどならば固有結界を一晩展開できそうなほどだ。 「さて、と」  女の子に向き直る。 「っ!」 「マスター」  この場に残っているのは助けた女の子が二人だけ。二人とも変わった気配を持っている。  背の低い金髪の女の子は同種の匂いがするし、一方の背の高い女の子は目の解析が彼女を機械だと結果を報告している。  とりあえず、安心させるため話しかけようと一歩を踏み出す。けれど、 「あれ?」  視界が急に狭くなって、傾いでいく。 「なん……」  なんで? といい終わる前に意識が暗転した。「ああっ!」 「思い出したか。まさかそのことすら記憶から消えているかと思ったぞ」  途端に雪崩を打つように蘇る闘争の記憶。  口に蘇る芳醇で、甘露な血の味。 「えーーっと、吸血鬼だったんだ俺……」 「そうだ。まったく、あれほどの力を持ちながらその自覚がないとは呆れる」  エヴァンジェリンさんはこちらの間抜けた言葉に呆れ返り、次には思案するような仕草をする。 「おい、じじい。ひとつ聞くが、こいつの処遇をどうする?」  次に近衛老に問いかける。気のせいか、目の奥に打算の光が見え隠れしている。  問いかけられた近衛老は「そうさのう」としばし思案するようなポーズをとり、 「時に衛宮君。お主は自分の歳が分かるかね?」  どこかピントが外れたような質問をしてきた。 「えっと、確信はありませんけど二十七かと」  それでも律儀に答える自分。 「若い吸血鬼かと思ったら、そこまで若いとはな」  エヴァンジェリンはこの答えにどこか不満そうな表情を浮かべて、座っていたベッドに倒れこむように横になってしまった。 「次の質問じゃが、腕は立つほうかな?」  エヴァンジェリンのその様子にどこか苦笑するような顔をして、近衛老は次の質問をしてきた。 「そうですね、はい。そこそこ出来る方だと思います」  今現在の魔力量、魔術回路の状況、吸血種としての身体能力、全てが戦闘の際十全の働きをすることができると教えている。 「どうじゃろう、エヴァンジェリン?」  自分の質問の次に近衛老は横になったエヴァンジェリンに水を向ける。 「吸血鬼として心構えが半端だし、魔法使いとしても単一能力ばかり特化している」  質問を向けられたエヴァンジェリンは横になったまま、辛らつに答える。  少し、がくっとくる。  確かに吸血鬼の自覚はないし、魔術も「剣」に特化している。何も言い返せない。言い返せないが、言いようというものはないのだろうか? 「ただ、純粋な戦闘者としてみるならば間違いなく一流だろうな。タカミチ以上の実力はあるし、最盛期の私と互角というところか」  横になった体を元に戻しながらエヴァンジェリンが悔しそうな、敵を睨むような表情でこちらを見ている。 (悪いのは俺なのか?)  思わず首をすくめてしまう。 「なら決まりじゃ」  エヴァンジェリンの言葉を聞いた近衛老は、まるで宣託を下すように、面白いことを話すようにとんでもない事を言ってくれた。 「衛宮君。うちの学園に生徒として入らないかね?」「まさか、あれほど苦戦した相手なのに本体じゃなくて影だなんて。ふざけているわ」 「はい、ロストナンバーとはいえ伊達に死徒27祖ではないということでしょうか。一筋縄ではいきませんね」 「真祖の姫君に瞬殺されたと聞いていたけど、それも多分影ってことね……八百年もよく潜伏できるわよね」 「こちらは士郎との繋がりを失いました。凛の方はどうです?」 「んー、こっちも。けどむこうの影と本体とのパスはまだあるからそれを辿ればなんとか。けど、その前に教会に報告しなくてはいけないんだけどね、契約として」 「分かりました。では行きましょう」 「ええ——待っていて士郎。絶対に……」 出席番号32 衛宮             第二話 今日から衛宮志保  そこは果てのない赤い大地と、朝焼けか夕暮れを連想する赤い空の世界。  空気には鋼と火の匂いが濃く混じり、空には巨大な歯車が回り、大地には無数の『剣』が突き立っている。  人影はなく、あるのは形状も概念も様々な剣たち。数に限りはあるのだろうけど、人に数えられないならそれは正しく『無限』。 (懐かしい場所……ああ、そうかここは俺の世界か)  理解する。ここは俺『衛宮士郎』の内面世界。  そして現実を侵食する固有結界『Unlimited Blade Works』。自分ができる投影魔術を初めとした一連の魔術は全てこの世界から漏れ出たものになる。  赤い大地を踏みしめ歩く。  足は裸足。着ているものはショーツとスポーツブラ、その上にあの赤い外套という妙に倒錯した服装。この世界でも自分は女の子のままだった。  歩きながら左右を見渡し、突き刺さる剣達を一つ一つ見ていく。剣達も沈黙でもってこちらを歓迎している。  フルンディング。デュランダル。カラドボルグ。童子切安綱。鬼切。菊一文字。グラム。ブルドガング——  剣だけではない。関連する防具も赤い大地に転がっている。  アリーの四枚の盾。アイアスの七重の盾。被る者を変身させる兜。ホテルスの帯——  まあ、流石に剣の概念から離れるため精度も数も少ない。けれどいずれもこの身を守ってきた戦友達。  気分が落ち着く。それと同時に寂しくなってくる。  この荒野に俺は常に一人だと。 ふと、ありえない人の気配を唐突に感じて前を見る。  剣の森に混じるようにその剣のような赤い男は立っていた。 (お前はっ!)  一瞬で理解。ありえないが、ありえる目の前の事象。 (ずいぶんと面白いことになっているな)  挨拶も抜きで投げかけられる言葉。声に嘲笑が多分に混ざっている。  かつて見た、未来の可能性の自分。九のために一を速やかに殺す。そんな自分。今の俺には絶対認めてはいけない相手。 (何の用だよ、エミヤ) (おやおや、可愛らしい姿になっても言葉は変わらない、か。おまけに吸血種にもなっていると。とことん変わった人生を歩んでいるな。私でさえ吸血鬼の相手はしても、そのものになった覚えはないというのに)  こちらの棘だらけの言葉に臆することなく、男は俺と同じ赤い外套に包まれた肩をヤレヤレとすくめた。  こうやって会話を交わしながら男は歩いて近づいてくる。いつしか彼我の距離は一メートルもなくなった。 (ふむ、女子になって身長が縮んだな。これで可愛げがあるならば頭を撫でたいところだ) (やってもいいけど、その時どうなるか覚悟しているんだろうな?)  気にしていることを抜け抜けと男は言ってくれる。男の身長は180センチ以上。対して現在の俺は150センチほど。約30センチの差が俺とアイツにはあるのだ。必然見上げる格好になる。  まったく、機嫌が悪くなるというものだ。 (ははっ、不思議と嫌悪感は湧かんな。お前が女だからか? まあいい、用は手短に済まそう)  男はこういって表情を引き締めた。どこか相手を嘲笑するような仮面が一気に剥がれ、その下から相手を真摯に見つめる顔が現れる。 (用って、ここに俺がいるのはお前のせいなのか?)  俺は男の真摯さに幾分気圧されながら、それでも聞き返す。 (ああそうだ。ここは私の世界だ。なんだ? 気が付かなかったのか?) (あ、そういえば……そういえばなんか微妙に違う気がする)  この世界は俺の内面にとてもよく似ている。けれど違う。懐かしいし、担い手を待つ剣たちにも見覚えはあるけど、よく見ればどこか違う。 (やれやれ、世界の異常には敏感なはずだろう? ……話を進めるぞ。お前は現在、『宝石の翁』が言うところの平行世界のひとつにいる。それもなぜか女子化して、あまつさえ吸血種となっている。これはわかるな?) (ああ)  男の妙な親切心に戸惑いながらも、こっちは相槌を打つしかない。 (お前がこの世界にいながらもその姿なのはそのせいだな。一度吸血種になれば魂や精神までそうなる。しかし、どういう仕組みなのか——今のそのあり方はお前が今いる世界の吸血種のものになっている。血を吸っても問題ない、日の光に当たっても問題ない、流水、白木の杭、ニンニク。およそ吸血鬼の敵と思われる物がお前には意味をなさないな) 男は呆れたと再び肩をすくめる。 (そんなに凄いのか?) (む、自覚なしか。お前らしいな。今のお前は最盛期の私を超えているのだぞ。どうも吸血鬼になって肉体に眠っていた能力が開花したみたいだな。隠れた才能というところか?) (嫌な才能だな。で、それとあんたが出てきた理由、関係は?)  少し焦れて、男に急かすように質問をぶつける。 (お前は例え元の世界に戻れたとしても、吸血種のままだということだ。さらに言うと、どちらの世界にいても今までより激しい戦いに巻き込まれる事も請け合いだ)  男の言葉に気が沈む。長い時間を吸血鬼として過ごさなくてはいけないこと、取り残されると思われる最愛の女性。続いていくと予想できる戦いの年月。 今から気が重い。 (こうしてお前と私が会うのも最後になるだろう。だから、餞別を贈ってやる。それが用件だ) (餞別?)  男と話す事が最後というのも気になったが、餞別というのも気になり、知らず下げていた顔を上げた。 (お前の世界にない武装、全てやる)  この言葉が発せられると同時に、周囲にあるいくつかの剣が、槌が、刀が、盾が地を離れて浮いて俺の背後に飛んでいく。 (お、おい。どうしたんだよ? 妙にサービス過剰じゃないか?)  俺の知る男は、他はどうかは知らないが俺に対しては恐ろしく冷徹で、厳しい人物だったはずだ。近親憎悪ともいうべき言葉がお互いにあったはず。  なのに、男は薄く笑い、 (ふっ、なに、お前に二度と会わなくて済むのならばこの程度の代価、安いものだ。『正義の味方』なのだろう? だったら施しも素直に受けろ) (正義の味方と施しって関係ないだろ) (がんばれよ、魔女っ娘)  こいつ、今俺が一番気にしていることを……。 (さあ、時間だ。もう戻れ、お前の世界に)  男が俺の背後を指差す。きっとその方向にあるものこそ俺の今の心象世界。  振り返る。男は言葉もなく消えてゆく、赤い荒野も、歯車の回る緋色の空も消えてゆく。  後に残ったのは俺の世界。男とは完全に違う未来を歩んでいる、男の世界とは名前は同じでも、完全に異なった世界。  そこに還るのに伴い、意識も記憶も薄れていった。 「衛宮さん、起きてください。朝です」  無機質なのにどこか温かみを感じる。そんな声に意識を呼び出され、目が覚める。  寝ている間、不愉快な夢を見ていたような気がしたが、もう覚えておらず、僅かな残滓も日の光で一掃されてしまった。  目に飛び込んでくる太陽光。まぶし過ぎるけれど不快ではない。そこに溶け込むように見える少女も緑の髪に陽光を受けて、輝いて見える。 「えっと……おはよう茶々丸さん」  起こしてくれたアンドロイドの茶々丸さんに挨拶をしつつ、ベッド代わりのソファーから起き上がる。周囲を見渡す。 木製の壁面、天井、そういったログハウス調の部屋にヌイグルミやら人形がところ狭しと置いてあるファンシーな雰囲気。 「ああ、エヴァンジェリンさんのところに泊めてもらったんだっけ。そういえば」  ——昨日深夜。 「衛宮君。うちの学園に生徒として入らないかね?」 「はい?」  近衛老の提案は理解するのに時間がかかった。  それほどに唐突でなおかつ、爆弾みたいな提案だったからだ。  何を言われたのか理解するまでたっぷり数秒——————理解。 「ええええええっ! ちょっと、近衛さんどういうことですそれは?」  自分で言うのもなんだが、はっきり言ってどこの馬の骨とも知れず、その上魔術師であり、さらに記憶喪失などという奇天烈な人物を自身のそばに置くのはどうかと思う。 「ふぉふぉふぉ。お主が何を言わんとしているかは分かるつもりじゃよ。自分のような怪しい人間、もとい吸血鬼をそばにおいてよいものか、じゃろ?」 「む」  顔に書いてあったのかな? 「まあ、結論から言えばじゃ。怪しくてその上最盛期のエヴァンジェリンに匹敵するような存在は、野放しにするよりは手元に置いておく方が賢明と判断したからじゃ。次に、生徒として迎える理由じゃが、ここが麻帆良学園という学校であり衛宮君、君の外見が生徒に相応しく生徒としておく方が都合が良い。納得したかね?」 「むむ」  とっさには反論できない。流石に年の功か。 「さらに言うならばじゃ。最近、この学園を狙う輩が増えてきての、嫌な言い方になるのじゃが、今のうちに多くの手札が欲しいところなのじゃよ」 「降参です。納得しました」  近衛老にしてみれば、自分は棚から転がり落ちてきた牡丹餅というところだろうか?  ふと横を見ると、エヴァンジェリンさんが口元をほころばせて、ニヤリと笑っている。企みは成功したという顔だ。なぜ? 「納得してもらえてなによりじゃ。して、返事はどうかね?」 「選択肢はあって、無いようなものですよ。……よろしくお願いします」  ペコンと一礼。長く純白の髪が頭を下げるのと一緒に垂れ下がる。うう、違和感があるな。 「では決まりじゃ。今夜のことを知っているのはここにいる四人だけ。この事は内密に。他の教師陣には普通の人間の魔法生徒として通達しておくとする。よいかな?」 「うむ、問題はない。茶々丸もよいな」 「了解です」  後はドンドン話が進んでいく。ひょっとして近衛老、あらかじめ準備をしていたのでは? などと邪推してしまいそうなほどに。第一、魔法生徒?なんですかそれは。  記憶を失った衛宮士郎という魔法使いの調査、伝手を使っての戸籍や出生証明書、住民票、入学許可証、等など諸々の書類手続き。衣食住。これらを近衛老は約束してくれた。 「その代わりと言っては何だがのう——」  その代わりこの学園の魔法に関わる事件、事故に対応する実動員、要するに警備員みたいなことをして欲しいと近衛老は提案してきた。 「はい。俺でよければ」  無論、断る理由はないし、魔術師の取引は基本的に等価交換である。  普段の生活の保障の代わりに、非常時の剣となる。悪くない取引だと思う。  こうして俺は老獪にして、仙人みたいな近衛近右衛門との取引に応じた。 「よろしい。次にじゃ、些細なことじゃが決めておかなければならんことが二つほどある」 「些細なことですか?」  トントン拍子で進む話。その終わりぐらいになって、近衛老……否、学園長はそんなふうに話を切り出してきた。 「じゃが重要なことじゃよ。まず一つ目は名前じゃ」 「名前?」 「なるほど、女子で『シロウ』というのも違和感があるな。日本人離れしている容姿を持っているのだからいっそのこと、欧州風な名前にしてみたらどうだ?」  エヴァンジェリンさんに言われて初めて気が付いた。  確かに女の子の名前に『士郎』はないよな。名前か——ふむん? 「知ってのとおり、魔法使いは魔法を秘匿するのが鉄則じゃ。少しでも周りに溶け込む意味合いでも名前の変更を勧めるが、何か思い入れがあるなら無理にとは言わんよ」  確かに名前は大切に思う。けれど、それは『シロウ』という名前ではなく、『衛宮』という姓の方に感じていることだ。  この『衛宮』という苗字さえ名乗れるのなら、俺は大丈夫だ。 「いえ、確かに名前に思い入れは感じますけど、それは苗字だけです。名の変更でしたら問題なく」 「そうか。この場で決めろとは言わないが、書類の関係もあるのでな早めに名前を決めてくれんかな」 「いえ、もう決めました」 「はやっ!」「推定時間五分。早いです」  エヴァンジェリンさんと茶々丸さんを含め、一様に驚いた表情を見せる。  けれど、言われてすぐに頭にポンと浮かんだ名前で、自分でも良いと思ったものだ。否定はできない。 「早いのう……そんなにすぐに決めなくとも良いが、一応聞いておこう。どんな名前なんじゃ?」 「衛宮志保です」  ここに、麻帆良学園生徒・衛宮志保の『始まり』が始まった。「衛宮志保、か……」  自身に言い聞かせる呟き。うん、我ながらいい名前を考えたと思う。  あの後、エヴァンジェリンさんから「安易だな」とか言われたけど気にしない。『志を保つ』という意味があり、なおかつ『士郎』と響きが似ているから違和感もあまりない。  逃亡犯ではないのだ。偽名に凝る必要はないし、元の名前を推測されたほうがむしろありがたい。そういう意味でもこの名前は実に良い。  もう少し考えても、という学園長の言葉もやんわりと断り、現在は『衛宮志保』の名前で書類を処理しているところだろう。  あと、懸念の二つ目はなにかというと、住居。  書類の整ってない状態で学生寮に住むわけにもいかず、書類が整うまでの間どこに住むか、という懸念だったが…… 「エヴァンジェリンさん、起きてください。朝食出来ていますよ」  ロフトにあるエヴァンジェリンさんのベッドに向けて一声かけて朝食を知らせる。 「お前、吸血鬼のくせに早起きとは一体なんだ」  返ってきたセリフはどうにも不機嫌そうだ。朝は弱いのかな? 「む、でも俺だって茶々丸さんに起こされた身だぞ。それに住まわせてもらっている身だから早起きは当然だろ」 「そういう事を言っているのではないのだがな……ああ、まったく!」  茶々丸さんの朝食作りを手伝って、エヴァンジェリンさんを起こしてみたら、この調子である。何を怒っているのだろうか?  ともあれ、エヴァンジェリンさんからの申し出で彼女が住んでいる住居にこうやって住まわせてもらうことになった。  最初は女の子の住んでいる家に泊まりこむのは抵抗があったが、彼女が「お前も女だろうが、何を恥ずかしがっている」という一声で強引に引っ張られてきた。 「ほほう、私が貸した服だが良く似合うではないか」  ロフトから降りてきたエヴァンジェリンさんが俺の姿を見て、ニヤリと音が聞こえそうな笑みを浮かべた。 「……やめて下さい。このような服は苦手ですよ」  ちなみに、服も貸してもらえたのだがそれがなんとも、こういうのってピンクハウスというのだろうか? フリルやレースが多分に使われたもので、要するにゴスロリ風。そのくせやけにシックな印象の黒いツーピース。その上にこれまたシックでフリフリなエプロン。少し鏡を見るけど、ああ、これは嵌り過ぎなくらい似合っている。 ……結構イイかも。 「っ! 何を考えている俺は!」 「何独りでバタバタやっている? 朝食なのだろう? さっさと行くぞ」  こちらの苦悩をよそに、元凶の『くろいあくま』はスタスタ行ってしまった。なんか無性に悔しい。 「和食か」  テーブルに並んでいる料理群を見てエヴァンジェリンさんがポツリと一言。 「はい、衛宮さんの手伝いがありましたので思いのほか作業時間が短縮されました」 「言っておくが、私の舌は肥えているほうでな、点数は厳しいぞ」  こんな前ふりで朝食は始まった。  ——五分経過。 「お前、吸血鬼や魔法使いやるより料理人に転向したらどうだ? よほど向いているぞ」 「……記憶はないけど、なんか言われ慣れているよ、その言葉」  料理を褒めてくれるのは嬉しいけど、魔術と比べられると少し悲しくなる。 「和食と中華の違いはあるが、サツキと互角といったところか。ふむ、久々に旨い飯だ」 「そういってくれると嬉しいよ」  食べてくれる感謝を笑顔で表す。大切なことだ。 「…………コホン。さて、朝食の話としてはどうかと思うのだが、重要な話がある」  あ、なんかあからさまに話が逸らされたような。でも、突っ込むといけないんだろうな、きっと。 「うん、なにかな?」  ごまかしの意味もあるのだろうけど、話自体が重要なのは間違いなさそうだ。椅子の上で居住まいを正す。 「推測だが、お前はこの世界の住人ではないだろう?」  ……確かに朝食のテーブルで交わされる話じゃないね。 「やはりな、お前の知識にある『魔術』とこちらの『魔法』の体系がまるで違うな。その上、吸血鬼の概念まで違うと……ふふっ、やはり私の目に狂いはなかったか」  それからたっぷり、こってりと三十分。朝食をしながらこちらの知識を洗いざらい喋らされ、エヴァンジェリンさんの方でも『魔法』の知識を語った。  朝食は終わり、茶々丸の給仕で今は食後の紅茶をしている。けれど、和食の後に紅茶というのはどうなんだろう? 「あの、エヴァンジェリンさん? 目に狂いないってどういうことです?」  とりあえず、こちらとしては気になったことを聞いてみるしかない。  紅茶をすすりながら彼女に聞く。あ、この紅茶良い葉を使っているし淹れ方も上手い。後で茶々丸に淹れ方聞いてみよう。 「なに、お前の『魔術』を間近で見てピンときたのさ。こいつは面白いとな。じじいに何処まで勘付かれたは分からんが、構わんさ」  それとなく水を向けて、俺を手元に引き込む。エヴァンジェリンさんが保健室でなにやら企んでいるように見えたのは、この状況を作るためだとか。 「でも、体系が違うだけで違う世界というのは飛躍しすぎじゃないかな?」 「甘いな、私は数百年生きて様々な魔法を見てきたし、当然古今東西の魔法の体系を見てきた。だが、お前の知識にある大規模な『魔術協会』などという存在は知らん。同じイギリスならウェールズの『魔法協会』が有名なのだがな。お前は当然知らんだろう?」  知りません。知識に全くヒットしないためコクリと頷く他はない。  でも、異世界ときいても自分はそれほど衝撃はない。女性であると知ったときもそうだけど、記憶がないせいか違和感はあっても不思議と納得してしまうし、受け入れてしまう。  それにこうして人と話ができるのだ。なんとかなるさという気分が俺の中で強くなっていた。  その後さらに『魔法』についての話を聞いた。  魔法とは精霊の声を聞き、魔力でもって使役、呪文で意味を成し、一定の形を成す。同じ魔法を使うならば、魔法始動キーである呪文以外は同じになる。威力は個人が保有する魔力の量で決定されるとか。  こっちの話す『魔術』の話もエヴァンジェリンさんは興味深く聞いてくれた。  自己もしくは外界に満ちる魔力を用い、魔力を生み出す炉心であり、パイプラインでもある魔術回路を通し、キーである呪文で神秘を成す。呪文はあくまで自己に言い聞かせる暗示。同じ神秘を成すのにも同じ呪文は世界に二つとない。 「さらに聞くには『魔術師』の大半はその「  」とやら『魔法』とやらを目指す研究者であり、自分の工房に篭っていると。不健康な連中だな、魔術師というものは」 「言葉もないです」 「だが、昨日の事を見る分にはお前は数少ない武闘派というところか」  エヴァンジェリンさんが空になったカップを横に向けると、茶々丸が甲斐甲斐しくポットを手にカップに紅茶のお代わりを注いでいる。見事な主従関係が伺える。 「いや、俺のできる魔術は数少ないし、それも戦い向きだからね」 「衛宮さん。お代わりはいかがですか?」  茶々丸がこちらにもポットを持ってお茶を勧めてきた。数瞬、断ろうと思ったが美味しい紅茶の誘惑に負けた。 「お願いします」 「了解しました」  トポポと注がれる赤く芳醇な香りのする液体。 「お前の成せる魔術だが、異質なのは昨日で分かったが、具体的にはどのようなものだ?」 「……」  果たして言ってしまって良いものだろうか? 自分の成すものは元の世界では封印指定の一級の異端である。普通、魔術師に話せば実験台にされるのが落ちである。 「ふふん、実験台にされるかと思ったな?」 「!!」  あ、分かるものなんだ。流石『悪い魔法使い』悪事はすぐに思いつくんだ。 「安心しろ、というのも変だが、もし私がその気ならお前が寝ている間にやってしまうところだぞ。それがないということは害意がないという証明にはならんか?」 「む、言われてみれば」  エヴァンジェリンさんは外見の幼さに似合わない妖艶な笑みを浮かべて、テーブルにヒジをついて紅茶を一口。行儀が悪いはずなのに、彼女がやれば下手な貴族の所作よりもよほど様になって上品に見える。 「さて、お前の魔法いや、『魔術』……面倒だな、今後は魔法に統一するぞ。……魔法を見せてくれないか」 「分かった」  泊めてもらったお礼もあるから、こちらは元から強くは言えない。まさかここまで計算の内だろうか?  紅茶を一口のみ、喉を潤してから椅子を立ち上がる。 「投影開始[トレース・オン]」  理念を鑑定、骨子を定め、材料を複製し、技術を模倣、新造のため経験と年月は不要、凌駕すべき工程もない、後は幻想を右手に結ぶだけだ。 「ほう、それがお前の魔法か。アポーツ、いや複製か。しかも触媒なしで魔力のみで物体を作るとは。規格外れだな。しかもあんな短い詠唱で…ってそうか自己暗示の言葉だから幾らでも短くなるな。そこも規格はずれだな」  出来上がった新造の魔剣を見たエヴァンジェリンさんはやや興奮したような声を上げる。 「持ってみます?」 「何っ、そんなことも出来るのか」  手渡された魔剣をエヴァンジェリンは興味深くあらゆる角度で見つめ、ふむふむと独りで唸っている。 「それで、この剣は何時になったら消えるのだ? 魔力であまれている以上いつかは消えるのだろう」 「えっと、壊れるか、俺が解呪しなければ永続するのだけど」 「……とんでもないな。異常さもここに極まった感じだ」  返された魔剣は特に必要ではないので破棄する。 「投影終了[トレース・オフ]」  イメージを意図的にずらし、現実との矛盾を広げる。そうすると幻想は現実に負けて、剣は音も欠片も無く消滅する。右手にあった質量は消えてなくなった。 「それが解呪か。ますます興味深い。衛宮、一つ提案があるのだが」  剣の解呪まで興味深そうに見ていたエヴァンジェリンさんは、そんなことを言って席を立ち、こちらに歩み寄っていた。  いくら自分の背が低くなっても彼我の身長差は二十センチ近くある。自分が見下ろす形に当然なるのだけど、エヴァンジェリンさんの纏う雰囲気は貴族、王族のもので、まるで遥かな高みから見下ろされる気分になる。 「な、何かな?」 「お前、私の僕[しもべ]になる気はないか?」  ——ガタン!  椅子を弾き飛ばして思わず後ずさりしてしまった。いや、爆弾みたいな発言に体が吹っ飛ばされたと言うほうが正しいかもしれない。  それくらいインパクトのある提案だった。 「ななな、ごほっ、何を言っているんです。エヴァンジェリンさん!」 「私はお前を気に入っての提案なんだがな。無から武具を作り出す魔法、若くして陽光を克服したデイウォーカーの吸血鬼。数百年を生きる吸血鬼の真祖である私の僕として相応しい。そう言っているのだ。光栄に思え」  光栄に思えといわれても、困惑だけが先行してしまいますよエヴァンジェリンさん。 こちらの『真祖』は自分の知識では『死徒』の範囲内になる。失われた魔法の秘儀を用いて、自らの肉体を吸血鬼のものとする。  一方、自分の知る『真祖』は星が自衛のために生み出した一種の超越種。受肉した精霊とも言われ、真性の不老不死。世界を見渡しても殺害手段は片手で数えるほどしかない。肉体の能力も当然高く、本物の化け物とある。  そのことを話したら、エヴァンジェリンが「私は弱いというのか!」と怒ったのは言うまでもない。  そして今の自分だが、なんの因果か吸血鬼になっている。  吸血鬼になって日が浅いはずなのに、肉体のポテンシャルが高く、今こうして吸血鬼の大敵であるはずの日の光を浴びてもまったく問題ない。  これもエヴァンジェリンに言わせると、人間であったときの潜在的な肉体の能力が高く、その能力が吸血鬼になったときに開花したとのこと。  そこに固有結界(さすがにこれは言えない)から漏れる能力が加わっているのだ。エヴァンジェリンとしては確保しておきたい人材なのだろう。  閑話休題。 「な、どうだ? お前が異世界の吸血鬼であることを知っているのは今ここにいる者達しか知らん。じじいにも知らせる気はない。待遇は厚くするぞ。どうだ?」  グイっと迫るエヴァンジェリンさん。引く自分。 「どうだ? と言われてもいきなりだから困りますよ。第一、俺は右も左も分からないし、異世界ならなおの事。考える時間が欲しいのですけど」  実際、唐突に言われてもどう反応していいか分からない。  とっさにここまで答えられたのは上出来だと思うのだが、エヴァンジェリンさんにはご不満のようだ。 「むー、お前はあれほどの力を持っていながら、感性が普通の人間のものだな。記憶がないせいもあるのだろうが、天然だぞそれは」 「む、そうなのか? 吸血鬼や魔法使いと言っても人とそう違いはないだろう?」 「ええい! その辺りが天然だと言っている」  なんかガーと、さらに詰め寄って怒りをあらわにしている。  ソファーまで詰め寄られてペタンと腰を落としてしまう。これで精神的だけではなく、実際にもエヴァンジェリンさんが見下ろす形になった。 「決めた。従者云々は後からでもいい、お前には吸血鬼としての振舞い方が必要だ。教育してやる。喜べ衛宮、本来私は弟子などとらないのだからな。フフフハハハ」  もう雰囲気が王侯貴族から完全に『くろいあくま』となっていた。  麻帆良学園に来て二日目、俺こと——衛宮は自身を女の子だと知り、吸血鬼と知り、名前を『志保』として、吸血鬼の大先輩エヴァンジェリンさんに弟子にさせられた。  朝食後は主に茶々丸さんを中心に身の振りを説明された。  この麻帆良学園は初等部から大学まで存在、それぞれの生徒数が相当数に上る巨大な学園都市であり、同時に魔法的・霊的な視点からも巨大な霊地であるのだとか。 「ちなみに、この学園は関東魔法協会の拠点であり、学園長はそこの理事を兼任しております」 「その生徒は全員、魔法使い?」 「いえ、大半が一般人です。全体の比率からしますと一般人百人に対し、魔法使いは一人と言ったところでしょうか。あと、教職員にも魔法使いや魔法に関わる人間がいます」  そして、魔法を行使して学園内の治安を人知れず預かる教師が魔法先生。生徒が魔法生徒というのだとか。  自分が任されたのはその魔法生徒。  言われたことが徐々に頭に染み込み、理解に及ぶ。  知識にある『魔術師』と同様『魔法使い』も世を忍ぶ存在。魔法の存在は秘匿しなくてはならない点は変わらない。 ただ、罰則は思いのほか軽め。向こうでは殺害されることもあるのに、こっちは最悪でもオコジョにされるので済むのだとか。……恥ずかしさではこっちが上か。 「うん、大体分かってきた。ありがとう茶々丸さん」 「いえ、後は実際に外に出て感覚を掴んでいただければと思います」 「分かった」  こうして茶々丸さんの説明を受けている間、エヴァンジェリンさん、もとい師匠は退屈そうにソファーに座り、古そうな魔法書を読んでいた。説明全般、従者に任せたと態度が言っている。それが口を開く。 「どうせだ、今から外に行ってきたらどうだ? 自分の服を買ってくるなりすればいい。じじいから相当な額を貰っているだろう」 「確かに結構な額を貰ったけど、今から?」  ポケットの上から学園長に貰った封筒を確認する。数えたのだが、一万円札が五十枚。準備金だと言われてポンと渡された。かなりの気前の良さに驚いてしまう。 「心配は無用です。この学園都市には大抵の店舗が揃っています。今日は日曜日ですが、むしろその方が店は開いています」 「茶々丸を案内に付けてやる。学生寮に入るにしても服は必要だろう? 行ってこい」  確かに衣服は必要だろう。男性用と女性用の違いも学ばなくてはいけないし、馴染む時間は必要だろう。と、ここまでの思案で俺の意思は固まった。 「分かりました。師匠、行ってくることにします」「現在時刻、10時34分16秒。麻帆良学園都市内の店舗の開店率80パーセント。その内、婦人服を販売している店舗を検索。案内開始します。衛宮さん、状況を開始しようと思うのですが、どこか希望はありませんか?」  日曜日の爽やかな晴天の下、欧州風の気品ある建築物が立ち並ぶ麻帆良の街並みを茶々丸さんと並んで歩く。  早春の強い風が茶々丸さんの緑色の髪と、俺の白い髪をはためかせる。  出かける際、シャワーを浴び(なるべく自分の体を見ないでやった)、茶々丸さんの指導を受けて髪を梳く等女の子の身支度を教わり、服を師匠のチョイスのもと着せ替えられるなどして90分以上の時間をかけてこうして外に出かけている。  正直言って死ぬほど恥ずかしかった。死んだら死因は恥死ではないか?  姿はどうあれ、精神は未だ男性の気持ちだ。そこに女の子のいろはを教え込まされるのだ。精神的に疲れる。 「志保さん。志保さん」 「え? あっ、俺か。何、茶々丸さん」  隣を歩く茶々丸さんの声にようやく現実に引き戻される。 「どこに行くか希望はないかお尋ねしました」  普通なら焦れるはずなのに、彼女は変わらない口調で答える。この辺は流石アンドロイドというところか? 「ごめん。そうだね、まずはやりたいことが一つある」 「何でしょう?」 「こいつを仕立て直せないかと思ってさ」  腕には赤い外套。俺が身に付けていたもので、にも拘らずサイズがまるっきり合わない。それなら別の外套を買えばいいのだろうが、 「高レベルの抗魔力概念を確認。魔法的な防具ですか」 「ああ、聖骸布から作った外套なんだ」  まさか貴重な概念武装をほいほい手放すわけにもいかない。だから仕立て直せないかと思っている。 「でしたら、最適なところがあります。手芸部です」 「はい? 手芸部?」 「はい、確かにお預かりいたします。お代? いえ、結構です。こちらとしても一級のマジックアイテムの調整に関われるのですから、勉強になります。むしろこちらがお金を払いたいくらい……ああ失礼、終わるのは夕方ぐらいですからそのときに取りに来てください」  以上が部室を離れるときの手芸部部長のセリフだった。  最初、部室棟に来たとき、なんなのだと訝った。けれど道々茶々丸さんに説明されるにつれ納得。要するに相手も普通ではなかったのだ。  案内された手芸部。表向きは部員10名の健全な文科系部活動なのだが、部長が魔法使いで、内外の依頼を受けてマジックアイテムの調整、時には制作をしているのだとか。部員10名中7名がこれに関わり、手芸部は半ばマジックアイテム制作所となっているのだとか。  部室に入ってもそんな感じはしなかった。けれど、そこかしこに見えた怪しげな物品が目に入るたび、ここは魔法使いの工房なのだと理解してしまう自分がいた。  採寸をされ(バストの辺りにメジャーを当てられた時はドギマギしてしまった)外套を調べてもらい、どのような形状にしてもらうか要望を述べて用件は終わった。  お代は? と思って部長さんに聞いたが、先ほどの如く凄いマジックアイテムが弄れるのが嬉しいそうでロハにしてくれるとか。  聖骸布はこっちでも相当な代物のようだ。記憶はないけど、俺はどうしてこんな代物を手に入れられたか考え込むな。 「夕方には終わるそうですから、それまでに通常の服装を購入しましょうか」 「そうだね。俺は服には詳しくないから案内お願いしてもいい?」 「了解しました」  外套の件で少しの寄り道もあったけど、仕切りなおして俺たちは町に入りなおした。 「先ずは、志保さんのサイズですが身長150センチジャスト、バスト79、ウエスト55、ヒップ80となります。これを参考に下着を初めとした服選びをすることを推奨します」  歩きながら茶々丸さんは天下の往来でそんな事をのたまってくれた。 「お、おいおい。どうしてそんなサイズが分かるの?」  手芸部の採寸のときはバストは測ったけど、後は肩幅、腕の長さなど上半身だけをはかったはず。ウエストやヒップを測った覚えはない。 「失礼ながら体をスキャンさせていただきました。体に合わない服は望ましくないためです。ご理解を」 「あははは。別に聞いている人いないからいいけど」  納得。外見や雰囲気が自然なためつい忘れていたが、相手はアンドロイド。解析もできるということか。ちょっと笑うしかない。 「試着なさいますか?」  店員の営業スマイルと共に発せられる声。 「えっ、えっと……はい……」  俺の精神は『いっぱいいっぱい』である。なにせここは—— 「志保さん。ブラを初めとする下着類は初めが肝要とのことです」  女性の下着売り場なのだから。  周囲には色とりどりのブラやショーツが陳列されている。清楚なものから誰が着るのか見当もつかないキワドイものまで。色も形も概念も違う様々な下着が一つの異界を作り、まるで固有結界……は大げさか。  店に入るには相当な覚悟が必要だった。そして入ったその瞬間男としての何かが終わった気がした。  で今はというと、店員にサイズを述べそれに合う下着を何点か持ってきてもらった。飾り気のないシンプルなものから、レース生地の豪華なものまで…… 「茶々丸さん、俺は着方を知らないのだけど」 「心配無用です。私がお教えします」  そうして試着室に入る俺たち。  試着室は広く、大人四人が入ってもまだ余裕があり、着替えを入れる大きなカゴ、端にはウェットティッシュと清涼スプレーまで置いてある。 (はあ、かなり充実した試着室だな。女子用の店は皆こんな風なのか?)  思わず感心してしまう。 「では、着ているものを脱いで下さい」 「え、ああ、うん」  茶々丸さんの声に答え、朝とは色違いの白いツーピースのボタンに手をかけて外してゆく。借り物なので丁寧に扱う。なんかそうしないと簡単に破けてしまいそうな印象がこの服にはある。 「ところで、茶々丸さん。素朴な疑問が二つあるのだけどいいかな?」 「何でしょう?志保さん」  上のベスト風味の服を脱ぎ、カゴに入れる。下に現れるのは昨日からつけている白いスポーツブラ。確かに着替えは必要だけど気恥ずかしさが先行する。 「えっと、この服はエヴァ、もとい師匠から借りたものだけど、サイズが違うのになんであるのかな、って思ったのだけど」  考えてみれば、師匠の家で着せ替え人形になっていたときクローゼットにはサイズの異なる服がどっさりとあった。茶々丸さんのこともあるのだろうけど、やっぱり謎は残る。 「それに対する回答は簡単です。マスターは幻術で肉体年齢を操作することがありました。その時の着替えです。現在は魔力が制限されて幻術は使用できませんが、服はそのまま残してあります」 「な、なるほど」  返ってきた答えはとんでもないが、理解できた。では二つ目は? 「次なんだけど、茶々丸さんいつの間にか俺のこと名前で呼んでいるよね?」 「申し訳ありません、不愉快でしたか? でしたら訂正しま——」 「あ、いやいやいや! 不愉快ではないって。名前に慣れる意味でも呼んでくれると嬉しいし。ただ、どうしてかなーって思っただけだから」  スカートのホックを外し、ジッパーを下げ、少し覚悟を決めてテイヤと下げる。下も同色の白のショーツ。昨夜は意識していなかったが、なんかピッチリ下腹部を包んでいるのがちょっと気持ち悪い。まあ、不快ではないけど。  鏡には下着姿の女の子。もちろんこれは俺。なのだが、いやだからこそ恥ずかしさがこみ上げてくる。 「…………」  あれ? 茶々丸さんから返事がない。  振る向いてみると、茶々丸さんは目を伏せて考えこむ様な表情をしている。 「茶々丸さん?」  なんか変なことを聞いたのだろうか? 「はい、聞こえております。ですが、志保さんの問いは私自身でも分かりません。論理的な思考展開からではなく、感性プログラムの産物と推察出来るのですが詳しくは不明です」 「……そう、そうなんだ」  なんか嬉しい。名前で呼び合うそんな状態が好ましい。自分が考え、自分に付けた名前が世界に受け入れられる気分につい口元がほころぶ。もっと言う言葉がありそうなものだけど、気の利かない俺にはこれしか言えない。 「ありがとう。そう呼んでくれて」 「……はい。喜んでいただければ何よりです」  何故か顔が赤くなっている茶々丸さん。これも聞いてはいけないことの一つなのだろうか? 「話を戻しましょう。では、このブラとショーツの試着をしてみて下さい。着用法は随時教えます」  やっぱりやるのは変わりないんだね、茶々丸さん。  その後の茶々丸さんの下着装着講座は分かりやすかった。ただし、俺の中の男性的なものがメタメタになったけれど。  買い物袋を二つ抱えて石畳の道を歩く。  昼食を挟んで茶々丸さんの案内のもとあれから数件の服屋を渡り歩いた。その成果が、いま俺が抱えている二つの買い物袋だ。 「思ったより買ったな。下着と服が幾つかとはいえ」 「いえ、志保さんの買った量は平均的女子生徒よりは少ないです」 「うわ、そうなんだ」  茶々丸さんの言葉に俺は女の子の実態の鱗片というものを知った気がする。  女の子はお洒落にお金を掛けるというけど本当のことだと思い知らされる。俺の買った物はシンプルなデザインのものが中心だが、それでも相応にお金は掛かった。 「話は変わりますが、先ほど学園長から通信が入りました。書類は今日の夕方には用意が出来ます。それに伴い、学園には明日から通うことになります。学生寮に入るのもその後です。よろしいでしょうか?」 「うん、いいよ。けれど早いな。昨日の今日だよ」  茶々丸さんの話に驚く。普通戸籍とかを用意するのは難しいのではないのか? 「学園長は表の世界でも裏の世界でもそれなりの権威を有しています。おそらく権力を相当に振るったかと思われます」 「……とんでもない爺さんだな」  只者ではないと思っていたけど、まさかこれほどとは思わなかった。 「そろそろ夕食の支度をする時間です。行きましょうか」 「そうだな。だけど悪いな、買い物袋を持ってもらって」 「いえ、マスターの食事でもありますから当然です」  商店街で買った紙袋を二つ、茶々丸さんに持ってもらっている。中身は俺と彼女が厳選した食料。今日の朝が和食だったから夕食は洋食にしようと考えている。献立は海鮮ドリアとミートボールのシチューをメインに暖かいもので攻めてみようかと思う。春とはいえまだ寒く、今の服装で体が冷えてしまっている。ま、吸血鬼の体のお陰かくしゃみ一つしないけれど。  春の夕日が麻帆良の街を照らしている。 緋色の光に照らされている道を行く人たちは学園の生徒や職員たち。この人たちの大半は一般人だが、この中の何人かはこの街を作り今もこの街を管理している魔法使いなのだろう。 日常の昼と神秘の夜が出会う誰彼刻[たそがれどき]出会うのは魔法使いか魔物か一体誰ぞ? 「お、茶々丸さん。お出かけだった?」 「朝倉さんこんにちは。今日も取材ですか?」  道の向こうから茶々丸さんに声を掛けてきたのは、赤みがかった髪をアップで纏めた活発そうな女の子。制服らしいものを着ているところを見るとここの生徒だろうか。 「まあ、ね。ってそこにいるのは誰さん?」  女の子がこちらに興味と視線を向けてきた。 (……う)  彼女の瞳は好奇心がキラキラ、いやギラギラ輝いている。これは圧力をともない、気圧されてしまい思わず一歩引く。 「えっと、初めまして衛宮しろ、じゃなくて志保です」 「どーも! 朝倉和美といいます! よろしく!」  買い物袋を持っていた手をがっしり握られた。二度と離さないと言わんばかりに。 「えっと、よろしく」 「んで、衛宮さん。茶々丸さんと出かけていたみたいだけど、どういった関係? ここの生徒? 見かけない顔だけどひょっとして転校生? ——」  マシンガンのように飛んでくる質問の嵐。しかもいつ取り出したのか突きつけられるICレコーダー。 「え、ええっと」  どう答えたものかと考えていると、 「申し訳ありません朝倉さん。私と志保さんはこれから用事がありますのでこれで失礼します」 「え? あ、ちょっと!」  茶々丸さんに腕を取られて引っ張られて行く。細そうな腕に似合わず、そこはアンドロイドか、かなりパワフル。あっという間に朝倉さんから離れていく。 「どういうことなんだ、茶々丸さん! あいたたっ」 「走りながらで申しますが、朝倉さんは私とマスターのクラスメイトです。彼女は報道部に所属しておりまして、少々好奇心が旺盛なのです。そのため衛宮さんの事を深く聞かれるのは現段階では最適ではないと判断しました。不自由ですが、ご理解を」  右手に俺の腕、左に買い物袋を二つまとめて持ち、なおかつ走りながら器用に状況を話してくれる茶々丸さん。ああ、得心。けれど、引っ張られている腕が痛いです。  春の誰彼刻。出会ったのは魔法使いでも、魔物でもなく、報道魂溢るる女の子だった。 「帰ってきたか。うん? どうした志保。疲れた顔をして」 「や、ただいま。なんか、もう、今日は精神的にクタクタで……」  あの後、追いかけてくる朝倉さんをどうにか撒いて、帰る道すがら手芸部に立ち寄って外套を回収。試着する時間もなく師匠のログハウスに戻っていた。  リビングでへたばる俺を師匠は『くろいあくま』モードで見下ろしてくれやがります。 「情けない。この様では私のクラスに入ったとたんに死ぬな」 「え? 今何て言った?」  師匠が何かとんでもないことを言いませんでしたか? 「ああ、言った。今日の昼にじじいから電話が来てな、衛宮志保の転入するクラスは中等部2年A組。つまり、私と茶々丸のクラスメイトになる。はっきり言って連中は曲者ぞろいだぞ。せいぜい気を付けるのだな」  うわ。師匠とクラスメイトですか……またとんでもない。 「マスター、夕食の支度にかかります」  師匠と話している間も茶々丸さんはテキパキと買ってきた食材を処理している。うんうん、買い物は冷蔵庫に封入するまでが買い物。茶々丸さん分かっています。 「ええっと、俺も手伝います」  とりあえず、明日の事は明日考えることにして俺は彼女を手伝いにキッチンに入る。 「そうだ志保。夕食が終わったら早速修行をしてやろう。魔法はもちろん、吸血鬼としての振る舞い、ああ、それに婦女子の振る舞いもお前には必要だな。ふふふ、楽しみだ」  ゾクリ。なんか怖いです、嫌な予感がしますよ師匠。  その予感は二時間後、当たりました。  地下に入って『別荘』を掘り出されて(幸い解析で見つける時間は短時間)次にその『別荘』での修行が『三時間』——師匠は鬼でした。  ソファーに横になり夢も見ずに眠る。  目を閉じる瞬間再び予感する。明日からは『私』にとって怒涛の日々が来ると。  鍛鉄の魔術師『エミヤシロウ』にとっての異世界二日目、鍛鉄の吸血鬼『衛宮志保』にとっての初日はこうして過ぎていった。「全く、教会の連中は相も変わらずムカつく連中ね。特にあのカレーは!」 「教会の虎の子埋葬機関でしたか。噂には聞いていましたが、とんでもない化け物ぞろいでしたね」 「ええ、平然と吸血鬼や元吸血鬼を迎え入れる精神も教会の中で異端と言わしめるだけあるわね。ま、持っていた情報はそれなりに価値があったから良しとしますか」 「なんでも、あの死徒を倒した真祖の姫君に直接聞いたのだとか」 「どういう人脈使ったんだか……でもお陰で敵の正体がハッキリしたわ」 「ええ、まさか凛の大師父に関連するものだとは思いませんでしたが」 「そうね、これは私の系譜に関わる問題でもあるわ。……でも、第一目的は変わりないわ」 「はい。シロウを救出することですね」 「そうよ。さあ、きばっていくわよ!」  出席番号32 衛宮            第三話 初めましてA組の皆さん  その部屋の住人たちは今、全員俺を、もとい私(こう言わないと師匠にどやされる)を見ている。  視線の数は32かける2の64本。性別は女子が62本、男の子が2本。それが私の上から下までを観察する。  視線の種類も様々。力量を見極めようとするもの、興味のなさそうなもの、弟子を生暖かく見守るもの、自分のトラップを破った悔しさが溢れているものと色々ある。  だが、大多数を占めるのは『好奇心』だった。  どんな子なんだろう? 彼氏いるのかな? 可愛い子だね、どんなスキンケアしてるんだろ? そうよね髪なんかサラサラよね。 囁かれる声は一様に華やいでいる。  むむ、できるな。 あの動き只者ではない。 ふむ、あまり戦いたくない手合いだな。 一部かなり物騒なものも混じっている。  目は元より耳まで良いと、こんな声まで拾ってしまい少し恨めしい。  今まで気にならなかった部分が急に気になりだす。付けたブラがムズムズする、スカートが短すぎないか気になる、下に履いたスパッツが妙にピッチリしすぎてショーツ以上に気持ち悪い。 「えっと、では衛宮さん。自己紹介をお願いします」 「え? あ、はいっ」  男の子に言われ、一歩前に出る。  落ち着け、落ち着くんだ。一体何年魔術師をしている?(分かんない) こんなの英雄王の乖離剣を全力で出されるよりマシだろう? ……何を言っているのだ私は。  呼吸を整え、改めて視線を上げる。教室には31人の女の子。この環境で私はこれからの生活を営むのだ。気が重いような、気恥ずかしいような。  大きい意味でも小さい意味でも中学生に見えない少女達、只者ではなさそうな気配の人達、師匠と呼ぶことになった吸血鬼の少女、アンドロイドな女の子、よく見れば幽霊もいる。あ、視線が合って微笑まれた。確かに師匠が言うように『クセ者』ぞろいだ。  バライティー豊かなこのクラス。トップがあのご老体だと思えば不思議に納得できる。ここに今更吸血鬼の女子生徒が一人増えようと変わりないかも。  さあ、まずは初めの挨拶からだ。 「初めまして。今日からこのクラスに入ることになった衛宮志保といいます。よろしくお願いします」「ふっ! せいっ!」  蒼く暗い朝の空気を切り裂く様に剣を振る。  相手は実際に存在しない仮想の敵。それに向かい双剣を振るう。無論この剣は投影したもの。  二振りで一組の夫婦剣『干将・莫耶』これが接近戦で一番自分にしっくりくる剣だと感じ、今こうして振るっている。  無論、これを振るうまで幾つかの刀剣を振るって今それらは近くの地面に刺さっている。  こうして朝に鍛錬するのは私にとって日常だったみたいで、朝起きるのもこうして体を動かすのも苦にならない。むしろこれは自身の義務だと感じている。  『別荘』の特訓の後ではあるが体が朝の運動を欲し、早くに目覚めてしまい師匠を起こさないように家を抜け出して、この森で剣を振るうことにした。  自身は剣士ではない。魔術師だ。けれど成しえる神秘は剣製。もっと正確に言えば剣を内包する世界を現実に現すこと。剣を担う者がいなくては宝の持ち腐れだ。だから、才が無くとも剣を振るうしかない。 (後、弓も考えられるのだけど)  その鍛錬は今ここで出来るものではない。余分な思考はカット。  朝焼けの空が白みを増し、明るさを増してゆく中、私はひたすらに剣を振るう。双剣から西洋剣、日本刀、斧剣、槌、槍。武器を代え、想定する敵を代え、ひたすらに振るう、振るう。振るう内にあること気が付く。 「そういえば、なんか振るう武器が凄く軽く感じるな」  剣の丘で重量級の斧剣や、重槍を片手で振るっているのに全く疲れない。何か不思議だ。 「当然だ馬鹿者。お前の体は吸血鬼だからな、力が強くて当たり前だ」  一人呟いたはずの言葉にまさかの返事が返ってきた。 「師匠? あ、おはようございます」  振り向いた先には先日から師匠と呼ぶことになった小柄な女の子が立っていた。  エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。十歳ぐらいの女の子にしか見えないが、実態は数百年を生き、膨大な知識と魔力で裏の世界に名前を轟かせた吸血鬼なんだとか。『闇の福音』と聞けば地獄の鬼も裸足で逃げ出すとも本人は言っている。——実際、『別荘』では鬼だった。 「はあ、普通過ぎる。お前の感性は二日や三日では直らなかったか」  その師匠がこちらの反応を見てため息を吐いた。 「む、なんか悪いところでもありました?」  一応年上なので敬語は欠かせない。でも直ぐに忘れるけど。 「悪い! お前は誇り高い吸血鬼、ノーライフキングの一員なのだぞ。もっと威厳というものを持てんのか?!」 「いや……でも、『別荘』でも言ったと思うけど目が覚めたら急に吸血鬼になっていたから、誇りとか威厳とか言われても持ちようがないよ」  第一、朝の挨拶にどう威厳を現せと?  師匠は私の余りにも一般人一般人した感性がお気に召さないようで、『別荘』でも事あるごとに言われていた。  ちなみに『別荘』は昨日の夜に師匠の命令で掘り出すことになったマジックアイテム。一種の恒久的結界で、一抱えはある巨大なビンの中に形成された幻想世界に入ることができ、その中では一時間が一日として経過するようになっているというトンでもアイテムである。師匠が50年くらい前に作ったというが、最近は維持を人形に任せて放置していたのだとか。昨日はそこで『三時間』たっぷりと修行させられた。  閑話休題[それはともかく] 「ふん、やはり長い時間をかけて調教する必要があるな……まあ、それも愉悦の内かフフフフ」  私の言葉を受けた師匠は目を怪しい感じに光らせ、笑っている。 「えっと、『教育』ではなく『調教』ですか」  相当に怖い表情をしています師匠。今鏡を見ることをお勧めしたいくらいに。 「安心しろ。お互い不老不死の身だ、時間など掃いて捨てるほどある。たっぷりと教えてやるさ」  だから怖いって。  朝の鍛錬を切り上げ、シャワーを浴びて(やはり余り自分の体を見ない)、服を着替え(ブラやショーツを身に着けるのに苦悩した)、エプロンを着けて昨日のように茶々丸さんに手伝ってもらい朝食作り。師匠は長い年月生きてきただけあって、舌に国境はないようだ。だからこちらは安心して作ることができる。ただし、手抜きはできないけど。  一度『別荘』でそれをやったら「命がいらないようだな」とか言われ、修行名目で魔法を雨あられと食らいました。それを退魔の剣で捌いたり、盾で凌いだりしたのはホントきつかったです。 「茶々丸さん、鮭が焼きあがったからそっちの皿を取ってくれないか」 「了解。これでいいですか志保さん?」 「うん。やっぱり焼き物は器も大事だからね」  グリルで焼いた鮭を皿に乗せ、付け合せも乗せてすぐにテーブルに戻る。 「はい、これで最後です師匠。では食べましょうか。茶々丸さんも席に付いてくれ」 「はい」  最初彼女は「私はアンドロイドですので人間の食物は摂取できません」とか言って断ったのだが、一人だけのけ者というのは正しくない。だから形だけでも同席して欲しいと強引に座らせた。それが『二日前』。 「「「「いただきます」」」」  で、今は形のみとはいえ、こうして四人が食卓に着いている。一人多い? ああ、それは—— 「オイ、志保。ソノ筑前煮ヲ食ワセロ」 「うん分かった。はいどうぞ」 「……ウム、悪クナイ味ダナ」  三頭身のパペット人形が食卓に座って喋り、尚且つ飯を食べている。アンドロイドの茶々丸さんもいるのだからそんなに驚かないのだけど、茶々丸さんでさえご飯は食べたふりしかできないのに、なんでこのチャチャゼロという人形は食事が出来るのか凄い疑問だ。 「シカシ、御主人。ナカナカイイ従者ガ手ニ入ッタナ。家事全般ヲコナシ、剣ノ腕ハ悪クナイ。魔法ハ規格外トクル。コレデマタ暴レラレルダロウナ」  師匠の前従者チャチャゼロは恐ろしく不穏当なことを言ってくれます。魔力で動いていたのが、師匠の供給が無いため『別荘』以外では動けない彼女(?)だが、動けたとしたら今はきっとカタカタと体全体で喜びを表していただろう。 「俺、違った、私は従者なのか?」  そう師匠に尋ねつつチャチャゼロに焼き鮭を与える私。あー、なんか美味しそうに食べてくれるのが嬉しいぞチャチャゼロ。 「ふむ、まあ役に立つという点ではそれに近い気がするな。むしろメイドか?」  そう言ってジャガイモの味噌汁をズズーとすする師匠。  メ、メイドっすか? 「ふっ、冗談だ。私はお前を誇り高い同族として、同時に後輩として迎えているつもりだがな。気に入らないか?」 「ブンブンブン。そんな事無いです。感謝していますよ」  首をフリフリ。  師匠には本当に嘘偽りなく感謝している。ただ、その『誇り』というものが伴わないので少しばかり申し訳なく感じてしまう。 「まあ、そうだな。先刻私が言ったように誇りも吸血鬼としての自覚もお前にはない。けれど、そこは私が何とかしてやろうと言うのだ。シャッキリしろ」  その時の師匠、エヴァンジェリンさんの顔は凄く華やいで綺麗な笑顔だった。この人なら信用できると思わせるくらいに。 「さて、学園長から制服が支給されてきた。受け取れ」  食事が終わり、食後のお茶の采配をしていると師匠はそう言って会話を切り出し、ソファーの横に置いてあった紙袋を私に寄越した。 「そうか、今日からだったんだ。『別荘』に行っていたから少し時間感覚が狂ったかもしれないな」  受け取り、中身を確認。  ワイシャツもとい、白いブラウスにベスト、赤い下地のチェックのスカート、校章が付いているブレザーみたいな上着、リボンとネクタイが入っている。 「リボンとネクタイの選択は任意だ。ソックスの長さ指定はない。クツも特にはなかったな」  師匠が丁寧に解説を入れてくれる。それはいいのだけど…… 「師匠、なんかスカートが短くありませんか?」  スカートを当ててみて分かる。今まで着ていた師匠のお古はシックなデザインで露出の少ないものを中心に着ていたため、ミニスカートの類はこれが初めてになる。 「うん? なんだ、昨今の女子ならそのぐらい大人しい方だぞ」  いや、そうなんだろうけど……確かにパンツを隠す気があるのか疑いたくなるようなものも世の中にはあるけど、私にとってこれでも相当に冒険なんですよ。 「どうしても気になるのなら、下にスパッツでも履けばいいだろう。実際そうしているヤツがいるしな。さらに、そうすれば下腹部を冷やさずに済むそうだ」  えーっとお腹を冷やさないことは大切ですけど師匠、笑いながら言っても説得力あるのか考えたくなりますよ。  欧州風の一種形式美がある通りを人が走っている。それも十人二十人ではない。数百人単位でだ。 ——ドドドドドドドドドドッ  まるで何処かのサバンナの動物大移動みたいな有様。足音は遠雷のごとく鳴り渡り、人々は我先にと走る群れ、群れ、群れ。 「なにコレ?」 「見て分からんのか? 朝の登校風景というものだ」  呆然と呟いた言葉にも師匠は丁寧に解説を入れてくれます。  一応私たちはこの群れに巻き込まれないように通りの隅に寄って、目の前を過ぎる人の群れを観察している。あ、今バイクも通り過ぎた。 「だけどコレは異常でしょう? 何ですかこの数は?」  記憶はないけど学校の朝の登校風景は知っているつもりだ。それは断じてこのようなものではないはず。 「まあ、この麻帆良学園の生徒数は半端な数ではないからな。私の居る中等部二年だけでも700人以上はいる」 「正確には737名です」  師匠が学園の異常さを言い、隣にいる茶々丸さんが補足してくれる。  二年だけでも737人。しかもここに小、中、高、大学とくるのだ。全体の人数は想像もつかない。 「とんでもないところに来たんだな、俺は」 「志保ー。修行の成果はどうした?」  師匠のチェックが入る。 「あ、ごめん。私だよねわたし。うん、大丈夫」  慌てて口調を直す。うむむ、何事も慣れか。口調もこの服装も。  今の私の服装は今日から入る女子中等部の制服。 ひざ上十センチのチェックのスカート、ブラウス、ネクタイ、ベストに上着、その上に仕立て直した聖骸布製の外套を羽織っている。スカートの下は師匠の言葉を受けて昨日買ったスパッツを履くことにした。  ソックスは黒のハイソックス。クツだが革のローファが主流だが指定がないためこれまた昨日買った軍用のサイドジッパー付のブーツを履く。そして最後にバックを肩にかければ、少し変わってはいるが立派な麻帆良学園生の出来上がりだ。 「では私はもう行くが、お前はあのじじいのところに立ち寄らなくてはいけないだろう?」 「はい」 「ではな、また会おう」 「失礼します、志保さん」 「はい、またです」  そう言って師匠は茶々丸さんを伴って人ごみに混ざって行ってしまった。 「さて、私も転校初日に遅刻はしたくないからな。——行くとしますか!」  気合一発。過去も未来も分からないけど、どうにかなるさという気分で私は中等部校舎を目指し走り出した。 職員室に入るなり、ネギ・スプリングフィールドは学園長からの急な呼び出しを受け、学園長室に向かうことになった。  一時、教師をクビとか、本国に強制帰国など非常にネガティブな思考に囚われてハワワとなっていたが、ネギの指導教員である源しずな先生が「急に転校してきた生徒がいてね、その子がネギ君のクラスに入るみたいだから学園長が話をしたいって」というセリフを言ったことにより精神を落ち着かせることが出来た。  重厚な学園長室のドアをノックする。 「ネギ・スプリングフィールドです」 「うむ、入りたまえ」  学園長の返事を受けて、「失礼します」と部屋に入るネギ。  部屋にはこの部屋と学園の主であるご老体と件の転校生がいた。  白い髪に赤い外套。目つきは悪くないのだが赤い瞳は猛禽類を連想させ、人形のような少女には似合っていないはずなのに不思議と違和感はない。 で、ネギを見るその猛禽類の赤い瞳は怪訝な感情を映していた。 「ネギ君。急な呼び出しすまんかったね。大体の話はしずな君から聞いていると思うのだが」 「はい、転校生ですよね。えっと、こちらの人が?」 「うむ、今日から君のクラスに入る衛宮志保さんだ。衛宮君、彼が君の担任の教師となるネギ・スプリングフィールド君だ」  紹介を受けた衛宮と呼ばれる女の子が、明らかに信じられないものを見る目でネギを見つめる。 (ううん、やっぱり最初は信じられないだろうな)  魔法学校卒業証書を受け取った時から今日まで、数えで十歳のネギが教師をすることに周りの人間はこのように驚きの表情をしているのを何度も見ている。だから慣れっこといえばそうなのだが、改めて驚かれるのも複雑な気分だ。 (とりあえず、担任として初めの第一印象が肝心!)  そう自らに言い聞かせてネギは 「初めましてエミヤさんでしたね。三学期の間だけですけどあなたの担任教師をすることになったネギ・スプリングフィールドです。よろしくお願いします」  鍛鉄の吸血鬼との初邂逅を遂げた。  長い板張りの廊下をネギ先生と並んで歩く。  正直言って未だに信じられない。こんな子供が教師をしているのは。  後で学園長に小声で「彼は私みたいな吸血鬼ですか?」と聞いてみたが、返ってきた答えは正真正銘担任の教師は人間の子供。それも数えで十歳という。  それでも頭脳明晰、大学レベルの学力があり、教員免許はとって授業に問題はなく、それどころか生徒から愛されているのだとか。 (それはまあ、愛されるだろうなこんな外見だし)  隣をちょこちょこ歩く天才子供教師は、赤みがかった茶髪(無論天然だ)を後ろで纏め、七五三のようにスーツを着て、子犬のような顔にはメガネをちょこんと乗せ、可愛らしいことこの上ない。きっとその筋の人からすれば犯罪級の美少年というやつだろう。  私にはまだそれら『筋』の事は良く分からない。分からないままの方がいいのだろう、きっと。 『あの、英語で話しかけた方がよろしかったですか?』  顔を見ていたら、不安そうな顔で見つめ返され英語で話しかけられた。 『いや、先生さえよければ日本語で構いません』  こちらも英語で返す。変な感じで見詰めてしまったかな? そんな不安そうな顔をしないでくれ、頼むから。  ネギ先生はすぐに日本語に切り替えて話しかけてくれた。 「あ、あの、そういえばロンドンの方から来たと聞きましたけど」 「ええ、先生はアーサー伝説の有名なコーンウォールからでしたね」 「はい、小さな村ですけど」  そうなのだ。この小さな担任には私が魔法使いで吸血鬼な生徒であることは話していない。私はロンドンからの帰国子女という設定なのだ。  先生が来る数分前、学園長に担任教師は魔法学校を卒業したばかりの新米魔法使いで、修行のためにこの麻帆良学園に来ている魔法先生なんだと聞かされた。流石に子供とは予想外だったけど。  だからなのか、私が魔法使い、吸血鬼であることは伏せていてくれと言われた。でも、あくまで言わないだけで非常時や先生自らが気付いた時は構わないとか。つまりこれも修行の一環なのか? 「はい、着きました。衛宮さん、ここがこれからあなたの教室になる2年A組です」  そのあと二三会話を交わしていたら、もう目的地に着いたようだ。  なにやら中がすごく騒がしい。窓から中の様子を伺う。 (うわ……)  中は女の子が形成する混沌[カオス]だった。  これを確認すると体が緊張してきた。ざっと見て30人ぐらい。この人たちの前に立ち、自己紹介するのだ。気分がピリピリしてくるというものだ。 「僕は先に入りますから、呼んだら入ってきて下さいね」 「は、はい」 「大丈夫です。皆いい人達です。緊張せずにリラックスですよ」  どうやらよほど緊張していたみたいだ。こんな子にまで励まされるとは。私がしっかりしないと。 「はい、分かりました」  だからこちらも大丈夫とアピール。ネギ先生はこれを正しく受け取ってくれ、 「では、行きますね」  にこやかに笑って教室に入っていった。 「き、起立。気をつけ、礼ぃー」 「「「「おはようございます」」」」  どこの学校でも恒例の挨拶が教室から響いて来る。ただし、聞こえるのは全て女声。今や精神のみとはいえ男としての『シロウ』は体以上に緊張している。大丈夫なのか? 「えっと、出席をとる前に——」 「転校生の紹介ですよね!」 「そうそう」「どんな子かな」  ネギ先生が話を切り出す前に生徒の一人から話を攫われた。 「え? え? どうしてそのことを知っているのですか?」  ネギ先生は狼狽しているようだ。  確かに、転校の話なんか昨日の今日という急な話のはず。それを確たる情報として掴むのはすごいような。 「あうーー。皆知っているようなので、もう紹介しますね。衛宮さん、入ってください」  なんかがっかりしたようなネギ先生の声に呼ばれた。まあ、あのくらいの子供なら秘密を打ち明けるワクワク感を削がれてさぞがっかりだろうな。思わず口元に笑みを浮かべてしまう。 「失礼します」  だからか、いつの間にか私はさして緊張も無く2年A組の扉を開けることができた—— 「って何!?」  上に空気の流れを感じて見れば、頭上から落ちてくるバケツ。  すぐに前に飛びのいてかわすが、下にはロープが張られている。 「っく!」  跳躍。トラップの無い教壇に舞い降りる。  助かったと思う刹那、三方向から矢が飛んできた。  矢尻は無く、代わりに吸盤か付いている玩具だが、あれにやられるのは気分が悪い。  投影した刀剣で捌く? ——却下。学び舎で刃物を振り回すのは道徳的にも法律的にも良くない。刃物ではなくて竹刀、木刀なら? ——なぜか私の内面世界にある虎のストラップがついた竹刀とライオンのストラップのついた木刀を投影して捌けるが……やっぱり却下。魔法は人前でするものではない。 (ならば)  聖骸布製の外套を翻し、矢を弾く。これなら魔力を使う必要もない。  赤い外套に矢は弾かれ、ポトリと床に落ちる。 (これでよし)  軽く息を吐いて他にトラップがないか周りを見る。  沈黙する教室が見えた。 (しまった!)  皆一様にあんぐりと口を開け、教壇の上に立つ赤白の不審生徒を見つめている。後ろにいる師匠は忍び笑いしている。なんかひどい。  どうやって言い訳しようと考えると 「すっごーい!」  この声をきっかけに教室がどっと湧いた。 「ねえねえ、今何したの?」「天井近くまで跳んだよね」「オリンピックの強化選手?」「ぜひともバスケ部に」  一瞬何がなんだか分からない。が、三秒かけてようやく理解。どうも人並み外れた身体能力に騒がれているようだ。 「皆さん、静かに。衛宮さんも教壇から降りて下さい」 「は、はい」  いつまでもさらし者になる気はない。ネギ先生の呼びかけにそそくさと降りる。  その後しばらく、騒ぎが止まず、私が自己紹介を終わるのにはもうしばらくかかった。  また変人が来た。長谷川千雨の感想はこの一言に尽きる。  登校してみると、朝倉を初めとした数人が騒いでおり、なんとなく聞いてみると転校生が来るのだとか。 (二年も終わろうというこの時期に転校生?)  この学園は初等部から大学までのエスカレーター式で、特に中等部と高等部の境はないようなものだ。だから3年になっても外部からの転校生や留学生はこの学園ではさして珍しくない。  だが、時期的に見れば3月の初め、すぐに期末テストも始まるこの時期の転校生は余り例が無い。 (訳ありって、言っているようなもんじゃねーか)  非常識なクラスメイトに囲まれていい加減ストレスの溜まっている千雨にとって、これ以上の変人の登場は勘弁願いたいものだった。  そうしてHR。そいつが来た。  非常識の極みである子供教師に呼ばれて出てきたそいつは、チンチクリン双子の仕掛けたトラップをあれよあれよとかわしてみせ、いつの間にか教壇の上に現れていた。 (なんじゃそりゃー!)  教室が沈黙しているとき思わずそう叫びたかった。けれど『常識人』としての意識がそれを押しとどめてくれた。 「初めまして、今日からこのクラスに入ることになった衛宮志保といいます。よろしくお願いします」  よろしくー! とクラス全体が衛宮と名乗る変人の挨拶に明るく挨拶を返している。順応性の高すぎるクラスメイト達に千雨はただ頭を抱えるばかりだ。  背はまあ低めだが非常識なほどではない。髪は染めているようには見えないのに純白。目がこれも信じられないが赤いのだ。 (アルビノ? だが、ここまで真っ白で真っ赤というのは聞いたこと無い)  容姿も出来すぎだ。洋の東西問わず審美眼を持っているなら二重丸を付けるだろう外見。いい意味で人形のような奴だ。 (こいつ衛宮志保とか名乗っているけど、本当に日本人かよ?)  聞けばイギリスはロンドンからの帰国子女なのだとか。 (子供教師といい、この白髪頭といい、いつからイギリスは変人の巣窟になったんだ?)  そしてその変人はというと、 「あ、よろしく」 「……(プイ)」  千雨の後ろの席に座っている。  この学園にいる限り平穏はないのかも。最近そう考え出した千雨であった。「あーしんどい」  授業がではない。休み時間毎にやって来る女の子達との応対がしんどいのだ。 「どこから来たの?」 自己紹介にも言ったようにロンドンという設定です。 「へー、じゃあ英語ペラペラなんだ」 日常会話、魔術的専門用語も問題なく。 「さっきすごかったけど何か武術やっているの?」 弓道、剣術、棒術、投影した武具を問題なく使いこなす程度には。 「何か趣味ある?」 物の修理、料理と鍛錬、か? 「彼氏いるの?」 記憶にない。こっちが知りたいくらいです。  まさか本当の事を喋る訳にもいかず、対応に四苦八苦した。特に攻勢が厳しかったのは朝倉和美さん。昨日も会ったけどまさか同じクラスだとは……。そういえば茶々丸さんが同じクラスと言っていたか。これからはロボの話はよく聞こう。  そうして、放課後。こうしてへたばりました。 「志保さん、大丈夫か?」  へたばっていると関西圏のアクセントで話しかけられた。  顔を上げると二人の女の子。一人は黒髪の映える純日本風の女の子。例えるなら市松人形を現代風にして生き生きとさせるとこんな感じではないだろうか? 話しかけてきたのは子のようだ。 もう一人は腰までありそうな明るい茶色の髪を鈴付のリボンで二つに纏め、活発そうな印象を見るものに与える女の子。よく見えれば右目が空色で、左目が紺色になっている。ヘテロクロミアと呼ばれるものか? 「えっと、誰さん?」  名前は聞いてないよね? 聞いたのに忘れているのは流石にまずい。 「ウチは近衛木乃香。で、こっちが友達のアスナ」 「神楽坂明日菜よ。よろしく衛宮さん」  二人それぞれに名乗る。うん、なんか感じのよさそうな人達だな。礼には礼をともいう。 「よろしく。改めて、衛宮志保です」  二人に握手で応えた。ん? 木乃香さん、なんか凄い魔力を感じる。それに近衛ってもしかして。 「近衛さん。間違ったらごめんなさい。学園長の親戚か何かですか?」 「学園長はウチのおじいちゃんや」  やはり。とするとやはり…… 「では、近衛さんは魔法つか——」  ここまで言ったところで、いきなり神楽坂さんに猫の子のように襟首持ち上げられて教室を大爆走で出て行くことになった。  にゃんでさ? 「はあはあはあ」 「えーっと、神楽坂さん?」  場所は移り人気の無い階段の踊り場。ここまで全力で私を引っ張って走った神楽坂さんはなんか息せき切っています。 「すぅ。ねえ、衛宮さん。このかに何を言おうとしたのかな?」  あ、復活早い。それでもって詰め寄られています。  でも、考えてみるとこうして詰め寄られている原因を鑑みると…… 「神楽坂さんも…もしかして魔法使いですか?」  こう考えるのが自然なんだよな。 「誰がよっ、私はそんな非常識人じゃあないし、このかもそうよ」 「え? だったら何で魔法の存在を知っているのですか?」  魔法の存在は隠蔽されているはず。魔術協会では魔術の存在を知ったものは記憶の操作か殺害に事は及ぶ。  魔法協会はそこまで物騒ではないが、記憶の操作くらいはやっているだろう。  なのに何で? 「うっ、それは…」  こちらの質問に言い淀む神楽坂さん。  よほど言いにくいことなのかさっきまで勢いは萎み、急に下を向いてモゴモゴとしている。 「言いにくいこと? だったら、無理して言わなくていいから」  無理に聞き出す気は私にはない。けれど、神楽坂さんは答えてくれた。 「その、ネギ坊主が魔法を使っている所を見ちゃって。ネギはこのことを知っているけど、他の人は多分知らないと思う」 「むう」  魔法の秘匿ってずいぶんとアバウトだな。思わずそう思ってしまう。  よく話を聞くと、ネギ先生が来た初日に魔法を使うところを目撃、黙っている代わりに責任をどーたらと言う事なのだが、はて?  代わりにこちらも事情を話す。流石に異世界云々は言えないけど、学園長に請われてこの学校にきている事を話した。 「ふーん。で、ネギはあんたのこと知っているの?」 「いや、学園長に口止めされている。それほどキツイ訳ではないけど」 「またあの爺さんね。お茶目にもほどがあるわね」  神楽坂さんは呆れたといって、肩を落とす。  日ごろからあのご老体には辛酸を舐めてきた。そんな空気が感じられる。 「苦労しているんだね」 「まあね。ともかく、このかは魔法のことを知らない一般人よ。どうしてあんなことを言おうとしたの?」  よほど大切な友人のようで、気を取り直した神楽坂さんの声には僅かだが怒気が篭っている。確かに魔法使いなんてものになるより、一般人をやっていれば何倍も幸せになれるのだろう。私の発言はそれを乱すものだ。  だからではないが、正直に答える。 「近衛さんから感じる魔力があってね。あれは人並み外れた魔力量だよ。あれで一般人というのが考えにくかったから声をかけたんだけど……まずかったよね?」 「むむ、このかが持っている魔力ってそんなにすごいの?」 「多分だけど近衛さんの一族の特性じゃないかな? 学園長も結構な魔力量だったし、潜在的にはネギ先生よりすごいと思うのだけど」  昔は魔力感知なんてできなかった経験がある。けれど今は普通の魔術師並みの感知能力はあるつもりだ。見積もりはそう間違ったものではないはず。 「でも、ネギからは全く聞いてないし、このかもそんな素振り見せてないよ」 「ネギ先生は知らないと思う。近衛さんも今振り返ってみると自覚なしだと思うな、きっと。……どうやら少し私がうかつだったな。すまない」  ペコンと神楽坂さんに頭を下げる。 「え、え、頭をあげてよ衛宮さん。こっちもいきなりで悪かったと思うし、もうこの話は無しってことにしよう?」  頭を下げた私に神楽坂さんは慌てたように言い募ってくる。ふむ、確かに少々他人行儀すぎるかな? では、これならどうかな? 「分かった。こちらの謝罪の受け入れ感謝します『明日菜』」 「うん、ってふえ?」  こちらの悪戯に少し戸惑う彼女。あ、なんか面白い表情だ。 「なにか?」 「今、私のこと明日菜って」 「ええ、言いました。駄目でしょうか? 魔法使いの友人というのは?」  私の表情をしばし見た明日菜は、なんかすごく嬉しそうな表情をして 「駄目な訳ないじゃない、『志保』!」  そう言って、私の手を握ってくれた。 「「ようこそ! 衛宮さん!」」  戻った私が見た教室の光景はパーティー会場だった。  紙ふぶきか舞って、クラッカーが鳴り、料理の匂いが鼻に入る。 「これは?」 「あ! 忘れていた。今日志保の歓迎会をすることになっていたんだ」  隣で明日菜がそんなことを言ってくれる。 「だが、いつの間にこれほどに準備をしていたんだ?」  私と明日菜が教室を出たのは十分ぐらいではなかろうか? そんな短時間でここまでの準備ははっきり言って神がかっている。 「休み時間毎に準備してたんよ。後は機会を見て衛宮さんを連れ出そうというとこやったけど、アスナ強引に連れ出したなー」  近衛さんがこの状況を説明してくれる。幸い私が言いかけた魔法云々は無かったことになっているようだし、明日菜の連れ出しも不審に思われていないようだ。  それにしても……この混沌はどうしたものか。 「ほーら、衛宮さん。主賓は真ん中に!」「そうそう」  朝倉さんと明日菜が腕を取って私を教室の真ん中に持っていく。 「衛宮さん、慣れないと思いますけど頑張ってください」  ネギ先生はこれを経験したことがあるのか励ましの言葉を投げてくれます。  あ、師匠だ。これどうにかできませんか? 「あきらめろ志保。せいぜいこいつらの馬鹿騒ぎに付き合ってやるんだな」  師匠相変わらず『くろいあくま』です。  この後私は、四葉さんと超さんの合作料理に対抗心を燃やしたり、佐々木さんを初めとした運動部の勧誘を受けたりもみくちゃになった。  最後にはあわやアルコールの登場かと思われたが(主犯は長瀬さんと古さん)、そこはネギ先生。教師をしています。実際に抑えたのはクラス委員長の雪広さんだけど。  饗宴の声が赤い光差す教室に響く。  きっとこの騒ぎは私を歓迎すると同時にクラスが私を受け入れるための一種儀式みたいなものではないか? そう考える。異分子である私と共同体のA組。今日この日の儀式をもって一つになる。 そんな幻視を夕方の教室に見た気がした。「凛……あなたのその特性はもはや呪いだと思います」 「うん、私もそう思う。どうしてここ一番でこんなポカをするかなーって、今大反省中」 「死徒のラインを手繰るのはいいですけど、なんでこんな泡沫世界と繋がったのですか?」 「核になる宝石を間違えました……」 「……」 「……」 「……凛」 「ゴメン」  出席番号32 衛宮          第4話 あんりみでっど ぶっく らいぶらりー  チャチャゼロの振るう長大な鉈のような刃が首に迫る。  右の陰剣でこれを捌く。一瞬の火花、かみ合う金属音。  すかさず左の陽剣で相手の胴を薙ごうとするが、横から気配。  考えることなく反射で判断。回避。すぐ飛び退く。  数瞬まで頭があった空間に金属の拳が飛んできた。文字通り。 「ロケットパンチかーー!」  茶々丸さんの武装に全力で突っ込みを入れる。返ってきた返事は…… 「お約束だろう?」  返事は真上、しまった! 「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。氷の精霊18頭集い来たりて敵を切り裂け! 魔法の射手 連弾・氷の18矢!」  師匠の参戦は予想外。直上からの雨のような魔法弾が襲い掛かってくる。  直撃まで一秒もない。  最短時間で武装検索——ヒット  双剣を捨て、右手を突き出し剣の丘からそれを最速で引っ張り出す。 「英傑の四枚の盾[アリー・ライフ]」  アラビアの英雄が生涯で使った四枚の盾。それを顕現させて魔法の弾雨に抗う。  着弾、着弾、着弾。着弾と同時に凍結させられる。 「くう!」  すぐに精度が甘い第一の盾と第四の盾が揺れる。が、どうにか凌いだようだ。 「——ふう」  と息をつく間も許さず、 「油断大敵です」  絶妙なタイミングで茶々丸さんの拳は飛んで来る。  ゴン  鈍い音が頭に響いて意識が暗転した。 「まだまだ、だな。極大の防御から迎撃までの時間が長いぞ」 「はい」  目が覚めたら『別荘』から出ていて、今はメガネをかけた師匠がリビングで今回の反省点をズバズバ言ってくれている。  私の戦闘体勢は一対一では問題なくとも、一対多数で連携を取られると弱い部分がどうしても出てくるのだとか。 「基礎はできていて、魔力での身体強化もできて瞬動すらものにしているのはいい、後は『気』を学ぶことも考えてみるのだな」 「『気』ですか」  確か師匠の座学によると、人間の生命力を源とする魔力とは別系統の力で、陰陽術を行使する際の力なのだとか。 「上手くいけば気と魔力を融合させる感卦法もできるかもしれんぞ。もっとも、お前は不器用そうだから何年掛かるか分かったものではないがな」  そう言って師匠はメガネを外して踵を返す。 「今日の修行は終了だ。明日も朝食を忘れるなよ」 「待ッテイルゼ」「お休みなさいませ志保さん」 「はいっ。ありがとうございました」  今日も『別荘』での修行を終えた私は、師匠達に一礼。家を出る。 寮に帰り明日になれば再び学生としての時間が始まる。  昼は麻帆良学園生として学び舎で学び、夜は魔法使い&吸血鬼として師匠であるエヴァンジェリンさんに教えを請う毎日。衛宮志保の一日は多忙であった。 「む、こんな感じかな? こうすれば弓に番えたときに支障はなくなる」  学生寮に戻っても寝る時間を削って投影の鍛錬を続けている。  今は剣の丘にある武装を弓に番える矢として加工している。使う魔法は『変化』。どれだけ元の概念、威力を損なわずに矢として加工できるかがこれのポイントになる。  カラドボルグとフルンディング他数種類は加工済み。一度固着すれば後は剣の丘に登録されて魔力のある限り何本でも呼べる。問題は、 「あっ! くそ、工程を凌駕しきれなかったか」  この加工が大変だということだ。今も手の中にあったグラムがイメージと現実の矛盾が大きくなって霧散してしまった。 この行為は物品に対する強化より大変だ。強化が完成された絵に筆を入れることなら、この加工は完成した彫刻にノミを入れて、別物にするようなもの。難易度は遥かに高い。 「今日はここまでにしよう」  適度なところで切り上げる。ここ最近、師匠と別荘で『二時間』の修行が恒例となっている。いつもなら師匠の座学と魔法基礎。茶々丸さんとチャチャゼロの実践訓練が主なのだが、今日はなぜか師匠まで乱入してきた。  魔力が封じられて本来の力を出せないと言うけどとんでもない。メタメタにやられた。復元呪詛と外套がなければ死んでいたかも。 「あつつ、師匠手加減なしだもんな」  バックから学園長から週に一度貰うことになった輸血パックを取り出し、金属ストローを刺して血をすする。口には甘く、とろけるような血の味が広がる。血を吸うのはこれで三回目。味が分かるようになってきた。この血は微妙に油分が多い気がする。吸血鬼が好む女性の血だろうけど、コレステロールが多いのでは? 「血の味が分かるようになってしまったなぁ私。そういえば、師匠はパックから血を飲まないなー」  まあ、理由はすぐに分かりそうだけど。  血の摂取により復元呪詛がさらに活性化。残った痛みもすぐに引き、魔力もある程度回復した。これで後は寝れば目覚めたときにはいつもの体調に戻る。  吸い終えたパックをゴミ箱に入れ、ベッドに横になる。私のいる650号室は一人部屋で、魔力の流出を抑える結界さえ張れば、こうして魔法の鍛錬や吸血行為も周りに気兼ねすることなく出来る。  蛇足だが、通路を挟んですぐ隣には新米魔法先生(正確には教育実習生)のネギ先生や、一般人なのに魔法の存在を知り、なりゆきで友人宣言をした明日菜がすんでいる643号室がある。だからか時々魔力が漏れているのが感じられる。  ベッドに入り天井を見つめる。眠気は余りない。本来、吸血鬼は月の民と言われるように夜行性が常だ。私や師匠のように白昼堂々と出歩く吸血鬼が珍しい。  眠気がやってくるまでの間、私は考えに耽る。  何でこうまでして強くなりたいのだろう? と。  確かに強くなれば取れる選択肢は広がり、守りたいものが守れるだろう。ただ反面、それは正しくない。弱者の選択肢が最善の場合もあり、強者であるがゆえにそれが選べないなんて良く有る話だ。  第一、私には守りたい存在は確固としてないのだ。目指すべきものがあったはずなのだが、それも消えている。  でも、想いはまだ残っている。内から込み上げてくる鉄のような意志。同時に全てを包み込もうという感情。この想いを叶えるにはまず自分が強くならなければいけない。  明日も強くなるための一歩を歩む。そう信じて私はようやくやってきた眠気に身を任せた。 朝日が石造りの建築郡を照らし、点在する木々からはスズメを中心とした鳥たちが朝を迎えて鳴いている。 「ふわーーあ。そろそろ、あったかくなってきたねー」  あくび交じりに近衛さんは季節の移ろいに感想を漏らした。 「そーですね、このかさん」  ネギ先生もこれに賛同して、暖かくなる空気に春を予感している。  これだけなら何とものんびりした朝の登校風景で済むのだが、周りはそうではなかった。 「二人ともしゃべってないで走りなさいよ」  遅刻するわよーと言いつつ、二人の隣を走る明日菜。周囲の登校する人たちも相も変わらず大群を成して、地面が陥没しかねない音を立てて走っている。 「明日菜、このペースなら大丈夫だと思うよ」  私も明日菜の右隣を並走し、この群れの一部となっている。  朝の大移動。もうこれには慣れた。圧倒的人数にさえ気を付ければ、後は流れを選択すればよいのだ。東京圏のラッシュアワーより秩序だっている分、マシだと最近では思う。 「そう?」 「このペースが教室まで続けばな」 「駄目じゃん!」  ボケにすかさず突っ込みを入れてくれる。明日菜。む、なかなかの素養だ。ハリセンを持たせてみたいぞ。 「なんかアスナと衛宮さん仲ええな」  近衛さんがこのやり取りを微笑ましく見ている。彼女はインラインスケートの変形(車輪四つではなく、大きな車輪が二つ)を履いてこちらの速度に追いついている。 「そうですね、衛宮さんが早くにクラスに溶け込めて良い事です」  近衛さんに応えてネギ先生もこちらを微笑ましく見ている。彼の場合、魔力を脚に通して強化している。前の私と同じか。  今の私は吸血鬼の身体能力のみで、前の私が強化したくらいの能力を得ている。ここにさらに魔力で身体強化をすればかなりのモノになるが、これでも師匠に勝てないのだから凄い話だ。本気で『気』を学ぼうか? 「ネギ君おっはよー!」「やっほーっ! ネギ先生」 「あ、佐々木さんに和泉さん!」  校舎が近づくにつれ、クラスの人たちが集まってくる。 「おはよー エミヤン!」 「ああ、お早う朝倉さん。でも『エミヤン』はやめて」  隣を朝倉さんが全速で通り過ぎてゆく。 「おはようだ、志保。今日の朝食は悪くなかったぞ」 「お早うございます。志保さん」 「あ、師匠、茶々丸さんお早うございます。そう言って貰えると料理人冥利に尽きます」  師匠が「本当に料理人になったらどうだ」なんて言いながら校舎に歩いてゆく。校舎からは予鈴がなり、一日の始まりを告げる。  うん、今日も頑張りますか。  今日の授業は騒がしさはあるもののいつものことで、つつがなく終わった。後はHRだけとなったのだが、そのHRが問題だった。 「今日のHRは大・勉強会にしたいと思います! 次の期末テストはもう、すぐそこに迫っています!」  帰りのHR。教室内に入るなり、ネギ先生がそんなことを言ってきた。 ああ、三月だからな。時期的には期末テストか。そういえば他のクラスは妙にピリピリした空気がしたかと思えばこれのことか。 なんて思いながら周囲を見渡す。余裕と思うもの、焦りを感じているもの様々だ。 「あのっそのっ……実はうちのクラスが最下位脱出できないと大変なことになるのでーー皆さんがんばって猛勉強していきましょうーー」  教壇で話すネギ先生は妙に焦っている。しかしそうか、このクラスって成績最下位なんだ。知らなかった。 「ネギ先生、素晴らしいご提案ですわ」  クラス委員の雪広さんが頬を赤く染めて賛同している。そういえば、明日菜から聞いたが彼女は年端も行かない男の子が好きなのだとか。いわゆるショタコン。雪広さんにとってネギ先生は直球ど真ん中のストライクなんだろうな。 「はーーい! 提案提案」  そこに割り込むように雪広さんの隣の椎名さんがすかさず挙手をしてトンでもない提案をしてきた。  それは『英単語野球拳』。この提案にクラスがそれに大盛り上がり。  しかも、 「じゃあ、それで行きましょう」  なんてネギ先生が賛同する始末。先生、イギリス人だから野球拳とベースボールを同じものと考えていないか? 「ちょっとネギ、あんた野球拳って何か知っているの!?」  椎名さんに連行されていく明日菜が哀れに見えた。こっちにも助けてと視線を向けてきたが、すまない。止められない。成仏してくれ。 「薄情ものー」  その後、明日菜を初めとした五人が下着姿まで脱がされ(目の毒)、ようやく野球拳がなんなのか分かったネギ先生が先行きに不安を覚え、何やら妙な魔法を唱えだして明日菜に突っ込みを受けたりと騒がしくHRは終了した。  こんなので大丈夫か2年A組?  寮に帰り、師匠の家に行く前に部屋でノートをまとめて軽く予習・復習をする。  いくら私の学力が大学レベルとはいえ、学生の本分は勉学だし、しなくて良いということにはならない。むしろ、こうして毎日でも頭を使わないと脳というのは使わない記憶が消え、衰えるらしいのだ。ただでさえ記憶喪失。これ以上衰えたくないものだ。  ノートが思った以上にまとまり、この調子ならテストはそう悪い成績は取らないだろうなと考えていると——  ピンポーン 「はい? 誰?」 「私、明日菜だけど」  扉が開いて明日菜が来た。部屋が近所ということもあり、この頃はちょくちょく来てくれている。用件は一緒に風呂に入らないかなのだが、 「ふ、風呂!?」  私にとっては核爆弾級のお誘いだ。 「そう。そういえば志保と一緒にお風呂に入ってないなーって思ってさ」  それはそうだ。私が風呂に入るのは生徒が出払った後にしているのだから。じゃないと私の『シロウ』の部分が様々な意味で耐えられない。 「どうしてもじゃないと駄目なの?」 「嫌なの?」  うっ! そんな言い方をされたら断るに断れないじゃないか。ああ、そんな目をしないでくれ。  くそ、これに比べたらエクスカリバーを振るう英霊と対決するほうがまだましだ……だから何を考えている私。  結論のみ言おう。私は自分の精神の弱さに負けた。師匠、貴方の弟子は思いのほか不出来でした。お許しください。  学生寮三階に巨大な大浴場「涼風」がある。この寮自慢の浴場で、なんでも一度に百人は入れるのだとか。初めて見たときはここは別世界かと思った。 「何度見ても壮観だよね。このお風呂は」  浴室に入りつつこの広大さに改めて感想を漏らす。ヤシ科の植物が植えてあるし、東屋まであるのだ。この学園はどのくらいお金があるのやら。 「まあね、一種名物だもん。それより……志保、前から思っていたけど結構綺麗よね」 「ほい?」 「あんたの体。全体のバランスは良いし、肌は白くて綺麗だし、髪はもっと白くてサラサラだし、どんなケアの仕方をしているの? 後学のために教えて欲しいわ」  詰め寄られた分、下がる。相手が裸だから余計にキツイ。エート、下のCOOPで買っている石鹸とシャンプーしか使ってないし、師匠との鍛錬で運動をしている以外特にはしていないはず。 「適度な睡眠と食事、運動以外は特に」  としか答えようがない。 「本当に? 魔法を使っているとかじゃないよね?」 「そんな魔法は私知りませんよ」  明日菜、疑い深いな。ネギ先生との間に色々あったの? 「どうしたアル? 二人ともお風呂にも入らず突っ立て」  あ、古さん。それに後ろからも続々と……続々と…… 「……」 「志保? どうしたの? 顔が赤いよ」  お風呂を上がるまで私の精神は持ってくれるだろうか?  明日菜をはじめ、みんなにからかわれながも巨大な浴槽の隅で縮こまっていると、 「アスナー、アスナー、大変やー」 「お、ちょーどバカレンジャーそろっとるな。反省会か?」  近衛さんや早乙女さんがやってきて重大な話を持ってきた。  ちなみに早乙女さんのいうバカレンジャーとは、学年最下位成績のA組の中にあって一際成績の悪い五人を指して命名されたもの。特撮戦隊シリーズものみたくカラーネームまで付いている凝りようだ。 「最下位のクラスは解散——!?」  その一人、レッドの明日菜の叫びが広い浴場に反響する。  クラス替えのないこの学園では珍しいことだ。話では万年最下位のA組の有様に学園長の堪忍袋の緒が切れたらしく、この決定がなされたという。 「その上、特に悪かった人は留年!! どころか小学生からやり直しとか……!!」 「え!?」  早乙女さんがさらに皆に追い討ちをかける。  それはまた……シュールな。  脳裏にランドセルを背負って、初等部の制服に身を包んで集団登校する明日菜の姿が浮かぶ。あまりにアホな光景だ。 「ちょ、ちょっと待ってよーーッ」「そんなの嘘よーーっ」  私と同じように脳裏に面白い光景を見たのか明日菜とバカピンクとされた佐々木さんが絶叫を上げる。  嘘だろうな。そんなの面白すぎる。学園長からのリーク情報か? HRの時のネギ先生の焦りは気になるが、たぶん別件。勘だがネギ先生自身の問題だろう。  でも解散の情報は信憑性を持ったのか、皆特に問題の五人が不安の声を上げる。 「ここはやはり……アレを探すしかないかもです……」  不安の声が上がる中、黒髪の綺麗な女の子、確かブラック役の綾瀬さんが場を震撼させる事を言った。(抹茶コーラなる飲み物も震撼ものだったが)  綾瀬さんの所属する図書館探検部の活動場所である図書館島という湖に浮かぶ島。そこの深部に読めば頭が良くなる「魔法の本」があるのだとか。  これには皆、数瞬驚愕。だけど、次には笑い話になる。 「もー夕映ってば、アレは単なる都市伝説だし」  あははと笑う早乙女さん。 「ウチのクラスも変な人たち多いけどさすがに魔法なんてこの世に存在しないよねーー」  苦笑する佐々木さん。ゴメン、存在します。そして私も一応魔法使いだし。クラスの中でも数人『こっち』の人がいるし。恐るべし2年A組、そういう意味でも変人集団だ。 「あーー、アスナはそーゆーの全然信じないんやったなー」  近衛さんが明日菜に話を向けるけれど、彼女はなんか震えている。 「ちょっと、明日菜まさかだと思うけど……」  彼女は魔法の存在を知っている。そしてこの学園はおそらく魔法使いによって造られた場所。『魔法の本』だってあるだろう。成績が一番まずい明日菜にとってこれ以上の朗報はないはずだ。  でも、その話が本当だとすると絶対危険だ。止めさせ—— 「行こう!! 図書館島へ!!」  ダメだ。目に星なんか浮かべているよ。もうこうなっては止めようがない。短い付き合いだがこれは分かる。  先行きに不安を覚える私だったが、まさかあそこまで大変だったとは予想できなかった。  夜——  学園都市の明かりが反射し、揺らめく湖に図書館島があった。図書館というよりどこか聖堂を連想させる建築物が島の全てを覆い、島=図書館となり、なるほど図書館島とは言いえて妙だと感心する。  その図書館島の秘密の入り口前にバカレンジャーは集結した。  しかも皆制服という以外重装備。バックアップの要員にシェルパと連絡要員。さらになぜかパジャマ姿のネギ先生までいる。って、担任の教師を引っ張ってきたのか!?  私はというと猪突猛進な友人が不安なので近衛さんと一緒にシェルパ役を買って出ることにした。服装は動きやすいデニムのパンツにシャツ、その上に赤い外套だ。  他に必要な装備を近衛さんと一緒に登山用の背嚢に背負う。  ここまで重装備なのは下の階が相当凄いことになっていて、トラップまであるのだとか。知識にある魔法使いの書庫や、時計塔の特別図書室に入るぐらいの覚悟は必要かもしれない。  準備の最中、師匠に電話をかけて事情を話し、鍛錬に行けない旨を告げると、 「せいぜい死ぬなよ」  不機嫌そうにあれこれ言われた挙句、このセリフで締められた。生きて帰れるのだろーか?  危険な場所に踏み入るのだ、緊張が皆の顔に僅かにある。そんな中で明日菜は「大丈夫、それはアテがあるから」と言ってネギ先生に近づく。ああ、だから先生を連れてきたのか。  ん? 先生をよく見ると何か妙な術式が解析に引っかかる。 「(ほら、ネギ出番よ! 魔法の力で私たちを守ってね)」  耳がやはりな明日菜のセリフを拾う。これに対し、ネギ先生はあっけらかんと 「え……あの…魔法なら僕、封印しましたよ」  なんて言ってくれた。あ、そうかこれは魔力封印の術式なんだ。拘束は三つ。一日経過すれば拘束が一つずつ解けるしくみのようだ。よく出来てるな。 「ええーー!!」  明日菜はアテが外されて驚いている。折りよく、他の皆が扉(というより門)を開けていたところで、この叫びは開門の音に紛れて聞きとがめられる事はなかった。 「この図書館島は明治の中頃、学園創設とともに建設された世界でも最大規模の巨大図書館です」  狭い通路に綾瀬さんの解説する声が響く。  門から入り、明かり一つない石造りの螺旋階段をヘッドランプを頼りに皆が降りてゆく。ランプは三つ。近衛さん、綾瀬さん、そして私。ライトを付けているのは私と綾瀬さん。近衛さんのは予備のためのサブだとか。 「ここには二度の大戦中、戦火を避けるべく世界各地から様々な貴重書が集められました。蔵書の増加に伴い、地下に向かって増改築が繰り返され現在ではその全貌を知るものはいなくなっています」  綾瀬さんの解説は続く。後ろを歩く佐々木さんが暗闇を怖がり、これを長瀬さんと古さんがしきりに突付いて楽しんでいる。聞いてないね三人。  しかし、話の通りだとすると相当に凄い規模だろうな。 「(ねえ、志保)」  綾瀬さんためになる解説を聞いていると、後ろから明日菜が小声で話しかけてきた。 「(なに?)」 「(ネギの魔法をアテにしていたけど、志保の魔法で私たちを守れない?)」  つまり、鞍替えですか? 当のネギ先生はさらに後ろで佐々木さん達と戯れています。 「(私の魔法はそう応用範囲が広いものじゃないよ。空は飛べないし、基本的な魔法以外はほぼサッパリだと思う)」  これについては師匠からも指摘されている。「魔力がデカイ割に属性が限定されている」と。だから「剣」以外ではそう出来ることはない。 「(え、じゃああんた、へっぽこな訳?)」 「(そうハッキリ言わなくても)」  ああ、なんだろうその「へっぽこ」という単語は心のカサブタを引っかく威力があるよ。 「(あ、ゴメン。なんか触れてはいけない話だった?)」 「(いや、大丈夫。事実だし。でも、守る点については努力してみるよ)」  私の魔法の特性上、魔法は派手になりがちだが、ごまかしは結構利くはず。 「(そう、お願いね)」 「(任された)」  この話の最中も足は階段を降り続け、とうとう行き止まり。扉にいきあたった。 「——そこでこれを調査するため麻帆良大学の提唱で発足したのが——」  扉が開かれ、そこから明かりと一緒に古い本から漂うカビを含む一種独特な匂いが鼻を刺激する。 「私たち麻帆良学園図書館探検部なのです!」  扉を出てすぐのテラスに出た綾瀬さんは誇らしげに両手を広げ、この話を締めた。  だが、この話より凄い光景が目の前に展開されていた。 「うわーーっ」 「わーーーっ!? 本がいっぱいホントにスゴイぞ!!」  明日菜とネギ先生がこの光景に歓声を上げるけど、私は言葉を失った。  見渡す限りの書架の森。上から下まで本本本。  本しかない空間だった。限りはあるのだろう。だけど人に数えられないならそれは正しく『無限』。ここは無限の本が納められている場所だった。 「ここが図書館島地下3階……私たち中学生が入っていいのはここまでです」  抹茶オレンジなる愉快な飲み物を飲みながら綾瀬さんは語る。その目はどこか静かで楽しそう。そしてなにより闘志に燃えている求道者の目だった。「この図書館島は明治の中頃、学園創設とともに建設された世界でも最大規模の巨大図書館です」  狭い通路に綾瀬さんの解説する声が響く。  門から入り、明かり一つない石造りの螺旋階段をヘッドランプを頼りに皆が降りてゆく。ランプは三つ。近衛さん、綾瀬さん、そして私。ライトを付けているのは私と綾瀬さん。近衛さんのは予備のためのサブだとか。 「ここには二度の大戦中、戦火を避けるべく世界各地から様々な貴重書が集められました。蔵書の増加に伴い、地下に向かって増改築が繰り返され現在ではその全貌を知るものはいなくなっています」  綾瀬さんの解説は続く。後ろを歩く佐々木さんが暗闇を怖がり、これを長瀬さんと古さんがしきりに突付いて楽しんでいる。聞いてないね三人。  しかし、話の通りだとすると相当に凄い規模だろうな。 「(ねえ、志保)」  綾瀬さんためになる解説を聞いていると、後ろから明日菜が小声で話しかけてきた。 「(なに?)」 「(ネギの魔法をアテにしていたけど、志保の魔法で私たちを守れない?)」  つまり、鞍替えですか? 当のネギ先生はさらに後ろで佐々木さん達と戯れています。 「(私の魔法はそう応用範囲が広いものじゃないよ。空は飛べないし、基本的な魔法以外はほぼサッパリだと思う)」  これについては師匠からも指摘されている。「魔力がデカイ割に属性が限定されている」と。だから「剣」以外ではそう出来ることはない。 「(え、じゃああんた、へっぽこな訳?)」 「(そうハッキリ言わなくても)」  ああ、なんだろうその「へっぽこ」という単語は心のカサブタを引っかく威力があるよ。 「(あ、ゴメン。なんか触れてはいけない話だった?)」 「(いや、大丈夫。事実だし。でも、守る点については努力してみるよ)」  私の魔法の特性上、魔法は派手になりがちだが、ごまかしは結構利くはず。 「(そう、お願いね)」 「(任された)」  この話の最中も足は階段を降り続け、とうとう行き止まり。扉にいきあたった。 「——そこでこれを調査するため麻帆良大学の提唱で発足したのが——」  扉が開かれ、そこから明かりと一緒に古い本から漂うカビを含む一種独特な匂いが鼻を刺激する。 「私たち麻帆良学園図書館探検部なのです!」  扉を出てすぐのテラスに出た綾瀬さんは誇らしげに両手を広げ、この話を締めた。  だが、この話より凄い光景が目の前に展開されていた。 「うわーーっ」 「わーーーっ!? 本がいっぱいホントにスゴイぞ!!」  明日菜とネギ先生がこの光景に歓声を上げるけど、私は言葉を失った。  見渡す限りの書架の森。上から下まで本本本。  本しかない空間だった。限りはあるのだろう。だけど人に数えられないならそれは正しく『無限』。ここは無限の本が納められている場所だった。 「ここが図書館島地下3階……私たち中学生が入っていいのはここまでです」  抹茶オレンジなる愉快な飲み物を飲みながら綾瀬さんは語る。その目はどこか静かで楽しそう。そしてなにより闘志に燃えている求道者の目だった。 「ほらほら、アスナさん見てください。これなんかスゴく珍しい本…」 「ゲームの迷宮[ダンジョン]みたいアルね」  テラスを降りると皆はしゃぎながら周りの林立する本の群れを物珍しげに見ている。  カチッ 「あ、先生 貴重書狙いの盗掘者を避けるために……」  みなまで言わずとも分かった。私は一気にネギ先生のいるところに踏み込み、ザックから物を出すふりをしつつ投影。 ——投影開始[トレース・オン]  本の隙間からネギ先生に向けて襲い掛かる矢を叩き落す。  ズベン 「ワナがたくさん仕掛けられていますから気を付けてくださいね」 「発言が遅いって綾瀬さん! これ死にますよ」 「えええっ、うそー」「死ぬわよそれーーーッ」  ライオンのストラップが付いている木刀で叩き落した矢を見ながら、綾瀬さんに突っ込みを入れる。佐々木さんと明日菜はといえば、このトラップの凶悪さに驚愕している。 「マトモな図書館は地上部分だけですよ」  しれっとしていますよこの人。 「むう、やるでござるな衛宮殿」 「すごく早い踏み込みアルね」  長瀬さんと古さんの声を耳が拾う。良かった、投影については突っ込みなしで。ネギ先生もこの程度の投影魔術なら魔力感知は出来ないようだ。  そのネギ先生を見れば、明日菜と何か揉めている。——あ、ネギ先生強引に引っ張られて来たものだから事情一切知らされていないんだ。なんか明日菜が軽く謝り、ネギ先生が納得して話は決着したようだ。って先生なんか感動している? なぜ? 「ねえ、夕映ちゃんあとどれくらい歩くの?」 「はい」  佐々木さんの問いに綾瀬さんはバサリと地図を取り出した。私もそれを後ろから覗いてみる。  かなり、いや非常識なくらいに広大な図書館だと分かる。私の構造把握のスキルで理解できるだろうか? 「内緒で部室から持ってきた宝の地図によると……今いるのがここで……地下の11階まで降り地下道を進んだ先に目的の本があるようです」  綾瀬さんの指が地図上を滑って目的地を指し示す。  ふむ、かなり遠出になりそうだし、トラップも考えるとこの装備で正解かも。魔法使いのワナを考えると念のため概念武装の一つでも投影したほうがいいかな? 「往復でおよそ4時間。今はまだ夜の7時ですから……」 「ちゃんと帰って、一応寝れるねー」  綾瀬さんの言葉を佐々木さんが継いで安心した声を上げる。よかったー明日授業あるしと言いながら。  徐々に皆の気合が高まっている。 「よし……私も試験でバイト休みだし! 手に入れるわよ「魔法の本」!!」  バカレッドと呼ばれるだけあって熱血なことを言う明日菜。 「やっぱりココこわいよー、やめた方が……」 「大丈夫っ! ベテランのウチらに任しときー」  賢明なバカピンク佐々木さん。けれどそれをなだめてしまう近衛さん。 「遠足気分アルねー」 「んー」  もはや処置なしのバカイエロー(古さん)とバカブルー(長瀬さん)。彼女らにとってこれも遠足で済ませられそうなのがまた恐ろしい。  ネギ先生は何か考えることがあるのかアゴに指を当てて考えている。 「では出発です!」 「おーーっ」  バカブラックの号令のもと、バカレンジャーが出陣する。一抹の不安を抱えた魔法先生と吸血鬼の二人を連れて。 「す、すすすごすぎるーーっ!?」  明日菜の絶叫が石造りの部屋に反響する。 「私こーゆーの見たことあるよ弟のPSで」 「ラスボスの間アルー」  確かにこの場所は床から天井まで石で作られており、どことなく荘厳な空気が漂っている。ただこんな場所でも周囲に石造りの書架が見えるのは図書館だからか。 全体の雰囲気はRPGゲームのダンジョンの深部であるという感じがして古さんの言葉はまさしくという感じだ。 「魔法の本の安置室です。とうとう着きましたね」  綾瀬さんが感無量とコブシを握って震えていた。  彼女の感動も分かる。ココまでの行程が非常識すぎた。 本棚の上を道として歩き、湖の水が引かれている場所を渡り、本棚の断崖絶壁をロープで下り、地下道とは名ばかりの本の穴倉を這って進みここまでやって来たのだ。  まさか図書館でラペリングするとは思わなかった。図書館探検部は思いのほか体育会系だったようだ(もしくは肉体派文科系?)。それを問題なくクリアしてしまうバカレンジャーの身体能力もまた驚きだった。  さらに途中、魔力をそこかしこで感じられ、ここが魔法使いによって造られたのだと改めて認識した。ただ、ここを造った人間の感性は疑う。本を取る際どうするのだろうか? 「見てっ!! あそこに本が!!」  佐々木さんの声を受けて、彼女の指差す場所を見る。  二体の石像に挟まれ、大理石に似た材質の台の上に目立つように置かれた一冊の本。 (うわ、あれは相当な魔道書だな)  解析すると、相当な概念の蓄積、内包された魔力量、中に書かれている知識、どれを取っても一級の魔道書になる。本のためこれ以上詳細は分からないけどきっと有名な魔道書のはず…… 「!? あっ……あれは!?」 「ど、どうしたのネギ!?」  本を見てネギ先生が驚愕の声を上げる。やっぱり有名な本か? 「あれは伝説のメルキセデクの書ですよ!! 信じられない!! 僕も見るのは初めてです!!」  ネギ先生はとても興奮した様子でなんでこんなアジアの島国に!? とか言って、この凄さをどう表していいか分からないかのようにバタバタしている。  あー、メルキセデクの書かー。時計塔で写本を読んだ知識はあるけど、概念が違うな。さすが異世界。名前が同じでも別物ということだろう。  だけど、事はそう簡単ではないよな。本を守る様に置かれている二体の石像だが、間違いなく機像[ゴーレム]。これを打倒するには少し骨だろう。 「やったーー!!」「これで最下位脱出よーー」「一番ノリあるー」  魔道もとい魔法書がネギ先生の解説で本物と分かるとバカレンジャーの五人が嬉々として魔法書に向かって走っていく。あの冷静そうな綾瀬さんも興奮して見境を失っている。 「あんなに貴重な魔法書、絶対ワナがあるに決まっています」 「気をつけて!!」 「引き返すんだ! 今までのワナの比ではないぞ」  ネギ先生や近衛さんと一緒に彼女たちを呼び止めようと本に続く石橋に足をかける。  ガコン!  あ、石橋が割れた。  全員石橋に足を乗せていたので、皆悲鳴を上げて下にある石版の床に落っこちる。落ちた高さは一メートルもないだろうが不意打ちのため体勢を崩して石版の床に倒れこむ人がほとんど。でも深刻なケガはしていないようだ。 「いたた……え……な何コレ…」  落ちた石版に刻まれているものを見る。  五十音が刻まれているボタンの集まり、ボタンの大きさは人が手や足で押すことを念頭に置いているのかかなり大きい。どっかで見たことがあるよな、コレ。 「コレって……?」「ツ……ツイスターゲーム……?」 「みたい…だね」  石版には『英単語TWISTER ver10・5』と刻まれている。こんな悪ふざけ10以上もバリエーションがあるのがイタイ。 『フォフォフォフォ……』  どこかで聞いて事がある声が上から降ってきた。まずい、機像が起動したか!? 思わず身構える。 『この本が欲しくば、わしの質問に答えるのじゃー フォフォフォフォ』  ズズウンとハンマーと剣を構えるゴーレムズ。悲鳴をあげる明日菜と佐々木さん。無理もない、巨大な石像が動いて喋るのだから。 「ななな、石像が動いたーっ!?」「いやーん」「おおおお!?」  驚愕、恐怖、感嘆。皆の上げる声は様々だけど私の場合は…… 「(あの爺さん、とんでもないな)」  学園長のあまりの悪乗りに呆れてしまった。声と感じる魔力から学園長だと分かったが、やっていることがあんまりにあんまりで言葉もない。 『では第一問「DIFFICULT」日本語訳は?』  しかもツイスターゲームをやらせようとしている。学園長との付き合い方を考え直そうかな。 「み、みんな落ち着いて!! 大丈夫です! ちゃんと問題に答えればワナは解けるハズ! 落ち着いて『DIFFICULT』の訳をツイスターゲームの要領で踏むんです」  ネギ先生がいち早くゴーレムの意図に気付いて、ワナの解除を皆に教える。おお、さすが教師。数えで10歳とは思えない落ち着きぶりだ。  だけど、 「ええーーっ そんなコト言っても」 「『ディ ディフィコロト』って何だっけ、先生—ッ」  予想以上にバカレンジャーは混乱していたようだ。  教えようか? と思ったが 『教えたら失格じゃぞ』  という声で断念。本当にいい趣味してます。 「いっ……EASYの反対ですよっ! えと『簡単じゃない』!!」  それでもネギ先生はヒントを出して皆を助けようとする。あ、ヒントはOKなんだ。 「む」長瀬さんが押し、 「ず」佐々木さんが押し、 「い」明日菜が押す。 『「難い」……正解じゃ』  歓声が上がる。でも皆。『第一問』と言ってないか? 『第二問「CUT」』  やっぱり。 「あたたたたたっ」「キャーー」「い……いたいです」「死ぬ死んじゃうーー」  問題が十問を越えたあたりから五人の体が絡み合って、見守っている立場としては彼女たちのあられもない姿は非常に目の毒だ。  学園長、わざとでしょう? 『最後の問題じゃ』  あ、最後なんだ。 『「DISH」の日本語訳は?』 「えっ……ディッシュ…」  古さんの限界が近いらしくピクピクしている。 「ホラ 食べるやつ! 食器の……」 「メインディッシュとかゆーやろ!」 「毒を食らわばなんとやらとも言うぞ」  ヒントを出すこっちも運命共同体だ、割と必死になる。冷静になってみるといつの間にか私も学園長に乗せられているなーー。 「わ……わかった! 『おさら』ね」 「『おさら』OK!!」  今まともに動けるのは明日菜と佐々木さん。彼女たちが手足を動かしボタンを押す。 「お」バシ 「さ」バン 「ら」バン  …………ん? それは「ら」ではなくて… 「………おさる?」 「だな」  最後に佐々木さんの手と明日菜の足が押したのは「る」。つまり…… 『ハズレじゃな。フォフォフォ』  ゴーレムのハンマーが石版に向けて降ってくる。 「ちがうアルよーーっ」 「アスナさんーー」「まき絵——っ」  ハンマーが降ってくる中、皆体勢を崩してワタワタ逃げる。  長瀬さん、古さん、明日菜の回避は早いが、佐々木さんが遅い。 「佐々木さん!」  飛び出し、一歩で振り下ろされるハンマーの下を潜り、佐々木さんの胴を抱える。 「ひゃん!」  二歩で被害を受けにくい場所に跳躍、って咄嗟過ぎて穴の端まで届かない。  足場である石版が破砕され、皆と一緒に穴の底に落ちていく。 「アスナのおさるーー!!」「いやあああーー」  学園長のことだから生徒を危険な目に合わせないだろうけど、茶目っ気が過ぎる。何なのだろうこの理不尽! 「爺さん! 後で覚えてろーー!」  私は叫ばずにはいられなかった。「くう、ルヴィアにだけは借りを作りたくなかったわ」 「ですが、これで必要な宝石は揃いました。二つの平行世界間の往復は出来るのですよね?」 「ええ、大師父のようにピョコピョコ世界間を気軽に跳べないけど、行って帰る程度なら何とかなるわ。ただ、私はかなり魔力使うから向こうでの戦闘はほとんどセイバー任せになるし、宝具は使えないけど大丈夫?」 「ええ、大丈夫です。聖剣は使えずとも凛を守る剣となることを誓います」 「ありがと。さあ、早速工房に戻って平行世界への往復切符を作るわよ」  出席番号32 衛宮           第5話 テスト終了っ! 墜落、暗い穴の奥に落ちる、堕ちる、おちる。  この麻帆良にやってきた時と同じ墜落感を今再び味わう。違うところは、 「キャアアーッ」「みんなゴメーン」  こうして賑やかな墜落仲間がいるところか。  砕かれた石版の破片も降ってくる。小さいものでも子供の頭くらい、大きいものだと私の身長くらいはある。当たればただで済まないのは容易に想像がつく。 ——投影開始[トレース・オン]  自分の周囲に六本の魔剣を投影。皆に向かって落ちてくる破片に対してのみ剣を射出。粉砕する。 ——ドドドドドドン 「え? え? なに? この音!」  腕に抱えた佐々木さんが、剣を射出する音に驚いた声を上げた。 「気のせいだ! それより、底が見えてきた!」  見られていないようなので、ごまかす。それに実際落ちていく先に明かりが見える。  さあ、鬼が出るか蛇が出るか。  穴から抜け、視界が晴れると目に飛び込んでくるのは樹木の壁、本棚、落ちていく先には——水面。 「……またか」  うんざりしながらも落ちる先の解析をすると、水には魔法が感じられる。多分衝撃を緩和する類のもの。なら、大丈夫か? 「キャーー、みずーーー!」  佐々木さんが落ちる先の水面を見て再度悲鳴を上げる。  グングン迫る水面を見つめながら、あのご老体とは一度よく話し合おうと心に誓う私だった。 「え……ええーーーーっ!!」  もともと騒がしい2年A組の教室に一際高い声が教室に響く。 (やかましいな。しかも叫んでいるのは雪広か、クラス委員長だろうに……)  エヴァンジェリンは授業が始まる前の教室を不機嫌そうに見つめる。騒々しいのは毎度のことだが、今日は特に酷い。原因はネギ先生。 「何ですって!? 2−Aが最下位脱出しないとネギ先生がクビにーー!?」 (ほー、あのボーヤも大変だな。大方、じじいからの課題だろう。ご苦労なことだ)  雪広と椎名がその後もやかましくやり取りを交わしている。もう彼女達に興味が湧かないため机に肘を突いてウトウトとする。昼も動けるハイ・デイライトウォーカーとはいえ、夜行性なのに変わりない。  エヴァンジェリンにしてみればネギの血がここ半年の目的であって、ネギが正式な教師になろうとクビになろうと関係のない話だ。要は血さえ頂ければ後はどうでもいいのだ。  ただ、どうもいつも以上に気分が塞ぐ。なぜだろう? 「マスター」 「ん? どうした茶々丸」  従者であるガイノイド茶々丸が、主の機嫌の悪さを感じたのか話しかけてきた。 「今朝の朝食は志保さん来ませんでしたね」 「ああ」  最近弟子にした赤白の吸血鬼を考える。  歳若い吸血鬼で記憶喪失。おまけに異世界人。端正な容姿をしているくせに吸血鬼らしい気品ある所作をしない能天気な小娘。そのくせ魔力はネギ並みに高く、昼間も歩け、属性が極めて限られるがおそらく世界で唯一にして究極の一を持っている魔法使い。  あいつの中を覗いたときは表には出さなかったが身震いしたものだ。記憶はじじいに言ったように無かった。ただ、代わりに『無限の剣の丘』を見てしまった。 震撼した。そして同時にこいつに興味をもった。ここまで相手に興味を持ったのはナギ以来か? だからすぐに手を打った。じじいにそれとなく水を向けて自分の手元に置き、成り行きとはいえ自分の弟子にしてみた。  あれから一週間ほど。今に至るのだが、 「志保さんの朝食が食べれなくて残念でしたね」 「ああ……って何を言わせる」 「マスターの機嫌が悪いのはそのせいではないのですか?」 「ちが……」  違うと言いかけたが、よくよく自分を見つめ直すと従者のいう通りなのだ。  ここ最近の自分は志保の作る食事を楽しみにしている。弟子にしてもらった対価としてか志保は家事全般を良くこなす。  掃除、洗濯、なにより料理が旨い。それが今日は味わえず、自分が不機嫌である素になっている。 (くそ、あんな小娘に餌付けでもされたか?)  自己分析の結果にエヴァンジェリンは自己嫌悪を覚え、さらに衛宮志保に対しての感情を複雑化させた。 「志保さんは図書館島でしょうか?」 「だろうな。大方ボーヤ達と一緒にワナにかかって出るに出れない状態といったところか?」  昨夜電話が寄越されて、愚痴を言いつつも行かせたのは失敗だったかなと彼女は少し後悔する。 「みんなー大変だよーー」 「ネギ先生とバカレンジャーが行方不明に……!!」  騒がしい教室にさらに騒がしい二人が入って来た。宮崎と早乙女。彼女たちが持ってきた話で教室は静まり返った。(最下位脱出はダメかも)と。 (やれやれ……この分では三日四日の行方不明は覚悟するか)  吸血鬼の真祖はこの先自分がますます不機嫌になるだろうことを予想した。 「志保、用意はいい?」  明日菜が声をかけてきた。向こうの準備はいいようだ。 「いつでも」  こちらも準備はできている。右手には事を成すための利器。左手には受けるための利器。彼我の距離は五メートル。 「はぁ!」  明日菜が気合の声を上げて目標を投擲。  数は三つ。赤い——トマト 「せいっ」  スパンッ  右手の包丁でトマトをそれぞれ五つに分割、こぼれるトマトを左手のサラダボールに受け止める。 「「「おおおーー!」」」  これを見ていた佐々木さん、近衛さん、長瀬さんから歓声が上がる。 「すごいよ志保、言い出しておいてなんだけど本当に出来るとは思わなかった」  明日菜がそんなことを言う。出来ないと思うならなんで「曲切りして」というのさ?  友人のノリ良さを考えてしまいながら、出来たサラダに特製のドレッシングをかける。 「はい、サラダが出来た。近衛さん、そっちの皿を持って下さい。佐々木さんはその皿、長瀬さんは……結構です。だからつまみ食いしないで下さい」  キッチンから東屋に広げたテーブルに向けて皿を持っていく。  こっつこっつとブーツの足音を木製の通路にたてて、東屋で待っているネギ先生達のところに行く。 「はい、ご飯が出来ましたよー」 「わー、これ衛宮さん作ったのですかー!?」  ネギ先生が運ばれてくる料理に喜びの声を上げてくれる。なんか嬉しいな。師匠に食事を作ってあげるときも良いけど、ネギ先生の素直な喜びの表情もいいなあ。 「いえ、近衛さんに手伝ってもらいました」 「でも、ウチなんてちょっとしか手伝えなかったんよ」 「そんなことないよ。助かった」  テキパキとテーブルに料理を並べる。朝食なので割合とあっさりしたものを中心にしてはいるが、八人もいるのでかなりの量になる。 「さて、席に着いて下さい……では——」 「「「いただきまーす!」」」  地底図書館の二日目の朝はこうして始まった。  昨日、目が覚めたこの場所は不可思議な図書館のなかでも一際異彩を持っていた。  高い天井を天然の巨大樹木郡が支え、その下は地底湖となっており、書架達がところどころに点在、中には水没しているものもある。  水没しているのに全く痛んでいる様子が見られない。少し解析してみれば魔法の術式があちこちに見て取れる。天井にもそれを感じられ、そのためか地下にも関わらず光が差し込んでおり、気温も春先なのに初夏のような暖かさを感じる。  綾瀬さんによるとここは幻の『地底図書室』。なんでも本好きにとっては理想郷のような場所で、見て生きて帰った人がいない場所だとか。  それなのに何で綾瀬さんは知っているの? とは暗黒オーラが漂う彼女には聞けなかった。『くろい』のは怖いから。  一時、脱出について一悶着あったが、ネギ先生が、 「み、皆さん元気を出してくださいっ。根拠はないけどきっとすぐ帰れますよっ。あきらめないで期末に向けて勉強しておきましょう」  の一言で皆テスト勉強をする方向で話がまとまった。  多分、拘束の術式が解けしだい魔法で帰ろうというのがネギ先生の考えなのだろう。けど、魔法の秘匿はどうする気なのだろうか?  そして現在 「では、これわかる人ー」  黒板には数学の問題。 「ハイ、ハイ」「ハーイ」  挙手される手。 「ハイ、佐々木さん」 「35です」 「正解でーす」 ——おーーっ パチパチ  ネギ先生により水辺で特別授業が行われている。学園の図書館だからか各学科のテキストがそろっており、ネギ先生も天才だけあって他の教科の授業も問題なく教えることが出来ていた。  昨日の昼頃からこの特別授業は行われ、今ではバカレンジャーのみんなも結構な成績が取れる状態のハズ。 私は授業に参加しつつ、近衛さんと協力して皆の食事を作ることにした。これは皆さんの好評を得ることに成功した。 「でも不思議だよねー、こんな地下なのに都合よく全教科のテキストあったり……トイレにキッチン食材付きで…」 「いたれりつくせりアルね」  授業が終わり、通路をネギ先生達と五人で歩きながら授業の復習をする。  確かに、ネギ先生の言う通り不思議な話だ。魔法使いが利用するにしても、ここまで設備が充実しているのはどうなんだろう? 「えみやん、おかわりアル」 「えみやんは……いや、もういい。諦めた。はい古さん」  紙袋からご要望の特製肉まんを渡す。超さんの作品にはまだ遠いが、それでも古さんには喜んでもらえている。 「ありがとネ」  ああもう、古さんも幸せそうに食べるなー。 ある時点から一部のクラスメイトが私のことを『エミヤン』なる愉快な呼称で呼び始めた。もうこれは直しようも無いところまできている。諦めた。ああ、好きに呼ぶがいいさ。 「——本に囲まれて、あったかくてホント楽園やなー」 「一生ここにいてもいいです」  綾瀬さんと近衛さんが水辺の砂地で完全にバカンスしている。とことんこの状況を楽しむ気でいる。でも綾瀬さん、一生はどうだろう?  こっちもそろそろ休む必要があるだろう。 「ではワタシ達も少し休憩にするアルか」 「そうだね、私も夕食の仕込みをやろうかな」  ふと、横目に佐々木さんを見るとどこかに行くようだ。どうしたんだろう? ちょっと付いて行ってみるか。 「佐々木さん、どうしたの?」 「お、マキエどこ行くアルか?」  古さんも長瀬さんも付いて来た。 「えへへ、ちょっとね」  照れたように頭をかく佐々木さん。本当にどうしたんだろう。 「あ、わかた。いいネ、付き合うアルよーー」  古さん、今ので分かったの? 「志保殿も行くでござるか?」 「え? どこに?」 「お風呂でござる」  ……勘弁して。 ネギはこの地底図書室を調査していた。  水没していた書架から出した本が全く傷んでいない不思議、全くの無秩序の本の並び、貴重書の数々。 (誰がこんなモノを作ったのだろう?)  ふと右の手首を見れば封印が一本になっていることに気が付いた。  アスナの言葉を受けて魔法を期末テストまでの三日間封印し、一教師として生身でぶつかろうとした。けれど、アスナに引っ張られて来てみてこんな事になるのは予想外で今となっては後悔が強い。 (明日になれば魔法は使えるし、そうなったら魔法でみんなを外に帰さないと)  みんなを帰すのは絶対だ。それまではせめて、期末テストの勉強をさせなくては。行動の方針はたった。立ち上がり、ひとまずアスナを探そうと歩き出す。 「ん……?」  声が聞こえてくる。 「古さん……何をしようとしているのかな?」 「いやア、えみやんの胸ってどのくらいアルか?」 「そんなの一ヶ月もしない内にある身体測定で分かるって」 「今さわって知りたいアルよ」 「なんでさ! あ、長瀬さん放してくれ。佐々木さんも見ていないで助けて」  なんか賑やかだなーって、歩いてみると 「えっ」  ネギの視界に入るのは水辺で戯れる教え子の皆さん。ただし、一糸も身に纏っていない。全裸。 「キャーーッネギ君のエッチーーーッ!!(アルー)」 「……うううっ(汗)」  古さんと佐々木さんは楽しそうに、どこかおふざけの調子が声に混じっている。一方の衛宮さんは恥ずかしがってバスタオルを手に奥へ引っ込んでしまった。  でも、こういったことが苦手なネギは顔を真っ赤にして 「あっ、いえ あわわ。ス、スミマセンッ!!」  回れ右。全力で立ち去ろうとする。 「まあまあ」  むんず  果たせず、長瀬さんに襟首を引っつかまれ持ち上げられる。 「くすくす、ネギ君ったら顔真っ赤にしちゃってカワイー」 「ち、ちが……」 「ネギ坊主 10歳なのに女の子の裸に興味あるアルか?」 「あううっ おろしてー」  この後ネギにとってかなり恥ずかしい時間が経過して、居たたまれなくなって逃げることになった。 (うう、先生イジメだよー)  走って逃げるネギの姿は教師ではなく、姉の裸に困惑する年端も行かない弟のようだった。  気の毒にネギ先生。  私の中の(シロウ)はネギ先生の走り去る姿に同情の念を覚えている。  ネギ先生が乱入してきたときは驚き、次に襲ってきた体が熱くなる感情から逃れるために三人から離れていた。どうも女の子と一緒に風呂に入るのとは別の感情が働いているような。 それにしても先生、「全然興味ないですからっ」はちょっと酷くない? そのセリフは女の子傷つくよ。それに私の体はダメなのかな? 確かに胸はないほうだけどスタイルはそう悪くは……ってまたなにを考えている私! 「あううぅぅぅ」 「えみやん、どうしたアルね」 「色々と自己嫌悪中だから……放っておいて」  なんか近頃の私は思考が女の子側に引っ張られているなぁ。まあ体が女の子なのだから仕方ないと言ったらそうなんだけど、『シロウ』の存在が薄くなっているような気がして寂しくなる。  ……ん? 魔力?  図書館に感じる魔力とは別の魔力が近づいて来る。ネギ先生、ではない。これはっ、 「みんな! 気を付けて! あのゴーレムがっ」 「む?」 「え? キャーーッ!」  ザバンッ  水面から伸びる無機質の腕が佐々木さんの体を捕らえる。続いて現れる石の甲冑を纏った動く石像。間違いなくあの石像だ。 「(何を考えているんだあの爺さん)」 『フォフォフォ』  学園長が操るゴーレムが右手に佐々木さんをむんずと捕らえ、水から立ち上がる。既に長瀬さんと古さんが臨戦態勢をとっている。こちらもバスタオルで手を隠し目立たないように詠唱。 ——投影開始[トレース・オン] 「おお、暗器術でござるか!」  バスタオルの下から現れた木刀を見た長瀬さんが感心したような声を上げる。本当のことは言えないのでそれとなく誤魔化す。 「まあ、そんなところ。それより油断できない相手だよ」  木刀を構え、ゴーレムと向き合う。これに長瀬さんや古さんも気を引き締めて掛かろうとする。ん? また魔力。ネギ先生? 「まきちゃんーーーっ!?」 「さ、佐々木さんーーっ」  明日菜とネギ先生が二人揃って駆けつけてくれる。明日菜が半裸の状態だけど彼女も水浴びだろうか? 「ぼぼ、僕の生徒をいじめたなっ いくらゴーレムでも許さないぞっ」  ネギ先生は幼いながらも怒りの声を叫んで構えをとり詠唱、 「(ラス・テル・マ・スキル・マギステル……)くらえ魔法の矢!!」 「フォ!?」  魔法の射手を唱える先生。……って魔法隠す気ないのかネギ先生は。それに確か……今のネギ先生は、  何も起こらない。 本来なら起こるだろう魔力の奔流はなく、唖然・呆然した空気がゴーレムを含めて漂う。気まずいなーコレ。 「ま……」「まほーのや……?」  長瀬さんと古さんが困惑した声を出す。  ネギ先生はまだ拘束が一本あったはず。つまりまだ魔力の放出できない唯の人の状態。 「ア……」  ネギ先生もようやく気が付いたみたい。 「あー、気にしたら負けだ。それよりこのゴーレムを何とかしないと」  私は色々気まずいモノを振り払いたく、話題を強引にゴーレムに向けた。 『……コホン。フォフォフォ、ここからは出られんぞ、もう観念するのじゃ。迷宮を歩いて帰ると三日はかかるしのうーー』  ゴーレムも気を取り直して悪役台詞を述べる。学園長、ノリノリだなぁ。  ネギ先生が「僕の魔法の杖で——」など暴走するところがあったけど、方針としては出口を探しつつ逃げることになった。 「ん……? あ!! みんなあのゴーレムの首の所を見るです!」  いつの間にか来ていた綾瀬さんが『アボガド・マキアート』なるパックジュースを飲みながらゴーレムを指差した。ここにきていい加減思うのだが、その愉快ジュースはどこで売っているのだろうか?  ともかく、綾瀬さんの指差す場所を見ると、あのメルキセデクの書がゴーレムの甲冑の襟に引っかかっていた。どうもあのゴーレムがこっちに落ちる際、一緒に落ちてきたようだ。貴重書なんでしょう? 学園長、大丈夫か? 「本をいただきます! まき絵さん、クーフェさん、楓さん、志保さん!」 「OK! バカリーダー」 「え? 私も?」 「やるでござるよ」  ま、断る理由はないし、何を置いても佐々木さんを助けなくてはいけないのは確か。学園長に遠慮する気も失せたしね。 「分かった。古さんに先制は任せた。手は私が、長瀬さんは佐々木さんを」 「ん」「承知」  簡単に話を合わせるとすぐに、古さんがゴーレムに向けて鋭い踏み込みを見せる。 「中国武術研究会部長の力、見るアルよー!」 「ハイ!!」  ズン  裂帛の声と一緒に地面が一瞬揺れるような凄まじい震脚。繰り出される崩拳がゴーレムの岩の脚を陥没させる。  と、こっちも見とれている場合じゃない。  脚にダメージを負ってバランスを崩すゴーレムに向けて私もすかさず懐に飛び込む。手に持つ木刀に魔力を込める。 ——同調開始[トレース・オン] 「せいっ」  強化して鉄棒並みになった木刀を振り上げ、佐々木さんを握るゴーレムの手首を砕く。  ゴシャ 「キャ!」  佐々木さんがゴーレムの手を離れ、落ちようとするがそれを長瀬さんが空中でキャッチ。すぐに長瀬さんの持っているバスタオルに包まれる。 「やっ」『あっ』  さらにそのまま佐々木さんがとりだしたリボンで魔法書を絡め取る。  同時に全員申し合わせたように撤収。 「キャーーッ 魔法の本取ったよーーっ」  佐々木さんがメルキセデクの書を抱きしめ黄色い声を出した。目標達成の瞬間だ。 『ま……待つのじゃーー』  後ろからゴーレムの呼び止める声が聞こえるが誰も止まるものはいなかった。 「よしっ、目的の本を取ったからにはズラかった方がいいわね!」  明日菜が皆に撤退を呼びかける。 「あのゴーレムのあわてよう、きっとどこかに地上への近道があるです」  綾瀬さんが出口の存在を示唆する。まあ、学園長のことだ生徒を期末テストに大幅遅刻させる気はないだろう。多分、おそらく、きっと。 「衛宮さん、はい服」 「ありがとう」  荷物を取りに行ってくれた近衛さんから服を受け取る。バスタオルを捨て、ブラとショーツを着けて、シャツを着て、パンツを……履く暇はないか、上に外套を羽織って形を整える。ブーツも何とか履く。ジッパーにして良かった。  他の皆もどうにか服装を整えたようだ。 『で、出口は見つからんと言うとるじゃろーが。あきらめて捕まるのじゃー』 「やだプー」  しつこく追ってくるゴーレムに古さんが魔法書持ちながらあかんべー。  私も学園長に遠慮はしない。悪いが脱出させてもらおうか。この図書室の構造はもう把握している。怪しい場所は数箇所、今ここから近いのは…… 「綾瀬さん、あそこの滝の裏側が怪しい」 「分かったです」  結果はドンピシャ。 「非常口です」「それよ!!」 『フォーーー!?』  ゴーレムが慌てた声を叫ぶ。フフフ、学園長が慌てている……楽しいや。 『まっ……待つのじゃーーー』  強引に滝に突っ込んでこちらを捕まえようとするゴーレム。 「キャー」「早く早く中へ……」  どうにか扉を開こうとするが、ノブや手がかりがない様子。自動ドア? 「えみやん!」「わかった!」  時間を稼ぐためゴーレムの相手は必要だ。 「テイヤ!」『あた』  古さんの見事な蹴りがゴーレムの顔面に炸裂する。同時にこちらも仕掛ける。 「せいっ!」『ぶほ』  追い討ちをかけるように強化した木刀をゴーレムの頭に打ち下ろす。 「う……何コレ!?」「扉に問題がついてる!?」  え? あ、本当だ。  ゴーレムの相手をしつつ、問題を見る。 『問1 英語問題。readの過去分詞の発音は?』  学園長、ホントいい趣味しています。取り合えず憂さはゴーレムにぶつける。 「はぁぁ!」  ゴグァン! 『ぶぼっ』  吸血鬼の膂力に魔力を上乗せして一撃を放った。滝からゴーレムが引っぺがされる。これで時間稼ぎにはなるか。 「ムムッ……!? ワタシ、コレわかるアルよ!」  魔法書を持ったままの古さんが扉の問題で騒いでいる三人に声をかけた。え? 古さんが? 「答えはredアルね!」  ピンポーン 「おおっ!?」  お約束な電子音と共に扉が開く。おお正解です。  扉が開ききるのを待たずに皆扉の中に入っていく。ゴーレムが起き上がり、また向かってくる。かなり頑丈なゴーレムだ。破壊するなら本気にならないといけない。でも、付き合う必要も義理もない。 「も、もしかしてこの本のパワーで!?」 「持っているだけで頭が良くなたアル」  佐々木さんと古さんがメルキセデクの書の効果に興奮したようだ。  よく考えれば、あそこまでの概念と魔力がある魔法書なのだ。読まなくとも持っているだけで頭の回転を良くすること位は簡単だろう。  扉から続いていた通路が急に広くなり、空気の流れが変化した。 「らせん階段!?」  ネギ先生が叫んだ通り、そこは巨大な吹き抜けになっていて、上に登る手段は螺旋階段しか見当たらない。石造りの階段が銃身のライフリングを連想させるように吹き抜けの壁に張り付き、はるかな高みまで続いていた。上の様子は魔力で水増しした目で捉えられるが、あそこまで登るのは大変だ。 「コレ、上までの登るん?」  近衛さんが弱気な声を上げる。  無理もない。私や明日菜、古さん、長瀬さんなら余裕だろうけど、魔力が使えないネギ先生や近衛さん、綾瀬さんはキツいだろうな。 『フォフォフォ』  あ、もう来ている。しかも通路を強引に広げながら。学園長、自分の学園施設を破壊してどうするの。 「登るしかないみたいね!」  明日菜のこの一言に皆は覚悟を固めた。さすがレッド。 「ハアハア、ヒィヒィ、えーーん、部活の練習よりキツいよーっ」  階段を登り始めてすぐに佐々木さんが悲鳴をあげる。むう、確かにこの障害物走はキツいだろうな。ここまでずっと走りっぱなしだし。  ドカン! 『ならぬならぬ、ほ、本を返すのじゃーーっ』  ゴーレムが通路を広げ終え、石段を登りだした。 「(しつこいな学園長。そこまで魔法書が大切なら封印を考えることをお勧めするぞ)」  呟きながら前を見る。石の壁が階段に立ち塞がり、表面のプレートにはまた問題が刻まれていた。 『問2 数学問題。下の図でXの値を求めよ』  問題のレベルが中学校レベルなのだ。学園長は狙ってやっているとしか思えない。 「うーん、X=46°かな」  いきなりの数学に一時混乱したが、メルキセデクの本を持った長瀬さんが答えを言って扉が開いた。これには一同が驚嘆。  この後も次々と問題付の扉をバカレンジャーは本の力で開けていって階段をドンドン上がっていく。 「す、すごいですバカレンジャーのみんな!」  ネギ先生も息が上がりつつも皆に声をかけている。魔力がままならない今は普通の10歳の子供のはずなのによく付いてきている。 「あうっ!」 「夕映ちゃん!?」  順調に進んでいるなか、綾瀬さんが木の根につまずいて派手に転んでしまった。 「綾瀬さんっ、ちょっと見せて」 「志保、さん?」  綾瀬さんの困惑の声も構わず彼女の足に手をやり、怪我の状態を見る。 「いたっ」 「あ、すまない。でも、骨は折れていない。くじく程度で済んでいる」  細い綾瀬さんの足はすりむいた傷が目立つが出血はなく、くじいた足の腫れはまだ酷くない。外套からバンダナを出して足に巻いてあげる。このバンダナ、外套を仕立て直すときに出た余りで作られたものだ。幾分か効果はあるだろう。 「さ、先に行ってくださいネギ先生……この本さえあれば最下位脱出が……」  手当てをしている最中、綾瀬さんはそんなことを言って魔法書をネギ先生に手渡そうとしている。 「だ、だめですよ「何を言っている綾瀬」え?」 「ふえ?」  綾瀬さんをやや強引に背負う。彼女は疲れているのか大人しく背負われている。うん、軽い、軽い。 「そんなことは冗談でも言っては駄目だ。ネギ先生、綾瀬さんは私が背負います」 「ええっ、ちょっと衛宮さん、大丈夫ですか?」  ネギ先生が心配そうに声をかけてくれるが問題はない。このメンバーでネギ先生に次いで小柄な綾瀬さんだ。今の私の身体能力なら彼女は羽のように軽い。背負うのに支障はない。 「問題ないよ。綾瀬さんもいいかい?」 「ありがとうです志保さん」  肩越しに窺った綾瀬さんの様子はやや困惑しているが、否定はしていない。良かった。 「それよりもネギ先生こそ大丈夫?」 「え? ハ、ハイ大丈夫ですよ」  肩で息をしている状態だが、ネギ先生は気丈にも返事を返している。うん、心意気はよし、か。 『問29 語句を並べて文章を完成せよ——』  この後も次々出てくる問題を片付けて石段を登っていく。 『返すのじゃー』  ゴーレムもしつこく追いかけてきている。一時間以上も登りが続き、全員の限界が見え始めた時、 「あ、け、携帯の電波が入りました!! 地上は近いです助けを呼ぶのでみんながんばって!」  綾瀬さんが背中で携帯電話を操作しつつ皆に声をかけた。  そうか、近いか……む、あれは? 「ああっ、みんな見てくださいっ!! 地上への直通エレベーターですよっ」  ネギ先生の言う通り、階段の果てにエレベーターの扉が見える。『1F直通(作業用)』と扉にでかでかと書かれている。 「みんな急いで乗って乗ってーー!」「キャーー早く早く」  すぐに扉を開き、勢い込んでエレベーターに乗り込む。よしこれで後は地上に直通だ。 「よーーし乗った!」「やったーー地上一階へGO!」  ピン  ブブーーー!  ん? この音はまさか。 『重量OVERデス』  スピーカーから無機質で無慈悲な声が流れた。 ——い……いやああああーーーーっ  エレベーター内はパニック化。二日間飲み食いしすぎた、運動していなかった等など。さらにその後、明日菜は恐ろしいことを言ってくれる。 「みんな、持っているモノとか服を捨てて!!」  あと少しの減量で許容範囲内に入るのだとか。 「脱ぐアル、脱いで軽くするアルよーー」  古さんがこんなことを言って、クツや服をポンポン脱ぎだした。 「えいっ」  ああ、佐々木さんをはじめて他の皆も脱ぎだしているよ……くそ、やるしかないのか。  ブーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ、ブラも取り、外套……これだけはちょっと。さすがに概念武装をポンポン捨てるのは……いや、そんなことを言っている場合ではないか。ポンとエレベーターの外に捨てる。  ブブーー、ブー 「やっぱりダメアルーー」 「もー捨てるモノないよーっあとちょっとなのにーー」  ネギ先生を除き、全員がショーツ以外は身に着けていない状態。もちろん私も。うう、男でも女でもこの状態は精神が軋む。ネギ先生なんか目のやり場に困って目を手で隠している。  だが、あと捨てるものといったら…… 『フォフォフォ 追いつめたぞよーー』  ゴーレムがエレベーターに迫ってきた。  決めた。爺さん後で本気で潰してやる。  ん? ネギ先生がエレベーターの外に行った。何をする気だ。 「僕が降ります! みなさんは先に行って明日の期末を受けてください」  ネギ先生の言葉に全員息を呑んだ。  この子はまだ魔法が使えないのに……まるで『俺』みたいなところがあるな! 「ゴーレムめ!! 僕が相手——はう!」  ネギ先生の襟首を引っつかみ。ゴーレムの直上に十の剣をスタンバイ。 ——投影開始[トレース・オン]  ドガガガガン 『フォゴォ!』  ゴーレムはあっという間に針山になる。これでも手加減はしている。投影した剣は魔剣ではない概念の薄い普通の剣だし、撃ち下ろす速度も落としている。 「な、剣がふってきた!?」 「トラップだったんだろう。それより明日菜、ほい、説教は保護者に任せた」  襟首を持ったまま、子猫のようにネギ先生を明日菜に渡す。 「ちょ、志保、誰が保護者よっ」 「いや、きっちり保護者だ。それより、こんな言い合いをしている場合じゃないだろう?」  言われた明日菜とネギ先生はしばらく見詰め合う。 「アスナさん」  ネギ先生が不安そうに明日菜を見上げる。これに明日菜は怒った表情で、 「あんたが先生になれるかどうかの期末試験でしょ? あんたがいないまま試験受けてもしょーがないでしょーが。ガキのくせにカッコつけてもー、バカなんだから!」  きっちり言うことは言ってくれる。うん、見事な保護者と思うんだけど、本人は否定するだろうな。 「え……でもこのままじゃ…あのゴーレムに…」 「それは……」  明日菜の手がネルキセデクの書をむんずと掴み上げ、投擲の体勢。 「こーすんのよ!」  ああ、やっぱり。他のみんなも諦め顔だ。 「それーーーーーっ」  ゴーレムに向かって明日菜は豪快に『貴重』な魔法書をブン投げた。 「あーーーーーっ! ま、魔法の本がーーーっ」  ネギ先生が絶叫を上げる。『貴重』な魔法の本が閉まっていくエレベーターの扉の向こうに消えていく。扉が閉まるまでの数瞬、 『なっ』  ゴーレムの顔面に本が当たり、体勢を崩す 『フォ……フォーーーー!?』  こう聞こえたときにはすでに扉が閉まっていたが、きっと螺旋階段の底まで落ちただろう。自業自得だな学園長。  ガクン  閉まって密室になったエレベーターが身震いするように振動して上昇するため動き出した。 「や、やった。動いたーー」 「脱出よー」  動くエレベーターの中、それぞれに図書館での感想を言い合っていた。 「ねえ、衛宮さんはどうだった?」 「ふむ、面白かった……かな」  このトンでも図書館での二日間は色々騒がしかったが、嫌悪感は湧かないものだった。  扉が開き、赤みの増した太陽が目を焼く。外の空気は肌寒く、まぶしい。思うところは色々あるけど、ともかく、 「「「外に出れたーーー!!」」」  ほとんど裸だったに関わらず、私も皆に混じって喜び合っていた。  ちなみに期末テストまで十五時間も無いという事はこの時、頭の中にまったくなかった。「ハアハア、ちっ、遅刻——っ」  テスト当日の朝。本鈴が鳴り終わった校舎に向かって十人の人影が爆走する。 「最後の悪あがきに徹夜で勉強してたら遅刻アルーー」  丁寧な説明感謝する古さん。  つまり、あれから地上連絡員の早乙女さんと宮崎さんと合流して、寮でネギ先生を巻き込んで一夜漬けのテスト勉強をしていたのだ。で、直接の遅刻の原因はというと、 「一時間で起こしてっていったのに!」 「ごめんなさいー」「寝てもうたー」「すまない……」  勉強の終盤、皆が眠気で船を漕ぎ出した。余りににも酷いので一時間の仮眠を取ることにして私、近衛さん、宮崎さんが起こす手はずになっていたのだが、揃って寝てしまい、結果遅刻確実の時間まで爆睡、起きてみると上へ下への大パニック。押っ取り刀でこうして駆けている。 「アスナーー! 早く早くーー始まっちゃうよー!」  声が聞こえる。椎名さんか?  昇降口の階段を上がりきるとそこに新田先生がいる。 「遅れてスイマセン。この娘、足をケガしてて」  明日菜が言い訳として長瀬さんに背負われている綾瀬さんを指差す。冷静に考えれば言い訳としてはどうかと思うよ。でも、 「ああ、君たちか。遅刻組は別教室の方で受けなさい」  遅刻を咎めるでなし、あっさり受け入れてしまった。学園長が話を通したのか? まあ、考えるのは後でいいか。今はテストを……う、眠い。新田先生「フラフラしないで」と言っても無理です。 「あ……あの…」  後ろからネギ先生の声がかかる。よく考えてみると、彼も遅刻することはないのだがな…… 「み、みなさん試験がんばって!! 僕のせいで魔法の本もなくしちゃったし、僕足を引っぱってばかりだけど、僕…僕……」  ああ、こいつは全く。場合が場合ならひっぱたきたくなるくらいのお人良しだな。まるでかつての『俺』を…… ——検閲・削除・封印  ……ん? ああ、そうだ試験だった。 「ほら、みんな行くわよーー」  ネギ先生にそれぞれ声を返してバカレンジャー+4は試験会場に向かっていく。ヘロヘロで。  大丈夫か?  終わった……  何がって? 試験もそうだが諸々のことが。  今、校舎のロビーで二学年のクラス順位が発表された。食券を賭けたトトカルチョも行われ、試しに単勝で我がA組に10枚を賭けてみた。買う際、「万馬券だね」とも言われたが、まあこれは気持ちだ。  最下位の場合クラス解散、小学校からやり直しはデマだったが、代わりに本当だったのは担任のネギ先生がクビになることだった。  なるほどこれが課題なのかと思った。 だからではないが、試験は真剣に取り組んだ。これなら悪い点は取りようがない位に。途中、ネギ先生が魔法で活力を与えてくれたのもナイスフォローだし、これならと思ったのだが……  現実は無慈悲だ。一位にならずとも最下位脱出ぐらいは何とかなると思っていたのだがな。 「「「最下位確定————!?」」」  叫び声が校舎を揺らす。その後に訪れるざわめき。  あ、バカレンジャーのみんなが真っ白になっている。そうかこれでネギ先生ともお別れなのか? だとしたら残念のような……む? 「あれ? ネギ先生は?」 「「「え?」」」  私の声にみんなが再起動して周囲を見回す。うん、いない。さっきまで近くに居たのだが。 「……あのバカ!」  明日菜が一人駆け出し、ロビーを出て行く。他の皆が周囲をキョロキョロ見ている中で、心当たりでもあるのか迷いがない。  うーん、彼が行きそうな場所か。あのネギ先生は冷静で利発そうだが根が割りと単純、思い込みも激しいほうかも……となるとダメ出しをされた今は一刻も早く荷物を纏めてここを出たいに違いない。 「駅……か?」 「衛宮さん、今なんて」  呟きを佐々木さんが聞きとがめた。 「いや、ネギ先生の事だから今頃荷物まとめて駅に向かったかなーって」 「「「それだ!!」」」  バカレンジャーの声がピッタリあった。 「どこの駅だと思うアル?」「やっぱり中央駅でしょ」「では行くでござる」  話が決まると即断即決。みんな駅に向かって走り出した。 「衛宮さんも早く!」  え? 私も?  走る走る、八人の人間が全力で石畳を蹴って走っている。  この異常に通り過ぎる人間は何事かと振り返るがそんなことを気にしていない。みんな一言も声を交わさなくても気持ちは共通だ。  ネギ先生を行かせない、だ。  駅までの距離は駆け足で十分、それを七分で駅に着いたのは偏にこの気持ちがあったからだと思う。  駅の改札口の向こう、先に来ていた明日菜と揉めるネギ先生の姿が見えた。明日菜よくここが分かったな。  彼はこちらの姿を見るなり明日菜を振り払い、 「い、いまさら会わせる顔がないです! さようならアスナさん」  と走り去ろうとする。けど、逃がす気はないよ。会わせる顔があるかどうかはこっちが決めることだ。 ——投影開始[トレース・オン]  制服の袖口から出すふりをしてそれを引っ張り出す。 ——巨狼縛りし戒め[グレイプニル]  滑らかな一条の紐が目標のネギ先生まで伸びていき、 「ふぎゃ!」 「……あ、ゴメン」  両足を拘束したのは良かったが、バランスを崩して前のめりにベチャっと床に倒れて荷物を盛大にばら撒いてしまった。すぐに拘束を解いてグレイプニルの投影を仕舞うふりをして破棄。すぐの距離だ拘束はもういらない。 「ネギ先生!「ネギ坊主!」「ひどいよーネギ君何も言わずに行っちゃうなんて」  次々と自動改札を飛び越えるみんな。宮崎さんや綾瀬さんは定期を使ったみたいだけど大丈夫か? 見れば、駅員さんは何か感動して「青春だねーうんうん」と頷いている。良かったキセルと思われなくて。私も軽く改札を飛び越えネギ先生のところへ。 「ネギ君、もう一度学園長に頼みに行こ。な?」 「えっ」 「そうだよネギ君、こんな子供なのに厳しすぎるよー」 「も一度テストやらせてもらうアル」 「い、いえでも最終課題は僕も納得の上でのコトですから……」  ワイワイ先生に寄って、引きとめようと言葉をかける。私も当然引き止める。 「学園長のことだ、先生が諦めない限り機会はあると思うけど?」  言葉をかけるが、 「で、ですが……」  全く、妙に諦めが良すぎるぞネギ先生。 「フォフォフォフォ。呼んだかのう?」  後ろからの老人の声。噂をすれば影がさすのか、みんな一斉に振り返り、 「え?」 「が、学園長先生ーー!?」  綺麗に揃った声で驚いた。 「(出たな、諸悪の根源。狸爺さんめ)」  図書館島地下でのことがいくらネギ先生にとって課題でも、学園長のノリの良さには愛想が尽きていた。紅色の瞳でギロリとにらむ。 「いやーすまんかったのネギ君。実は……」  まったく動じてませんね。まあ、魔法使いを束ねる長をしている人だこの程度のことではピクリともしないか。  私の睨みもどこ吹く風、学園長は話を続ける。何でも遅刻組の採点を学園長自らが行っていたが、うっかり2年A組全体と合計するのを忘れていたとか。  ひょっとすると大どんでん返しがあるかもしれないことで騒ぎが広まり、周囲にはいつの間にかギャラリーが集まりだした。 「ではここで発表しちゃおうかの」  だからノリが良すぎだ学園長。  駅前で突如始まった期末テスト発表会。トップバッターの佐々木さんが平均66点を出したのを初め、古さんが67、長瀬さんが63、綾瀬さんも63とかなりの好成績を叩き出し、周囲のギャラリーからも拍手が出た。 「で、転校間もない衛宮志保98点じゃ」  といって学園長が私の成績を読み上げる。 おおー。  ギャラリーがどよめく。でもなみんな、これは大学生に中学校の問題をやらせたようなものだ。だから気分はカンニングに近く複雑だ。  その後も早乙女さん、宮崎さん、近衛さんの好成績陣もいつも以上の成績を出し、 「最後に神楽坂明日菜————71点!」  学園長が明日菜の成績を読み上げる。 「あ……スゴイ」  ネギ先生が思わずポツリと呟き、ギャラリーも一層のどよめきの声を上げた。いや、これは祝福か? 「あ………じゃあ!」  もう複雑に考える必要はないだろう。最下位の脱出は確定であり、それどころか、 「なんと! 2−Aがトップじゃ!!」  学園長が宣言を下す。 「や…やったーーーーーッ!!!」 ワァァァァァァ!!!  ギャラリーの歓声に包まれる十人。  それぞれに最上級の喜びの表現をする。って、近衛さんなんで抱きつくの?  舞い散る紙吹雪はハズレのトトカルチョ券。あ、そういえば「万馬券」を私は当てたんだっけ。使い切れないから師匠にあげようかな。 「おお、忘れておった……衛宮君」  ネギ先生と明日菜に課題合格の話を終えた学園長が私に話しかけてきた。 「何ですか?」 「忘れ物じゃ。なかなかのマジックアイテムじゃから拾ってきたわい。大切なものじゃろう?」  そう言ってどこからともなく私の赤い外套を取り出して渡してくれた。む、色々あったけど、もう水に流そうかな。 「ありがとうございます」 「その様子だと、課題のことはもう分かっているようじゃな」  学園長の目がどこか悪戯小僧のように光っている。……やっぱり一言は必要だよね。 「ええ、中々貴重な経験をさせてもらいました。ゴーレムに落とされたり、追いかけられるのは滅多にできないと思います。ネギ先生の課題内容も素晴らしかったと思いますが、ついては一つ忠告があります」 「う、うむ。なにかの?」  ニッコリ笑って学園長に迫る。 「学園長は少々自分の趣味に走る傾向が見受けられます。自分ひとりならともかく周囲を巻き込むのは関心しません」  ニッコリ。 「う、うむ……ちゅ、注意しておこう」 「お願いします」  やっぱりこのくらいの釘は刺しておかないと。 「(エヴァンジェリンの弟子になったと聞くが、迫力は師以上じゃな……)」 「聞こえてますよ、学園長」 「うぐっ!」  歓声が包む中ネギ先生がもみくちゃにされ、胴上げされる。そうだ、食券はみんなにおごりという形であげようかな。  みんなに胴上げされて三月の空を魔法なしで飛び上がるネギ先生を見上げ、このお祭りみたいな日常がいつまでも続くことを信じてみることにした。  木々のつぼみは膨らみ、春近し。「魔力のラインを追って平行世界に転移したのはいいのですが……」 「……」 「どこですここは? ここから見える街から判断するに私たちのいる世界に酷似しているようですが」 「……知らない」 「は? ですが凛は転移先は分かっていると……」 「どうもね、アイツの置き土産[トラップ]のせいみたい。転移の瞬間危うく別の場所に飛ばされるところだったのよ。出来るだけ修正して近くに転移はしたのだけど、やっぱりズレたみたいね」 「ズレた。ではまだ別の世界」 「あ、その辺は大丈夫。ズレたといっても、同じ世界、同じ惑星内で地理的にズレたってだけだから」 「そうですか……それは良かった。それで具体的な距離は分かりますか?」 「うん、そうね……もうこっちに来てからラインが感じられないし何とも言えないけど、ちょっと遠い、かな。でもこの世界は私たちの世界と同じで交通機関は発達しているみたいだし、案外あっさり遭遇するかもしれないわね」 「……お金は?」 「——あ、そうか私たちの世界の貨幣は使えないわね。うーん、そうするとどこかで稼ぐ方法も考えなくてはいけないか」 「では凛の宝石を「却下よ」……分かりました」 「まあ、大丈夫よ。この世界は私たちの世界よりかなりマナが豊富だし、これなら魔術師は十中八九いるわ。魔術師むけの仕事だってある」 「問題はその魔術師にどうやって接触するかですが」 「それはこちらでなんとかする。まずはこの世界の把握ね。長期戦になりそうだし、情報は必須よ」 「まずは目の前に見えるあの街へ行きましょうか」 「そうね。待ってなさいよロストナンバー・19。士郎をさらった責任、絶対償わせてやるんだから」  出席番号 32 衛宮           第6話 弓と刀と銃の遭遇  弓道場に聞こえる喧騒は遠く、静寂で空気は張りつめ、まるでその場所が閉鎖される感覚をその場に居るものに錯覚させる。  停滞した空気が破られた。破るもの、それは細く、鋭く、高速で、その本体は人を傷つけることも出来る。けれど人を害することは望まない。向かう先は唯一。  トン  音は極めて軽く、ここが静かな場所でなければ聞き逃す類のものだ。  音を出したのは黒丸が入れられた白い的とそこに突き刺さる細い矢。  矢を打ち終えた射手は静かに残身、軽く息を吐く。  ——おおー!  時間が停滞するような空気が再び動き出した。 「か、皆中!」  判定員役の生徒の言葉通り、放たれた矢が4本、すべて30メートル近く離れた的の中心にある黒丸に等間隔で突き刺さっている。これは驚異的なことだ。一体どれほどの修練でそれを可能とするのか? 弓をかじったことがある者なら戦慄してしまう出来事だ。  だが、そのアルテミス[弓の神]に愛されているがごとき技を成した当人はというと、 「え? なに、そんなに騒ぐことなのか?」  周りの反応に当惑して、自分がしたことにまるで自覚がなかった。  私こと衛宮志保が送る春休みの一日は割りと決まっている。  朝起きて、身だしなみを整え師匠の家を訪問。茶々丸さんの手伝いを受けて朝食を作り、朝の寝起きが最悪の吸血鬼師匠を起こして皆で食べる。  師匠は見た目10歳前後の少女にしか見えないため、食事を食べている様は妙に微笑ましく、顔がにやけてしまう。師匠はこれを指摘してくるがもちろん本当のことは言えない。  食後のお茶の采配を終え、適度にお腹がこなれたところで『別荘』にて『三時間』の修行。茶々丸さんとチャチャゼロにしごかれ、師匠の座学でこの世界の魔法の常識、基礎を叩き込まれる。  それが終わって戻るとちょうど昼。『別荘』でのことがあるので妙な気分になるがそれでも昼食を作り、これまたみんなで食べる。  食事を終わると、師匠の家の掃除と師匠の服の洗濯、要するに家政婦みたいな事をする。『悪い』魔法使いとの取引も等価交換。師匠に色々と教えてもらう代わりに私は師匠の家の家事全般をこなす。 茶々丸さんの仕事を奪っているみたいで申し訳ないが、そのことを本人に言ったら「私はマスターの従者たる役目があります。志保さんが家事をして頂くことにより専念できますので大変助かっています」と逆に気を遣われた。  ともあれ、師匠の家の家事をするのはすで日課になっている。ただ家事をする際、師匠の趣味でミニスカートのメイド服の着用を義務づけられるのはどうにかならないかと思う。はっきり言ってハズイです。  一通りの家事が終わるとお茶の時間。師匠はお姫様みたいな外見を裏切らず、こういった時間を非常に大事にする。師匠のその日の好みに応じて茶葉や温度を替えて淹れる。最初は茶々丸さんに彼女の好みを聞きながらやっていたが、今では遅滞はない。  この時間が終われば寮に帰り、買い物、勉強と鍛錬、夕食、入浴、寝る前の吸血、そして就寝。これが春休みに入ってからの私の一日の主な行動になる。  けれどその日は変拍子が加わった。 「おい志保、お前どこか部活に入る気はないか?」  すでに日常化したお茶の時間。午後の春の陽気が部屋を照らすなか師匠がそんなことを言い出した。 「部活……ですか? いえ、今まで考えたことはないけど、どうしたのですか?」  この麻帆良学園は規模の大きさに比例してクラブ活動の数も相当な数に上っている。運動部が21、文科系になると160になるという。  そのためかA組で部活動に所属していないのは前の席に座る長谷川さんと幽霊の二名だけ。後は何らかの部活動に所属しており、師匠や茶々丸さんも囲碁部と茶道部に所属している。  つまるところ、麻帆良学園は部活動がかなり盛んな学校だ。強制ではないが所属していない方が稀なのだ。  私はというと、異世界に放り込まれて今までバタバタしていたため、クラスメイトの誘いはここまで保留してきた。だから真剣に考える機会はこれが初めてではないか? 「いや何、どこにも入る予定がないなら私のいる囲碁部か茶道部に来ないかと思ってな」  カップに余った液体をスプーンでかき回しつつ、師匠の表情は純粋に楽しみの色が表面ににじんでいる。 「えーーっと。折角のお誘いですけど、どっちも苦手ですので遠慮していいですか?」  師匠に悪いけど囲碁も茶道も自分に合うとはとても思えない。そう言うと、楽しそうな彼女の表情があっという間にむくれたものになる。 「むう、ではクラブに所属する気はないのか」 「いや、そうは言ってないし」  私は自分を分析するに文科系より体を動かす部活動が性分に合うと思う。それも武道に属するものだとなおよし。剣道か、拳法、もしくは……あ、そうだ。 「師匠。弓道部ってありましたか?」  茶々丸さんに案内されてすごく立派な弓道場に来た。学校施設にあるのが不自然なくらいの立派さだが、麻帆良学園にあってはとても自然に見える。  弓道場の周りは樹に囲まれ、聞こえるのは風で揺れる樹と遠くからの運動部掛け声ぐらいだ。 「しかし、弓道か。そういえば茶々丸たちとの訓練の際も弓を使っている時があったが、腕前は良く知らんな。どうなのだ?」  ここに来るまで不機嫌そうに前を歩いていた師匠が振り返って聞いてきた。よほど同じ部活に入って欲しかったみたいだ。 「うーん。どうなんだろう?」 「おいおい、自分のことだろう」 「いや、そう言われても比較する相手がいないし、記憶がないから過去もね」  自分の使う弓の技術はスポーツではなく、れっきとした戦闘技術。武道家から見れば邪弓使いだろう。だから比較する相手はいない。記憶がないから過去の自分の弓も分からない。だから師匠の言葉には答えられないのだ。 「ふん、まあいい。すぐ分かることだしな」  ズカズカと弓道場に入り込んで行く師匠を追って、私達も入る。  春休み中だが、部活動にとって長期の休みは合宿など集中的に練習をする機会だ。弓道部もまたそうで、中に入ると練習している袴姿の弓道部員が十数名見られた。んー、知っている顔はないな。 「ん? どちらさん? 見学?」  こちらに気が付いた部員の一人が声をかけてきた。 「はい、そうです。いいですか?」 「私はこいつの付き添いだ」「マスターと同じくです」  私たちの声を受けたその部員は少し驚いたような表情をした後、私をマジマジと見つめてきた。  私もその部員を見つめ返す。黒いクセ毛の髪と日に焼けた肌が似合う彼女は弓道部というより、陸上部と言われたほうが納得できる風貌だ。  しばらく見詰め合い、何か気まずくなってきて視線をそらす。未だに心は男のつもりだ、女の子と見詰め合うのは慣れない。 「ゴメン、ゴメン。春休み中の見学者が珍しくてね、ついジックリ見てしまったよ。ひょっとして転入生?」  こちらの気まずさを察してくれたのか、部員は勤めて軽い口調で話しかけてきた。ありがたい。 「はい、二月の後半にこっちに来ました」 「ふーん、珍しい時期に来るんだね。あ、紹介遅れたけど私は霧矢美沙都。一応ここの部長で、大学部の二年だよ」 「あ、初めまして。衛宮志保です。中等部の三年になります」  向かい合って握手。うん、なんかいい人そう……待て、今なんか言わなかったか? 「大学二年?」 「うん、この部活は中・高・大の合同の部活なんだよ」  ああ、そうなんだ……じゃなくて! 「霧矢さん、大学生なんですかっ?」  霧矢さんの外見は言ってしまえば小柄で童顔だ。身長は私よりやや高い程度、日に焼けた快活さは幼さに拍車をかけ、どう高く見積もっても高校生。下手をすれば年下にも見える。 「ああ、それか。よく言われるよ」  がっくり肩を落としてしまう霧矢さん。いかん、触れてはいけないことだったか? 「ごめんなさいっ。なんか気にしていることを言ってしまったみたいで。ええと、良い事じゃないですか、若く見られるのは……」 「志保さんフォローになっていません」  あう、茶々丸さんもそう思う? 師匠は笑ったままだ。ヒドイ。 「すまないって、思う?」  顔が俯いた状態で霧矢さんが聞いてくる。表情は読めないが、かなりのトラウマなり劣等感があるのだろう。こちらは真面目に答えなくては。 「ええ、すいませんでした。初対面の人に対して不躾でした」  頭を下げる。なんかこの頃頭が上がらない人が増えている気がする。すると頭上から声が—— 「じゃーあ、謝罪代わりに弓道部に入ってくれない?」  え? なんでさ? 図書館島でのどたばたな冒険があったものの、ネギ・スプリングフィールドは学園長に出された課題をクリアして、教育実習生の立場から正式に教師として麻帆良学園女子中等学校の英語教師の立場になった。  さらに担当しているクラスA組引き続き担当して、新学期にはめでたく『3年A組』の担任教師になることが決まった。  春休み。教師の仕事は生徒が居ない間もあるものの、自由になる時間が遥かにある。  この暇を見て、学園を良く見ておこうとアスナさん、このかさんの二人に案内をお願いしたのだが、途中で学園長からの呼び出しを受けてしまった。じゃあ一人で探検しようとしたらA組の双子さん、鳴滝風香さん・鳴滝史伽さんに案内してもらうことになった。  散歩部という相当にハードな部活に所属しているという二人(デスハイクがあるなんて知らなかった)、彼女たちの学園案内は少し偏りはあるもののしっかりしたものだ。 「もう、風香さんも史伽さんも困ったものです」 「あははー、さっきも言ったけどここは女子校だからね。あーんなとこや、こーんなとこもあるのはしかたないって」 「お姉ちゃん、先生困らせちゃまずいよ」  先ほどまで水泳部の女子部員の水着姿に囲まれ、チアリーディングの薄着に囲まれ、とうとう感情が爆発してしまい、原因の二人を追い掛け回し、いつしか静かな場所に来ていた。 「えっと、ここはどこです?」  双子さんに問いかけながら周りを見渡す。自然の多い麻帆良学園、ここも例外なく樹木が多く、春の新緑、春の花々が生い茂り、咲き誇っている。 「えーっと。弓道部のところだね。ほら、あそこが弓道場」  風香さんに指さされたところには平屋の日本家屋が建っている。欧州風な建築物が主な学園において、ここは別世界みたいだ。 「弓道ですか。たしか日本独自の弓を扱う武道でしたね」  和弓というシンプルな弓で的を射るスポーツ化された武道。 「見ていくネギセンセ? 袴美人が見れるかもよー」 「はわわ、先生はそういうのが趣味なんですか?」 「違いますよ! もうその話は引きずらないでください」  二人にからかわれながらも興味がある。見学させてくれると信じて弓道場に上がる。 「お邪魔します」 「おじゃましまーす!」「しまーす!」  静かな弓道場でこんな声を出していいのかな? なんて思いながら板の間に上がると……  ——おおーーっ!! 「わっ! 何?」 「なんだろねー?」  いきなり湧き上がる歓声。どうやら試合をしていたみたいだ。中を窺うと袴を着て弓を持った少女を中心に他の部員が集まっていた。 「あれは衛宮さん」 「えっみーだね」 「えみやんです」  白い髪を中心にした上半身、黒の袴の下半身。見事に白黒分かれた姿は真っ直ぐで、何か凛とした意志を感じさせた。今は集まっている部員のみなさんに困っている様子ではあるけど。 「凄かったですね衛宮さん。矢がみんな的の真ん中の黒いところに中ってましたよ」 「うーん、私もあそこまで騒がれるとは思わなかった」  あの騒ぎの後、もう一度射をやることになり、また騒ぎ、これをどうにかして抜け出して衛宮さんと一緒に学園を回ることになった。  衛宮さんは何でも弓道部の見学をするため、付き添いの人と一緒に弓道場に来たそうで、弓の経験があることから射をやることになって、皆中をしてみんなに騒がれあのような事態になったのだとか。更には弓道部に入ることになったという。 「もう、すぱんすぱんすっぱーんって感じで矢が中っていたよね」 「いや、学校の弓道に連射はないから」 「ロビンフットみたいでした」 「……今の私は女なんだけど……ああでもこころは……」  風香さん、史伽さんの相手をしている衛宮さんは困った声を上げている。  今これから四人で食堂棟に向かうところ、そこではケーキやパフェなどの甘味まで充実しているという。 自分は先生の立場だ、ここは一つ自分が奢ろうとしたのだが、衛宮さんが「いくら先生といっても年下にたかる趣味はないよ。私が奢ろう」とのセリフで話がまとまってしまった。この後なんと言っても衛宮さんは全く譲らない。頑固な人だと思う。  食堂棟で三人が甘味を食べている隙を突いて出席簿を取り出した。  『出席番号32 衛宮 志保』出席簿の一番端。空白と真新しい写真が目立つ衛宮さんの所にマジックで記入する。 ——弓道部所属。弓がうまくてガンコもの。 「へへっ」  こうして書き込みが入る中、衛宮さんがクラスに溶け込んでいくような感じがじんわりとする。 (うん、僕もこんなふうにクラスのみんなと溶け込みたいな)  その後ネギ先生がさらに風香、史伽の書き込みをして突っ込まれるのは言うまでもないことだった。  夕方になり、まだ行く場所があるネギ先生と双子と別れ、師匠と合流することにした。  騒ぎをネギ先生と一緒に抜け出すとき「家で待っていてください」と一方的に伝えて逃げるように抜け出したのだ。 「それにしても、ただの学園食堂とは思えないメニューの充実ぶりだったなー」  私が考える学生食堂から逸脱した場所だった。建物一つがまるまる食堂で、出される料理はレストラン並みの質を誇っている。そこで食べたパフェはおいしく、ついパクパクと平らげてしまった。男だったらこういった甘味は欲しくても頼めないだろうな。  清算の際、またネギ先生と払う払わないで揉めたが、いくら先生でも10歳の男の子に奢られる気にはならない。先日のテストトトカルチョで当てた食券が余っていたためやや強引に払った。 払う時、ネギ先生から微笑ましいものを見る表情で見られた。  食堂棟から出て、師匠の家に戻る。あ、テラスで師匠が腕を組んで仁王立ちしている。マズイ。 「しーーほーー、師匠を置いてボーヤとお楽しみとはいい身分だなぁ」 「あー、えーっと…………すいませんでしたっ!」  こうなっては圧倒的に立場がない。騒ぐ弓道部員から逃げるためとはいえ、師匠を置いていったのは事実だ。言い訳なんか立つわけがない。  腰を曲げて盛大に頭を下げる。ううっ、最近こんなのばっかりだ。 「お前が人間なら絶命寸前まで血を吸い取ってやるところだが、まあ、今日はいいものを見せてもらったから許してやろう」 「え?」  くいっと顔を上げて師匠を見る。師匠の表情に剣呑な気配はない。 「お前の弓を見せて貰った。俗な例えだがあれは見物料がもらえるほどだぞ。魔法使いとしてはどうかと思うが、素晴らしいな」  べ、べた褒め? 師匠が珍しい。和弓より洋弓を扱う経験が長くてイメージがズレたのだが、それでも素晴らしいと言ってくれた。  師に褒められて喜ばない弟子はいない。胸が弾む気分になってきた。 「じゃ、じゃあ許してくれる、のか?」 「二度とするなよ」  組んでいた腕を解いた師匠は、言いたいことは言ったというように家の中に戻ろうとして何かを思い出し、はたと止まる。 「ん、そうだ忘れていた。じじいから伝言がある」 「学園長から?」  そう言った師匠の表情は先ほど見せたものより不機嫌だった。幸いなことはこの表情が学園長に向けられていることだが、間近にいる身としては変わりないか。 「まったく、吸血鬼の真祖たる私をメッセンジャーにするとは……伝言は夜の八時に学園長室に行けだとさ」 「夜の八時だね。ん、分かった」  一応、雇われている身なのだ。学園長に呼ばれたなら従う義務がある。それに呼ばれるからにはきっとなにかある。準備を整えてから行くとしよう。  何しろ嫌な予感がするのだから。  去っていく志保の背中をエヴァンジェリンは林の向こうに消えるまで見送っていた。 「いいのですか?」  背中から掛かる声に彼女は振り返る必要を感じない。信用に足る従者だからだ。背中を預ける相手にわざわざ振り返ることはしない。 「ああ、あいつは吸血鬼として半端ものだ。人から血を搾取することに躊躇いを感じているうちはどんなに力が強くとも一人前とは言えない。そんな奴に満月のことを教えてやる気はない」  ナギ・スプリングフィールドの息子がやって来ると聞いた。これは好機だ、そう考え半年もの間満月の夜になるたびに学園生徒を襲って血をすすり、見習い魔法使いのネギに対抗できるように魔力を貯めきた。  半人前の志保にこのことを教えてやる気はない。化け物である誇り、自覚の薄い奴だ。本来の自分なら嫌悪する相手なのだが—— 「(ふむ、不思議と嫌悪感は湧かんな……相手が記憶喪失だからか? いや、アイツのあり方は異常だ。目立ちはしないが欠陥が多い……あの異界の代償か……?)」 「マスター?」 「む、どうやら深いところで考えていたようだな」  茶々丸に声をかけられ、我に返る。今は次の満月に襲う相手を考えるときだ。  関東の魔法使いの拠点でもある麻帆良学園内部での吸血行為だ。相当に危ない橋を渡ってきたのだが、ここに来てさらに警戒が強められている。 「どうせ後一人二人の血を吸えば良いだけだ。クラスメイトから適当に見繕うことにするよ」 「分かりました。では私は夕食の準備に取り掛かりたいと思います」 「今日のメニューは?」 「志保さんに事前に仕込んでいただいた羊肉を中心にしたものをと考えております」 「そうか」  部屋に戻る茶々丸の気配を追うようにエヴァンジェリンは振り返る。部屋は茶々丸が一人で家事をしているときより片付いており、清潔そうだ。 「ふん」  そこにあったのは怒りか、嘲笑か、恥じらいか。鼻を一つ鳴らしたエヴァンジェリンは夕食のテーブルに着くべく部屋に戻った。  日はすでに沈み、空は血のような鮮やかなアカい残照に染まる。やがて来る夜を呪うように。空にはいまだ欠けている月がひとり居た。 ——コンコン 「衛宮です」 「うむ、入るがよい」  夜の学園。暗い廊下を歩き、約束の時間の五分前に学園長室にやって来た。 「失礼します」  例によって重厚な扉を開いて中に身を滑り込ませると、部屋の正面、机に学園長が着いているのが確認できる。それと—— 「衛宮さん?」 「え? ……あーえっと確か同じクラスの……」 「桜咲刹那です。よろしく」  制服姿の自分と同じ背丈の少女・桜咲さんがペコンと頭を下げてくる。 「あ、こちらこそよろしく」  頭を下げつつも私の中の冷静な部分が桜咲さんを分析する。  肉体は小柄ながら全身がバネみたいなものでよく鍛えられている。足運び一つ取っても歳に合わない熟練を思わせる。背中に背負っているのは布に包まれているけど目は刀と見破る。それも野太刀に分類されるもので、とても扱えるようには思えないほどに長大。けれど、よく使い込まれているところを見るに彼女は確実にこの刀の担い手と分かる。 外見も内面も彼女の印象は一言『剣士』だ。  で、もう一人いるのだが。 「えっと、そっちは確か龍宮さんだっけ?」 「ああ、だが『さん』はいらない龍宮でいい」  フルネームは…そう、龍宮真名だっけ。身長が180センチ以上はあり、浅黒い肌、プロポーションの良いスタイル、どれをとっても中学生とは思えない人だ。闇に溶け込むパンツルックがより精悍さに拍車をかけている。  背中に背負っているのはギターケース。中身は凶悪なもので、ボルトアクションのライフルに二挺の大型拳銃、そのほか弾薬と爆薬、手榴弾も入っている。それを使いこなす雰囲気が龍宮からも感じる。  二人とも会った当初から只者ではないと思っていたが、実際こうして武器を帯びる姿は学校の生徒というより戦士のそれだ。  つまり彼女たちは『裏側の世界』の住人。魔法に関わる人と直感できる。 「顔見せは終わったかの?」  学園長が話を進めるべく声をかけてきた。 「学園長、用件は何です? 何やら剣呑とした雰囲気ですけど」  何も二人が武装しているからではないが、部屋には緊張した空気が感じられる。自分に向けられたものではないが、嫌でも緊迫した空気に呑まれそうだ。 「分かるか。本来、君を呼び出した用件はこれを渡すためだけだったのだがのう。そうは言っておれん事になったんじゃ」  学園長が机の上に赤い折りたたみ式の携帯電話と説明書を置いてこちらに差し出す。 「名義は君のじゃが、料金はこちらが払おう。連絡用として持っておくように。私用に使ってもよいがほどほどにの」 「いいのですか?」 「言ったじゃろう、連絡用と。必要じゃから渡す。問題は?」 「ないです。ありがたく受け取ります」  携帯を持たないで警備員役は務まらないだろう。確かに必要なものだ。受け取る。 「さて、急に出来てしまった本題じゃ。二十分ほど前、学園の敷地内の数箇所で魔力を帯びた者の侵入を感知した。今魔法先生数名が状況確認に向かっておるが、いかんせん手が足りん。そこで君たちに一箇所を任せたい。良いかな?」  む、寮で鍛錬している間にそんなことが。とするとここにいる彼女たちも学園長に雇われているくちかな? 「はい、分かりました」 「まあ、報酬分の働きはするさ」  桜咲さんと龍宮がそれぞれに返事をする。意気込んだ声と、淡々とした声。どこか対象的ではあるが事を成す意思は確かなものだ。 「衛宮君にとってはここでの初仕事になるが、やってくれるかの?」 「はい、やらせて下さい」  一も二も無く受ける。守ることは自分に大切なこと、自分に出来ることなら喜んで受けよう。これが存在意義だと思う気がする。なんと言うのだろうこう言うの…………そうだ。『正義の味方』だっけ?  この『正義の味方』というフレーズ。どこか馴染んだ感触がある、肯定と否定の気持ちで。 「では、三人とも。早速じゃが頼んだぞ」  学園長の声は考え込む頭には遠く、決意する体には近くに聞こえた。  一度寮に戻り、服装を整え外套とブーツで装備を固め合流する場所に急ぐ。  夜の学園都市に人の気配は薄く、通りに影は射さない。踏みしめる地面が石畳から土に変わり、林の中を走るころになると視界には二つの人間の影。 「すまない、待たせたようだ」 「いえ、衛宮さんには急な呼び出しでしたので装備がまだだったのは当たり前です」 「時間はまだある。今のうち軽く打ち合わせといこうか」  桜咲さん、龍宮の二人はすでに待っていてくれ、いつでも戦闘ができる体勢にある。桜咲の白木造りの刀は布が取り払われ、龍宮の拳銃は両の太ももにあるホルスターにライフルは肩に担がれている。  状況はすでに変化していた。侵入者は魔法先生の報告で魔物と判明。敵対組織、敵対魔法使いが召還したものと思われる。同時多数で攻め込んでおり、この場所にも魔物の一団が攻め込んできている。  学園長は防衛戦を命じ、状況は偵察から戦闘に移行していた。 「まずはお互い得意とするものの確認だ。私は見ての通り銃器、近接戦もいけるができるなら遠距離が好ましいな。で、刹那だが」 「はい、この夕凪での近接戦を得手とします。あと呪符を使って補助程度の呪術が使えます。それで……衛宮さんは?」  二人の発言は私に対してだろう。お互いの得手を知ることで作戦を立てようというのだろう。もちろん、こちらも正直に答える。 「近距離も遠距離もいけるな。剣戟は多分桜咲さんに及ばない、けど遠距離は物によるが有効射程距離が十kmかな」 「じゅっ!? どういう魔法ですか? 衛宮さん」  桜咲さんがすごく驚いた声をあげてくれました。うーん、ちょっと非常識? 「いや、魔法というか弓なんだけど」 「弓?」  今度は龍宮が興味を示してきた。 「ちょっと待て」  魔法使いを知っている『こっち』側の人なので隠す必要はあるまい。左手を軽く突き出し、手になじんだ弓の幻想を手中に結ぶ。 「投影開始[トレース・オン]」  手に現れるのはつや消しの黒い洋弓。昨今の洋弓のように複雑な機構を持たず、グリップガードが目立つ以外はシンプルなつくり。剣の丘に数ある弓の中で一番使い込んでいるものだ。 「物品引き寄せ[アポーツ]ですか?」  目の前で起こった神秘を知識に当てはめて理解しようとする桜咲さん。正直に言ってもいいが、説明が面倒だ。時間が押しているなかでなら、その程度の認識でいいだろう。 「みたいなもの。後、剣が呼べる。だから苦手な距離はないかな」 「だったら前衛は刹那、衛宮はそのカバー。私は遠距離から仕掛ける。それでいいか?」 「ああ、それでいい。桜咲さんは?」 「問題ありません」  龍宮の意見に異論はない。二人は仕事をともにすることが多いのだろう、呼吸を邪魔するつもりはない。作戦はこれでいこう。 「さて」(龍宮) 「ええ」(桜咲) 「うん」(私)  振り返る。 「■■■———!!」 「●●●●!!」  振り返った先、木々の向こうから現れる異形。姿形は様々、啼き叫ぶ聲も雑多。数は百と少々といったところ。話し合いは最初から不可。目に理性がない。  横目で二人を見る。目が合う。顔には決意する表情。そして莞爾と不敵な笑み—— 「いくぞ」  仲間に言った声か、敵に言った宣戦か、知らず声は口を裂いてでた。 「ええ!」「ああ!」  応える声もきっと知らない内に。  欠ける月の光の下、知られない戦いがまた一つ始まった。  剣戟・銃撃・弓撃。  刃が敵を切り裂き、弾丸が標的を穿ち、矢が的を貫く。 「はぁ!」  正面から棍棒を振りかぶってくる鬼に対し、一瞬で間合いを詰め横薙ぎに一閃。これだけなら鬼の頑丈な皮膚に阻まれ刃が通らないだろうがこちらも尋常ではない。 ——神鳴流奥義・斬岩剣!!  岩並みに頑強な鬼の体が上と下で分断され、異界に還る。  自身が修める神鳴流は京にて魔を断ってきた組織にして、武術の名称。退魔において遅れをとるつもりは無い。 「■■っ!」  技の後の隙を狙ったつもりなのか、すぐに別の敵が襲い掛かってきた。 (浅薄!)  この程度で隙を見せるほど私は未熟ではない。すぐに手の内を返し、体勢を戻す力をそのまま次の斬撃に繋げる。 「しっ!」  歯の隙間から鋭く呼気を吐いて迎撃。逆袈裟に振りぬく。  切り倒される敵。その後ろから更に敵の影。すでに至近。仲間を捨て駒にして確実にこちらを討ち取ろうという意思を感じてしまう。 (くっ!)  間違いなく一撃を受けてしまう。致命的なケガは避けられるが、機動力が下がってしまうのはどうしようもない。けれど、ケガを恐れては剣士ではない。ケガを負っても確実に勝つことを考えなくては。 「トレース・オン!」 ——ドン  鈍い音と一緒に襲い掛かってきた敵が目の前から消失した。 「へ?」  つい間の抜けた声が出てしまった。 「■■■ーーっ!!」  文字通りこの世のものとは思えない断末魔が響く。そちらの方向を見ると自分に襲い掛かってきた敵がいた。ただし、樹にピン刺しにされて。ピンは細身の西洋剣が三本。 「火葬式典発動!」  この声がキーになって三本の剣が炎上、『火葬』の声通り魔物が火で葬られた。 「これは一体?」 「桜咲さんっ! 大丈夫か」  掛けられた声は剣を投擲した人間。振り向けば赤い人影。 「衛宮さん?」  赤い外套と白い髪を翻し、こちらにやって来たのは二週間ほど前に転校して、今回の仕事を共にすることになった衛宮志保と名乗る少女。手に握っているのは弓から黒白の二振りの短剣に変わっていた。 「すまない、サポートが遅れた」 「い、いえ。龍宮は?」  思考を切り替える。目の前の人間が何を成したかなんて愚考は戦闘中するものではない。結果だけを受け入れて、今は状況を認識しなくては。 「龍宮はあらかた敵を片付けた。今はこっちを遠距離からサポートするそうだ。残る敵はここにいるやつらだけになる」  視線を転ずる。向こうに魔物の影。数は三十、距離は二十メートル。 「分かりました。衛宮さん、引き続きサポートをお願いできますか?」  体勢を整え、夕凪を正眼に構える。気を体に巡らせ、精神を澄ませる。あの程度の魔物、数瞬で切り捨てる。 「無論だ。それと一つ言わせてくれ」  隣で短剣を無構えで持つ衛宮さんが声を返してきた。 「なんでしょう?」 「私に『さん』付けはいらない。衛宮でいい」  どんな不備を言われるか気構えていたところに、そんな何でもないことを言われてしまった。 「……えっと、そんな事ですか?」 「ダメか?」  赤い瞳でじっと見つめられてしまった。ルビーのように硬質なのに優しいそんな目。 「いえ、そんな事はありません、衛宮。私の事も『刹那』で結構です」  引き込まれてしまう錯覚から逃れるため、目をそらして答える。少し変に思われてしまうだろうが、あの目を見続ける気にならない。——いい意味でも、悪い意味でも。 「そっか、じゃあ……やろうか刹那」  こちらの態度に不審を感じることもない風で、衛宮は視線を魔物に向ける。気分は複雑になったが、今は目の前の敵だ。 「——ええ」  敵に踏み込む一瞬前、本当にその一瞬だけ空を見る。森の木々で細切れにされた空に欠けた月が見えた。  闘争の時間は長いように感じだが、その実十分に満たなかった。 倒された魔物の死体は残らず、どこかに送還されるように消えてしまっている。戦いがあった痕跡は場に漂う硝煙、転がっている真鍮の空薬莢、突き刺さっている黒鍵と魔剣が数本。後はいくつかの破壊痕だ。 「どうにか終わったな」  龍宮が空薬莢を拾いながら呟いた。一般生徒が不審を覚えないように後始末は必要なことだ。私も投影して射出した剣の幻想を棄却する。 「投影破棄[トレース・カット]」  周囲にある剣をまとめて棄却するのだ『終了』では意味が弱い。複数のイメージをずらし、現実に塗りつぶさせる。たちまちの内に剣たちが残滓も残さず消える。 「便利ですね。その能力は」  この様子を見ていた刹那が声を掛けてきた。声にはやや訝しむ調子が含まれているが、自分の魔法が見破られている様子はないのでよしとする。 「ケガはないか?」 「ええ、衛宮と龍宮のサポートのお陰です」  ところどころ着ている制服が破けている部分があるものの、体は無傷と言ってよいだろう。龍宮の方は服すら破けていない。 「ん、大丈夫か」 「衛宮も大丈夫のようですね」  刹那の返す言葉に自分を見下ろす。着ているものに破れはない。打撃を少々受けたが人間でもアザになる程度、私の場合はすでに復元呪詛でアザも痛みも引いている。  ただ、本格的に戦闘してみて分かったことがある。 「うーん、髪が少し邪魔だな。切るか」  背中まである髪は思っていたよりも重く、ばらける髪は視界を塞ぐ。長い左の前髪ぐらいなら問題ないが、視界に入る後ろ髪に気をとられてしまう。喰らった打撲もこれが原因だ。 「……髪を切るんですか?」  刹那が私の呟きを聞いて驚いた声を出した。そんなに驚くことだろうか? 「ん? どうしたの」 「いえ、折角きれいな髪ですのでもったいないかと……」  む、そうなのか? ……確かに女魔術師にとって髪は最後の武器というし、魔力を貯める意味で伸ばしている人も珍しくはないと知識が言っている。 「あ、すいません。私が口を出していい事ではないですね。忘れてください」  ワタワタと手を振って、忘れてとアピールしている刹那。その様は無性に胸をくすぐるもので、とても数分前まで魔物を相手に切ったはったした人物とは同一に見えない。 「いや、いいよ。よく考えてみれば女性の魔法使いにとって髪は武器だからね。切るのはやめよう。でも、とした纏める必要があるな」  今手元にあるのは例の聖骸布製のバンダナ。綾瀬さんの足に巻いたものとは別のもの。裁断されたとはいえ、概念としては一流。髪を纏めるには申し分ないはず。ポケットに手を入れて…… 「良かったらこれを使ってはいかがですか?」  出そうとしたところで、刹那から黒いリボンを渡された。 「うゆ?」 「いえ、髪を纏めるのでしたらこれをと。呪もこめられていますから物としては申し分ないかと思います」  受け取って、リボンを解析する。たしかに術式が込められており、その効果は魔力を貯めるもの。確かに物としては申し分ないけどこんなもの受け取っていいものか? 「いや、ありがたいけど、どうして?」 「え、いや、あの……」  目にも明らかに慌てる。どうしたんだ? 「ありがたく貰っておけばどうだ? 衛宮」 「龍宮?」  横から龍宮が声をかけてきた。薬莢を拾い終わり、銃器もギターケースに収められている。破壊痕は他の魔法使いをあてにさせてもらうことになっている。 「なに、遅ればれながらA組歓迎の品と思えばいい。刹那、それでいいな?」 「ええ、そうです」  龍宮の言葉に刹那はうなずき、リボンを私の手に少々強引に握らせる。 「そういう事なら、断れないな。うん、ありがとう」  ありがたく受け取る。受け取るのだが、纏め方が分からない。どうしよう。とりあえず、適当に髪を後ろで纏めてみようか? 「……衛宮、よければ私がやろうか。見ていられない」 「ああ、お願いできるか? 髪をいじったことがないからやり方が分からない」  下手くそな髪の纏め方に見かねたのか、龍宮が髪を纏めてくれた。うーん、元・男らしいから髪をいじる機会が生粋の女の子よりも少ないのは分かっているのだが、髪を結ぶくらい出来ない自分が情けない。 「こんなに髪が長いのにいじったことがないとは、変わっているな……うん、これでよし、いいぞ」  龍宮がやってくれたのはポニーテール。後ろに手をやるとぴょこぴょこする感触が頭皮と手に伝わる。うん、頭を振ってもばらけた髪が視界に入らない。 「ありがとう龍宮。それと悪いのだけど後で髪の纏め方を教えてくれ」 「ん、この程度でよければいくらでも。だが、もっと知りたいなら他のやつに頼んだほうがいいぞ」  彼女はそっけなく言い、この場の用は済んだとばかりに歩み去ってしまった。  あらかた後始末も済んで、後は学園長に報告をするばかりだ。他の場所でも戦闘が終わったことだろう。あ、そうだ。 「刹那、はいコレ。お返し」  歩みを始めた刹那に聖骸布のバンダナを渡す。貰いっぱなしというのは気分が良くない。それに黒い髪の刹那に赤は似合うと思う。 「え、そんなつもりで渡したわけではないですよ」 「いや、これは唯の自己満足。気持ちの問題だよ」  リボンを渡されたときのようにこちらも強引に手渡す。刹那はしばらく戸惑ったような顔をしていたが、ふっと緩んだ表情を見せた。 「では、貰います。——交換ですね」 「ああ、交換だな」  かすかに笑い合う。本当に奇妙に感じる。命のやり取りをさっきまでやっていたのに、妙に凪いだ気分だ。  光を感じて視線を刹那から上に向ける。そこには冷たく、優しく、残酷な月があった。 「? 衛宮?」  そうか、この気分は月がかけた魔法かもしれないな。うん、納得。  この後、刹那に体を揺さぶられるまで私は月の光に魅了されていた。  変拍子の一日、クラスメイトのことがまた一つ分かった一日だった。「しかし、この世界の魔術師いえ、魔法使いでしたか? 彼らの使う術は実用性が高いですね……モグモグ」 「うーん、魔法使い連中は実戦を前提とした術と体系を修める人が多いらしいから……研究一筋の魔術師が多いこっちより武闘派が多いのも頷けるわね。ところでセイバー、いつまで食べているの?」 「モグモグ……いえ、京料理がこれほど素晴らしいものだとは思いませんでしたので。シロウの料理より薄味ですが、その分味に深みがあります。ですので箸が進みますね」 「……まったく、その料理をあのいけ好かない女が用意したというのに」 「料理に罪はありません。それにあのチグサという魔術師には失墜の気配がします。遠からず滅します」 「それ、王様の勘?」 「いえ、女の勘です」 「……プッ…いいわね、信じるわその勘。それまではあの連中に雇われることとしましょう。払いもいいしね」 「ですが、チグサの最終目的は鬼神の復活です。いいのですか?」 「んー、成功しない気がするわ、それ」 「女の勘ですか」 「それもあるけど、この世界には『正義の味方』がいるからね」  出席番号 32 衛宮           第7話 Glass Moon  目の前に見えるのは機械の配線と基盤の塊。解析は電気の流れが滞っている場所を知覚する。少し専門的な技術が必要だが、問題はない。 「木乃香、導線とって」 「これでええ?」  手渡される緑色の被膜がされた導線。 「うん、ありがとう」  適度な長さで切って、端の被膜を剥がして痛んだ導線と交換する。これで大体終了。蓋を閉める。 「終わり、スイッチをつけてみてくれ」 「ほいな」  ——ピ   ブゥゥゥゥ  電源の入る電子音がしてその後に低音の機械音。吹き込んでくるのは温風。 「うん、大丈夫や。シホ、ありがとうな」 「いや、困っていたみたいだから助けるのは当然だよ」  踏み台を降りて、直ったエアコンを見上げる。劣化した導線を初めとした数箇所の故障があったがどうにかなった。吹き込む温風がまだ冷え込みが残る四月初めの早朝の空気を暖める。  それは三十分ほど前、朝の鍛錬をしようと部屋を出たところ、困っている様子で部屋の前を右往左往している木乃香がいて、事情を聞いてみるとエアコンが壊れたというのだ。エアコンを見てみると直せるレベルなので今こうして直し、それが終了したところになる。 「せや、シホ。朝ごはんまだやろ、一緒に食べん?」  お礼だと、にこやかに木乃香が言ってくる。 「いや、でも……」  師匠の朝食の支度があるため、と丁重に断ろうとしたが、思い出される。昨日師匠から「明日から一週間ほど来るな。鍛錬は自主練だ」と言い渡されたのだ。理由は告げられなかったが、茶々丸さん曰くよほど大切な用事があるのだとか。 「……いただこうかな? ただし、私も手伝おう。でないと気が治まらないよ」  お言葉に甘えよう。鍛錬は欠かせないが、いい休息になるだろう。  私、衛宮士郎改め『衛宮志保』が麻帆良学園に来て、早いもので一ヶ月が経った。  慣れというものは凄いもので、ここが異世界で、この体が女の子で、自分が吸血鬼であることに自分の心はすっかりなじんでしまった。 朝起きれば髪を櫛とブラシで梳かして刹那に貰ったリボンで纏め、顔を洗った後、乳液(選んでくれたのは木乃香)すらつけるようになった。髪や体を洗うときは丁寧になったし、女の子と一緒の入浴も前ほど恥ずかしく思わなくなった。  吸血鬼らしい部分は異常な怪力と吸血行為(相手は輸血パックだけど)くらいなものだけど、自身がそのことに違和感を覚えることはもうない。  さらに、クラスメイトの何人かとは名前で呼び合う仲になっている。木乃香もその一人。クラスに溶け込めたという気もしてきている。  後はこの異様に広い麻帆良学園都市に慣れることだが、これはもう時間が解決することだろう。 「おはようございます、このかさん、あれ、衛宮さんも来ていたのですか?」 「おはよー、このか、志保もおはよー」  朝食を作っている最中、ネギ先生と明日菜が起きてきた。時計を見れば朝の4時、人のことは言えないけど早起きだな。 「おはよ、アスナ、ネギ君」 「おはよう、二人とも朝食はもう少し待ってくれ」  今朝のメニューは木乃香の提案でイギリスの朝食風ということになっている。世界でも有名なほどマズイ料理といわれるイギリス料理だが、そこは料理人の創意工夫というものがあれば何とかなるものだ。 「またせた、今日は木乃香の提案でイギリス風のBreakfastになった」  出来上がった料理を台所からテーブルに並べていく。そして並べる端から明日菜が立ったまま料理をつまんでいく。本当なら見咎めるところだが、新聞配達のアルバイトで朝が多忙とあっては厳しく出られない。けど、 「明日菜、行儀が悪いことはもう言わないけど、せめて料理を味わう余裕は持って欲しいな」  でないと出来た料理に申し訳ない。 「分かってはいるんだけどね、一分でも長く寝ていたいのが本音なのよ……あ、もうこんな時間! じゃ、行ってくるね」  バタバタと部屋を出て行く明日菜。気持ちは分かるが、そのせわしなさはどうにかならないか? まあ、激烈に朝に弱いよりは数段ましだけど。 「うん! 美味しいです! このかさん、衛宮さん」 「ホントーネギ君?」  急ぐ必要のない二人は優雅に朝食タイム。うん、明日菜にはこのくらいの余裕があって欲しいものだが無理か。 「私は手伝いをしたぐらいだよ、料理の腕を褒めるなら木乃香を褒めること」  テーブルに着いて私も朝食とする。お、ピクルスのつけ具合は上手くいったな。師匠の『別荘』で作った燻製肉もいい感じだ。(ちなみにこの燻製を作っている時師匠に思い切り嫌な顔をされた)でも、やはり一番はこの素材を上手く調理した木乃香の腕にあると思う。 「いややわ、ピクルスにしてもお肉にしてもシホがみんな自分で作ったものだし、ウチはただそれを切って焼いただけ、凄いんはシホ」 「いや、しかし素材のよさを引き出すのは切り方一つとっても技巧が必要。それを実践している木乃香の方が……」  相手を褒めあう妙な言い合い。  むう、いつの間にかわけの分からない譲り合いになっている? 「二人とも凄いですよ。素敵なお嫁さんになれますねー」  ネギ先生がそんな事を言ってこの不毛な事を止めてくれた。って待て、今なんと? 嫁? 「もう、ネギ君てば」  ゴチとどこからか出したハンマーでネギ先生に突っ込みをいれる木乃香は軽く流しているが、私はというと…… 「嫁……」  思考の海で溺れていた。 「……嫁」 「衛宮さん?」「……シホ?」  だって、嫁ですよ? つまり誰か『男』と所帯を持つのですよ? この『俺』が! いくら最近女の子寄りになってきたからといっても『シロウ』の部分は譲れない。でも、まあ、時折明日菜が見せる雑誌に載っている男性(主にオジサン)はカッコいいなとは思うようになって……ネギ先生ももう十年はしたら間違いなく美青年になるなと考えるし…………っは! 「ああああ、俺は何を考えている!」  頭をブンブン振って追い出す、こんな思考が誤りだったと全力で主張してやる。ついでに後頭部のポニーテールもこの思考に震える。 「衛宮さん、どうしたのですか?」「シホ、どうしたん?」  二人が心配してくれているけど、ちょっと今は答える余裕がない。 「ごめん、部屋に戻っている」  混乱して解体される思考をなんとかまとめて、残った料理をかき込むように片付けると部屋を出る。出るときネギ先生が声をかけてくれた気がするけど、耳に届いても思考には届かない。  部屋に戻った私はベッドに入って布団を引っ被り、自分の中から湧いてくる新たな感情に戦慄し、震えていた。 「ん、いつの間にか寝てしまったな」  どうにかこうにか暴走する感情に折り合いをつけて、ベッドから起き上がると日が高くなっていた。なおかつ外が騒がしい。一体なんだ? 「お、エミヤン。遅いお目覚めだね」  部屋から出ると真っ先に声をかけてきたのは朝倉さん。他にもA組の面々が見える。何やら誰かを探している様子。 「朝倉さん、騒がしいようだけど何かあったの?」 「よくぞ聞いてくれたエミヤン! 実はね……」  水を得た魚というように朝倉さんが生き生きとこの騒ぎの素を教えてくれた。ネギ先生がパートナーを探しているのだとか、結婚相手を探すためこの日本にやって来たとか、実はネギ先生は小国の王子さまだとか、ネギ先生がいつも持っている魔法発動体である杖は王家の証だとか…とにかくごちゃごちゃした噂が一人歩きしている状態だ。 「だからね、今はネギ先生に直撃取材を敢行して真相のほどを聞こうと思うんだよ」 「ふーん、他の皆も?」  きろりとA組の面々を見てみる。視線の先には目の色を変えているみんなの姿。どうも欲望の匂いが窺える。  これには朝倉さんも苦笑を浮かべた。 「んー、中にはあわよくば玉の輿を狙っているのも少なくないね」  やっぱり。ネギ先生かわいそうに。  ここで真相を知っていそうなのは、明日菜か。 「私は興味ないけどね……ところで、明日菜がどこに行ったか知らないか?」 「うん? 呼んだ?」  向こうから都合よく明日菜がやってきた。本当に好都合。 「呼んだよ、ちょっとこっちに来てくれないか?」 「え? あ、うん」  戸惑う明日菜を自室に引っ張り込み、この騒ぎの真相を聞いてみることにする。 「パートナー探しは本当なんだ」 「うん、でも皆が思っているのとはちょっと違うの」  話してくれた真相はあっけないものだった。ネギの故郷から手紙が来て、そこでパートナーの話題が出たのがきっかけ。  でもここでいうパートナーとは恋人、結婚相手のことではなく、『魔法使いの従者[ミニステル・マギ]』のこと。 「あー、そっちのパートナーのことか」 「知っているの?」 「へっぽこでも一応魔法使いの端くれだからね」 「う、根に持っているの」  師匠から教えられたこの世界の魔法使いの戦闘体系の一つにこの『魔法使いの従者』がある。  戦闘中、魔法使いは当然魔法を詠唱するのだが、その間どうしても無防備な状態になる。私の知っている魔術師ではそれをシングルアクションの魔術、武術、使い魔などで対応していた。こちらの魔法使いはそれを『魔法使いの従者』という体系を作り、統一して対応している。  なんと相手となる人間と契約して、パスを通して魔力の供給を行い、その人間を強化、サポートするパートナーにするという。聖杯戦争の魔術師とサーバントに似て非なるシステムなのだ。  ただ、最近は恋人探しの口実になりつつあると師匠は嘆いていた。 「へー、ネギはそこまで詳しく話していなかったけど、そんなこともするんだ『魔法使いの従者』っていうのは」 「私が話したのが元々の従者のあり方だそうだよ」  師匠の受け売りを明日菜に話すとしきりに感心した声で返された。 「ともかく、真相のほどありがとう。何かお礼をしなくてはいけないな」 「いいよ、なんかネギが心配だからこれから探そうと思っていたところだから」  む、だったらなおの事申し訳ない。余計な時間を取らせたことになるのだから。あ、いい方法があるじゃないか。 「だったら、私が代わりに探してあげようか?」  そう言って、自分の中に埋没する。経験によるとこれはしばらく使っていなかったようだ。だから検索に時間がかかる——あった。  ——投影開始[トレース・オン]  ——ジャラン 「鎖?」  明日菜が言うとおり、手に現れたのは二の腕ほどの長さの細い鎖だ。ただ、振り子がついている。 「ダウジング用の鎖だけどね」 「だうじんぐぅ? 大丈夫なの?」  思いっきり疑わしそうな目をしてくれる。しつれいな。 「魔法使いの行うダウジングだから精度は一般人より高いつもりだよ」  通常、人捜しの場合は対象の体の一部、つまり爪とか髪とかを基点に探すのだが、今この場合は不要だ。ネギ先生が学園中に無意識に散布している魔力が基点になる。 「同調開始[トレース・オン]」  紡ぐ言葉は同音異句。  ネギ先生の魔力に同調して、より濃度の濃い場所を探す。一番濃度の高い場所、そこに本人が居る確率が高い。まあ、ときおりデコイということがあるけどこの状況では除外。振り子が指し示す場所は…… 「学校の校舎だね」  振り子が鎖を思い切り引っ張ってネギ先生の所在を知らせている。それだけネギ先生の魔力が高いことになる。鎖を握っている手が痛くなるほどだ。 「学校、なんでそんなところにいるのよ」 「さあ? 多分だけど、A組のみんなに追いかけまわされた結果逃げ込んだところじゃないかな——投影終了[トレース・オフ]」  鎖の幻想を破棄、すぐに部屋を出て実際に確かめることにする。すぐに明日菜も続いて追いかけてくる。その様子は懸命で必死そうだ……う、ついからかってみたくなってきた。 「明日菜、ネギ先生のことなんだかんだ言っても心配なんだね」 「なっ! 志保もそんな事を言うの? 私とネギはそんなんじゃないって、こうして心配しているのは……そうっ、居候としての心配よ!」  こちらの言葉に過剰反応して言葉を返してくる明日菜。そうムキにならなくてもいいのに、そんなのだから皆にいじられるとどうして分からないかな。  寮を出た直後、雪広さんを加えて三人で学校に向かった。後の事は多く語るまい、後を尾行してきたA組、木乃香の護衛と思える黒服集団、それらの登場に大混乱のネギ先生。  今日も平和だ。  今日もお祭り騒ぎがあったA組の夜。  佐々木まき絵は桜通りを風呂道具抱えて走っていた。  夜空には十四夜の月、地には桜の並木と実に風流なのだが、今のまき絵は走ることに必死で楽しむ余裕なんてない。  そしてこの疾走は目的地に急ぐ走りではなく、逃げるための被捕食者の走りだ。逃げなければ生命がなくなる。そんな原始の恐怖から来る懸命な走り。  彼女は運動部に所属しており、その走りはそこらの男子よりも速い。本来なら寮まで逃げ切れて怖かった経験として過去のものになるはずだった。  けれど、捕食者は尋常なものではなかった。  まき絵の横から影が走る。  とっさに避けたはいいが、樹に叩きつけられるように転び、視界には捕食者の姿が映る。  それは、 「あ……いや……」  黒い、 「いやあぁぁーーーん」  闇色の福音だった。 春、日本において新たな一年が始まる季節。イギリスにおいては9月からなのだが、まあこれは余談。今日から二年A組は三年A組となり、新しい一年を迎えることになる。  ただ、教室の位置は変わらないし、クラス替えはなし、席すら変えていない。ただ表札が変わっただけというものだったがA組のみんなはそんな事は気にも留めていないようだ。 「「「3年! A組!!」」」 「「「「「「ネギ先生ーーーっ!!」」」」」  ほらね。現に某学校ドラマの有名フレーズではしゃいでいるし。 「(バカどもが……)」「(アホばっかです……)」  前の席のお二方、呟きが聞こえてますよ……。 「えと……改めまして3年A組担任になりましたネギ・スプリングフィールドです。これから来年の3月までの一年間よろしくお願いします」  とても十歳とは思えない落ち着いた挨拶でネギ先生はHRを始めた。  桜の花びらが舞い込む教室に、華やぐ女の子の声。文才がない私でもつい詩を書いてみたくなる光景だ。  これからの一年、騒がしくも平和な日々でありますように。  ん……強い視線。こちらに向けられていないけど殺気に近いモノを感じ、その方向を見てって、師匠?  向けている方向はネギ先生。先生もすぐ気付いて、二人の眼が合う。先生の様子がおかしい。魔眼? いや、単なる威圧か。でもなんで師匠がネギ先生を威圧する必要があるのだ?  とりあえず師匠に声をかけようとして、 「ネギ先生。今日は身体測定ですよ、3−Aのみんなもすぐ準備して下さいね」  教室に入ってきた源先生により、機会を失った……ちょっと待て、身体測定ですと? 「あ、そうでした。ここでですか!? わかりましたしずな先生」  気を取り直した先生がみんなの方向を向いて、 「で、では皆さん身体測定ですので……えと、あのっ今すぐ脱いで準備して下さい」  そんなことをのたまって下さいました。いくら師匠に威圧されたといってもテンパりすぎです。  一瞬の静寂。空気には恥ずかしさ、楽しさなどが混入される。  ここでようやく自分が何を言ったか気付く先生。 「「「ネギ先生のエッチーーーッ!!」」」 「うわーーん、まちがえましたー」  ネギ先生は完全に遊ばれています。重ね重ね可愛そうに。  そして私も危機です。 「ふっふっふー、ようやく今まで秘密のベールに包まれたエミヤンの身体データが入手できる。逃す手はない」 「図書館島のときはさわらせてもらえなかったアルね。こんどこそねらうアル」  マズイ、非常にマズイ。 「うーん、エミヤンの体は目を見張るようなダイナマイトボディーというわけではないけど、バランスはいいわねー。肌白いし、髪サラサラだし……くぅ! 神は不公平だ」  身体測定以外に朝倉さんから、さんざん体をいじくられてそんな感想を頂きました。しかも、パソコンに私の身体データまで打ち込んでいる。何に使うつもりだ。というかやめてくれ。 「えみやんに胸で負けたアル……」  古さん、負けたといっても一センチほどしか違わないでしょう。なんでそこまで落ち込むの? しかも散々私の胸を揉みしだ——ゴホン、忘れようあんなこと。削除だ、封印だ、カットだ。  周りの女の子はみんな下着姿。ブラとショーツ以外は身に纏っていない。中にはブラが必要なかったり、ブラの代わりにサラシを巻いている人もいるけど。本当に目のやり場に困る光景だ。ここに来た当初の自分ならこんな場所10分もいられないのだが、今の私はどうにかこの場所にいることは出来るようになっている。  そんな男だったらこの場所にいただけで即死刑の禁断の花園での話題はいつしか思いもよらない方向にいった。  それは柿崎さんが、 「満月の夜になると、寮の桜並木に真っ黒なぼろ布に包まれた血まみれの吸血鬼が出るんだって」  なんてことを言ったことが始まりだった。  つい反射的に師匠を見る。師匠はすぐ隣にいる。 『なんだ?』  師匠がこちらの視線に気が付いて念話を飛ばしてきた。  師匠の発する念話に感情は窺えない。だけど、師匠はこうして感情を消している場合大抵隠し事をしている訳で…… 『師匠、まさかとは思いますけど——』  師匠に答えるようにこちらも最近仕込まれた念話で返す。師匠がいくら『悪い魔法使い』と言っても流石に一般人を巻き込まないのではと淡い期待が込められている。 『そのまさかと言ったら、お前はどうする? 衛宮志保』  予想どおり、期待をぶち破ってくれる師匠の冷厳な言葉。予想していただけに衝撃は少ないが、代わりに少し悲しくなった。 けど、同時に納得。軽く息を吐いて覚悟を決める。 『どうもしないよ。私も輸血パックとはいえ、人の血を飲んでいることに変わりないから』 『ほう……お前のことだ、もう少し正義感溢れたコメントが聞けると思ったのだが、意外だな』  本当に意外そうに師匠がこちらを見上げてくる。そのサファイアのような青く硬質な瞳は今、自分の赤い目と向き合っている。奇しくも色はアカとアオ。 『師匠は『悪い魔法使い』ですけど『悪』ではないです。やるからにはそれなりの理由があるからと思いますし、信じています。それを断じることは私には出来ません』  一ヶ月という短い付き合いだけど、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルは血の匂いがする魔法使いだと思った。吸血鬼だということもあるけど、自分の手を血に染めることも厭わないのだ。  でも、一方で自分が信じた道義は貫く人だ。女子供は殺しはしない、悪党になっても外道にはならない誇り高い人。 結論。記憶を失う前ならもっと言葉もあっただろうけど、今の私にとっても今の『俺』にとっても好意に値するヒトだと思う。この人の弟子で良かったと思いもする。 『ふん、甘いやつだ』 『ええ、甘いですね私は』  不機嫌そうに離れていく師匠。でも、顔が隠れるまでの数瞬、顔が笑っていたのは見逃していませんよ。  教室はしばらく吸血鬼談義になり、吸血鬼がいつの間にかチュパカブラなる愉快な吸血生物になって、今日欠席している佐々木さんがこの素敵生命体に襲われたことになっている。  でもみんな、できれば吸血生物と混同して欲しくないぞ。吸血鬼歴が浅い私でも傷つく。 「もー、そんな噂デタラメに決まっているでしょ。アホなこと言ってないで早く並びなさいよ」  そう言って明日菜がこの話を一蹴する。  でもゴメン明日菜。君の友人の一人がその吸血鬼デス。まあ、言えたものじゃないけど。 「そんなこと言ってアスナもちょっとこわいんでしょー」 「違うわよ! あんなの日本にいるわけないでしょ」  一蹴したはず言葉を椎名さんに混ぜ返される明日菜が指差す方向、黒板には木乃香が書いたチュパカブラ想像図。教室は吸血鬼の話題で大盛り上がりだ。  その大盛り上がりのなか、ふと明日菜が冷静になって考える表情を見せた。大方考えていることは、『魔法使いもいるのだから吸血鬼もいるのかも』なんだろう。師匠もそれを察したのか、もしくは魔法で読心したのか明日菜に声をかけた。 「その通りだな、神楽坂明日菜。ウワサの吸血鬼はお前のような元気でイキのいい女が好きらしい。十分気をつけることだ」  案の定、明日菜はどう反応していいか分からない表情をしているし、周囲も誰かに積極的に話しかける師匠が珍しいようで意外そうな顔をしている。  でも、師匠は何のつもりだろう、そんな思わせぶりな事を言ってどうしよういうのだろうか? これも師匠の外連のひとつかな? 「先生—っ! 大変やーーっ! まき絵が……まき絵が!」  廊下が騒がしい。それに魔力の残滓が感じられる? 他のみんなは外から聞こえる『まき絵』の部分に反応して、一斉にドアや窓を開いて廊下を窺うけど、 「わあーーー!?」  廊下にいたネギ先生には突然現れた下着少女の群れに絶叫をあげてしまった。南無。  一ヶ月前に自分が横たわっていた場所に、今は佐々木さんが体操服で眠っていた。  保健室のベッドで眠る佐々木さんは、安らかな寝顔を見せて、規則的な寝息をたてていた。あれほど騒がれたのが信じられないくらいで、押っ取り刀で駆けつけた面々を拍子抜けさせていた。  なんでも桜通りで眠っているところを発見され、ちょっとやそっとで起きる様子がないためこうして保健室に運び込まれたのだとか。 「なんだ、大したことないじゃん」「甘酒飲んで寝てたんじゃないかなー?」「昨日暑かったし、涼んでたら気を失ったとか」  みんなの話は実に楽観的。それはそうだ、こうして五体満足、異常らしいものが見当たらないのだから。でも、私は違うしネギ先生も違った所感を持ったはずだ。  感じる魔力の残滓。多分、師匠が襲ったのは間違いない。そのあと、記憶操作を行ったと思う。魔力が残ったのは記憶操作の時だろうか?  ネギ先生もいつになく真剣な表情で佐々木さんの状態を見ている。学園長の命もあり、自分から魔法に関することは言わない約束になっているが、それが今はもどかしい。  結局、佐々木さんは貧血という扱いになってその場は解散となった。あとネギ先生の帰宅が遅くなるそうだ。きっと事の真相を突き止める気なのだろう。  ネギ先生の笑顔に隠れた表情は決意の表れだから。  私は迷っている。本来なら師匠の行動を止めるべきなのだろうが、吸血鬼の身である以上私には師匠を断ずる事はできないし、師匠の行動は完全な『悪』とも言い切れない。エヴァンジェリンという吸血鬼は理由や目的もなしに危険を冒す人ではない。行動するからにはそれだけの理由があるはず。そして勘だが、その目的を『悪』と断定することは誰にもできない気がする。  わかるのは、ネギ先生と師匠がぶつかるのは良くない。私に出来ることはこれをどうにかしないといけないことだ。 決意は胸に、思考は冷たく、手は綺麗に。誰に教わったか知りもしないフレーズを思い、私は行動を開始する。 「吸血鬼なんてホントに出るのかなー」 「あんなのデマに決まってるです」 「だよねー」  桜の舞い散る通りを歩く女子生徒達。  薄紅色の花びらが雪を思わせ、空に浮かぶ満月が常より大きく見える。  春宵一刻値千金。街頭に浮き上がる夜桜は非現実性を助長させ、まるで宝物のような時間を演出している。  だが、同時にこんな非現実性は幻想との境を曖昧にして怪異との遭遇を容易くさせる。その曖昧さは逢う魔が刻に似ている。 「じゃあ、先帰っててね、のどか」 「はいー」  ハルナの呼びかけにのどかが答えた。これからみんなで寄る場所がある。けれど、のどかは一足早くに帰る事になっていた。  一人、寮に歩いていくのどか。その小さな後ろ姿は通りの桜吹雪に容易く飲まれて消えた。 「本屋ちゃん、一人で大丈夫かな?」 「吸血鬼なんていないゆーたんアスナやろ?」  心配する明日菜と気楽に答える木乃香。  明日菜の頭には今日のエヴァの言ったセリフが蘇る。思わせぶりで、真実を当てて欲しい怪人の愉悦が感じられる言葉。  吸血鬼なんていないと言った自分だが、嫌な予感がひしりと感じられた。  嫌な予感に押され、私は本屋ちゃんを送ることにしようと考えた。 「やっぱ気になるから本屋ちゃん送っていくよ」  今から行けば彼女に追いつけるだろう。 「あ、アスナ、ウチも行こうか?」  後からこのかもついて来る。危険かもしれないけど人数は多くいたほうがいいに決まっている。このまま二人で本屋ちゃんを追いかける。  桜通りに入るとき、何か割れるような音、衝撃音とでもいうべきか、日常生活ではあまり聞かない音が大音量で聞こえた。 「何や、今の音!?」  周囲には霧とも土煙ともつかないものが立ちこめ、それが切れるころにはネギが見えた。それもほとんど全裸の本屋ちゃんを抱えて。 「あんたそれ……!?」 「いえ、あのこれは…」  見ているこっちの顔が赤くなる光景だ。このかも顔を赤らめている。 「ネギ君が吸血鬼やったんかーー!?」 「ち、違います誤解ですーー」  そう思われても仕方のない状態だが、ネギは焦りすぎてどうしていいか分からなくなって半泣きになっている。あー色々言いたいことはあるけどシロね。 そう思った瞬間、ネギはすぐに思い直した表情をして、煙の向こうを見据えた。 「あっ、待て」  煙の向こうに消えていく人影に声をかけている。黒ずくめの格好とマントがちらりと目に入る。 「え……今のは……?」  ひょっとして今のが話題の吸血鬼? こちらがそんな事を考え始めた時、 「あ、アスナさん、このかさん。宮崎さんを頼みます! 身体に別状はありませんから。僕はこれから事件の犯人を追いかけますので、心配ないですから先に帰ってて下さい」  ネギは一方的にそんな事をまくし立てて、 「ネギく……うわっはや!?」 「ちょっとネギーーッ!!」  風のように走っていってしまった。多分魔法を使って足を速くしているんだろう。 「まったく、一体なんなのよ!」  ネギの言葉を振り返るに、ネギは吸血鬼事件の犯人を捕らえるべく一人で行動して、今もまた一人で犯人を捕まえようとしているのだ。 「あの子ったら、カッコつけて!」  もし取り返しのつかないことになったらどうするのだ? 胸の底から怒りに似た感情が吹き上がるのが分かる。追いかけて行って、説教の一つもしないと気が済まないほどだ。 「このか、本屋ちゃん頼むね」 「え? アスナ」  このかの言葉を最後まで聞かずにネギの後を追って駆け出す。向かった方向は寮の方角。そっちに行けば手がかりくらいは見つかるはず。  階段を駆け上がり、橋を渡り、寮が見えたとき月に照らされて、学生寮の屋根に不自然な影が見えた。 「あんなところにいた……あ、なんかピンチ!?」  ネギと思われる影が、二つの影に襲われて今まさに止めが刺されかねない状態にあるのが私の視界に映る。  言わんことない。心の中で毒づいて、寮に入り、屋上までの階段を一気に駆け上る。もういつ止めを刺されるか分からないのだ。全力全開で急ぐ。  屋上から、屋根によじ登り、目的地まで駆け抜ける。こういうとき自分の運動神経が良くて本当に良かったと思う。  影は二つ、大きいのと小さいの。あれが騒ぎの元凶。しかも小さいほうはネギの首筋に口付けをしているみたいで、その様はウワサ通りに吸血鬼だ。 「……むかついた」  えも言われずむかついた。気付けば変質者の影に思いっきり走りこんで、 「コラーーーッこの変質者どもーーーっ!! ウチの居候に何すんのよーーーっ!!」  とび蹴りを一閃していた。 「あぶぶぶぶぶーー」  蹴られた変質者が屋根を顔面で滑って盛大にぶっ倒れる。うん、決まった。  でも、敵も回復が早い。すぐにむくりと起き上がる。上等、顔を拝んでやろうじゃない。小柄な影がゆっくり起き上がり、顔をお互いに向き合った。  驚いた。 「か、神楽坂明日菜!!」  お互いに。 「あっ、あれ?」  それは驚くよ、なにせ二つの影はの正体は同じクラスの女の子なんだから。 「あんた達、ウチのクラスの……ちょっ、どーゆーことよ!?」  小さい影は同じクラスのエヴァンジェリンさん。お人形さんみたいな可愛い外見をしているけど今は下着姿で愕然としている。  大きい影はこれまた同じクラスの絡繰茶々丸さん。いつもと変わらない表情でこちらにペコンと頭を下げて挨拶している。  でも、今肝心なのはこの二人がやっていることだ。一歩前に出て、啖呵を切ってやる。 「まさかあんた達が今回の事件の犯人なの!? しかも二人がかりで子供をイジめるような真似して……答えよってはタダじゃ済まないわよ!」  あんな状況だったんだ、下手な言い訳なんか聞いてやるもんですか。例えクラスメイトでも、こんなことをする人に手加減する気もない。 「ぐっ……」  エヴァンジェリンさんがうめき声を上げながらふらりと立ち上がる。うーん、ちょっとやりすぎたかな? でも、そんな思いは彼女の表情を見たら吹き飛んでしまった。 「よくも私の顔を足蹴にしてくれたな神楽坂明日菜……」  明らかな怒りの表情、エヴァンジェリンの右手に集まるなんか光っているモノ。ってそれ魔法? うわ、マズイかも。 「マスター、一般人に魔法行使はどうかと。それに、今のマスターでは……」 「うるさい、吸血鬼の真祖たる私の顔が足蹴にされたのだぞ。黙っていられるか!」  うわぁ、どうしよう……きっとあんなのくらったら大変なことになるんだろうなー。ネギの時みたいに服が消されたりじゃ済まないかも。 ——ドカ ドカ ドカ 「むっ!」  私と彼女達との間に鋭い音を立てて何かがやって来た。 「今度はなに?」  混乱する頭が余計に混乱するけど、今は状況の確認だ。  やって来た数は三つ。形状は棒状で私達三人のちょうど中間に突き立っている。三本の間隔はまるで定規で測ったように等間隔。頭には切り揃えられた羽根が見える。 「これ、矢?」  まさしく矢だ。羽根も棒のところも黒塗りで弓道部で見かける矢とは違うけど間違いない。でも、問題はそれがどこから飛んできたかということなんだけど……  周囲を見るけど、屋根の上から見る限りでは人影なんかどこにも見えない。それにこの周囲数百メートルはノゾキ防止なのか、学生寮より高い建物はない。 「矢の狙撃地点判明しました。狙撃地点は展望台です」 「え、なんの冗談? あそこまで一体どのくらい離れていると思っているのよ!」  茶々丸さんが言ったことに私は今の立場を忘れて怒鳴ってしまった。なにせあり得ない距離だから。ここから展望台まで直線で二キロ以上、漫画に出てくる13の狙撃の名人だって狙えない距離だ。ましてや弓矢なんて馬鹿げている。 「……弟子に諭されたな。ふう……確かに大人気ない」  こちらの混乱をよそに、エヴァンジェリンさんは心当たりがあるのか、思わせぶりな事を言ってやれやれとため息を吐いた。右手に集まった光も消えている。——助かった? 「引くぞ、茶々丸。帰りに馬鹿弟子も拾うからそのつもりでな」 「了解」  ばばっと、二人が後ろに飛び退く。その先に足場はなく、下まで八階分の虚空があるだけ。 「あ、ちょっと」  あわてて呼び止めるけど、二人はそんなこと聞き入れるはずもない。  すぐに屋根の端に寄って下を見たけど、二人の影はどこにも見えない。まるで夜の悪い夢でしたと言わんばかりの消えっぷりだ。  しばらく呆然。 「うっうっ」  でも、この声が聞こえてすぐに現実に引き戻された。振り返ればネギの姿。  さっきまで犯人を追い詰めようとする歳に似合わない精悍さはなく、今はまるでいじめっこにイジめられてベソをかいている子供のそれだ。ネギの歳相応の姿があった。  私は思い切り泣きつかれてしまった。子供は嫌いなのだけど、こうまで泣かれてしまったら面倒を見るしかないか。  結局、私は泣き止むまで屋上でネギをあやしていた。 ネギ先生が泣きながら明日菜に抱きついているのを私の目は捉えていた。 「うん、どうやら無事みたいだな」  私のいる場所は学園を見渡す展望台。弓を左手に下げて数キロ先の光景を私は見ている。  私の特技の一つ『千里眼』だ。目に魔力を通して、元々良い視力をさらに魔力で水増ししたものに過ぎなかったはずなのだが、吸血鬼化のせいかランクが上がり、透視や霊視もできるようになっているのは凄いと思う。もう、魔眼の一歩手前だろうなコレ。  師匠がこの騒動の首謀者ということはすでに分かっていること。ならば私としては表ざたにならず、死人、怪我人を出さずに事を終わらせることだ。そう考えて夜の街を弓片手に見回りして、ついさっき、ネギ先生と師匠の戦闘を発見、射線の取れる展望台に陣取った。 魔法の矢や、中位精霊召還による分身などネギ先生の見習いとは思えない魔法を師匠は魔法薬を触媒に巧みに捌いていた。で、捌き切れず師匠が学生寮の屋根に降りる。 決着はついた、師匠の勝ちで。待機していた茶々丸さんがネギ先生を押さえ込み、形勢はあっさり逆転。師匠が血を吸って終わりだと思った。 そこに明日菜がつっかかり、師匠が暴発しそうになったときに投影した矢による超長距離狙撃を実行、意外な幕切れに驚きつつも両者の頭を冷やさせて今に至る。 「無益な争いを止めてくれたことには感謝するぞ志保。おかげで私も冷静になれた」  ジェット噴射の茶々丸さんから展望台に降りた師匠の一言目がこれである。左の頬が赤くなっているけど明日菜に飛び蹴りをくらったからだ。 「礼はいらないですよ。私が勝手にやったことですから。それに、今日は師匠になんでこんなことをしているのか聞きたかったところです。やるならやるで一言欲しかったですよ」  とたん師匠の表情がふて腐れたものに変わる。危険な兆候だ。けど、こればかりは譲る気はない。  師匠もそのことに気が付いたのか「ふう、やれやれ」なんて言って近くのベンチに腰を下ろした。茶々丸さんはいつものように師匠の傍に立ち、控えるかたちに。 「私がこんなことをやっていると知ったら志保、お前は止めていただろう?」 「うん、止めていた」  即答。師匠がネギ先生の血を吸うという形で今回の事件を終息させようと傍観はしたけど、基本的に誰かが傷つくのは良くない。今も何でもっと早く気が付かなかったかと自己嫌悪している。 「即答か……らしいと言えばらしいな。だが、お前のやっていることは剣も幸福も両方取る甘い考えだぞ。その様ではこの先の永劫に近い時間を生きてゆけるか?」  師匠は怒ってはいない、いつもの冷笑もない。ただ淡々、そして容赦なく言葉を紡いでいるだけだ。これは本来なら相当に胸にくる重い言葉だろう。けど、想いはすでにある。 「私はわがままなんです。他者の幸福は大切ですけど、同時に自分も幸福になる。そのために『俺』は剣を取るんです」  これは割と最近の誓い。いつどこで誓ったか定かではないが、大切なもの。師匠でも譲れませんよ。 「……呆れた奴だな」  げんなりと音で表現するならそんな感じで師匠はうなだれた。 「こんなわがまま野郎ですけど、改めてよろしく師匠」 「まったく、お前のような奴は危なっかしいと相場は決まっている。いいだろう、周りを安心させるためさらに鍛えてやるさ。そうすればもっと面白い存在になりそうだからなお前は」  握手。私と師匠の白い手が繋がる。  でも、まだ話は終わっていない。 「それで、最初の質問に戻りますけど何でこんなことをしているのです? こっちから見た限りではネギ先生のお父さんに呪いをかけられて、それを解くのに先生の血が必要みたいですけど」 「うぐ、聞いていたのか?」  急激に渋顔になる師匠の顔。 「いや、唇の動きから会話を読んだだけ」 「読唇術か、無駄に器用だな」  師匠の嫌味はいつものキレはない。明らかに動揺している様子。  さっき、屋上で師匠がネギ先生に言ったこと。過去、高名な先生のお父さんに敗れて、魔力を極限まで封じられ、さらに学校に通い続ける呪いを受けたのだとか。以来十五年間、師匠はずっと女子中学生を続けている。  その呪いを解くには血族であるネギ先生の血が必要なのだとか。 「でも、単に自由になりたいからだけですか?」 「な、何のことだ?」 「いえ、何となく。茶々丸さんは何か知ってますか?」 「はい、志保さんがお察しの様にマスターはネギ先生のお父様『サウザントマスター』に好意を……」 「黙れ茶々丸、む、志保、お前も微笑ましいものをみるような目を向けるな! 八つ裂きにするぞ!」  言葉の内容は物騒だけど、言っている本人が顔を赤らめていては迫力がない。  行動の甲斐なく、今夜のことでネギ先生と師匠の対立は始まったのだろう。けど、どちらに転んでもそう悪い結果にならないような気がする。これは『対立』であって『敵対』ではないのだから。  花は風に散り舞い、夜に飛ぶ鳥は無く、満月だけが魔法使い達の夜を見ていた。「うー、何で私が呪符作りなんかしないといけないの」 「これも契約のうちですからね。しかし面白いですねこの呪符という補呪具は」 「呪的に意味合いが強い紙と墨を使っての簡易儀式魔術。陰陽師はこれが無いと話にならないと聞くけどね」 「凛の持っている宝石みたいなものですね」 「似て非なるものとは思うけどね」 「姉ちゃんたちー昼飯できたでー」 「ああ、コタローですか。分かりましたもう少しで終わりますのでチグサにはそう伝えてください」 「おう、早く来いよなー」 「……ふふっ」 「セイバー、馴染んでるわね」  出席番号32番 衛宮          第8話 Crimson Air 「こらーっ! ネギ坊主もう八時よっ! いーかげん起きなさい!」  登校準備で制服を着ているとき、隣の部屋からそんな大音量の声が聞こえた。  部屋から出てみれば、嫌がるネギ先生を無理やり部屋から引っ張り出している明日菜の姿が見えた。 「おはよう、木乃香これはどうしたんだ?」  二人は他に注意が向いていないので、近くで様子を見ている木乃香に聞いてみる。 「おはよう、シホ。なんかな、ネギ先生登校拒否みたなんや。よほど怖い目にあったらしいんけどな」 「——そうなんだ。大変だな先生は」  師匠に血を吸われたことがよほど怖かったんだなー。明日菜に担ぎ上げられるネギ先生の暴れぶりはお化けを怖がる子供そのものだ。 「(ごめんな、ネギ先生)」  明日菜に担ぎ上げられたまま登校するネギ先生に私は心の中でひっそりと謝っていた。 「みんな、おはよーーっ!」 「あーーん、ま、まだ心の準備が……」  努めて明るく教室に入る明日菜と、それに引っ張られて泣きながら教室に入らされるネギ先生。生徒に引っ張り込まれる登校拒否の先生というのも珍しいな。  そんな所感を持ちながら、私も教室に入る。教室には佐々木さんが登校していて、どうやら無事のようだった。師匠のことだから大事ないと思っていたけど、大丈夫のようだ。 「えみやん、おはよーアル」「志保殿、おはようでござる」  期待に満ちた目で私に声を掛けてくる古さんと楓。手には既に中華まんが握られている。超さん謹製の中華まんだ。 「一応、あれから改良を加えてみた。今度はどうだろうか?」  二人に紙袋を渡す。中身はもちろん中華まん。歓迎会のとき、四葉さんや超さんの料理に対抗心をくすぐられ、時折こうして二人に試食をしてもらっているのだ。 「はぐ——んー最初のときもおいしかったアルが」 「腕を上げているでござるな」  中華まんをほおばる二人は幸せそうな表情を見せている。うん、これだけでも作ってきた甲斐があるものだ。できれば師匠にも食べてもらいたいけど今は席にいない。 「(学校に来てはいるのだけど、授業に出る気はないみたいだねー)」  師匠にしてみれば、何百年も生きてきた身で今更二十年も生きていない子供と一緒にお勉強する気は起きないのだろうな。それでも十五年は持った方だと思うけど。 「えみやん、おかわり!」 「お願いするでござる」 「二人とも、授業はじまるって」  不安は抱えていても日常はある。今日も授業の始まりを告げる鐘が鳴る。  授業中のネギ先生は教壇に突っ伏して、ため息を連発、ひどく落ち込んでいる様子だった。そして時折、 「(……おいおい、ネギ先生って本当に十歳か?)」  ひどく熱っぽい視線を生徒たちに向けていた。それはもう十歳という年齢を考えさせない艶っぽい目でだ。向けられているみんなも顔の表面温度を上げていた。 「な……なんかネギ先生の様子おかしいよ」 「う、うんポーッとした目で私達を見て……」 「あんなため息ばかり」  この会話をきっかけに教室中がザワザワと小声で言葉が飛び交った。主な話題は春休みのパートナー騒動。真相は違うのだが、未だにみんなは恋人探しのためだと思っている。 「センセー、読み終わりましたー」 「えっ!? は、はいご苦労様です和泉さん」  ここまで教室が騒がしかったのにネギ先生は気が付いていなかったようだ。よほど師匠のことを思いつめているのだろう。  だからなのか、彼が次のセリフを喋ってしまったのは—— 「えーと、あの、つかぬ事をお伺いしますが……和泉さんはパ…パートナーを選ぶとして10歳の年下の男の子なんてイヤですよね」 「「「なっ」」」「「「えええーっ」」」  ネギ先生としては何の気なしに話しかけた程度なのだが、A組のみんなにとっては先日のこともあって衝撃の発言になっている。人の事は言えないけど良く考えてから話そうよセンセー。 「そ、そんなセンセ、ややわ急に……ウ、ウチ困ります。まだ中3になったばっかやし……」  案の定、和泉さんは赤面して慌てだしているし、隣の宮崎さんも顔を真っ赤にしている。 「で、でも、あのその……今は特にその……そういう特定の男子はいないっていうか…」  和泉さんの言葉は混乱で支離滅裂になっている。 「はあ……宮崎さんはどうですか?」 「へっ……ひ、ひゃはいっ!」  これまた何の気なしに隣の宮崎さんに話を振るネギ先生だけど、彼女は和泉さん以上に舞い上がっているし、緊張している。 「(おお、のどかチャンスー!)」「(言うのよ『私はOKです』って!!)」  応援されているし。そうかー宮崎さんネギ先生のことが好きなんだな。 「わ……わわ私は——あの、オオ、オケッ「ハイッ! ネギ先生!! 私は超OKですわ!!」はぅぅぅ」  思い切って言おうとしたところで雪広さんに割り込まれた。趣味ではないのだけど、なんか私も応援したくなるな宮崎さん。  さらに割り込んだ朝倉さんに、20人以上のおねーさんから選り取りみどりと言われて焦ったり、チャイムが鳴って去り際に思い切りため息をついたりしたネギ先生。本当に応えているみたいだ。  その様子を見ているみんなが一様に心配している。愛されているなネギ先生。 ただ、愛し方に問題があるみたいで、ネギ先生を追いかけた明日菜の「パートナーを見つけられなくて困っている。見つけられないとやばいことになる」の発言に王子の悩みだー、私がパートナーになる! 等など、大胆な発言が連発されるのはどうかと思う。 「(よく考えてから発言しようね、君たち)」  私は女の子の集団の恐ろしさを再認識すると同時に、他人事ながら彼女たちの将来を心配してしまった。  4月に入って日が長くなってきた。とは言っても、放課後になると日は西に傾き、赤い空には巣に帰るカラスが見える。 「えっみー、次いくぞー」  影が長くなっている弓道場に響く部長・霧矢さんの声。 「はい、ですけどこれで終わりにして下さいよ」 「分かってるって、それー」  全然分かっていない声で、霧矢さんがそれを投げる。  それは弓の的。数は三つ。弓はすでに構えられており、八節の内で離れと会を待つばかり。空中を舞う三つの的全てに中りのイメージが見えた。  ——会。  イメージが持てた時点で中りは決まりきっていた。 「うおっ! えっみー達人ー!」  霧矢さんの声をきっかけにどよめくギャラリー。中を舞う三つの的を一矢で射抜いたのだが、むろんこんな曲芸は学校の弓道でやっている訳はない。 「はい、新入生のみんなーこの絶技を堪能したかーい? これに憧れをもったかーい? なら入部届けにサインを急げー」  霧矢さんがギャラリーの前に入部届けのプリントをヒラヒラさせる。  つまり、入部勧誘のためにこんなパフォーマンスに付き合っているのだ。今日見学に来た新入生は二十人、男女比では男五人で女十五人と圧倒的に女の子が多い。ふと、毛色の異なる視線を感じて入り口を見ると師匠と茶々丸さんの姿が見えた。 「師匠、何か御用ですか?」  取り囲む人垣を押しのけて師匠のところに行く。霧矢さんが手伝ってくれたのでギャラリーはすでに近くにいない。これで魔法に関することを言っても問題はないだろう 「いや、用というわけではない。志保、ここに妙な魔力を感じなかったか?」 「いいえ、私以外はこの部には魔法使いはいませんし、残留している魔力も……うん、ないですね」  弓道場を見回して魔力を走査。うん、魔力は感じない。 「そうか、ここも違うか。チッ、力を封じられているから細かな走査が出来やしない」 「仕事ですか師匠?」 「ああ、結界内に入った侵入者がいるのだが反応が小さい上に、すばしっこくてな」  師匠はこの学園都市の結界内に封じられており、そこで学園長に私と同じ警備員の仕事をさせられているのだとか。結界に侵入する侵入者を撃退したり、こうして捜索したりするのが師匠の仕事だ。 「手伝おうか?」  警備員の仕事は私の仕事でもある。それに師匠、弟子以前に女の子は助ける。そんな意識が自分にはある。だから自然とこの言葉が出てくる。 「いらん。感じたところ、そう大した相手じゃない。私たちで十分だ」 「いいの?」 「しつこいぞ。師匠がいらんと言っているのだ」  強く声に出して踵を返す師匠。茶々丸さんもこれに従う。こっちも無理についていく気はない。でも、聞いておくことはある。 「師匠、ネギ先生の血はどうしても必要なのですか?」 「その話か。ナギにかけられたこの妙で忌々しい呪いを解くにはナギと同等かそれ以上の解呪の魔法が必要だろうよ。そのために息子のネギ・スプリングフィールドの血が大量に必要だ。前も言っただろう?」  振り返りもせず師匠が激突は必至だと言った。確かに師匠にかけられている術式は私程度では解けるものではない——でも、それが魔法・魔術なんて曖昧なものである限り完全に『破戒』できるものはある。  モノはあるのだが、ネギ先生のお父さん『サウザントマスター』がどんな想いで師匠にこの呪いをかけたか推測してみるに安易に使う気にならない。 「ネギ先生は殺さないんですね?」  だから、聞くのはこれだけ。 「女子供は殺さない主義だ。それを曲げたことはこの六百年一度もない。それに、ボーヤにも少なからず興味はあってな。志保が心配するようなことはありはしない」  首だけをこちらに向けて私の目と視線が合う。昨夜のように。 「そうですか。師匠の考えは分かりました。手伝う気はしませんが、邪魔はしませんし誰かに邪魔もさせません。それでいいですか?」  本当は止めたい。止める事も出来るだろう。けれど、それは気持ちをねじ伏せることだ。誰にも否定できるものではない。 「ああ、いいだろう。これは私の問題だからな、私で解決することだ。邪魔者を払ってくれるのならむしろ感謝すべきか?」  足を止めた師匠が今度こそ歩き去っていく。その小さな背中にかける言葉は一言。 「師匠、気をつけて」 「ふっ、この件が片付くまで鍛錬は自主的にやってろ。後で試験を出すからな。こなせないと言うなら『弄るぞ』」  去り際の言葉が怖かったけど、師匠の言葉に嘘はなく、澄んだものだった。 「何をやっていたかと思えば、『元気付ける会』ねえ」  ネギ先生の部屋で明日菜達の夕食を作りながら夕方に起こったネギ先生拉致、強制的に『ネギ先生を元気づける会』に巻き込んだ事を聞いていた。  お祭り体質のA組のみんながまたも暴走して、大浴場で水着パーティーを開催したのだ。少々混乱があってそのまま解散となったようだが、A組の弾けぶりを端的に表す出来事だろう。 「ですが、みんなのお陰で元気がでましたよ」 「ネギ、その言い方はちょっと誤解をまねくわよ」  テーブルに座るネギ先生は純粋にこのことを喜んでいるようだけど、明日菜の言う通り物の言い方には注意したほうがいい。後それと、 「そこのタバコ臭いイタチってネギ先生のペット?」  私が指差すところに白い小動物。外見はぬいぐるみみたいな愛らしいイタチ科の動物。けど魔力が感じられるところをみると、使い魔か魔獣。それになぜかタバコ臭い。イタチのクセに愛煙家ってどうよ? 「ええ、カモ君って言います。さっきみんなに紹介しました」  どうりで、さっき騒がしかったのはこの白イタチのせいか。 「はい、今日は和食でまとめてみたよ。木乃香、お皿運ぶの手伝ってくれ」 「うん、ええよ」  次々テーブルに並ぶ料理。今日は春野菜が安かったからそれを中心とした献立になっている。ただ、調理中イタチから出てくるタバコの臭いが鋭くなっている嗅覚を刺激して味付けに不安はある。まったく、料理人とタバコの相性は最悪だというのにこのイタチときたら……  ちょっと皮を剥いで三枚に下ろしてやろうかしらん? んでもって、シチューの具にでもして師匠の食卓に提供してやろうかな。師匠は珍しい物が好きみたいだし、喜んでくれるかな……フフフ  ——びくぅぅぅ!! 「? カモ君どうしたの?」  感付いたか。あー、いかんな。最近師匠に影響されたのか考えが黒いよ。反省、反省。ネギ先生の『ペット』なんだし、手を出しちゃだめだ。それより、今はご飯をみんなに味わってもらおう。 「さて、ではいただきます」 「「「いただきまーす」」」  643号室の遅めの夕食が和やかに始まった。約一匹を除いて。  表面上、少なくともネギ、木乃香、明日菜にとっての夕食は和やかに終わったが、オコジョ妖精アルベール・カモミールにとっては衛宮志保から感じられる捕食者の気配に怯え、弱肉強食の恐怖を味わった食卓だった。 (な、何モンっすかこの人? 俺っちを食べるつもりっすか? あ、兄貴助けてこの人怖いっすよ)  胃に穴が開くようなストレスが食事を終えるまでカモを襲っていた。けれど助けを目で求められているネギはというと、 「あ、カモ君どうしたの? もしかしてこの春菊が食べてみたいのかな?」  相棒の危機を全く理解していなかったりした。 あの白イタチ、もといオコジョのカモミールが来て次の日は私にとって平穏に流れた。騒がしいA組ではあるけど、ネギ先生も立ち直って『元気づける会』が効いて良かったと喜んでいる気配がする。  放課後、弓道部の活動も終えて私はまっすぐ寮へとは向かわなかった。教会の裏でまだやることがあるからだ。 「茶々丸さん、猫缶なんだけど『猫大爆走・すーぱーきゃっつ(かつお味)』といので良いんだね?」 「はい、この皿に移して下さい」  ——にゃー にゃー にー ふにゃー  茶々丸さんを中心に近所の野良猫たちが集合している。師匠のところにお世話になってしばらくして分かったけど、茶々丸さんはいい人だ。初等部の子供たちに大変好かれ、商店街の店主、ご老人、およそ街に住んでいる人間で茶々丸さんを嫌っている人は居ない。まさに街の人気者。それは人に限らずこうして動物たちにも通じている。 「ほら、ご飯だぞ」  猫缶の中身を茶々丸さんが用意したプラスチックの皿に移す。あっという間に猫が群がり、賑やかな食事になる。不思議なのはケンカにならないところだ。これも茶々丸さんの雰囲気がなせることなんだろう。 「茶々丸さん、凄いね。街のみんなに好かれているよ」 「いえ、志保さんも一ヶ月前にこちらに来たとは思えないほど学園都市に馴染んでおられます。そちらの方が凄いと思いますが」  商店街のみなさんと顔見知りになったことを言っているのだろう。でも、茶々丸さんに比べるとまだまだだし、自分に出来ることは彼女に比べると少ない。 「私なんて未熟者だよ」  茶々丸さんのように子供に好かれる自信は無い。動物たちにここまで好かれる自信もない。軽く手近にいた三毛猫を撫でようと手を伸ばすが、  ——ふーっ!  ——バリ  引っ掛かれた。 「志保さん、大丈夫ですかっ!? その子は気性が荒いから気をつけて下さい」  やはり私は未熟者だ。復元呪詛を引っ掛かれた手に集中させ、一秒とかからず傷口は塞がる。この程度なら血の渇望も湧かないから問題ない。 「だめですよ。この人は私のマスターの弟子ですので失礼を働いてはいけません」  茶々丸さんは私を引っかいた三毛猫に諭すように淡々としかる。しかも凄いことに叱られた猫が申し訳ないような態度を見せているのだ。  茶々丸さんには敵わないだろうな。そんなことを考える放課後だった。 「(茶々丸って奴の方が一人になった! チャンスだぜ兄貴!! 一気にボコッちまおう!)」 「(だめー、人目につくとマズいよ。もう少し待って!)」 「(な、なんか辻斬りみたいでイヤね。しかもクラスメートだし)」  喋るオコジョ・カモミールが来て三日目。明日菜とネギ、カモミールの二人と一匹は対立関係にあるエヴァンジェリンのパートナー茶々丸を尾行していた。  ここに来る経緯はかなり紆余曲折があり、当初カモミールの勧めでクラスの宮崎のどかがパートナー候補となり、実際にパートナーとするための仮契約を結ぶところまでいったところで明日菜に阻止された。契約方法の実態(方法・キス)とカモミールがネギのところに来た真相(逃亡犯・罪状女性下着専門の窃盗)を知ったためだ。  それでもどうしてもパートナーは必須。そこにまたカモミールの提案で明日菜とネギが契約してエヴァンジェリン、茶々丸の内どちらかを二人がかりで攻撃することになった。で、いざ契約。なのだが、明日菜が恥ずかしがってかキスの場所が本来の唇から額になってしまった。これでは契約は中途半端、でもカモミールは強引に契約。早速二人を探して今に至っている。  二人のターゲットである茶々丸はマスター・エヴァンジェリンが学園長に呼ばれて自身一人で帰ることになった。去り際のマスターとの話でネギに助言者が現れ、場合によっては危険だという警告をされている。  だから現在、人目につく可能性が多い通りを歩いて目的地に向かっている。マスターは知らず、その弟子だけが知る場所に。 「(もうそろそろあの子達がお腹をすかせている頃ですね)」  気が急いていたのだろう。茶々丸は自身を尾行する存在に気が付くことはなかった。 「……(ホロリ)」 「……いい人だ」  茶々丸を尾行して三十分ほど。鐘のなる教会の裏手でネギと明日菜は彼女の人格の高潔さに感動していた。  なにせ、子供の風船を取ってあげたのを初め、初等部のお子様に好かれ、近所のご老人を助け、川に落ちた子猫も救い、さらには教会の裏で現在、野良猫達に餌を与えているのだ。その光景は美しく、教会というシチュエーションもあって『慈愛の聖母様』なんて言葉が二人の脳裏に浮かぶほどだった。 「ちょっ……待ってください二人とも!! ネギの兄貴は命を狙われたんでしょしっかりしてくださいよう!! とにかく、人目のない今がチャンスっす。心を鬼にして一丁ボカーっとお願いします」  一人冷静なカモミールが二人に突っ込みを入れる。 「で、でもー……」「……しょーがないわねー」  我に返った二人が渋々と物陰から出て茶々丸に向かっていく。 「(よっしゃ! これで真祖に一泡吹かせられるぜい)」  二人を見送りながらカモミールは心の中でガッツポーズをとっていた。教会の鐘楼に誰がいるとも知らずに。  夕刻を告げる最後の鐘が鳴った。日は完全に傾き、空は茜に染まる。  猫たちは茶々丸に与えられた餌に満足して一匹、二匹と去っていく。彼女は皿を回収するなどの片付け。今回助けた子猫が彼らに新しく仲間入りして今後猫缶の消費量が増えることに思考回路を回していたが、突如の警報。  警告方向、六時方向。振り返る。  二人は無言で立っていた。とりあえず、礼節をプログラムされた茶々丸から挨拶をする。 「……こんにちは。ネギ先生、神楽坂さん」  屈んでいた状態から立ち上がり、後頭部の発条を外す。これで戦闘プログラムが起動した。ネギ・スプリングフィールド、神楽坂明日菜。現在、マスター・エヴァンジェリンの目標であり、対立者。マスターにとって対立者ならば、茶々丸にとっても対立者になる。そこに例外はない。 「……油断しました。でも、お相手はします」  本当に油断。彼女の思考回路の大半は先ほどまで猫に大部分を裂いていて、警戒がおろそかになっていたのだ。そこをネギが突いたのは全くの偶然だった。 「茶々丸さん。あの……僕を狙うのはやめていただけませんか?」 「……申し訳ありませんネギ先生。私にとってマスターの命令は絶対ですので」  ネギの要望に対する茶々丸の答えは明白。ドール契約を結ぶ主従は絶対。そこに第三者が挟まる余地はないのだ。 「ううっ……仕方ないです」  気弱ながらもネギはことを始める。 「(ア、アスナさん……じゃ、じゃあさっき言ったとおりに…)」 「(うまく出来るか分かんないよ)」  小声で軽く打ち合わせ。茶々丸さんと戦う際の段取りと手段をここに来るまでに考えていたのだ。 「……では、茶々丸さん」「……ごめんね」 「はい。神楽坂明日菜さん……いいパートナーを見つけましたね」  交わされる言葉は最終局面。あとはドミノ倒しのように終わりに向かう。両者すでに戦闘態勢。夕日、魔性に出会う時間に魔性の戦いが始まる。 「行きます!! 契約執行10秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!!」  紡がれた言葉、流れ込む魔力に明日菜の身体能力は急激に上昇する。こちらに向かってくる茶々丸の速度が遅く見える。体が羽根より軽く動く。  契約の十秒間、明日菜は人体の出せる限界をリスク無く超えていた。  その間ネギは、 「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……」  呪文の詠唱に専念できる。前衛の従者、後衛の魔法使い。シンプルながらも確実かつ汎用性の高い魔法使いと従者の戦法がここにあった。  弾きあう腕。明日菜と茶々丸、お互いの初激はかみ合うことなく弾き合った。すぐに茶々丸が反対の腕を繰り出そうとするが、それを封じられて額にデコピンともつかない打撃をくらう。 「はやい! 素人とは思えない動き」  明日菜の身体能力が高いことはデータにあった茶々丸だったが、戦闘の際の体の使い方が妙に手馴れているのは予想外だった。戦闘慣れしていない隙を突き、明日菜を撃破、続いて魔法を唱え終わらないネギを撃破というのが茶々丸の立てた作戦シュミレートだったが、根底から覆された形になる。  明日菜のバタつきながらも繰り出す前蹴りを受け流し、ふと横を見ると魔法詠唱をほぼ終わらせたネギがいた。 「光の精霊11柱……集い来たりて……」  ためらいがこれ以上の魔法行使を止める。教師として教え子を傷つけるのは論外だという気持ちと、魔法使いとして吸血鬼に狙われる恐怖がネギの中でせめぎ合っている。 『兄貴!! 相手はロボだぜ!? 手加減してちゃダメッス。ここは一発派手な呪文をドバーット!!』  脳裏にはカモミールの言葉。言葉は軽薄だけど、確かに手加減できる状況でもない。それがネギを後押しした。 「魔法の射手 連弾・光の11矢!!」  魔法が始動した。術者の意思を受けた十一本の光の矢は鋭角的な軌道を虚空に残し、目標である茶々丸を破壊すべく殺到する。  このタイミングでの回避手段、防御手段は茶々丸には存在しない。計算される被害は甚大。自身は壊れる[死ぬ]と茶々丸は理解した。 「すいませんマスター。もし私が動かなくなったらネコのエサを……」  ネギの方でもこれは予想外。想定以上の威力が『魔法の射手』に宿ってしまった。これでは茶々丸を殺してしまうと思い、とっさに矢を戻そうと——  ——ドドドドドドドドドドドン  響く轟音。弾けた魔法の矢が跡形もなくなる音が三人の耳に届いた。 「え? 一体何が?」 「魔法の矢が消された?!」  ネギは一瞬茶々丸が何らかの防御手段を取ったかと思ったが、それも茶々丸が呆然と立っていることで違うと分かる。  魔法の矢が消えた後にあるのは『矢』だった。それも、魔法の矢のようなものではなく、実体を持つ黒塗りの矢。それが地面に突き立っていた。 「これって、この間の?」  明日菜には見覚えがあった。初めてエヴァンジェリンと茶々丸と対峙した時にどこからとも無く飛んできた矢だ。それが今はまるで茶々丸を守るように地面に突き立っている。 「茶々丸さん。ここは私に任せて退避して」  声が聞こえる。それも、二人には聞き覚えがあるものだ。 「……了解しました。お気をつけて」  茶々丸がスラスターを展開、そのままブースタージャンプでこの場を去っていく。 「えっ? あ、待ちなさい!」  明日菜が思わず茶々丸の後を追いかけようとするが、 「させない——投影開始[トレース・オン]」  ——ドカ ドカ ドドカ 「きゃぁぁぁぁ!」 「アスナさん!」  虚空から長さ2メートル以上はある巨大な刀が数本現れ、明日菜を取り囲むように突き立った。完成するのは剣の牢獄。 「兄貴!」 「カモ君! これはどういうことか分かる!?」  物陰に隠れていたカモミールが飛び出してきた。どういう状況か分からない以上、味方は固まっていたほうが良いだろうと思いネギに近づいたのだが、状況はさっきよりまずいのかもしれないとカモミールは感じる。 「分からねぇ。ただ、茶々丸に増援が来たみたいだぜ」 「それって、エヴァンジェリンさん?!」 「違うだろうな。多分、俺っち達の知らない誰か……」 「うぅぅん、これは!? ネギ?」  明日菜が剣に囲まれた状態で気が付いた。剣と剣の隙間は腕を一本出せる程度。それがどこの隙間も一緒で等間隔なのだ。 「アスナさん、ケガは無いですか?」 「あ、うん。それよりこの剣なに?」 「兄貴、この剣マジックアイテムみたいですぜ。この囲みから姐さんを出すのはちょっと骨っすよ」  状況の急激な変化に二人と一匹がしばらく右往左往しているが、いち早くネギが、 「こうなったら、僕一人だけでも茶々丸さんと戦ってきます! アスナさんはここで待って……」 「それもさせない——私に触れぬ[ノリ・メ・タンゲレ]」  また声が聞こえ、今度は赤い布がどこからともなく現れネギを包み込み、優しくそれでいてしっかりと拘束した。 「わ、わぁ!」 「兄貴!」「ネギ!」  二人とも赤い布に包まれたネギに悲鳴のような声をかけたが、バランスを崩して転んだこと以外ケガ一つなかった。 「だ、大丈夫です。それにこんな布なんか——ラス・テル・マ・スキル・マギステル……ってあれ? 魔法ができない」  魔法で布を解除しようとしたけど布はびくともしない。 「無駄です。マグダラの聖骸布は男性の拘束に関しては絶対的ですから」  また聞こえる声。今度は方向が分かった上、教会の鐘楼の場所。二匹と一匹は同時に見上げる。 「……嘘」 「こんなことって……」  そこに赤い少女がいた。赤い外套に身を包み、赤い瞳でこちらを見下ろし、白い髪を風にたなびかせている少女は二人の共通認識の人間だ。  ネギにとっては生徒として。明日菜にとっては一番新しい友人として。 「「志保(衛宮さん)!?」」 「そうです。ごめんなさいネギ先生、明日菜」  そう言って、鐘楼から飛び降りる。高さにして三階分はあったはずだが、志保は命綱なしで難なく飛び降り、カツンとだけ音をたてて着地。二人の前に降りた。 「どうして志保が茶々丸さんを助けるの?」 「そうです。それに、衛宮さんは魔法使いだったんですね?」 「やいやい、白坊主。兄貴たちをどうするつもりだ!!」  三者三様の問いかけが一度に志保にぶつけられたが、彼女は顔をしかめることなく答える。 「そうだね、まずはネギ先生の問いに答えるのならYes。私は学園長の依頼を受けてこの学園で警備員や退魔師の真似事をして生計を立てているよ。明日菜は魔法使いであることは知っている」 「本当ですか、アスナさん?」 「ええ、転校初日でちょっとね……でも、それならなんで茶々丸さんを助けるの? 茶々丸さんはね……」 「知っている。吸血鬼騒動の共犯者。犯人はエヴァンジェリンだろ?」  志保の言葉にあっけにとられる明日菜。でも、すぐに思い当たる。あの時の矢だ。 「じゃあ、なんで?」  だから問いかける言葉はこれだけ。これだけで十分。志保も明日菜の言葉を正しく理解して答える。 「エヴァンジェリンは私の師匠だからね。従者の茶々丸さんが壊れて悲しむ顔は見たくないんだ。それに茶々丸さん自身のことも気に入っているからね」  赤い瞳を細めてにっこりと嘘偽りなく志保が答えた。対して二人と一匹はというと、 「エヴァンジェリンさんが——」 「……師匠?」 「なんの悪夢っすか……」  驚きの声を上げる気力もなく呆然としていた。 「まあ、不肖の弟子なんだけどね。師匠に似ているところは吸血鬼だってところだけかな?」 「「「……うそ」」」 「ホント、ホント。ほら牙だって」  可愛らしく「いー」と牙を見せる志保だが、もう三者は反応する気力もない。 「で、最後にカモミール君の質問だけど……時間は稼いだしそろそろいいかな——投影解除[トレース・アウト]」  志保の一言で明日菜を取り囲む剣の檻は消えて、ネギを包む赤い布は消えてしまった。自由を取り戻した二人が訝しんだ表情で志保を見る。 「どういうつもり志保。エヴァンジェリンの弟子ならネギを捕まえたりしないの?」 「しないよ。私はあくまで弟子、従者ではない。今回の騒動にしてみれば第三者と見ていいかも」 「だったら何で俺っち達の邪魔をするんでぃ! いい加減なことほざくとしばくぞコラ!」  どこからともなく釘バットを出して威嚇するカモミール。 「そうだね。私はどちらにも傷ついて欲しくないからこんなことをしている。どっちにも加担する気はないから。それに師匠や茶々丸さんはこのことは承知している。今回は茶々丸さんが危ないから妨害させてもらったけどね。納得?」  志保の言葉をネギと明日菜は戸惑った表情で受けた。未だカモミールのテンションは上がっているけどこれは無視。 「よく分からないのですけど、どうしてそんなことをするのですか?」  ネギはクラスの二人目となる吸血鬼の少女に問いかけた。 「簡単だよ。私にとって、師匠とか、敵味方とか以前にA組の仲間なんだから。仲間が傷つくのは見たくない。それに、ネギ先生が教え子を傷つけるところを見たくない。理由はこれで十分だろ」  ネギの問いかけに志保はあっさりと何を当たり前のことをと答えた。これには二人はしばらく目を見張り、言葉がでなかった。 「じゃあ、夕食の仕込があるからもう行くね。今夜はカレーの予定だから楽しみにしていることー」  まるでさっきのことが嘘幻だったみたいに志保はいつも通りの言葉を喋ると、外套と髪を翻して教会の向こうにテコテコ歩み去って行った。 「一体なにが、どうなっているのよ」  明日菜の口から漏れた言葉にネギもカモミールも答えることができなかった。  気が付けば日はとっくに沈み、西の空に星が光っていた。  翌日、志保は学園長に呼び出されていた。 「衛宮君、吸血鬼事件のことは知っておるな?」  切り出したことはやはり吸血鬼事件のことだった。 「ええ、学園長のことですから犯人のことも知っているのでしょう?」  最近の私はこの学園長があらゆることの黒幕に思えて仕方がない。 「無論じゃ。昨日おぬしの師匠に派手に暴れるなと釘は刺しておいたがの、さてどこまで通じることやら……」  とぼけたような口調で返す学園長。そっか、昨日茶々丸さんが一人だったのは師匠が呼ばれていたせいか。それで、犯人を知っている学園長はどうする気なのだろうか? 「それで話なんじゃがな、ネギ君とエヴァンジェリンの対決に手を出さないでくれんかの?」 「手を出さない、ですか」  少し意外な内容……でもないか。よく考えてみればこの学園の裏の顔は魔法使いの拠点。師匠が半年前から暴れているのに未だ魔法使いに動きがないのが不自然だ。 クラスにいる刹那や龍宮にも動きが見られないところを考えると、学園長が情報を出していない上に、知っている者にはこうして言い含めているのだろう。 「理由を聞いていいですか?」 「なに、これもネギ君に出す課題じゃよ。最盛期ではないが吸血鬼の真祖であるエヴァンジェリンと対決をするという、な。あやつはナギ、『サウザントマスター』を好いておったからの、ネギ君に固執するのも予想できたことじゃ。二人が対決するのも必然じゃろ。水を差すのもどうかと思うしのぅ」  なるほど、魔法使い見習いであるネギ先生に与える試練といったところか。にしても、これはちょっと趣味が悪くない? 「図書館島の事でも思いましたけど、学園長って趣味が悪いですね」 「フォフォフォ。エヴァンジェリンからも言われておる。師弟そろっていわれたのう。フォフォフォ」  魔眼クラスの眼力で睨んだのに全くこたえた様子がない。本当にタヌキな爺様だ。底が知れない。 「用件はそれだけですか? でしたら部活に行きたいと思うのですけど……」  学園長は嫌いではない。むしろ好人物とは思うのだが、時折こうした悪質な茶目っ気はいただけない。クルリとまわれ右。 今回の事は元より手出しする気はない。昨日は茶々丸さんと一緒にネコの餌をやろうとして見かけ、危なかったから助けたのだけど、もしかしたら私が居なくても何とかなったのかもしれない。まあ、見てしまったのだから見ない振りなんて出来なかったのだけどね。 「待ってくれんかの、まだ一つ用件があるのじゃよ」  再度まわれ右。学園長に向き合い、視線で話を促した。 「来週の火曜日なんじゃが、メンテナンスで学園都市全体が停電になることは知っておるじゃろ」  話はこうだ。この都市を覆う結界の維持には魔力ではなく、電力を用いている。一応、サブ電源にて結界は維持されるがそれでも出力が弱まる。ここを狙って敵対組織や魔物が攻勢をかけてくる可能性が非常に高く、魔法先生や魔法生徒、及び退魔師は周辺警備に駆り出されることになっている。 「この年二回の時が一番緊張するときでな、一昨年の春には魔物が数千と襲い掛かってきての大変じゃった」  学園の維持のためメンテナンスは欠かすことは出来ない。けれどそれは敵を招いてしまう。板ばさみなんだろう。 「では、私は警備に当たればいいのですね?」 「うむ、これは正規の仕事の依頼じゃ。通常の給料に加えてボーナスも付けることにしよう」  その後、詳しい集合場所、集合日時を確認した私は学園長室を辞した。  そうだ、今日は土曜日、部活の後に寄るところがあったな。差し入れでも作っておこう。 「兄貴ヤバイよ!! これでこっちに勝ち目はないって!!」  オコジョ妖精・カモミールの絶叫が寮の部屋に響く。幸い、部屋には一般人の木乃香はおらず、隣接する部屋の住人も部活等で出払っているためオコジョが喋る異常事態を見咎める人はいない。  話し合っているのは昨日のこと。ネギが明日菜をパートナーにして二人がかりで茶々丸さんを攻撃したが、途中で志保が介入、あっさり拘束されて茶々丸を逃してしまった。 「あんなマジックアイテムを大量に使いこなし、あまつさえ吸血鬼で、エヴァンジェリンの弟子とくる。三人がかりで来られたら一巻の終わりっすよ!!」  興奮で喋る口調に熱が篭っているカモミールにネギは、 「……でも、カモ君やっぱり茶々丸さんや衛宮さんは僕の生徒だし……」  生徒を信じたいがためにためらいを口にする。  実際、昨日の夜は何事もなかったように夕食を作りに来た志保。木乃香以外の一同が唖然とする中志保はいつも通りに振る舞い、何をするでもなく夕食を作って一緒に食べて、後片付けをして帰っていった。 「甘い! 兄貴は命を狙われてんでしょう!? 奴らは生徒の前に敵ッスよ、敵!!」  昨日志保が言ったこととは反対のことをカモミールは言って、ネギのためらいを一蹴する。 「でも、そこまで言うことないんじゃない? エヴァンジェリンも茶々丸さんも二年間クラスメイトだったんだよ? 本気で命を狙ったりとかまでするとは思えないし、志保に関しては……」  しばらく黙る。友人としての志保の表情、昨日見た魔法使いに関わる者としての志保の表情。それらが明日菜の中で混沌とした気持ちを呼び出す。  その影響か、部屋の中が少ししんみりした空気が流れた。 「……ゴホン、姐さんも甘甘ッスよ! 見てください。俺っちが昨晩『まほネット』で調べたんスけど……」  しんみりした空気を破るようにカモミールはネット接続している卓上の小型PCのキーをパコパコ打って、ある画面を呼び出した。  それは賞金首の手配書。手配書の写真には見慣れたクラスメイトエヴァンジェリンの顔、掛けられた賞金はゼロが六つ、単位は$。そこに斜線が引かれてすでに賞金が失効していることを示す。 「あのエヴァンジェリンて女、15年前までは魔法界で600万ドルの賞金首ですぜ!? 確かに女子供を殺ったって記録はねーが、闇の世界でも恐れられる極悪人さ!!」 「なんでそんなのがウチのクラスにいるのよ!?」  思わず明日菜は叫ばずにはいられない。まるで漫画のような冗談でも聞いている気分だった。さっきのことも考え合わせてもう明日菜の気持ちはグチャグチャで、妙にハイになっていた。  だけど、ネギはそれ以上に複雑な気持ちだった。 「ともかく、奴らが今本気で来たらヤバイッス。姐さんや寮内の他のカタギの衆にまで迷惑がかかるかも……」 「……!」  カモミールの言葉がネギの心に決定打を打ち込んだ。  そう、自分のために周りのみんなに迷惑がかかる。では、こんな自分なんて居ない方がいいに決まっている。 「とりあえず、兄貴が今寮にいるのはマズイッスよ」 「うーん、そ、そうね今日は休みで人も多いし……」  後はネギにとっては後押しの言葉に過ぎなかった。  居たたまれなくなったネギは、すばやく上着と杖を持って窓際に。 「「あ」」  明日菜とカモミールが気が付いたときには既に遅い。 「うわあぁぁーーーーん」  涙を流しながら杖にまたがったネギは、持てる魔力を飛行に全力で傾けて寮の窓から飛び出して行った。 「ネギーーーッ!?」「兄貴ーーーッ!?」  二人が叫んでもネギはもう声が届くところに居なく、あっという間に米粒大、芥子粒大、消えてしまった。 「あんたがあんなこと言うから!」「姐さんだってーー!」  数秒ギャイギャイ言い合うも、すぐに顔を見合わせて我に帰る。『こんなことしてる場合じゃない』と。 「と、とにかく追うのよ!」「合点だ!!」  部屋を飛び出した一人と一匹は、魔法使いが飛んでいった山を目指して走り出した。ただ、この後一人と一匹が山奥を這いずり回ることになるのだが、これはまた別の話だ。  部活を終え、寮に戻り準備。目標はかなり山奥に居る。装備はそこそこに固めておかないといけない。  服装は長袖のシャツ、軍隊仕様のパンツに皮のグローブ、タクティカルブーツ。その上にいつもの外套。背中にはザックを背負って、中身は差し入れ。 「よし、行くか」  森の入り口を前に気合一発。  ——同調開始[トレース・オン]  体に魔力を通し、身体強化。吸血鬼として普通でも高い身体能力がさらに上昇する。 「ふっ」  跳躍、一気に上昇、そして下降。着地した場所は木のてっぺんにある細い小枝。これで二十メートルの跳躍。  さらに跳躍、着地。木から木に道を使わず最短距離をショートカットする。自分は飛行魔法などできない。投影物で飛行ならなんとかなるものの、自力でとなるとキツイ。師匠には「一つの魔法しか出来ない奴なんだな」と言われた。  まったくその通り。私が出来る魔法は本来一つしかない。後は全部それの派生、変形に過ぎない。だからどちらの世界においても自分は異端なのだろう。 「っと、目標確認」  ちょうど目標はドラム缶で作った風呂釜に薪を入れて、風呂の準備をしているところだ。 「や、楓」 「お、志保殿。今回も差し入れでござるか」  跳躍から着地。そこが目的地。楓の修行場になる。  図書館島の一件から楓がこのあたりで修行をしていると聞き、時折ここで実戦訓練の相手になってもらう代わりに差し入れを持ってくる仲になっていた。 「うん、今日はおにぎり。具は入れてないけど大丈夫だよね」 「問題ない。魚が主だから米がありがたいでござるよ」  楓には魔法のことは話していないが、楓の方がより凄いと思う。 なにせ忍者だ。それも甲賀忍者。私の『シロウ』の部分が興奮してしまう話だ。ジャバラに戦闘機、光学兵器に興奮する訳ではないが、『俺』も男の子。忍者と聞いてワクワクしたものだった。実在の分身の術を見たときには目にきっと星が輝いたことだろう。  ともかく、夕食の準備をするためテントから鍋を取り出す。今日の食材は——岩魚にキノコ、山菜か。岩魚は新鮮だからシンプルに塩焼きに、味噌があるから山菜ときのこはけんちん汁風味かな? 「ああ、そうだ志保殿」 「ん? なに楓」 「今日は一人食い扶持が増えているでござる」 「ほい?」  後ろに気配、振り返るとそこに呆然と立っているネギ先生の姿があった。 「ああ、そういうことか。今晩はネギ先生」  丁寧に挨拶。うん、挨拶は大切だ。 「あの、え? なんで衛宮さんがここにいるのですか?」 「志保殿は図書館島の一件からここに来てくれるようになったでござる」  戸惑うネギ先生に楓が話してくれる。説明ありがとう。 「そうなんだ。楓と時折手合わせしたり、単に自然を楽しんだり、あるいは食材を調達したりね」  そう言いながら山菜を刻んで鍋に入れる。出汁は岩魚だ。この間は楓が仕留めた猪でぼたん鍋を作ったことがあったけ。  調理していると、ネギ先生が近づいてきた。 「(あの、衛宮さんはみんなに悪いことしないですよね)」  おそらく魔法関係なので楓に聞こえないように小声だ。 『念話できますから。それで話ましょう』  楓の聴覚は私よりも鋭いところがある。この距離では小声程度では聞かれてしまうだろう。 『は、はい。それで、どうなんですか?』 『しませんよ。昨日も言ったようにA組だけじゃなく、学園のみんなが傷つくのは嫌なんだ。だから私は何もしない。師匠もそうだよ』  ネギ先生と調理をしながら念話での会話。幸い、楓は風呂焚きに忙しいようでこちらに注意を払っていないみたいだ。 『エヴァンジェリンさんも? でも、15年前まで600万ドルの賞金首の極悪人だって……』  へーそれは知らなかった。でも、 『あの人は女子供を傷つける人じゃないよ。それに本当に極悪人だったら、ネギ先生の血を吸うためにもっと悪辣なことをやるよ。過去はどうあれ、今はネギ先生の生徒、だろ?』  この言葉(念)にネギ先生は驚いたような表情を見せた。 『私もその生徒だから偉そうなことは言えないけどね』 『いえ、そんなことはないです。衛宮さんのほうがしっかりしていますよ、僕なんて……』 「こーら」  ——こつん 「あう」  軽く頭を小突き、ネギ先生が可愛らしく呻いた。 「自分をそう卑下するものじゃあない」  声に出す。楓に聞こえてはいるけど、構わない。 「私はね、頑張っている人間は報われないと嘘だと思うんだ。ネギ先生は今まで頑張ってきたんだろ、それを否定することは誰にもできない。自分にもね。——さて、出来上がったよ楓。お風呂の準備は?」  ネギ先生の答えは聞かないでおく。きっとその方がいいだろうと思うから。  朝日が差す川辺の岩の上、ネギ先生は自然体で立ち、おもむろに両手で握りこぶしを作って合わせる。印を組んでいるかのようだ。  そのまましばらく、空気を切ってネギ先生がいつも持っている杖が磁石に引き寄せられるように飛んできて、彼の手に収まった。 「ありがとう、僕の杖」  大事そうに杖を抱えて、振り返る。 「よし」  朝日を受けたネギ先生の顔はとてもいい表情をしていた。 「ありがとう、長瀬さん、衛宮さん。僕……何とか一人でがんばってみます」  一言の後、ネギ先生は杖にまたがり朝の空気を切って飛んでいった。 「行ったね、楓」 「行ったでござるな」  テントのなかで一部始終を私と楓が見ていた。楓が昨夜ネギ先生と一緒にドラム缶風呂に入ったのは驚いたが、(その後色々な意味で赤面)楓が言った「壁にぶつかるのが当たり前、例え逃げ出しても情けないなんてことはない」という言葉はネギ先生に何かを与えたのだろう。今朝は本当にいい顔をしていた。  ただ、 「魔法使いって本当にいるんでござるなー。拙者も人のコトは言えんでござるが」  魔法を使っているところを見られるのはどうでしょうか、ネギ先生。 「あはは、出来ればネギ先生のために他の人に言わないでくれると嬉しいのだけど」 「心配無用でござる。拙者は口が堅いでござるから」  ニンニンと笑う楓を見て、どうしたものかと私は頭を抱えた。 麻帆良学園都市の外、結界との境にある森の入り口。ここが警備班の集合場所の一つになる。大停電の夜、私は人知れず街を守るためここにいる。  日曜はそのまま楓と一緒に森で過ごし、月曜は登校。師匠が風邪を引いたということで家を訪問したのだが、何かネギ先生とドタバタ楽しそうにしていたから、茶々丸さんにお見舞いの品(ロールキャベツとワイン)を渡すだけにした。  そして今日、ネギ先生の授業に師匠が出席した。当初ワタワタしていた先生だけど、師匠が世話になった礼と言ったら一転、大変な上機嫌で授業を進めていた。  ネギ先生や明日菜は改心したと思っているようだけど、師匠のことだ、出席したのは礼を返すため。肝心のことは徹底的にやるだろうなー。この『やる』が『殺る』ではないのが救いなんだけど。  私はというと、学園長の依頼を受けて警備のため指定の場所に完全武装で来ていた。服装は休日に森に入った時と同じだけど、これにプラスして投影した護符代わりのクリスナイフ、髪は刹那からもらったリボンでまとめ、抗魔力を高める装備で身を固めている。 「ちょっと早く来てしまったかな?」  携帯電話で時刻を確かめたけど、集合時間の30分前になる。  時間があるのでもう一度装備と状態を確認。魔術回路は27全て異常なし。魔力量も大規模戦闘に十分な量。投影の設計図もすでにスタンバイされている。あとは然るべきときに力を振るうだけだ。 「衛宮、もう来ていたのですか」  声に振り返ると、制服に野太刀の刹那とシックなワンピースにギターケースの龍宮がいた。 「ああ、うん。本格的な仕事は初めてになるから気が高ぶっているのかな」  前回のはまあ、日常業務の延長だと思う。でも、今回のは大規模な作戦になることが予想されている。用心にやり過ぎという言葉はないのだ。できる準備は全てやらなくてはいけない。 「ところで、今回もこの三人でやるの?」 「いや、後でさらに二人ほど来る。二人とも魔法使いだ。私たちはそのサポートということだろう」  私の疑問に龍宮が答えてくれた。そうか、こっちの魔法使いか。彼らの術は実用本位。だから研究者である魔術師よりも実戦色が色濃いのだ。彼らがこの学園を拠点にしているのは知っているのだが、師匠、学園長、ネギ先生以外の魔法使いは知らない。魔力を潜在的にもっている人はA組に結構いるのだが、純粋な魔法使いとなるとそうでもないらしい。  少し考えに耽っていたら、刹那の黒髪に赤いものが見えた。 「あ、使っているんだ。それ」  刹那は一瞬なにを言われたか分からなかったようだが、次には理解。髪に手をやって、微妙に照れたような表情をした。 「ええ、かなり魔術的に良い品物です。私が渡したリボンと釣り合いが取れないほどに……今更ですけど、本当に貰って良かったんですか?」 「言ったよね、交換だって。気にしない気にしない。それにこのリボンだけど、刹那が言うほど悪いものじゃないよ。むしろ私のほうこそ貰って良かったかと思うよ」  もらったリボンは最初髪を纏める程度に考えていたが、何回か付けてみて考えが変わった。付けてみると程よく魔力を溜めて、さらに抗魔力効果まであるのだ。作った人は腕がいい魔法使いなんだろう。 「お早いですね。皆さん」 「こんばんはです」  おっと、当の魔法使いの人が来たか。  二人とも学園の制服を着ている。一人は高等部、つまり聖ウルスラ女子高校のカソックを模した制服にナースキャップ風の学帽を被っている人。もう一人は同じ中等部の制服を着ている女の子だ。つまり、二人とも魔法生徒という訳だ。 「高音先輩に愛衣か。今回はよろしく頼む」  龍宮は顔見知りなのか、一番初めに二人に声をかけた。あ、そういえば高音という人は形式上ならこの中で一番の年上になるんだっけ。 「ええ、龍宮さんも今夜のサポートをお願いします。桜咲さんもよろしくお願いしますね」 「ええ、よろしく」  高音さんは丁寧な物腰で下級生である刹那にも声をかけた。そうか、二人は顔見知り、私は初見だな。 「そちらの方は初めてですね」 「ええ、お互い初めてです。私は衛宮志保。一ヶ月前にこちらに来ました」 「そういえば、学園長が新しくここに来た魔法生徒がいると聞きましたがあなたのことでしたか。私は高音・D・グッドマン。高等部の二年で、今回この班の指揮も任されています。それでこっちが」 「佐倉愛衣です。中等部の2年です」  二人がそれぞれに名乗り、初対面の挨拶は終わる。さりげなく二人の魔力を探る。魔力量は結構ある。でもネギ先生、学園長とすごい人しか見ていないせいか大丈夫かと思ってしまう。それが杞憂だったのはすぐ分かったけど。 「さて、私達に時間はさしてありません。早速ブリーフィングといきましょう」  高音さんの一言で空気に緊張が混じり、戦いが近いことを実感する。  空の雲は早く流れ、下弦の月が雲に見え隠れしていた。妙に温い風が顔を撫で、髪を梳く。 今夜あたり師匠が動きそうだな、なんて特に考えることなく分かった。なにせ、今夜は満月ほどではないけれど吸血鬼にとっては良い夜なんだから。  停電で街の光がなく、人払いの結界で隔離された森の中には月明かりと星明りしか頼りになるものはない。  ■■■———!!  ●●!?  声にならない声が森に響く。その声の意味は大別して二つ。新鮮な女の肉に飛び掛る声と、断末魔の声だ。 「ふっ!」  投影した槍(名品だけど宝具ではない)で眼前の鬼と鳥族をまとめて貫く。すぐ抜いて、後ろの敵の額を石突で砕く。そのまま休まず左右の敵に対し槍を横に振って薙ぎ倒す。ここまで一息でこなす。  次々と『還っていく』魔物達を確認しつつ、味方の状況を視界に入れる。  刹那と龍宮は前回見た戦闘スタイルを崩すことなく着実に魔物の数を減らしていた。小柄な外見に似合わず野太刀を豪快かつ精緻に振るって魔物を切り倒す刹那。近くの大木に陣取ってそこからライフルで脅威になりそうな魔物を狙い撃ちする龍宮。遠近の攻撃が見事に噛み合ったものだ。  そして、問題の高音さんと愛衣ちゃんなんだけど、 「メイプル・ネイプル・アラモード ものみな焼き尽くす浄化の炎破壊の主にして再生の徴よ我が手に宿りて敵を喰らえ[紅き焔]!!」  名前通りの紅い爆炎が、愛衣の突き出した手より発せられて魔物数体をまとめて焼き尽くした。 「魔法の射手 連弾・氷の19矢!!」  ほとんど無詠唱で『魔法の射手』を撃つ高音さん。彼女の周りには影を基にした使い魔が十数体出てきており、彼女を守っていた。  戦闘の場数は相当踏んでいる様子で、さっき感じた不安は無用のもののようだった。でも、詠唱で無防備になるところがどうしてもあるので私がこうして従者役を仰せつかっている。 『では、桜咲さんが前衛、龍宮さんが後衛と遊撃。私と愛衣が魔法で遠距離攻撃。衛宮さんは私たちの守備をお願いします』  というのが高音さんの出したフォーメーションということになる。悪くない。まさに適材適所だろうな、元々私の剣技は守備に真価を出す系統のものだ。私が魔物を抑えて高音さん達が仕留める。一つの形になっていた。 「ふっ!」  使い魔の影と一緒に二人に近づく魔物を槍で捌き、薙ぎ倒す。むう、少し数が多いか。 「なんでこんなに数が多いのですか?! もう!——魔法の射手 炎の一矢」  愛衣が弱音に近い声を出して『魔法の射手』を撃つ。ここまで私たちは百数十体の魔物を相手にしているが、麻帆良に侵入しようとする魔物の数は減る様子がない。 「……!? なんですのこの魔力は?」  高音さんがようやく学園内からくるこの魔力に気が付いた。うーん、これは師匠だね。強力になっているけど感じる波長は同じものだ。  それに、どうも結界が…… 『警備中の魔法先生および魔法生徒に告げる。結界維持システムが何者かのハッキングを受け、サブシステムに至るまで完全にダウンした。よって、これを好機とした魔物の攻勢が活発になるものと思われる。復旧まで65分かかる。それまでの防衛を各員にお願いする』  念話が警備を担当する不特定に発せられた。その何者かって、多分師匠達です。自分の拘束を完全解除するためにこんなことをしたんだろうなー、きっと。 「もう、次から次に来るかと思いましたらそんな理由ですか。愛衣、苦しくなるかもしれませんけど、気を引き締めるところですよ」 「はい、お姉様!」  お互いを励ましてさらなる呪文の詠唱に入る二人。……むう、手の内を見せるのはアレだけど、みんなに楽をさせなくちゃいけないな。 「高音さん。ちょっとでかい魔法使いますから使い魔で出来る隙を守ってくれませんか?」 「でかい、ですか?」 「はい、でかいですから」 「……分かりました。あなたを信じます」  高音さんの声に応えて、私の周りに数体の影の使い魔が立ち現れ私と魔物の間に挟まった。  よし、これで時間は十分。すぐに槍の投影を解除、代わりに弓の幻想を手に結ぶ。そして鏃を検索——ヒット 「投影重装[トレース・フラクタル]」  番える矢を剣の丘から私の手の中に。  それは骨子を曲げて矢として放つために手を加えた剣。 「I am the bone of my sword[我が骨子は屠竜の牙と化す]」  弓を引き、弓道の八節の内残すは離れと会を待つ状態。  魔物の攻撃で高音さんの使い魔が二三消えてしまうけど今は構っていられない。魔物の群れの中心に中るイメージを見る。それは最多の敵目標[マキシマム・ナンバー]。放つ矢は当然、最大威力の攻撃[マキシマム・ダメージ]。後はただ矢を真名と一緒に放つだけ。 「竜を屠る選定の剣[グラム㈼]」  かつて竜を屠殺したといわれる竜殺しの概念が詰まっている聖剣。それの投影物を矢として加工し、放った。  幻想種最大の竜を殺す概念の奔流が弓から飛び出し、触れる魔物たちが次々消し飛んでいく。いや、余波を受けただけで跡形も残らない。矢は魔物達に止めることが出来ず、阻むものがないまま群れの中心まで飛翔していく。そこで次の撃鉄を落とす。 「壊れた幻想[ブロークン・ファンタズム]」  幻想を棄却する時とは逆、幻想を膨らませる。理念、骨子、材質が耐え切れないほどの幻想を膨らませ、剣の形が幻想に耐え切れず、 ——ドッッッッッッ  閃光、爆発。これは剣という『形』が壊れるのではない。幻想が砕ける爆発。だから込められた幻想が多いほど弾ける威力も大きくなる。 「ん、割と減った。三分の二くらいか……」  敵の数は予想したより減っていた。やはり魔物相手に幻想種殺しの剣は相性がいいのだろう。 「衛宮さん!!」  愛衣の叫び声! 後ろに気配。すぐに肩に灼熱感。 「っ! くそ」  前に飛んで追撃をかわす。後ろには弓を番えている隙をついて回り込んできた魔物の剣に切られた。思ったより深手。すぐに白黒の夫婦剣を投影。反撃で斬りつける。 「衛宮さん、大丈夫ですか」「衛宮、無事ですか!?」  高音さんと前衛にいた刹那が戻ってきていた。 「大丈夫。それより残り一時間、しっかり守らないと」 「でしたら、治癒魔法をかけて」 「それも、問題ないよ」  復元呪詛に魔力をまわして傷口を塞ぐ。とりあえず出血だけでも止めて、中身はあとでやろう。 「え? 自己治癒能力ですか」 「そんなところ。余程のことじゃなければ自分で治せる」  呼吸を整えて、双剣を握りなおす。 「申し訳ないです。守るという約束を果たせませんでした」  高音さんが頭を下げてくる。顔は泣きそうだ……だめだ、何か言わないと。 「高音さんが謝ることじゃないですよ。グラムを撃つ隙はちゃんと守ってくれたんだし、これは私の未熟さのせいだって」  ん、ちょっと違和感があるけど剣を振るうのは問題ないか。 「それより、数は減りました。一気に仕留めましょう」  私の言葉に高音さんは表情を引き締め、戦う者の表情になる。 「……ええ、そうですね! 引き続き護衛頼みましたよ衛宮さん!」 「承知!」 「メイプル・ネイプル・アラモード……!!」「秘剣・百花繚乱!!」  愛衣の炎の魔法が空を赤く染めて、刹那の剣技、龍宮の銃弾が敵を紅く染める。 「投影開始[トレース・オン]!!」  私の弓から戦車砲並みの矢を放ち、群れを朱に染める。  紅と赤と朱が混じり、戦場の空気は真紅と深紅に染まる。 「……ふふっ」  そして私の口元は知らずゆるみ、牙がうずいていた。 「あー、ようやく終わったよー」  事が終わり、へたり込む愛衣ちゃん。もう魔力も空っぽのようだ。 「愛衣、はしたないですよ」  たしなめる高音さんも余り余力がないみたい。 「お姉さま、でも今回はきつかったですよ」  街に光が戻って、ここからでも橋の光が見える。夜空は地上の光に覆われ、月には先ほどまでの神性は感じない。空気にも血の香はしなくなった。  師匠の魔力もすでに微弱。きっとネギ先生との対決も終わったのだろうな。事が終わっても魔力が弱いままということは負けましたか、師匠。 「終わったな」 「ええ、何とか凌げました」  刹那と龍宮も魔法少女二人と同様にやれやれと木の根に座り込んだ。  私もなんか脱力。魔力も半分持っていかれたし、回復には丸一日は必要だな。  戦場だった場所に魔物の死体はなく、全て『還った』。残っているのは大規模な破壊の跡。炎が焼き、影が切り裂き、刃が刻み、銃弾が穿ち、矢が抉った盛大な破壊痕。局地的に暴風が襲ったとしか思えないありさまだ。 「それにしても衛宮、さっきの矢は一体なんですか?」  隣にいる刹那が聞いてきた。やはり聞かれるよね。 「そうだな、私も聞いておきたい。衛宮の出来ることは物品引き寄せ[アポーツ]と聞いていたが、あれはそれでは説明がつかないぞ」  龍宮まで聞いてきた。説明したいのは山々だけど、私のような異端の魔法使いは余り手の内を見せるものではないし、師匠にもそれを勧められている。 「んー、説明できないけど私の必殺技ってことで納得してもらえないかな?」  ちょっとおどけた調子で二人を見た。彼女たちはキョトンとして、次には吹き出してくれました。むう。 「くくくっ、そうか、必殺技か、そうだなそれなら人には言えないよな——フフフ」  龍宮、そこまで笑わなくてもいいだろう? 刹那もわざわざ後ろを向いて笑いに身を震わせなることないだろう?  あーあ、なんだか大変なことがあったはずなのにこっちまで笑いがこみ上げてくるよ。なんでだろう? 色々あって、何かもう笑うしかない気分だ。 気が付けば、私たち三人は声を出して笑っており、高音さん、愛衣の二人はこっちの様子に困惑していた。  深紅の夜は終わった。次の再演を月は待っている。「うううぅ! 恨むわよ、あの女ー」 「凛、残り二十三です。終わりは近いですよ」 「呪符作りの次は式神、しかもカエル型ばかり百匹以上も。人使いが荒いのにも程があるわよ」 「なんでもかく乱用のためだとか言ってましたね。新幹線の車両内にばら撒くためだとか」 「この世界の魔法の秘匿ってアバウトすぎるわよ、関西呪術協会も関東魔法協会も何を考えているのだか。他人事ながら心配よ」 「姉ちゃんたち、終わったかー?」 「コタローですか、あと少しです。あ、ツクヨミはどこです? 人の昼食を掠め取るようなことを戒めたいのですが」 「月詠? あいつなら中庭で刀振り回しとったな。鍛錬とか言っとった」 「そうですか、鍛錬ですか……ならば私は彼女に稽古をつけてあげましょう。ええ、心身ともに鍛えて差し上げましょう——フフフ」 「(ゾクッ)……凛の姉ちゃん、セイバーの姉ちゃんって飯が絡むとおっかねーな」 「ええ、気をつけなさい。あの子、ことご飯が関わると歯止めが利かなくなるから」 「————!!」 「お、断末魔」  出席番号32番 衛宮          第9話 修学旅行前夜 「それで、私が鍛錬をつけていない間に腕を落としていないだろうな?」  大停電があった翌日の昼休み。私は茶々丸さんと師匠・エヴァンジェリンと一緒に学園内の喫茶店に向かっている。  昨夜は大変な一夜だったが、師匠の方も大変だったみたいで、茶々丸さんから聞いてみると、学園のコンピューターをハッキングしてかつての魔力を取り戻した師匠はネギ先生と勝負を挑んだ。経過はどうあれ、結果は師匠の負け、「結界が復旧するのが早くなければ私が勝っていた」は師匠の言だが、外連に走った時点で師匠の負けだろうな。とは口が裂けても言えない本音だ。  これで学園を賑わしていた『吸血鬼事件』が終わった。学園長の思っていたネギ先生の試練、事件の終息が一度に解決されたのだ。思えば、師匠は学園長の掌の上で踊らされた形になるのだろう。  でも師匠もそのことに気付いているはずなのに、おくびにも出さない。これが吸血鬼の真祖としての矜持が成せる姿勢なのだろう。  自らが望み踊った舞台で転んだところで、転んだ舞台に文句を言わない。と言った自身に定めた道義[マイルール]。それは何があっても曲げないのが師匠だった。 「腕は落としていないつもりですよ。昨夜も師匠を邪魔する可能性のある魔物達を相手にしていました」  師匠の問いかけに答える。『別荘』は使えなかったが、自己鍛錬は朝と夜に欠かさず行い、鍛えた剣が錆付かないよう手入れをするように、自分の体をタッチアップしていた。お陰で昨夜は未熟なところはあっても思うように体は動いてくれた。 「そうか、前も言ったが後で課題を出すぞ。覚悟しておけ」 「お手柔らかにお願いします」  ここまで言ったところで喫茶店に着いた。有名コーヒーチェーン店スターバックスだ。今時少し大きな街ならどこでもある店だが、麻帆良にあると欧州の風格高い老舗みたく見えるのだから不思議なものだ。  レジで私はブレンド、師匠はカフェラテを注文し(茶々丸さんはいらないそうだ)、オープンテラスの席で飲むというところで、 「あ……」 「ぬ……」  明日菜とネギ先生と遭遇した。 「こ……こんにちはエヴァンジェリンさん、衛宮さん」 「フン! 気安く挨拶を交わす仲になったつもりはないぞ」 「こんにちはネギ先生、アスナさん」 「こんにちは、二人とも」  師匠は拒否するようなセリフを言いながらも、二人と相席になる私たち。師匠、なんだかんだ言っても憎からずですね。でも、私は私でやらなくてはいけないことがある。 「……明日菜、ごめん。剣を向けて。それに吸血鬼だということも黙っていた。ネギ先生もすいませんでした」  頭を下げる。いくら傷つけないようにしたと言っても、武器を向けたことに変わりない。傷付けさせないためとは言え、武力を行使したことに変わりないのだ。本来許されることではないが、それでも言わなければいけないこと。 「予想通りだな、一ヶ月以上経っても吸血鬼としての誇りはなしか」  師匠、茶々入れないで下さい。 「……ねえ、志保。あんたは誰も傷付けたくなくてあんなことをやったんだよね?」 「うん、あの時は茶々丸さんにも明日菜にも傷ついて欲しくなくてつい、ね」  あの後何事もなく振舞うのは大変だった。精一杯体面を取り繕って夕食を作ったものだ。 「だったら、よし!」 「え、ふえ!」  明日菜の手が伸びてきてグリグリされた。彼女とは十センチ以上も身長差があるから傍で見ているときっと、同級生というより上級生と下級生みたいだろうな。でもなんで? 「志保がそういう気持ちだと分かったから、許す!」 「あ、ありがとう」  胸を張って宣言をするように明日菜が言った。その姿はやっぱり年上の女性を思わせる。あ、ネギ先生も微笑ましい顔をしている。恥ずかしいぞこれ。一応私は君達より年上なんだけど……。だからといて手を振り払うわけにもいかず、なすがままだ。  それで、そのまま明日菜は私の頭に手を置き、師匠に顔を向けた。 「それと、聞いたわよーエヴァンジェリン。あんた、ネギのお父さんのこと好きだったんだってねー」  ——ぶーーーっ!!  さっきまで私をニヤニヤ見ていた師匠がこの一言でカフェラテを盛大に噴出した。うーん、相当秘めた思いなんですね師匠。 「き、き、貴様、やっぱり私の夢を覗いたなーー!?」 「い、いえ、あの」 「知られてしまいましたねマスター」 「ええい、黙れ!」  ネギ先生の襟首を締め上げたり、茶々丸さんの発条を盛大に巻き上げたり、顔を真っ赤にした師匠はしばらくにぎやかだった。  そうしてしばらく賑やかにしていた師匠は急に静かになると、残って温くなったカフェラテに口をつける。 「師匠?」 「……だが、奴は死んだ。10年前にな……」  気のせいかもしれないけど師匠の目尻に涙が見えた気がする。声も本当にその人を悼む声だ。 「私の呪いもいつか解いてくれるという約束だったのだが、まあくたばってしまったのなら仕方なかろう。おかげで強大な魔力によってなされた私の呪いを解くことの出来る者はいなくなり、10年数年の退屈な学園生活だ」  次に出てくる師匠の言葉は恨みがましい、でも未練を感じるものだ。  そっか、『サウザントマスター』っていう人は故人だったんだ。……なら、師匠の呪いは私が解いても問題ないかな? 『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』なら、どんなに強力な呪いでも神秘の類なら大抵無力化できる。お世話になっているお礼も返せるし、うん。 「ししょ……」 「でも、エヴァンジェリンさん。僕、父さんと——サウザントマスターと会ったことがあるんです!」 「……何だと?」  声をかけようとしたらネギ先生が、そんなことを言い出した。これには師匠もどう反応していいか分からず、戸惑っている。  話によれば6年前、ネギ先生は死んでいるはずのネギのお父さん『サウザントマスター』に会っているのだとか。そして、先生がいつも持ち歩いている魔法発動体である杖もその時に貰ったものだとか。 「だからきっと父さんは生きてます。僕は父さんを探し出すために父さんと同じ立派な魔法使い[マギステル・マギ]になりたいんですよ」  まだ大きいはずの杖をぎゅっと握るネギ先生の目はまっすぐなものだ。  その瞳に私はどこかで共感を覚え、また危うさを感じる。でも、それよりも私の印象に残ったのは、 「そんな……奴が……サウザントマスターが生きているだと?」  信じられない、と言葉にしている師匠だけど、目には綺麗な涙が見えた。今度は気のせいではない。 この後終始上機嫌な師匠を見て、私はルールブレイカーを使うのはやめた。無粋というものは鈍い自分にも流石に分かったからだ。  それにしてもサウザントマスターとやら、人のことは言えないけど女の子を泣かせるのは頂けないぞ。はしゃぐ師匠とネギ先生を見ながら私はポツリと蛇足を思った。 帰りのHR、教室から見える日の光も傾いているなか、担任教師のすごくうれしそうな声が教室に響く。 「えーと皆さん、来週から僕達3−Aは京都・奈良へ修学旅行へ行くそーで……もー準備は済みましたかー!?」 「「「「はーーーい!!」」」」  返ってくる返事もすごく嬉しそう。喜怒哀楽でいうなら、楽の塊みたいな声が数十人分だ。余りのノリ良さに呆れている人もいる。 「(小学生かこいつら……)」  長谷川さんの呟き声はいつも以上にため息が混じっている。前々から思っていたけど長谷川さんは誰も聞いていないところで相当な毒舌をお持ちのようで。  麻帆良学園中等部の修学旅行は3年生の春に行う。普通の学校だと2年生なのだが、そこはエスカレーター式学校、高等部への進学は決まっているため憂い無く3年の時期に行う。  しかも学校の人数は三学年で700人以上と多く、さらにお金も余っているのか目的地が複数あり、その中にはハワイやイタリアなんてところまである。 そんな中、あえて定番の京都という理由はA組には留学生、帰国子女(つまり私)、担任の先生まで日本は初めてという。だから日本文化を学ぶ意味で京都になった。 「ありがとうございます、いいんちょさん!! いいですよね京都」 「あ、あらそんなにお喜びに……」  行き先を最終的に京都にした雪広さんに、ネギ先生は物凄い喜びようで握手をしている。ショタコンの雪広さんは当然顔を赤らめて嬉しそうだ。  ネギ先生があそこまで喜ぶ理由は簡単。昼休み、師匠がネギ先生に彼のお父さんについての手がかりが京都にあると言ったからだ。そこにサウザントマスターが一時期住んでいた家があり、手がかりならばそこにあるのだろうだとか。  そして、折り良く修学旅行だ。旅費も休日も心配せずに京都に行けるのだ。喜ぶなというのが無理だろう。 「うわーー楽しみだな修学旅行!! 早く来週が来ないかなーーっ」  とうとう感極まったのか鳴滝姉妹と一緒に手足をバタバタ、ドツき合いだした。いつも授業で見せる知的な雰囲気はどこへやら、もう歳相応の遠足・お泊まり会が楽しみな子供にしか見えない。  クラスのみんなはそんなネギ先生を暖かく(時に生暖かく)見守っている。やっぱり愛されてますね先生。  ——トントン 「衛宮です」 「うむ、入りたまえ」  放課後、源先生の伝言で呼ばれた私は、学園長室の重厚な扉を叩いていた。 「よく来てくれた、衛宮君」  調度、広さともに威厳がある学園長室には、主である近衛近右衛門の他に小柄な人影があった。 「こんにちは、衛宮」 「あ、刹那。こんにちはって、さっきまで同じ教室にいたのに妙な気分だけど」  クラスメイトで、最近では仕事仲間になりつつある刹那が学園長の机の前にいた。雰囲気から言って、やはり何か仕事の依頼だろうか? 「君たち二人には話しがあって、来てもらった。桜咲君はすでに知っていると思うが、衛宮君には長い話になる。そこに座ってはなそう」  勧められるまま、応接セットのソファーにテーブルを挟んで学園長と対面、刹那は私の隣に座る形になった。 「まずはじゃ、A組が修学旅行で京都に行くことになったのじゃが、実はこれは最初から選択肢はないんじゃよ」 「はい?」  ここに来るたびに嫌な予感が何回かあったけど、今回もか。 「つまり、例えハワイ等にクラスが決めても最終的に京都になるようにしておったわけじゃ」 「それは私も知りませんでしたよ、学園長」  刹那の声がやや険を帯びている。 「まあまあ、これもネギ君の試練じゃよ。彼には関西呪術協会への特使として西に行ってもらう事になったのじゃ。あ、関西呪術協会は知っておるかな衛宮君?」 「大丈夫です。師匠から一般常識程度は叩き込まれてます」  学園長が理事を勤める関東魔法協会と関西呪術協会は昔から仲が悪く、常に冷戦状態だった。それも最近では西の長が詠春さんという木乃香のお父さんになってからはそうでもなくなった。双方の上層部が身内なのだ、争いようが無い。でも、西の下は納得していない。その詠春さんが下を抑え切れていないのか、今でも部下の暴走は何回かあったとか。 「エヴァンジェリンからそこまで聞いとったのか……」 「ええ、まあ」 「なら、話が早いの。君たち二人には二つの仕事を頼みたい」  仕事は二つ、ネギ先生に渡した親書を持ち主ともども警護すること。もう一つは西の長の娘、木乃香の護衛。 「向こうの長の話でな、どうも部下の中に不穏な動きを見せる者がおるそうだ。相当な妨害が予想される。心してかかってくれ」 「はい、わかりました」 「承知いたしました」  私と刹那お互い、立ち上がり一礼。  こちらに来てから毎日がお祭り騒ぎ。今回の修学旅行も大変なバカ騒ぎになる予感が嫌でもして、そしてその予感が外れることは無いだろうと分かってしまう自分がいた。 「しかし、驚きました。衛宮の師匠がエヴァンジェリンですか」  学園長室を辞して寮に向かう中、私は衛宮に話しかける。  実際驚きだ。『闇の福音』『不死の魔法使い』等等、様々な呼び名をもつ吸血鬼の魔法使い。サウザントマスターの呪いが無ければ今でも世界中を我が物顔で闊歩しているであろう彼女が仕事仲間の衛宮の師匠なのだ。 「ごめん、言ってなかったね。師匠も強引に弟子になれと言ったんだよ。同族は見捨てておけんとかなんとか」 「同族?」 「……これも言ってなかったね。私、吸血鬼なんだ」  あっけらかんとトンデモナイ事を言ってくれましたよこの人は。さらに「ほら証拠になるか分からないけど」と言って、牙を見せてくれた。昼間でも能力の低下が見られないのなら彼女は高等なデイウォーカーでしょうか? 「さらに……驚きました……でも、よくそんな事を言えましたね」  まさしく、こんな話はこうして気安く話す類ではないと思うのだが、衛宮はカラリとした表情で答えを返してきた。 「まあ、言いふらす類のものじゃないと分かってはいる。私もこれを話す人間は選んでいるね。でも、吸血鬼の自覚は薄いけど自分を卑下する気はない。吸血鬼の自分を否定せず受け入れることにしているから」  この人は強い。私は直感で知った。魔力の話でも、肉体の話でもなく、魂が強い。現に自身の暗部であるはずのことを話しているのに、衛宮の紅い目は揺れていない。  自分も、この人のように強くなれるだろうか? 私もお嬢様の前で自分の事を明かせるだろうか? 「こんな、吸血鬼な私だけどこれからも仲間でいてくれるかな」  差し出される白い繊手。その手はきっと見た目に反し数多の敵を手にかけた血塗られた手かもしれない。けれど、 「もちろんです」  私はその手を握った。彼女のあり方に共感し、また私も強く在りたいから。  修学旅行を来週に控え、女子寮の別館にあるCOOPでも修学旅行セールを開いていた。部活は同じく修学旅行を控えているためお休み。だからこうして買い物に来られるのだが、 「しかし、ようやく発見したよ。あの謎ジュースの売り場。まさかここだとは」 「衛宮、そんな事を気にしていたのですか」  あれから刹那とともに修学旅行に必要なものを買うため二人してCOOPにやって来たのだが、綾瀬さんがいつも飲んでいる謎ジュースの売り場を発見して今はそこを物色している。 「それは気になる。あの料理の神とかを平気で冒涜している飲み物、前に居たとこになかったものだから」  前に綾瀬さんに一口飲ませてもらった(商品名はラストエリクサー微炭酸)のだが、あれはきつかった。よく商品になって、なおかつ買う人がいるものだと本気で思った。  今私の目の前にある棚にはその謎ジュースが大量に陳列されている。トマトミルクに超神水、なしミルク、プルコギエキス、修学旅行限定エクスポーションなんてものまである。恐るべし学生生協。 「お、桜咲さんにエミヤンじゃない。珍しい組み合わせだね」  謎ジュースの棚の前で唸っていたら、声を掛けられた。柿崎さんに、釘宮さん、椎名さんという『まほらチアリーディング』の三人組だ。 「あ、こんにちは、いやこんばんはか。三人の方こそ生協にくるのは珍しいと思うのだけど」  刹那は軽く会釈しただけに留まる。同じクラスメイトでも親しさの度合いと言うものは存在するのだな。 「うん、修学旅行の自由行動日で着る服を探しに来たのだけどね……」  答えてくれたのは柿崎さん。さらにそれを受けて椎名さんも、 「これだー、って思うものがないんよー」 「そうなんだ。これでも実用性からして十分だと思うのだけどな」  謎ジュースの向かいの棚にあるパーカーや、隣のジーンズぐらいで私には充分だ。 「エミヤン、私は実用性で言ってないの。ファッションとして言っているのよ。もう、前から言おうと思ったけどエミヤンって外見に似合わず質実剛健よねー」  柿崎さんが呆れたように私を見る。でも、仕方ないのでは? 一ヶ月くらい前に自分を女性だと認識して、今まで自分を着飾るなんて機会は今までないのだから。 「うーん、ここにいいのがないとなると、やっぱり都心に買いに行こうか?」 「さんせー、原宿にいこー、ハラジュクー」  釘宮さん、椎名さんで計画が立てられていく。 「当然、エミヤンも同行ね」 「え!!?」  選択肢なしですか。ちょっと、刹那も何か言ってくれ。 「お邪魔みたいですので、私はこれで……」 「あ、刹那」  三人の出す空気が苦手なのか、刹那はそそくさと逃げ出していた。ちょっとひどくない?  私の週末の予定はまほらチアリーディング三人組によって決められました。  都心のビルの谷間、区切られた空は青く湿度は低い。都心で数えるほどしかない爽やかな晴れ間だ。 「やったーーいい天気」  場所は渋谷、109が程近いところで椎名さんが空を見上げて感想を叫んでくれる。 「んーホント」  柿崎さんもそれに同意。私もそう思う、こういった天気が良い日はそうないだろう。釘宮さんも声にださないが、気分は悪くないだろう。 「で、本当に私を連れてきたんだね……」 「当然。エミヤン、あんたは磨けば光る。なのにそれを磨かないのは損失よ」  ズビシと指を突きつける柿崎さん。半ば冗談と思っていたのだが、日曜朝に三人で部屋に押しかけてきて電車でここまで連行されてきたのだ。 「まず、色気がないわ。それを何とかしないと」 「そうね。衛宮さんが着ているのって、修道服?」  あ、釘宮さんまで本気になりだしている。そりゃ私が今着ているものは膝下十センチ以上の法衣を模した黒いワンピース。そこに赤いライダージャケットを羽織っているという肌の露出が極端に少ない色気ない格好だ。 「でも、私はこれはこれでアリなんだと思うけどなー」  唯一、椎名さんが私の服装に賛同してくれた。ありがとう椎名さん。自分で服を買うようになると、どうしても肌の露出が少ないものを求めるようになっている。 正直、女の子はすごいと思う。割と平然とミニスカートを着るのだから。しかも中には見せる下着とかいうものもあるそうじゃないか。師匠のゴシックロリータ調もアレだけど、そういったものも私には理解できない世界だ。 「そう? 私はもっと丈の短いものを着てもいいと思うのだけど」 「でも、この格好のほうが志保ちゃんの神秘的ーって感じが出ていいと思うのだけど」  ワイワイ女の子三人で私の服飾を相談している。当の本人を置き去りにしてだ。これは、アレか? 女の子にあるというお人形さん遊びの延長か? このままだと私は着せ替え人形となるのか?  まずい、それは。早く止めなくては——ん? あれは? 「よし、修学旅行の私服選びはひとまず保留。今日はエミヤンの服選びをやってあげま……どうしたのエミヤン?」 「ああ、あれ」  柿崎さんに応えて、ある方向を指差す。 「……ですね」「そーかねぇ……」 私たちから程近い距離に私服姿の木乃香とネギ先生がいた。ならんで歩く様子は微笑ましく、彼らの周りだけほんわかした空気が見えた気がする。人種の違いがなければ仲の良い姉弟と映るだろう。 「ち、ちょっと、あれネギ君とこのかじゃない!?」 「ホントだ!……こんなところで何やってんだろ」  疑問は確かだけど、君たち何を隠れているのかな? ほら、知らないオジサンが迷惑しているって。 「なな、コレなんかどやろネギくん」 「あーいいですねーかわいいですよ」 「ほれ」 「はい、似合いますよこのかさん」 「あんもー、ネギくんたらちゃうてー、アスナのプレゼントを選ばな」 「ああ、そうですね。でしたらこれなんかアスナさんに似合うのでは?」 「うーん、微妙やわ」  服飾店で交わされる二人の会話。鋭い聴覚と読唇術で会話の内容が分かった。  そうか、そういえば明日は明日菜の誕生日だったな。前に一度聞いたことがあった。うん、折角の機会だ。こちらも何かプレゼントでも買って帰ろうかな。  そう思って三人に振り返ったのだが、どうも私とは意見が違った。 「で、でも、ネギ君10歳だし……ちょっと姉弟感覚で買い物にきただけじゃ」 「それでわざわざ原宿まで出てくる?」 「ネギ君はただの10歳じゃないよー」  ヒソヒソと話し合う『まほらチアリーディング』の三人。おいおい、もしかして三人が考えているのは—— 「あーわわわ、たた大変かもーっ」 「確かに知られたらマズいよ、これ」 「生徒に手を出すなんてネギ君クビだよクビーー」  やはりか。彼女たちには鋭い聴覚はないし、読唇術なんてけったいなスキルもない。あの様子だけならそう誤解されても無理はない。とにかく、三人の誤解を私が解いてあげなくては。 「ねえ、三人と……」 「い、いや待って落ち着いて! この場合、手を出したのはネギ君というより多分このかなんじゃ……?」 「おーっなるほど」「確かにそれっぽい感じよね」 「だから、それは……」 「大体、このかとネギ君って同じ部屋で暮らして暮らしてんだもんねー。ホラ、アスナは寝るの早いし」 「このか面倒見がいいから母性本能くすぐられて、いつしか恋愛感情が……そしてある昼下がり……」 「ねえ、よく考えて……」 「と、とにかく当局に連絡しなくちゃ!!」 「ととっ、当局って!? 職員室!?」 「バカ! んなとこ連絡したら即クビ&退学でしょ!!」  …………フォロー不可能。あの状況だけで、三人の頭の中ではネギ先生と木乃香が肉体関係まで持っている恋人同士ということになってしまっている。ここまで三十秒も経っていない。  女三人よれば姦しいと言われるが、現代では女三人寄れば無敵だ。私の意見を差し挟む余地がない。 「……私帰るね」  ここは撤退するべきだろう。あ、帰り際に明日菜の誕生日プレゼント買うのを忘れないでいようっと。 「休日の昼間っから寝てんじゃないわよ、大変! とにかく大変なのよ、コレ見て!」  三人はさらに盛り上がって、当局(多分、明日菜)に写メールを送り、デート現場(と信じているもの)を監視している。立ち去る私には気付かないようだ。  ごめん木乃香、ネギ先生。彼女たちの暴走は抑えられそうもありません。現実逃避をする私を許してくれ。「さて、誕生日プレゼントか。何を買ったらいいのだろうか?」  暴走する『まほらチアリーディング』の三人から離れ、一人原宿の街を散策する。 都心に来た経験と知識は前の世界でもあり、幸いにしてこの世界の都心は変わりないようだ。一般人の居る『表の世界』は学園のような非常識を除けば大抵前の世界の常識と知識が通用する。対して魔が関わる『裏の世界』は面白いくらいに変貌をとげている。幻想種が平気で出てくるし、魔法使い達の戦闘能力は死徒27祖と正面切って戦っても見劣りしないハイスペック揃いだし、とんでもない世界に来たなーと改めて実感する。 「ねえ、君ひょっとして一人?」 「はい?」  物思いに耽っていたところに男の声に呼び止められた。  振り返れば身長180前後の男性が二人、私に声をかけている。距離はきっかり一メートル。うかつ、この距離でも気が付かないとは気を緩めすぎかな? この人達が何らかの攻撃手段を持っていたらやられているところだ。  軽く二人を観察。服装はファッション雑誌に載っているものを移したようなもので、一人はジーンズでまとめ、もう一人は黒皮のジャケットにシルバーアクセサリーをつけている。肉体は鍛えているようだけど、武術を修めているわけではない。二人とも髪を茶髪に染めている。纏う空気に殺気はない。魔力も感じない。解析で引っかかる武装はポケットのナイフだが、概念武装ではない。  結論。二人はどこにでもいる普通の一般人だ。ナイフを所持しているから『善良な』とは言えないけれど。  でも、おそらく初対面の二人が何の用だ? 聞いてみるか。 「確かに私は一人ですが、何の御用でしょうか?」 「そっか、君これから時間ある? 予定がなければ俺たちと一緒に楽しいところに来ない?」  ——これは……ナンパといわれる行為? でもそれは女性に声をかけるもので、あ、今の私は女の子か。しかし、実際あるのだなナンパ。初めて見たよ。 「(おい、コイツまだ小さいじゃんか。お前ロリか?)」 「(なに言っているんだよ、よく見てみろよこんな上玉そうお目にかかれないって。外人っぽいから緊張したけど声をかけてみるもんだな)」  二人がそんなことを小声で交し合っていた。聞こえているぞ、お前たち。  貴重な経験だけど、明日菜の誕生日プレゼントを買わなくてはいけない。ここは勿論断ろう。 「すいませんけど、私はこれから用事があります。他を当たって下さい」  踵を返して去ろうとするが、いつの間にか回り込んだ男性がもう一人いて壁を作っていた。本当にうかつだ。これで三人の男性に囲まれたことになる。これはもう単純なナンパではないな、明らかに下品な感性が窺える。  周囲の人たちもこちらの様子に不審を覚えているようだが、関わりになりたくないようで、皆通り過ぎていく。都会の無関心、不介入が彼らに味方をしているようだ。 「そう言わないでさ、なー、少しだけで良いからさ。これから行くところは芸能人も行くところで、俺はそいつと友達なんだ。だから料金とかロハにしてくれんだよ……」  そういえば、釘宮の嫌いなもののなかにナンパしているチャラい男と聞いたことがあったなー。私もいまそれを実感。押し付けがましいところでさらにマイナスだ。  これ以上この男たちに付き合う気はない。ナンパという貴重な経験をしたが、相手がだめだ。女の子に騒がれるほど顔立ちは整っても、精神までそうはいかないようだ。 「すまないが、これ以上君たちの無益な話に付き合う時間は持ち合わせていない。通らせてもらう」  進行方向の男性を吸血鬼の身体能力でやや強引に押しのる。押しのけられた男は驚いた表情をしているが構うものか。そのまま出来た隙間に身を滑らして立ち去ろうとする。 「おい、お前!」  諦めの悪い男の一人が後ろから手を伸ばす気配。全く、しつこい。今度は伸ばしてくる手を掴んで投げ飛ばしてやろうか? そう思考し、実行しようとした時、 「止めておいたほうがお前たちの身のためだぞ」  伸ばされる腕を手首のところで掴む浅黒い手。 「龍宮」 「やあ、衛宮。邪魔したかな?」  カジュアルなパンツルックに身を包んだ少女、龍宮真名が伸ばされた男の腕を横から無造作に掴んでいた。彼女も休暇だろう、身に付けている武器の量が少ない。 「いいや、ありがたい。私は剣術はともかく、体術はそれほどでもないんだ。手加減がきかない」  だから、相手を傷つけずに無力化なんて器用なことは出来ない。男達相手に大立ち回りをする訳にもいかず、困っていたのだ。 「そうか、なら仕事料をとろうかな?」 「明日のディナーは私が作るということで手を打ってくれない?」 「ふむ、いいだろう」 「おい、ねーちゃん。この子と顔見知りみたいだけど黙ってくれないかな? 今俺達大切な話をしているところなんだよ」  無視されたのがいい加減許せないのか、腕を掴まれた男が文句を言い、腕を振り払おうとする。けれど、龍宮の握力でがっしりと固定された腕はびくともせず困惑している。デザートイーグルを片手で扱える握力だ推して知るべし。 「大切な話? そうなのか衛宮」 「ナンパ。これを大切だと考える価値観は私にはないよ」 「そうか。残念だったなお前、先方はそう思っていないようだ」  ここでようやく男の手首を離す龍宮。ここで離された男をはじめ、龍宮の目に射すくめられる三人の男。これは彼女の持つ魔眼ではない。単純な眼力、威圧だ。殺気こそないが、これほどの圧力は一般人にはきついだろう。 「では、行くとしようか衛宮」 「ああ、分かった」  取り残された男たちを振り返ることなく立ち去る。彼らの中で再び声をかけてくる蛮勇を持ったものはいなかった。 「神楽坂へのプレゼントか」  原宿の街を二人で歩きながら散策の目的を話す。  予想どうり休暇だという龍宮は、時間があるので付き合ってくれるとか。ありがたくその提案を受け、こうして原宿の街を並んで歩いている。  にしても、随分と周りの視線を集めているが、これは龍宮が日本人離れした美人だからか? って、私にも視線が、なぜ? 「私は女の子らしいところがないから、どんな物を選べば良いか迷っていたところなんだ」  明日菜への贈り物に困っていた。女の子がどんなもので喜ぶのか皆目見当がつかず、龍宮にも話して助力を願っている。 「それは私にも言えるぞ。人選誤ってないか?」 「そうかな? 少なくとも私より女の子をしていると思うのだけど」  色々物騒な空気を纏っている龍宮だけど、同時に女の子らしさは失っていないと思う。参考までに龍宮の欲しいものを聞いてみると、 「言っておくが参考にならないぞ。それでもというなら、そうだな新しいスコープが欲しいなレオポルドのがいい。あとスローインダガーも何本か欲しいな」  確かに参考にならないか。……でも待てよ。 「龍宮、このあたりで品揃えのいいブレードショップってないか?」  やはり女の子らしくというのにこだわり過ぎだと思った。要は送る側の気持ちがいかに送られる側に届くかである。 「? あるが、どうする気だ」 「ちょっとね」  自分が出来ることは『剣』に関することだけだ。なら、それを生かさない手はないだろう。  龍宮に礼を言って原宿から寮に戻り、部屋の中で数時間。師匠に頼み込んで鍛錬も休み、プレゼント作りに励んだ。 気が付けば早朝。明日菜が新聞配達のバイトに行く時間だ。 「あ、おはよう志保。今日は少し遅いね」  部屋から暗い廊下に出ると、ちょうど明日菜が部屋から出て行くところだ。 「ああ、おはよう明日菜。今日は明日菜に渡すものがあってね」 「え? 何」 「はい、これ」  数時間かけて作った代物を明日菜に渡す。 「……これ、ナイフ?」  明日菜の言うとおり皮のシースに納まった長さ十五センチほどのナイフ。基になったのは龍宮に紹介してもらったブレードショップで購入したもの。 「そう、でもただのナイフじゃなくて魔法の力を込めていて、抗魔力や魔法中和の力がある」 「へえ……あ、確かに刃の部分が変わった色をしているし、それっぽい」  シースから抜かれたナイフの刃はダマスカス鋼のものだが、ここに私の術式と魔力が込められて変色している。ダマスカス鋼の特徴的な波紋には赤みがかかり、守護の呪刻も刻まれている。 「ネギ先生の『魔法使いの従者』になったんだから魔法的な防御手段もなくてはって思ったんだ。ベースは市販のナイフだけど結構使えると思うよ」  今まで必死になってナイフに呪を刻んだり、魔力を通したりしていたのだ。投影とも強化、変化、付加とも違う、いうのなら『剣鍛』。贋作ではなく、元からある剣を鍛えなおすことをやっていたのだ。苦労した甲斐があって、今明日菜に渡したものは上質なクリスナイフ並みの護剣になっているはずだ。 「それを明日菜の誕生日プレゼントにしたいのだけど、いいかな?」  これが私のプレゼントのつもりなのだが、他のプレゼントと比べやはり武骨すぎるか心配だ。  む、返事がない。やっぱり駄目かなと明日菜を見る。 「あ…ありがとう、志保。昨日もカラオケで祝ってもらったけど、何かこういうのって何回受けても嬉しいよ。ありがとう」  早朝の暗い廊下でも分かるほどに明日菜の表情は赤くなっており、嬉しさと同時に一種恥ずかしさが同居している。  私からかける言葉はそうない。だから精一杯の気持ちを込めて祝いの言葉を口にする。 「誕生日おめでとう、明日菜」「それで凛。今回の仕事でどれだけの報酬が期待できるのですか?」 「19位を感知した関東方面への旅費はもう大丈夫だけど、活動費を考えるとね……だから、そんなに睨まないでよ。前金でもう貰っちゃっているし、私だっていい気分じゃないんだから」 「報酬のために人攫いの手助け……もしここにかつての部下達がいればどんな顔をしたのでしょうか」 「う……悪かったと思うわよ。払いだけで仕事を選んだのは失敗だったわ」 「はあ、もう契約を交わしましたしね。約束を違える気はありませんが、気乗りしませんね」 「鬼神復活のために膨大な魔力を所有する人物の拉致、かぁ。しかも対象が中学校三年生の子供、と。気が萎えるわよ」 「ですがシロウを助けるための第一歩ですよね」 「そうね。魔力もここに来て大分回復したし、打って出るとしますか!」  出席番号32番 衛宮          第10話 修学旅行『交錯』  ——投影開始[トレース・オン]  呟く言葉は自己変革の呪文。  自己の中に急速に埋没、解析したばかりの武装を選択、それを幻想と魔力で内から外に出す。常に挑むべきは自分自身、ただ一つの狂いも妥協も許されない。 創造の理念を鑑定し、  基本となる骨子を想定し、  構成された材質を複製し、  製作に及ぶ技術を模倣し、  成長に至る経験を共感し、  蓄積された年月を再現し、  全ての工程を凌駕して幻想を結び剣と成す。 「む、出来たか」 「ええ、出来ました」  師匠の声に自分の右手にある武装を見てみる。両刃の西洋剣なのだが、全長が130センチと長大、剣身の中心が二つに割れており、音叉みたいな形状をしており、本来の柄とは別に鍔にあたる部分に交差するグリップがあり、明らかにマトモな剣でないことが分かる。  師匠の『課題』として提出されたものは、ここ『別荘』内で長年ホコリを被っていたこの魔剣の投影だった。こちらの世界の武装も複製できるのかという実験も兼ねている今回の課題だったが、どうやらそれは成功。師匠に剣を見てもらい鑑定してもらう。 「寸分違わずオリジナルの『吸血剣』と変わらないな。こんないわく付の魔剣まで複製してしまうのだからお前の魔法は剣に関しては本当にズバ抜けているな」  たがめすがめつ、剣の真贋を見比べる。本物は茶々丸さんの腕のなか。投影した魔剣は私の手の中。師匠はその二つを見比べ、うむ、と一言頷く。よかったどうやら合格点のようだ。 「『吸血剣』て言うんだ、この剣は」  確かにこの魔剣の効果は『略奪』。血に限らず、生命力、魔力をも吸い取る吸血剣の名前に相応しいものである。作られた過程、こめられた概念、経過した年月、どこをとっても宝具級の概念武装だろう。 「ああ、こいつは昔敵対した吸血鬼の護衛騎士から奪い取ったものだ。なかなか面白い物だから取っておいたのだが、呪いのせいでチャチャゼロは使えない、茶々丸も使えず、もちろん私も使えなくてこうして倉庫に突っ込んでいたものだ」 「呪いって……ああ、これか」  もちろん投影をしているときに気が付いた。この剣には『持ち主以外の担い手を認めない』呪いがかかっていた。本来の持ち主であるその吸血鬼以外、剣を握れない仕組みになっている。今茶々丸さんも剣を鞘に収めて、抱えている状態で、柄を握ってはいない。この呪いは無機物にも通用するようで、これ以外の持ち方はできないそうだ。 「その問題も形成段階で解決済みか。ふむふむ、優秀だな。この調子なら私の呪いを『破戒』する武装もどこぞから複製することもできそうだし、いや、弟子にしてよかったと思うぞ」  えーっと、それはすでにあるのですけど……言わないでおこう。ともあれ『課題』は合格のようだ。外ではもう修学旅行の当日の朝になっているはずだ。 刹那とやる警護の仕事があるからもうそろそろ眠っておこうと思うのだけど、ちょっと気になることがある。 「そういえば、師匠は修学旅行に行かないのですか?」  この言葉を発して、次の瞬間に思い出し、しまったと思った。そういえば師匠は呪いで——  途端、師匠の形のいい眉が不機嫌な角度に曲がり、一瞬で間合いを詰められ、その両手を私の顔にかけて、 「——それが出来たら世話ないわっ!」  両の頬をブニブニ引っ張られる。そう師匠は『登校地獄』の呪いのせいで学園から出ることは出来ないのだった。今までずっと学園で過ごしてきたから全く実感がなかったのですっかり忘れていた。 「ふいまへん。ふっかりわふれていまひた(すいません。すっかり忘れていました)」 「忘れたで済む話かーっ、この鈍感娘がー」  さらにブニーと頬を引っ張られる。自分では分からなかったけど結構頬は伸びるんだなーって、茶々丸さん、チャチャゼロ、何とか出来ないですかー? 「諦メロ、ソウナッタ御主人は止メラレナイ」 「申し訳ありませんが……」  ああ、だろうと思ったよ。  修学旅行当日の朝、私は師匠に存分に頬を伸ばされ、罰としてお土産に八ツ橋を持ってくることを命令された。 「おはようっ! 衛宮さん」「おはよーっ! えみやん」  師匠の家からバックを担いで早めに学園を出たというのに、すでに大宮駅のホームにはA組の面々がいた。みんな『待ちきれないのでやって来ちゃった』という顔をしている。無理も無い。修学旅行というのは学生にとって一大イベントなのだ、はしゃぐなと言うほうが不可能だろう。 こっちも挨拶を返しつつ、一緒に行動する班の面子を探す。班決めは先週に決められていたが、私は旅行と同時に仕事がある。だから護衛対象の木乃香と同じ5班に入ることにした。 「志保、遅いよー」  向こうから呼ばれた。すでにホームに来ている新幹線の数車両向こうにこちらに手を振る明日菜の姿が見えた。近くには5班のメンバーがすでにいる。 私が遅いというよりみんなが早すぎるんだって。 「おはよう、シホ」 「ああ、おはよう木乃香」  護衛対象確認っと。他のみんなは…… 「ホラ、チャンス。自由行動日、一緒にどうですかって!」 「で、でも……!」 「先生は頼み込めばイヤとは言わないと思うのですが」  図書館探検部の3人も確認っと。今回も宮崎さんの恋を二人が応援している形になっている。がんばってくれ、心のエールだけでもしてあげ。  えっと、明日菜・木乃香・宮崎さん・綾瀬さん・早乙女さん、そして私の六人で5班ということだな。新幹線に乗り込みながら頭の中を整理していく。仕事と魔法の秘匿、旅行と取るべき行動を頭のなかで弄りながら指定の席へ…あ。 「そういえば、刹那は?」  今回の仕事を依頼されたもう一人、仕事仲間ともいうべき和風少女の姿を探す。いた。相変わらず背中に背負っている野太刀・夕凪の存在感はバッチリで目立つ。ちょうどネギ先生と話しているところだ。仕事関連か? 近づいてみる。 「私が6班の班長だったのですが、エヴァンジェリンさん他2名が欠席したので6班はザジさんと私の二人になりました。どうすればいいんでしょうか?」 「えっ……あ。そうですか、困ったな……わ、わかりました。他の班に入れてもらいますね」  そっか、師匠は呪いで来れないし、茶々丸さんがマスターを置いて来るはずもない。……あと、あの幽霊は地縛霊っぽかったし来ること自体が不可能か。冷静に考えてみると幽霊までクラスメイトと言うのもスゴイ話だ。  それで、刹那は私のいる5班に来ることになった。7人とクラスの中では偏っている人数だけど、ネギ先生の手近にいた班がザジさんの入った3班と5班しかいないのが幸いした。うん、これで木乃香の護衛はバッチリか。 「あ……せっちゃん。一緒の班やなあ……」  木乃香が刹那に声をかける。彼女にしては珍しく気が引けている様子なのだが、それに『せっちゃん』って。 「あ……。……」  かけられた刹那も何とも言えない表情を垣間見せた。複数の感情が混ざったそんな表情だ。それも一瞬。すぐに感情を消した顔を見せ、ペコンと一礼。踵を返して歩み去る。向かう方向は私のいる場所。 「刹那」 「衛宮か」  明らかに無理をしている顔だ。上手くいえないが、こういうのは頭にくる。どうしてそんな顔をして無理する必要があるのだ、と。けれどここで私が喚いたところで何も変わらないのも知っている。だから、 「いいのか? 友達みたいだけど」  これしか今は言えない。無論、こんなことで何かが変わるわけではないが、せめて水面に投ずる一石になればと思う。 「私などが友達と名乗れるはずがない。今はお嬢様の身を守り、学園長の依頼を果たすのが優先だ」  怒るでも、楽しむでもなく淡々と言葉を並べた刹那は、並べ終えるとさっさと席に歩を進めてしまった。 『お嬢さま』、かぁ。きっと二人には余人の立ち入れない話があるのだろう。そう考えながら、席に歩を進めた。  振り返ればまだ、その場に木乃香が一人立ち尽くしており、その表情は曇っていた。まるで空の晴天の代償だとでもいうかのように。 「ふう……」  ベルが鳴る学園校舎の屋上でエヴァンジェリンは大きくため息をついた。 「今頃、奴らは新幹線かあ」  この十五年、何回も中学生をしていながら修学旅行に行ったことのない彼女は取り残される者の気持ちを今年も噛み締めていた。もう一度大きくため息をつこうとすると、 「マスターは呪いのせいで修学旅行に行けず、残念ですね」  隣で彼女の従者ガイノイド・茶々丸が聞き捨てならないことを言った。 「……オイ、何が残念なんだ? 別にガキどもやバカ弟子と一緒の旅行など」  すぐに否定する。自分の気持ちにはそんなことなどないとエヴァンジェリンは言い切れる。でも、それを茶々丸は、 「いえ、行きたそうな顔をしていましたので……」  違いますか? といつもの表情で聞いてくるのだ。ムキになって否定するのもバカバカしくなった。 「アホか。それよりお前、行ってもいいんだぞ。行きたいんだろ?」 「いえ、私は常にマスターのお傍に」  この答えは常のもの。でもエヴァンジェリンにとって一番の信用に足るもの。 「……ふん。せいぜい弟子の土産に期待するか」  見上げる空は晴れ渡り、エヴァンジェリンにとっては不快な陽光で満たされている。けれど、さぼりで眠るのにはちょうどいいな。など働かない頭でツラツラ思考した彼女は、傍らに従者の存在を感じながら目蓋を閉じた。  列車の旅は実に順調だった。大宮駅から東京駅、乗換えて新大阪を目指す車両に乗り、一路日本随一の古都・京都を目指す。  充実した交通機関のおかげで、わずか二時間余りで京都に着く。その空いた二時間、騒ぎたい盛りのA組が黙っているはずもない。 「それではみなさん、15年度の修学旅行が始まりました。この四泊五日の旅行で楽しい思い出を一杯作ってくださいね」 「「「はーーーい」」」  源先生の宣言とも言える挨拶にA組のみんなが声を揃える。もうテンションは最高潮に達している。すでに文庫本を出して読み出す子や、人を囲んでゲームを始める子まで現れている。 「麻帆良学園の修学旅行は班ごとの自由時間も多くとってあり、楽しい旅になると思いますが、その分ケガや迷子、他の人に迷惑かけたりなどしないよう一人一人が気を付けなければいけません」  源先生に代わって、ネギ先生が担任教師らしく注意事項を話す。堂々としていて、出発前の遠足小学生の印象は薄くなっていた。その思考の切り替えは十歳の男の子とは思えないほどなのだが……先生、後ろ後ろ。 「特にケガには気をつけ……あぶっ!!」  注意していた本人が後ろから来た車内販売のカートに轢かれて、みんなに笑いを提供するオチで話は終わった。  程なく本格的に賑やかになる車内。本来なら他の乗客の迷惑になりそうなものだが、そこはお金がある麻帆良学園。車両を京都行きの5クラス分貸切にする太っ腹ぶりだ。  バッグを棚に上げる。この中には着替え、風呂道具、少量だが乳液などの最低限の化粧品、そして聖骸布の外套(先日の傷はまた手芸部に依頼して修復してもらった)をはじめとした魔法関係の道具が詰まっている。特に多いのが着替え。下着、上着、制服、私服と多数詰め込まれて、どうしても荷物が多くなり、持ち上げる重量は大きくなっている。  女の子の荷物はどうしてそこまで多いのか? とは男の感覚だが、自身女の子になってみてようやく理解した。無理もない話なのだ。 余談だが、生理中の女の子だと生理用品までここにプラスされ、荷物はさらに多くなるとか。私の場合、吸血鬼のためにそういった生理とは無縁だが、話を聞くに大変であることは容易に窺える。大変なんだな女とは。  バッグを上げ終わると、すぐに声がかけられた。 「エミヤン、UNOやらないアルか?」 「メンバーが足りないでござる」  楓と古さんだ。見れば楓の手にはUNOが握られており、放つ空気は勝負がしたくてウズウズしているものだ。 「え? 他のみんなに声かけた?」  この二人なら私ではなくても気軽に誘える友人がいそうだけど、どうしたのだろうか? 「他のみんなはあそこアル」  古さんの指差す方向には人だかりが出来ていた。三人がけの席を向かい合わせて、佐々木さんや綾瀬さん、鳴滝(姉)など賑やかなメンバーが何やらカードゲームをしていて、ギャラリーも集まっていた。 「何をやっているの、あれ?」 「詳しくは知らぬでござるが、最近流行っている魔法をテーマにしたカードゲームらしいでござるな」 「ああ、なるほど」  楓の答えに納得。マジックギャザリングとか遊戯王とかそういったものだったかな? 教室でも何人かやっていたな、主に早乙女さんと綾瀬さんが中心になって。 「拙者たちはルールを知らないでござるからなー、どうしたものかと思っていたところでござるよ」  それは私も知らない。あの手のものにはとんと疎い、縁がない、未知だ。でもそうか、なら楓の誘いは断れないな。 「分かった、相手をしよう。何なら何か賭けようか?」  勝負を熱くするなら今も昔も賭け事だ。その例に倣って私も提案する。 「いいアルよ。なにをかけるアルか?」 「そうだね、チップは食券がベターだと思うけど、どう?」 「乗ったでござる」  すぐに椅子の向きを変えて対面の形にする。楓もUNOを箱から取り出して素早く札を切る……ってスゴイ、切るスピードが尋常ではないくらい速い。これも忍者のスキルなの? 無駄に凄いよ。 「さて、勝負でござる」  手札も配られ、三人は意気軒昂。いざ勝負—————ん? 何この魔力? 「キャーーーー」「ヒーーーーッ!!」「カ……カエルーーー!?」  ——ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ…………  緑色で妙なぬめりを持った皮膚、愛らしくピョンピョコ跳ねる仕草、一部女性に嫌われるニクイ両生類[ヤツ]。その名もカエル。  そのカエルが何の前触れも無く菓子箱の中から、水筒の中から、バックの中からと、あらゆる場所から無数に出現してA組の車両を占拠した。 「なにアルか、コレ」 「……さても面妖な……カエル」  さすがに二人は悲鳴を上げない。若干楓の表情が引きつっているけど苦手なのかな?  一匹捕まえて解析してみる。これは紙を媒体にしたゴーレム、『式神』のようだ。術式の構成、込められている魔力、使い方は間抜けているけど一流だ。 「なっ……なんですか、このカエルの団体さんはーーっ」  ネギ先生が通路に四つん這いになってカエルを捕まえている。む、手伝わなくては。 「私達もカエルを捕まえるか」 「了解アル!」 「…………拙者は勘弁願いたいでござる……」  やはりダメか楓。 程なくカエル全てを回収、その数108匹。カエルが苦手じゃない生徒が総出で拾っていったので数分でみんなビニール袋に放り込むことが出来た。 「カエル108匹回収終わったアルよ」  古さんがゲコゲコ鳴くビニール袋を持ってネギ先生に報告している。すぐ傍ではカエル回収に参加してくれた綾瀬さんがやれやれと額の汗を拭っていた。ネギ先生は、 「保健委員は失神した人の介抱を!! いいんちょさんは至急点呼をお願いします」  カエル出現に混乱する中で指示を飛ばしている。 「保健委員も失神してるよーっ」  明日菜が目を回している和泉さんを抱えている。そうか彼女が保健委員なんだ。思った以上にカエルが苦手な人が多いな。この辺りは女の子だからかな?  にしても、これは明らかに魔法で起こされた騒ぎだ。仕掛けた相手はおそらく関西呪術協会。目的はかく乱、囮、はたまた単なるイヤガラセ? とにかく、こっちは常に最悪を想定して動かないと。  木乃香はっと、いた。この騒ぎでも割と平然としている。でも刹那との事があるのか幾分元気がないようだけど、とりあえず安全のようだ。  む? 今目の前を過ぎていったのはツバメ? なにか封筒をくわえていたけど……。 「ま、待てーーーツ!」  ネギ先生がそのツバメを追って走っている。しかも足を魔法の力で強化までしている。それほどまでに必死になって追うということは、あれは親書? 「ま、マズ……こっちも追わないと」  でも、これも囮で木乃科の身に何かある可能性がある。ここはネギ先生に任せるか?  ——PPPPP……  え? あ、私の携帯電話か。刹那から?  急いで連結部に出て、電話に出る。そういえば彼女は念話が出来なかったけ。 『衛宮か?』 「ああ、刹那。親書が奪われたらしい。ネギ先生が追いかけていて、私も追いかけようと思うんだけど……」 『それは私が何とかします。衛宮はこのかお嬢様の護衛を頼みます』  勤めて感情を抑えた声だ。まだ引きずっているみたいだ。何か言ってやりたいが、今は非常時だ。 「分かった」  これだけ言うと電話を切り、木乃香の元に急ぐ。 「シホ、どこ行ってたん?」 「探したわよ」  席に戻ると木乃香と明日菜が声をかけてきた。そういえばネギ先生が雪広さんに点呼をお願いしたんだっけ? その時にいなかったのだ、心配されたようだ。 「すまない、ちょっと席を外していた」  シートに座りつつ、周囲に視線を巡らす。式神が使われたのだ、近くに術者がいることは間違いない。魔力の精査が出来ればいいのだが、私はそこまで器用なことは出来ない。せいぜい相手の出方を待っていち早くそれを察知するしかない。 「そうだ、桜咲さんを知らない? 志保と一緒にいるかと思ったのだけど」 「あ、うん。お手洗いに行ったみたいだよ」  明日菜は魔法に関わっているから本当の事を言っても問題はないけど、近くには木乃香もいるし、何より危険なことには極力関わらせたくない。だからとっさに吐く嘘。我ながら下手だなーと思うが、 「あ、そうなんだ」「せっちゃん、トイレなんか」  あっさり信じるこの二人。こんなので大丈夫かな?  3年A組の修学旅行、タダで終わる気がしないな。私はこの段階で覚悟を決めることにした。 『——まもなく京都です。お忘れ物ないよう——』  電子音声による日本語と英語の車内案内が流れる。 「皆さん、降りる準備をしてくださーーーい」 「えー、もうっ!?」「けっこう早かったねー」  ネギ先生が通路でみんなに呼びかけ、A組のみんなが名残を惜しむ声あげつつも荷物を下ろしていく。私もバッグを下ろす。さっきまでのカエル騒動はすでに治まっており、ネギ先生の様子、刹那が無言で向けてきた視線で親書も無事だと分かった。  結局術者は発見できなかった。魔力の遮蔽に優れているのか式神に感じた魔力以外は感知することは出来ず、この事だけでも術者の力量が知れた。決して侮れない相手のようだ。 「では皆さん、いざ京都へ!!」 「「「おーーーっ」」」  京都駅のホームに響く先生の声とみんなの歓声。この声を聞きながら、私は彼らを守らなくてはいけない、そんな思考が自然と胸から湧いて出ていた。 「京都ぉーーーっ!!」  椎名さんの絶叫が見晴らしのいい場所から京都の街へと響く。  駅を出てバスに乗った麻帆良学園中等部一行が先ず向かった場所は日本でもいや、世界でも有名なお寺、清水寺。そして私たちがいるのはその舞台。 「これが噂の飛び降りるアレ!!」  明石さんが興奮した声を上げる。いや、噂じゃなくて故事だったのでは? 「誰かっ!! 飛び降りれっ」  さらに興奮している鳴滝(姉)さんがテンション任せに無茶苦茶なことを言い出す。でも、このクラスにはそれが平気なハイスペックな人が何人もいるんだよな。 「では、拙者が……」 「やめた方がいいよ」  早速言い出した楓の腕を掴んでやんわり止める。彼女の場合危ないから止めるのではなく、危なげなく下に飛び降りてしまうから止めるのだ。そんな事になったら絶対に騒ぎになる。と言うか忍でしょ、目立つのはご法度ではないのか? 「ここが清水寺の本堂、いわゆる『清水の舞台』ですね。本来は本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで……』の言葉どおり江戸時代実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く……」  綾瀬さんが『どろり濃厚・ぴーち味』なるジュースを飲みながら清水寺の講釈を始めだした。明石さんは「変な人がいる」と呆れとも驚きともつく表情をしているけど、ネギ先生や超さんは熱心に聴いている。 本来の『修学旅行』という事をいうのなら実に勉強になる話だけど、やっぱり大半の生徒は舞台からの景色が面白いみたいだ。 「天気がよくて良かったよねー」「ホント!」「ねー、誰かシャッター押して」  私も舞台から京の街に視線を移す。場合によっては戦場になるかもしれない場所だから視力を強化して街を見渡す。ここからならば中心街のビルにいる人影までなら見える。地形の把握ぐらいなら出来そうだ。 「わーーースゴイ京の街が一望ですねーー」 「ハシャいで落ちないでねネギ」「ネギ先生に喜んで頂けて良かったですわ」  街を見ていたら、ネギ先生と5班のみんなも舞台から街を見ていた。私と違って向こうは純粋に景色を楽しんでいる。なんかそういうのは純粋に羨ましい。  ここまで人目があると魔法を使った妨害は考えにくいが、一応周辺にも警戒の視線を巡らせる。学園の生徒、引率の教師以外は観光客と寺の関係者で、魔力は感じない。感じるのは主に学園の生徒と教師、あ、瀬流彦先生に結構な魔力を感じる。魔法先生?  そんな時、綾瀬さんが 「ここから先に進むと恋占いで女性に大人気の地主神社があるです」  というセリフで彼女を中心とした空気が変わった。はあ、女の子になっても未だこういった所は理解できない。 「ではネギ先生、一緒にその恋占いなど……」「は、はあ」  まっさきに雪広さんが動く。ネギ先生の肩に手を置いてやんわりと、でも確実に先生をホールド、そこに連れて行こうとする。そこに佐々木さん、宮崎さんが続こうとして毎度の混乱が始まりそうだ。  ここに綾瀬さん、 「ちなみに……そこの石段を下ったあそこ。有名な『音羽の滝』に出ます。あの三筋の水は飲むとそれぞれ、健康・学業・『縁結び』が成就するとか……」 「縁結び!?」「それだ!!」  この状況に止めを刺しました。例えるなら火に油(それもハイオクガソリン)。  こうなると止まらないのがA組。佐々木さんと鳴滝姉妹が、雪広さんからネギ先生を強奪。「ホラネギ君、行こ行こーーっ」と連れて行ってしまった。 「あ、コラまき絵さ……そこの人達!! ぬけが……いえ、団体行動を……!!」  雪広さんの面子と欲望にまみれた制止は彼女たちに通用しないようで、三人はそのまま地主神社までネギ先生を持っていく気だ。  一瞬、木乃香とどちらを護衛しようかと考えあぐねる。どちらも重要な護衛対象。ひいてはA組みんなが護衛対象みたいなものだが、今回一際重要度の上がった彼らの内どっちをと考えていると、 「私はネギ先生のところに、衛宮はこのかお嬢様のところへ」  後ろから刹那にそう声をかけられた。刹那がネギ先生と親書の護衛に回るようだ。 「また聞くけどさ、いいのかい? 木乃香は大切なんだろ?」  新幹線の時もそうだったが、刹那は木乃香と無理に距離を取ろうとしている。それがどうにも不器用で、大切にしているのがこの手のことに鈍い私でも丸分かりだ。まったく、大切ならなんで傍にいないんだろう? 「確かに大切です。ですが今は使命を優先しなくては。頼みました」  そう言って、こちらが何か言う前にネギ先生を追って刹那は走り去ってしまった。 「私の知り合いは本当に揃いも揃って不器用な奴らばっかりだよなー」  刹那の後ろ姿を見ながら、ポツリと感想を漏らす。  師匠といい、ネギ先生といい、明日菜といい、そしてまた刹那といい、類は友を呼ぶのだろうか? ……いや待て、そうなると私がその類か? 「……はあ」 「シホーー、ウチらも行くえー」  木乃香が呼ぶ中、私は思い切りため息をついて歩き出す。もしそうだったら凄くイヤだなーと思いながら。 「潜入・誘拐はうち一人で潜入してやります。フェイトと小太郎は今回留守番や」 「分かった」 「えー、何でだよ。折角、西洋魔術師をぶっ飛ばす機会やっていうのに」 「はいはい、男ならグチグチいわんことや。で、月詠とセイバーはん、遠坂はんがバックアップ。うちは全力で指定の場所に逃げるさかい、そこまで追っ手があるなら撃退、撒いたならそのままお嬢様と一緒に撤収。いいか?」 「はいー、任せられましたー」 「ま、報酬分の仕事はきっちりこなすつもりよ」 「……不本意ですが、マスターである凛の意向に従います」 「では、作戦開始時刻は21時。さて、始めますえ」 「そうか、ネギ先生が言い出したんだ」 「もう、志保も水臭いんだから。話してくれるなら私も少しは助けてあげるのに」  夜。場所は嵐山の旅館、夕食が終わり誰も来ない階段の踊り場で私と明日菜が話し合っている。ちょうど風呂に入ろうとしたときに明日菜に捕まえられ、今回のことを言わざるえない事になっているのだ。  内容は今日の不可解な出来事と、ネギ先生が明日菜に漏らした関西呪術協会の妨害について。  あの後の清水寺周辺での事件は余りにも間が抜けている出来事の連続だった。地主神社では雪広さんと佐々木さんが恋占いの石のところでカエル入りの落とし穴に落ちて、音羽の滝では縁結びの筋に日本酒が混入されて十数名が酔っ払い危うく修学旅行中止になるところだった。  ちなみに、お酒はおいしく頂きました。回収したお酒は結構良いものなので師匠へのお土産にしようと考えている。  ともかく、不審を覚えた明日菜はネギ先生に話したところ関西呪術協会の妨害を知り、こうして私のところにも来て確認をとっているという次第だ。 「で、私は木乃香、及びネギ先生と親書の護衛を学園長に依頼されいるんだ。一般人の木乃香はもちろんだけど、ネギ先生も学園長からの試練があるから余り話すことではないと言われているんだ」 「このかの護衛って、学園長の孫だから?」 「まあ、そんなところ」  さらには関西呪術協会の長の娘で、極東一の魔力保有者だからでもあると学園長から聞いているのだが、わざわざ話すことでもないから言わない。 「私はこの修学旅行の裏方みたいなものだよ。明日菜がわざわざ関わるような……」  ——ビシ 「にゃ!?」  デコピンが飛んできた。痛い。 「だから、それが水臭いの。いーい? ここまで聞いちゃったんだから、私も関係者でしょう? それにクラスをその関西呪術協会っていうのから守る必要があるなら人手が必要でしょ、違う?」 「でも、女の子を戦場に入れるのは……」 「あんたも女の子でしょうが!!」  ごもっとも。『シロウ』の感覚では許せない事だけど、そういう風に言われたら何とも言えない。 「アスナ、なんや楽しそうやなー」  階段を下りてきて木乃香がやって来た。手には風呂道具。どうやら彼女もお風呂のようだ。 「あ、このか。いや、ちょっと志保と話をね」 「まあ、ね。ところで、今からお風呂?」 「せや、二人とも一緒にどうかえ?」  こちらのあからさまな話題のすり替えに気にするでなく、乗ってくれる木乃香。この時はありがたいけど、もっと人を疑おうよ木乃香。 「そうね、志保もお風呂道具を持っていることだし、いいよね?」 「へ? あ……む」  一緒に風呂か、最近になってようやく赤面することはなくなったものの、未だに慣れないところがあり積極的に一緒したいとは思わないのだけど…… 「分かった」 「よし、決まり。早速いこうか」  護衛のこともあり、首を縦に振らなくてはいけないのが私の立場だった。 ——ざっばああああ!!  三人で浴場に来たとき、中からすごい音と魔力を感じた。 「なぁ、アスナ。今このお風呂場からスゴイ音せーへんかった?」 「え、そう?」 「いや、したぞ。明日菜」  私は明日菜に目を配らせる。それでどうやら私が何を言いたいか察してくれたようで、小声で話しかけてきた。 「(ひょっとして関西なんたら?)」 「(さあ? でも中にネギ先生の魔力を感じた。交戦しているのかも)」  中から感じる魔力は覚えがある。間違いなくネギ先生のもの。 「じゃあ、助けにいかないと」「え? ちょ……」  止める間もなく、すぐに風呂場に入っていく明日菜。 「え、どうしたん?」「あ、木乃香まで」  こちらも制止する間もなく中に入っていく木乃香。 「ああ、もう!」  自分に不甲斐なさを感じながら、私も脱衣所に突入する。  ほどなく、 「ひゃああああー」  脱衣所に悲鳴が上がる。同時に視界に襲い掛かってくる何者かの影。明らかに害意がある! 「っ!!」  投影する時間も惜しんで、爪を硬質化させて掛かってくる影を切り裂いた。  ——ウキ! ウギ!  爪に切り裂かれたものは、茶色い毛皮を纏い、長い尻尾を持つ体長三十センチぐらいの—— 「サル?」  どこから見てもその形はサル。見た人は百人中百人がサルと答えるであろう完璧にサルだった。しかし、魔法的な目で見ればこれらは式神だとすぐに分かる。現に切り裂いたサル達は紙に戻っている。 「カエルの次はおサルか。明日菜、木乃香、大丈夫……か……」  絶句。  目の前に見えるサルの式神の数はざっと二十ほど。それに襲いかかられた明日菜と木乃香は、 「いやぁぁぁぁーーーん」  制服を脱がされ、今は下着をひん剥かれようとしていた。 「この式神を使っている術者は何を考えているんだか……」  こちらにも向かってくるサルの式神を爪で払いながら、思わず呟いてしまった。これだけの式神を制する一流の術者のはずなのに、やっていることは女子中学生を裸にすること。そのギャップに目眩を覚えそうだ。 「大丈夫ですか、このかさん!?」  風呂場からネギ先生と刹那がやってきた……え? ここ混浴なの?  「ちょっ……ネギ!? なんかおサルが下着をーー!?」 「……」  多分、悲鳴を聞きつけて勇んでやって来ただろう二人。この余りの光景にやっぱり絶句したようだ。あ、ネギ先生はコケた。 「あっ、やっ、やーーん。あ、せっちゃん、ネギ君!? あーーん、見んといてーーっ」 「えうっ!? 一体コレは……!?」  下着までサルに取られ、完全に裸になった木乃香にネギ先生はさらに混乱して、ワタワタしている。敵の狙いはかく乱? にしても赤面モノ過ぎるような。  あー、まずはこの事態を収拾させよう。 「刹那、こいつらを……」 「こ、この小猿ども!! このかお嬢様に何をするかーー!?」  どうにかしよう、と言おうと思ったがその前に刹那が激昂して剣を抜いていた。風呂場にまで夕凪を持って入るのか。ま、私も。 「投影開始[トレース・オン]」  爪の代わりに両手に持つ二振りの中華風の短剣。手にしっくりくる『干将・莫耶』。それを構える。 「蹴散らすぞ、刹那」 「衛宮!? ……分かった」  いざ、サル型式神を払うべく踏み込もうとしたが、 「きゃ、桜咲さん、何やってんの!? その剣ホンモノ!?」 「ダメですよ二人とも、おサル切っちゃカワイそうですよーー」  明日菜は刹那の振り回す夕凪に驚き、ネギ先生は刹那と私を止めに入った。それも腕を思い切り広げて私と刹那、二人分の腰にまとめてしがみついている。 自然、刹那とは密着状態で、さらに言うなら刹那はさっきまで風呂に入っていて身に纏っているのはバスタオル一枚のみ。烏の濡れ羽のような髪と、風呂で上気した肌。……最近、男の精神が薄くなっていると思っていたけど、しっかり残っているものだ。って、感心している場合じゃなくて! 「ネギ先生、放してください! こいつらは敵の放った式神。払わなくては」  我に帰れば、周囲はサルだらけ。しかも衣服をひん剥いているエロザルだ。 「そうです、それにこいつらは低級な式神! 斬っても紙に戻るだけで……わっわっ……」  あ、刹那のバスタオルに手をかけるサルがいる。そしてそのまま引っ張られていき—— 「「わーーーっ!!」」「きゃあ!」  私を含めて三人絡まるように転ぶ結果。 「むう……」  ん? 暗い。 それに顔に当たるバスタオルと妙な感触。  む、バスタオル? 顔を上げると白い背中。うん、多分刹那の背中だ。で、今私が顔を埋めているのはバスタオルではなく手ぬぐい。しかも下に妙な感触がある。しかもこれは誰かの体。それに私と刹那が乗っている状態。 「げ」  横目で見ると明日菜が驚愕している。 「うひゃっ!?」  これはネギ先生の声。下から聞こえたのだけど…… 「あ……?」「えう?」  理解。瞬間赤面。  つまり、なんだ。仰向けに倒れたネギ先生の胸に刹那が一糸も纏わず跨り、私はその、ネギ先生の下腹部に顔を突っ込んでいたわけだ……恥ずかしいというのを通り過ぎるなこれは。 「なっ……ななな!? 私は味方だといったでしょう。邪魔をしないで下さい!」 「え……別にそんな」  刹那は赤面しつつも言うことはきっちり言えているようだが、 「………………うう」 「わあ、衛宮さん。すいません、泣かないで下さい」  どうもこの気持ちを上手く言えない。でも、何でだろう妙に気が沈んで目から涙が出る。おかしいな、前は男でアレが私にもついていたハズなのに、いざこうなると違うような気がする。 「ま、待って三人とも、このかがおサルにさらわれるよーーー!?」 「ひゃああーー!?」 「ええーー!?」  なんだと。  明日菜が指差す方向を見れば、十匹ぐらいのおサルにミコシみたいに担がれた木乃香が風呂場にさらわれていくではないか。 「くっ!」 「お嬢さま!!」  サルに突撃する刹那に先行して、こっちは投影した干将・莫耶を拾うとすぐさま投擲、地面スレスレを這うように飛ぶ双剣は数匹を切り裂き、紙に戻すがまだ足りない。残りは刹那に! 「刹那! 残りは!」 「分かった!!」  裸のまま、抜き身の野太刀を構え飛ぶような踏み込む刹那。木乃香の体を抱えると同時に片手で剣を振り抜き、それが幾重もの斬撃になる。  ——神鳴流奥義・百烈桜華斬  それは範囲内に巻き込んだ敵を文字通り花と散らす剣技だった。私が振るう実戦本意の泥臭い剣などと比べるまでもなく華がある。 今までの仕事では魔物に囲まれ刹那の剣をじっくり見る機会がなかったが、こうして見てみると本当に彼女の剣は美しく、見るものを魅了する。 「さて」  その、華の邪魔をする不逞の輩がいるのだが……。 「投影開始[トレース・オン]」  指に挟むように投影した六本の黒鍵を気配を感じて怪しいと思う茂みに扇状に投擲——駄目か、避けられた。気配が遠ざかる。一本でも中ればと思ったのだがな。透視をも遮蔽するとは凄い術者だ。中るイメージが掴めなかった。 「すまない、逃げられた」 「いえ、構いません。お嬢さまを守れたわけですし」  軽く刹那と言葉を交わすが、彼女の表情は晴れていない。 「このかーー」「このかさん、大丈夫ですか」  ここでようやく明日菜とネギ先生が木乃香に近づき、木乃香本人も我に帰ったようだ。刹那に声をかけている。 「せ、せっちゃん。なんかよーわからんけど、助けてくれたん? ……あ……ありがとう」 「あ……いや……」  二人とも、見ているこちらが微笑ましくなる位赤くなっている。なんだ、ちゃんと友情やっているじゃないか。  けれどそれも束の間。  ——パッ   バシャン 「ひゃ」  刹那が抱える手を離して湯船に木乃香を下ろす(落とす)と、落ちていた鞘を拾い、 「あっ、せっちゃん」  木乃香の制止を聞かず浴室から逃げ去ってしまった。  後には「あ……」と寂しそうな声をあげる木乃香と事態の飲み込めない明日菜とネギ先生。それとどうしたものかと頭を抱える私が残された。 「衛宮さん、このかさん、あの刹那さんって人は何なんですか!? このかさんのことお嬢様って言ってましたけど」  サル騒動の後、ともかく落ち着いて話をしようと四人でお風呂に入ることになった。風流な岩の露天風呂で(刹那が切ったと思われる岩があったけど気にしない方向で)、こんなことがなければ何も考えずに浸かっていたいのだが、現実はよろしくない。  入った早々で、ネギ先生に質問された。ま、普通そうだよね。それに木乃香と刹那のことも気にはなる。今回はそれがキーになる予感がするからだ。 「刹那は私とはこっちに来てからの仲間かな、二回ほど一緒に組んだことがある程度だよ。だから詳しいことはなんとも」  木乃香がいるから詳しい固有名詞は言わなかったが、ネギ先生はそれで察してくれた。さすが天才少年。明日菜も私が何を言っているかは大体見当がついたみたいで、話の中心は木乃香に向かう。私もいつしか視線は彼女に向かって話を聞く体勢になっていた。 「このか……やっぱり…あの桜咲さんとは何かあったの?」  話を切り出したのはやっぱり明日菜。やはり長年の友達付き合いのためか、木乃香も思ったほど口は重くなかった。  話は長く、風呂に入っていた私たちが上がってからも続く。  木乃香は麻帆良に来るまでは京都に住んでいた。それも山奥の広く静かな屋敷で、幼いころ常に一人で遊んでいたのだとか。(おそらく関西呪術協会の本山だろう)それがある日、屋敷に来た神鳴流の師範という人について同年代の女の子がやってきた。その子が刹那だった。  木乃香最初の友達。一緒に鞠で遊んだり、剣道をやっている刹那が恐い犬から守ってくれるなど危ない時は守ってくれたり。  川で溺れそうになった時も、一生懸命助けようとして、果たせず泣いた事もあったとか。  それが刹那の剣の稽古(修行と言ったほうがいいだろうな)が忙しくなり、疎遠になっていき木乃香も麻帆良に引越し、中学一年の時に再会を果たしたが、その時には今の状態になっていた。 「……」  長い話が場所を変え、休憩場で終わった。  話が終わってもしばらく誰も言葉が言えなかった。 私は沈黙に耐えかねて買ってきた缶コーヒーに口をつける。普段より苦く感じるのは気のせいだろうか? 「何かウチ、悪いコトしたんかなあ……せっちゃん昔みたく話してくれへんよーになってて……」  こう言った木乃香は付き合いは短いものの、今まで見たことがないほど寂しい表情をしていた。  なんか無性に頭にくる。こういうのは正しくない。お互いがお互いを思っているのはもう分かっている事なのに、立場、感情で思っていることがすれ違うのだ。  気がつくと口の中が血の味になっていた。甘露なはずのそれは今だけは苦く感じた。 「このかさん、淋しそうでしたね」 「うん……普段のこのかなら絶対あんな顔しないもん」  木乃香と別れ、三人で廊下を歩く。服装は旅館らしく浴衣。湯上りの熱も先ほどの彼女の話で冷めてしまっている。 「あ……でもそういえば、中1の新学期の頃ちょっと落ち込んでいたコトあったかな……? 水臭いなあ、何にも話してくれなかったなんて」  明日菜が友人として相談に乗れなかった事を軽く悔やんでいるようだけど、それだけ木乃香にとって秘めていた感情なのかもしれない。それだけ大切な話だったのかもしれない。 「そうだ、それより桜咲さんは結局どうなっているのよ!? さっきなんかスゴかったけど……敵なの、味方なの?」 「味方だよ。断然」  明日菜の疑問に私はキッパリ言い切る。 「衛宮さん?」「志保?」  今まで黙ってついてきた私が口を開いたので、二人とも少し驚いた表情をしているが、構わず話を続ける。 「ネギ先生には黙っていたけど、私と刹那は学園長から仕事の依頼を受けて修学旅行中の魔法に関わる事案の解決、主に関西呪術協会の妨害工作から木乃香をはじめとしたA組の護衛を依頼されている。さっきも言ったけど刹那は仕事仲間だ」 「あ、桜咲さんも仲間なんだ」 「あうー、謝らないといけないですね」  どうも、話を聞くに新幹線のところから刹那のことを関西のスパイだと疑っていたようで、護衛のための刹那の視線を監視の目だと誤解し、風呂場ではネギ先生と刹那が一戦やらかしたのだとか。  で、その疑いを助長したのが—— 「またお前か、オコジョ」 「志保の姐さん、勘弁してください。お願いですから三枚に下ろさないで下さい……」  こうも卑屈に明日菜の肩の上で謝られると起こる気も失せるなあ。  にしても師匠の時もそうだったが、このカモミールというオコジョ、ネギ先生を助けることをしている一方で、早とちりと暴走でネギ先生を危機にも陥れてないだろうか?  やっぱり、今のうちに…… 「ひぃぃぃぃぃぃっ!」 「志保、目が怖いよ」  風呂場で立ち去った刹那を探して、廊下を行く。廊下にはまだ出歩く生徒がいるが、ネギ先生が教師らしく就寝を呼びかけ、生徒たちも素直に応じて部屋に入っていく。  静かな夜だ。とても中学校の修学旅行初日とは思えない静けさだけど、騒がせどころが軒並みお酒で強制睡眠されいるため無理もない話しだ。これは明日はトンデモナイとこになりそうだな。  廊下で会った楓とネギ先生は森のことがあってか親しくなっているようだ。 「(ところでまた何やら大変そうでござるな先生。拙者で良ければいつでも呼ぶでござるよ)」 「あ、はい。ありがとうございます長瀬さん」  うん、なんかちょっと違うけどこれも一つの教師と生徒の在り方かな? 「志保殿もでござるよ」 「あ、うん。ありがとう」  聞いていると分かりますか楓。  刹那はロビーにいた。  従業員に借りたのか、脚立に上がって旅館の入り口の鴨居に札を張っている。札には梵字と九字に清明印。陰陽道かな? 「な、何やっているんですか? 刹那さん」 「これは式神返しの結界です……」 「へえーー」  恐る恐る聞くネギ先生に、刹那は決まり悪そうにぶっきらぼうに返す。やはりさっきの事は引きずっているな。明日菜は無邪気に感心した声を出しているけれど……。 「手伝うことはあるかい?」 「いえ、もう主だった場所にはすでに結界を張り終わりましたから」 「そうか」  軽くこの旅館を走査。確かに主な場所に基点として呪符が形成する結界が感じられる。これなら式神や使い魔など肉体を持たない魔法的な存在は旅館に入れないだろう。 「えと……刹那さんもその……日本の魔法を使えるのですか?」  刹那が札を貼り終えて、話のために私を含む四人がロビーのソファーに着く。  ネギ先生は刹那と会話するための話題を探して、結局魔法関係から話すことになっているようだ。 「ええ、剣術の補助程度ですが」 「なるほど、ちょっとした魔法剣士って訳だな、つまり」  カモミールの感想になるほどと唸る。前の二回の仕事のときは刹那が術を使っているところを見てはいない。が、こうした呪符を使った魔法の完成度が高ところからみると、術者としてもかなりのものだろう。 「(志保のときもそうだけど、オコジョが喋っても驚かない世界の人か……ハハハ)」  明日菜が小声でそんな事を言いながら苦笑しているのが聞こえた。私の場合、この世界に先入観がないからオコジョが喋るのもありかな、と思っただけなのだが明日菜には苦笑の対象ということか。  刹那が軽く明日菜が魔法関係の人か確認を取ると、話は始まった。 「敵のいやがらせがかなりエスカレートしてきました。このままではこのかお嬢様にも被害が及びかねません。それなりの対策を講じなくては……」  ここで言葉を切った刹那は、ネギ先生をジトっとした視線で射抜くと、 「ネギ先生は優秀な西洋魔術師と聞いていましたので、上手く対処してくれると思ったのですが、意外と対応が不甲斐なかったので、敵も調子に乗ったようです」  ここまで言って「ふう」とため息。確かにネギ先生は刹那をスパイと思い込み碌な対処をしていなかったなー。 「あうっ……ス、スミマセン。まだ未熟なもので」 「ネギ先生、未熟は無能の言い訳になりませんよ」 「はう……」  あ、ちょっと止め刺したか? ネギ先生がガクっとうなだれている。けどこのくらいでへこたれる先生ではないですよね。  ここにフォローを入れるようにカモミールが話しを挟む。 「と、ともかく。志保の姐さんからも話は聞いた。すまねぇ、剣士の姐さん。俺としたことが目一杯疑っちまった!!」  悪かったと謝るカモミール。うんうん、ちゃんと謝ることは必要だ。カモミール君、私の中で好感度が上がったぞ。 「ごめんなさい刹那さん……ぼ、僕も協力しますから襲ってくる敵について教えてくれませんか!?」  続いてネギ先生が協力も申し出てきた。こっちは断る気はないけど、刹那は? と視線を向ける。彼女も断る気はないようだ。僅かな逡巡の後、刹那が話し始めた。 「……私たちの敵はおそらく、関西呪術協会の一部勢力で陰陽道の『呪符使い』、そしてそれが使う式神です」  そうして話す内容は、これまた以前に師匠に座学で叩き込まれた内容に則したものだった。思えばこの一ヶ月余りで本当にこの世界の『魔法』に詳しくなったよな、『俺』は。  呪符使いは陰陽道を基礎として、呪文の詠唱時に無防備となるところは西洋魔法と同じ。それをガードするために西洋の魔法に『魔法使いの従者』があり、呪符使いには善鬼(前鬼)や護鬼(後鬼)という強力な式神があるのだとか。  さらに、関西呪術協会は刹那が所属する京都神鳴流と親交が深く、退魔の神鳴流が呪符使いの護衛に付くこともあり、そうなると善鬼・護鬼と合わせて前衛後衛共に隙がなく、手強くなるのだ。 「うわわ……ちょっと何だかヤバそうじゃん?」  刹那がここまで話し終わったところで明日菜が焦るように声をあげた。確かに戦闘初心者の明日菜がそれらの相手をするのは辛いだろうな。 「まあ、救いがあるなら今の時代そんなことは滅多にありませんが……」  焦る明日菜に刹那がフォローを入れる。でも、相手の戦力は常に最大多数を考えてはいるのだろう彼女も。 「じゃ、じゃあ神鳴流ってゆーのは、やっぱり敵じゃないですか」 「はい、彼らとってみらば、西を抜け東についた私は言わば『裏切り者』。でも、私の望みはこのかお嬢様をお守りすることです。仕方ありません。私は……お嬢様を守れれば満足なんです」  刹那の本当に満足そうな表情を見た……それで先ほど感じた怒りは失せた。つまり、なんだ。語弊を覚悟で言うと木乃香と刹那はこちらがどうこう言うまでもなく『両思い』なわけか? ただ、刹那が素直になれないだけで一押しがあるだけで問題解決か? ああ、でもその『一押し』が大変だろうけど、 「よーし、分かったよ桜咲さん!!」  刹那が話し終わって訪れた沈黙を破ったのは明日菜。立ち上がると刹那の肩にバンと一発入れると、 「あんたがこのかのこと嫌ってなくてよかった。それが分かれば十分!! 友達の友達は、友達だからね。私も協力するわよ」  なんて言い出した。ああ、私も若いつもりだったのだけどなー。このポジティブさは見習わなくては!  私も立ち上がる。 「私ももちろん協力する。仕事とか抜きで、刹那と明日菜、ネギ先生にも」 「よし、じゃあ決まりですね」  ネギ先生が最後に立ち上がり、私たちの手を集め、重ね合わせた。 「3−A防衛隊[ガーディアンエンジェルス]結成ですよ!! 関西呪術協会からクラスのみんなを守りましょう!!」 「えーーー!? 何その名前……」 「悪くないと思うけど」 「志保、本気?」 「ネギエンジェルスにされないだけマシでは?」 「……そうね。ちょうど女の子三人だし……」  関西呪術協会の脅威からクラスを守るため、ここに3−A防衛隊が結成された。前途は多難だろうけど、きっと何とかなる気がしてきた。 私たち四人の方針は決まり、明日菜、刹那と共に一先ず部屋に戻ることになった。ネギ先生はすでに張り切って外の見回りに行くと言って、旅館を出て行っている。手加減されたとはいえ師匠と渡り合えた人だし、オコジョのカモミール君もいるので大丈夫だと思う。 「ただいまーって、あら、みんな寝てるわ」  5班に割り当てられた部屋の引き戸を開けての明日菜の最初の言葉がこれだ。  風呂に入る前に床に敷いた七組の布団の内、三組が埋まって寝息が聞こえている。一人足りない? ああ、それは、 「綾瀬さん、ここで寝ていると風邪をひきますよ」  窓の傍にある椅子に綾瀬さんが座って船を漕いでいる、いやこれは完全に寝ているな。ちょっとやそっとじゃ目覚めそうもない。なんでこんなに寝つきがいいのだろうか? 「ん? 酒臭い」  臭いをたどるとテーブルにある水筒。表示には『音羽』の文字。えー、つまりお酒を飲まなかった人もここで飲んだ形になって、ぐっすりという事か。 「運びますよ、綾瀬さん」  綾瀬さんの足と肩に手を回してだっこする形で運び、布団に入れてあげる。前も感じたが彼女はやっぱり軽い。ちゃんとご飯を食べているのかな。  そうしていると後ろから視線を感じる。振り返ると微笑ましいものを見る明日菜の姿がある。なんでそんな表情? 「何? どうしたの」 「いや、なーんか志保のその姿って、世話焼きお姉さんというか、子供の心配をするお母さんって感じだから。将来保母さんになれるんじゃない?」 「…………」  否定してやりたいけど、否定する要素がなくて言葉に詰まる。でもお姉さんはまだ分かるけどお母さんはないんじゃないか? 父性、いや母性を発揮するにはまだ早いって。 「では私と衛宮は廊下で各部屋を見回りますので」 「この部屋の警護を頼むよ」 「わかったわ、じゃあ何時間かごとに交代ね」  簡単に配備を決める。旅館は広いので刹那と私の二人で手分けして見回り、明日菜はこの部屋で木乃香の直接護衛ということになった。それをローテーションで、明日菜、刹那、私の順で持ちまわる。 「大丈夫、このかのことはつきっきりで守るから」  ニカリと音がしそうな笑顔を明日菜は見せている。強がっているのは明らかだが、ここはその強がりに頼らせてもらうしかない。 「……すみません神楽坂さん。でも何かあったらすぐ私か衛宮を呼んでください」 「ネギ先生の魔力供給がないから、無理はしないでね」 「うん、分かった」 「じゃあ、行こうか」 「はい、では……」  二人で、部屋を出る。見回りとはいえ敵の襲撃が予想されているのだ、武装はしている。刹那の手には愛刀・夕凪、私もバックから出した聖骸布の外套を纏っている。でも、浴衣の上に赤い外套というのはちょっと似合わないかなー? 「では、私は東側、衛宮は西側をお願いします」 「了解」  現在この旅館には三年A組をはじめ五クラス、二百人近くが宿泊しており、一般の宿泊客は少数だ。私が向かう旅館の西側もほとんどが麻帆良学園の生徒ばかりだ。  刹那と別れ、独り廊下を歩きながら考える。もし、ここに来るとしたらどういう手段をとるか? 正面から来ることはここまでのことで可能性は薄い。としたら潜入だが、潜入者が若ければ学園の生徒に成りすますという手があるし、そうでない場合もここの従業員を装える。どちらも人数が多いので一人一人の顔を覚えるのは無理だ。  相手にとっての問題は刹那が張った結界だろうけど—— 「む、魔力?」  新幹線でもカエルが出てくる際感じた魔力が感じられた。場所は、まずい、5班の部屋だ。  すぐに回れ右! 後、前進全速! 「きゃっ!」 「ゴメン!」 「ひゃあ」 「すまない!」  何人か廊下でぶつかりそうになるけど、構っていられない。 「衛宮!」 「刹那か!」  部屋の前でちょうど刹那と合流した。お互いこれ以上の意思疎通は不要、引き戸を勢いよく開き、中に突入する。 「神楽坂さん、このかお嬢様はっ!?」  部屋の中は割りと平静、いつの間にか起きた綾瀬さんが何かを耐える表情しているのは気になるけど。 「え……そこのトイレに入っているけど?」  答えてトイレの扉を指す明日菜の表情にも危機感は窺えないが、魔力はまだ感じる。油断は出来ない。綾瀬さんに経過時間を聞いてみるか。 「どれ位の時間が経っている?」 「じゅ、十分くらいです……ううう、ふ、二人で昼の滝の水で晩酌をしていたのでそのせいかもです」  あ、何を耐えているかと思えば尿意ね。 「こ、このかー、いるよねー?」  ノックをしつつ明日菜がトイレの中にいるだろう木乃香に呼びかける。 「入っとりますえー」 「ほらね」  返ってくる返事。人の気配もする。んー、でもなんかこの気配は人工くさいような……あ、そうだ。  ——同調開始[トレース・オン]  本当はやりたくないが、非常時だ。すまない、中を透視させてもらうよ。 「む、やられたか」  中に木乃香の影はない。 「ここ、このかさん、私もうーーー」 「本当に大丈夫ですかお嬢様」  ドンドンと扉を叩く刹那と綾瀬さんだが、返ってくるのは偽りだけだ。 「どいてくれ、二人とも」 「志保さん?」「衛宮、何を?」  足に軽く魔力を込め、二人が何か言う前に……  ——ドゴン 「わ、志保なにやっているのよ!」  トイレの扉を蹴り開けた。この暴挙に一同驚いているけど、中を見てさらに驚きを深めた。 「入っとりますえー」  トイレの中には人影はなく、木乃香の声で返事しているのは、 「あっ、これは……」「お、お札がしゃべっているーー!?」  便器に貼られた一枚のお札。そこから声と人の気配までしている。  つまりすでに侵入者は木乃香を攫っており、私たちはまんまと騙されたわけだ。 「しまった! 騙されました」 「ど、ど、どうしよう!?」 「何でもいいから私におしっこさせてください!」  しばらく混乱する5班の部屋。ここまで騒いでいるのに他の二人が目覚める気配すらしないとは、よほどお酒に弱かったのかな?  私は窓際に行って、外に目を向ける。刹那はお札の処分をしているようだ。明日菜は…… 「えっ!? 何コレ!? ネギの声!?」  何やら戸惑っている様子、その後ワタワタと何かをしているが諦め、すぐに携帯電話を探し始めている。 「……捉えた」  視界がその影を捉えた。妙に頭の大きい人影が、人を抱えている。まだ近い場所だ。 「刹那、外だ。怪しい人影が橋に向かっている」 「何!? 分かりました、外ですね?」 「ああ、明日菜は……」  外に向かうため部屋を出ようとして明日菜に視線を向ける。彼女は、 「ネギごめん!! このかがゆーかいされちゃった!! どうしよう」 『えーーー!?』  携帯電話でネギ先生に連絡を取っている。向こうでも相当に驚いているようだ。耳をすまさなくてもここまで音声が聞こえてしまう。 「明日菜、ネギ先生と合流しよう。橋のところだ」 「あ、ああ、うん。分かった」  明日菜は携帯電話をしまい、三人で部屋を出る。全員とるもとりあえずの押っ取り刀、浴衣がはだけるのも構わない。何より今は助ける人がいるからだ。 『目標確保に成功しましたえ。月詠、そっちはどうや?』 『すいませんー、遅刻しそうですー』 『? どういう事』 『小太郎クンがセイバーさんのくせ毛を掴んだら、セイバーさん黒うなって、前よりさらにおっかなくなりましたー、今遠坂さんがなだめている最中ですー』 『黒? 何かよう分からないけど、そんなに遅なることはない?』 『五分ほどの遅刻ですけどー、遠坂さんはもっと遅うなります』 『まあ、大丈夫やろ。あのガキどもにはいいハンデや。ほな、それ以上遅れないような』 『はいー』  時刻は深夜近く。場所はJR京都駅。平日の終電間近、人の気配がもっとあって然るべき場所には今は六人の人間しかいない。  追うものが四人、追われる人間が一人、そして救い出されるべき人間が一人だ。 「せ、刹那さん、一体どういうことですか!? ただのいやがらせじゃなかったの!? 何であのおサル、このか一人を誘拐しようとするのよ!!」  走りながら明日菜が刹那に聞く。その姿はずぶ濡れだ。いや、明日菜に限らず、この場にいる全員が濡れ鼠になっている。  木乃香を攫った相手はサルの着ぐるみを着た術者。相当な術者であることは容易に窺えるのだが、その趣味までは理解できない。なぜにおサル?  ともかく、橋のところでサルの式神にたかられて難儀していたネギ先生と合流して、女性と思われる術者を追い、駅に向かった。人払いの結界がされて乗客も乗務員いない駅舎と電車。人もいないのに走り出す電車に飛び乗れば、例の呪符が投げ込まれ、車内が一瞬で洪水にされた。それを刹那の力で扉を破壊、水を出すことに成功すると同時に向こうにも少なからずダメージを与えたようだ。  で、水浸しの電車から降りてみればそこは京都駅。この時間でも人がいるはずの場所は、今は私たちしかいない。  走りながら、刹那はさっきの明日菜の質問に答える。 「実は……以前より関西呪術協会の中にこのかお嬢様を東の麻帆良学園へやってしまったことを心良く思わぬ輩がいて……おそらく、奴らはこのかお嬢様の力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのでは……」  む、そう考えれば今回の件はつじつまは合うか……。木乃香の魔力量を考えてみても、魔法のことを知らないことにしても格好の標的ということになる。 「え……?」「な……なんですかそれーーー!?」  話のスケールの大きさにネギ先生も明日菜もついていけないようだ。まあ、当初がいやがらせだと思っていたのに、実は組織の陰謀でした、とくるのだ。面食らいもする。 「私も学園長も甘かったと言わざるを得ません。まさか、修学旅行中に誘拐などという暴挙に及ぶとは……」 「それを言うなら、私も考えが甘かったよ。責めたり責められたりは後にしよう!」 「……そうですね、急ぎましょう」  改札を抜け、長い階段に出る。そこに、 「フフ……よーここまで追ってこれましたな」  魔力の臭いを漂わせた東洋の魔術師がいた。 「あっ!!」「おサルが脱げた!?」  ネギ先生は思い当たるところがあるのか、明日菜は着ぐるみが脱げたことがそんなに意外なのか驚いた表情をしている。  相手は二十代中ごろの女性。長い黒髪、肉感ある唇、潜入のために着たと思われるクリーニング店の従業員服の下にある肉体。女性的な魅力があふれる相手だが、その瞳が私に警戒感を持たせている。  メガネの奥にある瞳は底が知れないほど深く、容易に闇を思わせ、切れ長の目はカミソリを思わせる剣呑さだ。 絶対に油断できない相手。気を抜くとこちらが殺される。 「そやけど、それもここまでですえ。三枚目のお札ちゃん、いかせてもらいますえ」  彼女が手に持った呪符を構える。 「おのれ、させるかっ」  階段を一気に駆け上がる刹那。彼我の距離は十メートル以上、彼女ならこの距離は本気を出せば二、三歩で詰められる距離。でも、 「お札さん、お札さん、ウチを逃がしておくれやす」  向こうが呪符を発動させる方が早い。 「喰らいなはれ! 三枚符術 京都大文字焼き!」  炎が走る。大の字を描くように五つの方向に劫火を思わせる高温の火が階段に現れた。刹那はそこに突っ込む形になりかけ、 「うあっ」 「桜咲さん!!」「刹那!」  私と明日菜が彼女の浴衣を引っ張り戻し、最悪の事態は防げた。被害は髪が少量焦げる程度。 「ホホホ、並みの術者ではその炎は越えられまへんえ。ほな、さいなら」  炎の壁をはさんで、術者は不敵な笑みで口元を歪める。  けれど、今甘いのはお前だ、符術師。ここに並の人間がいると思うか? 「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け! 一陣の風」  私たちの後ろ、ネギ先生がすでに魔法を詠唱してる。 「風花 風塵乱舞!!」  突風というのにも生易しい豪風が後ろから吹き上がる。一応身構えてはいたけど、これは局地的な台風だ。その風が炎を吹き飛ばし、相手の術者も、 「な……何やーーー」  混乱している。その間、ネギ先生は階段を上がってきて、浴衣の懐からカードを出す。ん? カード? 「逃がしませんよ!! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です!」  ん! 見事な啖呵だ。さあ反撃開始と行こうか。 「契約執行180秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』」  ネギ先生がカードを掲げ、従者の呪文を唱える。とたん、明日菜の体に魔力を感じ、霊視ができない人間でも視認できるほどの魔力を彼女は纏う。なるほど、あのカードが師匠から聞いた『仮契約カード』というわけか。色々便利な能力があるとかで、私も欲しいなーとか考えている。  契約方法がキスでなかったら良かったんだけどねー。師匠にも「私と契約でもしてみないか」と迫られたし……閑話休題。 「ネギ先生……神楽坂さん……」  この光景に刹那は呆けている。どうも明日菜やネギ先生の戦闘力を過小評価していたのか、思わぬ能力に驚いたのか、どちらかだろう。 「桜咲さん、志保、行くわよっ!」 「え…あ、はいっ!」 「分かった、投影開始!!」  手に創り出すのは今日の朝に師匠の別荘で出された『課題』の吸血剣。二つあるグリップを交差するように構える。相手の魔力を『略奪』して行動不能にするつもりでこれを投影したのだが、思ったより凶悪な外見をしているためか、 「衛宮、相手は出来るだけ殺さないようにお願いします」  刹那に釘を刺された。 「分かっている。捕らえるんだろ?」 「ええ。殺しては東と西の仲が悪くなってしまう」  む。そうかこれは外交問題でもあるのか。やっかいだな。  でも、明日菜にはそれが通じているのかいないのか、 「そこのバカ猿女ーーッ! このかを返しなさーーーい!!」  術者に正面から突っ込んで行く。おそらく近寄って殴るくらいしか考えてないのだろう。でも、まだ動揺が抜けていない術者相手には充分! それに、木乃香を助けるのが何よりの第一目的だ。  刹那と私は跳躍、別の方向から相手に飛び掛る算段。足に魔力を込め、瞬動に近い速度で術者に迫る! 距離は二十もない。いける!  横目に見ると明日菜の手に巨大なハリセンが現れている。多分、アーティファクトだと思うけど、ハリセンとは……。 「神楽坂さん! 衛宮!」  刹那の声が通る。同時に仕掛けるのか。分かった!  術者に夕凪の峰、ハリセン、吸血剣の腹が迫る。  腹を振るわせる振動。立ち現れたのは着ぐるみ二体。それが私たちの攻撃を止めていた。  熊型が右手で夕凪、左手で私の吸血剣を止め、サル型が明日菜のハリセンを手を合わせて真剣白刃取り、し損なって頭で受けていた。 「うわった……!? 何コレ? 動いた!? 着ぐるみじゃなかったの!?」 「さっき言った呪符使いの善鬼護鬼です!」 「——っ! これが!?」 「間抜けなのは外見(みてくれ)だけです。気をつけて、衛宮、神楽坂さん」  一歩式神から引いて、観察、解析。む。確かにファンシーな外見に似合わず存在密度、構成、術式、今までの式神と比べ物にならない。 「ホホホホ、ウチの猿鬼と熊鬼はなかなか強力ですえ。一生そいつらの相手でもしていなはれ」  術者が木乃香を肩に担いで、再び去ろうとする。それも、 「このか……! このぉーーっ だぁーーーッ!」  突貫した明日菜の一撃、これで再び阻まれた。サル型式神は致命的打撃を与えられ、分解されていく。  物理的ではない、魔法的に消滅させられたのだ。煙のように消え去る猿鬼。 「あ、あれー?」  攻撃を放った本人も驚いている。でも、多分それ以上に周りが驚いている。  術者も、ネギ先生も呆然としている。 「す、すごい神楽坂さん」  と、刹那も驚いている。うーん、タネはあのハリセンか? 「——っ! 魔術殺し?」  創造理念——不明  基本骨子——不明  構成材質——不明  製作技術——不明  解析の目を明日菜のハリセンに向けても不明、不明のオンパレード。ただ、推測される効果として魔法的なものを無効化させると思われる。近いものでは私の中にある『破戒すべき全ての符[ルールブレイカー]』があるけど、向こうのほうが武器的意味合いは強い。 「な、何かよくわかんないけど行けそーよ! そのクマは任せて、このかを!!」 「すまない!」「すみません、お願いします!」  相性的にあのクマのぬいぐるみの天敵は明日菜だ。ここは任せても大丈夫だろう。 「このかお嬢様を返せー!!」  私よりも先行し、刹那が仕掛ける。数メートルの距離を一気に跳躍して間合いを瞬間で縮める。この距離で呪符使いの打てる手は少ないはず。とったか? 「えーーーい」  刹那の跳躍の軌道に合わせるようにやってきた刃と間の抜けた声。  ——バキッ  鋼と鋼が合わさる音。弾ける火花。  次に反発しあって離れる両者。刹那は上手く飛びのき、相手は楽しく転がっていった。 「あいたたー、すみません遅刻してしもうて……どうもー神鳴流ですー、おはつにー」  何とか起き上がる相手は女の子。身長は低く、この中で二番目に低い私よりも低い。メガネにフリルやレースの飾りがキレイな洋服を着て、およそ剣士とは見えない。現に、今彼女が持っている大小の二刀が恐ろしく似合わない。  でも、纏う剣気はホンモノ。見た目に騙されるとこちらのクビが飛ぶほどのものだ。にしても、この人たちの趣味なのかなファンシー色は。  程なく、刹那と相手方の月詠と名乗る神鳴流剣士がぶつかった。内容は予想通り、刹那が小回りの利く二刀を相手に苦戦している。魔物相手用の野太刀と対人用の二刀。ここでは後者に軍配が上がっている。 「いやーん、何なのよコレー。またおサルがーーーっ」  下を見れば、クマの中に仕込まれたと思える小猿式神がワラワラと明日菜にたかっていた。 「ホホホ、これで足止めOKや。しょせん素人中学生に見習い剣士や」  三度逃げようとする術者。木乃香を小猿式神にで運ばせ、さっさとこの場を去ろうとする。けどな、二度あることは三度ある。私がそれを教えてやる。 「投影開始[トレース・オン]」  六本の黒鍵を投影、投擲。目標は小猿式神。同時に足に魔力を込め、瞬動。投擲した黒鍵の後を追う。 「なん……」  なんだ、と術者に言わせる間もない。術者と視線が合う。この時には木乃香を支えているのは小猿式神ではなく、私だった。足元には黒鍵が刺さって紙に戻っている式神。 黒鍵を投げ、命中直前に木乃香を掬い上げただけなのだが、それも速くなれば際立つ。そのことのいい見本。 「は……い?」  やや、呆然としている術者を放っておき、後ろを向く。 「ネギ先生、受け取るんだ!」  今度は腕を中心に強化して、木乃香の体を投げる。無論、ネギ先生が受け取れるように配慮は充分している。 「へ? うわわわ……ぶふ!」  当のネギ先生、落ちてくる木乃香を何とか受け止めてくれた。ただ、受け止めて自分が下敷きみたいにならなければ完璧だけど、そこまで求めるのは酷か。 「さて」  再び吸血剣を投影して、術者に向き合う。彼女の表情は引きつっており、進退窮まっていると誰の目にも明らかだった。 「ごらんの通り、木乃香はこっちに戻った。投降してくれると嬉しいのだけどね。無用な殺生は好まない方なんだ」 「は、誰がしますかえ!」  術者が懐に手を入れる。彼女にも間に合わないことは覚悟しているようだ。けれど、こっちも素直に受けるほど人が良いほうではない。吸血剣で彼女の腕を突き、そこから魔力を『略奪』しようと剣を繰り出した。殺しはしないが無力化はさせてもらう。  圧倒的にこちらが速かった。彼女から見てみれば稲妻の切っ先だろう。それを、 ——ギャイィィィン  それを弾いたのは月光。 次に聞こえるのはしゃらんという華麗な音。否、目前に降り立つは真実鉄よりも重い。およそ華やかさとは無縁。纏った鎧は凍てついた夜気そのものだ。華美な響きなどあるはずがない。本来響いた音は鋼。  ただ、それを鈴の音に変えるだけの美しさをその騎士が持っていただけ。 「チグサ、大丈夫ですか? 遅刻しましたが、状況に変化は?」  響く声は闇を弾く。その横顔、聖緑の瞳、金砂のような髪。  きっと、その姿なら例え地獄に落ちようと鮮明に思い返すことが出来るだろう。そんな、彼女の姿。 「遅いどすえ、セイバーはん。もう向こうに奪い返されてしもたえ」  そう、確かセイバー[剣士]。名前に相応しく、青い衣と白銀の鎧は中世欧州の騎士を思わせる。握っている西洋剣は概念の蓄積は浅いものの魔剣の類で、彼女の格好にすごく合っている。 「だったら、もう一回奪い返せばいいだけでしょ?」  チグサと呼ばれた術者に答えるように後ろからやる気なさそうにやってきた女性。 「遠坂はん、あんたも遅い」  次に現れたのは二十代後半の女性。着る人を選ぶ深紅を基調とした婦人用のスーツをバッチリ着こなしている立ち姿、髪は波打つ漆黒で背中までのロング。 ファッション雑誌のモデルが裸足で逃げ出すようなトンデモナイ美女だった。その美女は、 「悪いわね、ちょっと込み入ったことがあったから」  術者に悪びれなく言い放ち、こちらに向き直る。 「ごめんね。私達もこの女に雇われたクチだからさ。恨まないでね」  優しく、無慈悲なことを言ってくれる。それが開始の合図だった。セイバーと呼ばれた騎士がこちらに突っ込んできた。 「———っ! くそ! なんなんだこの感覚!」  騎士の放つ恐ろしく速い斬撃を吸血剣で捌く。得意とする双剣に持ち替える一瞬も許されない速度と重量感。 彼女は自分と同じ位の体格なのに繰り出すのはやたらと鋭く、重い斬撃。こっちは吸血剣の特徴的な交差するグリップを使い、防ぐので精一杯だ。 でも、そんな事より私の頭の中身は混乱している。  この騎士達と戦ってはいけないという意識と、騎士と戦わなくては友人は守れないという意識がせめぎ合う。  なぜ騎士と戦ってはいけない? 技量? それもあるだろう。手加減されているが接近戦では勝ち目が薄い。魔力? それもあるだろうあの赤い美女の持つ魔力は相当なもので、多分完全に使いこなしている。ネギ先生と魔法戦になったらネギ先生に勝ち目はない。  でも、それだけではない何か。それ以前の何か。それが彼女たちとの戦いを嫌っている。  剣を合わせること十数合、騎士が離れる。表情に困惑がある。 「む。魔力が若干ですが奪われています。その剣ですか」 「はあ、はあ——まあ、ね。吸血剣という魔力や生命力を奪う剣だ」  答える必要はないのだけど、この騎士を前にすると妙に素直に口が開く。 「——厄介ですね。刃を合わせるごとに魔力を略奪されるとは。それにその剣筋……もしや……」 「セイバー、いざとなったら風王結界を使ってもいいから。『こっち』じゃ魔力の回復早いし何とかなるから」 「……了解しました凛。目標は?」 「あそこ。あの子供の魔法使いが抱えている子が目標。……ふう、子供を相手にするのは気が進まないわね」  美女が階段を下り、ネギ先生のいる方向に向かおうとする。ネギ先生は必死に杖を構え、木乃香さんを守ろうとしている。  けど、駄目だ。直感[?]だが、絶対ネギ先生はあの女には敵わない。  先にネギ先生が動いた。次にリンと呼ばれた美女が左手をネギ先生に向けて上げる。 「風の精霊11人!! 縛鎖となりて敵を捕まえろ!! 魔法の射手 戒めの風矢!!」  美女に迫る十一本の魔法の矢。殺傷能力はコレにはなく、相手を捕縛する類のものである。けれど、美女はそれらを、 「ふっ」  上げた左腕が仄かに輝き、  ——ドドドドドドドドドド  何の詠唱もなく左手から魔力の弾丸をマシンガンのように撃ち出し、ことごとくを迎撃してしまった。 「なっ、嘘!? 無詠唱で魔法の射手を迎撃できるほどの魔弾ですか?!」 「まあ、年季が違うってことね坊や。悪いけど、やらせてもらうわ」  あっという間の決着。美女が再度左手を構える。いけない!  対峙する騎士に背中を向けるのは自殺行為だけど、今はそうは言っていられない! 「投影開始[トレース・オン]!!」  ——ドカカカカカ  美女の前に十本の魔剣を降らせて出鼻をくじく。 「え!? トレース・オンって、何の冗談!?」  予想以上に動揺してくれた美女。でもすでに騎士の剣が迫っている。 「くっ! 止められない!?」  振り向けばどいうことか、騎士が振り下ろす剣を必死に止めようしているが、この状況ではもう止められるものではない。なら、せめて被害は最小限に—— 「————ぐ、があ」 「っ! ●●●!?」  ——ボドン  最小限の被害で、犠牲は左腕の肘から下。すっぱり切り落とされた。キレイに切り落とされたためか思ったよりも痛みはなく、喪失感と熱さが気持ち悪い。騎士が悲鳴のように何か言ったけど聞き取れない。  でも、そんな事に思考を割り裂いている暇はない。急いで足に魔力を込め、血を飛び散らせつつネギ先生のところまで跳ぶ。追撃はない。  空中に舞う自分の血。自分のものでも芳醇に感じる感覚。  着地。屈みつつ、ネギ先生を背にかばう姿勢を取る。吸血剣はすでに放棄、代わりに手に干将、口に莫耶をくわえて身構える。 次にどうにか出血を自己治癒で傷口を塞ぐ。どうにか出血死は免れそうだ。でも後からジクジクと痛み湧いて出てくる。痛くて気が狂いそうだけど、あんまりにも痛くて正気に返る。そんなことを繰り返す気分だ。 「衛宮さん! だだ、大丈夫ですか!?」 「志保!」 「衛宮、その腕!」  見ればネギ先生だけでなく、クマ型式神を消滅させた明日菜に月詠という剣士を撃退した刹那まで近くにいた。良かった、無事のようだ。後は、あいつらなのだけど……誰なんだ? 「————もしかしてあの魔法って投影魔術?! それに持っている剣は干将と莫耶?!」 「おそらく……不覚です。勝負に熱くなってしまい、刃を使ってしまいました……」  動揺する凛と落ち込むセイバー。その関心の対象は『衛宮』とか『志保』と呼ばれる少女に向けられている。  階段下では件の『衛宮』が仲間に気遣われている光景がある。左腕を切り落とされながらも双剣を構える少女は、白髪に赤眼。旅館の浴衣の上に赤い外套を羽織っている。 「名前、シホだっけ?」 「……ええ、しかも先ほどの魔術行使で確信しましたが、あれはシロウの剣筋です」  二人の目的の一つである『エミヤシロウ』の救出。その手がかりになりそうな人物が目の前に現れたのだ。 「はぁ……どうしましょうか……? 事情を話せる状況ではありませんが……」  ため息をつきつつ凛に聞くセイバー。本心では傷つけてしまった『シホ』と呼ばれる彼女の元に駆けつけて詫びを兼ねて介抱したいところだ。  今回最初からセイバーには害意はなかった。剣戟の殆どは剣の腹を使い、込める魔力もさほどの通常の四割だ。それが相手の思わぬ手強さに熱くなり、気付けばあの有様だった。情けない、と相当に落ち込む。『シロウ』に結びつく可能性がある相手ならば尚更だ。  けれど今は……それが通じない時。凛にもそれは分かっている。しばし顔を俯かせた彼女は後ろを振り返り、 「……そうね。ねえ、天ヶ崎さん、さっきの発言撤回。撤退しましょう」  凛は後ろにいた雇い主・天ヶ崎千草に声をかける。 「な、なんでですえ? 状況は……」  改めて千草は状況を確認する。猿鬼・熊鬼ともにハリセン女子中学生にやられ、こっちの神鳴流の剣士は向こうの見習いにやられて「メガネ、メガネ」と言っている。自身も残りの呪符が少ない。二人以外はまともに戦えそうもない。 「悪いわね。だから撤退しようというの。殿をしてあげるからさっさと出直しましょう」  凛は努めて冷静に冷徹に状況を千草に告げる。 「わ、分かった」  魔術師の顔の凛に気押せれた彼女はうなずき、撤退用の式神を呪符で呼ぶ。それにつかまり、 「覚えてなはれーー」  京都の夜空に向かって跳躍、あっという間に消えた。ちなみに、月詠もこの式神の尻尾につかまり、一緒に撤退している。 「行こう、セイバー。あの『シホ』という娘の事は後でゆっくりと考えましょう?」  凛はセイバーに声をかける。その声は千草に向けるものとは真逆、まるで子供をあやすかのような優しい声だ。 「……はい」  凛は足に強化の魔術を施して跳躍。セイバーの手を借りてあっという間に京都の街に消えていった。  二本のラインの交錯はこうして始まった。 「あいつらめー」  苦々しく明日菜が立ち去っていく一団を見送る。 「追う必要はありません、神楽坂さん。深追いは禁物です」 「だね、何か向こうで見逃してもらった気もするけどね」  刹那の言葉にうなずき、屈んだ状態から立ち上がる。 「え、衛宮さん、動かないほうがいいですよ、腕を切られたんですから……ああどうしよう。僕は治癒魔法得意じゃないしー、ここは救急車?!」  ハワハワパニックになっているネギ先生。これは早く安心させないといけないな。 「刹那。悪いんだけど、切られた私の腕を持ってきてくれないかな?」 「う、腕ですか?」  こちらの発言に戸惑う刹那。 「うん、気持ち悪くて申し訳ないのだけど」  出血は止めたけど、今動く気分が悪くなるなる。だから人に頼むのだけど、無理かな? 「いえ、すぐにでも」  たたたって階段を上がっていく刹那。すぐに腕が渡される。 「どうぞ」 む。意外に重いんだな、これが自分についているのだから凄い話だ。 「ありがとう」  受け取って、傷口同士を合わせる。すぐさま復元呪詛が腕を繋いでいく。筋肉、骨、神経、皮膚がまるで逆再生のように繋がり、ものの三十秒で再生は終了した。聖骸布にも魔力を込めて修復。数分前に裁断された程度ならすぐにもどせる。ただ、中の浴衣は戻せそうもない。弁償だろうか? 「うわー、すごい」  明日菜が妙に感心した声を上げる。 「これでも吸血鬼だからね。体の自己再生、自己修復は出来るよ。それより、心配なのは木乃香だ」  みんなの関心を木乃香に向けてあげる。私の事なんかより彼女のほうが妙な魔法や薬が使われていないかが心配だ。 「そうだな、場合によっちゃあ魔法や薬が使われているかも知れねぇ。このか姉さんは大丈夫か!?」 「……まさか!?」  カモミール君の発言を受けて刹那は血相を変え、ネギ先生が抱えている木乃香を彼女が抱え、 「お嬢さま!! しっかりしてください!!」  必死の表情で声をかけ、揺する。 「ん……あれ、せっちゃん……?」  必死さに反比例するように木乃香はあっさり目を覚ました。 「あー、せっちゃん……ウチ、夢見たえ……変なおサルにさらわれて……でも、せっちゃんやネギ君やアスナにシホが助けてくれるんや……」  おぼろげながらも記憶があるのか、そんな事を言う木乃香。どうやら魔法や薬はまだ使われていないようだ。良かった。  それは刹那も同じ、いやそれ以上のようで、 「……よかった、もう大丈夫です。このかお嬢様……」  本当に安心した、という表情を見せた。対する、木乃香も、 「よかったーー……せっちゃん…ウチのコト嫌ってる訳やなかったんやなー」  こちらも本当に良かったという表情をした。  ああ、これが『一押し』だろうな。そんな気がするくらいのインパクトだ。傍で見ている私がこの表情に中てられているのだ。至近距離で向けられている刹那のインパクトはどれほどのものか、 「えっ……そ、そりゃ私かてこのちゃんと話し……」  ここでしまったという表情の刹那。木乃香の笑顔の衝撃の余り、口調が戻ったようだ。そうか、彼女も京都出身だもんな。関西風になるよね。 「し、失礼しました!」  ザザっと木乃香に添えた手を離して、後ろに下がり、さらには従者のごとく膝をつく刹那。 「え……せっちゃん?」「刹那さん……」  その急激な変化に戸惑う一同。冷静に考えてみると、刹那は関西呪術協会の協力組織である神鳴流の一門下生で、木乃香は関西呪術協会の長の娘。立場が違うというのか……むう、イライラするな。 「わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守りできればそれだけで幸せ……いや、それもひっそりと陰からお支えできればそれで……あの……御免!!」 「あっ……せっちゃーん!」  しどろもどろ、言葉が続かず、その上どうして良いかまったく分からなかったのだろう、木乃香が呼び止めるのを聞くこともなく逃げるように駅に向かっていった。その後姿には怪異と戦う勇ましさはなく、ただ、歳相応の少女の姿があった。 「刹那さん……」 「うーーんイキナリ仲良くしろって言っても難しいかな」  む。そうだ、確か明日は……よし! 「刹那!」  呼び止める。木乃香が声をかけても止まらなかった背中が止まった。 「明日の班行動、一緒にまわろうー、約束だー!」  振り返る刹那の表情に拒絶の色はない。うん、義理堅い彼女ならきっと約束を守ってくれるだろう。 「衛宮さん……」 「やるじゃん、志保」  ネギ先生と明日菜に感激された。でも、私のやっていることは単なるお節介だろうなーという気もするけどね。 「大丈夫だって、このか安心しなよ」 「でも……」  明日菜が木乃香を慰めている。明日菜ではないが、大丈夫だと思うよ私も。 「って、あれー? ウチ何でこんな場所におるんやろ」  あ。木乃香が現状に気付いた。ここは京都駅。さっきまで旅館にいて、目が覚めると駅なのだ。一番に疑問に思って然るべきなんだけど、彼女の思考回路はこの疑問に思う項目が一番後回しなのか今になって疑問が湧いたみたいだ。 「いえっ、それは、あのっ……」 「色々あったわねー、今日……まだ初日の夜なんて……どうなっちゃうのよこの修学旅行は」 「はうっ そうだ、僕、色々壊したモノとかの後始末しとかないと」 「私も手伝うよ、ネギ先生。修理とかは得意だから」 「ありがとうございますー、衛宮さんー」 「な、泣くほどのことなの?」 「なあなあ、なんでなん?」  お祭りA組の修学旅行はただでは終わらないだろうと思っていたけど、初日からこうだとは思いもよらなかった。  関西呪術協会、親書、護衛対象・木乃香。そしてあの——青い騎士と赤い美女。どうも一騒ぎが起こらないと済まない状況だ。 「やれやれ、明日菜じゃないけど、どうなるんだろ修学旅行」  見上げた夜空には刃を連想させる下弦の月がこちらを見下ろしていた。「あの女子生徒、分かりましたか?」 「うん。ちょっと千草に頼んだけど、これも契約の内よね。ええっとね、名前は衛宮志保。麻帆良学園本校中等部3年A組所属。二ヶ月ほど前に転校してきたみたいね。で、それ以上の経歴は一切不明」 「魔法関係に関わっているようですから、経歴が抹消されているのでは?」 「そうだとしても、ここまでキレイに消されているのも珍しいわよ。千草の伝手で裏からの情報なんだからもう少し何かがあっても良さそうなのに」 「——私は彼女の腕を斬ってしまいました。とっさに止めようとしたのですが、知らぬ事とはいえ…………」 「……うーん、勘だけど大丈夫って気がしない? なにせ『衛宮』なんだから」 「それは……妙に説得力ありますね。それにしても、彼女は何者でしょうか? こちらの世界のシロウか、はたまたシロウの娘……とかでしょうか?」 「…………さ、さあ? 推測で話しても仕方ないわ。とにかく、報酬分の仕事をさっさと終わらせてその麻帆良って学校に行きましょう」 「ここで確かめないのですか?」 「仕事を終わらせるのが先。向こうは修学旅行中だし、先方が学校に帰ってから動きましょう」 「分かりました。私も不本意ですが、もう少しチグサに付き合います」 「ありがと」  出席番号32番 衛宮          第11話 修学旅行『死亡遊戯』  ある鏡の話をしよう。  その鏡は魔女の所有物で、童話にあるように魔女が望むものを映し出し、望む答えを答えた。  ただ、鏡は鏡でしかない。あまりにも正直すぎたため魔女の怒りを買い、蔵に放り込まれてしまった。そうして何年も、何十年も、何百年も魔女に忘れられ、魔女がいなくなったあとも鏡は蔵にいた。  暗い蔵のなか、鏡は淋しいと思ったり、魔女に対しての怒りも感じない。なにせ、感情がないのだから。  そこに光が差し、魔法使いがやってきた。 「鏡よ、ワシの物になる気はないかな?」  そうして鏡は魔法使いのものになった。彼から魔法を与えられ、感情を与えられた鏡は魔法使いと共に歩んだ。その百年間、鏡は確かに『幸せ』というものを感じていた。  でも、崩れるのは唐突だった。鏡の前から魔法使いはいなくなった。感情を知ってしまった鏡は『絶望』を感じ、感情を感じない元の鏡には戻れない。  それはまるで呪いのよう。与えられた感情は鏡を蝕み、在り方が歪んだ。  力を求め、血を求め、気が付けばエクソシストたちに死徒27祖とされていた。  代行者に追われ、真祖の姫君に殺され、存在しないものとされても鏡は力を求め続けていた。魔法使いを追いかけるために。  そして、今鏡は奇跡を再び感じていた。魔法使いに会えなかったけれど、鏡は魔術使いに出会った。それは無限の平行世界からみればちっぽけな出来事。でも、この奇跡は神様でも否定できない。  鏡は魔術使いの願いのために力になろう。そう自身に誓った。  それは大きな火災だった。  視界にあるすべてが炎に包まれ、全てが焼け落ちていく。  建物も、樹木も、道も、人も全てが燃えていた。現出した赤い地獄。その中に私もいた。助けを求める声を必死に無視して、黒こげの人だったものを横目に、何かに突き動かされるように焼ける大地を歩いていた。  何時しか自分は力尽き、倒れていた。  無間地獄を思わせた火災は夜明け前には収まろうとしていた。仰向けに倒れた先に見える鉛色の空は今にも雨が降りそうだ。自分の体のあちこちが焼け爛れ、一部炭化すらしている。もう一歩も動かず、まともに呼吸すら出来ない。遠い鉛の空に向けて知らず手を伸ばし、果たせずその手も落ちて——  大きく、力強い手に握られた。 「————」  目が覚めた。視界には見慣れない天井。横には一緒の部屋で眠っている女の子達の気配と寝息。一瞬なんでさ? と、この状態を考え、ようやく思い当たる。 「あ、そうか。修学旅行だったけ」  体を布団から起こして、部屋を見渡す。まだみんなは眠っていた。図書館探検部の三人は音羽の水に混入されたお酒に酔って眠っているし、明日菜と刹那は昨夜の木乃香誘拐騒動で疲れているのだろう。  まだ早朝なのだろう、部屋は薄暗く夜明け前だと分かる。  あれから、ネギ先生を手伝って私は破壊された京都駅の階段、水浸しの列車、蹴り開けたトイレの扉、刹那が斬った露天風呂の岩を修理して回った。  さらにその後、学園長に連絡を取って木乃香誘拐を報告した。深夜で多分に迷惑と思ったが、学園長は不機嫌な様子を見せず応じてくれた。状況は理解してくれたが、修学旅行の引率などで魔法先生は出払っており、援軍は無理だという。結局、木乃香は私たち3−A防衛隊で守らなくてはならないようだ。  バッグから保冷パックを出し、そこから輸血パックと金属ストローを取り出して吸血する。昨夜の復元呪詛にそこそこの魔力消費があったためだ。まさかクラスメイトの首筋に牙を立てる訳にもいかず、持参した輸血パックで魔力補充と吸血衝動を収めている。 「……ふぅ」  口に広がる血の味を舌で楽しみつつ、昨夜の事、今見た夢を思い、何とも言えないため息が漏れる。飲む血は今回当たりのようで結構美味しいのだけど、どうも気分が乗らない。  昨夜戦った青い衣の騎士。そして赤いスーツの魔法使い。木乃香を誘拐した呪符使いよりも、この二人のことが気になる。彼女たちの強さも勿論だけど、それ以上に気になるのは彼女たちを見ていると不思議な感覚に襲われる自分の事だ。  そして今見た赤い夢。あれは悪夢に分類すべきものだけど、意識がそれを忘れてはいけないと訴えている。あれは常に胸に抱くものだといっている。 「私の記憶に関わること、か……?」  『衛宮志保』の前身、失った『衛宮士郎』の記憶に関わるもの。彼女たちや、夢はそれに関連があるように思われる。  でもそれより今は、 「木乃香を守るほうが優先だろうね」  空になった輸血パックをしまい、改めて部屋を見渡す。  自分と同じ部屋で静かに寝息を立てる少女たち。ここの世界に着たばかりの頃なら緊張で眠れない状況だろう。でも今は、恥ずかしさよりも守らなくてはという意識が強い。木乃香だけではなく、みんなをだ。  確かに自分が何者なのか確かめたい欲求はある。でも、それ以上に今の自分の周りには見守りたいと思わせる人たちがいる。彼女たちを裏切れない。  強い光が目を刺激した。——日の出だ。部屋の薄暗い空気がとたんに一掃され、夜の気配から朝の気配に変わっていく。 「さて、がんばりますか」  布団から完全に起き上がり、今日も私『衛宮志保』の時間を始めよう。 「ネギ先生」 『ハイなんですかー?』  朝の5班の部屋、そこに宮崎のどかがいた。向かい合っているのはネギ先生、の人形。早乙女はるな作の小型お返事ネギ先生だ。のどかの言葉に言葉を返すこの人形と向かい合い、彼女は部屋で一人予行演習を行っていた。 「よろ……よろしけれべき、今日の自由行動……私達と一緒にまげ…まご…もご…」  緊張で舌がマトモに回らない。今からすることを考えると顔が火照ってくる。 「その……私達と一緒に回りませんかー? 回りませんでしょうかー」  ミョンミョン揺れるお返事ネギ人形に対し、のどかはこうしてネギ先生を誘う予行演習をして、どんな言葉をかけたらいいかを考えていた。内容はもう彼女の中で大体決まった。後は思い切りの良さなのだが、それが一番彼女に足りないものだ。 「のどかー朝食だよ」 「一階大広間に集合です」  のどかの友人二人が朝食に呼びにきた。だけど、これは彼女には開始のゴングに聞こえる。 『いーですよー、宮崎のどかさん』 「よ……よーしー!!」  このネギ人形と同じ答えを貰うため、彼女は静かな闘志を燃やした。 リボンを取り出し、後ろで髪を纏める。普段より前髪が顔にかからない分恥ずかしさが増すけど構わない。戦闘体勢は充分。結ぶリボンに気持ちを込めたのどかは戦場に向かうかのように大広間に進撃した。 「あ……あのネギ先生!! よ…よろしければ今日の自由行動…私達と一緒に回りませんかー!?」  朝食が終わって、奈良の班別行動でのネギ先生を巡る争奪戦に響いた宮崎さんのこの一言が今日の始まりだった。  昨夜の事もあってか、朝食の時のネギ先生は眠そうだし(味噌汁をスプーンで食べる所で彼をイギリス人だと再確認させた)、刹那は愉快な感じに木乃香を避けていた。そこに不快な感じは無く、昨日のことはやはり進展になったのだなと思う。  刹那は今まであんな様子は見せたことがないのか、周囲の反応は驚き一色だったのも付け加えておこう。  そして朝食が終わり、明日菜、ネギ先生、私で、軽く昨日のことを話していたら、佐々木さんが「ネギくん、今日ウチの班と見学しよー」というセリフとともにネギ先生に飛び掛かったのをきっかけに、私も私もとネギ先生を争奪する女の子の争いが始まった。 無論、私はみんなのこのエネルギーについていけず。引っ張りだこの先生を黙って見ていることしか出来なかったのだけど、ここに響いた声が先の宮崎さんの声だった。  思わぬ宮崎さんの介入に静まり返るなか、ネギ先生はこれを了承。周囲はさらに盛り上がったのは言うまでも無いことだった。たぶんネギ先生は、あの呪符使い達の襲撃を考えての返答だったのだろう。でも、宮崎さんにしてみれば一世一代の勇気を振り絞った言葉なんだろうな。  その証拠に、京都から奈良に向かうバスの中、宮崎さんの表情はずっと夢を見ているかのようだった。 「わーーっ ホントに鹿が道にいるーっ」 「へー、結構大きいわね」  着いた奈良公園では観光客と無数の鹿が私たちを待っていた。 「スゴイスゴイ、見てくださいアスナさん…わあ!」  鹿を見てはしゃぎだしたネギ先生がエサをねだる鹿に近寄られたり、集られたりで大騒ぎしている。こういう所は歳相応の子供なんだな先生も。明日菜もそう思っているのか、呆れている。  そしてもう一人、明日菜とは別に微笑ましく見守っている人がいる。 「えへへー……ネギ先生……」  5班に誘った本人、宮崎さんだ。彼女は本当に嬉しそうにネギ先生に視線を送っている。念願かなったという表情だ。そうしたら、 「よくやったーーッ のどかーー」  早乙女さんと綾瀬さんが飛び蹴りして宮崎さんを向こう側へと連れて行った……大丈夫か? 「あの三人が離れたし、お嬢様も離れています。少し魔法関係の話をしましょう」  刹那が離れていく図書館探検部三人娘を見ながら、提案してくる。ここにいる人はネギ先生、明日菜、刹那、私の四人。昨夜結成された3−A防衛隊[ガーディアンエンジェルス]のメンバーのみだ。魔法関係の話をするいい機会と思ったのだろう。 「そうですね。とりあえず、今のところおサルのお姉さんは来ませんね」  ネギ先生も話に乗ってきた。明日菜は… 「うーん……」  何とも言えない顔でこちらの話を聞くことにしたようだ。 「相手戦力は思ったよりも大きかったですが、今日のところは大丈夫だと思います。念のため各班に式神を放っておきました。何かあれば分かります」  刹那は半ば事務的に報告する。どうも彼女は魔法関係の話になると感情を殺す傾向にあるようだ。まあ、私も付き合いが浅いから何とも言えないけど。 「このかお嬢様のことも私が陰からしっかりお守りしますので……お三方は修学旅行を楽しんでください」  む、この物言いには一言言わせて貰うぞ。 「刹那、私は相棒に仕事を押し付けるような真似をしたくないんだけど」 「あ、いえ、そんなことは。お嬢様の護衛を今度は私がやって、親書とネギ先生の護衛を衛宮がやれば済む話では……」  確かにそうだけど、私は学園長から二つの護衛を任されている。それに、仕事云々以前に気持ちがすでに固まっている。譲れない。  そのことを話そうとしたら、今まで黙っていた明日菜が口を開いた。 「ところで、何で陰からなの? 隣にいておしゃべりでもしながら守ればいーのに」 「いっ、いえ私などがお嬢様と気安くおしゃべりなどする訳には……」  答える刹那は顔を紅潮させている。明日菜もこれを見たのか、顔をニヤニヤさせている。 「またもー、何照れてんのよ。桜咲さん」 「なっ、別に私は照れてなど!」 「刹那、鏡を見ることをお勧めする。その顔では説得力は皆無だ」  もう明らかにムキになっている表情だ。これで違うと言っても信じる人はいないだろう。 「————っ!」  あ、止めをまた刺したか。しょうがない—— 「アスナ、エミヤン、一緒に大仏見よーよー」  ——ドキャーーッ 「へぶっ」「ぐは」 「せっちゃん、お団子買ってきたえ、一緒に食べへんーー?」 「え?」  乱入者、三名。早乙女さん、綾瀬さん、木乃香。  刹那には木乃香が団子を持って迫り、明日菜は早乙女さんの押し出しでこの場から連れて行かれるし、私は綾瀬さんの飛び蹴りですっ飛ばされる。  まあ、乱入するのはいいけど、綾瀬さん、飛び蹴りはやめて。そうしてネギ先生を除く、私たち三人は、図書館探検部の三人に連れ去られて行く。  残されるのはネギ先生のみ……つまりそういうことか?  人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られるとか言うけど、最近ではクラスメイトに蹴られるのだろうか?  宮崎のどかは奮闘した。友人の助けを借りながらも確かに奮闘した。  告白しようと二人きりになった有名な大仏殿で、二回も告白を言いかけた。でも、いずれも見当違いの方向に話は向かってしまい、挙句アクシデントでネギ先生にパンツまで見られてしまった。  確かに彼女は奮闘した。けれど今はその場を泣きながら逃げる一人の女の子だった。 奈良公園の一画、図書館探検部に拉致された私たちはどうにか再会できた。ただ、 「もー、何でこのかから逃げるのよ」 「し、式神に任せてあるのでお嬢様の安全は大丈夫です」 「そーじゃなくて、なんでしゃべってあげないの?」  刹那までこっちに来たのだ。彼女の場合、木乃香にあのまま付いてあげてた方が良かったのに、素直になれないのか、身分が邪魔するのか、その両方か。抜け出して来てしまったのだ。 「刹那、木乃香のこと嫌いじゃなんだよね」 「それは、もちろんです」 「今、木乃香は昔からの友達・刹那が自分の事を今も本当に友達と思っているのか不安のようだ。昨夜のことがあったにしろ、それに応えてあげるのも駄目なのか?」 「それは……」  刹那のあまりの煮え切らなさについ口を出したが、どうも刹那を追い込んだみたいだ。反省。彼女は彼女なりに考えた結果でああいった態度を取っているのだと分かるのだけど、どうも頭にきて口が出てしまった。  ——ガサッ 「……ん?」「む」  背後に人の気配と草を踏む音。魔力は薄く、敵意も感じないのでここまでの接近を許したようだ。害意はないが警戒しながら振り向くと、 「あ……明日菜さん、衛宮さん、桜咲……さん」 「……君は宮崎さん?」 「だね……えっと……」 「ど、どうしたの本屋ちゃん? 何かあったの!?」  目に涙をはらした宮崎のどかさんが息を切らせてそこにいた。 「マジでっ!? えーーーっ ネッ、ネギに告ったのーーー!?」  静かな佇まいの茶屋に明日菜の大絶叫が轟く。  茶屋の店の前、風流な長椅子に私たちは腰掛け、緑茶を飲みつつ宮崎さんの話を聞いていたのだが、こうして明日菜の絶叫に中断させられた。 「明日菜、少し音量を下げてくれ。周りに人がいないとは言え、ちょっとはしたないよ」  緑茶を飲みつつ明日菜に注意。うん、ここのお茶は旨い。最近はどら焼き以外の甘味も食べるようになったし、何か注文しようかな。 「あ、ごめん。でも本屋ちゃんホントなの?」 「は、はい。いえ、しようとしたんですけど。私トロいので失敗してしまって」  宮崎さんの話だと、友人の綾瀬さんや、早乙女さんに手助けされて、ネギ先生に告白する直前まで言ったのだが、失敗。挙句はしたないところも見せてしまったのだとか。それで頭の中がくしゃくしゃになってネギ先生の前から泣きながらここまで逃げてきた。 宮崎さんが涙をにじませて話す出来事は探せばどこにでもある話、けれど本人にしてみればきっと世界戦争に匹敵する一大事だ。 「あ……すみません。桜咲さんや衛宮さんとはあまり話したことがないのに、こんな話をしちゃって……」 「いや、構わないさ。むしろ仲が深くないから気にせず話せることもあるだろ? 相談は出来ないけど、話を聞くぐらいはできるよ」 「えっと、私も構いません」  記憶のない私に恋愛の相談なぞ出来ない。ただ、彼女を放っておくことも出来ない。ならば、せめて話を聞いてあげることぐらいはしてあげなくては。  あと、そこのオコジョ、目を光らせて何を企んでいる? 「でも、ネギ先生はどう見ても子供では……どうして?」  珍しいことに刹那が宮崎さんに質問している。  宮崎さんはこれに対する答えを懸命に探している様子。でも、やがて口を開き、 「そ、それは…ネ、ネギ先生は……普段はみんなが言うように子供っぽくてカワイイんですけど……時々私達より年上なんじゃないかなーって思うくらい頼りがいのある大人びた顔をするんです……」  なるほど、そこを見てか……私個人としては彼のそこが危ういと思わせるのだけどね。 「…………」 「えーと、そ、そう?」 「確かに……まあ最初は足手まといかと思ったけど…」  ほう、このあたり他の女性陣にも好評だね。まあ、無理もないか。あの容姿、あの年齢であの物腰と凛々しさだ。でも、私は先生にはどこか歪さを感じてしまう。  宮崎さんは言葉を続ける。 「それは多分、ネギ先生が私達にはない目標を持っていて……それを目指していつも前を見ているからだと思います。本当は遠くから眺めているだけでも満足なんです。それだけで私、勇気をもらえるから。でも、今日は自分の気持ちを伝えてみようって思って…………」  ここで言葉が途切れた。  確かにネギ先生は目標を持っている。父親のような『立派な魔法使い』になること。そしてきっと彼はそれを目指し振り返ることも、さらには自分でさえも見ていないのは私だけの気のせいだろうか……。  そんな彼に宮崎さんが告白する。……果たしてどうなるのか興味はあるな。 「ん……? どうかした?」  途切れる言葉に不審を覚えた明日菜が声をかける。  そこに宮崎さんはニッコリと暖かな笑みを浮かべる。 「えへへー。明日菜さん、ありがとうございます。桜咲さんと衛宮さんも恐い人だと思ってましたけど……そんなことないんですねーー」 「え……」「な……」  こ、恐い……人。私は宮崎さんからそう思われていたのか。ちょっとショックだ。隣を見れば刹那も目を点にして呆然としている。 「何だかスッキリしました。私いってきますー」 「あっ……」  こちらが呆然としている間に宮崎さんは長椅子から立ち上がり、タタターと走り去ってしまった。 「ちょ、ちょっと、行くって……?」 「いや姐さん。俺っちは感動したぜ!」 「……」 「あー……追う?」  残された私たちが宮崎さんを追いかけるのは、それから間もなくのことだった。ああ、どうでもいい余談だけど、ここのぜんざいを食べてみたかったな。 「あっ、見てあそこ!」  明日菜の指す方向に宮崎さんはいた。 「大……大……」  宮崎さんを追いついてみると、彼女はネギ先生を前に告白寸前だった。私たちは茂みに隠れ、この様子を見ることになっていた。そして いよいよ彼女が口を開き—— 「大……根おろしも好きで……」 「は、はあ」  —————。  おおう、ここで大根おろしと来るか。がくっときた。刹那も明日菜もカモミール君もコケている。 「いえっ……じゃなくて、大福……あんころもち……いえっ」 「あ、あのー宮崎さん……?」  ワタワタと食べ物の名前を挙げる宮崎さんに戸惑っているネギ先生。そりゃあ話しかけて出だしが大根おろしだもんね。戸惑うのも無理はないか。  様子を窺っている私たちの間に駄目かという空気が流れる。 「(で、でもどうやら、いく気みたいだぜ。さすが俺っちの見込んだ女だけのことはあるぜ)」  でも、カモミール君の見立てはまだいけると思っているようだ。 「(そ、そんな……だってネギはまだ10歳よ告白なんてちょっと……)」 「(バーロィ、愛に年齢なんてカンケーねえよお!)」 「(年齢差で5歳位はまだ一般的じゃないかな?)」 「(そうっすよっ、5歳差なんてまだまだフツーっすよ)」  言っていること私と明日菜で、矛盾してないかカモミール君? 「(しっ! み、見てください!)」  刹那の声に促され、宮崎さんを見てみると両手を硬く握り、いかに勇気を振り絞っているのかが分かる。 「あ……あの先生…私……」  顔は真っ赤で、どこまでも緊張している。それでも言うつもりだ。 「(おおおっ)」「(重い)」  刹那も明日菜も身を乗り出して、私に圧し掛かっている。決定的瞬間を見逃したくないのは分かるけど、冷静に考えると私たちのやっている事は単なるノゾキでは?  こっちの懸念も他所に、事態は進む。宮崎さんが意を決して大きく息を吸い、 「私、ネギ先生のこと出会った日からずっと好きでした、私……私、ネギ先生のこと大好きです!!」  言った。ついに言った。 「……え?」  対してネギ先生は明らかに何を言われているのか理解できていない。 「「「(い…言ったーーーー!?)」」」  私たちの間も大騒ぎだ。ああ、何でだろう? 私まで顔が赤くなっている。 「……え……あ……」 「あ、いえ。わ、分かっています。突然こんなコト言っても迷惑なのは……せせ、先生と生徒ですし……ごめんなさい。でも、私の気持ちを知ってもらいたかったので……」  混乱するネギ先生に宮崎さんは言葉を続ける。彼女は自身の気持ちを知ってもらいたく告白をした。付き合ってもらいたくとかではなく、ただ気持ちを知ってもらいたく。それは正しく『告白』であった。 「失礼します、ネギ先生!!」 「あ……」  宮崎さんが走り去る。ネギ先生も手を上げてはいるけど、力がない。 「えと……あう……あああああああ」  ——ドテーン!  あ、倒れた。 「キャーーッ、ネギーーッ!?」  慌てる明日菜に続いて、ネギ先生に近寄る。彼の顔は真っ赤になっており、目を回していた。 「ネギ、ちょっとしっかりー」 「兄貴ーー」 「落ち着いてくれ、二人とも。先ずは熱を……うわ、結構あるな」  騒ぎを聞きつけたのか、私たちのように最初から覗いていたのか他の5班のみんなが思ったより早くに集まり、バスまで先生を運ぶ事になった。  宮崎さんに告白され、38度の知恵熱を出したネギ先生は、旅館に戻るまで気を失っていた。  夜。嵐山の旅館に戻った私たちは、夕食をとり、就寝時間が近づこうとした時、ネギ先生からトンデモナイ話を聞かされた。 「ええーーっ!? ま、魔法がバレたーー!? しかも、あああの朝倉にーー!?」 「うわぁ。それは一大事」 「は、はい……ぐし……」  夕方、目が覚めたネギ先生は宮崎さんの告白のショックで放心状態になっていて時折、面白いくらいの悩みのポーズをとっていたのだが、それが今ではなぜか朝倉さんに魔法がバレて泣いている様子だ。夕方に何があったのだろう? 「何で!? どーーしてよりによって、あのパパラッチ娘にーー!?」 「あううーーー」 「明日菜、声を落として。今は夜だよ?」 「むう」  それにしても、そんなあだ名がついていたか朝倉さん。道理で転校前日に茶々丸さんに逃げさせられるし、次の日にクラス中に話が広まっているかと思えば、彼女の仕業か? 「し、仕方なかったんです……人助けとか、ネコ助けとか……」 「うーん、朝倉にバレるってことは世界にバレるってことだよー」 「まったく……」  ここで隠匿のために対象の抹殺が出てこないのがこの世界らしい。私がいたらしい世界の魔術協会では魔術の秘匿のためなら殺人すら厭わない連中が当たり前のようにいたから、ここの世界の魔法使いたちは割りと穏やかな手段を好むようだ。 「もーダメだ。アンタ世界中に正体バレてオコジョにされて強制送還だわ」 「あ、オコジョになった人間って一度見てみたかったんですよー」  うん、不謹慎だけど純粋に興味がある。カモミール君みたいな姿になるのかな? 「そんなーっ、一緒に弁護してくださいよアスナさん、衛宮さん、刹那さんーーっ」  ワイワイと魔法がバレたと言うのに大した危機感もなく騒いでいると、事の張本人がやってきた。 「おーーい、ネギ先生ーー」 「ここにいたか兄貴ー」  カモミール君も連れてだ。 「うわっ、あ、朝倉さん!?」  ネギ先生は完全に朝倉さんに怯えている。よほどの事が彼女とあったのだと、分かりやすいほど分かる。それを見たのか、明日菜は庇う様に前に出た。 「ちょっと、朝倉。あんまり子供イジメんじゃないわよー」 「イジメ? 何言ってんのよ。てゆーか、あんたの方がガキ嫌いじゃなかったっけ?」 「そうそう、このブンヤの姉さんは俺らの味方なんだぜ」  ん? 話の流れが変わった? 「え……? 味方?」  ネギ先生も、急な話の変わりように呆気にとられている。 「報道部突撃班・朝倉和美。カモっちの熱意にほだされて、ネギ先生の秘密を守るエージェントとして協力していくことにしたよ。よろしくね」  ここできれいにウィンクを決める朝倉さん。でも、ふむ……悪くないかも。 「え…えーーー!? 本当ですか!?」  ネギ先生は純粋に喜んでいるようだ。 「今まで集めた証拠写真も渡してあげる。ホレ」 「わ、わぁーーい、やったーーっ、ありがとうございます朝倉さん」  さっきの沈み様から一転、もう飛び上がらんばかりの勢いでネギ先生は喜んでいる。 「よ、よかった、問題が一つ減ったですー」 「よしよし、ネギ。よかったね」  積みあがった問題の一つが片付いたことで、ネギ先生は涙まで出している。そこに明日菜が宥めているのか、褒めているのか頭を撫でている。なんか、私が転校してきた当初より二人の仲は良くなっているように見える。 「でも、大丈夫なのでしょうか?」  刹那が私にしか聞こえない声で言った。当然朝倉さんのことだろう。 「そうだね。そこはカモミール君の人を見る目を信じるとして、実際悪くはないと思うな」 「どうしてです?」 「麻帆良学園の報道部は下手な地方紙よりもメディアに対する力があるでしょ、それを生かさない手はないと思うけどな」 「なるほど、朝倉さんを通じて報道部と繋がりを持つのですね」 「そういうこと」  そうすれば、情報の操作にしても魔法の秘匿にしてもやり易くはなると思う。 「カモミール君もこのことを考えたのかもしれないね」  ネギ先生を見やる。やってきたお風呂上りの雪広さん達と朝倉さんが揉めているように見えるけど、問題はないか。 「そうですね、ではパトロールにでも行きましょうか。神楽坂さんも」  襲撃に備えて見回ろうという刹那。  それに同行する明日菜と私。でも、このときカモミール君と朝倉さんがすでに暗躍していたとは思いもよらなかった。  旅館を包む妙な気配に気付いたのは夜の11時近くだった。  先ほどまで大変に騒がしく、透視と耳でやっていることは何かと探れば、枕投げや怪談、ワイ談、さらに我らが5班はなんと例の音羽の水(お酒混入)で酒宴を開いている騒ぎ様だった。前日騒げなかった分も騒いでやるぜー、と言わんばかりだけど当然新田先生を初めとした先生たちが黙っているはずもなく、A組には退出禁止令が出された。  それが10時頃。その後不気味なくらい静かな時間が過ぎているのだけど、今こうして何かの中にいる感覚を館内パトロール中に感じた。 ちなみに今の私の服装は学校の制服。みんなより長く膝が隠れる裾の長いスカートに半袖ブラウスとベスト、ネクタイ。スカートの下にはすっかり定番になったスパッツ。外套は今回はなし。 「これは……結界?」  すぐに解析の目をもってこの結界らしきものに目を向ける。  基点は四つ。何かを守るためではない。中の人間に対して害を成すものでもない。魔力線から導き出される結果をシュミレート。結果は…… 「……契約?」  どうも、何かの契約を結ぶための大規模な陣地製作の魔法のようだと解析は結論付けている。仕掛けたのは多分カモミール君。理由は今のところ不明。  こちらの行動に支障があるものではない。問題はないのだけど気にはなる。それにさっきから妙な気配をそこかしこから感じる。 「どうしたものかなー?」 「なにが?」 「うっわ!」  深いとこで考えていたものだから、背後の気配に気付くのが遅すぎた。  振り向けば明日菜と刹那がいた。 「そんなに驚かなくてもいいのにー」 「ああ、ごめん。これからパトロール?」  昨夜のことがあって、数時間おきに持ち回りで3−A防衛隊のメンバーは旅館を中心に見回りしているのだ。現に私は今も館内をこうして見回り魔法的な異常がないか見回っている。 「終わったとこ、これからお風呂だよ。でも、A組退出禁止を新田先生に貰ったからねー。次からこっそりやらないと」 「その点は心配ないよ」 「え? どういうことです?」 「今日の朝に学園長に連絡して深夜帯の行動、私たちは割りと融通を利かせてくれるようお願いしたから。おおっぴらにはできないけれどね」  四人だけで組織だった相手からクラスを守らなくてはいけないのだ。この位の融通を利かせてくれないとむしろ困る。仕事の報告ついでにこの件もお願いしたのだ。きっと学園長を通して新田先生達には連絡がいっているだろう。 「わあ、すると私たちはフリー?」 「この仕事に関することならね」 「そうですか、感謝します」 「感謝するなら学園長に。それで、ネギ先生は部屋?」 「ええ、さっき様子を見てきましたが先生も見回りに行くそうなので、『身代わりの紙型』を数枚貸しました」 「ああ、あれね」  刹那の言う『身代わりの紙型』は前に見せてもらったことがある。あれは中々便利で、筆で名前を書いた本人の姿を映しとり、命じられた仕事をこなしある程度自己判断もできる式神に近い便利な代物のことだ。  そっか、それなら問題ないな。こっちは異常なしだから休息を入れるか。 「じゃあ、私はロビーで先生を待ちながら休憩をいれることにする」 「ロビーって、大胆ね」 「みんな部屋でしょ、かえってロビーの方が人目につきにくいよ」  この考えが甘かったと思い知らされるのにさして時間は必要なかった。  まさかあのオコジョがあんな馬鹿な計画を立てているとは思いも寄らなかったから、いや、今では何を言っても言い訳だろう。  ともかく宮崎さんの一言から始まった狂騒的な一日は、まだ終わってはいなかった。 「修学旅行特別企画!! くちびる争奪!! 修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦ーー!!」  モニターから朝倉の声が響く。  そうこれは秘密裏に行われる生徒達による『死亡遊戯』。 「キャー。始まったー」 「なかなか本格的じゃん」  自室でモニターを見るチアリーディングの三人組は今回参加者ではなく観戦者。 朝倉の持ちかけたこのゲームは各班から二人選手を選び、教師の監視を掻い潜り旅館内のどこかにいるネギ先生の唇をゲットするものだ。 妨害可能、武器は両手の枕のみ。観戦者もトトカルチョにより誰が勝者になるか食券を賭けることも出来る。観戦のために朝倉とカモミールが旅館各所に仕掛けたカメラを通して状況が各部屋のモニターに映し出される凝りようだ。  当然、彼女たちも食券を賭けているわけで、 「誰に賭けた!?」 「2班—4班の一点買い」 「3班のいいんちょは本命だよ」  このように大いに盛り上がっていた。  昨夜とは違った意味での狂乱の夜が始まった。「二人とも、ロビーで正座!!」 「びぇーーーん」  そんな声が聞こえてきて、くつろいでいたソファーから振り返ると、明石さんと長谷川さんが新田先生に正座させられていた。どうも先ほどから騒がしいと思ったけど、彼女達が原因なのだろうか? 「む、衛宮か」 「あ、新田先生こんばんは」  新田先生と目が合う。普通ならば退出禁止令下でのこと、すぐに長谷川さんと一緒に正座させられそうだが—— 「学園長から話は聞いている。他の生徒に示しがつかんから程々で部屋に戻れよ」 「分かりました」  話は通っていたので心配はない。これでネギ先生が戻るまで待つことは出来そうだ。 「衛宮、どんな裏技使ったのよ」  新田先生が立ち去ったところで、一連の様子を見ていた明石さんが話しかけてきた。『鬼の新田』と言われる新田先生が見咎めることなく素通りしたのだ。信じられないという表情をしている。 「んー、ちょっとね。それより、この騒ぎは一体何?」  さっきから複数の場所でドタバタと騒ぐ音が聞こえる。一般人の新田先生に感付かれるような大きい音ではないが、何かが起こっていることは確かだ。 「んふふ、それはね——」  そう言って話し出した明石さんが話してくれた内容はトンデモゲームの存在だった。  朝倉さんの企画したゲーム。誰がいち早くネギ先生の唇を奪えるかというものだった。妨害アリ、武器は枕のみというものだったが、先ず内容がとんでもない。 「————あ。そうか、これにはカモミール君も一枚かんでいるな」  ようやく、この旅館を囲む契約の魔法陣の意味が分かった。カモミール君はネギ先生に大量に『仮契約』させようとしているのだ。確か契約方法はキス。朝倉さんと組んでこの企画を立ち上げ、一気に仮契約カードを大量入手しようという魂胆だろう。 「でも、止めていいものか……」  据え置きされているお茶セットで緑茶を淹れ、飲みながら考える。  現在進行で起こっている騒動の原因と首謀者は分かった。けれどこれは学生のお遊び(にしては少々過激であるが)みたいなものだ。魔法が絡んではいるけど表には出ない。これを止めるのは簡単だけど、周りは納得するかが問題だ。 「うーーん。やっぱり様子を見てからにしようか」  ネギ先生は見回りに出て行ったというし、みんなそれに気付くのも時間の問題だろう。そうすれば自然に沈静化すると思うな。  結論からいうと、この考えが甘いと思い知らされたのはこの後すぐだった。  ロビーに近づく複数の足音。駆け込む人影。それを見れば… 「ん?」「な、に?」  四人のネギ先生が目の前にいた。 「(え、えーーーネギ先生がいっぱいーーー!?)」 「(分身だ)」 「(センセがイッパイ……)」 「(気をつけて、おそらく朝倉さんの用意したニセモノです)」  次々と駆け込んでくる『ゲーム』参加者の皆さん。ロビーは混乱の最中にあった。原因を知るため、すぐに解析の目をネギ先生(?)に向ける。 (これは、『身代わりの紙型』じゃないか)  術式、構成、どれも前に見せてもらった刹那の『身代わりの紙型』だと分かる。ネギ先生に貸したと言っていたけど、まさかネギ先生が悪用するでなし、何の事故だろうか? 「(よーし、とにかくどれでもいーからチューするアル)」 「あいあい」  先ず最初に古さんと楓が動き、ネギ先生の身代わりに跳びかかった。 「あ、おい古さん、やめ」  やめろ、という前にことが終わっていた。  楓が素早く身代わりの肩を掴んで動きを封じると、すかさず古さんがキスをした。異常ない状態ならこれでゲーム終了だが、 「えーと、では任務完了ということで……ミギでした」  ——ボウン! 「キャー」「えーっ」  爆発、でも殺傷能力は皆無でひたすらに煙が出るもの。まるで煙幕だ。しかも魔力の煙なのか、後に残らない。  殺傷能力はなくても爆発を間近で受けた古さん、楓は衝撃でしばらく動けないようだ。 「コラ、何だこの煙はっ!?」 「(まずいみんな、新田だよっ!?)」  明石さんの言うとおり、三階に見回りに行ったはずの新田先生がロビーの異常を感じ取って降りてきたようだ。煙を掻き分け、ズンズンこっちにやって来る。 「「「チューー」」」 「ぬごっ!?」  でも先生は突如、ネギ先生の身代わり三体による跳び膝蹴りをまともにくらって倒れてしまった。うわ、ひどいな。 「あわわわわ、に、新田先生がー」 「こうなってはもはや後戻りできませんね」 「とりあえず、頭にクッションを敷いておくね」  そばに寄って新田先生を診る。よかった、気絶している以外別状なさそうだ。  新田先生の頭の下にロビーのソファーから取ったクッションを敷いてあげる。これだけでも大分違うはずだ。隣では宮崎さんと綾瀬さんがどうしたものかと新田先生を見下ろしている。確かに新田先生が目覚めればかなり大変なことになることは予想できる。  で、後ろではそんな事は気にもとめず、 「ネギ君逃げたよーっ ニセモノにキスすると爆発するのー!?」 「ええいっ、ヤケですわ。追いますわよっ」  身代わりを追いかけるみんなの姿があった。女って怖いなー。いや、自分も今は女だけどさ、ここまで凄いことはできそうもない。  そしてロビーまで響く爆発音が三つ。きっとその影にはこのゲームに参加したみんなの悲鳴があっただろう。 「思わず芭蕉の句を詠んでしまいそうだなー、兵どもが夢の跡ってやつかな?」  呟きつつ、すっかりぬるくなった緑茶に口をつける。次いでこの後始末は大変だろうなと考える。今のうちに休んでおこうか。 「ただいまー、あれ……? 何か騒がしいような……何かあったのですか衛宮さん」  ここでようやく正面玄関からネギ先生本人がご帰還。周囲の騒がしさに戸惑っている様子で、私に聞いてきた。 「ネギ先生。『身代わりの紙型』の使い方、刹那にちゃんと教わりました?」 「え? はい。習いましたよ、筆で、なおかつ日本語で自分の名前を書くんでしたよね。まあ、ちょっと慣れなくて書き損じたのがあった けど、ちゃんと出来たはずですよ?」 「……そう、ですか」  唐突な質問にも関わらず、ネギ先生はしっかり返事を返してくれた。  そうか、騒ぎが大きくなった原因は先生の書き損じか。普通の紙のように書き損じたからといって、丸めて捨てればいいものではない。 処理として紙型を破り、形を崩す等の必要があるのだけど、こんな初歩も初歩、刹那が教えないはずが—— 「ああ、初歩すぎて思い至らなかったかも」 「……? どうしたのです衛宮さん?」 「いえ、なんでもな……」  後ろから綾瀬さんに背中を押された宮崎さんがやってきた。 「ホラ、のどか……」「あ……」  すぐに彼女に道を譲る。綾瀬さんに若干睨まれたのもあるけど、鈍感な私にも分かる雰囲気がネギ先生と宮崎さんにある。ここで邪魔をして馬に蹴られる趣味はない。  ネギ先生もすぐに宮崎さんに気が付く。 「あ……宮崎さん…」 「せ…ネギ先生……」  奈良での告白のこともあって、二人の雰囲気はとたんに犯しがたいものに変わる。綾瀬さんと一緒に二人から一歩引いた場所で見守る姿勢になる。  口火を切ったのはネギ先生。 「あの……お昼のことなんですけど……」 「えっ…い、いえ——あのことはいいんです……聞いてもらえただけでも…」  ネギ先生の切り出した言葉に慌てる宮崎さん。  ん? 横に気配。目だけを向ければ刹那と明日菜だ。彼女たちはこちらのただならない様子にすぐに息を潜めて物陰から窺いだした。  ネギ先生の言葉は続く。 「すいません……宮崎さん…ぼ、僕…まだ誰かを好きになるとか……よく分からなくて。いえっ、もちろん宮崎さんのコトは好きです。で、でも僕——クラスの皆のコトが好きだし、アスナさんやこのかさん、いいんちょさんや衛宮さん、バカレンジャーの皆さんも……そーゆー好きで……あ、それにあの、やっぱし先生と生徒だし…」 「い、いえ……あの、そんな先生」 「……」「……」  えっと、先生の言っていることは『ラブとライク』の違いということ? それ以前に『誰か好きな女の子』というのも考えにくいのだろうか。  綾瀬さんと並んで引き続き見ていく。 「だから僕、宮崎さんにちゃんとしたお返事はできないんですけど……その…」  話し始めた時から俯いていた先生が、意を決したように上を向き、宮崎さんと相対する。 「——あの、と、友達から…お友達から始めませんか?」  これがネギ先生の答えだった。彼なりに考えて、出した結論だろう。それに宮崎さんは、 「はいッ」  思わず見とれそうなキレイな笑顔で彼に答えた。 「(……そうですよね。これがホンモノでしょう……まだ10歳の子供なんですから)」  隣の綾瀬さんはどこからとりだしたのか『超神水』というまた愉快なパックジュースを取り出して飲んでいる。 「ううーーー、何言っているか聞こえないー」  ロビーの隅では正座の明石さんと長谷川さんがこちらの会話を聞こうとがんばっている。 「へー」「くす……」  物陰では刹那と明日菜が微笑ましいものを見ている表情で見守っている。 「えーと、じゃあ……も、戻りましょうか」 「は、はい」  ネギ先生の返事も終わり、後は部屋に戻ろうということになった。これでこの『ゲーム』も終わりだろう。  でも、今日ネギ先生の言葉を聞いて考えたな。この人は放ってはおけない。そんな考えをさせる子だ。ま、そのことは追々考えるとして、部屋に戻ろうか。  でも、そこで綾瀬さんが動いた。  軽く足を出して、歩き出そうとしていた宮崎さんの足を引っ掛けた。 「あ」  自然、宮崎さんはバランスを崩し前に倒れる。そこにはネギ先生がいて、 つまり、  くっついたのだ唇と唇が。 「あっ、すすすすいませっ……」 「いえっあの」  お互い慌てだす二人、でも、これで契約の魔法陣が発動。本人どころか、ネギ先生も知らない内に仮契約は結ばれ、宮崎さんがネギ先生の『魔法使いの従者』になった瞬間だ。 「しまった。こうなるのだったら、最初からカモミール君をとっちめるんだった」  よくよく考えても見なくても、こうなることは分かっていたはずだ。  一般人の彼女を魔法の世界に巻き込むのはよくない。でも、従者となれば望む望まないに関わらず巻き込まれるだろう。  あの時、悩んでいないでいなければ…いや、今からでも遅くない。奥の手『ルールブレイカー』を使って、そのあとオコジョをとっちめに——って、え?  それはどんな偶然だろう。たまたまその日、旅館の掃除があって床はピカピカに磨かれており、滑りやすくなっていた。それで私はスリッパを履いていて、さらに足を踏み出した床にはさっきまでネギ先生の姿を映していた『身代わりの紙型』。 「え? ひゃ!」 「あ、衛宮さん!」  体のバランスを崩して倒れる私が見えたのは、こちらに向かってきて受け止めようとするネギ先生の姿。  世界が暗転した。  体に異常はない。意識を体に向ける。まずは魔術回路異常なし、骨、筋肉、神経、皮膚、いずれも問題なし。ただ、圧迫感がある。横になった自分の体に重くはないけど確かな重量。 「あああー」 「はわわわ」  耳が宮崎さんと綾瀬さんの慌てた声を捉える。何か大変なことでもあったのか? 最後に目を開ける。 ————————————————————————————————————————————————————————————————はい?  なんでネギ先生の顔が至近距離であるのでしょう? なんで唇に感触があるのでしょう? ——————いい加減現状を認めろ衛宮志保。つまり私はネギ先生と——  不慮のこととはいえ、キスをしているのだ。 「はうあ! す、すいません」  ネギ先生もここでやっと今の状態に気が付いたのか、ガバチョと起き上がり私から離れる。 「……いえ、事故です。気にしないでくれ。それと宮崎さんも。これはまったくの事故で他意はない。分かって欲しい。それと、すまない」 「え、あ……はい」  顔が赤くなりそうなのを堪えて、勤めて冷静に宮崎さんに話しかける。告白した相手がいきなり他の女性とキスをするのは気分のいいものじゃないはずだ。それが例え事故でも許されることじゃないだろう。ああ、綾瀬さん、そんなに睨まないで……。 『おおおー、ラッキー! 偶然で衛宮志保・仮契約カード。ゲットー!!』  気のせいか、あのオコジョの声が聞こえたような気がする。オコジョ、後で三枚下ろし決定だよ。  少々気まずい中、さて、どうしたものかと思っていると向こうから声が聞こえてきた。 「またお前らか! こうなったら全員朝まで正座ーっ! ネギ先生もですっ! 全く生徒と一緒になって遊んで……」  復活した新田先生が『ゲーム』参加者を掃討しだした。まあ、止めれなかった私も悪いのだ。みんなに付き合おう。  ロビーに居並ぶ『ゲーム』参加者。全員正座で、私も正座。思惑色々で、私も頭の中が実はグルグル。  横目にネギ先生を見やる。彼との間にパスを感じる。これが仮契約のラインなのだろう。同時にさっきまでのネギ先生のキスを思い出す。————む。むう、忘れよう。宮崎さんのために。 『衛宮の姐さん。まさか兄貴とキスするとは思いませんでしたよー』  カモミール君の念話だ。視線をネギ先生から下ろして下のオコジョに移す。そういえば今夜の諸悪の根源ってコイツだよな。 『……カモミール君。師匠に出す料理でね、オコジョの蒲焼きに挑戦しようと思うんだけど、君だったら関西風と関東風どっちが好きかな?』  ニッコリ微笑む。 『ひぃぃぃ……冗談ッス、冗談ッス、冗談ッス……だから開かないで下さい』  とたん、卑屈にカタカタと震えるカモミール君。まあ、イジメる気はないし、今日はこのくらいにしておくか。  さて、朝まで賑やかな反省会になりそうだ。  こうして、修学旅行二日目。魔法使い見習いネギは、図書館少女・宮崎のどかと錬剣の吸血鬼・衛宮志保と仮契約を偶然に結んでしまった。「遠坂はん、用意はいいどすえ?」 「まあね、私は結界で本山に来るお子様魔法使いの足止めをすればいいのね(やっぱり西洋魔法使い風に見えるせいで信用ないわね。ま、当然か)」 「そして私はチグサの手伝いでコタローは凛の護衛ですか。(前回の反省も踏まえて今回は愛用の獅子竹刀を用意したのですが凛に止められました……残念です)コタロー、いいですか?」 「退屈そうやなー、それ」 「コタロー」 「ちぇーー」 「ほな、決まったとこで行きますえ」  出席番号32番 衛宮          第12話 修学旅行『狂騒・昼』  見上げた先に見えるのは大きな月。  目に染み入るような銀の光を私は誰かと一緒に見上げていた。場所はどこか武家屋敷みたいな平屋の日本家屋の縁側。 私の体は今よりもずっと幼く、隣に座るその人は私よりずっと大人の男性。けれど私は恐れることなく、むしろ親愛の情でもってその人と接している。冬の澄んだ空気の中、私たちは寒さを感じないのか二人並んで腰掛け、月を見上げていた。 「僕はね正義の味方になりたかったんだ」  見た目に反して子供っぽい目をしたその人は言う。幼い私はその人のまるで諦めたような物言いに怒り、事実諦めたと知り、 「だったら爺さんの夢は俺が叶えてやるよ」  今に続く誓いを私はこの時に立てた。それを聞いたその人は「ああ、安心した」と本当に安心した顔をして目を閉じる。それが、私が父と呼んだ人の最後だった。  ——ハッキング。  介入者アリ。月の彼方から浪々と銀色の聲が光と一緒に降ってくる。  I am the bone of my sword  体は剣で出来ている  この韻は聞きなれている。それも当然、毎回投影するたびに自身に言い聞かせている言葉だ。自身に許された唯一の『魔術』。『魔法使い』のように外の精霊たちに働きかけるものではなく、自分の内面に働きかける『言葉』  Steel is my body and mirror is my blood  血潮は鉄で心は[硝子]  え? どうして? 確かに[言葉]は合えど、言い聞かせる意味が違う? これは私の言葉ではない?  I have created over a thousand blades  幾たびの戦場を越えて不敗  Unknow to thirsty  ただ一度の敗北もなく  Nor know to wet  ただ一度の充足もない  これは私の独自の言葉[オリジナルスペル]であって、異なるものだ。あの弓兵のものでもない。ならばこれは一体……?  With stood pain to create weapons waiting for one‘s arrival  剣製の果て担い手は雪原に立つ  I have no regrets This is the only path  ならばわが生涯に意味は不要(いら)ず So ask I for ‘‘unlimited blade works‘‘  この体はきっと無限の剣で出来ていた  真名が詠われると(世界・夢)が幻想に侵食(おか)された。  静かな夜空は炎のような紅い空と虚空に回る水晶の歯車に、月に照らされた庭は空の紅さに反するように白い雪原に変わり、それ以外のものはみんな消えてしまった。  あるのはこの様子を見ている私と相手、そして雪原に突き立つ無限の剣たち。 「それが、あなたの始まり?」  声のする方向を見る。  聖域を思わせる荘厳さのある剣の世界。剣たちは従順な騎士たち。命あるまで雪原に突き立ち、彼の者の傍で控えている。 違和感。自分の世界は剣を墓標とした墓場でなくなったけれど、ここまでの雰囲気はないはず。  従者たる無数の剣群の彼方、白の地平に白い鏡はいた。 「君は……?」  その姿は今の私の姿。背中まである純白の髪、左目を前髪に遮られていても眼光に衰えのない深紅の瞳、純白の薄いワンピースは肢体を透けさせ、それらの要素が彼女を雪の精霊と容易に連想させる。  ナルシストの気は断じてないはずだが、雪原に立つ彼女の姿は言葉を忘れるほど美しかった。  こちらの呟くような言葉に答えるように、彼女は口を開く。 「私? 私は貴方。貴方は私。鏡である私には本来名前なんて不要。それでも呼びたければイデアと呼んで」  イデアと名乗る『自分』。容姿も声も全てが自分そのものなのに、中身が違う。 「あなたの全てを知りたいと思って、記憶を編纂[リロード]していたらこんなところに出たね。まあ、ちょうど聞きたい事もあったし、いいかな。ねえねえ、さっきのがあなたの『借り物』のはじまり?」  自分とは思えないくらい可愛らしく首を傾げて聞いてきた。 「ああ、そうだな。あれが私、いや『俺』の始まりなんだろう」 「それが衛宮●●からの借り物の理想であっても?」 「ああ」  疑問も差し挟まず自分の口は少女に答える。これに違和感や迷いはない。ありのままに話す。  自身の理想は借り物の理想。それがとてもキレイなモノに思えたから、自分も目指すという二番煎じ。でも、その素になった想いは決して偽者なんかじゃない。間違いじゃないと思いたいのだ。 「そう、そうだね。だから私はあなたの願いを叶える鏡になろうと思ったの。それに、ネギ君だっけ? その子のことも放っては置けないんだよね。いいよ、あなたの願いは私の願い。だから私がここにいるの」  こちらの思いを受け取った彼女はとても柔らかな笑みを顔に浮かべた。自分の顔のはずなのに、思わず見惚れてしまいそうな素敵な笑顔だ。 「あの子達が来たから、記憶の回復を早めに済ませておくね。じゃあ、朝だから……戻すね……えーと、解呪なんて器用なことは出来ないから、これで我慢して」  白い繊手でピストルの形を作る。そして人差し指の銃身をこちらに向ける。すると、命を受けた剣の群れが雪原から宙に浮かび立ち、矛先を一斉にこちらに向ける。 「な、何を……?」  余りの事に動くこともままならない。そも、今の自分に手足なんて上等なものが付いているのかも怪しい。 「おやすみ」  少女が呟いた言葉と共に、  剣が、  槍が、  矢が、  槌が、  刀が、  斧が、  無数の鋼が轟音を発して殺到、この身を千殺する。  悲鳴も肉が千切れる音も、飛来する剣群の鋼の音にかき消され、  同時に(異界・世界)も(記憶・意識)もテレビのスイッチを切るようにかき消えた。 「———————っ!!」  肉が消し飛ぶ痛みを覚えて意識が叩き起こされる。  視界には見慣れない、けれど覚えのある天井。身を起こして見渡すと例によって眠っている少女達の姿。私はまた一番に目が覚めたようだ。  体に異常は……  鋼の擦りあう音が体の中で聞こえる。これは私の体を構成する無数の剣たちの聲なき聲。傷を負うたび表に出てくる鋼たちの聲だ。今は彼らの出番ではない。眠っていてくれ。  とりあえず、今のところ体に異常はない。あの騎士に斬られた腕も完全に癒着している。神経、筋肉、骨、全て異常なしだ。  体が千切れたような錯覚を覚えたけれど、問題はないようだ。  太陽は顔を出して間がなく、朝焼けの赤がやけに目に染みる。 「寝不足かな?」  昨夜の乱痴気騒ぎの後、新田先生に自ら進んで正座を申し出てみんなと一緒に正座で反省をした。あの騒ぎを止められるのに、止めなかった自分への反省の念をこめてのことだ。  朝まで正座と新田先生は言ったけど、流石にそれはいくら何でもという事で二、三時間で源先生が解散させてくれ、こうして部屋で寝ることが出来ている。それでも睡眠不足ではあるのだけど。 「でも、昨夜は色々あったな。ネギ先生争奪やら、宮崎さんの告白やら、それに——」  知らず、手が唇に伸びていた。ネギ先生の唇って温かだったな……って!! 「何を考えている私はっ」  自分の頭を殴る。当然コブシで。  ゴンッ  ————ぐっ! 星が見えた。スター。  吸血鬼の身体能力のせいか、かなり痛いけど戒めには丁度いい。  今のは勇気を振り絞って告白した宮崎さんの思いを侮辱するものだ。今後考えないようにしよう。第一、私は[シロウ]という元男。最近その意識が薄いのだが、そういった観点から見てもこれはマズイのだろう思う。うん。 「————で、これが仮契約カードか……」  気を取り直し、枕もとに畳んだ制服からカードを取り出した。  昨夜の騒ぎの元となったもの。あのオコジョが朝倉と共謀してネギ先生と生徒をキスさせて、大量に仮契約カードを入手しようという企みがあの騒動の元凶だったのだ。  でも、ネギ先生が使った『身代わりの紙型』のこともあり、結局契約に成功したのは宮崎さんと私の二人のみとなって騒動は終わった。  そんな騒動の渦中にあったカードを良く見てみる。ちなみにこれはあのオコジョ——カモミール君の複製したコピーカードだとか。マスターカードは宮崎さんのものを含めてネギ先生が預かっている。  絵柄に描かれているのは当然私の姿。制服に例の赤い外套。その周りに大きさも種類も様々な刀剣類が囲み、弓手に愛用している黒い洋弓。馬手には見たこともない剣を持っている。  名前はしっかり『エミヤシホ』とアルファベットで書かれている。『シロウ』の方が書かれるかと思ったのだが、違うようだ。どうしてそうなっているのかは機会があったら師匠に聞いてみよう。  そして名前の下にはラテン語で『剣製の執行者』と書かれている。色調は『赤と銀』、方位は『北』、徳性が『正義』、星辰性『木星』番号は『32』などの情報がタロットカード調に描かれている。 一見、ただの紙のカードだけど、解析の目を向けても弾かれてしまう相当な神秘の塊だ。このカードを一つで魔力供給、念話の媒体、限定的な転移魔法、そして専用アイテムの召喚と相当に便利な事が出来てしまう。  そしてこれがネギ先生の『魔法使いの従者』になった証でもあるのだ。 「んー、先生の従者として先生を守るのはいいのだけど——」  問題はこのことに師匠が納得するか、だよな。 「厳しいけど何とかしなくちゃダメか」  一人ごちて、窓の外に広がる嵯峨野の朝を眺める。修学旅行の三日目。この日が最大の狂騒の日だったのだけど、朝日はそんな事に関係なくいつも通りの光を地上に降らせていた。 「まったくもー……ちょっとどーすんのよネギ! こーんなにいっぱいカード作っちゃって、一体どう責任取るつもりなのよ!?」  開口一発、明日菜が吼えた。それはもうプチタイガーのように。  朝食を終えて、今日これからは自由行動となるのだが、それまでの間休憩所で魔法関係の相談をしている。その席は実質明日菜による、昨晩の騒動の弾劾裁判に化そうとしている。  明日菜の両手には昨晩の成果、もとい被害の元となった仮契約カードが七枚。  なんでも、身代わりの紙型で出来たネギ先生とキスした五名(正確には四名と双子一組)のカードも『スカ・カード』として出現しているのだ。そして反対の手には宮崎さんと正式に結ばれた仮契約のカードのコピー元がある。ついでに私のカードのコピー元も。  それを手に明日菜はズズイとネギ先生に迫る。 「えうっ!? 僕ですか!?」  被告人のネギ先生は半泣きになって検事・明日菜の追及に怯んでる。宮崎さんと私に関して以外はほとんど身に覚えの無いことだろう。けれど、種を蒔いたのは紛れも無くネギ先生だったりするのだから弁護の余地も無い。 「まあまあ、姐さん」 「そーだよアスナ。もーかったってことでいいじゃん」  弁護人のカモミール、朝倉がネギ先生の弁護に回るが、 「朝倉とエロガモは黙ってて!」 「はい……」「エロガモ!?」  判事でもある明日菜に棄却されてしまった。この二名は元凶でもあるから発言権はないだろう。そして当然事故とはいえネギ先生と仮契約してしまった私も発言権はなし。朝倉の隣で沈黙するしかない。 「本屋ちゃんは一般人なんだから厄介事には巻き込めないでしょ。イベントの景品らしいからカードの複製渡したのは仕方ないけどマスターカードは使っちゃダメよ」 「魔法使いということもバラさない方がいいでしょうね」  明日菜と刹那が話を締める。  裁判、もとい相談の結果、宮崎さんには魔法関係の事情について黙り、彼女にとっていい思い出にしてもらおうという結論が出た。  私も異論はまったく無い。彼女は魔法に関わらずに普通に暮らせば何倍も幸せになれるだろう。この辺り、『魔法』も『魔術』も変わりようが無い。特異な力は災厄を呼びやすい。それはどこの世界も変わらないのだ。 「そうですね、のどかさんには全て秘密にしておきます」  ネギ先生も異論なしだ。やはり十歳とはいえそこは魔法使い。一般人を巻き込まないよう魔法使いとしてのモラルはしっかりしているようだ。明日菜については少々疑問があるのだけれどね。 「惜しいなー、あのカード強力そうなんだけどなー。まあいいや、姐さんにもカードの複製渡しておくぜ」  結論が出たところで、カモミール君がそう言ってどこからか明日菜の契約カードを取り出して渡そうとする。思うのだが、私でさえ解析できないものをこのオコジョはどうやって複製しているのだろうか? 今度機会があるなら聞いてみようかな? [贋作者]として興味がある。 「えー、そんなのいらないわよ————どーせ通信できるだけなんでしょ」 「ちがうって! 兄貴がいなくても道具だけ出せるんだよ。ぜってー役に立つって。ほら、衛宮の姐さんもカード持ってきているなら使ってみてくださいよ」 「え? 私も」  『通信だけ』という言葉が何かを刺激したのかムキになったカモミール君が私も巻き込んでカード使用講座を開きだした。明日菜とともにオコジョの前で横に並んでスカートのポケットからカードを出す。 「出し方はこう持って、来れ[アデアット]って言うんだ」  身振り手振りでアーティファクトの出し方をレクチャーするオコジョ。む、小動物なだけに妙に愛らしい。日頃の行いがアレでなければ撫でたいぐらい。 「えーーーやだなあ」  明日菜は恥ずかしいのかぶーぶー言いつつも、 「[アデアット]」  しっかり言葉を発してカードに触れる。カードは魔力の淡い光を灯し、形を崩して、一瞬後には明日菜の手に例のハリセンが現れていた。 「わっ、ホントに出た」 「(相変わらず、凄まじい神秘だな)」  もし私の世界のまともな『魔術師』がこれを見れば卒倒間違いなしだろう。そういった神秘が当たり前のように日常の隣にあるのだこの世界では。  で、その神秘を手にした当人はというと、 「すごい!! 手品に使える!」 「ち、ちゃんと使ってくれよぉ」  驚きつつも暢気なことをのたまってくれます。流石のカモミール君もこれには注意をしている。彼女だったら本当に手品に使いかねない。 「で、次は志保の番ね」 「お、そうだった。衛宮の姐さんのカードも強力そうだし、見てみたいっす」 「衛宮さんのアーティファクトは『ハジマリノツルギ』とありますけど、実物も効果もまだ確かめていませんね。見てみたいですねー」 「うん。分かった」  明日菜、カモミール君を初めとしたみんなの視線を集まる。そういえば、私のアーティファクトは確かめていないな。ネギ先生も確かめていないようだ。ここは戦力の確認の意味も込めて出してみなければならないだろう。 「来れ[アデアット]」  言葉とともに手に持ったカードの形が崩れ、一定の形に再構成される。ここまでは明日菜と同じ、問題はどういった形を成すかだが…… 「えーと……剣?」  明日菜が疑問の声を上げるのも無理ないだろう。  私の手に現れたのは全長八十センチほどの『剣』だった。カードの絵柄で私が馬手に持っていた剣だが、造りが非常に簡素で、切っ先はなく、刃も切れるのか疑問なほど厚い。表面には『MINISTRA MAGI SHIHO』とある。  剣の柄に鉄板を付けましたと言われても信じそうな代物だ。 「こいつは……ハズレか?」  あまりの結果にカモミール君も思わず呟く。 「ふむ……」  とりあえず、この『剣』に解析の目を向けてみる。  創造理念——多数該当  基本骨子——無数該当  構成材質——無限該当  製作技術——無間該当  該当あり、該当あり該当あり—————— 「————っ!」  思わず目を押さえてしまう。幾多の理念、無数の骨子、無限の材質これら全てが、あらゆる武器の情報が目を通して流れ込んでくる。  ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロ! そんなに入ったら私の脳が壊れる—— 「ちょ、衛宮、大丈夫か!?」 「衛宮さんっ!」 「志保っ!」  みんなの切迫した声が聞こえ、かえって落ち着くことができる。落ち着け。 私の解析では武器の情報を読むとき情報を得られるか、さもなくば弾かれるかのどちらかだったため、このように大量の情報が流れ込んでくるのは初めての経験になる。戸惑ったこともあるけど、加減を知らないとこれは自滅する。  ゆっくり呼吸を整えろ。  自らの内の剣達を静めろ。下手をすれば肉を突き破って外に出るぞ。  …………。 「大丈夫、ゴメン心配をかけて」  いつの間にかうずくまった体を起こして、立ち上がる。 「でも、お陰でこれの使い方が分かった」  私の推測が正しければ…おそらく… 「え? 使い方」「分かったの?」  みんなが戸惑う中で実演してみる。『剣』を自然体で構え、イメージした設計図を『剣』に送る。 「〔変化〕干将・莫耶」 「!」「お」  『剣』がいつも使い慣れている双剣に変わった。その変化の過程はなく、騙し絵を見て一定の絵が浮かぶように、眼の焦点が変わってそれが浮かぶかのように変身した。 「〔変化〕カラドボルグ」  双剣が捻れ狂う螺旋の剣になる。 「〔変化〕フルンディング」  螺旋の剣が赤黒い刀身の西洋剣になる。 「おおー」 「スゴイ」 「こんなところだろうか。〔戻れ〕」  大体の使い方が理解できたところで元の状態に戻す。これはただ言葉にするだけでいい。 「つまり衛宮の姐さんのアーティファクトは使用者の念じた武器にする事ができるという代物なんスね?」 「多分、ね」 「私のハリセンより便利じゃない」 「そうでもないんじゃないかな……」  みんな口々に私のアーティファクト『ハジマリノツルギ』について評しているが言うほど便利でもない気がする。  まず、投影物と違って『変化』も『付加』も受け付けず、『強化』はどうにかできる程度。当然自分の世界のものではないので『壊れた幻想』もできない。  元になった武器の能力はキチンと有しているが、一定レベル以上の宝具にすることができない。これでの最高状態は『ゲイボルグ』や『ティルフィング』。『カリバーン』や『グラム』になると無理で、ましてや投影も出来ない『エクスカリバー』『乖離剣』なんて論外だ。  最後にこのアーティファクトは素体が剣の形状だったためか剣の形から外れるものに変化できない。剣や槍、斧はまだいいが、防具関係は全くダメ。鎖や紐も却下。かろうじて弓はOKだけど、矢は自前で投影するなりして調達しなくてはいけない。  総合してみると、魔力を使わず武器を調達できるのはいいが、融通が利かないという結論だ。長期戦で魔力を温存したいときに重宝するかもしれないけど、投影魔術が出来る身としては果たしてみんなが言うように便利かは疑問な代物だ。 「ともあれ、便利に使ってくれよ。しまう時は去れ[アベアット]だぜ」  そんな一言でカモミール君のカード使用講座は終わった。 「うわー、なんか私も魔法使いみたい」  明日菜はハリセン振り回してはしゃいでいる。朝倉と刹那は私と明日菜のアーティファクトを物珍しそうに見て唸っている。 「——じゃあ、ほんとに便利に使わせてもらおうかな」  手にあるそっけない素体状態のツルギを見下ろし、軽く『よろしくな』と想う。返答は当然なく、ただ気のせいか表面が鈍く輝いた気がした。  休憩所でのアーティファクト講座の後、今日の自由行動について話し合いがあった。  刹那は木乃香の護衛。ネギ先生は今日こそ親書を関西呪術協会に届ける気のようだ。明日菜もそれに付いていくつもりだ。  私はというと、刹那と同様木乃香の護衛に回ることにした。狙いが木乃香の身柄と分かった今、守り手は一人でも多いほうがいいだろうとのことだ(刹那談)。  班の部屋に行き、持ってきた私服に着替える。  最近服は師匠のお下がりより、自前で買うことが多くなった。『こっち』に来た時のように下着売り場でドギマギすることは少なくなり、ああ、これが慣れなんだなーと思い知らされた。それどころか、「これを着たら似合うかな」「あれを着たらどうだろう」などの思考すら浮かんでくる。この事を師匠に話したら、「お前も女に近づいているということだ」とかなりショックなことを言われた。  服装は護衛の件もあるので活動的なものチョイス。上は黒いカットソー、下はブラックのGパンにタクティカルブーツ、腰の後ろに大き目のウエストポーチ(バックといってもいい大きさ)を付けて中身は防具の外套、ファーストエイドキット、髪はいつもの様にリボンで纏めている。  はっきり言って色気も可愛げもない格好だ。まあ、別段それを求めている訳ではないので問題ないが、この色気なさに師匠が怒り、「せめてこれを着ろ」と今の上着であるカットソーを渡された。これは前面普通だが、背面には大きな銀の十字架が刺繍されている。  吸血鬼に十字架はないだろうと思うのだが、よくよく見るとこの十字架縦に一本ラインが引かれていて、どうやら『縦に割れた十字架』のようだ。「逆十字より気が利いているだろ?」とは彼女の談。どちらにしてもどうかと思うのは私だけか?  そんな徒然なことを思いつつ、部屋を出た私は刹那と落ち合う場所に向かった。 「(では、私と衛宮はお嬢様の護衛、神楽坂さんはネギ先生をよろしくお願いします)」  ロビーから旅館の外、ネギ先生との待ち合わせ場所に向かいながら刹那が小声で私と明日菜に話しかけてきた。  刹那は私服を持ってきていないらしく、制服のままである。あえてラフさがあるとしたら、ベストは着ていないところか。 「(うん、分かった)」  応える明日菜は対照的に私服を楽しむ気全開である。露出こそ少ないものの、いかにも遊び心がある服装をしている。 「でも、志保。そんな格好いい系の服も似合うんだ。得よねー」  ここだけ普通の音量で明日菜が話を振ってきた。  格好いい系? 特に意識したチョイスではないのだけどな…… 「(いや、戦闘を想定して動きやすいものを選んだだけなんど)」 「(そうなの? の割には背中の十字架デザインとか趣味いいけど)」 「(それは師匠の趣味だ)」 「(ああ、エヴァの…って吸血鬼が十字架ってどうなのよ?)」  同感。  ところで、なんで私たちが小声で会話しあっているかというとだ、 「なにをコソコソと話しているのかなー?」  にゅ、っと私と明日菜の間に顔が現れた。 「わっ」「早乙女さん」  そう、早乙女はるな。旅館を出て行く際、この娘に見つかってしまい、ネギ先生と同行すると知ったせいで図書館探検部の四人も付いてきてしまい、護衛対象である木乃香、注意を払うべき宮崎さんも同行する結果になって、どうしようということになり、とりあえず明日菜がネギ先生と待ち合わせている場所まで行くことになった。 「もう、同じ班なんでしょ水臭いぞ」 「ああ、すまない早乙女さん。誘わなかったのは落ち度だ。そっちも何か予定があるかと思ってね」 「ないない、暇だからねー何か予定のあるところにくっついていこうと思ってさ」 「……そうなんだ」  明日菜と顔を見合わせて思わずため息。  こんなので大丈夫なのだろうか?   橋のところで待っていたネギ先生は案の定、こちらの有様に慌てている様子だった。明日菜とネギ先生が話した結果、途中で抜け出す方向でまとまった。  ただ、これは余談だけどネギ先生はモテル男の兆候があると思う。こちらを見た第一声が「皆さんかわいいお洋服ですねー」だ。十年、いや五年後が少し怖いと思う。  一行は八人+カモミール一匹。しかして内実はというと、親書を届けに行きたいネギと明日菜。木乃香の護衛を勤める刹那と衛宮。そしてネギ先生について行きたい図書館探検部の一般人四人。この3グループに分かれる編成だ。  ネギ達は親書を関西呪術協会に届けたいと思い、そのためには探検部の一般人四人を引き離す必要があった。  木乃香の護衛二人はネギに付いていこうとする護衛対象の木乃香をどうにかする必要があり、そのためには彼に上手く抜け出してもらう必要がある。  図書館探検部の四人はというと、こそこそと面白そうなことをしようとしているネギに興味があり、宮崎のどかを中心にその意識は高い。そのためには離されてはいけないのだった。  どうにかして抜け出したいネギは明日菜と相談して、騒がしい場所に入って撒くという結論に達し、一路ゲームセンターに向かうことになった。途中、相談している様子を早乙女に勘繰られたり、ゲームセンターで対戦者に会ったりとハプニングはあったものの、アーケードのカードゲームに夢中になった探検部一行の隙をついてネギと明日菜は抜け出すことに成功する。  後は護衛二人がこれを上手くフォローすれば問題はない。  この八人を中心として京都の狂乱は夜をはみ出し、昼の世界に漏れ出し始めていた。 「やっぱ名字、スプリングフィールドやて」 「やはり……あのサウザントマスターの息子やったか…それやったら相手にとって不足はないなぁ」  ここはゲームセンターから程近い路地裏。そこに駆け込んだニット帽をかぶったガクランの少年。先ほどまでゲームセンターでネギと対戦していた少年だ。報告を受けるのは旅行初日にネギを襲った符術師。服装は前の変装である従業員服ではなく、和服を大胆にアレンジした露出の多いものに変わっている。  後ろには清楚な服装の剣士少女、白い髪の人形めいた少年、そしてあの騎士と赤いスーツの女性もいた。さらに後ろでは魔上使いに喚ばれた人ならざるものが蠢いている。  まるでここだけが人の世から切り離された魔境の巣窟。漂う空気から支配する理までここでは異なる。 「ふふ……坊や達……一昨日のカリはキッチリ返させてもらうえ」  その魔境のなか、符術師・天ヶ崎千草はこれから起こる狂騒に思いをはせ、妖艶に微笑んだ。 (士郎みたく正義を語るつもりはないけど、私達分かりやすいほどの悪役よねー) (それは言わないでください凛。少しへこみます) (まあまあ、それに私なりに考えもあるから) (信頼していますよ) (うん、任されたし)  千草の後ろで赤い女性と普段着の騎士がこのような聞こえない会話をしていたのだが、振り返ればこれも狂騒の渦のひとつだった。「じゃ桜咲さん、志保、このかのこと頼むね」 「はい、二人とも気をつけてください」 「ああ、頼まれた」  そんな会話が交わされ、ネギ先生が出て行って十数分。ゲームセンターでは未だに探検部のゲームプレイが続いていた。  楽しそうにアーケードのカードゲームをする三人。……あれ宮崎さんは…? 先に戻ったのだろうか? ————今は木乃香の護衛だよな。  離れた場所では刹那が木乃香を静かに見つめている。その様子はどこか寂しげだ。まだあの二人には何かあるんだろうな。 何か飲み物でも買ってきておくか。すぐ近くの自販機に硬貨を投入。この辺は世界が変わっても変化なしなのがありがたい。刹那の好みは分からないので無難にお茶を選択。お茶缶二つを持って彼女のところに向かう。 「〔オン〕」  戻ってみれば、刹那が紙型に向かって何か術を施していた。邪魔をしないように気配を断って見守れば、紙型は人の形を取り始め、 『お呼びですか?』  その形を刹那のように変えた。ただし大きさは10分の1スケール。激しくデフォルメされた三頭身でまるでぬいぐるみのような可愛い状態だ。言うならば『ちびせつな』だろうか? 「今からネギ先生のところに行ってきて欲しい。頼めますか」 『畏まりました————』  ちびせつなが人魂のように宙を飛び、ゲームセンターを出て行く。 「あれも式神なのか?」  気配遮断を解いて刹那にお茶缶を渡す。彼女はこちらの出現に少し驚いた様子だったがすぐに気を取り直し、お茶を受け取りつつ答えてくれた。 「ええ、向こうと視覚と知識を共有している半自立の式神です。ネギ先生が心配でしたので」  プルトップを開け、一口。少し苦い顔だ。 「口に合わなかった? 刹那の好みが分からなかったから適当に買ったのだけど」  こちらも同じものだ。一口。む、缶のお茶に多くを求めてはいないけどこれはちょっとか。 「すまない」 「いえ、ちょうど喉が渇いていた時ですから構いません」  それでも構わずお茶缶を空ける刹那。本当にすまない。 「今度から聞いてからにしよう」 「今度がありましたら————うん? 合流できたみたいです。二人とも元気ですよ」  刹那が眼を閉じて式神の眼とリンクしている。その間こちらは木乃香の動向を見守ることにした。彼女はまだカードゲームをやっている。想像以上に白熱しているようだ。視線はそのまま、刹那に問いかける。 「そうか、もう本山に?」 「ええ、千本鳥居から本山に向かって……あれ?」  眼を閉じたまま刹那は戸惑った声をあげる。 「どうしたの?」 「いえ————あ、ネギ先生達が結界に囚われてしまいました」  目を開けた刹那はとんでもないことを言った。 「な、結界に?!」 「ええ、無間方処の咒法といってループ型の結界です」  ループ型結界。知識にも該当する結界は数多い。一定空間を捻じ曲げ、出口のない空間を作り上げる代物だ。これに囚われたとなると、相手の目的は足止めだろう。 「となると、敵がこちらを狙っているのは確実。助けに行こうにも無理か」 「ええ、警戒を強める必要があります」  どちらか一方が行くことも却下だ。相手は集団でかかってくる恐れもあり、その場合一人だけで対処はできない。 「歯痒いね」 「ええ」  視線は自然に木乃香達に向いた。  楽しそうにゲームに熱中する三人。守らないとな。  腰のバックから外套を取り出し、袖を通す。これを身に付ける時はいつも戦場。気を引き締める意味でもこれは必要な行為だ。  さあ、敵よ来るなら来てみるがいい。私が守りきってみせよう。  時が飛ぶ。  昼の狂騒の一つ、千本鳥居での決着は付いた。  どのように付いたのか、誰が倒れ、誰が傷ついたのかは多くのものが知っているだろう。だから、ここでは倒れた者の後を記す。  足に力が篭らなくなり、犬上小太郎はうつ伏せに倒れた。倒れると同時に変身が解け、人狼の体は人の規範に戻っていく。 「アカン……もう…動けへん」  思考に浮かぶのはネギ・スプリングフィールドという自分と同年代の相手のこと。 勝者は相手で、自分は敗者。決着はあの魔力をこめたパンチと直後の雷の魔法。その後も無理に獣化変身して戦ってみたが、結果は仕掛けた結界に逆に閉じ込められ精魂尽き果て、ここに倒れた。 (ネギか……西洋魔術師のくせにやるやないか……)  正直言ってこれまで小太郎は西洋魔術師を侮っていた節があった。パートナーに守られなければロクなことができない頭でっかちの集団と思っていた。  それがあの一撃で目を覚まさせられた気分だ。 「へっ……へへ、ネギめ……お…覚えとれよ」  ゴロンと仰向けになり、天を仰ぐ。 「次は……負けへんでーーーー!!!」  空に届けとばかりに叫ぶ。次、絶対に決着を付けるという誓いを空に奉げるように。  でも、これに返事があった。 「血気盛んなのはいいけど、暴走しないでほしいわね」  鳥居から降りる赤いスーツの美女。背中までの黒髪を翻し、ネコ科動物のようなしなやかな身のこなしで小太郎に歩み寄る。名前は遠坂凛。彼女は先ほどまで激しい戦闘があったはずなのに、彼女体や服に傷一つ汚れ一つなかった。 「遠坂のねーちゃんか……ほっとけ、戦闘に出てない奴がデカイ口叩くな」  凛から視線を外してそっぽ向く小太郎。  小太郎は凛のことが苦手である。西洋魔術師らしいし、得体が知れない。腕を買われてセイバー共々人手が欲しかった千草に雇われたのだが、どうも気に入らない。  まあ、一番得体の知れないフェイトという奴よりは好感は持てる。といった程度だ。  凛はそっぽ向く小太郎に近づき、宝石を取り出す。 「私の魔法は戦闘向けじゃないからね。それに、千草から言われたのは見張りよね? 戦闘しろとは言われてないでしょ」  凛は戦闘には参加しなかったし、ネギ達の前に姿も現さなかった。彼女は千草からは結界『無間方処の咒法』の維持を任されていた。割と細やかな管理を必要とする結界で、管理の術者が一人は必要だった。小太郎でも出来るのだが、凛に任せられ、小太郎はネギ達の見張り役となった。  それを崩したのは小太郎だった。戦闘狂の気がある彼がネギ達に興味を覚え、ちょっかいを出したのだ。結果はごらんの通り。足腰立たずに転がっている有様だ。 (でも、憎めないのよねこーいう負けず嫌いって)  心のなかでクスリと笑う凛は取り出した宝石を小太郎の裸になっている上半身に当てる。 「な、何する気やっ」 「ほら、暴れないの。せっかく治療してあげるのだから大人しくしなさい。————Anfang[セット]」  力が入らないままパタパタ暴れる小太郎をあっさり取り押さえると宝石に魔力を込め、治療の術式を展開する。 「……何のつもりや遠坂のねーちゃん。こんなことして……?」 「さあ? まあ、雇われ先の同僚の傷を治すのに宝石を使うのは割と心の贅肉という自覚はあるんだけどね。強いて言えば、誰かさんに影響された気まぐれみたいなものかしら……」 「よー分からんわ、それ。ところで、閉じ込められたけど出られるんか?」 「時間が経てば出られるわ。さっきの術は結界の管理権を奪うものだけど、相手は管理する気はないようね。これなら放っておいても二時間で出られるわ」 「……そっか、ならそれまで俺は寝てるわ」 「ええ、お休み」  たちどころに上がる少年の寝息。治療を終えた凛は小柄な少年の体を抱えて、休憩所のある場所に歩を進めた。 「後、十時間を切ったところかしら。セイバー、頼んだわよ」  凛の呟く時間は千草が彼の鬼神を呼ぶ時間。その時間こそ凛とセイバーの進退を決める時間でもあった。  京の街を走る、走る、走る。  木乃香の手を刹那が引き、その後ろに私が付き、さらに後ろを綾瀬さんと早乙女さんが追いかけている。 はあ、はあ、はあ  私と刹那を除いた三人の息が荒く聞こえる。無理も無いすでに走り始めて十分以上。図書館探検部という文科系のくせに割と体を使う部活に入っている三人だが、それでも一般的な女子の運動能力の内だ。吸血鬼の私や人外を相手するよう鍛えられた刹那と比べるのは酷な話だ。  だが、あいにく状況はその酷なことを押し付けるものだ。  襲撃があったのは走り始めた三分ほど前。  いきなり何も無い場所から鉄の棒が木乃香に向かって飛んできた。幸い警戒していたのですぐに対処することができ、跳んできた鉄の棒を木乃香に悟られること無く捌くことが出来た。  飛んできたものはまさしく鉄の棒。長さ十五センチほどで、先端が鋭く加工されている。西洋でいうところのスパイク、日本では棒手裏剣というものだ。  射手の姿は見えない。おそらく魔法的な手段で気配すら隠しているのだろう。こちらの透視ですら影を見ることができないほどの隠蔽術だ。 このままゲームセンター内にいては格好の的になると判断した刹那は木乃香の手を引いて走り始めたのだ。私はそれに付いていき、そこに綾瀬さんと早乙女さんがくっついてきて、結果五人の京都の街マラソン大会となっている。 「せ、せっちゃん、どこ行くん? 足速いよぉー」 「ああっ、す、すいませんこのかお嬢様」  木乃香にそろそろ限界が見え始めている。一応人目の多い場所へと移動しているが、あてはない。このまま走り続けるわけにいかない以上、どこか安全な場所を確保する必要がある。 「な、なぜ……いきなり……マラソン大会に…?」 「ちょ、ちょっと桜咲さん、衛宮さん……何かあったのー!? 借金取り? 昔の男に追われているとかーー!?」  後ろを走る二人は本来付いてくる必要は無い。むしろ襲撃者に狙われる可能性も低いながらあり、危険なのだが、それを説明する時間も労力も今はない。  にしても早乙女さん。ドラマの見すぎ。十代半ばに見える私たちが借金取りや昔の男に追われるのはありえんだろう。……白昼堂々謎の襲撃者に襲われるのはもっとありえないか……くぅ、寝不足で疲れているのかも。  空気を裂く音。  反応して見ればここまで何回かの襲撃と同じく棒手裏剣が飛んできた。  数は十。目標は刹那と、私!? 「ふっ」  飛んでくる棒手裏剣をキャッチ。一本取り切れないのは腕を振って弾く。一方の刹那は飛んでくる棒手裏剣全て片手でキャッチ。さすが。  私も刹那も他の三人に悟られないように飛来してくる棒手裏剣を捌いたため、無用な恐怖は三人にはない。まさか私たちは襲われていますとは言えない。護衛対象である木乃香にも無用な恐怖を与えてしまうし、最悪、魔法の存在がバレることだってある。心しなくては。  でもこれは追い込まれているのだろうか? だとしたらどこに…… 「あれ!? ここってシネマ村じゃん。何よ桜咲さん……シネマ村に来たかったんだーー!? それならそうと言ってくれれば」  人通りの多い場所を走ってみれば、行く先は京都の観光名所のひとつシネマ村。  ここならば……  刹那と視線を合わせる。  どうやら彼女もここに身を置くことに決めたようだ。私も異論は無い。軽く頷く。  刹那は後ろを振り返り、綾瀬さんと早乙女さんに向き合い一声、 「すいません! 綾瀬さん、早乙女さん。わ、私、このか……さんと衛宮の三人になりたいんです!! ここで別れましょう!!」 「え!?」  息が整わない二人に一方的に話をし、こちらを向いて、 「衛宮、あの壁いけますか?」  そう言ってシネマ村の城壁風の壁を見遣る。高さは、五、六メートルといったところか。入場料に関しては非常時ということで勘弁してもらおう。 「問題ないよ」  こちらの返答に刹那は頷き、 「お嬢さま、失礼!」 「ふぇ?」  木乃香を横抱き(要するにお姫様だっこ)に抱えると足を一気にたわめ、跳躍。 「ひゃ」  軽い悲鳴が尾を引いて壁の向こうに消えていく。 「じゃあ二人とも。後をお願いするね」 「はい?」  続いて私も跳躍、壁を越えてシネマ村の敷地に不法侵入した。  残された二人はポカーンと塀を見上げる。今さっきの二人の非常識な跳躍が信じられず、その場を動けないのだ。そしてそれ以上にこの状況に説明が欲しい二人でもある。 「……ど、どーゆーコトですか? と言うか金払って入れです」 「うーーん。女の子三人で一体何を……まさか……」  このセリフは当然中に入った三人には聞こえることは無かった。  電柱のてっぺんに影が降りる。  重力の無いもののように舞い降りた影。それは一見可憐な少女。しかし内に秘める暴力の嵐は外見から想像もつかないほどのものだ。  彼女は一昨日、符術師千草の護衛役として刹那に戦いを仕掛けた月詠という神鳴流の少女。今日は千草の指示で追い込み役を仰せつかっている。さっきまで彼女は刹那たちに棒手裏剣で執拗に追いたてていたのだ。  どこか一定の場所に木乃香を護衛共々追い込み、千草とフェイト、セイバーが仕留め、攫っていくというものだ。 「シネマ村……面白い所に逃げ込みましたな」  月詠は手を顔に当てて、恍惚とした表情を浮かべる。それもこれも、 「ハァーーーー刹那センパイかぁ……仕事でなくとも仕合いたいお方やわぁ……」  先日京都駅で戦って以来、月詠は刹那に執着を持ち出したのだ。彼女は強い女の子が大好きで、小太郎とはまたタイプの異なる戦闘狂である。それが今、桜咲刹那という格好の相手を見つけたのだ。執着するなというのが無理な話である。 「それが貴女の悪い癖ですか、ツクヨミ」  声は下から、覚えのある声にピクンと肩を震わせた月詠は恐る恐る下を見下ろす。  予想に違わずその女の子はいた。服装は装飾の多い月詠とは対象的にシンプルそのもの。白いブラウスと脛まで隠す青いロングスカート。唯一飾り気があるとすれば襟元を纏める青いリボンぐらいか。けれど、彼女にはそれ以上の装飾は必要ない。  金砂をまぶしたような見事な金髪。聖緑の瞳はエメラルドのそれより映えるもの。存在自体が美麗な装飾。故にそれ以上の装飾は少女には不要だった。  その少女は屋根の上に立ち、月詠を見上げていた。ただ、月詠にしてみれば見下ろされている感覚であった。 「セ、セイバーさんですか。……なんどすえ? 仕留め係はまだのはず」  月詠は恐る恐るとセイバーに聞く。これは月詠の本性を知るものが見れば驚くべきことだ。彼女はセイバーに怯えているのだ。  セイバーが来た当初、月詠は強い女の子のセイバーに当然のように仕合を挑み、その後で彼女に恐怖を覚えるようになった。その時のことは月詠は語らない。 「いえ、追い込みの最中一般人にケガを負わせていないかと心配で聞きに来ました」 「いややわー、セイバーさん。ウチかて常識は弁えてますー。狙ったのはこのか様の護衛二人だけですよー」  戦闘狂の月詠でも、魔法使い関係者としての常識は弁えている。セイバーだってそれは知っているはず。彼女が聞きたいのはきっと…… 「ひょっとして、あの派手な赤白の娘が心配ですかー? せやったら心配無用。刹那センパイほどではないですけど、上手い捌きを見せてましたぁ。……もしかしてセイバーさんはあの人と?」  月詠の頭に浮かぶのは派手な赤い外套を羽織って、白い髪を黒いリボンで纏めた少女。彼女にも手裏剣を投擲した。さっき言ったように結構上手い捌きを見せてくれた。ただ、徒手空拳に慣れていないのか一本二本捌きにばたつきが見られはした。けれど充分以上に合格といえる強さを彼女は持っている。  その彼女をセイバーが気にしているみたいなのだ。 「ええ、個人的な事に関わりがある可能性があるので……」 「分かりましたー。あの赤白の娘には手は出さんときますー。その代わり、刹那センパイには……」 「ええ、皆まで言わずとも分かります。これでお互い納得ですね」 「せやなぁ……」  月詠はすでにセイバーの言葉を聞いていなかった。彼女はこれから起こるだろう剣戟と血を想像して恍惚としていた。 「はあ、またですか」  この少女の性癖に呆れるセイバーは深くため息を吐いたが、これを聞いてくれる存在は同じ屋根に止まっていたカラスしかいなかった。  シネマ村。文字通り、時代劇のセットで再現された町並みが広がり、ここで撮影も行われたりもする。京都の観光で人気スポットの一つでもあるここは平日にも関わらず多くの観光客で溢れていた。忍者やお姫様、侍など思い思いのコスチュームに身に付けたり、土産物屋を物色したりする人、人、人。  中には修学旅行で来ているのか制服姿の少年少女も見られる。 「これだけ人がいれば襲っては来ないだろうね」  隣で周囲を警戒する刹那に習い、彼女の死角をフォローするように警戒の視線で周囲を見つつ彼女に話しかける。 「ええ、ここで時間を稼ぎ、ネギ先生の帰りを待つのがいいでしょう」  そう言って、刹那は簡単な印を結び、目を閉じる。式神と交信するためのようだが、 「どう?」 「やはりダメです。敵の攻撃で連絡が切れてしまいました」  先ほどの手裏剣攻撃で式神とのラインも断たれてしまった。最後の視覚情報では、ネギ先生はなんとか結界を抜けたようだが、敵の攻撃でかなり消耗している様子だという。しかも宮崎さんまで向こうにいるとか。 「そうか、じゃあやっぱりネギ先生の帰り待ちで方針は決まりかな?」 「そうですね」  刹那と二人で顔をつき合わせて相談。次善の策を考えようとするが、 「せっちゃんー、シホー」  横から声が木乃香の声がかかる。そういえばさっきから妙に静かだったね。 「はい?」「何? 木乃香」  刹那と同時に木乃香を見た。そして、 「じゃーーん」 「わあっ!?」「…………」  刹那は驚き、私は絶句。  お姫様がそこにいた。和服を着こなし、髪を結い上げ、持っている和傘もアクセントとなり、本来木乃香が持つ和風の魅力を引き立たせていた。 「お、お嬢様、その格好は!?」 「知らんの? そこの更衣室で着物貸してくれるんえ」  なるほど、レンタルか。街を歩く観光客もレンタルで借りた着物で思い思いの格好をしていたな。でも、木乃香は他とは違う。なんちゃってではない何かが彼女にはあるのだろう。 「えへへ。どうどう? せっちゃん」 「ハッ……いや、そのっ、もう、お、おキレイです……」 「キャーーやったーー」  顔を赤らめて動揺している刹那と喜びを体で表す木乃香。  ……私はお邪魔かな? 刹那もここまでの護衛で疲れただろうし、ここは私が守備を引き受け、離れて遠くから護衛しようか……刹那には木乃香と仲良くなって欲しいしね。  よし、そうと決まったら早速。  ガシッ 「ほい?」 「ホレホレ。せっちゃんもシホも着替えよ。ウチが選らんだげるー」 「えっ、いえ、お嬢様っ! 私はこーゆーのはあまり……」 「なっ、木乃香!? 私まで?! ちょっと、やめ、あわわ」  拒否権なしで木乃香に連行されていく刹那と私。  更衣室でのことは多分この後もトラウマになる気がする。  数十分後。 「なぜ私は男物の扮装なのですか?」  出てきた刹那の衣装は袴に段だら模様の陣羽織。いわゆる新撰組ルックだ。腰には模造刀と一緒に夕凪まで腰の位置に添えている。それがまた恐ろしくそぐわない、というのは言わないでおこう。  けれど全体的に見れば、刹那の中性的な魅力も相まってとてもよく似合っている。  で、私はというとだ。 「はあ……もう好きにしてくれ」  朱の小袖に紺の袴……要するに大正時代の学生さんや今でも一部大学の卒業式で見られる服装だ。個人的には完全にコスプレだと思う。ちなみに外套は流石に似合わないので他の荷物と一緒にロッカーに入っている。  そして着替えさせた当人はというと、ニコニコ顔全開で私達二人の前を歩いている。 「二人とも似合とるで。こっちこっち」  誘われたのは一軒の土産物屋。 「ホラホラ、色々売ってるえ」  観光地定番のグッツが並ぶなか、木乃香はそれが宝の山であるように見つめている。 「そうですね、何かお土産でも……」 「そういえば、私は師匠から八つ橋を買ってくるよう命じられていたな」  ちょっと忙しくて忘れかけていたけど、忘れてしまったらもっと大変なことになるだろうな、きっと。 「……大変ですね衛宮」  ポムと肩に手を置かれてしまった。 「難易度ベリーイジーの要求だと思うよこれは」 「いえ、『闇の福音』に振り回されているあなたが大変だと……」 「まあ、慣れているし」  それは振り回されることに慣れている。師匠に会う前からそのような経験はしっかり積んでいる。なにせ毎日●●●や、●●●ーの面倒を見ていたようなものだから……。 「————ッ」 「衛宮? 大丈夫ですか?」  急に頭の奥から湧いてくる何か。それが侵食する。痛みはない。ただ、とてつもない悪寒が体の芯に突き刺さる。 「ああ、すまない。大丈夫」  せっかくの修学旅行なのだ。二人には嫌な思いでは残せない。  ん? さっきから木乃香が静かなのだけど、どうしたのだろう?  こちらに背中を向けてゴソゴソやっている木乃香。刹那も視線から気付いたのだろう、木乃香を心配するように傍により声をかける。 「このかお嬢さま?」 「せっちゃん」 「はい?」  クルリと振り向く。 「ふぉれ甘食」  口にシネマ村のロゴが入った甘食をくわえた、非常に面白い顔をした木乃香がそこに居た。 「ぷっ」「……(プルプル)」  刹那は吹き出し、私は我慢だ。これは刹那に向けた顔なのだろう。だからここで笑っていいのは刹那だ。とはいえ、結構破壊力あった。震えくる。 「く……す、すいませっ……くっくっく」 「へへへ」  もきゅもきゅと口に頬張った甘食を食べる木乃香さん。なんか今日はすごく楽しそうに見える。やはり『せっちゃん』と一緒だからだろうか? 「やっと笑ってくれた。せっちゃん」 「え……」  ニコリといたずらっ子のように微笑む木乃香とその笑顔に引き込まれている刹那。  私はますます邪魔者だな……今のうちに距離を取っておこうか? 「刹那、私は邪魔みたいだから距離をとって周辺警戒するね。刹那は休んでくれていいから」 「あっ、そんな、衛宮!?」  テフテフと二人から距離をとる。後ろで刹那が何やら叫びやら戸惑いの声を上げているけど無視。問題はない。ん? 二人に向かう視線と気配が……あそこの物陰にいるのは綾瀬さんと早乙女さん? 入ってきたのか。  気配を殺して二人の背後にまわる。視線は刹那と木乃香に固定されっぱなし。向こうの二人はどうやら他校の女子学生に写真を撮ってもらっている。どうも刹那が美少年と思われるようだ。しかもワタワタしながらもポーズはしっかりとっている。案外ノリがいいんだな刹那って。 「ただの仲の良い二人にしか見えませんが……あの位はいるですよ」 「そうだね、仲の良い二人だ」 「「っ!!」」  声をかけたら二人一斉に振り返ってくれました。 「仲が良いものだから邪魔しないように抜け出てきたよ」 「そうなんだ……」 「いつの間に後ろに……」  困惑している表情を浮かべた二人だけど、すぐに早乙女さんが持ち直し、含みを持った表情でこっちに聞いてきた。 「で、傍に居た衛宮さんとしてはどうよ、あの二人?」 「どう? って何がさ」 「デキているかってこと」 「!?」  ————ちょっと待て。何を言っているのだこの触覚メガネは? 「え? でもあの二人は女の子同士だよ、それでデキているって……」  私が抜け出てきたのも、あくまで仲のいい友人同士を邪魔しないようにと思ったのだけど……それを早乙女さんは… 「愛があれば性別の垣根なぞ超えられる!」 「……」  拳を握って力説している早乙女さん。すまん、理解できない世界の話だ。  でも、よく考えてみれば私は『衛宮士郎』な訳だし、男の精神で女の子の体の訳だ。こっちのほうがよほど倒錯した世界だという気がする。 「ふっふっふ」  ん? 後ろから声が…… 「確かにアヤしいねー、あの二人」 「!!」「わあっ、朝倉にいいんちょ達!?」  早乙女さんの言うとおり、朝倉さんをはじめとした3班のみんながそこに居た。後ろを取られても気付かなかったとは、不覚。帰ったら一度師匠に徹底的に鍛えなおしてもらおうかな。 「あんた達もシネマ村来てたんだ。てか何ガッチリ変装してんのよ」 「ここ来たらやんないとー、あんたもやんなよ」  3班のみんなは完全にシネマ村に溶け込んでいる。朝倉さんは侍風で、雪広さんは花魁、村上さんは町娘といったところか。私のコスプレ風よりしっかり似合っているな。 「エミヤンはその点しっかり楽しんでいるじゃない。うんうん、すごく似合っている」 「そ、そうか?」  でも朝倉、これは楽しんで着ている訳ではないのだが……ま、いいか。例えお世辞でも似合うといってもらえるのは嬉しい。 「それはそうと衛宮さん」  突然、雪広さんが怖い顔で詰め寄ってきた。何? 「聞けば、昨日宮崎さんの後でネギ先生とキスをなさったそうですね……」  あ、そういえば雪広さんってネギ先生大好きな人でした。唇を奪いました、というのは彼女にとって我慢ならない話だろう。 「いや、えっとあれは事故なんけど」  うん。あれは間違いなく事故だ。嘘偽り無く、誓っても事故だ。 「——本当ですよね?」  さらに詰め寄る雪広さん。なまじ美人なだけに怒ると怖いな。しかも今は花魁姿だし、迫力が増している。 「本当だって。なんだったら後で宮崎さんや綾瀬さんに聞いてくれ、その場にいたのだから」  そう言いつつ綾瀬さんのいる方向を雪広さんと一緒に見る。彼女はこっちの視線と会話に気付いたのかコクコク頷いた。ありがとう綾瀬さん。 「……分かりました。貴女と綾瀬さんを信じましょう」  いや、誤解が解けてよかった。『シロウ』のときはこの手の誤解って簡単に解けなかったものだからちょっと感動ものだ。 馬蹄と車輪が激しく地面を叩く音が聞こえた。それとともに魔力と闘気も感知。 「っ!」 「あ、エミヤン! どうしたの?」  急いで刹那と木乃香の下に戻る。邪魔をする形になるが、それを言うなら向こうだって変わりあるまい。 「衛宮? どうし……」 「刹那、気をつけて。来たよ!」  ほどなく馬蹄と車輪の大音量。すぐ傍に馬車が猛スピードで突っ込んできた。 「ひゃあっ」  で、急停止。ごく近距離の場所に馬車が停車した。  馬車上の人物には覚えがある。そしてこちらに近づいた理由も。 「お……お前は!?」 「あの時の」  馬車を降りる影が二つ。一つは馬車の後ろから、もう一つは前の御者席から。 「どうもー神鳴流ですー……じゃなかったです。…そこの東の洋館のお金持ちの貴婦人と」 「……その執事です」 「そこな剣士はん。今日こそ借金のカタにお嬢様をもらい受けに来ましたえー」  降りてきた二人は間違いなく一昨日京都駅で対峙した二人だ。たしかツクヨミとか呼ばれていた剣士の女の子と、私が直接剣を合わせたセイバーと呼ばれたあの騎士の少女。今はそれぞれドレス姿と執事らしい黒を基調としたお仕着せを着ているが見間違うことはないだろう。  にしても、執事役の騎士は男物の服も良く似合うな。傍から見れば刹那の美少年剣士に負けないほどだ。ただ、えらく不本意そうな顔をしている。 「な……何? な、何のつもりだこんな場所で」  刹那はこの状況に混乱しつつも木乃香をかばうように前にでる。私も木乃香の横に付き、魔術回路に剣の設計図を装填していく。  にしても、刹那の言うとおりだ。この騒ぎで野次馬まで周囲を取り囲んでいる。この状況で木乃香の誘拐を堂々と行うのか? それにさっきのセリフは一体何? 「せっちゃん。これ劇や劇、お芝居や」  ——————なるほど。 「(刹那。多分劇に見せかけて……)」 「(ああ、させはしない)」  小声で刹那に告げるが、刹那もすでに理解しているようだ。  このシネマ村を初めとしたテーマパーク独特の雰囲気を利用して、イベントに見せかけ、衆人環視のなか堂々と事を働く。例え何かあっても見ている人には演出と思われる。  これはシネマ村に逃げ込んだのは失策だったかな。だが、今は後悔している暇もない。 「そうはさせんぞ! このかお嬢様は私が守る!」  刹那が啖呵を切る。相手の演出に乗るようだ。 「キャー、せっちゃん格好えーー」 「わ、い、いけませんお嬢様……」 「……ふぅ」  この啖呵をすっかり劇のひとつと思い込んだ木乃香。凛々しい刹那の腕に抱きついてノリノリだ。周囲の観客も歓声を上げている。……これは完全にイベントと化しているな。 「そーおすかー、ほな仕方ありまへんなー」  ツクヨミはなぜかウキウキした様子で手袋を脱いで、 「えーい」  刹那に投げつける。えっとこれはつまり…… 「このか様をかけて決闘を申し込ませて頂きます。30分後、場所はシネマ村正門横「日本橋」にて。ご迷惑と思いますけどウチ……手合わせさせて頂きたいんですー。逃げたらあきまへんえー……」 「刹那センパイ」  話の締めをとんでもない殺気を込めた異様な視線を刹那に向かって放つ。  あ、木乃香も当てられた。一般人にはこれはキツイはず。 「そや、セイバーもとい執事さんからは何かありません?」  瞬時に殺気を収め、ツクヨミが隣の騎士に話しかける。 「いえ、特には。ただ、そこの白い髪のお嬢さんも同行していただきたいと思います」 「私もか……」  つまり付ける決着はまとめて付ける気なのだろう。 「ほな、話も終わったし、そこの娘以外も助けを呼んでもかまいまへんえー」  ツクヨミと騎士は半ば一方的に話を切り上げて馬車に乗り、来たとき同様のスピードで走り去ってしまった。  馬車が走り去った後、周囲の野次馬はこれがアトラクションだとすっかり信じているようで、拍手していたり、30分後の決闘を楽しみにしていたりしている。 「刹那、どうする?」  走り去った馬車を鷹の目で追いながら刹那に問いかける。向こうは逃げるなと言ってはいるがそれに付き合う道理もないはず。一応、選択肢として存在する。 「やるしかない。ここで逃げてばかりもいられない」  この答えはほとんど自分に言い聞かせる言葉だと思う。なら、私もその決意に応えよう。 「分かった。私も出来る限りの助太刀しよう」  それに、あの騎士についても気になる。いい加減気持ちの上だけでも決着を付けたいところだ。 「……感謝しま……ん?」  ドドド 「む」  何この地鳴りは? 「ちょっと桜咲さん! どーゆーことよー」 「今の心境は!?」  綾瀬さん、早乙女さん&3班の皆様が現れた。 「もー何でこんな重要なコト言ってくれなかったのー」 「それでそれで、二人はいつから付き合っているの!?」 「今の子は何!? センパイとか言っていたけど、もしかして昔の女……とか、キャーー  あーーそっか、桜咲さんもこのかも確か出身京都だもんねーなるほどー」  こちらがまともに驚く暇も与えないマシンガントークが連射される。主砲は早乙女さんと朝倉。副砲は那波さん。  しかも刹那と木乃香がデキている話がさらに推し進められており、先ほどのツクヨミとのやり取りで三角関係にされている。 「ちょちょ、ちょっと待てください。皆さん何の話をしているんですか!?」  ツクヨミの視線に当てられて気分の悪くなっている木乃香を庇いつつも刹那は周囲のこの状況に混乱している様子だった。 「いやいや、うん。お姉さんは応援するよぉ。記事にするとか野暮は言わないから安心してって」 「私達、味方だからね桜咲さん!!」  暴走する状況。止めようもないよ。これは行くところまで行くか? 「ちょちょっと話が見えませんわよ!! 皆さん私を置いてけぼりにしてー」 「もー、ニブいないいんちょはー」  ここでビシッと天に向かって早乙女さんが指を指す。 「いいよねみんな? よーーーし決めた!! 二人の恋、私達が全力でおうえんするよーー!!」 「よっしゃ野郎共、助太刀だーーーっ!!」 「わぁぁ!? ちょちょ、違うんです待って皆さんーーっ」  なんでこのクラスはここまでノリがいいのだろう? ツクヨミは助太刀OKと言ったけど、皆本気で助太刀する気だ。  そして二十分後、私は脱力というものを本気で味わった。  シネマ村の道を練り歩く一団。それはここで無ければかなり異彩を放っていたことだろう。いや、ここであってもかなりの異彩で、道行く人が驚いたり、振り返ったりしている。  花魁姿の雪広さんを中心に柳生十衛兵をイメージした服装の早乙女さん、浪人侍の朝倉さん、西洋の貴族風の那波さん、私と同じような袴姿の綾瀬さん、町娘姿の村上さん。その横を新撰組風の刹那が苦笑いで歩を進め、袴姿の私はあまりの状況に手を顔に当てて脱力しきっている。そしてその後ろをお姫様の木乃香が歩くのだ、異彩を放って当然の状況だ。 「ところで……エミヤン」  横を歩く朝倉が話しかけてきた。その表情は実に楽しげなものだ。 「……何かな朝倉」  経験上、朝倉がこんな表情をした時はロクなことにならない。警戒して言葉を返す。 「あの二人とどういう関係? まさか、3人で……」 「違う。私はボディーガードみたいなものだよ。魔法関係でちょっとね」  朝倉も魔法関係に関わりだしている。この説明で事足りるだろうと思う。 「ふーむ、そっか。何か大変そうだねー」  幸い朝倉はそれ以上追及してこなかった。意外なことに皆が言うより彼女のモラルは高いみたいだ。これなら大丈夫かな。 「刹那さん! 衛宮さん!」  朝倉と話し終わる間もなく、刹那と私に声がかかる。  声は、上空から降ってきた人魂? 「え……!?」「これは?」  パッと人の形を取る。これはゲームセンターで刹那がした術と同じもの。ただ、今回は刹那ではなく、二頭身にデフォルメされたネギ先生だ。頭にはカモミール君もいる。私と刹那の間に現れたお陰で見咎められることはない。 「大丈夫ですか? 刹那さん、衛宮さん!!」 「(ネギ先生!! どうやってここに!?)」 「(えと、ちびせつなの紙型を使って気の跡をたどって……)」 「(それより、何があったんだ姉さん!?)」  どうやら、ネギ先生は式神との連絡が断たれたこっちを心配して『ちびせつな』の紙型を再利用、簡易の式神を作ってこっちに飛ばしたようだ。  別体系の魔法のはずなのに器用だなネギ先生。 「(そ、それが……)」  刹那が二人に状況を説明しようと口を開いたが、その前に時間は来た。 「ふふふふふふ」 日本橋をイメージして建てられた木造の橋の上。二人の剣士が立っていた。 「ぎょーさん連れてきてくれはっておおきにー、楽しくなりそうですなー」  その姿は二人ともさっきと変わらない。一応劇に見せかけているのだ、それを向こうから破ることはないだろう。  ツクヨミと呼ばれる剣士はドレス姿に全く似合わない日本刀の大小を両手に持って、ニコニコ顔でこちらを迎えている。言葉どおりに沢山の人が巻き込めるのが楽しくて仕方ないようだ。  一方の騎士は執事服に携えている幅広の西洋剣が妙に似合っている。剣は一昨日の魔剣とは別物、何の神秘もない代物のようだ。  和風と洋風が混沌とするこのシネマ村で二人の立ち姿は混沌のいい見本のようなものだった。 「ほな、始めましょうかーセンパイ……このか様も刹那センパイも、ウチのモノにしてみますえーー」  一歩、刹那が前に出る。肩に『ちびネギ』を引っ付けているが、まとう雰囲気は死地に赴く剣客そのものだ。  だからだろう、とっさに木乃香は刹那の肩をとった。 「せ……せっちゃん。あの人……なんかこわい」  ピクンと刹那の肩が上がる。 「き、気をつけて……」 「……安心してください、このかお嬢様」  振り返る刹那の顔は剣客のものではなく、ただ純粋な友達思いの女の子の笑顔があった。 「何があっても私がお嬢様をお守りします」 「……せ、せっちゃん」  周囲が拍手に包まれた。  無理も無いだろうなー。今のは下手な映画よりよほど感動できる場面だ。かく言う私もみんなと一緒になって拍手を送っているし、あ、あの騎士も拍手してウンウン頷いている。「見事な忠義です」とか言っているし。 「ウチの部に来てくんないかなー 男役で」 「桜咲さん、かっこいいわねー、あやか」 「ええ!!」  雪広さんが周囲の状況に戸惑っている刹那に進み出て、がっしり手を握り、励ましのエールを送る。 「桜咲さん!! お二人の愛!!! 感動いたしましたわ、お力をお貸しいたします!!」 「だから、違うんですってば、いいんちょ!!」  お互い涙を流しているが、意味合いは異なる。なんかもう完全に二人は愛し合っているとみんなに信じられてしまったようだ。 「ホホホホホ、そちらの加勢はそこの執事さんだけなのかしら。私達、桜咲さんのクラスメートがお相手いたしますわ」  感動から一転、雪広さんは橋の上の二人に威勢良く啖呵を切る。花魁姿により迫力が数倍増し。 「ツクヨミ…・・・と言ったか? この人達は……」  刹那がわたわたしつつもツクヨミに問いかける。真剣勝負に他のみんなを巻き込むわけにはいかない。そのことは敵味方問わず、魔法関係者ならば常識としてあるもののはずだ。 「ハイ、センパイ。心得てますーー」  ツクヨミはそういって、どこからか大量のお札を取り出した。 「ツクヨミ、本当にそれは害がないのですね」  隣の騎士がツクヨミに聞いている。それに彼女はにこやかな表情で応え、 「問題ないですよー、この方達には私の可愛いペットがお相手しますーー」  札が空中で踊る。魔力の光を放ち、次々と『喚ばれる』モノたち。 「ひゃっきやこぉー」  次々現れる『妖怪』達。唐傘、ぶんぶく茶釜、火車、河童、中には携帯電話のお化けや、教育番組に出てくるキャラクターのものまで。全てがファンシー色で彩られていた。 「なっ……!? 何このカワイイのー」  カワイイか? 「おおーーっ スゴイCGだー」 「さすが、シネマ村のアトラクション」  観客たちはどうもアトラクションと思ってくれたようだ。これなら多少の魔法行使も問題にならないか。 「ひゃっ……」 「あぁん」 「いやあー、何このスケベ妖怪ーー」  ツクヨミに召喚されたファンシー妖怪たちは一斉にみんなに襲い掛かり、着物の裾をめくったり、胸に飛び込んだりしている。 「……」  非常に目の毒だが、それ以上の危害は加えていないようだ。よかった。 「安心しましたか?」 「っ!」  振り返ると同時に目の前に鋼の線が通った。  咄嗟に横に跳び、間合いを離す。 「投影開始〔トレース・オン〕!」  すぐさま黒白の双剣を投影、橋の欄干の上に着地する。  鋼の線は剣閃。放ったのはあの騎士。いつの間にか後ろを取られ、剣はすでに鞘から抜かれている……ん? あの剣…… 「刃引きした剣?」  両刃の西洋剣には刃がなく、刀身はただの鉄板といってもいい。さっき軽く解析したように剣には何の神秘も無い。いうならば唯の鉄の塊になる。 「ええ、一昨日は不慮のこととはいえあなたを傷つけてしまいました。そこで今回はこの剣で今一度あなたという存在を確かめてみたいと思います」  騎士が剣を正眼に構える。訂正、騎士ほどの技量があるならば鉄の棒も下手な剣より鋭いものになるだろう。  油断無く間合いを計る。お互いの間合いは五メートル。あってないような距離だ。 「ひとつ聞きます。その腕は問題ありませんか?」  ポツリと騎士から言葉をかけられた。  腕とは、一昨日騎士に断たれた左腕のことか。 出された声は表情も含め、本気で心配している様子だ。文字通り騎士道精神からだろうか? いや、それだけではないものが彼女にはある。 「ああ、これでも吸血鬼の端くれだからね。自己治癒でどうとでもなったのだけど」 「吸血鬼?!」  騎士がピクンと妙な反応を見せた。驚いたような、悲しむようなそんな表情だ。 「あの……「では、もう一つ聞きます」あ、ああ」  こちらの言葉を遮り騎士は質問を続ける。 「『エミヤシロウ』という人物に心当たりはありませんか?」  衝撃。  言葉は衝撃になって身を貫いた。  とたん思い出される言葉、言葉、言葉。『衛宮士郎』に関わる言葉の渦。 「————っ! どうしてその名前を知っている」  疑問。けれど同時に当然と思う矛盾した気持ち。知っている。けれど知らない。 「なるほど……その反応。ここに来るまでした凛の推測が正しいようですね。ならば私達が戦う道理は本来ありませんね……」  騎士の剣が下げられる。その表情はわずかだが嬉しそうで、殺気もない。良かった、戦わずに済むのか? 「ただ、個人的には会っていない間にあなたがどれほど成長したか確かめたいという気持ちがありまして……手合わせ願います」  殺気はない、けれど闘気は爆発的に増えている。何故?!  騎士の剣が下げられ、いわゆる脇構えの状態に。そのまま一気に踏み込んできた。 「くっ!」  鋼と鋼が噛み合った。  二刀の中華剣と一振りの西洋剣がぶつかり、弾きあう。  二刀の中華剣を振るうの朱と紺の袴姿の少女。白い髪を揺らし、懸命に剣をしのいでいる。  西洋剣を振るうのは執事のお仕着せ姿の少女。金の髪を煌かせ聖緑の瞳で相手を見据え、鋼の瀑布を相手に降らせている。  二人の体格はさして変わらない。ただ、金の少女・セイバーの魔力を込めた膂力とスピードが半端なものではない。手数と力で白い少女・志保を押している。  だが、防ぐ志保も半端ではなかった。吸血鬼としての身体能力のみに頼ることなく、巧みに相手の剣を捌き、隙をわざと作って攻撃を誘導したり、隙あらばためらいなく剣戟を入れる。  戦いというには華美であり、舞踏というには剣呑である。  二人のその動きは正しく剣舞というべきものだった。  そしてもう一つ。  二振りの大小の刀と一振りの長大な野太刀がぶつかっていた。  大小の刀を振るうのはドレス姿のメガネ少女。洋装に刀が恐ろしく似合っていないが、剣技は鋭く、相手の死角から絡まるように刃を通す。  野太刀を振るうのは幕末の新撰組を意識した服装の黒髪の少女。中性的な容貌から美少年を思わせる彼女の剣は、武器の間合いの差に苦しまされながらそれでも懸命に敵を制そうとしていた。  体格では黒髪の少女・刹那が勝っていたが、それがアドバンテージには決してならない。確かに膂力では刹那が上ではあるが、スピードではメガネの少女・月詠が勝っていた。  少しでも油断するとあっという間に懐に入られ、短刀で仕留められる。だが、月詠は野太刀の間合いで仕留められるような相手でもなかった。  月詠でも内心攻めあぐねていた。確かにスピードは勝っていて、懐に入ってしまえばこちらの勝ちだが、刹那の剣はそれをさせない。一撃一撃がとても重く、下手をすれば刀を取り落としそうになる。  故に二人の戦いは膠着し、自然その動きは相手の手の読みあい、防ぎあいになる。  二組の剣舞は交わることなく、また不思議なことにぶるかることもない。  二組、六振りの鋼による剣舞楽曲は観客たちを非常に盛り上がらせていた。  観客たちはまさか目の前で本物の斬り合いをやっているとは知らず、その様に半ば酔いしれていた。  やがて芝居は佳境に入る。  何回目か数える気も起きないほどの鋼のぶつかり合い。 「ぐっ!」  相手は剣に膨大な魔力を上乗せして剣戟をかけているのだ、まともに受けるわけにはいかない。よって捌き、受け流す。  木乃香達が心配だ。刹那はすぐ傍でツクヨミと戦っているらしいし、他のみんなは召喚されたファンシー妖怪とこぜりあっている。早めに決着をつけなくては。  一瞬でその思考をまとめ、騎士の剣を捌くと同時に間合いを一気に離す。  相手は強い。どれほどの才能、その上に修練と実戦を積んできたか…はっきり言って凡人の自分には剣では敵わない。  なら、自分が出来ることで勝利をつかめ。この身は戦うものではなく、つくるもののはず。  間合いを離したところで双剣を投擲。当然弾かれるがこれでいい。  ——鶴翼、欠落を不らず  すぐに次の双剣。これも投擲。弾かれる。  ——心技、泰山に至り  間合いを詰め、襲い掛かってくる騎士を再び投影した双剣で捌く。が、陽剣が弾き落とされる。構わない。  ——心技、黄河を渡る  残った陰剣を指定のポイントに悟られぬよう投棄。次の双剣を投影。また投擲。外れ、ただし狙ったもの。  ——唯名、別天に納め  さあ、後は決着と行こう。五度目の双剣投影。今度はこちらから間合いを詰めて、双剣を振るう。ここで——  ——両雄、共に命を別つ  決着。そう思った。私の持った夫婦剣『干将・莫耶』はお互いを引き合う剣。よって今までの投擲は布石。  その性質を用い、相手の前後左右に剣を配置して一気に全ての剣達を私の持つ双剣と引き合わせた。  私の持つ双剣に引き付けられた四組八本の夫婦剣が騎士を取り囲み、一斉に襲い掛かる。  完全なる不意打ち。例え何となく怪しいと思ってはいてもかわしきれるものではないはず……だった。 「はぁぁぁーーっ!」 「がぁ!」  それを騎士は、視覚出来るほどの濃密な魔力を纏わせた剣の一振りで襲い来る剣全て叩き落とし、私の体も吹っ飛ばされ、橋の欄干に叩きつけられた。ついでに剣も折れ、胡散霧消。まるで冗談みたいなかわし方だった。 「かはっ!」  肉体を襲う衝撃で肺の空気が全て押し出されてしまい、息が苦しい。骨は折れていないみたいだけど、ヒビくらいは入っているかも……。 「「衛宮さん(エミヤン)!!」」  橋の近くでみんなが悲鳴に近い声を上げている。どうやら妖怪たちとのこぜりあいも終わったようだね。  くそっ、意識が遠くなる。騎士が近くにいる。 「何故、あの剣がかわされた?」  知らず騎士に問いかけていた。不思議と命の危機を感じない。あるのは悔しさ。それも道場で試合をしてコテンパンにやっつけられた様な類のものだ。 「あなたのあの技は一度ならず見たことがあります。あの技は初見のみで意味をなす類ですね。だから捌けました。まあ、あなたに記憶はないみたいですし、カンニングみたいで心苦しいのですが……」  納得。納得すると同時に急速に意識が闇に沈み込む。 「さて、勤めは終えましたし、あなたの存在が確かめることが出来ました。先日の件では申し訳ありませんでした。またの機会に謝罪したいと思います。それでは……」  騎士が去っていく気配。けれど最後に、 「あ、それと、剣の腕を上げましたねシロウ。喜ばしいです」  なんてことを言ってきた。  多分だけど、きっと太陽のような笑顔を見せていたと思う。それを見れないのが、残念といえば残念だった。そして相変わらず容赦がなくとも——  意識を失った志保に、彼女に駆け寄るクラスメイト、放たれる矢に貫かれる刹那、そして木乃香の魔力の顕現、こうして昼の狂乱はとりあえずの終幕を迎えた。  ただ、魔法使いと妖怪の狂乱は本来夜のもの。  本番はこれからだった。 ボーナストラック 「————で、これがカードか……むう」  気を取り直し、枕もとに畳んだ制服からカードを取り出した。  昨夜の騒ぎの元となったもの。あのオコジョが朝倉と共謀してネギ先生と生徒をキスさせて、大量に仮契約カードを入手しようという企みがあの騒動の元凶だったのだ。  でも、ネギ先生が使った『身代わりの紙型』のこともあり、結局契約に成功したのは宮崎さんのみとなって騒動は終わった。  私は転んだ際、偶然彼のオデコにしてしまい。これが出てきた。口付けでないと成功にはならないらしい。  そんな騒動の渦中にあったカードを良く見てみる。これはあのオコジョ——カモミール君からカードについて興味があったので譲ってもらった。スカ・カードでは力はないそうだが、面白そうだ。  絵柄に描かれているのは当然私の姿。ただし、二頭身ほどにデフォルメされており、目もなんか虚ろっぽい。例の外套を着て、後ろを向いて首だけこちらに向けている例の弓兵姿勢。両手にこれまたデフォルメされた干将と莫耶を持っている。  名前は『えみやしほ』と平仮名で書かれている。『しろう』の方が書かれるかと思ったのだが、違ったようだ。どうしてそうなっているのかは機会があったら師匠に聞いてみよう。  そして名前の下には『せーぎのみかた』と書かれている。色は『あかとぎん』、他には『とくいわざ・かじととーえー』、『こうぶつ・よくきれるはもの』などの情報がすっごくコミカルに描かれている。にしても『とーえー』はないでしょ……『とーえー』は……。  差し込んでくる朝日に私は妙な脱力感を感じた……。「教会の人間がどうして魔術師に吸血鬼退治をお願いしなくてはいけないの? あからさまに訳アリといっているようなものじゃない」 「教会が消滅を確認したはずなのですが、三日前、英国のノーフォークで存在が確認されまして…」 「ええ、死徒27祖第19位イデアです。真祖が数代前の蛇を滅ばした際、居合わせ、まとめて消滅させられたそうです」 「でも消滅はしなかったらしいんですよー、アインナッシュのときといい、本当に雑なんですからあのアーパーは……ああ、いえこっちのことです」 「一定の姿を持たないのですか……。記録は消滅したと思われいたため散逸、能力は一切不明ですか。やっかいですね」 「理由としてはですね、そのイデアなのですが魔法に近い存在ではないかという話がありまして」 「魔法使いもどきをよくもまあ色々こき使ってくれるわよ、お偉方は。決めた。今回の仕事が片付いたら時計塔を出てやる!」 「落ち着いてください。まだ資材が欲しいと言っていたのは誰ですか」 「な、なんなのよこの規格外さは。しかもこれはまさか鏡面回廊!?」 「あぶない!」 「士郎ーーー!」  記憶の編纂[リロード]。様々な記憶が雪の形をとって剣群立つ雪原に降り積もる。ここは彼女世界であると同時に『彼』の世界。  白い髪に氷肌、白い衣。彼女の姿は雪を連想させる。この姿は彼女自身のものではない。さらに宿主となった魔術使いのものでもない。これはこの世界で『エミヤ』となる可能性のもの。この世界では『彼』は『彼女』だったかもしれないのだ。  その可能性を引っ張ってきて、『鏡』と『シロウ』の器とした。『鏡』は吸血種だったので器まで吸血化。けれど問題はない。『鏡』に日光や流水、十字架、ニンニクなどとうに克服した。ただ、少々対吸血鬼用武装に弱いがこればかりは諦めるしかない。  『鏡』には確たる意思はない。ただ、純粋に力を求め、ために血を飲む。  端的にいえば、『鏡』は『物』だった。感情は絶望しかなくなってしまい、意思はなく、本来魂すらない。血を燃料とした機関みたいな存在だった。  そうなったきっかけは『魔法使い』。そして決定的に覆ったのはつい数ヶ月前。宿主に『衛宮士郎』という魔術使いを選んでからだ。  何が原因なのか未だに不明だが、『鏡』は自身に意思を持つようになり、昔よりも豊かな感情も存在するようになった。そしてその意思で『衛宮士郎』改め『衛宮志保』の力になろうと決めた。  これはその手始め。散ってしまった彼の肉体の代わりの器に力を与え、混乱する記憶を編纂している。  そしてそれももうすぐ終わる。後一ピースでも埋まれば、ドミノ倒しのように記憶は完全に復元するだろう。その一ピースは志保自身が埋めてくれないといけない。 「さて、次のお手伝いは何をしようかな」  白い少女は楽しげに紅い空を見上げる。虚空に回る水晶の歯車、天から降る記憶の雪を楽しげに受け止め、『鏡』は微笑んだ。  出席番号32番 衛宮           第13話 修学旅行『狂乱・夜』  関西呪術協会の総本山へ続く石畳をみんなと一緒に歩いています。  私が気を失っている間に、刹那が木乃香の実家である関西呪術協会の総本山に行くことに決め、ネギ先生と合流することになっていた。 「あの後先生に追いつけたのですね」 「う、うん」 「で、何でネギ先生、あんなボロボロになっているの?」 「え、えと、そそそれはーー」  はい、『みんな』と一緒に歩いています。  道中は非常に賑やか。3年A組防衛隊であるネギ先生、明日菜、刹那、私以外に、朝倉、綾瀬さん、宮崎さん、早乙女さん、そして今回もっとも重要人物である木乃香と総勢9名。プラスでカモミール君。魔法と関係のない人や、関わりがあっても危険な目に会わせられない人まで混じっている状態なのだ。 「(ちょっと桜咲さん、どーゆーコトよ。何でみんなまでついて来ているの?)」 「いえ、それがその……私は衛宮とともにお嬢様を抱えてここまで走って辿り着いたのですが……今さっきそこで朝倉さん達に捕まってしまいまして……」 「私のチェックが甘いせいだ。面目ない」  明日菜の追及に私は謝るしかない。  あれから気が付いてみると、決着は付いていて、木乃香は無事、見ていた野次馬からはなぜか惜しみない拍手を送られていた。幸い気を失っていた時間は短く、朝倉に介抱されていた。体は既に痛みが引いており、骨も筋肉も問題なかった。  どうやら、あの騎士は最後まで『試合』のつもりだったようだ。  とにかく刹那と合流し事情を聞き、手早く着替え、みんなが来る前に再び跳躍、塀を越えて外に出て合流するところまで走っていったのだが……私のウエストバックの中に朝倉がGPS携帯なるものを仕込んでくれて、位置が丸分かりだったのだ。  今思えば介抱していた時、すでに何らかの細工をされていたように思われる。 「本当に申し訳ない」 「ははっ、……って訳よ」  私が謝る横で、朝倉は楽しそうに事情を話したものだ。『あくま』だ。ここにも『あくま』がいる。 「ちょっと朝倉! あんたこの危険さ全然分かってないでしょ? ネギなんかさっき死ぬところだったのよ!?」  明日菜が朝倉の気楽さを責める。気を失っていた私を責める気はないようだが、こちらに視線も少々痛い。  刹那から式神を通してのネギ先生の状態を聞いてはいたが、思っていたよりも手酷くやられたようで、現在明日菜の背中に背負われている。 「あ、見て見て。あれ入り口じゃない?」  先行していた図書館探検部四人が石畳の向こうを指した。  つられるように全員の視線がその方向を見る。もちろん私も。  それは寺院の門。歴史と、人の想念の積み重なりがあり、宮殿の門のような煌びやかさはないが、重厚さと荘厳さは十二分に持っていた。 「うぉーーー、何か雰囲気あるねー」  誰が言ったか興奮した声が聞こえた。  まったくだ。門でこれなのだから中身はまたどれほどのものか。 「レッツゴー!」  門の鑑賞もそこそこに、駆け出す図書館四人衆。 「あーーッ ちょっとみんな! そ、そこは敵の本拠地なのよ!?」 「何が出てくるか……」  明日菜とネギ先生が慌てて後を追いかける。いや、多分大丈夫だって。そう言おうとしたけど、みんなそれより先に行ってしまう。元気だなみんな。 「「「お帰りなさいませ、このかお嬢様ーーッ」」」  門から本殿に向けての花道、桜の花びら舞い散るなか大勢の巫女さんが整列して道を作っていた。そして一斉にご挨拶。さっきまでの重厚さは何処へやら、陽気さが前面に出された歓迎ぶりだ。向けられている木乃香も気後れすることなく受け止めている。つまり、割と当たり前の光景なのだろう。これが。 「「へ?」」  明日菜とネギ先生が目を点にして驚いている。そしてしばし硬直。 「うっひゃー、コレみんなこのかのお屋敷の人?」 「いいんちょ並みのお嬢様だったんだねー」  早乙女さんや朝倉が物珍しそうに屋敷を見渡すなか、 「えぇーーーっ!!」「えっ」  明日菜とネギ先生の絶叫が聞こえた。多分、事情を知って驚いているのだろう。木乃香は関東魔法協会理事を祖父にもち、関西呪術協会長を父に持つ子だ。重要人物も重要人物。はじめこの話を師匠に聞いて、改めて3年A組の異常さを思い知らされた気がしたものだ。 「ともあれ、これで一息入れられるかな?」  刹那は実家に近づくと木乃香が危険だったといっていたが、実際は逆。刹那もその辺り実感しているのだろう。総本山を囲む結界は相当なもの。ぱっと見ても半端ではないと分かる。  ここに入れば安全だろう。予想以上に大きなお屋敷を見渡しながらふっと肩の力が抜けているのが自分でも分かった。普通、これほど大きい屋敷なら気後れして緊張しそうなものなのだが、なぜか心安らげるものを感じていた。 「志保ー、行くよー」  向こうから明日菜の呼ぶ声。巫女さんに案内されてみんなが本殿に入っていくところだ。 「ああ、今行くー」  京都としては季節外れの満開の桜の境内を歩き、夜の足音聞きながらみんなの後を追った。  ドンチャンドンチャン  そんな擬音が使われるなら今を置いて他にない。 「アハハハー、えみやんー、飲んでるかー」 「ああ、まあね」  朝倉の絡めてきた腕をやんわりほどいて、向こうにそっと押しやる。 「ほら、向こうにはもっと楽しい連中がいるから」 「そうねー、行ってきまーす」 「行ってらっしゃい」  関西呪術協会・総本山。その奥の間で今宵の宴会が大々的に行われていた。  あれから、ネギ先生は関西呪術協会の長にして木乃香の父親である近衛詠春さんに学園長からの親書を無事手渡し、ネギ先生は学園長から命じられた任務をこなす事が出来たようだ。  これでこちらも学園長から依頼された仕事の一つである『親書の護衛』を片付けることが出来た。ま、これについては明日菜やネギ先生が自力でやっていたのがほとんどで心苦しいのだけどね。  そして、詠春さんが用意してくれた歓迎の宴にこうして出席しているしだいだ。ちなみに、旅館には私達の身代わりが置かれることになり、不在を預かってくれるそうだ。 「ほいほーい、飲んでいるかなー衛宮さーん」  今度は早乙女さんだ。かなり赤ら顔で、気分もハイになっている様子。 「かなり酔っているね、早乙女さん。それ本当にお酒じゃないの?」  出された飲み物に疑問を持っていたので、今まで手をつけていなかった。今更毒ってことはないと思うけど、どうもみんなの様子からして遠慮願いたいものだと思う。  木乃香が言ったように、確かにアルコールの匂いはしなかったけど、これはもしかして魔法的なお飲み物? 「んー? お酒じゃないと聞いてたけどぉ? いいじゃん、美味しいんだし、衛宮さんも飲んだ、飲んだ」  ズズイと杯を差し出される。仕方ない。飲むしかないようだ。  クピリと一口。む、口当たりはいいし、甘い。ほとんどジュース感覚で飲めそうだな。つい二口、三口と飲んでしまう。 「……む……」  ————これは…… 「どう? 衛宮さんー?」 「うん…いいかも」  何か妙に気分が楽しくなってきた。無駄な力も抜けて、体の芯がポーと暖かくなる。アルコールの酔いとはまた別種の酔い加減。気付けば一杯空けていた。 「はふぅ」  気分の良さに思わずため息。 「お、色っぽいねーえみやん。ここは激写」  朝倉さんが取り出したデジカメでパシャパシャ私を撮っているけど、気にならない。あー、この飲み物本当においしいや。警戒して損したかも。 「ふーむ、これなら弓道部の男子に高く売れるなー。あそこって密かにえみやんのファンクラブ作っているし……フフフ」  何か聞き捨てならないこと呟いている朝倉。でも、今だけはいいか。楽しもう……。 「なあ、朝倉。どうしてもなのか」 「なにエミヤン? みんなとお風呂は入るのがそんなに嫌なの?」  私も女性として生活するようになって既に数ヶ月。いい加減着替えや、トイレ、など日常的に生活する面においてドギマギすることは減った。ただ、未だに慣れないのが一つ。それは入浴。どうしても全裸にならなくてはいけない上、寮などではみんなと連れ立って入ることが多くなる。幸い馬鹿みたいに広い浴場、入る時間帯さえ選べば女の子との距離は充分に取れていた。  しかし、今回はそうも言っていられない。  一緒に入ろうと朝倉に半ば強引に連れてこられ、私も断りきれずここにいる。 「そういえば、衛宮さん寮でもお風呂に入るときいつも隅っこよね」 「ははっ、慎ましくするように親から言われているから……」 「ついでに胸も慎ましいってか」  むにゅん 「…………はい?」 「ほうほう、79とみた。なんだ、そう悲観したものじゃーないじゃん。それに全体のバランスはかなりいいんだし、イケルイケル」  ——むにむに 「っ!————ねえ、なんで早乙女さんは私の胸を触るのかな?」 「スキンシップよ、スキンシップ」 「なんでさ! なんでこれがスキンシップなの!?」  こんな具合に現在脱衣所で朝倉と早乙女さんに弄られている。  女の子のほうが、男の子よりもこういったボディーコミニケーションをとるとか誰かが言っていたのを覚えているが、こういったものとは思ってもみませんでした。 「さあさ、エミヤンをお風呂場に連行せよー」 「いえっさー」「あいさー」  がっしり私の両腕をつかむ半裸の早乙女さんと木乃香。まさか本気で振り払うわけにいかず、どうしたものかと思う間に引っ張られていく。  しかもお互いバスタオル一枚という格好も力が入らない一因。もうどうしろと? 「……なんでこうなるんだよ」  で、扉に手がかかり、  ガラッ 「ん……」 「え……」 「あ……」  あ、ネギ先生がいる。しかも明日菜の上に乗って彼女の胸に手を当てている。……えっと、スキンシップ?  ——キャーーー!  誰の悲鳴か? これを皮切りにその場にいたみんなは、恥ずかしがったり、慌てたり、笑ったり、隠れたり、賑やか。  私はどう反応したらいいのか迷ってしまった。『士郎』だったならみんなに謝ってすぐにその場を後にするし、そもそも一緒に入ったりなんかしない。『普通の女の子』だったら、そこにいたネギ先生や詠春さんに裸を見せないよう隠れたりしただろう。  でも、今の私は『志保』。女の子の外見で、中身のベースが『士郎』の私は女の子としての行動も、男の子としての行動も咄嗟に取れず、その場に佇んでしまい、 「エミヤン、ほら、タオル」 「あ、ああ」  朝倉に指摘されるまで一糸も纏ってない状態だった。 「何で男女別じゃないんですかー」 「温泉じゃないんだから」 「お父様のエッチー」 「ハハハ」  今だ続くお風呂場の騒ぎを見ながら、いい加減この体と折り合い付けなくてはと考えさせられた。 「んむ、涼しい」  宴で出された飲み物とお風呂で火照った体を花びら舞い散る春の夜風に当てて涼を取っていた。場所は屋根の上。詠春さんの許可を貰ってここで花見を兼ねた夕涼みをしている。  今回の事件は収拾をつけようとしている。事件の首謀者である符術師・天ヶ崎千草は明日にでも長の命で関西に散った腕利きの術者が集まり、捕らえられることになるだろう。  今夜はあてがわれた部屋で泊まり、明日に旅館に戻ることになっている。他のみんなはすでにその部屋でカードゲームなどをして楽しんでいるようだ。  みんな風呂上りに着替えとして渡された浴衣を身に付けているが、私は一応護衛役。動きが制限されるものは着ない。とはいえ、外套は着ていないし、ウエストバックもなし、足は裸足だ。  瓦の持つ冷気が素足に伝わり、心地いい。 「あんた、なにやっているの?」  下から呆れたような声をかけられた。 「あ、明日菜。何って花見と夕涼みだよ」  下の回廊からこっちを見上げるのは浴衣姿の明日菜。彼女は見た目結構洋風なはずなのに浴衣が似合う。 「夕涼みって、屋根の上で?」 「一応長さんから許可は取ってある」 「……そうなんだ」  何か言いたそうな明日菜の表情。これはこっちから聞くべきだろうか?  屋根から飛び、明日菜の前に音を立てないように降りる。明日菜は少し驚いている様子だったけど、すぐに何でもないという表情になる。 「志保も魔法使いだもんね。このくらいのことはやってしまえるか……ハハハ、考えてみれば私の周りに魔法関係の人って結構いたんだねー」  空笑いで何かを誤魔化そうとしている感じだ。私からはなんとも言えない。  そうしてしばらく回廊に沈黙が降りる。風と共に桜の花びらと虫の鳴き声が舞い込み、沈黙を埋めていく。 「そういえば、志保が転校してきたときさ、このかに魔力を感じるっていっていたじゃん?」  ポツリと話しかけられる。 「え? あ、ああ」 「その時は大したことと考えてなかったんだけど、今にしてみれば、このかも魔法使いだったって思う要因なのよね」 「……」  古い付き合いの友達が急に『魔法使い』だと知らされて複雑な気分なんだろうか? そういえば、経験あるな。憧れていた学園のアイドルが実は『魔術師』だったと知ったときに似ているといえば似ている。距離の近い遠いの問題はあるけど、言えることはある。 「それでも、このかとの付き合い方、変えるつもりはないんだろ明日菜は」 「う、うん。それはこのかが魔法使いというのには驚いたけど、それでどうこうって気はないよ」 「だったら、それでいいじゃないか。第一、それで付き合い方を変えられるほど明日菜は器用に見えないけど?」 「ちょ、ちょっとなによそれー!」  ベシベシと軽くはたかれる。いや、器用な人ならそんな悩みはそう抱えないって。不器用なんだな、明日菜も。 「あ、そうだ。刹那さんに頼まれてこのかとお風呂場に行くんだった」 「用事の最中だったんだ」  それも刹那と木乃香、か。三人での重要な話みたいだな。 「引き止めて悪かった」 「いいのよ、声かけたの私だし。じゃ、お休み」 「うん、お休み」  明日菜の姿が回廊の影に消えるとき、小さく聞こえた。 ——ありがとう。  明日菜と別れ、再び屋根に跳躍。もう少し夜桜を楽しもうと思う。  ゴロリと屋根に横になり、刃を思わせる銀の下弦の月と舞い散る花を楽しむ。花鳥風月のうち今夜は三つ揃っている。『士郎』のときはこのような時間を持つ余裕はあまりなかったように思う。こんな経験はきっと少ないほうだろう。 「春宵一刻値千金、というのかな?」  あ、ちょっと眠くなってきた。吸血鬼だから風邪は引かないよね? だったらこのまま—— 『衛宮さん!! 衛宮さん!!』 「な! ん!? これはネギ先生?」  ネギ先生からの念話に身を起こす。周囲を見るけどネギ先生の姿はない。私もネギ先生も念話は相手が見える範囲でないと行使できないレベルのはずだ。 「あ、そうか仮契約カードのほうか」  Gパンのポケットからカードを出し、ええと、たしかカードを額に付けて、 「念話[テレパテイア]——どうしました、ネギ先生。切羽詰った声ですが」 『よ、よかった無事でしたか。ああ、そうでした敵が来たんです! 気をつけて下さい!!』  な、あの堅牢な結界を抜けて敵が来たのか?  そういえば妙に静か過ぎる。ここには数十名の関西呪術協会の関係者がいたはず。これは静か過ぎる。  ——同調開始[トレース・オン]  透視の目を建物内部に向ける。————多数の元人間、現石像が見える。これは石化?  次に本山の結界に目を向けてみる。————異常はない。ということは隙間を抜けられたのか? 「……状況は分かりました。合流したほうがいいと思いますが……それと、学園長にも連絡をお願いできますか? 携帯電話部屋なので」 『はい! 場所はさっきのお風呂場にしましょう。さっき明日菜さんにもそう連絡しています』 「分かった」  通信を切る。  相手は堅牢であるはずの本山の結界を抜けてきて、尚且つここにいる多数の人間を石化させた相手だ。相当な実力者と考えられる。心しなくては。  しばし、カードを見つめる。……手数は多いほうがいいか。 「来れ[アデアット]」  手に顕現する『剣』。そっけない素体状態のそれを握りしめる。  関係のない者まで巻き込む相手は許せない。それがクラスメイトなら尚更だ。木乃香や明日菜、ネギ先生に朝倉に早乙女さん。平穏に過ごそうというみんなを脅かす相手が許せない。  怒りでギシリと歯が鳴る。 「[変化]干将・莫耶」  『剣』を双剣に変え、屋根を蹴って跳躍、風呂場に向けて最短距離を往く。  みんな、無事でいてくれと願いながら。  バチッ  白い繊手が白い碁石で一手を打つ。 「ふむう」  対する老人——学園長は碁盤を見やりうめき声をあげてしまう。 「ふ、どうした? 多少腕を上げたと言っていたが、その程度かジジイ」  白い碁石を手で弄びながら敬老精神に欠けることを言う少女は、その実学園長の数倍の歳月を経ている吸血鬼——エヴァンジェリンである。  場所は女子中等部の学園長室。今夜は呪いのせいで修学旅行に行けないエヴァンジェリンの碁の相手を学園長がすることになっていた。 「むむ、そういえばのう、お前さんが弟子にしている衛宮志保の身元調査の中間報告が入ったぞ」  盤面を見ながら、学園長は机の上の報告書の茶封筒を示した。 「ほう、聞かせろ」 「関東、関西、の両魔法協会や、魔法界にも照会をしてもらったのじゃが、衛宮志保の本名、『衛宮士郎』についての身元は分からんかった。吸血鬼であれほどの魔力保有者となると必然名前は知られるのじゃがのう」 「要するに何も分かりません、か」  そう言いながら、内心エヴァンジェリンは当然だろうと思っている。  なにせ、あの衛宮志保と現在名乗る少女は、平行世界の一つから落ちてきた『魔術師』だ。こちらの世界に身元がなくて当然だ。  こちらにない法則で行われる『魔術』。それにあの魔力。なによりあの内包する『異界』。彼女としては最上の手駒が手に入ったと思う。手放す気はない。時間をかけ仕込むのも良いだろうなーとも思う。 「……フフフ」  これからの楽しみに思いをはせ、知らず笑みがこぼれていた。  パチン 「っ!」 「ほい、これでどうじゃ?」  学園長の手が黒い碁石を置く音にエヴァンジェリンは強引に目を覚まさせられた気分になった。 「……フン」  軽く盤面を見る。彼女がワザと作った隙に学園長は乗ってしまったようだ。もう少しいたぶる予定だったが、想像を切ってくれた腹いせにトドメを刺してやる。  バチッ 「ぬむ……」  途端渋顔になる学園長。しばし考え、 「ま……「待ったはなしだ」」  待ったを有無言わさず封殺するエヴァンジェリン。 「何じゃ、ケチじゃのう……ワシより年上のくせに……ブツブツ」  グチを言いつつもしっかり次の手を考える学園長、長考になりそうなのでエヴァンジェリンは従者の茶々丸に茶を淹れるように命じる。  トゥルルルルル  学園長の携帯電話が鳴る。学園長は長考から逃れるよう素早く電話に出た。  相手はネギだ。  告げられる非常事態。しかし、この事態に対処できそうな魔法先生の増援はできそうもない。一番頼りに出来るタカミチは現在海外、他もハワイに向かった修学旅行の引率や、魔法界への出張などがある。  手近で、今すぐ京都に急行できる人材など…… 「ん? 何だジジイ、マヌケヅラして」  目の前にいた。「ネギ先生! 刹那!」 「「衛宮(さん)!!」」  屋根から風呂場前の廊下に舞い降りる。そこで二人は待っていてくれた。先生の方にカモミール君も健在だ。 「明日菜と木乃香は中?」 「そうです」「行きましょう!」  すでにそこは敵地である可能性がある。それぞれ刀や杖を構えてなかに突入する。脱衣所を抜け、浴場に。  そこに全裸の明日菜が倒れていた。 「あッ! 明日菜さん!?」  ネギ先生の叫びをきっかけに、駆け寄る。全裸? 気にしている状況か! 「明日菜! 大丈夫か? ケガは!?」 「明日菜さん!! 何があったんです!?」  明日菜を抱き起こしつつ、刹那と共に呼びかける。同時に体を軽く走査。 外傷は——なし。  意識は——とりあえず正常。  考えられるのは魔法的な呪い? 「う……うう、刹那さん、志保……わ…私、も……ダメ…」  え? 待てよ…なぜ彼女は全裸? しかも妙に上気した表情だ。  考えられるのは…アレ? 「ハッ……ま…まさか、アスナさん」  刹那も気付いたようで、血の気が引いている。 「だとするなら、なおの事許せないな」  年端もいかない女の子をこうまでする理由はないだろうに! 「どうしたんです、アスナさん。何をされたんです」  一人事情の飲み込めないネギ先生が心配そうに聞いてきた。……困った。説明しにくい。10歳の子供にナニされましたとは、ちょっと……。 「そのー、なんだ。なんて言えばいいのだろうか刹那?」  つい、刹那に振ってしまった。 「え、いえその……え……えっちなコト……とか?」  真っ赤になりつつ、きっちり言ってくれます。 「ええっ!?」 「されてなーーーい!! されたけど」  どっちなの? 「ご……ごめん刹那さん。このか……さらわれちゃった……」 「!」  すでに遅かったのか。 「き、気をつけて。あいつ、まだ近くにいるかも……」  明日菜の言葉と同時に背後に現れる気配!  刹那と同時に振りむく。  自分と同色の白い髪、無機質さを感じる瞳。詰襟の学生服が似合う年頃の少年なのだが、それが何故か変装と分かるくらいそぐわない。後ろで宙に浮いていた相手はそんな『モノ』だった。  仕掛けたのは刹那。振り向きざまに一撃をしかける。  が、あっさり捌かれ、  ——ガンッ 魔力の乗った突きを喰らい、彼女は床、壁にとピンボールのように跳ね飛ばされた。 「くっ!」  すぐに双剣を構え、ネギ先生と明日菜の前に出て守る姿勢を取る。どうもこちらから仕掛けない限り攻撃してくる意志はなさそうだ。  この少年が侵入者……単独だとすると、相当な実力者になる。現在も床から三十センチほど浮かんでいる。確か浮遊術。さらに刹那を相手したときの手際から見て、魔法も格闘戦もこなすようだ。 「あ……かはっ……う……」  後ろから刹那の苦しげな呼気が聞こえる。おそらくまともに呼吸ができない状態だろう。が、今は目の前の相手から目を離すことは出来ない。すまない刹那。  さっきの魔力を乗せたパンチの影響か、少年の手から煙とも蒸気ともつかないものが漂っている。 「ま、まさか君が……」  後ろからネギ先生が立ち上がる気配。 「ネギ先生、下がって!」 「こ……このかさんをどこにやったんですか……?」  私の声に構わずネギ先生は目の前の少年に問いかける。その声はわずかに震えている。これは、恐れで震えているのではい。怒りで震えている。 「…………」  問いかけられた少年は応えない。あまりに反応がなさ過ぎる。妙に無機質な相手。これはひょっとして人形かホムンクルス? 「……みんなを石にして、刹那さんを殴って、このかさんをさらって、アスナさんにえっちなことまでして……!」  ネギ先生の声が高まる。怒り。純粋に相手を思う怒りで高まっている。 「先生として……友達として……僕は…僕は……許さないぞ!!!」  背中越しでも分かるネギ先生の怒気。それに対し、少年は目を一度閉じて再び冷めた目を見開き、初めて口を開いた。 「……それでどうするんだい? ネギ・スプリングフィールド。僕を倒すのかい? ……やめた方がいい。今の君では無理だ」  少年の足元にあるお湯が渦を巻き、少年を包む。これは! 「逃がさない!」  一気に間合いに詰め寄り、両袈裟に切りかかる。  けれど、斬ったのは液体のみ。本体は転移した後だ。 「……水を利用した『扉[ゲート]』……瞬間移動だぜ!? 兄貴。かなりの高等魔術だ……」 「おまけに、転移速度が思った以上に速い。こっちの踏み込みより早かったよ」  触媒を利用した転移魔法。『こっち』でも相当に高度な魔法とされているようで、私の場合、師匠が影を利用して転移しているところを一度見たきりになる。 「くっ……」  ここで初めてネギ先生に振り返れば、その表情は悔しさであふれたものだった。 「だ、大丈夫ですか? 明日菜さん……」 「う、うん。刹那さんも」  よろけた歩調でこちらに来る刹那。 「ケガの具合はどうだ?」  すぐに駆け寄って、刹那に肩を貸す。この中でまともに動けるのは私とネギ先生ぐらいなものだ。今は他の人の分も動かなくては。 「すまない。そうだな、戦闘には支障は無いはずだ」 「そう、か」  無理をしているのは分かる。でもここは無理をしなくてはいけない場面だ。  魔力を含んだ風が流れる。ネギ先生の魔法?  風はバスタオルを運び、ネギ先生の手に。その手が下ろされ、傍にいた明日菜の体を優しく包む。 「……え」 「アスナさんはここで待っていてください。このかさんは、僕が必ず取り戻します」 「え……う、うん…」  なんか初めて会ったときよりもネギ先生は精悍さが増したように思われる。きっと、ここしばらくあった事件がネギ先生を成長させたんだろう。  その横顔は見間違うことなく、戦う者のそれであった。 「とにかく追いましょうネギ先生! 気の跡をたどれば……ぐっ」  肩を貸している刹那が声をあげ、痛みに顔をしかめた。 「刹那、そんな大きな声を出したら……ネギ先生、治療魔法はできますか?」 「軽い傷程度でしたら、なんとか。見せてください」  ネギ先生が刹那のお腹に魔力光で仄かに光る手を近づけ、少年にやられた箇所を治療していく。 「す、すいません。で、でも急がなければお嬢様が……」  焦る刹那の肩に手を置く。 「刹那、今は体勢を整える時だ。時間はないけど少しでも万全にならなきゃいけない」 「そうです、衛宮さんの言うとおりですよ刹那さん」 「は、はい」  こちらの言い分に理があったと思ったのか刹那は以降、大人しくネギ先生の治療を受ける。  そんな中、 「しかしよう、あのガキ長のオッサンが言っていたようにタダ者じゃねぇぜ。ただ、無謀に突っ込んでも……」  カモミール君が不安の声をあげる。確かにあの白髪の少年は、今の私でも勝てるかどうかだ。何より得体が知れないのが怖い。何の対策もなく突っ込むのは得策とは言えないよな。 「むっ」  突然、カモミール君が雷に打たれたように表情を変えた。 「これはいける!! 名案を思いついたぜ!!」  何やら「くっはぁ!」と叫びながら自分の名案に興奮しているみたいだ。 「カモミール君。その名案ってなに?」 「何ですか、カモさん」  治療を終えた刹那も明日菜も興味ありという表情でカモミール君の表情を窺う。 「ふふ、刹那の姉さん。ネギの兄貴のこと……好きかい?」  途端、カモミール君の表情にニヤリと好色の色が差した。うわ、嫌な予感。 「えっ。それ、何の関係が!?」 「……つまりだな。刹那の姉さんと兄貴が『チュウ』すんだよ」 「「なっ」」  そのあとの混乱は分かりやすい。ネギ先生と刹那が熟れたトマトみたいに真っ赤になるし、明日菜はオコジョに天誅を下していた。落ち着くのに丸々一分はかかったのではなかろうか?  つまり、エロオコジョ、もといカモミール君が言いたいのは刹那が使える『気』に、ネギ先生との仮契約によって供給される『魔力』を上乗せして更なるパワーアップを図るというものだった。 「それって、『感卦法』じゃないかい?」 「え? 衛宮の姐さん、知っているのですかい!?」 「うん、師匠から聞いたのみだけど」  本来は反発しあう気と魔力の合一。両の手にそれぞれ気と魔力を溜めて融合するという高難度技法。私も『気』が使えるようになったら挑戦してみたい代物だ。もっとも、何年かかるか分かったものではないそうだけど。 「名前だけなら、聞いたことはあります。なんでも非常に習得が難しいのだとか」 「う、ぐぅ。でもよ、手数増やすためにも……」  自分の提案に無理があると分かった途端、カモミール君がシオシオとなってしまい、「いい案だと思ったんだけどなぁ」と萎れた声を出していた。 「と、とにかく話し合ってても仕方ないです。ネギ先生!」 「そ、そうですね刹那さん。行きましょう!!」  二人は顔が赤いまま、誤魔化すように無駄に声を上げている。でも、決意は本物だしあえてこっちからは何も言わないでおくか。 「それじゃあ、明日菜さん」 「風邪を引かないよう服は着てくれよ」  明日菜を残し、三人で風呂場を出て行く。あ、外套を取っておかないといけないか。相手がどんな魔法使いか分からないのだ。抗魔力を高める防具は必須だ。 「あ、待ってよ、みんな。私も行くって。もう大丈夫だし! 今、着替えを……」  明日菜の着替えで、出発はまた少し延びました。 「凛の推測通り、あの『衛宮志保』という人物はシロウのようです」 「……半分以上冗談みたいな推測だったんだけどなー。でもほぼ確証は得られてしまったか。にしても、可愛くなってしまったよねー士郎」 「ふふっ、そうですね……ところで、凛は何か仕込んでいたようですけど」 「ふん。いくら雇い主といっても、個人的には鬼神なんて、とんでもない幻想種の復活は反対。だから、ちょーっと祭壇に仕込みを入れさせてもらったわ」 「なるほど。で、今回はどうします?」 「もうほとんど時間ね。じゃあ、契約は終わりよ」 「分かりました。ではっ」 「ええっ!」 刹那が式神のものと思われる『気』の跡を追い、私は木乃香の魔力を鎖のダウジングで追跡。  走る四人(とオコジョ一匹)の間に会話はない。今はただ木乃香を救い出すこと。その一点にみんなの意志は集中している。もちろん、私もだ。  下弦の月と星に照らされた清らかな水が流れる川の流れ。それを二つに割る大岩の上にその影達はいた。さっきの白髪の少年と一昨日のメガネの術者・天ヶ崎千草。そして彼女の使役する式神に抱えられている木乃香。 「さあ、祭壇に向かいますえ」  そう言って、立ち去ろうとするが、 「待て」  刹那が夕凪を抜き放ち呼び止めた。私たちはどうにか追いついたようだ。  ネギ先生や着替えた明日菜もそれぞれに杖やハリセンを構える。私もアーティファクトを変化させた双剣を構え、ネギ先生を守るように前に出る。 「そこまでだ! お嬢様を放せ!!」 「……また、あんたらか」  刹那の声に天ヶ崎はどこか呆れたような声を出した。その表情は決して追い詰められた者ではない。何かきっとある。 「天ヶ崎千草!! 明日の朝にはお前を捕らえに応援がくるぞ。無駄な抵抗はやめ、投降するがいい!!」  刹那の言葉は正しい。いくら天ヶ崎の一派が力を持っていても、関西呪術協会全体を相手取って、場合によっては関東魔法協会も相手取る戦いに勝てるようには見えない。  にも関らず、 「ふふん……応援が何ぼのもんや。あの場所まで行きさえすれば……」  刹那の言葉を鼻で嗤う。『あの場所』……天ヶ崎に自信を持たせるよほどのものがそこにあるのだろう。 「それよりも……」  天ヶ崎が大岩から降りる。下は川の流れなのだが、彼女は式神とともに水面に立つ。 「あんたらにもお嬢様の力の一端を見せたるわ。本山でガタガタ震えてれば良かったと後悔するで」  そう言って、天ヶ崎は指をピシッと鳴らす。反応するように式神に抱えられた木乃香から光が溢れる。この光が木乃香の膨大な魔力を現すように徐々に明度を増していく。 「んっ」  口を封じられてまともに発音できないだろうが苦しげだというのは分かる。 「[オン]」  梵字による呪文が天ヶ崎の口から紡がれる。同時に川の水面にいくつもの光の円が、天ヶ崎を囲むように現れ、その中心には梵字が浮かび上がる。大規模な魔法行使だというのは一目瞭然だ。 「[キリ・キリ・ヴァジャラ・ウーンハッタ]」 「んんっ」 「お嬢さま!!」「このか…っ……!?」  紡がれる呪文が進むほど、ますます木乃香からでる魔力は高まり、苦しみが増していると分かる。二人の悲鳴に似た声が上がる。  やらせない。 「[変化]」  双剣を洋弓に変化させ、矢を投影。狙うは術者・天ヶ崎。  みんながこっちに反応する前に放つ。 「なっ!」  驚愕する表情の天ヶ崎。とった。  が、遅かった。術は既に成っていた。  その矢は防がれた。水面から出てきた電柱みたいな巨大六角棒に突き刺さってだ。 『むん? いきなりとは風情がないな』  六角棒を握っていたのは額に硬質の角を持った[鬼]。 『ふーーやれやれ』  他にも、カラス天狗と思わしきもの、明らかに河童と見えるもの、一つ目の鬼、槍を持った鬼の槍兵隊、出てくるは出てくるは。数秒もしないうちに私たちは水面から[召喚]された無数の妖怪たちに取り囲まれていた。  昼間みたツクヨミのファンシー妖怪集団なんて可愛いもの。こっちのは明らかに武力となる集団だ。 「ちょっと、ちょっと、こんなのありなのーー!?」 「やろー、このか姉さんの魔力で手当たり次第に召喚しやがったな」 「ひゃ、100体くらいは軽くいるよ」  初めて見る妖怪集団に完全に涙目になっている明日菜と、顔を強張らせているネギ先生。刹那の表情も思わしくない。 「あんたらにはその鬼どもと遊んでてもらおか。ま、ガキやし。殺さんよーに『だけ』は言っとくわ、安心しときぃ」  それって、殺す以外は何でもアリということじゃないかい? 「ほな」  天ヶ崎が跳躍して川の向こうへと消える。木乃香を抱えた式神や白髪の少年もだ。 「まっ……待て!!」  刹那が追おうとするが、状況はそれを許さない。周りを囲む鬼たちの気勢。それに飲み込まれそうだ。大停電のときに戦った魔物の集団よりは数は少ないが、強い妖怪が何体か紛れている。油断ならない。  自然、私たちは固まって円陣を組んでいた。 『何や、何や。久々に呼ばれた思ったら……』 『相手はおぼこい嬢ちゃん、坊ちゃんかいな』  対する妖怪たちが嘲笑の声をあげる。ま、無理もないですけど。数百年も生きているだろう彼らからみれば、百年も生きてない(一番生きている私ですら27)少女少年の相手をするのはお笑いものだろう。 『悪いな嬢ちゃん達。呼ばれたからには手加減できんのや。恨まんといな』  鬼たちの包囲がジリっと縮まる。  二十七全ての魔術回路に魔力を装填。完全臨戦態勢をとる。 「うっ、ううっ」  右の方から明日菜のうめく声。しかも歯がガチガチと鳴っている。 「せ……刹那さん、志保。こ、こんなの……さすがに私」 「明日菜さん、落ち着いて……大丈夫です!」 「————ネギ先生、体勢を立て直す時間が欲しいのだけど、障壁とか結界は張れますか?」  せめて明日菜の気持ちを落ち着かせる時間だけでも作れればと思い、左にいるネギ先生に声をかけた。生憎、私はその手の魔術はサッパリ。それが出来る武装はあるにはあるけど、この場での使い勝手は今ひとつ。ここはネギ先生頼みになってしまう。 「ええ、ラス・テル・マ・スキル……逆巻け春の嵐、我らに風の加護を[風花旋風風障壁]!!」  風が逆巻き、渦を作った。 「わっ!」 「こ、これって!?」  明日菜が驚きの声をあげる。要請した私もちょっとびっくり。私達の周囲を守るように暴風の壁が立ちふさがり、その風に舞い上げられたのか足元の川の水はなくなり、川底が見えて魚が数匹跳ねている。これは竜巻の魔法か。私の髪や、外套が風になびき、みんなの髪や衣服もはためく。 「風の障壁です。ただし2、3分しか持ちません!」 「よし! 手短に作戦立てようぜ!? どうする、こいつはかなりまずい状況だ!!」  カモミール君が真っ先に声を上げる。  確かに、状況は最悪に近い。現状動ける戦力はここにいる私たち四人だけ。増援が望めるにしてももう少し後になるだろうし、その時には全てが遅かったなんてこともありうる。  そして、その肝心な私達は100体以上の妖怪に囲まれ、容易には突破できない状態。これは明らかに天ヶ崎の時間稼ぎ。向こうに時間を与えてはいけない。 「二手に分かれる。これしかありません」  ポツリと刹那が口を開いた。 「……私が一人でここに残り、鬼達を引き付けます。その間に皆さんはお嬢様を追ってください」 「却下」  有無言わせずダメだし。女の子一人残していけるか。 「刹那一人残して行けるか。私も引き付け役にまわる」  ま、学園長の依頼からは若干逸れるけど、妖怪たちの相手を女の子一人に任せて置けない。と言うか、自分の気持ちが許さない。 「えっ、いいのですか? 学園長からの依頼……」 「いいんだ。構わない」  刹那は何か言いたげだけど、こっちは睨んで言葉を封殺する。木乃香も大切だけど、そのために刹那が犠牲になるのは嫌だ。  そうしていたら———— 「じゃ、じゃあ私も一緒に残るーーっ!!」  なんて明日菜がそんな事をノタマッテくれました。 「ええっ!」「ちょっと、明日菜!」 「刹那さんと志保をこんなところに残して行けないよっ」 「でもっ……」  このまま障壁の効果が切れるまで言い合いが続きそうな気配。けれどそれを打ち切ったのは以外にもカモミール君だった。 「いや……待てよ。案外いい手かもしれねえ! どうやら姐さんのハリセンはハタくだけで召喚された化け物を送り返しちまう代物だ! あの鬼達を相手にするにゃ最適だぜ!?」  このカモミール君の発言を皮切りに、作戦が出来る。  今目の前にいる鬼たちを刹那、明日菜、私の三人で引き付けて、ネギ先生は極力戦闘を避け、ヒットアンドアウェイで木乃香を奪取。その後全員撤退、やってくる援軍を待つのが概要。後は臨機応変。立案はカモミール君。  その間のネギ君からの魔力供給は明日菜一本に絞って、最低限まで節約。それで大体15分の供給ができるとか。そしてそれがこの作戦の作戦時間になる。 「……そう上手くいくでしょうか?」  刹那が不安の色が濃い声を出す。戦場は常に予測不能の事態が待っている。相手に関する情報も出揃っていない状態でのこの作戦は非常に脆く、穴がところどころに見当たってしまう。  カモミール君もその自覚はあるのか、渋い顔をして言葉を出す。 「分の悪い賭けだけどな……だが、他に代案があるか?」  そう言ってみんなの顔を見渡すオコジョ精霊。  一刻の時間も無い状態。ネギ先生一人なら杖で最速を行くことが出来るだろう。正直、小さい男の子一人行かせるのも心苦しい。けれど今取りえるベストに近い手段はカモミール君の提示した案だ。 「……分かりました、それでいきましょう」  刹那が了承。私も頷く。 「決まりだな!! よし、そうとなったらアレもやっとこうぜ! ズバッとブチュッとよぉ」  カモミール君の鼻息が荒い。エロオコジョ化している。まさか…… 「アレって?」 「ねえ、カモミール君それはまさか」 「キッスだよ、キス。仮契約[パクテイオー]」 「「えええっ!?」」  この場でネギ君と仮契約を交わしていないのは刹那だけ。つまり、刹那とネギくんが口付けをしろと? 「なんでさ、さっき『気』と魔力の合一は難しいって……」 「緊急事態だ!! 手札は多いほうがいいだろうがよぉ!」  なんか『ガー』よりも上級な『ダルアッ』って迫るオコジョ。 「「は、はいっ」」 「……」  反論の余地はなかったです。 「急げ!! 障壁が解けるぞ」 「は、はい」  刹那とネギ先生が向かい合い、下ではカモミール君が仮契約の魔法陣を描く。 「す……すいません。ネギ先生」 「いえ…あの、こちらこそ……」  顔を紅潮させる二人。む、こっちまで顔が赤くなりそうだ。隣を見やれば明日菜の顔も赤い。……私って27だよね? 肉体が若いせいかどうも精神が女子学生しているような……。  そして契約の口付け。  ——仮契約[パクテイオー]  魔法陣から吹き上がる光が二人を包む。 「先生……このかお嬢様を……頼みます!」 「……はい!」  刹那がネギ先生の肩に手を置き、想いを託している。ただ、明日菜にはそれが面白くないらしく、 「そこ! 何見詰め合ってんのよ」  容赦の無いツッコミをいれてくれ、刹那とネギ先生はささっと離れてしまう。みんなの顔に緊張が戻る。これからが本番。戦いの夜が始まるのだ。 「では、僕が魔法で自分の道を開けますので、後のことはよろしくお願いします」  ネギ先生が一歩、風の壁に近づき、左手を上げる。 「待った、ネギ先生は魔力を温存してください。道は私が作ります」  私はそれより前に前に出て、ネギ先生を制す。 「えっ、でも」 「議論している時間はありません。先生は木乃香の救出のみにその魔力を傾けてください」 「……はい。分かりました」  納得をもらえたところで、さっきから持っている弓を構える。  風が止もうとしている。完全に風が凪ぐ前に、武装選択————重装する必要がないのが助かる。  ——投影開始〔トレース・オン〕 「I am the bone of my sword〔我が骨子は捻れ狂う〕」  弦を引き、番えられる矢はユニコーンの角を思わせるように螺旋に捻れた剣。剣ではあるが、使用方法は矢。骨子が捻れたその剣は本来のものではない。  故にその名も異なる。 弦を引き、魔力が込められる。  風が凪いだ。 「偽螺旋剣〔カラドボルグ〕!!」  真名とともに弓から放たれる暴風。  高速回転するエンジンのような音をたてて空気の壁を穿ち飛んでいく剣。 螺旋に切り裂く風が夜空に向かって打ち出され、その前にいた鬼達を悉くミキサーにかけたように捻り切っていく。 「今だ、ネギ先生!」 「はい!」  カラドボルグが開けた空間をネギ先生が杖にまたがって空を飛んでいった。  飛んでいく先生が一瞬振り返ったような気がしたけど、今は迷わず飛んでいって欲しいと私は願う。  残されたのは三人。  対するは100体以上の鬼たち。文字通りの百鬼夜行。先ほどの螺旋の暴風で20体ぐらいはもって行けたが、未だに全滅は程遠い。 『む』  鬼たちの視線がこちらに集まる。 「……落ち着いて戦えば大丈夫です! 見た目ほど恐ろしい敵じゃありません。私のこの剣も、明日菜さんのハリセンもこいつらと互角以上に戦う力を持っていますし……」  刹那の視線が私を見る。その視線はちょっと信じられないものを見る目。大停電のときもそうだけど、手の内見せすぎかな? 「衛宮の魔法のフォローもあります」 「そう、だから思い切りぶつかろう。そうだね。街でチンピラ100人に囲まれた程度という認識でいいかも」 「それって、安心していーんだか悪いんだか……」  もう完全に引きつった笑みをしている明日菜。でも、先ほどのように恐怖で体が動かなくなることはなさそうだ。 『こいつはこいつは…勇ましいお嬢ちゃん達やな』  鬼達のボス格が面白いものを見たというような声を上げている。  次々と獲物を構える鬼たちの群れ。少し息を飲む明日菜だが、 「しょーがないわね……じゃあ、ま…」 「鬼退治といこーか!!」 「はい!!」 「りょーかい!」  この一声が始まりの合図。  刹那が夕凪を、明日菜がハリセン、私が弓でもって百鬼夜行に突き進んでいった。  襲い来る鬼に向かい、走りつつも射撃。機関砲弾クラスの威力を乗せた矢を十五矢。一息で全て撃ち放つ。刹那はともかく、実戦経験の浅い明日菜にはフォローが必要。明日菜の死角に入り込む敵を集中的に射抜く。  撃ち倒されたのは五体ほど。いずれも急所に三矢づつ中てたのだけど、思った以上に頑丈な個体が多い。 『このガキィ』『接近戦に持ち込めば弓は使えんじゃろ』  明日菜への援護の隙に後ろからこちらへと詰め寄る鬼達。数は三。 「志保!」  明日菜の悲鳴が聞こえるが、問題なし。 「[変化]ゲイボルグ」  設計図を弓に流し込む。一秒もかからず弓は、深紅の槍に変わる。 「ふっ」  振り向きつつ、回転も利用して鬼達を目一杯薙ぎ倒す。 『ふぎゃ』『ぐへぇ』  このアーティファクトで変化出来る最高の槍を振るい、明日菜のところに。追いすがる敵を突き倒すことも忘れない。 「明日菜。大丈夫!?」 「うん、なんとかいけそうだよ」  実際彼女は多少息が上がっている以外は目立った外傷もなく元気そうだ。 「刹那は?」 「あっち」  向こうで数体の鬼を相手取る刹那。  ——神鳴流奥義・百烈桜華斬!!  円を描く無数の太刀筋が複数の敵を捉え、刹那を囲む鬼達が一瞬で切り伏せられた。相変わらず綺麗な剣技だ。切り伏せ終わると彼女もこっちに来て、明日菜に声をかける。 「大丈夫ですか明日菜さん」 「うん、なんとか」 「では、衛宮は中央、明日菜さんは右を!」 「OK!」 「了解した!」  再び散開。 「やあああ!!」 「おおお!!」 「はああ!!」  二人の雄叫びに似た裂帛の声に合わせるように私もいつしか声を上げていた。  はあ、はあ、はあ  はあ、はあ、はあ  ふう、ふう、ふう  刹那と明日菜の荒い息遣いを背に、ゲイボルグを構え、呼吸を整える。  お互いに背中を預け合い、三方に武器を構えている状態。 「け、結構……いいトリオかもね私たち」 「ああ、そうだね」 「ふふっ……」  明日菜のセリフに知らず笑みがこぼれる。  実際、悪くないと思う。近距離の刹那、明日菜に中距離、遠距離で私がカバーを入れる。それに、明日菜が想像以上の動きを見せている。ネギ先生の魔力供給のお陰もあるのだろうけど、玄人裸足だ。 「修学旅行帰ったら、剣道教えてよ刹那さん」 「えっ? い、いいですけど……わ、私もまだ未熟なので……」 「ははっ」  何かこういうのも悪くないかも。戦い甲斐のある相手、背中を預けあう仲間……不本意だが、この槍本来の担い手の気持ちが少し分かる気がする。 『ひゃ……150体の兵が3分で半ばまでも……!? ば、化け物かこの嬢ちゃん達』  鬼の一人がうめく。いや、お前たちが化け物というか? 『ぐぁっはーーー天敵の神鳴流はともかく、マジックアイテム使いの嬢ちゃんやハリセンの嬢ちゃんはほとんど反則ですぜ、オヤビン』  マジックアイテム使い、ね。ゲイボルグの他にもここまで弓、物干し竿、斧剣と集団戦ということもあり、リーチの長めなのを中心に武装を変えつつ相手を翻弄する戦い方をしてきた。相手にしてみれば何が飛び出すか分からない危険なびっくり箱だろう。 『ぐわははは、元気のいい娘っ子達やなぁ。……ところで』  ボス格の鬼が豪快に笑った後、ふと明日菜に視線を向けた。何? 『すかあとの下に肌着を着けんのが最近の流行りなんかいな?』 『いやーーいつの間にやら21世紀ですからねー、何があっても……いい時代だあ』  ——————————。  考えまい、考えまいとしていたことが、まさか鬼から指摘を受けるとは……。 明日菜があわてて押さえているスカートの下、実は何もはいていない。  ショーツはあの少年に襲われた時になくなったという。しかも木乃香を追いかけるため急いでいたせいか、ここに来るときにスカートの下にはいていたデニムパンツを身に付ける間すらなく彼女はここに来ている。  非常に目の毒だったのだが、戦いの場なのでこういうことは言わないでおこうと思うし、考えないようにしていた。が、まさか相手から指摘されるとは……。 『お、動きが遅なったで。ひっ捕らえい』 「いやーん、何で私いつもこんな役ー!?」  スカート押さえて動きが鈍る明日菜に大挙して襲いかかる鬼の皆さん。彼女のはいているものはミニスカートなので、剣を振り回すような動きをすればすぐに中身が見えてしまう。よかった、今回Gパンで……って助けないでどうする私! 「刹那、明日菜に群がる敵をやっつけるから援護お願いできる?」 「……はい。助けてやってください」  刹那も少し呆れている。  川の水に手を入れ、川底に着ける。陸上のクラウチングスタート風に構えをとり、目標を見据える。狙うは明日菜を追っかけている群れの横っ腹。明日菜を巻き込まないように慎重に見定める。  魔力を紅き呪い槍に込める。この槍ゲイボルグ本来の使用方法をこれから行う。  合図はいらない。頭のなかで号砲を撃つ。  疾走。足に魔力、強化を施しての疾走は基の身体能力と合わせて相当なものになる。  短いながらも充分な助走の後、跳躍。高く、舞い上がり、目標を最終確認。そして背中を弓なりに反らせ構える。今回は自分自身が弓になり、矢がこの手にもつ槍となる。 『む。いかん! 散れ!』  声がするがもう遅い。限界まで引き絞られた弓から矢は放たれる。 「突き穿つ[ゲイ]——! 死翔の槍[ボルグ]!」  放たれた紅き呪い槍は狙いから寸分違わず目標地点に着弾。  閃光、爆発、衝撃のフルコース。 「これで大体、二十以上は巻き込めたかな」  着地して、戦果を確認する。爆発で舞い上がった川の水が雨のように降る中、かなりの鬼を巻き込めたと確認できる。ただ、本来の担い手には及ばないのは言うまでもないことではあるが。  爆心地からカードが風もないのにヒラヒラ手元に戻ってくる。なるほど、こうして戻ってくるわけだ。すぐに回収してポケットに。  むこうから明日菜がやってきた。スカートは押さえていない。なんか開き直ったみたいだ。 「ケガはない? 明日———」 「この……ばか志保ーー!! 死ぬかと思ったじゃない!」  スパンとハリセンで頭をハタかれる。——イタイ。 「や、でも効果範囲内に明日菜が入らないように気は使ったよ」  せいぜい背中に風を感じる程度のはず……。 「爆風で押さえてたスカートが全開よ。——もういいわ、開き直った。私のノーパン見たオニなんかみんなやっつけてやるんだから!!」  ああ、それでか……ごめん。でも、今更って気もしない?  川を戦場にして、百鬼夜行との戦いは続く。 「てやああ!!」  明日菜の裂ぱくの声とともにハリセンを振るう。 「奥義・雷明剣……」  刹那が紫電を纏わせた剣を振るう。 「投影開始[トレース・オン]」  志保は投影魔術で黒鍵を投影し投擲する。  その度に鬼達は、『還され』、斬られ、穿たれる。  鬼達はその数を急速に減らし、現在その数五十程。ただ、その五十が曲者だったりした。 『ふふん、我らを相手になかなかの使い手ではないか。嬉しいぞ』  次々と襲い来る相手の剣を投影した夫婦剣で捌く。再びカードからアーティファクトを出す間は相手が与えてくれない。  相手の数は四。姿はカラスを思わせる。多分、カラス天狗。古くから武芸に優れるといわれ、実際四体いずれも剣士として熟達した使い手である。簡単に決め手を打たせてくれない。一人一人ならまだ勝てるが、それが集団となるとまた別だ。しかも、チームプレイまで見せてくれるのだからさらに厄介極まりない。 「——っ! ふっ!」  二箇所同時の死角からの攻撃を察知して身を捻ってかわし、剣で捌く。鋼と鋼が噛み合い、火花が散る。  状況は最悪。先ほど大規模な魔力を感知してみれば、天に伸びる光の柱がネギ先生の向かった方向から出てきた。恐らく大規模な召喚の術。  現れた剣士少女・ツクヨミの話だと、天ヶ崎の計画が順調に進んでいる証だというのだ。ネギ先生の安否が気になる。  さらに、 「離しなさいよ! このぉ」 『ハリセンが使えなければただの小娘か……ま、がんばったがな』  向こうでは明日菜がこちらの相手しているものと同族の妖怪に捕まっている。  助けに行きたいが、こいつらを相手に隙は見せられない。呪文の詠唱は短いほうだが、その隙を与えてくれるほど容易いものではない。  刹那もツクヨミとボス格の妖怪を相手に動けない様子だ。残った相手はかなり強い。  さて、どうする? 考えろ、考えろ、思考を放棄するな。戦闘理論を常に構築し、勝てるものを想像し、創造しろ……  パスッ  何かが貫通する音。  ドパン  次に銃声。 『ぬおおっしまった、新手か!?』  明日菜を捕まえていたカラス天狗が撃ち抜かれた額を押さえ、消滅していく。  更なる射撃。銃弾はボス格の妖怪が持つ棍棒を折り、次弾は隣にいた狐面の妖怪に襲い掛かり、弾かれる。 『これは……術を施された弾丸……何奴!?』  こんなことするのは知り合いでは一人しかいないな……。 「…らしくない苦戦してるようじゃないか?」  岩の上に現れる影。褐色の肌と流れる黒髪、手に持つライフル。間違いようもない。龍宮真名だ。 「えっ……ええっ!? えええーーーっ!?」  明日菜はえらく驚いているが、龍宮は気にした風もなく、こっちに視線を向ける。 「この助っ人の仕事料はツケにしてあげるよ、刹那、衛宮」 「ああ、礼ははずむ」  感謝、だ。誰が彼女を呼んだのかは不明だけど、その人にも感謝。 「うひゃーー、あのデカいの本物アルかー? 強そうアルねー」  む、古さんまで来ているのか。確かに図書館島では学園長の操るゴーレムとまともに打ち合えたからな。戦力的に申し分ない。けど、魔法がばれた人をまた作ったようだけどいいのかな?  ともあれ、 「ぼーっとしている暇はないよ。投影開始[トレース・オン]」  ——ジャギン 『な、ぐは!』『なんと!』『無念』『む、むううう』  川底に手を当てて、下から上へ剣を投影。自分の周囲に剣の林を形成して、龍宮の登場で棒立ちしていた妖怪たちを下から刺し貫く。  ともあれ、再度反撃といこうじゃないか。「凛、既に召喚は始まったようです。祭壇に仕掛けをしたのではないですか?」 「ええ、したわよ。でも召喚自体は成功するでしょうね」 「凛!」 「慌てないの、要するに召喚してもあの女のいいようにならなければ復活したことにならないんだし」 「ふむ……分かりました。ところで、シロウを助けなくていいのですか?」 「…………いいんじゃない? 強いお友達が沢山いるみたいだしー…」 「はぁ……しばらくは様子見ということでいいですね」  出席番号32番 衛宮     第14話 修学旅行『大狂乱』 「何いぃ!? やっぱダメとは何だじじいィ!!」  エヴァンジェリンの声が学園長室に轟と響く。 「学園から出られると言っただろぉが!?」  ネギからの連絡で西の本山に非常事態が発生したのを学園長が知るところとなったのだが、この事態に対処でき、すぐに京都に向える強力な人材は現在ここにいるエヴァンジェリン唯一人しかいない事態なのだ。  その彼女も現在、ネギの父・ナギにかけられた呪い『登校地獄』せいで学園から出られることは本来ないはずである。  ただ、今は修学旅行中。修学旅行も学業の一環であるため、短時間なら呪いの精霊をだませると学園長はいい、エヴァンジェリンの了承も得ていざ転送と思ったのだが…… 「どうもナギの奴、力任せに術をかけたようじゃのう……正直、無理かも。てへ」 「てへ、じゃない!! 何とかしろじじィ!!! 殺るぞ!?」  呪いをかけた術者であるナギの力が強すぎて、それも出来ないみたいなのだ。 「マスター、そんなにも熱心になって。よほどネギ先生や志保さんの事が心配なのですね……」 「誰・が・あの、ガキやバカ弟子のこと心配してるってーー」 「あああ、いけません、そんなにまいては」  こんな騒がしい学園長室から西に遠く。狂乱は未だ続いている。  龍宮の射撃は続く。  二発、三発。その度に異常なスピードでライフルのボルトを動かし、空薬莢を捨て、次弾を薬室に叩き込む。  弾丸は龍宮の狙いに忠実に従い、次々と妖怪たちの群れに殺到する。 「スゴイ!! それ、本物アルか!?」 「ただのエアガンだよ」  古さんの興奮した質問に龍宮は何でもないという風に答える。 「(バレバレな嘘言うなよ、どこの世界に硝煙たなびかせて鉛弾を飛ばすエアガンがあるんだ)」  思わず小声でつっこんでしまう。  そうこうしていたら、龍宮と古さんのいる大岩にカラス天狗が四体、跳び上がった。  その間合い、ごく近距離のショートレンジ。ライフルの間合いではない。 『図に乗るなよ、小便クサい小娘どもが』 『接近戦でテッポウは使えまい』  が、それは龍宮を舐めすぎている。彼女に苦手な距離は存在しない。  薄く、龍宮が笑った気がした。 すぐ足元にあるギターケースを軽く蹴る。中から飛び出すのは二つの鉄塊。  空中に浮かぶ二挺の拳銃(デザートイーグル)。  既に狙いはついていて、後はそれを行うだけ。褐色の手が銃把を握る。  次に起こったのは銃声をバックミュージックにした弾丸のダンスマカブル。  四方を囲む妖怪の急所に容赦なく銃弾を浴びせ、それでも襲い来る妖怪の攻撃を流れるようにかわし、捌き、さらに銃弾の洗礼を浴びせる。  この決着、わずかに五秒。 『つ、強い…』  そう言って消えていくカラス妖怪。  向こうが油断していたこともあるが、龍宮の射撃能力はいつ見てもトンデモナイ。本来ショートレンジ向けの武装ではない銃器であそこまでの動きをみせるのだ。その技量は計り知れない。 「なっ……ななな。なんで龍宮さんが……てゆーか、なんであんなに強いのーー!?」  龍宮の強さに、驚き絶叫する明日菜。  あれを最初に見たときは確かに驚くよな。拳銃をまるで拳や足の延長のように使い、一種の格闘技の型を思わせる動きで囲む敵を制圧してしまうのだから。 「龍宮とはたまに仕事を一緒する仲で……ですよね、衛宮」 「まあ、ね」 「ふえぇーー」  感心したような、呆れたような声を出す明日菜だけど、今はまだ戦闘中だ。残り少ないとはいえ、手ごわい妖怪や二刀流の剣士ツクヨミがいる。気は緩められない。 「明日菜、上!」 「え!? わっ」 「!」  ちょうど上から強襲してきたカラス天狗の攻撃を私たちは散開してかわす。  急降下からの剣の打ち下ろしは川面を盛大に叩き飛ばす。  飛び退きながら両手に六本の黒鍵を投影。投擲する。  カラス天狗はそれを予測していたのか剣で弾こうとするが、逆に剣が弾かれる。投げた六本の内、最初の三本は特殊な投擲技術により『鉄甲作用』を持たせている。効果は通常の投擲よりも衝撃が何倍にも増し対象を吹っ飛ばすもの。当然、剣も弾かれる。  そこに出来た隙。残りの火葬式典を込めた三本がカラス天狗に突き刺さり、炎上。『還る』 「二人とも、ケガは?」 「何とか」「大丈夫ですっ」  舞い散る水の向こうから二人の元気そうな声。大丈夫そうだ。  心配といえば——後は、古さんか。  棍棒を振りかぶり、彼女の後ろから襲いかかる妖怪たち。 「よ」  事も無げに振り向き、棍棒を持つ腕を捌き、一歩前に。同時に拳を突く。  ——馬蹄崩拳!!!  地面が揺れるかと錯覚させる震脚。そこから生まれる膨大なエネルギーは全て突き出した拳に向かい、 『なにふぅぅっ!!』  襲い掛かった数匹の妖怪まとめて吹っ飛ばされてしまった。 「あれなら、心配ないか」  ゴーレムを相手できる技量の持ち主だ。きっと生来の才能にたゆまぬ修練が妖怪と互角に渡り合える業を作り上げているのだろう。  にしても、こういった光景を見てしつこいくらい何度も思ってしまうことなのだが、私のクラスはトコトン超人や人外が多い。きっと学園長のこと、そういった人物をまとめてA組に編入しているのだろう。ちょうど私の時のように。 「でも、この場合は助かるのだけどね」  再び両手に夫婦剣を投影。敵に向かい合う。  ネギ先生が帰ってくるまでの引き付け役。まだ続きそうだ。  戦いも終盤近く。天ヶ崎に召喚された妖怪たちも残り少なくなったとき、  大気が『異常』で震えた。  召喚儀式をしていると思われる光の柱。ネギ先生の戦場でもあるその方向からソレは現れた。  一瞬、人も妖怪も戦いの手を止めて、その異常に目を向ける。いや、向けてしまう。それほどまでにその存在は目が離せなく、惹きつける空気を放っていた。 「な……何だあれは!」  刹那の声が静まった戦場に図らずも響いた。これは多分、ここにいるみんなの気持ちを代弁するような言葉だろう。  四本の巨碗。一つの頭に二つの面。この距離で視力を強化しなくともその姿がはっきりと見て取れてしまうその巨大さ。そしてなにより、放つ空気が今相手をしている妖怪たちと比べ物にならない。それはまるで『神気』ともいうべきものだ。  おそらく、あれこそが天ヶ崎の自信の源で切り札。 「ネギ先生……」  知らず、口に出ていた。遅かったということだろうか? そうなると彼の安否は——  気を取り直した妖怪たちが再度襲い掛かってくる。くそっ、ネギ先生を助けに行かなくてはいけないというのに! 「ネギの奴、間に合わなかったの!?」 「分かりません。でも助けに行かなければ……」  近くで明日菜と刹那のやり取りが聞こえる。彼女たちもネギ先生を助けに行くつもりのようだ。だけど、妖怪たちは数を減らしたとはいえ、私たちを易々と向かわせる気はないだろう。  もう一度カラドボルグ、もしくはグラムを投影して道を作るか? でも、そんな隙はないし、魔力も無限ではない。  その窮地を救ってくれたのもまた龍宮達だった。  こちらに踏み込む妖怪たちに威嚇射撃の後、 「行け刹那!! あの可愛らしい先生を助けに!」 「ここは私達に任せるアルよ」  龍宮と古さんが囮になると宣言した。 「しかし……」  当然渋る刹那だけど、今はネギ先生を助けなくては。 「大丈夫なんだな、龍宮」  刹那の代わりにやや強引に二人の会話に入る。 「衛宮!?」 「ああ、大丈夫だ。仕事料ははずんでもらうがな」  返される龍宮の言葉と視線。……今は信頼させてもらおう。このやりとりで刹那も決心したのか、構えを解く。 「……すまない! 行きましょう、明日菜さん、衛宮」 「う、うん」「了解!」 『魔法使いの従者』となった私達三人。助けるべきネギ先生に向けて走りだした。 「あーーん。邪魔しはって!」  月詠が刹那との勝負を邪魔され、不機嫌そうに剣を構えなおす。  残った相手は中華拳法の使い手とガンスリンガー。どっちにしろ月詠が満足できる戦いが待っているように思えなかった。  だから褐色の肌のガンスリンガーを見て不満そうに言葉をもらす。 「神鳴流に飛び道具は効きまへんえー」  銃器は確かに相手を容易に殺傷できるが、その軌道はあくまで直線。そんなもの、見切ってかわせばいい。神鳴流の剣技の前に射程距離なんて関係ない。この世界では銃器が必ずしも優位に立つとは限らないのだ。  けれど、ガンスリンガーは月詠の言葉に表情ひとつ変えない。彼女も尋常ならざる戦場を幾多も経験してきた者だから。 「知っているよ」  ただ一言そういうと、二挺のデザートイーグルを構え、口から小さく息をはいた。  任された信頼と報酬。それがある限り、ガンスリンガー・龍宮真名は裏切らない。例え困難な仕事でもだ。 木々をかわし、下草を掻き分け、森を駆ける。光の柱と巨大妖怪いる方向へと。そこにネギ先生もいるはずだ。  先頭は明日菜。その後ろを刹那と私が付き、追い縋ってくる妖怪たちを刀と双剣で迎撃する。龍宮が抑えてくれているお陰でこっちにくる敵の数は少ない。  戦闘の疲れで走る速度にペースダウンは見られるけど、それでも充分速い。これなら数分でネギ先生のいる場所に辿り着けるだろう。 『姐さん!! 刹那の姉さん!! それに衛宮の姐さん! そっちは大丈夫か?』  頭に直接届く声。これは、 「「カモ(さん)!?」」「カモミール君!?」  ネギ先生と一緒にいるカモミール君からの念話。その声は念話でも分かるほど焦っている。 『力を貸してくれ、こっちは今大ピンチだ』  彼の念話に答えるため、明日菜がハリセンを素早くカードに戻して額に当てて今の状況を話す。 「今、そっちへ向かってるわよ」 『それじゃ間に合わねぇ!! カードの力で喚ばせてもらうぜ!!』 「よぶ!?」  それって——  時間を置かず、ネギ先生の求める聲が聞こえた。 『召喚!!! ネギの従者 神楽坂明日菜!! 桜咲刹那!! 衛宮志保!!』  声と同時に足元に現れる六方星の魔法陣。光に飲まれ……  ——ザンッ!  次には三人ともネギ先生を守るように彼の前に現れていた。  ざっと見渡し、場所を確認。私たちが走っていた森を抜けた場所にある湖。そこにかかる木のはしけの先にある石の祭壇と舞台。私たちが召喚されたのはその舞台の上ということになる。 「皆さん、僕……すいません、このかさんを……」 「わかってるネギ!」  力なく座り込んでいるネギ先生に、明日菜は元気付けるように声をかける。  ネギ先生の状態はかなり消耗している様子だ。息を切らせ、肉体的にも精神的にも限界は近い様子。いくら莫大な魔力を保有していてもそれを引き出すのは子供のネギ先生では無理があるのだろう。  ネギ先生はよくがんばった。ここからは私ががんばらないと。  敵を見据える。  相手は湖の中心にある大岩から召喚されている巨大な鬼。離れていても分かるその巨躯は近くで見るとさらに威容を増していた。これはもう妖怪とかいうレベルより、神霊に近いのではないか?  幸い、まだ大岩から抜け出し切れていないようで、完全復活はしていない。倒すなら今しかない。 「……それで、どうするの?」  敵は目の前にもいた。白髪の少年。彼はこちらを例の無機質な目で見つめている。まだ彼の手の内は見ていない。彼我の距離は五メートル。ここでは格闘戦か? 魔法戦か? 「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴邪眼の主よ」  少年が魔力の光で輝く手を演舞のように動かし、呪文を唱える。 「な、何!? これは呪文始動キー!? こいつ西洋魔術師!! しかもこれは……」  カモミール君が驚きの声を上げる。それはそうだ、東洋の呪術師かと思ったら西洋の魔法の呪文を唱えだすのだから。しかも詠唱のスピードが早い。 「姐さん、奴の詠唱をとめ——」 「ダメです、間に合わない!」  魔法殺しの明日菜に詠唱のキャンセルを頼もうとするカモミール君だけど、これは踏み込むより逃げたほうが早い! 「時を奪う毒の吐息を————」  咒が成る。  ————石の息吹[プノエー・ペトラス]!!  白い濃霧が舞台を覆いつくした。触れる生命体を石に変えてしまう魔法。本山のみんなを石に変えたのもこの魔法なのか? 「な、何とか逃げれた。奴はまだこっちに気づいていません」  隣で刹那が野太刀を構えつつ言う。  咄嗟にはしけまで飛び退き、少年の魔法の効果範囲からは逃げることが出来たようだ。あの霧とも煙ともつかないものが少年の視界を奪ってもおり、刹那の言う通りしばらくは気付かれないだろう。 「だ、大丈夫、ネギ? ひどい、死にそうじゃん」  飛び退くときネギ先生を抱えた明日菜がネギ先生を下ろしつつ気遣っている。 「あ、ありがとう。アスナさんも…ほっぺに傷が……」  こんな時まで他の人に気を使っているネギ先生。けれど…… 「ネギ先生、その手はどうしたのです?!」 「な!?」「え」  私の声に刹那も明日菜も彼の右手に視線を集めた。  ネギ先生の右手は石と化し、動かなくなっている。しかもそれが病のように進行し、すぐに右手全体をすぐに石とし、手首を侵食し始めている。 「だ、大丈夫。かすっただけです」  心配する私達を見渡し、ネギ先生は何でもないように言う。とても10歳とは思えない精神の強さだ。私の10歳の頃といえば●●が死んでしまう前のこと。その時に彼と同じ強さがあっただろうか……? 「……皆さんは今すぐ逃げて下さい。お嬢様は私が救い出します!」  ネギ先生のそんな姿を見た刹那が一歩、舞台の方向に向かう。 「お嬢様は千草と共にあの巨人の肩の所にいます。私なら、あそこまで行けますから」  刹那の言葉に巨人の肩のところに視線を向ける。いた。確かに天ヶ崎と木乃香だ。でも高さにして三十メートル以上はある。あんなところまで刹那はどうやって? 「で、でも、あんな高い所にどうやって」  明日菜も同じ疑問を言葉にして刹那にぶつける。 「ネギ先生、明日菜さん、衛宮……」  返す刹那の言葉は寂しさを含んでいる。それはまるで泣く寸前みたいな声だ。 「私……皆さんにも……このかお嬢様にも秘密にしておいたコトがあります……この姿を見られたらもう……お別れしなくてはなりません」  刹那が自身の体を抱くように身を屈める。 「でも…今なら、あなた達になら……」  彼女に力が集中するのが分かる。その全てが背中に向かい、  ——バサァッ  白い翼が刹那の背に現れた。それはまるで一気に華が開いたかのよう。 「……これが私の正体。奴らと同じ…化け物です」  振り返る彼女の横顔は声に違わず今にも泣きそうなもの。  ……化け物だって? とんでもない、ふざけるな、というものだ。 「でもっ……誤解しないで下さい。私のお嬢様を守りたいという気持ちは本物です! ……今まで秘密にしていたのは、この醜い姿をお嬢様に知られて嫌われるのが怖かっただけ……! 私っ宮崎さんのような勇気も持てない…情けない女ですっ」  今まで胸の内で溜め込んでいたものをぶちまけるような刹那の告白。  ……いや、すまん。こんな時になんだが、刹那はバカだと思ってしまう。醜い? 冗談、それを醜いと思うのはよほど審美眼がないか眼が腐っている。 「……ふぅーん」 「ひゃ」  唐突に明日菜がサワサワと刹那の羽を触りだした。  あ、気持ちよさそう。 「あの……明日菜さん?」  刹那が戸惑いの声を上げるが、明日菜はもう次の行動に出ていた。右手をあげ、  ——バッチィッン! 「ギャン!?」  背中を強力にハタいた。 「なーーに言ってんのよ刹那さん、こんなの背中に生えてくんなんて、カッコイイじゃん」  莞爾と笑う明日菜がいた。 「え……」  また明日菜の手が上がる。けど、今度は優しく刹那の肩に置かれる。 「あんたさぁ……このかの幼なじみで、その後2年間も陰からずっと見守っててんでしょ。その間、あいつの何を見てたのよ。このかがこの位で誰かのことを嫌いになったりすると思う? ホントにもう……バカなんだから」  まったく同意。木乃香との付き合いは二人よりずっと短い私だけど、刹那のこの姿を見て嫌うはずはない。むしろ逆にますます気に入るのではなかろうか? 「あ……明日菜さん……」 「行って刹那さん! 私達が援護するから。いいわよね、ネギ! 志保!」 「ハハイ」 「もちろん!」 「ホラ早く、刹那さん」 「……ハ、ハイ!」  目尻に涙を浮かべる彼女の表情は、解き放たれた綺麗な顔をしていた。  刹那が飛行体勢を整える。向かう先は巨人の肩にいる木乃香。  けれど、その前に舞台の石化の霧が晴れる。見える人影。あの少年だ。 「……そこにいたのか」  でも、むこうのアクションより刹那が飛び立つ方が早い。  飛び立つ間際、 「ネギ先生……このちゃんのためにがんばってくれて、ありがとうございます」  この言葉を残し、刹那が翔んだ。  単純に飛行力学だけではない何かをその白い翼に込めて刹那は羽ばたいていった。あっという間に遠のく。  当然、少年が撃ち落とそうと魔法が篭った指を上空の刹那に向けるが、 「魔法の射手・光の一矢!!」  それを許すはずもない。ネギ先生の魔法が少年の指に打ち付ける。  でも、今の魔法でネギ先生は一杯一杯みたいだ。呼吸が荒い、魔力も上手く回っていないみたいだ。その上現在進行形で石化の魔法に蝕まれている。 「さ、さて……ここから……どうしようかカモ君」  精一杯の不敵な笑みを浮かべているけど限界なのは見え見えだ。 「ああ……こっちはもう手は出し尽くしちまったな。へへっ…どうすっかな」  彼らの顔を見て、私は覚悟を決めた。 「いや、まだ手は残っている」  二人を庇い一歩、いや二歩前に進み、少年の前に対峙する。手は徒手空拳。 「衛宮さん……」 「志保?」 「衛宮の姐さん。まだ手はあるんすか?」  後ろで戸惑った声が聞こえる。  ああ、手はある。あいつら相手に通用するか疑問だけどね。もう変な駆け引きはやめだ。やりたいからやる。助けたいから助けるのだ! 「うん、とっておきがね。多分、これで全部終わらせることが出来るかもしれない」  まずは身体を軽く走査。  肉体に異常はない。細かな傷はあるがいずれも復元呪詛で修復されている。魔術回路は27全て異常なし。肝心の魔力だが、さっきまでの戦闘で結構な消費をした。補給手段をとる必要がある。 「君が僕と戦うというのかい?」  対峙する少年からの声。相変わらず感情が窺えない。油断もないのだろうな。八節の詠唱中、中断がないことを祈るか。 まずは頭のリボンに手をかけ、解く。今は魔力を解放するとき。リボンを丁寧にバックにしまう。髪がダラリと後ろにかかる感触。 「ああ、それどころか後ろの巨人も倒すつもりだけど?」  そう言って、リボンの代わりにバックから補給手段、修学旅行に持ってきた最後の輸血パックを手に取る。ストローを刺す間もない。直接牙を立てて飲み干す。  こぼれる血が口に臓腑に染み、魔力を回復させる。——どうにか展開に必要な分は回復できたか。味わう気もないし、暇もない。思考はすでに半分は自己に埋没している。 「なるほど、吸血鬼か。だけど倒すとは大きく出たね」  嘲るでもなく、ただ淡々と口を開く少年。距離は十メートル。魔法も格闘戦も出来る少年にしてみれば最適の距離だろう。  パックをしまい、血が滴る口を手で拭う。化け物は刹那ではない。むしろそれは私かもね。だけど卑下する気はない。この力のお陰で今まで危ういところを何度も助けられているのだ。むしろ誇らしく思う。  さらに一歩、前に進み出る。 「来るのかい? ……では、相手をしよう」  ああ、始めよう。 ——I am the bone of my sword[体は剣で出来ている] 衛宮さんと白い髪の少年の戦いが始まった。 ——I am the bone of my sword[体は剣で出来ている]  こんな呟きと共に今まで素手だった衛宮さんの手に白と黒の二本一組の短剣が現れた。武器の呼び出し呪文? いや、でも……  お互い駆け出し、二人の距離は一瞬で縮まり、まず少年の先手。 「志保! 上」  明日菜さんが叫ぶ。  少年は駆け出したと思ったら跳び上がっており、上から衛宮さんを蹴り飛ばそうと脚を繰り出した。 「ふっ」  衛宮さんはそれを身を捻ってかわし、すぐに短剣を繰り出す。少年は腕で防ぐ。多分、魔力障壁を集中させて防いでいる。  少年は短剣を防ぐとすぐに反対の腕を繰り出し、衛宮さんに拳を振るった。 「ぐっ!」 「衛宮さん!」  飛ばされる衛宮さんの体。それが僕達の上を過ぎていく。でも空中で体勢を立て直すと、短剣を二つとも少年に投げた。 ——Steel is my body and mirror is my blood[血潮は鉄で、心は『硝子』]  この呪文で素手になったはずの衛宮さんの手に再び同じ二本の短剣が現れ、これも少年に投げつける。着地。同時に逆再生のように地を蹴って少年に向かって跳ぶ。 ——I have created over a thousand blads[幾度の戦場を越えて不敗]  さらに紡がれる言葉。こんな呪文僕は聞いたこともない。なんなのだろう?  衛宮さんの投げた四本の短剣が弧を描き、少年の左右と後ろに迫る。さらに前から衛宮さんがまた同じ短剣を持って斬りかかる。なるほど、こういったマジックアイテムなんだ。 「!!」  少年も驚いた様子だ。これはやった?  でも、その包囲を、  ——パパパパン  少年は拳で短剣を叩き落し、衛宮さんの斬撃を大きく飛び退いてかわしてしまった。 「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト 小さき王、八つ足の蜥蜴邪眼の主よ」  飛び退きつつ、少年の魔法詠唱。いけない、ここにいるとアスナさんも巻き込まれるし、衛宮さんの邪魔になる!  すぐに衛宮さんが僕たちの前に盾になるかのように立つ。いけない! 「衛宮さん! 僕のことより、逃げてください!」  でも、衛宮さんは聞こえているはずなのに引かない。背中を向けたまま、不動の体勢をとった。 「その光我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ」  少年の呪文が完了する。魔力の篭った指先が僕達に向けられる。  ——Unknow to thirsty[ただ一度の敗北もなく]  対する衛宮さんは再び素手になった右手を呪文と同時に上がる。  ——石化の邪眼[カコン・オンマ・ペトローセオース]!!  ——熾天覆う七つの円環[ロー・アイアス]!!  放たれた石化の光線が花びらを思わせる七枚の盾によって防がれた。 「な、なんちゅう魔法だ!? 完全にあの白坊主の魔法を防ぎやがったよ」  カモ君が驚きの声を上げている。うん。僕もかなりびっくり。前に一回衛宮さんから攻撃を受けたことがあるけど、こんな盾まで彼女は出してしまえるんだ。何者なんだろう。 「……その力、脅威になる。今の内に潰させてもらうよ吸血鬼」  少年が拳に魔力を込め、衛宮さんに襲い掛かる。  消える盾。代わりにすでに衛宮さんは弓を構えていた。  ——Nor know to wet[ただ一度の充足もない]  番えられた矢は歪な剣とも矢ともつかない赤黒い刃。  ——赤原猟犬[フルンディング]!  矢が放たれた。紅い軌跡を描いて少年に向かう。  少年は襲い掛かる最中に気付き、かわそうと飛び退くけど矢はそれを追う。魔法を放ち、撃ち落とそうとするけど、矢は知性があるかのようにそれを潜り抜け、少年に喰らいついた。 「壊れた幻想[ブロークン・ファンタズム]」  衛宮さんの呟き。同時に矢が爆発した。閃光を放ち、爆風がここまでやってくる。はしけの一部も壊れたみたいだ。 「やったのか?」 「みたい……だね」  アスナさんとカモ君の声。確かにあれでは無事でいるほうが難しい。人殺しはダメだけど、今の衛宮さんの背中を見ているとそんなことも言えなくなる。まるでその身は剣。さっきの呪文にあるように強固な剣を連想させた。 「あの、終わったんですか?」  だから出てくる言葉はこれだけ。脅威だった少年はいないんだから後は刹那さんを待てばいい。でも———— 「まだだよ。まだ、あれが残っている」  衛宮さんは『リョウメンスクナ』を見据え、そう言った。 「ちょ、本気なの志保! いくら強くてもあんなの倒せっこないよ」 「そうですぜ、衛宮の姐さん! ここは刹那の姉さんがこのか姉さんを連れて来るのを待って逃げるのが吉っすよ!」  アスナさんとカモ君が衛宮さんを引き止める。当たり前だ。あんなの敵いっこない。だから—— 「却下だ」  そういって衛宮さんは一歩、また一歩リョウメンスクナに向かって歩き出した。 「ここであの巨人を倒さなければ沢山の犠牲が出る。『俺』にはそれが許せない」  自分のことを『俺』と全然似合わないことを言い、衛宮さんははしけを進み、祭壇に向かっていく。  ——With stood pain to create weapons waiting for one‘s arrival[剣製の果て担い手は雪原に立つ]  弓を消し、再び徒手空拳の衛宮さん。呪文が口から流れる。けれど武器は出てこない。かわりに胸に手を当て、まるで呪文を自分に言い聞かせるように見える。後ろ姿だけど、多分目は閉じられている。  ——I have no regrets This is the only path[ならばわが生涯に意味は不要(いら)ず]  衛宮さんが祭壇の前に立つ。僕達も彼女を放ってはおけず、衛宮さんの後ろの十メートルをついて来てしまっていた。離れているのに衛宮さんの声はハッキリ聞こえる。大きな声でもないのに、まるで……そう、まるで世界に浸透するかのような声だ。  もしかしたらさっきからの呪文全部一つの魔法のためなのだろうか? だとしたら…… 「なんどすえ! 今忙しいから構っておられへんえ」  リョウメンスクナの肩にいるお猿の千草さんからの声が聞こえた。どうやら刹那さんは無事このかさんを救出できたみたいです。でも、スクナの力ですぐにでも取り返されるかもしれない。  そこに衛宮さんの声が 「符術師よ。ここでその巨人を再封印して大人しく縛につく気はないか? まだ、取り返しはつく」 「誰が! このスクナの力があれば関東の西洋魔法使いは根絶やしにできる。それをみすみす捨てるアホはおらんやろ!」  衛宮さんの投降を呼びかける声に千草さんは噛み付くように吼えた。 「そうか……」  本当に残念そうな声。実際ため息をついたかもしれない。 「なら、幕を引こう——」  そう言って、衛宮さんは最後の詠唱を唱えた。  ——So ask I for ‘‘unlimited blade works‘‘[この体はきっと無限の剣で出来ていた]  衛宮さんを中心に炎が奔り、広がっていく。 「わぁ」 「きゃ!」 「うわっち!」  炎の壁が僕達にも迫り、過ぎ去っていく。熱さはない。火傷一つしなかった。  でも、それより驚いたのは炎に怯んで閉じていた眼を開いてからだった。 「ど、どこよココ?」 「こ、こいつは……」  そこは雪原だった。  見渡す限りの白い銀世界。四月だというのに雪が存在している。さっき僕達を通過した炎ははるか向こう。その炎の向こうの風景はさっきまでいた湖だ。  空は夕日か朝焼けというより炎のように紅く。虚空に透明で巨大な歯車がいくつも浮かんで回っている。  そして何より一番目を引いたのが雪原に突き立つ無数の剣。  どこを向いても剣。四方八方全ての地面に剣が突き立っていた。その数は数え切れるものではない。  無数の剣の世界の中心に衛宮さんは立っていた。  彼女もまた、少し姿が変化していた。白い髪が銀色を放ち、見開いた目が赤色から金に変わっていた。  直感だけど、分かったような気がする。ここはきっと衛宮さんの世界なんだ、と。  目を見開けば、そこは私の世界『Unlimited Blade Works』。  そして『俺』の世界でもある。  再構築される記憶。二十年前の災害。引き取った魔術師の養父・衛宮切嗣。彼にせがんで習い始めた魔術。そして冬の夜の別離。人生の分基点である巻き込まれた魔術師同士の戦争。そこで出会った剣の英霊と魔術師だと知った憧れの女の子。駆け抜けた戦争。未来の自分の姿。聖杯を破壊して全てが終わった。憧れだった女の子・遠坂と現代に残った剣の英霊・セイバーとで歩んだ日常。ロンドンの時計塔に留学する遠坂に弟子としてついていき、そこで始まった魔術使いとしての非日常の日常。出会った幾人もの魔術師。尊敬する人も嫌いになった人もいた。そして———— 「こうして今の私がいる、か。振り返ってみると運命とやらに振り回されっぱなしだな」  思わず苦笑してしまう。  自分の世界を現出したことで記憶が戻ったのだろう。都合のいい話かもしれないが、ここは現状をありがたく受け入れよう。  極めつけがこの状態なのだから。平行世界に飛ばされ、なんでか女の子で吸血鬼にされているのだから。その原因は————まだ検索できないか。 「でも、今はそんなことは後回しだな」  そんなことは後から幾らでもできる。今は目の前の敵を倒す。それだけだ。  巨人を見据える。  四つの腕に二つの面。知識に引っかかりがある。『日本書紀』で飛騨にいたといわれた大鬼神リョウメンスクナだろうか? にしては伝承よりもはるかにデカイ。 「な、ななな何なんや、あんた何者や!?」  巨人の肩で天ヶ崎が喚いている。別に答える義務はないのだが名乗りを上げようではないか。 「私は無限の剣を創るこの世界の主。『魔術使い』衛宮志保!」  士郎の方が良かったかな? でも割と馴染んでいるしそれでもいいか。  右手を上げる。呼応するように地面から剣が次々引き抜かれ、空間に装填される。その数百以上。その全ての狙いを巨人に向ける。出来るだけ天ヶ崎に中てないように気も配る。残りの魔力が心元なくなってきているのだ一気に終わらせる。 「いくぞ大鬼神。歳月の貯蔵は充分か?」  右手を振り下ろす。  轟音をたてて剣群が鬼神に殺到する。  さあ、幕を引こう。 「……あのバカ。固有結界なんて法外なもの異世界で使う? 下手すればこっちの世界の魔法使い達の実験動物よ。分かっているのかしら」 「分かっていても使うのがシロウでしょうね」 「……はあ。にしても固有結界の内容が変化しているわ。どうゆうことかしら?」 「雪原ですか。どうもシロウが吸血鬼となった事と関係があるみたいですね」 「やっぱりイデアがらみ? ……ま、今はそんな推測している時ではないわね。もうすぐ士郎の魔力が切れそうだし……」 「ここでいくのですか? まだシロウの記憶が戻っていなければ警戒……」 「いいの。あの女に一杯食わせてやりたいし、第一士郎が心配だしね」 「分かりました。行きましょう」  それはまるで神話の一ページみたいな光景。  紅に染まる空と回る歯車。鬼神と志保の対決は彼女の心象世界で決着が行われていた。  空とは対象的な白い雪原を踏みしめ、志保は剣群を次々と鬼神に叩きつけていた。すでにその数千を超えた。  だが、鬼神は未だに倒れない。殺到する剣の五割は鬼神の張る障壁に阻まれ弾き返される。残り三割が障壁を貫通するも突き刺さるのみにとどまる。そして残りの二割がやっと鬼神の肉を削ることができるのだが、二百を超える剣を受けて尚、鬼神は倒れないのだ。  すでにハリネズミ状態の鬼神。でもいまだ不倒。 「はあ————このぉぉぉ!」  志保の咆哮を受けて虚空の歯車が回転数を上げる。同時に装填される剣の数が増え、鬼神に襲い掛かる。  だが、決定打が打てない。このままではやがて魔力が尽きて固有結界の崩壊、そして志保も倒れる。 「フ……フフフ。アハハハハ! 焦って損したわ。確かにけったいで大層な術を使いはる。そこいらの鬼ども相手やったら敵なしやろなー。でもスクナの力の前ではそれも無力や。残念やったな」  ハリネズミの鬼神で唯一そこだけスペースが空いている肩の上、天ヶ崎千草が嗤う。 「さあ、スクナ。早速仕事や。そこの女の子を軽く撫でてやり。ま、死なん程度にな」  鬼神に命を下す千草。  けれど、命を下された鬼神は動こうとはしない。 「? どうしたんやスクナ、動けへんのか?」  確かに二百を超える剣に上から下まで貫かれて無事な箇所はほとんどないのだが、この程度で動けなくなる鬼神でもないはず。だったら何故? 「おあいにく様。私がちょっと祭壇に細工させてもらったわ」  鮮やかな声が志保の後ろから聞こえた。  振り向けばそこには紅いスーツで身を固めた黒髪の美貌の魔術師と、蒼い衣と銀色の鎧を纏った可憐な剣士がいた。  志保は二人の名前を知っている。当然だ。今まで忘れていたのが嫌になるくらいだ。 「遠坂。セイバー」  親愛の情を込めて二人を呼んだ。 「その様子だと、記憶は戻ったみたいね。固有結界を展開したせいかな?」  遠坂がそう言って、こっちに近づいて来た。  黒髪が歩くたびうねる。紅いスーツに包まれた体がネコ科動物みたいなしなりを持つ。で、近づくと遠坂は私を上から下までマジマジと見つめる。 「ちょ、ちょっと遠坂!? 何をしているのかな」 「ん? 観察。女の子になった士郎がどんなものかなーって。……むう、銀髪に金目か。通常時は白髪に赤眼……吸血鬼しているわねー。でも……」  ——ぎゅ 「ふえ? と、遠坂!」  抱きしめられた。今は遠坂の方が上背あるせいで顔に胸が当たっている。その上撫でられているし……。 「可愛いわー。そんな趣味はないつもりだけどこれなら宗旨替えしてしまうかも……」  おいおい、今はそんな場合じゃないと思うのだが。 「遠坂。今は……」 「分かってる。でも大丈夫よ、アレはもうただのデクノボーだから」  どういうことだ? 「な、なんでスクナが動かへんの……遠坂はん…あんた、何しはった…」  上で天ヶ崎が噛み付くような表情で遠坂を睨みつける。 「別に大したことはしていないわ。その鬼神を呼び出すための祭壇の術式にちょっと割り込みをかけただけ。それだけでその鬼神はそれ以上岩から出ることはできないし、動くこともできない」  出来の悪い生徒に授業をするようにピッと指を立てて解説する遠坂さん。不敵な笑顔が実に素敵です。 「……裏切りどすか……卑怯な」 「別に裏切ってないわよ。あなたとの契約は4月24日まで。で、今はというと、セイバー?」  遠坂がセイバーに話を振る。振られたセイバーも懐中時計を取り出し、時刻を読み上げた。 「午前0時を十五分ほど過ぎました。もう25日ですね」 「つまり、あなたとの契約も終わりってこと。その後で鬼神を倒そうが、あんたをぶっ飛ばそうがお構いなしってこと」  うわー、凄い詭弁。まるで子供の言い訳みたい。でも、それに有無を言わせない雰囲気を遠坂は持っている。  あまりのことに後ろにいるネギ先生たちも呆けてしまっている。 「が……く、でもそんなに簡単にスクナを倒せますかえ? この通りそこの嬢ちゃんの剣が何本刺さってもびくともしておらへんえ」  天ヶ崎がもうほとんど悔し紛れでそんなことを言っている。別に倒せなくとも再度封印できればいい。動けないならせめて応援がくるまでの間そのままにしておけばいい。  手は……『壊れた幻想』が残っている。でもこの状態では非常に危険。爆発が強すぎてみんなを巻き込む。今やると、周囲十数キロが更地になる。  けれど、そこに遠坂は 「やってやろうじゃないの」  なんて言ってくれます。 「遠坂!」 「(ごめん、でも倒す必要はあるのよ)」  すぐ傍で遠坂が小声で話しかけてくる。 「(なんでさ。動けないんだろ、だったら……)」 「(うん。でもこれは一時的みたい。思ったより大物で後三十分もすれば再起動しかねないわ)」  それほどかこの鬼神は。 「(で、士郎、固有結界あとどのくらい張ってられる?)」 「(剣を創らなければ後十五分が限界)」  もう今も世界が収縮を始めている。最初は私を中心に半径三百メートルだったのがここまでで五十は縮んだ。 「ふーむ。セイバー、宝具は当然使えないわよね」  今度はセイバーを見やる。 「ええ、残念ながらあのクラスの幻想種を倒す出力は出せません」 「むう。ねえ、そこの君たち、あのデカブツぶっ飛ばす良い手持ってない?」  軽く考え込んだ遠坂、今度はネギ先生と明日菜(+カモミール君)に声をかけた。 「あ、え……はい、すいませんけど僕達には」 「あったら苦労してないわよ!」  遠坂に声を掛けられて戸惑った様子で返すネギ先生と、最初からなぜかけんか腰で返す明日菜。何故? 「手詰まり……っすか?」  カモミール君の諦めの声が聞こえる。  でもここまで来て諦めるのは嫌だ。きっと何か手があるはず。考えろ、鬼神を倒すにはセイバーの宝具クラスの武器が必要。でもセイバーの今の魔力では無理。聖杯戦争が終わった今、セイバーを現界させているのは遠坂の魔力。そんな状態では宝具の使用は無理だ。精々今のように武装化するのが精一杯。  一方の私。まだ少し固有結界を張っていられるが、私の剣では決定打を打ち込めない。そして遠坂もこうして聞いてくるということは手はないのだろう。  ネギ先生や、明日菜のアーティファクトもここでは……ん? アーティファクト? そういえば私のアーティファクトは……でも魔力が足らない。 「遠坂」 「うん? 何」 「一つ手がなくもない」 「え、本当?」「まじっすか」「志保?」  みんなが勢い込んでこっちに迫る。 「え、え。まあ、でもそのためには私の魔力が足らないのだけど」 「だったら、今姐さんに魔力供給している兄貴の魔力を衛宮の姐さんに移せば……」  カモミール君がそんな事をいうけど、それは無理だ。 「いや、いまネギ先生に負担はかけられないよ」  ネギ先生は今石化の魔法で今尚石化が進行している。もう右腕全体が石になっている。大見得を切った手前もあり、ここで負担はかけられない。 「……僕なら大丈夫です。衛宮さんは気にせずに」 「ダメだ。ネギ先生は大人しくしていなくちゃいけない」  身を乗り出すネギ先生を抑える。 「ともかく別の方法を。遠坂、何かないか?」 「……ねえ、衛宮くん?」  …………この感じは、もしかすると。  遠坂のいる方向に振り向く。  そこに久々に見た『あかいあくま』がいた。——って、なんでさ。なんでそこで遠坂が怒らなくてはいけないの? 「聞いているとさ、そこのネギ君と衛宮くん何か契約を交わしているみたいね」  ——あ。 「おうさ、紅い姐さん。衛宮の姐さんと兄貴は仮契約の口付けをかわしているんでさぁ」  この状況にさらにトドメを刺してくれるオコジョ。  あ、セイバーまで妙にひんやりとした空気を纏って…… 「そう、私がいない間にそんなことになっていたんだ……良かったわね志保、可愛い男の子とキスできて」  ——ニッコリ  今、私は死んだ。死んでまた生き返ったよ。  年々このコロス笑みに磨きがかかるなー。後ろではネギ先生達引いちゃっている。カモミール君は「ひぃぃぃ、これが本家!?」などと失礼なことを言ってくれます。 「ま、本当に時間もないことだし、これ以上遊びはなし。しろ、いえ志保、ちょっと」  ネギ先生の手前、『士郎』とは呼びにくいのか『志保』で呼ぶ遠坂。もちろん拒否はしない。目は真剣だし、本当になにか手はあると思うのだから。 「志保、あなたの手は魔力さえあればどうにかできるのよね?」 「ああ、でもかなりの魔力を使うと思う」 「具体的には?」 「そうだな、聖杯戦争のときにセイバーが宝具を使うくらいか」 「なら、どうにかなるわ」 「む? どうする……ん!?」  口付けされました。はい。遠坂とです。  上背があるため私がまるで遠坂に食べられる気分になる。しかも、舌まで入れてくるのだ。 「……ふう。やっぱり変わっているせいで感触が全然ちがうわねー。でも、これはこれで……」  口が離れる。遠坂はそんなことをのたまいながら離れる。この光景を見ている明日菜とネギ先生は顔を紅くしている。カモミール君にいたっては「おおっ!」と興奮している。 「どう、パスを復活させたのだけど?」 「え? あ、ああ。うん大丈夫。繋がりは確認できた」  遠坂がやったのは私がこっちの世界に来たときに切れた魔力などを繋げるパスを復活させたことだ。一度強固に繋げたパスは例え切れても、このように簡単に繋げ直すことができるのだ。 「いけそう?」 「ああ、これなら」  遠坂からの魔力が流れ込んでくる。結界の維持は続けて、ポケットからカードを出す。 「それは?」 「ああ、これは……」 「むむ! 仮契約カードっすか。衛宮の姐さんのアーティファクトは確か……」 「ふーん、それが契約の証なんだ……」  カモミール君の言葉に再び白い目を向けられる。いや、事故なんだって。  ともかく、雑念を切る。 「来れ[アデアット]」  手に現れるそっけない素体状態の『剣』。それに再び解析の目を向ける。  ——やはり。 「みんな。離れて。後はどうにか出来るから……」  『剣』を手にして、一歩鬼神に向かう。 「本当にできるのね」  遠坂の声。 「ああ」 「シロ、いえシホ。信じております」  セイバーの声。 「ああ」 「志保、ぶっ飛ばしちゃいなさい!」  明日菜の声。 「衛宮の姐さん、グッドラックっす」  カモミール君の声。 「衛宮さん、気をつけて」  そしてネギ先生の声。  みんなの声を受けて、私はまた鬼神と向かい合う。  上にはニヤニヤ嗤っている天ヶ崎。いいさ、好きなだけ笑うがいい。  剣の突き立つ雪原の大地を踏みしめ、私は今度こそ幕を下ろすべく鬼神と対峙した。 やることはシンプル。これからこの世界にある剣の設計図を自分の持つ『剣』に写し取るだけ。  その剣はこの世界にありながら私では扱えない代物。これが振れるのは本来唯一人。けれど許されるなら、今一度私にかの聖剣を!! 「剣鍛装填[トリガー・オン]」  呪文の撃鉄を落とし、装填された魔力を撃発させる。  固有結界内にあるその設計図を『剣』に流し込む。  このアーティファクト『ハジマリノツルギ』はカモミール君が言うように所持者のイメージ通りの武器を刀剣類に限って写すものだ。  で、私のような贋作者が持つと、その贋作を忠実に写す。ただ、元になった神秘が高すぎる場合、限界はある。これから写すものがいい例だ。  けれどそれも通常時。この固有結界内。剣に特化した世界のなかならそこに到達できる。何故ならこの『剣』は剣の根源ともいうべきものだからだ。  全ての『剣』の原典にして原点。人が初めて持ったツルギ。これがこの『ハジマリノツルギ』。故に本来写せない剣なんて存在しない!  魔力を込め、27の鉄槌で鍛え上げる。出来上がるのは…… 「黄金の剣……?」 「あれは、私の……」  右手に現れるのは黄金の剣。人々の願いの結晶。貴い幻想[ノーブル・ファンタズム]の内でも最高位。  星の光を集めて鍛えられた神造兵装。私がそれを振るうのも畏れ多い。けれど、今目の前の敵を討つために力を貸して欲しい。そう願い、剣を上段に構え、 「——っ!! がぁ!」  魔力を込めるのだが、トンでもない量が持っていかれる。量的には充分のはずだが、意識も刈り取られそうだ。  魔力を剣が吸収していく。その度、剣の輝きが増していく。 「な、今度はなんどすえ!? というか次から次にとあんたはほんま何者や!」  天ヶ崎の絶叫が聞こえる。  剣の輝きは極光となっていく。もう充分だ。後は真名と共にこれを放つだけ…… 「ぐっ!」  上段の構えから腕が動かない。魔力がまだ吸い取られていく。まずい、足も立たなくなってきた。た、たおれ、 「大丈夫ですか、シロウ」  倒れなかった。支えてくれたのはセイバー。この剣の本来の担い手。やはり、剣は人を選ぶんだな。 「ああ、魔力はもう装填してある。後はぶっ放すだけだ」 「では、一緒に……」  手甲に覆われたセイバーの手が私の手に添えられる。む、若干セイバーの方が背高い。遠坂はおろかセイバーにまで身長に負けるとは……場違いながらもそう思ってしまう。 「シロウ?」 「……いや、なんでも。じゃあ、やろうか!」 「はいっ!」  振り上げた極光纏う剣を真名と共に振り下ろす。 「「約束された[エクス]——! 勝利の剣[カリバー]ーー!!」」  極光が放たれた。  固有結界を切り裂き、舞台を切り裂き、湖を裂き、そして鬼神を真っ二つに切り裂いていく。鬼神の障壁はかの聖剣の前には紙も同然だった。  触れるもの全てを切り裂く究極の斬撃。そのあとに尾を引く光の帯が見る者にとって、全てを光に飲み込んでいくように思わせた。  ここに決着はついた。大鬼神リョウメンスクナの力でもって関東魔法協会の脅威になろうとした天ヶ崎千草の野望はここについえた。 「む、無茶苦茶っていうか」 「とんでないっすね」 「そ、そうですね」  衛宮さんが展開したと思われる『世界』が雪のように千切れて消えていく中、リョウメンスクナも消えていっている。あの光を受けて体がほとんど残っておらず、湖に落ちていくのは腕ぐらいしかない。  明日菜さんとカモ君そして僕もあの剣による光の前にただ呆然となっていた。  ——エクスカリバー。  ブリテンの人間にとって、いえ、確かこの日本でも若い人を中心に知名度がある聖なる剣。騎士の王様が手に執り、切れぬものない名剣。  衛宮さんのそれがあの聖剣だというのだろうか?  そう思っているうちに、あの沢山の剣があった『世界』が消え去り、僕達が立っている場所も元通り湖にかかるはしけに戻っていた。  ——ドタ 「シロウ、ああ、いえシホ!!」  衛宮さんと一緒に剣を振るったセイバーさんと呼ばれる人が声を上げた。 「志保! ああもう、無茶してくれるわあんなものもって来るなんて!!」  倒れる衛宮さん。駆け寄る遠坂さん。その様子は一昨日、僕たちの前に現れたときよりも印象が柔らかく感じる。  僕も当然、先生として友達として彼女のことは放っては置けない。石化はまだ進行しているけど、構うもんか。 「衛宮さん! 大丈夫ですか!」  駆け寄ってみれば、彼女の髪は元のように白くなっており、目は閉じているけど多分瞳の色も戻っている。  右手にはあの聖剣……ではなく、そっけない鉄の棒に戻ったアーティファクト。それもすぐにカードに戻った。 「ちょっと、ボク? 診察の邪魔なんだけど」  衛宮さんの胸に手を当てて、様子を見ている遠坂さんに怒られる。けれど、譲れないところはあるんだ。 「でも、衛宮さんは僕の生徒なんです。放っては置けません」 「生徒?」  怪訝そうな顔をされた。 「兄貴はな、学校の教師をしているんだぜ。で、衛宮の姐さんはその生徒っす」  代わりにカモ君が答えてくれたが、遠坂さんはますます怪訝な表情をしている。——うう、分かっていたけどそんな表情をされるのは辛い。 「……志保がどんなところで暮らしていたか分からないけど、とんでもない場所だったというのは分かるわ」  呆れるような声と一緒にため息をつかれる。はうぅ。 「ねえ、志保はどうなっているの? このまま目覚めないなんてことは」  アスナさんが遠坂さんにちょっと強引に話を聞こうとする。何でかアスナさんは遠坂さんに不機嫌さを隠そうともしていない。どうして? 「慌てないの。志保の今の状態は単なる魔力切れよ。前と比べてバカみたいな魔力量を持っているけど、流石に固有結界とエクスカリバーを使ったとあっては倒れるわ。セイバー、運んでくれる?」 「もちろんです。ですけど今のシホは軽い。凛でも担げますが、どうします?」 「……いいわ、私が背負うことにする。セイバーは周辺の警戒をして」  遠坂さんが顔を紅くしながら衛宮さんを背負います。なんかこうしていると仲のいい姉妹に見えますね。  ここでも狂乱は終わりを見せる。 『ふむ。どうやら勝負あったみたいやな』 『あんたら勝ちや。どうする? ねーちゃん』  妖怪たちは大鬼神が光の帯と共に消し飛ぶのを見て、事態の趨勢を知った。彼らは知性のない獣ではない。必要とあれば容赦はないが、力の振るう時を弁えている。そして退くときも知っている。  彼らの数は当初の150を大幅に下回り、手で数えられるほどにまで数を減らしていた。 「こっちも助っ人なんでな。そっちが退くなら戦る理由はない」  妖怪に問いかけられたガンスリンガー・龍宮真名はクルリと手に持つ拳銃を回す。彼女の体には何箇所か目立つ切り傷、裂傷があるがいずれも軽く、実質無傷に近い。 「もー終わりアルかー。暴れ足りないアルね」  龍宮の今回の相棒、拳士・古はまだまだ暴れ足りないというように不満を口にするが、終局する事態を受け止めてもおり、だからこそ名残惜しむ。さっきまでの心おどる戦いの時間を。 「お前はどうなんだ? 神鳴流剣士」  龍宮が妖怪たちとは別の影を見やり問いかける。  ファンシーな服のあちこちが破れ、それでも目立つ傷のない二刀流の剣士・月詠は龍宮の問いに一瞬考える表情を見せる。 「そうですねー お給料分は働きましたし、センパイと戦えへんかったのは残念ですけど」  でも、と言い月詠は邪気のない笑顔を浮かべる。 「ウチも帰りますぅー。刹那センパイによろしくお伝えください、拳銃使いのお姉さん」  ペコリと一礼。夜の向こうへと消えていった。 『ほななー嬢ちゃん達』 『なかなか楽しめたぞ大陸の拳法使い!』 『さっきの坊ちゃん、嬢ちゃん達にもよろしゅうなー』  妖怪たちが霧になっていく。この世界に喚ばれた目的は果たされた。彼らはただ『還る』だけ。今までやられた妖怪も『還る』だけ。ならば楽しんだもの勝ちということ。彼らはこの狂騒に呼ばれた一夜の客だったのだ。 『久しぶりに愉快やったわ。今度会った時は酒でも飲もう』  だからこの騒ぎも彼らにとって一時の宴会みたいなものだった。 「ふ……私達はまだ未成年なんだがな」 「結構いい人(?)達だたアルね」  顔を合わせて笑いあう龍宮と古。もう、この場には彼女たちしかしかいない。後には祭りの後のような寂しさが残った。  目を開ければ背負われていた。 「うむん?」 「あ、目が覚めた? 志保」  背負っているのは予想に反して遠坂だった。遠坂の艶やかな黒髪に顔を埋めていて、わずかに香水の匂いもする。 「え? おれ、いや私は……?」  妙に大きく感じる遠坂の背中の上、動揺でパタパタと手足動かしている。 「ほら、暴れないの。魔力枯渇で倒れたのよあんた。まったく今回も無茶してくれるわ」 「まあまあ、シホは今回大活躍やったそうだしー」 「志保殿の勇姿は遠くからではあったが拝見したでござるよ」  周りを見れば木乃香や刹那、龍宮に古さん、なぜか楓や綾瀬さんまでいる。  場所はあの舞台から続くはしけ。そこをみんなで歩いている。 「え? え? 遠坂、なんでこんな状態なの?」 「そこは私が弟子のために説明しようか」  真後ろから声。かなり聞き覚えのある。でも、ここでは決してない声。 「師匠?! どうしてここに? 確か呪いがあって学園から出られないはずじゃあ……」 「それを含めて説明しようというのだよ『我が弟子よ』」  フリルの多いワンピース姿の師匠が意味ありげに遠坂を見る——あ。 「その、遠坂、これはだな。この人は……」 「うん、話は聞いているわ、志保。後でそこの『ロリ師匠』さんとゆっくり話し合いましょうね」  わー、ひょっとして会わせてはいけない人を会わせたのではないだろうか? 方や魔法使い一歩手前の『あかいあくま』。方や六百年以上を生きる吸血鬼の『くろいあくま』……それを立ち会わせてしまったのは他ならない私だ。 「うむ、賛成だな『年増師匠』? 後でゆっくり話をしよう」  わ、そこで神経逆撫でするこというか師匠? 「…………」 「…………」  睨み合う師匠二人。——ルヴィアの時もそうだけど、なんで私の周りの女性陣はみんなこんな人たちだけなんだろう? あ、茶々丸さんがいた。 「すまないけど、茶々丸さん。状況を教えてくれない?」 「了解しました」  睨み合う師匠二人をよそに、この状況の説明をしてくれる茶々丸さん。  私が魔力枯渇で倒れた後、私を狙って生きていた白髪の少年が、攻撃を仕掛けてきたのだ。それを横から吹っ飛ばしたのが師匠。  なんでも師匠の呪いを無力化するために複雑高度な儀式魔法の上に『修学旅行は学業の一環である』という許可証に学園長自らが五秒に一回絶えず押し続けているとか。————学園長、死んでしまわない?  で、事態はそれで終わらず、今度はネギ先生にかけられた石化の魔法が侵食悪化。最悪窒息死ということになった。  師匠は見た目通り治癒系の魔法は苦手だし、遠坂は異世界の石化魔法に手も出せない状態だった。そこを救ったのが木乃香。彼女の強力な魔力と治癒の能力。それをネギ先生との仮契約で引き出し、解術したのだとか。  しかも治癒の力はネギ先生だけに及ばず、他の傷ついたみんなも治してしまったとか…む。私は吸血鬼で体に傷はないため治されたって気にならない。ちょっと残念だ。 「志保さん」  声がして横を見ればネギ先生が隣を歩いている。その右腕はもう石ではない。 「あ、もう大丈夫ですかネギ先生」 「ええ、このかさんのお陰で。志保さんこそ大丈夫ですか?」 「こっちはただの魔力切れです。無理しなければ回復します」  なんかネギ先生が少し眠そうだ。そういえばもう夜中だからな。いくらしっかりしていても10歳であることに変わりはないか。ん? そういえばいつの間にか『衛宮さん』から『志保さん』になっている。ま、いいか。 「遠坂、もう下ろして大丈夫だ」  師匠と睨み合っている遠坂に声をかける。 「え、無理はしないでよ」  背中から下ろしてもらう。うん、一瞬ふらつくけどそこは吸血鬼。なんとかなるものだ。  今度は私がネギ先生に背中を向ける。 「ほら、ネギ先生。眠いのですよね。本山までおんぶしましょうか」 「え、いえ、でも」 「子供は寝る時間です。大人しくしていてください」  やや強引にネギ先生を背負う。む、魔力が乏しいせいで吸血鬼の身体能力が顕現しない。重いネギ先生。けれどその重さもまたいいかな? あ、遠坂そんな「また無理をして」という顔はしないでくれ。 「あう、すいません」 「いいって。あ、明日菜に悪い事したかな?」 「あ、え? その……」  明らかな動揺を見せるネギ先生。幸運なことに明日菜は刹那や木乃香と話していてこっちの様子に気がついていない。 「その、ありがとうございました」  唐突なネギ先生からの言葉。 「何がです?」 「その、助けてくださって。一言お礼が言いたかったんです」 「ん、そうか。でもそうなるとお礼は私だけじゃなくてみんなに言わなくちゃいけないな」  ここを歩いているみんなは大なり小なり今回の事件を解決に導いた功労者たちだ。私はたまたま美味しいところを持っていったに過ぎない。例え、私が駄目でも、師匠が控えていたみたいだし、これは偶然だろう。 「はい、みんなにいいます」  背中のネギ先生は素直に答えを返してくれた。そう、今夜のお祭りみたいな大騒ぎはきっとみんなが騒ぐだけ騒いだ結果なのだろう。心なしか、本山へ向かう私達はお祭り帰りの家路につく家族を思わせた。 天ヶ崎千草は森を走っていた。  ——ハアッ ハアッ  胸を焼く息。すでに走り始めて数十分。気で強化した身体能力とはいえ、限界が近くなっている。  でも、今夜中にこの場所から逃げ切らないと未来はない。その恐怖だけが彼女を突き動かしていた。 「くっ、あんな化け物が出てくるとは、しかもあの女ッ!」  千草の野望はジョーカーとも言うべき存在に砕かれてしまった。  『異界』を創造する衛宮志保と名乗った魔法使い。そして、当初彼女の一味に人数合わせで入っていた正体不明の魔法使い遠坂凛とその従者と思われるセイバー。この三人のせいで野望の結晶、リョウメンスクナは滅ぼされてしまった。 「しゃない。一度逃げて仕切りなおしや」  そう、この身さえ逃げ切れればどうとでもなる。似たような窮地は歴戦の符術師千草には何度か経験のあることだ。逃げ切れ『さえ』すれば幾らでもやり直しが利く。 『オ前……悪人ダナ……?』 「!?」  そう、逃げ切れ『さえ』すればの話だったが、それを許すほどエヴァンジェリンは甘くなく、その従者のチャチャゼロも甘くなかった。 「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」  切り裂く音。  森に悲鳴が響いた。 「最近ハウチノ御主人モ妙ニ丸クナッチマッテ、ツマンネーンダガナ」  朝の差し込む森の中、地面に突き刺さる自分の得物である大鉈に座ってぼやくチャチャゼロ。すぐ下には気絶する千草。 主人であるエヴァンジェリンからは『捕殺』ではなく『捕縛』を命じられていたため不満気味のキリングドール・チャチャゼロは朝日を見上げて応援の部隊を待つことにした。  修学旅行もあと一日。全てが解決した四日目の朝が始まっていた。  出席番号32番 衛宮        第15話 交錯からの螺旋 「いやー、またまた大変だったねー」  四日目を迎えたホテル嵐山。私たち以外誰もいないその廊下に朝倉の声が響く。  カモミール君を肩に乗せた彼女はヤレヤレと手に持った『身代わりの紙型』を束でヒラヒラさせる。 「全くだぜ、姐さん達の身代わりがストリップショーを始めてた時にはどうしようかと思ったけどよ……」 「やめてくれ、思い出したくもない」  大広間で展開されたあの光景は目の毒とかそういうのを超越していた。他のみんなの身代わりに混じって、私の身代わりが浴衣をはだけて妙に艶っぽい視線でみんなを見ていたのだ。はっきり言って悪夢以外何物でもない。  どうにか朝倉とカモミール君の尽力で丸く収まったが、みんなの記憶には残るのだ、頭が痛い。 「でも昨日はもっと大変だったんでしょ、カモっち、エミヤン?」 「そうだねー、昨日が一番大変だった」  昼はシネマ村でセイバーとチャンバラ、夜は妖怪軍団の相手をして、トドメにあの大鬼神とくるのだ。魔力がいくらあっても足りはしない。 「まあ俺の機転で辛くも難は逃れたがな、その話はオイオイしてやるぜ」  渋くそう言ってタバコをふかすカモミール君。確かに助かったけど、ホテル内は禁煙じゃなかったか? 「みんなは寝てんの? 修学旅行の昼間っから?」 「あれの後じゃ仕方ねえさ」 「そうだね、正直言って私も眠りたい」  5班のみんなは部屋で布団を広げて横になっている。  現在魔力が半分も回復していない私もみんなと一緒に眠りたいのだが、やらなくてはいけないことがどうしても出来ている。今日も自由行動だ、行動に支障はないはず。 「朝倉さーん、班別の記念写真しっかりお願いねー」  後ろから源先生が声をかけてきた。 「はいよー、わかってるってしずな先生」  源先生の声ににこやかに答える朝倉。 「何の話だ?」  源先生が廊下の向こうに姿を消した後、カモミール君が朝倉に聞く。確か、記念写真とか言っていたよね。 「私には私の仕事があるのさ」  そう言って朝倉が取り出したのはいつも使っているデジカメではなく、やや古い型のフィルム式のカメラ。さらにいつの間にか『3−A撮影班』という腕章までつけている。 「がんばってね、こっちも用事があるから……班のみんなにあったらよろしく」  二人(一人と一匹がより正確)にそう言って、正面玄関に向かう。一応師匠には行き先を伝えているが、他のみんなにはまだだったはず。 「用事っすか?」 「うん、とても大事なんだ」  そう、とても大事な用が今日はある。  遠坂とセイバーに事情を説明するという重要で大事な用事が。「そう、士郎は士郎で大変だったみたいね……」 「ああ、色々とね」 「(パクパクパクパクパク)……すいません、抹茶ケーキのお代わりを」  遠坂とセイバーとの話し合いの場所は京都市内の和風菓子が美味しいと評判の和風喫茶店『アーネン・エルベ』。和風なのに屋号がドイツ語というのはどうだろうと思うのだが、評判は確かのようで注文した抹茶ミルクセーキと栗金時はすごくおいしい。セイバーなんて現在三皿目の注文をしている。  今日の遠坂とセイバーの服装は、遠坂はパンツルックからタイトスカートをはいてどこかのOL風。セイバーは清楚な長袖の白いワンピース姿。ちなみに私は制服にポニーテールの髪。 「士郎が全寮制の女子校に、ね。聞いているとそこの近衛近右衛門という学園長、喰えないジイさんね……」 「まあ、関東魔法協会という組織の理事らしいからな。時計塔のお偉方みたいに陰険ではないけど、喰えなさ加減ではいい勝負だよ」  ここまでで大分お互いの近況を話した。  私があの死徒に飲まれて、こっちの世界に落ちて間もなく、遠坂たちは依頼主である聖堂教会に報告して見返りに原因となった死徒についての詳細を聞くことが出来た。  どうやらあの死徒は遠坂の大師父・ゼルリッチが所持していた魔術礼装が変質したものが正体だと知り、私が平行世界に飛ばされたと確信した遠坂はその手段を作ってこっちにやって来た。  ただ、どうも座標がずれたらしく、こっちの世界の通貨もないため活動費を稼ぐために天ヶ崎に雇われたというのだ。 「遠坂、いくら払いがいいからってあんな事の片棒担ぐなんて……」 「ゴメン士郎。仕事内容をよく確認していなかった」 「私からも謝罪させて下さい。知らぬこととはいえ士郎に刃を向け、あまつさえその腕を斬ってしまったのですから」  遠坂とセイバーが仲良く頭を下げてきた。  周りの客は何事かとチラチラこっちを見ている。 「わわ、いいって二人とも。顔を上げて、ホラ、腕だってもうなんともないんだし」  プンプン腕を振って大丈夫だとアピール。  遠坂はその様子に顔をあげて訝る表情を見せた。 「そういえば、セイバーから聞いたのだけどあんた今、吸血鬼だって? ひょっとして死徒に噛まれたの?」  かなりその表情は真剣だ。セイバーもその話を聞きたかったようで、ケーキを食べる手を止めている。 「それなんだけど、記憶はほとんど戻ったのだけど『そこ』だけがまだ分からないんだ。気が付いたら今の状態だから」  なぜ、女の子になっているのかも含め、この辺りの記憶はない。死徒に飲まれてから、麻帆良学園にくるまでの間に何かあったとは思うのだけど……。 「……その辺りのことはおいおい考えていきましょう。士郎、正直に答えてね。あなたの今の吸血鬼としての状態を教えて」  遠坂が話しを変えてきた。どうも私の体の状態も知りたいみたい。 「あ、ああ。そうだね、太陽はごらんの通り克服しているみたい。日に当たっても違和感はないよ。流水は試していないから分からない。後、血を吸っても吸血鬼としての症状は出ないな、衝動もかなり薄い。今は魔力が少ないからさすがに渇きを覚えているけど、人としての日常生活に支障はないよ」 「…………とんでもないスペックね、それ。あんたさひょっとして吸血鬼としての才能があったんじゃない?」  かなり嫌な才能があったものだ。  でも、確か吸血鬼というのは噛まれてから一度死んで、グールとかから段階を踏んで吸血鬼になると聞いたことがある。でも、私の場合はいきなりだ。 「イデアに子を残す能力があるのかは分かったものじゃいけど、士郎が女の子になって吸血鬼になっているのは間違いなくイデアのせいね」  時計塔の上層部を通して聖堂教会から私たちに依頼された仕事の内容。  数百年前に消滅が確認されたはずの死徒27祖のロストナンバー19位・イデアの討伐に協力すること。私達に依頼が回ってきた経緯はかなり複雑なため省くが、破格の報酬と見返りに遠坂が乗り気になって私とセイバーがそれに引っ張られていた。  教会の騎士団と共に現地に赴いたのだが、結果は討伐失敗、騎士団は真っ先にやられ、生き残った私達はこのことを伝えるために逃げたのは良かったのだけど、遠坂をかばって飲み込まれ、今に至っている。 「そいつ、こっちの世界に来ているのかな?」 「多分ね。ただ、もうこの状況じゃあ討伐だとかいっていられないわ。それに、異世界まで責任は持てないしね」  遠坂の話を聞きながら、姿のない死徒のことが私は何故か気になっていた。 「それで、これからのことなんだけど……」  話はいつしかそこに向かっていた。 「ああ、やっぱり元の世界に帰るんだろ?」  姿こそ変わってしまったが、この身は『衛宮士郎』だ。どこかあり方が私と似ているネギ先生のいく末と、師匠のことが気になるけど元の世界に残した桜やルヴィアさんのことも気になる。私が今の状況なのはイレギュラーなのだ。あるべき場所に戻らなくては。  でも、遠坂は渋い顔をしている。 「それなんだけど、当分元の世界に帰ることは無理よ」 「なんでさ。遠坂だったら帰りの分も用意しているだろ」  遠坂は今回の事態の遠因ともなった大師父の宿題である『宝石剣』をほぼ終わらせて、魔法使いの領域に片足突っ込んでいる。ま、そのために私が色々と狩り出されたのは言うまでもない。  だから限定的に第二魔法の行使も可能として、現にこうして遠坂とセイバーはこの世界に居る。彼女の事だ平行世界間の移動の際、必ず行きと帰りの用意は済ませているはず。それがなんで無理なのか? 「昨夜のエクスカリバーの魔力。どこから来たと思っているの?」  ——あ。  私がセイバーと共に放ったあの極光のための魔力はラインを通じて遠坂から供給されたもの。だったら……  こちらの表情の変化を見た遠坂がスーツのポケットから虹色に輝く宝石をだした。鍵の形をしている。 「この通り『宝石鍵』の魔力もすっからかん。新しく作らなくてはいけないの」  『宝石鍵』遠坂が大師父の『剣』を参考にして作った『鍵』。ただ、使用回数に制限がある使い捨ての平行世界への鍵。今遠坂が出したのも神秘が抜けてしまったただ綺麗なだけの石になっている。 「なあ、それを作るのに一体どれくらいかかるんだ?」  遠坂は宝石鍵を作ったことは過去に一回しかない。その時は共同研究者であったルヴィアさんの出資で費用は賄えたけど、今はアテのない異世界にいるのだ。いつ帰れるのやら。 「そうね…資材が揃えば一ヶ月で出来るけど、問題はその資材や材質をそろえる費用よね……こっちの相場は分からないけどゼロがいくつになるのかしら……」 「そんな大切なものなら供給に回さなければいいのに。他の宝石もあっただろ?」 「——————」  黙りこむ遠坂。まさか、 「うっかりしていたとか?」 「悪かったわね! ええそうよ、あの状況でそんなことにも気が配れなかったわよ! どうせ私はうっかりですよ!」  切れて怒り出してしまう遠坂さん。周りのお客さんも今度はヒソヒソ話だした。  その横でセイバーはというと、 「これなんかいかがでしょうか? エヴァンジェリン」 「『抹茶ソーダ』か、何か綾瀬夕映がいつも飲んでいる奇天烈なジュースに似た雰囲気があるな」 「ではこの『和風パフェ』はどうでしょう?」 「ふむ、ではそれを所望するとしよう。おいそこの給仕」  師匠と一緒になってデザートを楽しもうとしています。  ——む? 「わぁ、師匠! いつの間にそこにいたんですか?」 「ごあいさつだな志保。せっかく京都にいるのだ観光しない手はあるまい? ついでにお前の様子も見ておこうかと思ってな」  楽しそうに指を立てる師匠。あの妙に色気とフリルの多い黒のワンピースの代わりに今は制服を着ている。セイバーとは反対の隣に茶々丸さんも控えています。 「出たわね、吸血鬼」  遠坂がほとんど敵を見るような目で師匠を睨む。師匠は師匠でそんな視線もどこ吹く風で受け流し、やってきた和風パフェに舌鼓を打っている。 「そう殺気をばら撒くものではないぞ、ボーヤたちも来ているのだから」  行儀悪くスプーンで後ろをチョイチョイ指した先の席にはネギ先生をはじめとした5班のみんなプラスで先ほど別れた朝倉までいる。 「ねえねえ、あの美人、エミヤンの何? お姉さんにしては髪とか顔だちは似ていないし……」 「それでしたら、むしろ金髪の子の方が姉妹っぽいです」 「でも、セイバーって呼ばれているから明らかに外国の人だよ」  みんなこっちを見て興味津々といった様子。話し声がここまで聞こえる。  確かに一般人も含むこの場所で視殺戦はマズイ。遠坂はそのことを悟ると今度は妙ににこやかになって師匠と対峙する。出た、ここしばらく見ていなかったけど猫かぶりだ。 「コホン。——私がいない間、志保は貴女のお世話になったそうですね。志保の保護者兼『師匠』としてお礼申し上げますわ。ですが私が戻った今、引き取ろうと思うのですけど」  そんな急速変化に師匠も全く動じず、むしろ意地の悪い笑みを浮かべて声量を落として返事をする。 「ふむ、志保を引き取って行くアテはあるのか? 私であれば麻帆良の学園長に紹介することは出来るのだがな。無論異世界出身ということは伏せてだ。腕は立つのだろう? むこうは裏の仕事に関して何時でも人手が不足しているからな。私が身の証を用意するから志保と麻帆良で暮らしてみんか?」  出てきた話は師匠が話しているものとは思えないほどの好条件だ。当然遠坂は怪しむように師匠に視線を向ける。 「で、その見返りに何を要求する気?」 「は、そちらの世界の魔術師は話が早いな。こちらでは妙に善良な魔法使いが多くてな……まあ、愚痴はいいか。条件は二つ。私にそちらの世界の『魔術』に関しての情報と、引き続き志保を私に師事させることだ。割と簡単だろ」 「あの『世界』を見たんでしょ、志保をどうする気よ」 「どうもせん。ただそいつは吸血鬼としての振る舞いがなっていないので私が我慢ならないだけだ。それに志保の持つ『異界』についてだった最初に会った時に知っていた。まあ、表に出せるとは思わなかったが」  こっちにも遠坂の視線が飛ぶ。うう、スマナイ。でも、最初ってことは——ああ、保健室のときか。 「じゃあ、志保から話を聞いていると思うのだけど習うのは『魔術』でいいの? 『魔法』は要求しないんだ」 「無論、お前の『魔法』には興味はあるがな、どうせ教えないだろ。それより『魔術』を知って自力で到達するほうがいいと思うのだが? なんだ、『魔法』を教えてくれるのか?」 「ぐっ」  完全に遠坂を手玉に取っている師匠。見た目に反して彼女は六百年以上を生きている人だ。この程度の駆け引き、お手の物だろう。 「いいわ、その話乗りましょう。ただ、こっちも元の世界に戻るのにいつまでもチンタラしていられないの。資材の調達も手伝ってもらうのを条件に入れてもらうわよ」 「いいだろう。フフフフ、楽しみが増えたな」  本当に楽しそうに笑顔を浮かべる師匠。 「それと! 志保を師事にやるのはいいけど、これは私のだということを忘れないこと」  ぎゅむっと縫いぐるみの様に抱きつかれる。後ろで早乙女さんの「おおおお!」と興奮した声が聞こえたのをはじめ、他のみんなも騒いでいる。 「フッ……『今は』それでいいだろう」  どっかの王様みたいに鷹揚に頷く師匠。でも、『今は』ってなんです?  ともあれ、ここに話は決まった。 「マスター、そろそろ待ち合わせのお時間です」 「む、もうそんな時間か。おい、ボーヤ。そろそろ行くぞ」 「え、はいっ」  茶々丸さんの一言をきっかけにみんなが喫茶店の席を立つ。そういえば詠春さんがネギ先生のお父さんが住んでいた場所を見せてくれるとか言っていたような気がする。そもそも、ネギ先生が京都行きに拘ったのも確かこのためだったっけ。 「しろ、いや、志保も一緒に行ってきたら?」  遠坂がそんな事を言って彼女もセイバーも席を立ち始めている。 「え? でも遠坂たちは?」 「ホテルを引き払って、その足で早速麻帆良に向かうことにするわ。あの女との関係を追及されない内にね。志保はもう少し京都を楽しんでいって」  天ヶ崎の一味に加担していたのを関西呪術協会に悟られないうちに麻帆良に逃げると遠坂は言っているのだ。 「あ、それと。おーいそこの君、ええっと、ネギくん!」  遠坂がネギ先生を呼び止める。 「あ、はい何でしょう遠坂さん」  トテトテ、ネギ先生が呼ばれてやって来る。心配なのか明日菜が後ろについてきている。 「ごめんなさいね。仕事とはいえ、あなたに攻撃して。ここに謝罪するわ」 「私も凛同様に責はあります。申し訳ないです」 「あ、いえ、こちらも志保さんの関係者だったとは知らず……」  それはあの時はお互い記憶はないし、姿も変わっているし分からない状態だったのだ。無理もない。でも、それを一から説明する時間も遠坂にはない。 「そう。じゃ、これはお詫びの代わりに。また会ったときにはちゃんとした形でね」  遠坂の顔がネギ先生に近づく。 「なっ!」「え!?」  唇がオデコに触れた。 「じゃあね、また麻帆良で会いましょう」 「失礼します皆さん。それとエヴァンジェリン、着いたら連絡しますのでよろしくお願いします」  みんなが何かアクションを起こす前に遠坂はさっさと会計を済ませて店を出て行ってしまった。今度会うときは本当に麻帆良でだろう。 「………」 「……なんか凄い人だったね」  残されたみんなは呆然と遠坂が去って行った入り口を見つめている。何かこっちまで恥ずかしい気分だ。だからか、 「は、はははっ」  空笑いしか口から出てこなかった。「やあ皆さん。休めましたか?」  待ち合わせ場所にはすでに詠春さんが待っていた。 「どうもーー長さん!」  答えるネギ先生の声は弾んでいる。  詠春さんは本山で見た神官服からラフな私服に着替えている。片手にはタバコ。それが彼には似合っていた。すぐに娘の木乃香に取り上げられたのだけどね。  喫茶店『アーネン・エルベ』から待ち合わせの場所であるここまで、みんなに質問攻めだった。 「あの美人さんとどんな関係?」魔術の師匠にして付き人兼恋人。 「あの金髪の子とは?」遠坂と私の従者でかつ剣の師匠であり最高の友人。  と、本当のことは言えるはずもなく、遠坂は私の後見人で保護者。セイバーは私の親戚になってもらった。後でつじつま合わせるため麻帆良に帰ったら遠坂に話さないとな……。  師匠にはネギ先生と不慮の事とはいえ仮契約してしまった事を伝えた。意外にも師匠は「構わない」とか言って突っ込んだことは言わなかった。ただ、「本契約は必ず……」とか聞こえたような気がしたけど気のせいだ。うん。 「スクナの消滅を確認できました」 「うむ。御苦労、近衛詠春。面倒を押し付けて悪いな」 「いえ、こちらこそ」  目的地に徒歩で向かいながらの詠春さんと師匠の会話。  皆の知らないことだけど、あの鬼神を仕留めたのは師匠ということになった。異常な魔法を振るう吸血鬼。それだけでもマークされるのに十分な要因である。そこで師匠が表に立ち、鬼神を倒したのは自分ということにしたのだとか。  本当のことを知っているのはあの場にいた数人だけ。真実は闇の中に仕舞い込まれる。  続く話はネギ先生を交え、彼が千本鳥居で戦ったという小太郎なる少年の処遇や、私がフルンディングを放ったにも関らず仕留められなかった白髪の少年の情報に話は進む。  あの少年の名前はフェイト・アーウェルンクス。一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本に研修として派遣されたとしか情報はないとか。そしてその情報すら偽造の線が濃厚。師匠はそのことに大した関心はないようで鼻を鳴らした程度で話を締めた。 「ここです」  案内された場所は木々に隠された天文台、とでも言えばいいのか。コンクリートむき出しの武骨な外観のはずなのだが、周囲を囲む樹がそれを和らげている。特徴的なのは建物の頂上に本格的な天文台がついていること。個人の建物であれほどの設備をつけるとはかなりの趣味のようだ。  そしてこの建物こそがネギ先生の目的地。彼のお父さんが京都にいたときの別荘になる。 「なんか秘密の隠れ家みたいねー」 「京都だからもっと和風かと思ってた」 「ほほー」「天文台がー」  みんなその建物を見て口々に感想を言っている。師匠はどこか顔が紅い。あ、確かネギ先生のお父さん・ナギさんのことを師匠は……だったら無理のない話か。 「10年の間に草木が茂ってしまいましたが、中はキレイなものですよ」  詠春さんがポケットから鍵をとりだし、玄関の鍵を開ける。扉を開けて、 「どうぞ、ネギ君」  一番にネギくんが入っていった。 「わーーー」  ネギ先生の歓声が高い天井に吸い込まれていった。  中は間取りそのものは詠春さんが言ったように狭い三階建て。けれどそれを狭く感じない。なにしろ一階から三階までの吹き抜けに間取りのほとんど取り、個室や区切られた部屋はほとんど存在しなかった。壁の少ない家。そして、 「スゴーイ。本がたくさん」 「好感度UP」  壁面の一部が本棚になっており、それが一階から三階までの吹き抜けの高さと同等。そしてその巨大な本棚の全ての段に本が入っている。図書館探検部のみんなにして見れば、この本中心の家は夢の家に映っただろう。 「け、けっこうオシャレね……モダンてゆーか」 「いい、家だね」  語彙が少なくて上手い言葉が浮かばないけど、部屋はその人の心象風景とセイバーが言ったことがある。それから見るとこの家の住人であったネギ先生のお父さんもきっと好感の持てる人だろう。 「彼が最後に訪れた時のままにしてあります」 「ここに……昔、父さんが……」  ネギ先生の声は震えていて、興奮しているのが分かる。彼のお父さん・ナギ・スプリングフィールドの手がかりがここにあるのかもしれないし、なによりナギさんが昔住んでいた空間だ。  そういう意味では私は恵まれているかもしれないな。切嗣の住んでいた家を受け継いで、彼の死も知ることでき……って、ナギさんはまだ死んでいないとネギ先生は信じているんだ。こんなことは思ってはいけない。 「わー、すごい古そうな本」 「でも状態はかなり良好です。大切に読んでいたんでしょう」 「なんの本だろう?」  早速本に飛びついている図書館組のみなさん。  でも魔法使いの本棚だ、魔道書がほとんどだろう。いいのだろうか? 「オイ、いいのかアレ」  師匠もそれを危惧しているのか詠春さんに問いかけている。 「素人目には何の本か分からないでしょう……お嬢様方、故人の物ですからあまり手荒には扱わないで下さいね!!」  詠春さんは問題なしと見たようだ。では私も……  ふむん、これはギリシャ語で、こっちはラテン語か……私は遠坂のように魔術関連の知識は詳しいとはいえない。でも辛うじて分かるのは魔法の基礎の本から高度な応用が書かれている魔道書までこの本棚に置かれているという事ぐらい。魔術師の本棚としてはオーソドックスなほうだろう。特別魔力の篭った魔道書があるでなし、本の並びが魔法陣を形成しているのでもない。  これがこの世界の英雄と聞いている『サウザントマスター』の住まいと聞くと肩透かしを食らった気もするけど、ネギ先生のお父さんと聞くなら妙に納得できる家だった。 「あなた達にも色々話しておいた方がいいでしょう」  詠春さんが魔法関係のみんなを集めてデスク前の写真立てに入った一枚の写真を見せた。 「……この写真は?」 「サウザントマスターの戦友達……黒い服が私です」 「戦友……?」 「ええ、20年前の写真です」 「わひゃーーこれ父様? わかーーい」  二十年前の写真。写っているのは六人の人物。タバコくわえたスーツ姿の男性や、若いころの詠春さん、褐色の肌で巨大な剣を持っている大きな男性、ローブ姿の男性とも女性ともとれる人、頭に手を置かれている10歳ぐらいの子供、そして—— 「私の隣にいるのが15歳のナギ……サウザントマスターです」 「父さん……」  写真の中心にいる人物。幼さが残っているにも関らず、このメンバーの中心的存在だと分かる。息子であるネギ先生に比べるとナギさんのほうが野性味が入っている。でも、ネギ先生が父親似だとよく分かる。後五年したらネギ先生もこうなるのだろうか? 「へーーどれどれ? どれがネギのお父さんなの?」 「この人やて、かっこえー」  あっという間に明日菜が写真をデスクから取って、木乃香も見て、横から刹那も、さらに師匠も後ろから見ようとしている。  これにはネギ先生共々外に弾かれる。女の子のこういうパワーはまだ私にはないなあ。 「え……」  写真を見ていた明日菜が不自然に動きを止めた。 「明日菜? どうかした?」  気になって思わず声をかけてると、 「え? ううん、何も」 夢から覚めたような表情で焦りだして写真を木乃香に渡してしまう。  その後もなにやら不思議そうな表情を浮かべていた。  一段落ついたところで、詠春さんの話が始まった。 「私はかつての大戦でまだ少年だったナギと共に戦った戦友でした。……そして20年前に平和が戻った時、彼は既に数々の活躍から英雄……サウザントマスターと呼ばれていたのです」  その話はこの世界の英雄の話。師匠から座学で多少聞いている。20年前、この世界の裏側で世界規模の戦があった。多くの人命が散り、その中で彼の活躍が多くの人命を救った。故に英雄、サウザントマスター。  正直、平行世界のことなので全く実感が湧かない。それは世界の表側に生きていた明日菜や木乃香も同様で、よく分かっていない表情をしている。レベルとしては二人と変わらないだろう。 「天ヶ崎千草の両親もその戦で命を落としています。彼女の西洋魔術師への恨みと今回の行動もそれが原因かもしれません」  つまり、言うならば今回の事件はその大戦の延長みたいなものだったかもしれないと……  詠春さんの話は続く。 「以来、彼と私は無二の友であったと思います。しかし…彼は10年前突然姿を消す……彼の最後の足取り、彼がどうなったかを知る者はいません。ただし、公式の記録では1993年死亡——」  空気が重くなる。みんな口を閉ざし、黙っていることしかできない。 「それ以上のことは私にも……すいませんネギ君」 「い、いえそんな。ありがとうございます」  詠春さんが申し訳ない表情でネギ先生に詫びる。つまり、公式記録以上のことは何も分からなかったということだ。ネギ先生にとって無駄足だったかもしれない。けれど、ネギ先生は少し残念そうな色を浮かべているもののそこに絶望はなかった。  手すりに手をかけ背中を見せる。吹き抜けから家全体を見ているようだ。 「——結局手がかりなしか。残念だったな兄貴」 「……ううん、そんなことないよカモ君。父さんの部屋を見れただけでも来た甲斐があったよ」 「そうか?」  そんな言葉を交わしているカモミール君とネギ先生。残念と思ってはいるようだけど諦めてはいないようだ。うん、ネギ先生だったら大丈夫だよ。 ——ドドドドドド 「ハーーーイ、そっちのみなさん。難しい話は終わったかなー? 記念写真撮るよー下に集まって」  今までの空気を一掃してくれるような勢いで朝倉がカメラを持って現れた。 「記念写真?」  師匠がよく分からないという表情で朝倉に聞く。 「そーそー、忘れていたの他の班はもー撮ってんだよ」  つまり、修学旅行の班別の記念写真か。誰だろう、これを朝倉に任せるチャレンジャーなお人は。 「わ、私はいいぞそんなもん」  拒否する師匠。でもこういうのはみんなで写らないと。 「師匠、さあ写りましょう」  丁重に師匠を下へ送り、朝倉の構えるカメラの前に。まさかカメラに写らないなんてこともあるまい。 「な、志保! 何をする」 「うん、ナイスだエミヤン!」  いつの間にかカメラの前にみんな集まっている。師匠も諦め、むしろ写るからには無様は見せられんと格好を整えている。  私も師匠の後ろ、茶々丸さんの隣に付く。  ——パシャッ!  シャッターの切れる音。  私の麻帆良学園での思い出が一つ、形になった瞬間だ。元の世界に行っても多分この写真は変わらないだろう。いつか時が流れても、この時の写真を見て思い出してくれる人がいるかもしれない。それを私は嬉しく思う。  五日目の朝。  京都駅のホームは黄色い声で賑やかだ。ホームを占拠するのは麻帆良学園ご一行。A組以外も含め二百名以上の女子中学生がいるのだ。普通の通勤するために来た人は何事かと思うだろう……って、意外に反応は淡白? あ、京都だもんね。観光名所の定番で、修学旅行の定番だもんなー。 「ハーイ 皆さん。この後、私達は午前中のうちに麻帆良学園に到着。その後は学園駅にて解散。各自帰宅となりまーす。————皆さーん、修学旅行楽しかったですかー」 ——はーーーい!!  源先生の声に答えるノリのいいA組のみんな。若干数名その状況に頭を痛める人や、呆れる人もいる。  この日はただ帰るのが目的。色々騒動があったこの京都から別れる日だ。 「ネギ先生ーー先生も締めの一言お願いしまーす」  源先生に呼ばれて向こうからネギ先生が元気良くやってきた。良かった落ち込んでいたけど立ち直っていたんだ。って、コケた。  途端笑い声や、心配する声が起こり、ホームに帰りの新幹線が来るまで言葉が途切れることはなかった。修学旅行は最後まで賑やかさを見せていた。 「やれやれ、あれほどうるさかった3−Aが静かなものですな」  車両入り口で新田先生の声が聞こえる。  新幹線に乗り込み、発車してから三十分が経過したあたり、3年A組が乗っているこの車両は静かさに包まれていた。  声の代わりに満たすのは寝息。起きている人も寝ている人に気を利かせて声をひそめている。  現に私もかなり眠い。二日目、三日目と碌に寝る時間がなく、四日目はあれから師匠に付き合って土産選び。ちなみに八つ橋は買えました。夜は音羽の滝で回収したお酒で晩酌に付き合わされた。 「ふふ、ホントに……ハシャギ疲れたんでしょうね」  源先生の声も聞こえる。  ああ、確かに大ハシャギだったよ。お祭り騒ぎみたいな四泊五日だった。でも、帰ったらまた大変なんだろうなー、遠坂とセイバーも来たし……だからせめて今だけは寝かせてもらおう。  そうして新幹線の車内にまた一つ寝息が増えた。  記憶が戻り、親愛の人とも合流した衛宮志保。交錯した線は螺旋を描き、しばらくの併走を見せるだろう。そこに巻き起こされる騒動を予想してか彼女の寝顔は少し苦しげ。  麻帆良学園は新たな展開を用意して3年A組を待っていた。  余談だが、エヴァンジェリンのためにハンコを押し続けた学園長は彼女が学園に帰って来たと同時に倒れこんだとのことだった。3年A組が修学旅行から帰って来た翌日の日曜日の早朝。  場所は寮の裏庭。ある程度のリクレーションができる広さに芝生がしかれ、隅には花壇があり、この季節の花々が朝早くから朝露に濡れながら咲き誇っていた。  その裏庭に響く何かを打ち付ける音。竹製の束と束を打ち合う音。それが幾度も起こっては朝の空に吸い込まれて消えていく。 「ふっ——!」  短い呼気と共に手に持った竹製の剣、竹刀で相手に打ちかかるのは白髪赤眼の少女。 「甘い!」  それに対して同じく竹刀(なぜかライオンのストラップをつけている)を振るうのは金髪碧眼の少女。  ——バチンッ!  幾度目かの交錯、そして決着。クラリと倒れた白髪の少女。 「はあ、はあ、はあ————また負けた、か」  倒れた少女が息を切らせてそのまま大の字になった。 「そう悲観することではありませんシホ。先日のシネマ村なる場所でも言ったようにシホの剣の腕は上がっております。単に吸血鬼になったせいだけではないと思います。こちらでも鍛錬は欠かしていませんね?」  金髪の少女がその横に座り、どこか嬉しそうに話しかける。 「うん、茶々丸さんやチャチャゼロ、それに時々師匠が鍛錬の相手になってくれて……」 「エヴァンジェリンがですか?」 「あのシゴキは鬼だった。でも、感謝しているよ。そのお陰でこっちの世界に早く馴染むことができたんだし」 「そういえば、女子であることに違和感がありませんね。それもシゴキですか?」 「そうなんだよ、『俺』と言ったらお仕置きとか、師匠のお古で恥ずかしい服もきせられたなぁ……」 「凛が聞いたら卒倒するような話が沢山あるのでしょうね」 「やめてくれ、想像するだけで寒気がする。遠坂だったら卒倒する以前に怒り狂ってギタギタにされる。あ、そういえば遠坂は?」 「凛でしたら、ホテルでまだ眠っています。年々寝起きが悪くなっているのは気のせいでしょうか」  早朝の朝露に濡れる芝生の上、二人の少女は楽しそうに話し合っている。今までそれぞれが経験してきた話が二人の間にそれこそ山のように積もっている。  けれど今は二人にとって交し合うのは言葉ではなく竹刀だ。 「さて、もう一本付き合ってくれない? セイバー」 「はい、では」  立ち上がり、再び竹刀を構え向き合うふたり。 「せいっ!」  竹を打ち合う音が再び裏庭に響いた。  出席番号32番 衛宮          第16話 魔法使いと魔術師の過ごす日常 「色々やることって何なのよ」 「……その、今回の事で僕、力不足を実感しました」  明日菜の言葉にネギが答える。  修学旅行を終えた翌日の日曜。場所は学園都市の静かな緑地帯。川辺を二人で歩きながら、明日菜はネギの話を聞いている。彼は今回の事、すなわち大騒ぎになった修学旅行で何か思うところがあるみたいだ。 「ですからまずは、あの人に弟子入りをしようと思って」 「へ? 弟子入り?」  明日菜は知らない、この緑地帯の向こうに誰が住んでいるのかを。 「これはネギ先生……ようこそいらっしゃいました」 「ネギ先生、おはようございます。それに明日菜もおはよう」  辿り着いた先にあるログハウス風の洒落た一軒家。そこでは二人のメイドさんが明日菜達を出迎えた。  一人は緑の髪のロボメイド・絡操茶々丸。黒のミニワンピースにエプロン。ヘッドドレスと裾の短さを除けばかなり本格的なメイドの格好だ。  もう一人は白髪赤眼の吸血鬼メイド・衛宮志保。服装は茶々丸のものとデザインは変わらない。ただ一点、裾の長さが違い、すねの半ばまであるロング仕様となっている。 「茶々丸さん!? それに志保も! じゃあここは……てことはまさか弟子入りって……エ、エ、エ、エヴァちゃんに!?」  そう、今日ネギがここに来たのは真祖の吸血鬼にして、『最強の魔法使い』エヴァンジェリンに弟子入りしようと思ってのことだった。 「ええそうです。最初は衛宮さんに教えを乞おうかと思いましたけど……」  チラリと志保を見るネギ。  すでに二人のこの話は京都にいるときに決着はついている。  志保は苦笑を浮かべて手を振って拒否のジェスチャーをする。 「無理無理、私はネギ先生に教えることが出来るものはないよ。私は魔法使いとしては落ちこぼれもいいところ、一つのことしか出来ないのだから」 「え? でも志保はあのデッカイ巨人と対決するときになんか凄い魔法使ったよね。こう、いっぱい剣がある場所を作ったというか……」 「姐さん、あれは多分『異界創造』の魔法っすよ。秘中の秘とも、失伝した魔法ともいわれるものっす」 ネギの頭に乗っているカモミールが明日菜の言葉に補足を入れるように言葉を挟む。 「うん、だからアレしか私には出来ない。魔法使いとしてはかなり特殊だと思うよ私は」  志保に許された『魔術』は、無限の剣を造る心象世界で現実を侵食すること。『むこう』では『固有結界〈リアリティマーブル〉』の名で呼ばれる大禁呪。彼女の普段振るう魔術も全てその派生にすぎない。『こちら』でもそんな『魔法』は法外な存在なのだが、幸いあの場面をみた目撃者は少なく、有耶無耶にすることができた。関西、関東両責任者への報告は「エヴァンジェリンの極大魔法にてスクナは仕留められた」ということになっていることだろう。 ともかく、このような単一能の魔術師でネギに師事されるのは志保の望むところではなかったのだ。 「だから、ネギ先生のようなスタンダードな魔法使いは私に習うより、同じスタンダードな魔法使いの師匠に習ったほうがいいと先生に勧めたんだ」 「はい、ですからこうしてエヴァンジェリンさんに師事をお願いしに来ました」  ここまでの話はほとんど明日菜に向けての説明だったのか、二人の視線は彼女を向いていた。  明日菜は半ば驚き、残りは怒りと心配が混ざった感情で反論する。 「本気!? エヴァちゃんはまだ、あんたの血をあきらめてないのよ!?」 「エヴァンジェリンさんが悪い人じゃないのはアスナさんも知っているでしょ」 「でもさ……!」  なおも反論しようとする明日菜にネギは決意を込めた視線で彼女を見やる。 「大丈夫ですよアスナさん。それに今、僕は力が欲しいんです。大切なモノを守るための力が……今度何かあった時には…僕に守らせてください。このかさんや…アスナさんを」 「……」 「……」 「……」 この言葉に三人は思いの違いこそあれ、口を閉じてしまった。  修学旅行を境に、ネギは急速に変わり始めている。  そしてネギを中心に彼の周囲にいる生徒達にも変化が起ころうとしていた。 「何? 私の弟子にだと? アホか貴様」  開口一番、師匠はネギ先生のお願いを一蹴した。  セイバーとの朝の鍛錬が終了したときにまっすぐここに来た。セイバーも遠坂も師匠の身元用意が整うまで学園都市内のホテル住まいだが、不自由はなさそうでよかった。それに久しぶりにセイバーと手合わせ出来たのも嬉しいことだ。まあ、吸血鬼になっても彼女に敵わないのは少し残念だけど。 心配なのは修学旅行から帰って早々、花粉症になって鼻をグスグスいわせている師匠だ。今は朝食を終わらせ、薬も飲ませ終わったところだ。  にしても、こうして毎日手伝っている内にこのメイド姿も違和感なくなったなー。悲しむべきか、嘆くべきか、記憶が戻ったせいでこういうところでヘコむ事が多くなった。 私が思い悩んでいる間にも話は進む。 「一応、貴様と私はまだ敵なんだぞ!? 貴様の父サウザントマスターには恨みもある。大体、私の弟子はコイツだけで手一杯だ。戦い方ならタカミチにでも習えばよかろう」  師匠がこっちを睨む。  ネギ先生に師匠の事を勧めたのは実質私。視線には「余計なことをしてくれたな」というメッセージが込められている。 「それを承知で今日は来ました。京都であの白髪の少年と戦った手際、さらには衛宮さんからの話で魔法使いの戦い方を学ぶならエヴァンジェリンさんしかないと!」  ネギ先生が師匠を前に、まるで王様に謁見する騎士の如くヒザをついてかしずく様に言葉を発している。  これは相手に最上の敬意を表している姿勢だ。それだけネギ先生も本気ということだろう。 「……ほう、つまり私の強さに感動した……と」 「ハイ!」 「……本気か?」 「ハイ!」  ネギ先生の言葉を受けて、悪い気がしなかったのか師匠の口元が心なしか釣りあがる。同時に雰囲気が少し変わっていく。『くろいあくま』モードになる気だ。 「フン……よかろう、そこまで言うならな」 「え……」 「ただし……! ボーヤは忘れているようだが……私は悪い魔法使いだ。悪い魔法使いにモノを頼む時にはそれなりの代償が必要なのだぞ……くくく」  等価交換は『むこう』の『魔術師』では常識だけど、『こっち』の『魔法使い』はそうでもない。魔法の力でいかに社会に貢献できるかが『こちら』の正しい魔法使いのありかたなんだとか。でも、師匠のような[悪い魔法使い]は代償を必要とする。私の場合はごらんの通り半ばここのメイド。では、ネギ先生には何を要求するのだろう?  師匠はネギ先生に向けてズイっと裸足の足を差し出すように向けた。 「まずは足をなめろ。我が下僕として永遠の忠誠を誓え。話はそれからだ」 ——うわぁ……堂に入っていますね師匠。  その様はまるで女王。それも『悪い』という枕詞がつく。腰掛けているベッドがまるで王座に見えるのは気のせいか? 「オ、久々ニ悪ダナ」なんてチャチャゼロがベッドで小声で呟いてもいる。  見た目幼いけど、師匠のその仕草は実に似合っていて、恐ろしいほど様になっている。余人には止められない空気が師匠のベッドルームに満ちていく気がした。  けれどその空気を破った者がいた。 「アホかーーーーッ」  ——スパーーーン! 「へぶぅ!?」  やはり明日菜だった。素早くアーティファクトを呼び、師匠が常時張っている障壁を無視してハリセンでハタく。私も反応が遅れるほど早かった。鍛えれば明日菜って凄い子になるかもしれないな。 「何突然子供にアダルトな要求してんのよーーっ」 「あああ、貴様、神楽坂明日菜!! 弱まっているとは言え、真祖の魔法障壁をテキトーに無視するんじゃないっ!!」  そうだよな、私の場合師匠の障壁抜くには干将・莫耶以上のランクの宝具か、対吸血鬼武装が必要だというのに明日菜は障壁なんか知りませんというように無視している。アーティファクトの能力だけではない、彼女の能力か? 「それにエヴァちゃん、ネギがこんな一生懸命頼んでるのにちょっとひどいんじゃない」 「頭下げたくらいで物事が通るなら世の中苦労せんわ!!」  二人の口論が過熱してきた。  そろそろ止めようかと思っていると、師匠がこの状況にトドメを刺した。 「ハン……それより貴様…何でボーヤにそこまで肩入れするんだ? やっぱりホレたのか? 10歳のガキに」 「なっ!?」  以降はもうほとんど子供のケンカ。言い合い、再びハリセン、取っ組み合いと程度が落ちていった。 「ああああ?」 「ネギ先生、もっと下がって。危ないから」 「マスターに物理的なつっこみを入れられるのはアスナさんだけですね」  取っ組み合う二人を見てネギ先生は慌てて、私は彼を安全圏に退避させ、茶々丸さんは二人の様子に感想を言う。結果、エヴァンジェリンのメイド二人は主を無視しています。  やはりいくら歳をとっても精神は肉体に影響されるのか、今の師匠は見た目通りである。……私もいずれは精神まで女性化してしまうのだろうか? 複雑な気分だな。  それからしばらして、二人が治まったところでネギ先生が声をかけて取っ組み合いは終わった。弟子入りの件も取り合えずOK。弟子に取るかどうかを今度の土曜日にテストで決めるのだそうだ。 「ありがとうございます!」  ネギ先生の歓喜の声がログハウス中に響いた。 「さて、こっちのは、と」  ボーヤことネギ・スプリングフィールドと神楽坂が家を出て行って、しばらくしてから志保の方を見る。彼女は現在家にある人形コレクションの整理をしている。後日整備もやらせる予定だ。手先が恐ろしく器用で、私の人形も安心して任せられるのは嬉しいことだ。  志保の京都での活躍は見ていたが、凄まじい。鬼神を前に『異界創造』の魔法で対抗し、さらにはあの極光。このことはジジイをはじめ、他の魔法使い連中に報告する気はない。異世界出身という事だけでも異常なのにあの魔法だ、普段善良なことを言っている奴らだって何を言い出すか分かったものではない。  だから、鬼神を仕留めたのは自分と偽ることにした。実際、あの時の自分なら出来ることだったろう。近衛詠春は信じているようだし、ジジイも釈然としていないようだが納得はしている。問題はないだろう。  ——問題なのは…… 「おい志保、あの二人、セイバーと紅い女狐の身元関係の書類が仕上がったそうだ。今日にでも伝えておくがいい。ジジイは明日来て欲しいとか言ってたぞ」 「あ、はい。分かりました。ここが終わったらすぐにでも伝えに行くことにしますね」  京都で会った志保の前の師匠。志保が元男性だということも考えれば恋仲でもあったのだろう。だが、あの弟子の師匠とは思えぬほど油断がならない女だ。セイバーという金髪の方は中々面白いのだがな……。  その二人を麻帆良に置くためにコネを使って身元の証明を用意させた。昨日頼んだのだが、流石に仕事が早い。見返りに異世界の魔術を知ることが出来るのだ、安い買い物だろう。  にしても…… 「志保はどう思っているんだ? 記憶が戻り、本来の師匠も戻ったのだ。ああは言ったがお前の意思次第では私のところに師事しに来る必要はないぞ」  あの『固有結界』なる魔法の影響か、志保の以前の『シロウ』という男としての記憶が戻ったのだとか。だったら志保の意思しだいでここに来るのを…… 「何言っているのですか、師匠。確かに遠坂とセイバーは私にとって大切な存在です。けど、それは師匠にも言えることですよ。師匠がイヤと言っても来ます」  志保がそんな事をノタマル。しかもかなり良い笑顔で。  こいつ男だったときはとんでもない女誑しだったかもしれん。無自覚でそんな事をいい、そんな表情をしているのだから。 そんな顔を見て初心に帰った。私はコイツを教育してやるんだったと。 「フン……そうか、ならその選択にせいぜい後悔だけはしないようにな」  言ってやることはこれだけ。フフン、あの紅い女狐がどれほどのものだろうが知ったことではない。コイツはいずれ私のものにしてやろう。  15年の学園生活で一番退屈しない時期がやってくるのだ。楽しまないと嘘だ。とことん楽しもうではないか。 「話はエヴァンジェリンから聞いておる。君達が衛宮志保、いや『衛宮士郎』君の親戚じゃとな」  週があけて月曜の朝早く。学園長室に私達は居る。 これぐらい朝早いと、麻帆良名物の朝の大登校競争は行われておらず、窓から見える道には朝練のためにくる生徒がちらほらとしか見えない。  重厚なデスクに座る学園長と向かい合う私たち三人。右に白いブラウスにロングスカートのセイバー。左に朝に弱いのに無理している遠坂。 「ええ、そうです。私個人で研究していた転移魔法の失敗で士郎が行方不明となりまして、京都で見つけた時にこのような女の子になっているのを見て大変驚きました」  学園長に対して遠坂が主な話し手になる。  私達は異世界の出身とは師匠以外言えるものではない。これは私達三人の一致した見解だ。不必要にこの世界を乱すつもりはない。  昨日あれからホテルに行き、エヴァンジェリンの用意した身元を元に遠坂とセイバーで話し合い、架空の話を作った。ちなみに師匠もそれをチェックして承認をもらっている。  カバーとしては、遠坂はどこの組織にも属していないフリーランスの魔法使いでセイバーはその従者。私は二人についている付き人。(遠坂の弟子じゃないとこに師匠の思惑が見え隠れしている)遠坂が研究している転移魔法の実験台に私はなり、見事失敗。行方不明になった私を探し、各地を転々としていたが京都で修学旅行中の私を見つけた。しかし、ここで懐が心もとなくなりどうしたものかと思っていたところを師匠が麻帆良に来ないかという話。 「なるほどのう……それにしても衛宮君の記憶が戻ったのか、おめでとう」 「ありがとうございます。これも遠坂とセイバーのお陰です」  うん。実際二人が顔を出してくれたお陰でまるでドミノ倒しのようにパタパタと記憶のピースが嵌まった気がする。  あ、遠坂の顔が赤い。ふむ、また正直に言いすぎただろうか? 「衛宮君の事を調べてみたのだが、フリーランスの魔法使いの付き人とはな……どうりで組織方面を調査しても引っかからんはずじゃよ」  学園長も納得している様子。長い髭を撫でてしきりに頷いている。  しかし、こんな話を信じるのか学園長。 「あい分かった。エヴァンジェリンの紹介とあっては無下にできんからのぉ。遠坂さん、女性に歳を聞くのは無礼じゃがそこをあえて聞かせてはくれまいか?」 「は、はあ。27ですが?」  突然、年齢を聞きだした学園長に戸惑いながらも素直に答えてしまう遠坂。うん? この流れ、もしかして学園長…… 「衛宮君と同い年か。では、人に何か教えた経験はあるかの?」 「えっと、大学で講師をしたことがありますけど」  これは正確には大学ではなく時計塔でのこと。教授陣の命で魔道自然学についての講義をすることになったことがあった。同時期ルヴィアさんも講師になり、講義の質を高めあう戦いもあったけ……懐かしいな。 「ふむ、なら文句なしじゃな。遠坂さんここで『魔法先生』をしてみんかね?」  出てきた学園長の言葉に遠坂は目を見開き、瞳は猫の目の様。セイバーは硬直している。私はと言えばやはりかと思い、顔に手を当てていた。  どうもこのお爺さん、人を驚かせるのが好きなようだ。 「あの爺さんといい、お子様吸血鬼といい、子供先生といい、この世界の住人って少しズレていないかしら」  学園長室の帰り、中等部の廊下を三人で歩いているとき遠坂は話を切り出すように口を開いた。その口調は怒りというより戸惑っている感じだ。  朝早い学校の廊下も人通りが少ない。数人の生徒がちらほら廊下を歩いているだけ。通り過ぎる生徒は遠坂やセイバーの姿に少し驚き、振り返っている。無理もないか、これだけの美女、美少女が二人並んで歩いているのだ。ただいるだけでも存在感は強い。 「まあ、学園長のことだし監視の意味もあるのだろうけど、条件は良いよね」  得体の知れない魔法使いとその従者を自分の懐に入れて見極める。どうもそれがあの学園長の手練手管の一つみたいだ。どこかで脅威になる位なら、手の内に入れておこうというのだろう。  遠坂に出された仕事条件は学園の魔法先生として魔法関連の非常時戦力として事に当たる一方で、3年A組の副担任(担当教科は数学)として教師として働くこと。見返りに給料と寮の保障というものだった。 「働き始めるのは来週、ゴールデンウィークが明けてからですね。それまで準備をしておくとして、寮の拠点を定めておきたいですね」  セイバーも話しに加わる。彼女は生徒としてどうか? と学園長に誘われはしたが、「私は凛とシホの剣です」と従者に専念することを宣言した。セイバーと一緒に学校行けるかと思ったが少し残念。 「そうね、当分ここで暮らすんだし、工房も作らないと……それに志保を士郎に戻さないとね」 「うん、そうだね」 「…………」  何か遠坂の視線が痛いような、気のせい? 「な、なに?」 「いえ、なんでも。ただ志保は士郎に戻りたくないような気がするのだけど気のせいかなーって」 「なっ! なんでさ! そんな訳ないだろ、私だって元に戻れるなら戻りたいぞ」  私の必死の抗弁も遠坂はふーん、と気のない返事で返している。 「ま、戻れないなら戻れないなりに考えはあるしね……今の志保は可愛いし、フフフ」 「凛、かつてのキャスターみたいになっていませんか?」  目をランランと輝かせ、遠坂が浮かべる邪悪な笑みにセイバーが引き気味だ。あー確かにあの可愛いもの大好きの魔女に似た気配を遠坂に感じる。遠坂、いつからそんな趣味を持ったんだ?  「あ、私はここから教室だから。セイバー、遠坂をお願い」  廊下での分かれ道。これから授業がある私は教室に行かなくてはいけない。遠坂達はホテルを引き払う準備があるだろう。 「分かりました。さ、凛行きましょう」 「——ハッ! え、ええそうね。じゃあ、後で転居先の寮についたら連絡するから」 「ああ、気をつけてな」  修学旅行が終わっての初めての学校はこうして始まった。  ——キーン、コーン、カーン、コーン  かのビックベンの鐘を模したと言われる授業終了の鐘が教室に響く。本日最後の授業は担任であるネギ先生の英語だ。 「ここテストに出ると思いますので復習してくださいね。では今日は以上です」  そっか、中間テストも間近だったけ。今回も恥にならない程度の成績は取っておかないと。特にこれからは遠坂が来ることだし、気は抜けない。 「起立————礼————」  バインダーを閉じてお決まりの挨拶。まさかもう一度学生をすることになるとはなー、なんて若干の懐かしさがこの挨拶をするときにこみ上げる。  修学旅行のときは大変だったけど、こうした日常が守れたのだからいいかなと考える。ただ、今日はちょっといつもとは違った。 「えーと……あの、くーふぇさん。ちょっと、お話があるんですが」 「へ? ワ、ワタシアルか?」  挨拶を受けたネギ先生が古さんに声をかける。  途端ざわつく教室。そういえば皆中学生だよね。それも女の子だ。恋に恋する年頃のだ。……むう、歳の差を感じるね。まだ若いつもりだったんだけどなー。 「あ……みんなの前だとマズイかな…世界樹広場前の大階段に放課後来てもらえませんか?」 「いいアルけど?」  少し思案するように口元に指を当てて提案するネギ先生に古さんは戸惑いながらも答える。 「どうも! じゃあ後で」  ——ガラッ パタン  静まり返る教室内にネギ先生が閉じた扉の音がこだまする。ただ、これは嵐の前の静けさに過ぎなかった。  ——ドドドド  一気に教室の一箇所に集まるみんな。 「どどどーゆうことです!? なぜ、くーふぇさんにネギ先生からの個人的呼び出しが!?」 「世界樹広場って言えば学園の告白名所だよっ」 「ええっ、じゃネギ君告白!?」 「それなんだけど、今朝ネギ君が不良に襲われそうだった所をくーちゃんが助けたんだって!」 「じゃ、じゃあそれでくーちゃんに一目ボレを!?」 「そんなまさか」  みんなヒソヒソと話しているつもりなんだろうけど、不幸にも性能のいい耳は聞き取ってしまう。  あ、そうだ。古さんと言えば今日は彼女に用意があったけ。 「古さん、古さん、これ修学旅行の時の助っ人のお礼といってはなんだけど」  バックから改良に改良を重ねた中華まんを出して古さんに差し出す。 『できたよ、今日は新作です……あ、衛宮さんもですか』  四葉さんとかち合う。む。 彼女の中華まんは芸術的だ。魔術関係で世界を旅することが多くなって、和食のみならず洋食、中華も覚えたのだが、未だ超さんと四葉さんに敵わない部分がある。  こういうときは大抵、楓や古さんに食べ比べて貰うときがある。 「オオッ 待てたネ。しかも今日はエミヤンもカ? そうだ、アスナ達も食うアルよ」 「わーーさんきゅー」  今回もジャッジは四葉さんの勝ちでした。むー。皮に秘訣があるのだけど見切れないとはまだ私も未熟だ。  料理のことで四葉さんと話しこんでいて、みんながネギ先生について話し合っていたことをすっかり忘れていた。後日、なにやらネギ先生争奪ボーリング大会があったと聞いたのだけれど、その時には全てが終わっていた。 狙う的はいつも通り。  八節を淀みなく行い、残りは離れ、会、残身。  中てるのではなく、中る。すでに思い描いたイメージでは矢は真中にある。自身に矢を射るそんな感触。後は手を離すだけ。  ——会。  結果は当然。残身。結果を見るのではなく、受け入れる。 「おー、相変わらず神がかっているねー衛宮クン。これなら全国大会も夢じゃないかも」  部長の霧矢さんの声を皮切りに周囲に音が戻る。  修学旅行明けの部活動。弓道場ではいつもの練習メニューがこなされていた。やはりこういったものは日々の積み重ねだろう。『むこう』にいた時、怪我を理由に辞めた道だけど、弓は持っていて落ち着く。きっと愛着があるのだろう。  すでに着ている袴や弓は自前のものにしており、(弓を含め、一式全てが学園内の売店で売られていた)弓は当然木製。色々手も加えている。お金がある麻帆良だけに部にある弓はカーボン製が多く、私のような木製派は少数だ。 部長のべた褒めに戸惑いながらも弓を下げ、次の人に場所を譲る。 「そ、そうですか。それは良いのですけど、なんで私が弓を引こうとするとみんな静かになっちゃうのかな?」  確かに弓道は集中を要するもので、必要以上の雑音を嫌うものだ。静粛さが好まれる。ただそれにしても、私が弓を引こうとするとみんな動きを止めてしまい、こちらを注目しているのだ。これは少しいきすぎではないか?  戸惑って霧矢さんを見るが、彼女はフフフと含むように笑っている。 「何、簡単なことだよワトソン君。みんな衛宮君の射を見たがっているのさね。特に男共には人気だよ。ヨッ、もてるねーエミヤン!」 「————うそ?」  周囲を見渡す。  男子が私の視線を避けるように視線を逸らす。それは特に私の外見年齢と歳の近い男子ほど顕著だ。————なるほど。そんな理由か。でもな、この身は確かに女の子だけど精神は『士郎』だ。期待には応えられそうもない。すまないが、諦めてもらうことになるだろう。 「あ、そうだ。エミヤンにお客さんだよ」  チョイチョイと霧矢さんが弓道場の入り口を示す。 「邪魔しているよ、衛宮」  そこにはギターケースを担いだ制服姿の龍宮の姿があった。  五月一日未明。  麻帆良学園に忍び寄る複数の影が結界を潜り抜けて森を越えようとしていた。  その姿は日本の妖怪伝承に出てくるようなもので、鬼やカラス天狗、河童なのが集団を成していた。彼らは関西呪術協会の過激派が差し向けた妖怪たちだ。  先日、彼らの一人天ヶ崎千草が封印された大鬼神リョウメンスクナを復活させて、関東の西洋魔術師たちに一撃を与えるところを阻まれ失敗。さらに彼らの長である近衛詠春が関東と全面的に和睦をしようと達した。  当然、彼らは納得できない。長く対立していた西洋魔術師と手を結ぼうなどと……これはその意味を込めた侵攻だ。鬼達を拠点である麻帆良に送り込み、魔法関係の施設の破壊を行わせる。一般人には手出しはしないが、魔法使いには容赦はしないようにしてある。  すでにここ三日送り込んではいるが失敗している。今日こそは成功させねばと彼らは意気込んでいる。  鬼達は森を抜け、いよいよ学園の敷地内にといったところで突如、鬼が『還された』成したのは矢。そして銃弾。この二種類からなる遠距離からの狙撃。  この狙撃によって今までの侵攻が水際で阻まれてきたのだ。  今日は術者達自らが戦場に出て、狙撃手たちの相手をしようということだったが、 「すまないね。西と東が関係を修復しようとしている今、君たちのような人に邪魔されるわけにいかないんだ」  それを阻む声が聞こえた。振り返ればポケットに手を入れたスーツ姿のメガネの中年男性。おそらくここの教師。ただ、纏う雰囲気は戦士、いや彼らにとって『死神』そのものだった。 次には既に一方的な戦闘が始まり、肉を打つ音と悲鳴が夜の森に溶けていった。 『衛宮、鬼達を召喚した術者は高畑先生が制圧したそうだ。私達は引き続き鬼達を掃討するように、だそうだ』 「了解」  通信機から聞こえる龍宮の声に答え、再び弓を構えて狙撃体勢に入る。  三日前、龍宮が弓道場に来ていたのはある要請だった。  再び西の術者が不穏な動きを見せ、関東に向かったと西の長詠春さんから通報があった。今回は修学旅行の時のように回りくどいことをせず、直接麻帆良を狙って鬼達を放ってきた。ここまでの三日、毎夜この大学部の工学科ビルの屋上に陣取り、進入し続けてくる鬼達を狙撃してきた。龍宮はそのパートナー。進入経路により近い場所に位置を定め、私が撃ち漏らした鬼達を仕留めている。  その間に高畑先生が術者を探して捕まえるものだが、三日目にして術者を見つけたようだ。 「さあ、後はこいつらにお帰り願うだけだ」  弓はアーティファクトを[変化]させたもの。投影した矢は魔力を持たせ、射程距離と威力を持たせている。視覚を強化した眼にはこちらの狙撃を窺う妖怪達の姿がハッキリと映る。  弓を引く。弓は部活で使う和弓ではなく実用本位の洋弓。なれど、身に染みた技術は八節を順調に踏む。距離は3キロ。決して弓の射程距離ではない。でも、捉えた。 ——会。  矢が離れ、一秒と時間を置かず妖怪の眉間に突き刺さり、あまりの高威力に頭部全てが消し飛んで、『還った』  残身を待たず、次の目標。誤差修正、プラスマイナス三秒。装填。捕捉。発射。命中。撃破。更なる目標確認、修正、装填——  これをルーチンの如く繰り返す。龍宮の方でも狙撃は続けられ、そこに高畑先生が加わり五分もしない内に妖怪達は全て『還った』 『二人とも、終わったよ。これまでご苦労様。術者は捕まえたし、今日から暫くは平和かもね。じゃあ、明日も授業があるんだから遅刻しないように』  高畑先生の通信が入り、これで解散と知らされた。ビジネスライクな龍宮が仕事は済んだとばかりにライフルをギターケースに詰め込み、帰り支度をしているのが見える。 「去れ[アベアット]」  弓をカードに戻し、ポケットに。最近はこのカードの使い方にも慣れてきた。さすがにもうエクスカリバーなんかに[変化]させようとは思わない。あれは疲れる。固有結界を展開しないと出来ないし、使用するにも莫大な魔力必要になる。魔力が満タンの時でも一発で空になることだろう。 「私も帰るか」  白い髪と最近はよく着る黒いカソック風の私服、そして戦闘のために着ていた外套をビル風に翻し、屋上を立ち去る。  この街を守るための魔法使い関係のお仕事。こんなこともすっかり自分の日常なのだなーと感じながら、立ち去る足に魔力を込めて屋上から飛び降りた。  世界樹がよく見える緑地帯の広場。芝生の上では打ち合いの音が子気味よく響いている。響く音は二種類で二組。  ——パンパン パッ パッ  これはハリセンと長物木刀が打ち合う音。  ——ガガッ パパパン バシン  これは肉体と肉体が格闘でもってぶつかる音。  前者は明日菜と刹那。後者は古さんとネギ先生だ。  いつもの鍛錬の時間の時、『別荘』で師匠がネギ先生を弟子に取る条件として「茶々丸に一発入れること」という課題を出したと話した。  また無茶なと危うく言いそうだった。彼女の接近戦は相当なものであり、私も剣の射出、弓の使用なしでは勝率は五割に落ちる。案外セイバーといい勝負をするかもしれない。そんな彼女に一発いれることがどれほど困難か……。  月曜日のネギ先生が古さんに声をかけたのは彼女から拳法を習うためだとか。それを誤解した雪広さんを中心としたみんなが騒動を起こしたようだが、部活で見れなかったのは残念。  時間的に見れば、古さんから拳法を習うネギ先生を師匠は快く思わずこんな難題を吹っかけたと見るべきか。師匠も難儀な人だな。  警備の仕事や師匠のシゴキ、遠坂の手伝いでこの数日忙しくしていてネギ先生の変化を見る事は出来なかったが、彼の動きは様になっている。とても習って一週間も経っていないものの動きではない。頭脳もそうだが、肉体面も天才的なんだろう。 「衛宮、明日菜さんの相手をしてみる?」  物思いに耽っていたら刹那から声をかけられた。 「いいの? 刹那が剣道を教えるんじゃないのか?」  修学旅行から変化を始めたのはネギ先生だけではない。明日菜や刹那もだ。  刹那は一見とっつきにくそうだが、結構付き合いの良い子だ。木乃香の事もあり周りにそれを知られることはなかったが、修学旅行を境に普段でもその面が表に出始め、明日菜はどうもネギ先生を守れるようになりたいのか、その刹那からこうして剣道を習いだしている。 「いえ、対戦者を変えることで明日菜さんに経験を積ませようかと思って。いつも同じ相手ではよい経験にはなりません」 「なるほど、そういうことなら。で、いいの? 明日菜」 明日菜に問いかける。彼女はその質問は無駄だとばかりに意気込んでいた。 「うん、バーンと来ちゃって。もう槍でも剣でも持って来なさい」  ま、私の場合は冗談抜きで槍でも剣でも持ってくるのだけど。 周囲を確認。さっきまでいた佐々木さんはネギ先生の様子を見に行っている。木乃香はもう魔法関係者だから問題はないか。佐々木さんはここに近く行われる新体操の選抜テストのための練習のためにここ数日この広場に来ている。 だから下手に魔法を用いたモノは出来ないけど、これなら問題ないか。 「手加減はするけど、危ないのは本当だから気は抜かないように」 「う、うん」  仮契約カードを出してアーティファクトを顕現。[変化]させるのは虎のストラップが付いている竹刀。こんなものまで出来るとは思わなかったが、都合がいいのは確か。 「じゃ、どこからでも」 「うん、じゃ、いくよ!」  ダランと竹刀を下げる私に対して、ハリセンを振りかぶり明日菜が踏み込んでくる。上段からの鋭い攻撃。それを捌き、横合いから面を入れる。反応良くかわす明日菜。けれどそこにさらに横合いから回し蹴り。 「うわっ!」  こめかみを狙ったそれをハリセンで防ぎ、間合いを離す明日菜。 「ちょっと、剣道じゃないの?」 「悪いね。私はまっとうな剣を習った事はない。あるのは戦場を駆けて出来た実用一辺倒の剣術だから」 「明日菜さん、衛宮の持つ技術は歴戦の戦士のそれです。手合わせするだけでも価値があると思います」 「……上等! やってやるわよ」  ハリセンを構えなおし、再び向かってくる明日菜。それを捌き、いなす。——少し、セイバーの気分が分かったような気がする。こうやって明日菜が少しずつ上手になっていくのは見ていて嬉しいし、楽しい。  明日菜、刹那、ネギ先生、古さん、佐々木さん、そして私。広場の鍛錬は日が沈んでも続けられた。みんなそれぞれの目標にむかって積み上げるように。  みんなの練習は土曜も続けられ、ネギ先生は拳法、明日菜は剣術、佐々木さんは新体操の練習と濃度を密にして行われた。  私も彼らを応援したくなり、刹那と一緒に明日菜の練習に付き合うことした。  明日菜の剣の才能はとてつもなく、私の及ぶところではない。相応の鍛錬と経験を積んだら化けると思う。  で、今回肝心なネギ先生はというと、 「よし、そこまでアル、ネギ坊主」  弟子入りテストまで8時間をきった時に古さんが特訓の終了を宣言した。 「これで時間内に教えられるコトは全て教えたアル! あとは運を天に任せ、残り8時間は休息と復習に使うヨロシ!!」 「ハイッ! くー老師」  ネギ先生が拳を合わせて一礼。  迷いのない表情だ。 「おーーい!」  広場の向こうから声。  現れたのは明石さん、和泉さん、大河内さんの三人。三人ともなにやら大荷物を持っている。 「ネギ君、今夜何か試合するんだってー!?」 「差し入れに豪華特製夕御飯弁当作ってきたわー」  もうそんな時間か。三人の作ってきた弁当には興味はあるけど、師匠や遠坂が心配だしなお暇するとしよう。 「じゃあ、悪いけど私はこれで」 「え、志保行っちゃうの? 夕ご飯は?」 「師匠に作ってやらないと」 「あ……そっか」  シートを広げて早速弁当を披露している三人と、それに目を輝かせているみんなを見詰め、 「さて、早くしないと暴れだすか」  駆け足で師匠の家に向かう。  今夜はきっと長くなると思う。  時刻は午後十一時五十八分。  若い学生が人口のほとんどを占める麻帆良の夜は静かだ。学園祭でもない限り、宵引きでいる人間は少ない。街を歩く人影はなく、街灯が無人の通りを照らしている。  けれど、今夜は世界樹広場大階段に例外が存在する。  影は三つ、いや正確には四つ。彼女たちは人を待っていた。 「オイ御主人、コレジャ試合ガ見エネーゾ。モットイイ位置ニ座ラセロヤ」 「良かったら私が持っていてあげようか?」 「オ、悪リーナ志保」  観戦席に不満を漏らすチャチャゼロを抱えてやる。うん、軽い軽い。これで大鉈やナイフを振り回すのだから師匠もいい趣味をしている。  あれから師匠と遠坂に夕食を用意して、時間まで師匠の家で人形の整備をやっていた。教師になる準備で忙しい遠坂が「あの吸血鬼のところ行くんだ」って白い目で見てきたのは言わずもがな。  でも、今日の試合はネギ先生にとって大切で落とせないものだ。心情的にはネギ先生の応援をしたいものだ。 「全く、役立たずのくせに口うるさい奴だ」 「仕方ネーダロ動ケネーンダカラ」  私に抱えられるチャチャゼロに不満を漏らしている師匠。今は私服で白を基調としたレースが豊かなワンピースを着ている。私も休みなので私服。白い十字架がプリントされた赤いセーターに黒いミニのプリーツスカートと黒のオーバーニーソックス。私はこんなのを着たくは無かったのだが、チョイスは遠坂で、彼女が昔着ていたような服装でもあり、断れなかった。 「しかし、良いのですかマスター」  チャチャゼロと師匠のやり取りに茶々丸さんが口を挟む。今夜の仕合でネギ先生の相手をするのは彼女だ。シンプルなノースリーブのブラウスに巻きスカートみたいな黒いパレオ。下はスパッツだという。 「ネギ先生が私に一撃を与える確率は概算約3%以下……ネギ先生が合格できなければマスターとしても不本意なのでは」  確かに師匠は、ネギ先生がこの試練に合格して欲しいと思っているフシがある。けれど、師匠はそれを否定するようにキッパリ言い張る。 「おい、カン違いするなよ茶々丸。私はホントにコイツ以外に弟子を持つ気はない。メンドいからな」  師匠がチャチャゼロから視線を上げて私を湿度の篭った目で見る。 「……迷惑かけてます」 「……フン。それに、一撃当てれば合格などとは破格の条件だ。これでダメならボーヤが悪い。いいな茶々丸、手を抜いたりするなよ」  師匠が茶々丸さんを見据え、意思を叩きつけるように命じた。 「ハ……了解しました」  答える茶々丸さんは師匠に従うものとしての言葉で返した。 「師匠、そろそろ時間です」  取り出した携帯電話の時刻表示を見て師匠に告げる。そろそろ日付が変わるころ。いつネギ先生が来てもおかしくない。 「そうか……」 「エヴァンジェリンさーーん」  師匠の呟きのすぐ後に階段下から声が響いた。 「ネギ・スプリングフィールド、弟子入りテストを受けに来ました!」  大階段前の時計塔の針がちょうど零時を指した時、ネギ先生はこちらを真っ直ぐに見て宣言した。 「フフ……よく来たなボーヤ。では早速始めようか」  ノリノリでネギ先生を見下ろす師匠。私はチャチャゼロを抱えたまま一礼。礼儀は大切だしな。隣で茶々丸さんもしている。 「お前のカンフーもどきで茶々丸に一撃でも入れられれば合格。手も足も出ずに貴様がくたばればそれまでだ。わかったか」  ニヤリと充分に脅しの利いた説明。  けれどネギ先生もニッと口元を笑みの形にすると、 「……その条件でいいんですね?」  と確認を取ってきた。  我に策有りみたいなネギ先生の表情に師匠は戸惑いの表情を浮かべるが、不利な点はないはずと頷く。  で、次に師匠はネギ先生の後ろに視線をやり、 「……それよりも、そのギャラリーは何とかならんのか!」  怒鳴っていた。  明日菜に刹那、木乃香、古さん、佐々木さんは分かるとして、夕食の時からそのまま付いてきたのか明石さんに大河内さん、和泉さんまでギャラリーとしてネギ先生に声援をあげている。 「はぁ、ついて来ちゃって……」  慕われているねネギ先生。  ネギ先生は皆の励ましを受け、彼はそれに応えている。 「茶々丸さん、お願いします!」  茶々丸さんと向かい合い、一礼。 「お相手させて頂きます」  パレオに手をかけてスパッツのみとなる。  長期戦はネギ先生に不利、初めのところで短期に決めれないと彼に勝ち目はないだろう。茶々丸さんもそれを承知のはず。 「では、始めるがいい!!」  師匠が戦いの始まりを宣言した。 「失礼します」  開始と同時に茶々丸さんが一気にネギ先生に踏み込む。 「契約執行90秒間・ネギスプリングフィールド」  対するネギ先生は手に小さな杖を持ち、何か魔法を唱えた。途端に先生から魔力が吹き上がる。  茶々丸さんのブースター付のワンツーを子供とは思えない素早さで捌き、回り込んでその回転力をそのまま攻撃に変えた。 ——八極拳 転身胯打!!  普通ならこれで一撃が入りそうなものだが、茶々丸さんの反射能力は凄まじく、あえなくガードされた。  ギャラリーからも惜しいという声が上がる。  後は攻撃、裁き、カウンターの応酬がハイスピードで繰り返される。 「ななな何コレー」「ポコポコ殴り合うだけと思っていたのに何者、この二人!?」  ギャラリーの中で一般人からの驚愕の声が聞こえる。  ネギ先生が出しているあのスピードは……魔法によるもの。似たものは私が良くやる『身体強化』に近いものか。 「ふん……我流の自分への魔力供給か、なんつー強引な術式だ」 「自分への契約執行ですね。確かに強引で無駄が多く見えます」 「分かるのか? ああ、そういえばお前がよく使っている魔法でもあるか」 「ええ、でもこのままではネギ先生は……」 「そうだな、わずか二日の修行ではスピード、パワーが追いついたところで勝てん」  そう言った矢先に茶々丸さんの回し蹴りを捌き切れず、ネギ先生が大きく後ろに飛ばされた。体勢を立て直すも、無理をしているのが一目で分かる。 「ネギ君!!」  佐々木さんの悲鳴にも似た声が響き、 「いや作戦どおり!! あれは誘いアル!!」  古さんの声が勝利を予感させる声音をしている。 「誘い!?」「うむ!」  ここで起死回生の一手か。きっと古さん仕込みの技だろう。何が出る?  トドメとばかりに打ちかかる茶々丸さんの拳を捌き、  捌いた腕の手首を握って固定、  そこに一歩、震脚を利かせた近距離からの肘を打ち込む!  ——八極拳 六大開「頂」 カク打頂肘!!  これも普通なら決まった一撃。だけど、相手は百戦錬磨の吸血鬼の魔法使いの従者を勤めるロボットだ。かわし方も尋常ではなかった。  捕まれた手首を軸にして跳躍、そのまま体をクルリと一回転。攻撃をかわされて動揺しているネギ先生を後ろか回転力を活かして蹴りつけた。  見事に攻防一体となった一撃。  蹴られた先生の体が、リングとなっている大階段の踊り場の上を滑っていく。ゴロゴロ転がって、うつ伏せで倒れたまま動かなくなった。  魔力供給による身体強化や、蹴られる瞬間に障壁に魔力が集中、僅かだが茶々丸さんの手加減もあったにしろ、ここまで派手にやられると誰もが思っただろう。決着は付いたと。 「……チッ」  ——ギリ  師匠の舌打ちと歯軋りが聞こえた。この結果によほど不満があるようだ。やっぱり勝って欲しいと思っているんだな師匠。 「ふん……まあ、そんな所だろう」 「ゴキゲンナナメダナ御主人」  抱えているチャチャゼロが愉快そうにケケケと笑う。こいつは茶々丸さんよりも師匠と付き合いが古いから師匠の心情を知って楽しんでいるようだ。 「残念だったなボーヤ。だが、それが貴様の器だ。顔を洗って出直してこい」  倒れているネギ先生に悪役然といった態度で宣告する師匠。重大な怪我はないか。 「ネギ!!」「ネギ君」  駆け寄る明日菜と佐々木さん。でも、その足が止まる。 「へ……へへ」  ネギ先生が立ったのだから。 「まだです……まだ僕くたばってませんよ、エヴァンジェリンさん」  足はガクガク立っているのもやっとだろう。契約執行による魔力供給も切れている。これでは戦う意味はない。 「ぬっ…? 何を言っている? 勝負はもう着いたぞ、ガキは帰って寝ろ」 「ヒット直前ニ障壁ニ魔力ヲ集中シテタゼアノガキ」 「あ、チャチャゼロも分かったんだ」 「オウヨ」  ダメージはあれでもネギ先生ができる範囲で最小。でも、この後どうする気なのだろうか? 「でも、条件は『僕がくたばるまで』でしたよね。それに確か時間制限もなかったと思いますけど?」  ————なんて子だ。これほどとは……。 「な……何っ!? まさか貴様……」  師匠も驚いている。先生が最初に条件のところで笑みを浮かべていたのはこういうことだったのか。 「へへ……そのとおり。一撃当てるまで何時間でも粘らせてもらいます」  ——ダシッ  震脚一発、再び構えをとり、茶々丸さんと向かい合うネギ先生。 「……茶々丸さん、続きを!!」 「し、しかし先生……!?」  戸惑う茶々丸さんだが、ネギ先生は構わず突きを繰り出す。  けど魔力供給もない今、スピードもパワーも落ちている。不意打ちとはいえ、茶々丸さんに一撃は与えられるものではない。  捌かれ、肘が打ち下ろされる。  悲鳴のあがるギャラリー。  尚も戸惑う茶々丸さんにネギ先生は言葉を続ける。 「茶々丸さん……ほ、本気でお願いします。手加減されて合格しても意味ないですから」 「で……でも」  有無言わないで下さいとばかりにさらに突き。これで、茶々丸さんの気持ちは固まったようだ。 「……わかりました」  弾き飛ばす。立て直すところに一撃。カウンターを狙おうとしているところを潰す。追撃。追撃。追撃。容赦なく茶々丸さんの攻撃がネギ先生に決まっていく。  先生は魔力を防御に集中させて、どうにか致命的な一撃を避けているが、それもやがて来る敗北への時間稼ぎのようにも見えてしまう。  見守っているみんなも当初の元気さは失われ、不安と心配の二色で彩られていた。  肉を打つ音が、骨が軋む音が響き、鳴り渡ること一時間が経とうとしている。  ——はあ はあ はあ はあ はあ はあ はあ はあ 「ネギ先生……」  茶々丸さんの戸惑う声。ネギ先生の荒い息遣いが大階段の踊り場にやけに響いて聞こえる。  殴られ蹴られ、間接技こそないもののすでに数える事もできないほど打たれたネギ先生の面相はボロボロだ。メガネもひび割れ、衣服は何度となく地を転がったため泥だらけ、顔面も殴られて腫れ上がり、左目の視界を狭めてしまっている。  でもネギ先生は立っている。そして目に光は失われていない。彼はまだ諦めておらず、それを止めることは誰にも許されない。 「お、おいボーヤ……」 「師匠……まだ止めないでおきましょう」  師匠がネギ先生に声をかけようとするのを腕を上げて止める。 「だがボーヤはもう限界だぞ。これ以上続ける意味はないだろう?」  信じられないという目でこちらを見る師匠。でも、ここで止めてはいけない。 「意味はなくても、価値はあります。それにここで止めてもネギ先生は納得しませんよ」  ネギ先生の何度目かの踏み込み。最初と比べるととても遅く、簡単に捌かれるその突き。案の定、簡単にブロックされてカウンターで回し蹴りをもらってしまう。  でも、立ち上がる。腕の中のチャチャゼロは「根性アルナーアイツ」とか言っている。でもこれは根性とかではない。信じたものを曲げられないから立ち上がる。ただそれだけのことだろう。だから私もネギ先生が気になる。放っておけない。 「……バカかあいつは…」  師匠の呆れの混じった呟き。師匠には無駄なことにここまで労力を裂くことが信じられないのだろう。 「バカでしょうね。でも、譲れないからバカになるのがそんなにいけないことでしょうか?」 「ソレガ分カルトイウコトハ、志保モバカノ類ダナ」 「ははっ、まあね」 「……いいだろう。あのボーヤが完全に倒れるまで見届けてやる」  このやり取りで何か感じることがあったのか、師匠は静観すると決めたようだ。腕を組んで再び見下ろす姿勢を取る。下では未だネギ先生の苦戦が続いていた。 「も、もう見てらんない。止めてくる!!」  師匠が静観の姿勢を取って間もなく、明日菜がこの様子に我慢が出来なくなったのか今にも飛び出そうとしている。 手には仮契約カード。本気のようだ。でも、ここで止めることは例え明日菜でも許さない。手に三本の短剣[ダーク]を投影。明日菜の足元目がけて投げ—— 「だめーーアスナ!! 止めちゃダメーーッ」  その前に佐々木さんが明日菜の行く手を遮って大声で制止させた。手を広げて、体全体で止めるという意思を彼女は表している。 「で、でも、あいつあんなボロボロになって、あそこまでがんばることじゃないよ」  遮る佐々木さんに明日菜の反論。  最もではある。今日が駄目でも後日力をつけて再戦するなり、別の魔法使いに戦い方を師事するのも手ではあるだろうし、普通はそうする。  でも、ネギ先生は今、エヴァンジェリンという師匠を必要として、目標のために負けられないのだ。佐々木さんはそのことを分かっているのか声を震わせて喉から声を絞り出す。 「わかっている。わかっているけど……ここで止める方がネギ君にはひどいと思う。だってネギ君、どんなことでもがんばるって言ってたもん!」  足を震わせて、必死に言葉を出す佐々木さん。明日菜をはじめ、みんなの視線が彼女の必死の姿に言葉もない。 「でもっ……あいつのあれは子供のワガママじゃん、ただの意地っ張りだよ。止めてあげなきゃ……」  明日菜の反論にも力はない。佐々木さんとの言葉の応酬はさらに続く。 「違うよっ ネギ君は大人だよ!」 「ま、まきちゃん。シャワーでもそう言ったけど、あいつどこからどう見たって……」 「子供の意地っ張りであそこまでできないよ。う、上手く言えないけど…ネ…ネ…ネギ君にはカクゴがあると思う」 「か、覚悟?」 「うん、ネギ君には目的があって……そのために自分の全部でがんばるって決めてるんだよ。アスナ、自分でも友達でも先輩でもいいし、男の子の知り合いでもいいけど、ネギ君みたいに目的持っている子いる? あやふやな夢じゃなくて、ちゃんとこれだって決めて生きている人いる?」 「そ、それは……」  静かになるみんな。もはや佐々木さんに反論できる者はこの中にはいない。  ネギ先生の目的。父親であるサウザントマスターに追いつき、『立派な魔法使い[マギステル・マギ]』を目指すこと。このこともそのための一歩。だからネギ先生は引けない。引く気もないのだ。  私の目指す『正義の味方』それも未だに見果てないもの。故に、彼が引けない気持ちも錯覚かもしれないけど、分かってしまう気がする。きっと佐々木さんにも何かがあって引けないものを持っているのかもしれない。 「(何だあれは……あ…青い…これが若さか)」  隣で師匠が佐々木さんの主張に顔を赤くしている。 「(でも師匠、恥ずかしくてもいいじゃないですか。気取って何も言えないよりは何倍も良い事ですよ)」 「(……あんなことを言えるほど私も若くはない)」  なぜか小声で師匠はそう言って、さらに赤くなってしまった。  佐々木さんの言葉は続く。 「ネギ君は大人なんだよ。だって目的持ってがんばってるもん。だから……だから今は止めちゃダメ」 「…………まきちゃん」  もう誰も何も言わない。目に涙を浮かべた佐々木さんの訴えは全員の注目を集めて、場を支配していた。そう『全員』だ。 「まき絵さん……」  茶々丸さんさえも佐々木さんを見ていた。それが決定的。  後ろでよろめきながらも拳を構えるネギ先生。 「あ……オイ茶々丸!!」  気付いた師匠が叫ぶがもう遅い。 「え」  ——ぺちんっ  その拳は最初と比べて全く威力もスピードも技術もない。ただグーでハタいただけのもの。でも、これが決定打で、勝負がついた瞬間だった。 「あ……当たりまふぃた……」  みんながこの結果に驚くなか、ネギ先生はそう言って力を使い果たし、倒れた。 「やったーーっ」 「ネギくーーん」 「コラー茶々丸ーーッ」 「す、すすすすいません! マスター」  ネギ先生が倒れたのをきっかけに大階段で起こる小規模な騒ぎ。歓声、怒号、謝罪。  こうしてネギ先生は師匠の弟子二号となる訳なのだが……あ、今冷静に考えてみると私が兄弟子、いや今は女だから姉弟子になるのか。  元の世界に帰ることもあるから、短い付き合いになるかもしれないけどよろしくな。  明日菜に介抱されているネギ先生を見て、これからのことに思いをはせた。「ふーーん。そんなことがあったんだ志保ちゃんは…………」 「すまない。ここ数日話したように学園警備の仕事もあって……」  ネギ先生の弟子入りテストから数時間後、教師用の寮の一室。学生寮と変わらない間取りの部屋で、私はここ数日まともに遠坂に会えなかった理由を話していた。  遠坂からの視線は冷たい。隣のセイバーからの援護もない。 「まあ、今の志保には志保なりの生活があるから強くは言わないけど。『士郎』に戻り、元の世界に戻ることになった時、大丈夫?」  遠坂の視線は先ほどまでと質が違っていた。  さっきまでのは責めるような湿度ある視線だが、今のは真剣の刃の如き視線だ。偽りも誤魔化しも切り捨てるという意味が込められている。  だから私も正面から答える。 「ああ、きっと後悔はしない」 「……」 「……」  視線が合わさること数秒。体感的には一時間にも感じるその時間の後、ふう、と遠坂が諦めたようなため息を漏らしてデスクの椅子に座る。 「分かったわ。全く、士郎が志保に変わっても中身は全然変わらないんだから」 「全くです」  セイバーまでそう言う始末。この辺り、完全に諦められている。 「紅茶、淹れなおすよ」  少し申し訳なく感じたため席を立って、二人のためにキッチンで保温布に覆ったティーポットからカップに紅茶を注いでいく。  この教師寮は通勤が不便な職員、教師の住まいなのだが、学生と違い、移動手段が豊富な教師陣のため、ここの寮は空き部屋が目立っている。そのため、遠坂は学園長に無理を言って、遠坂用、セイバー用と個別の部屋を用意させて、さらには工房用の部屋までこの隣に作ったとか。  で、この部屋は遠坂の部屋。二階の角部屋で、この寮で一番いい部屋になる。部屋はあらかじめ据え置きの家具や電化製品のほかに、空間を圧縮させたトランクから出した数々の小物が置かれている。セイバーと私が掃除と整理をしているお陰で混沌にはなっていないのが救い。 「明日から私は先生か……時計塔で講義をしたことはあるけど中学校で教師は初の経験よねー」 「凛なら良き教師になれるでしょう。自信を持ってください」  紅茶を持って戻ると遠坂はデスクに置かれた教員用の教科書をパラパラと捲っていた。遠坂のことだ、すでに明日の授業の勉強を終えているだろう。何事も完璧にこなさなくては気が済まない主義だから中途半端は決してしない。見れば、デスクにはバインダーに閉じられた授業ノートも置かれている。なんだかんだ言いながらノリはいいようだ。 「A組はクセ者ぞろいだから気をつけてくれ。はい、お茶。セイバーも」 「ん、ありがと」「いただきます」  お茶請けはここに来るときに焼いたスコーン。  しばらく、遠坂やセイバーが麻帆良を散策したときの話題を中心にお茶の時間が進む。二人とも早くもこの街の空気に馴染んでいるようで安心した。 「ふぁ……」  安心して気が緩んだのか欠伸が抑えきれず出てしまう。そういえばまだ眠っていないのだっけ? 「志保、あんた今の体は吸血鬼の体なのよ。いくら日光を克服しているといっても無理はしないで眠ったら?」  む。でも今日ここには遠坂が私の体を調べるということで呼んだはず。これでは無駄になってしまうのではないか? 「体調を万全にしないと調べるものも調べられないわ。さ、部屋に戻って眠りなさい。早寝早起きの吸血鬼なんて本来は前代未聞なんだから。調べるのはまた後日」 「うーー、その言葉に甘えさせてもらう。なんだか体が重いし、寝るね。お休み遠坂、セイバー」  遠坂の言葉が引き金になったのか、妙にだるくなってきた体を引きずって学生寮に戻ることにした。  これが『遠坂先生』の誕生の前日のことだった。  ゴールデンウィークが明けた五月六日。A組にニュースが飛び込んできた。 「ねえねえ、知ってる? ウチのクラスに来る数学の教師、前原先生に代わって新しい先生が来るんだって」 「ああ、うん知ってる。確か副担任もすることになっているらしいわね」 「どんな先生アルか?」 「話では凄い美人だとか……」 「朝礼よりも前にこのクラスに挨拶しに来るそうだって」  常に刺激を求める若い中学生のこと、あっという間に話は広まる。発信源は当然このクラスで一番この手の情報が早い人物だ。  鐘が鳴り、程なく朝礼前のショートホームルームのために担任であるネギが教室に入ってくる。みんなすでに席についている。 「起立——礼——着席」  週番の掛け声(今週は釘宮)、そしてネギの連絡事項を告げる声が朝の教室に響く。 「えっと、今週は特に連絡事項はありません。それと——」 「副担任の先生、でしょ!」  ネギのセリフを先取りするように朝倉が言う。これには転校生の志保の時のこともあり、もう驚かないネギだったがやっぱり残念そうな表情だ。 「やっぱり知っていたんですか……はい、今日からこのクラスの副担任で数学を前原先生に代わって教えてくれる人がいます。……遠坂先生、どうぞ」  ネギの声を受けて、教室の扉が開く。今回は鳴滝姉妹によるトラップはなし。理由は志保が止めたから。曰く、「命が惜しければやめておいた方がいい」だそうだ。  入ってきた人物を見たとき、教室の時間は止まった。  美人の教師は源先生をはじめ、学園に何名かいる。だが、目の前の人物は纏う空気からして鮮やかだった。  着色のない黒髪はウェーブを描いて背中まであり、髪に映えるように深紅のスーツと白いブラウス。スーツと揃いのタイトスカートを完璧に着こなしていた。  教壇の前に立ち、青みかがった双眸で一通り教室内を見渡す。その様が全く嫌味にならない。  静まるクラスにネギは戸惑いながらも、今朝に学園長から紹介を受けた副担任をクラスのみんなに紹介する。ネギにしてみればこの人物とは三度目の出会いになる。まさか自分が担当するクラスの副担任になるとは思わなかった。 「えーっと、今日からこのクラスの副担任になります遠坂凛先生です」 「遠坂凛です。担当は数学をさせて頂きます。あくまで臨時の教師なのでいつまで皆さんとご一緒できるか分かりませんが、皆さんの楽しい学園生活の一助になれたらと思います」  口から出てくる言葉も彼女に良く似合っているものだ。  みんな思った。とんでもない人が来たと。 「はい、私の初の授業となるわけですが、皆さん数学なんて実生活で役に立たないと思っていませんか?」  朝の遠坂の挨拶から時間は流れ、今は六時間目の授業にして遠坂先生の初授業の時間だ。黒ぶちの伊達メガネをかけて、チョークを握る手に淀みはない。実に様になっている。教師というよりは進学塾の講師という感じではあるが。  昼休み、修学旅行のときに遠坂に会った人ほぼ全員からどういうこと? と質問をぶつけられた。特に遠坂が魔法使いと知っている明日菜や刹那は突っ込みが激しい。  とりあえず、正直に師匠を介して遠坂を学園長に紹介したら教師をすることになったと言うしかなかった。でも、逆にこれで信用された。「学園長ならやりそうだ」と。  数時間もしない内に遠坂と私が親戚だという話が広まる。発信源はやはり朝倉。そして現在に至る。  遠坂は黒板に『1、2、3……98、99、100』ということを書いている。 「では、問題。1から100までの数字を全部足したらいくつになるでしょう。30秒で解けたら成績表にイロを付けるわよ——ハイ、始め!」  なんて早速凄いことやってくれます。  教室の大半がいきなりの問題に戸惑っている。持っていた電卓で色々やろうとしている柿崎さんや、わざわざ紙に書いて計算している佐々木さん。でも、遠坂。うっかりしているかもしれないけど、ここはA組。尋常ではない生徒も存在しているのを忘れてはいけない。 「はい」「はいネ」「はい」  すぐ上がる手は三つ。葉加瀬さん、超さん、茶々丸さんの三人。これには遠坂も目をパチクリさせている。結構自信があった問題だったようで、それをいきなり解かれて驚いているみたいだ。 「……じゃあ、19番超さん」 「答えは5050ネ」 「……正解」  自信満々に答える超さん。遠坂は口に手を当てて「まずったわ」なんて言っている。さらに超さんはこの問題の解説までする。  ほほー、と感心の声を上げるクラスのみんな。  要は数直線の話しだ。1から100までの数直線。両端の数字を足すと101になる。さらに2と99、3と98と足していけば最終的に101が50個出来る。後は101を50でかければいいのだ。 「……はい。以上のように同じ問題でも数学的思考で当たればより効率的に短時間で答えに行き着くことができ——」  お株を完全に奪われ、以降元気なく授業を進める遠坂。でもこの位でヘコむ彼女ではないだろうな。むしろこれを足場に逆にヘコませてやるというのが遠坂凛だ。  授業終了の鐘がなる。  いつもの掛け声が終わると、遠坂は真っ直ぐ私のところに来る。 「志保、今日も診察は延期してもいい?」 「え? ああ、いいけど遠坂どうするの?」 「決まっているわ。明日こそこのクラス全員が納得する授業をやってやるのよ。そんな訳でセイバーの夕食はよろしく」 「あ、うん。分かった」  こっちの返事を待たずに遠坂が教室から出て行った。 「アイヤ、遠坂センセ負けず嫌いネ」  その様子を見ていた超さんが楽しそうにしていた。『あかいあくま』もA組の濃い面子には敵わなかったか。でも、あれは絶対復活するだろうな。数段パワーアップして。  目を閉じなくてもその光景がありありと浮かぶ。これは明日から大変だ。それを予感しているのは何も私だけではなく、クラス全体がエライ物が来たと感じていた。  放課後。部屋に戻り、いつもの様に動きやすいスラックス、シャツ、タクティカルブーツに着替える。色は黒で統一している。ここ数年、色の好みまであの弓兵に近くなっているので少し沈む。  向かう場所は師匠の家の裏手。昔の廃墟があり、時折私も鍛錬に使う場所。  ここで今日から師匠によるネギ先生の修行が始まるのだ。  広場にはネギ先生と師匠、茶々丸さん、魔法の存在を知ったという綾瀬さんに古さんまで見学に来ている。  ネギ先生の前に並んでいる五人。木乃香、宮崎さん、明日菜、刹那、そして私。全員ネギ先生と仮契約を交わした『魔法使いの従者[ミニステル・マギ]』ということになる。  師匠が始まりを告げた。 「よし、では始めろ。刹那、『気』は抑えておけ。相応の練習がなければ『魔力』と『気』は相反するだけだ」 「はい、エヴァンジェリンさん」 「いきます」  ネギ先生がカードを取り出す。コピーではない、オリジナルの方だ。あれから機会を見てカモミール君にカードの複製方法を聞いてみたが、契約の精霊を使ってどうこうという話で、全然次元の違う話だった。つまり半分も理解できなかった。 「契約執行180秒間! ネギの従者 近衛木乃香 宮崎のどか 神楽坂明日菜 桜咲刹那 衛宮志保」  そのカードに記された名前を呼ばれた順番でネギ先生から魔力供給がなされる。みんなそれぞれに感じた感覚に小さく声を上げる。 「む……」  私もつい口に出る。  他の人の魔力を受けるのは遠坂で経験してはいるけど、これは単純に魔力だけを供給しているというより、同時に身体強化や障壁効果も受けている。異物感がある。でも、不快ではない。むしろ、少し気持ちいい。 「うひゃひゃっ、こそばーー」「あう……」 「慣れないのよねコレ」「そうですか? 私はそれ程……」  みんなの感想も似たようなものかな? 後ろに視線をやれば五人分の魔力供給を必死に行っているネギ先生の姿。 「よし次だ。対物・魔法障壁、全方位全力展開!」 「ハイ!」  今回はネギ先生の実力の程を見極めるため、あえて限界に挑むのが主眼となっている。  私も色々やらされたなー。下手したら遠坂のシゴキよりキツイのだから。投影しか出来ないならあれを投影してみろ、この百本や二百本ぐらい一度に剣を出して見せろとか……本当に色々。 「次! 対魔・魔法障壁、全力展開!!」 「ハイ!」  師匠が取り出したパックのトマトジュースに口をつけながら次の要求。 「そのまま3分。持ち堪えた後、北の空へ魔法の射手199本!! 結界張ってあるから遠慮せずにやれ!」 「うぐっ……ハ、ハイ!!」  そうして三分。息を切らせてネギ先生が詠唱に入る。 「光の精霊199柱 集い来りて敵を射て」  放たれる大量の魔法の射手。光の軌跡を大量に虚空に描き、魔法の矢は全て北の空に飛んで行き、結界にぶつかり散っていく。  この間発せられた音は全て大音量。花火大会の打ち上げ会場直下のようにお腹に響く音が轟いた。  魔法の矢が散っていくなか、光の粒子を撒き散らし、空がキラキラと輝いた。 「おおー」「これが魔法……ですか」「キレー…」  けれどこれほどになると術者にも負担はかかるようで、 「あうう?」  ドテーと目を回したネギ先生が倒れてしまった。  この結果に師匠は痛く不満足の様子で、 「この程度で気絶とは話にもならんわ。いくら奴譲りの強大な魔力があったとしても使いこなせなければ宝の持ち腐れだ!! あ、志保お代わりだ」 「りょうかい。はい、これ」 「うむ」  倒れるネギ先生をかなりこき下ろしている。ついでにパックジュースのお代わりも所望している。すぐに保冷バックからだして冷えたトマトジュースを師匠に渡す。  確かに他の魔法使いは師匠の他に高音さんや愛衣ちゃん、後は高畑先生ぐらいしか知らないけどみんな自らの能力をフルに活かしている。ネギ先生の場合はそれもままならない様子。それが師匠の不機嫌の原因となっているみたいだ。  倒れるネギ先生に代わり、カモミール君が先生の弁護をする。 「よーよー、エヴァンジェリンさんよぉ。言い過ぎじゃないかい? 兄貴はまだ10歳だぜ、5人同時契約3分プラス魔法の矢199本なんて修学旅行の戦い以上の魔力消費じゃねーか。気絶して当然だぜ、並みの術者だったらこれでも充分……」  だけど、師匠が並で満足するはずもない。 「黙れ。この下等生物が、並の術者で満足できるか……志保に調理させて喰うぞ?」  大迫力の師匠。視線だけで人が殺せるほどだ。でも、調理は私の担当なんだ……どうしようか。とりあえず、唐揚げ? 「ヒィィィィィィ……こえー」 「ハイハイ、こわかったわね」  さっきまでの強気はどこへやら、カモミール君は明日菜にしがみ付いてブルブルと震えきっている。 「私を師と呼び教えを乞う以上、生半可な修行で済むと思うな」  師匠は気絶から回復したネギ先生にこれからの修行への覚悟を語り始める。 「いいかボーヤ。今後私の前でどんな口応えも泣き言も許さん。少しでも弱音を吐けば貴様の生き血、最後の一滴まで飲み干してやる。心しておけよ」  『くろいあくま』モード全開でネギ先生に半ば脅しで言い放つ。  でも、言われた先生の意思は本物だった。 「はい! よろしくお願いしますエヴァンジェリンさん」 「む…?」  予想以上に前向きな反応に戸惑う師匠。思わず一歩引いている。 「わ、私のことは、志保に師匠と呼ばせているから……マスターと呼ぶがいい」 「は、はいマスター! あのっところで、ドラゴンを倒せるようになるにはどれ位、修行すればいーですか?」  ん? ドラゴン? なんか風向きが変わった。 「何? ……もう一回言ってみろ」 「ですからドラゴンを……」 「ほうほう、ドラゴンか……」 「はい……」 「アホかーーーッ!!!」  ——ポギャ 「ぺぷぁ!?」  師匠が爆発した。  一先ずネギ先生の襟首捕まえている師匠を抑えないと。 「21世紀の日本でドラゴンなんかと戦うコトあるかー」 「まあまあ師匠抑えて、私も昔は魔法使いが作った魔法生物の竜を相手どったことはありますから、ネギ先生だっていずれは……」 「それはお前の話だろうが! アホなコト言っている暇があれば呪文の一つでも覚えとけ」 「あうう」  結局、ここに茶々丸さんが抑えに入るまで師匠の怒りは収まらなかった。  師匠が解散を宣言、師匠に断りを入れてみんなと一緒に寮に向かう。今日は遠坂の頼みでセイバーの夕食を作らなくては……。でも、ネギ先生も加わり、これから師匠との修行は賑やかになりそうだ。 唐突だが、場所は変わる。  サンゴ礁の海が鮮やかなコバルトブルーの色を発している。熱帯性の植物が浜辺を彩り、白い砂浜がカレンダーに反して夏を主張している。  ここは雪広グループの所有するリゾート島。  雪広あやかが最近元気のないネギを励まそうと週末を利用して彼をここに招待したのだ。ただし、余計な付属もあったのだが……。 「「「「海だーーーっ!!」」」」  歓喜の絶叫。A組の半数があやかについて行き、このリゾート島に降り立っているのだ。  原因は至極簡単。朝倉と早乙女に彼女の『ネギ先生と二人っきりパラダイス計画』が早々に嗅ぎ付けられたのが敗因。それでも、付いてきた彼女たちの旅費までしっかり面倒みるところが『いいんちょう』というところか。  やって来たほとんどの者はリゾートを楽しみにきたものだが、中には不本意ながら、引っ張られてなどで来てしまったという者もいた。 「なんで私までこんなとこ来なきゃいけないのよ」 「まあまあ、ちょーど新聞配達もお休みやったしえーやん」  まず、明日菜がその一人。来る気はなかったのだが、木乃香に引っ張られるように来てしまった。水着も他のみんながプライベート用に対して学園指定のものだというのも彼女が浮いている原因になる。もっとも、誘った木乃香や護衛で付き添っている刹那まで指定の水着を着ているから違和感にはならなかった。 「はあ、なんで私まで来ているのだろう。あの時朝倉に誘われなければ——」 「の割には、しっかり水着を持って来ているです。しかも大胆なデザイン」 「綾瀬さん、誤解ないように言っておくけど、これを選んだのは遠坂だぞ」  もう一人が志保。朝倉に海に行かないかと誘われ、水着がないからと断ろうとしたが運悪く遠坂の耳に聞こえ、チョイスに一日。そうして遠坂に送り出されて来たのだ。  デザインはネックホルダーの黒いワンピースなのだが、お腹のところと背中の部分が大胆に開いている。雪広さんもそれに近いデザインの水着を着ており、志保は浜辺にただ立つにも多大な勇気が必要だった。  救いがあるとすれば、雪広さんのものより布地の部分は多く、ハイレグカットにもなっていないので、黒色という助けもあって見ようによっては競泳用の特殊水着に見えないこともないところか。  ともかく、この状況の始まりとなった原因はネギ先生と明日菜。二人の不仲に端を発している。  エヴァンジェリンの修行初日。皆に解散が宣言せれて間もなく始まった口論。トドメに明日菜のハリセンが飛び、吹っ飛ばされるネギ。引っ込みがつかなくなり、その後も関係修復を図ろうとするも裏目に出て、今に至るまで会話はしていない。  原因と結果だけ見れば、クラスのみんながこうして南の島にリゾートに来れるのはネギと明日菜のケンカのお陰ともいえた。 「なにが露出面積からいえばセパレートと変わりない、だ。充分恥ずかしいぞ」  水着を買う際、遠坂からの言葉を思い出し、ため息を吐く。  遠坂もここ最近授業も軌道に乗り、先生業は順調のようだ。後は警備としてだが、これはまだ出番は無く、セイバーは主に遠坂の手伝いに専念している。ここ数日で遠坂から自分の体を調べてもらったが、正真正銘女の子の体であり、吸血鬼となっていると分かった。ただ、どうしてこうなっているのかは未だに不明。元に戻せるのかも不明だ。  場合によっては一生この体と付き合っていくかもしれないから覚悟はしておいてと診察の終わり際遠坂に言われた。  でも、その遠坂が私にこんなものを着せるのだ。恋人としてどうよ? 「……遠坂、不満があるなら聞こう。思う存分言ってくれ。よほど無理難題でなければそれに従おう。だからこういうのはやめてくれ」  北の方向をむいて、未だに春の気候の麻帆良にいるだろう遠坂に素直な苦言を漏らした。  改めて今の自分を見下ろす。うん。水着姿だ。それも割りと『大胆』なデザインのだ。でも雪広さんのような『際どい』ものではないのが救い。でも、恥ずかしいものは恥ずかしい。女の子はこんなのを着て泳ぐのだ。桜、遠坂、みんな、私は君達を尊敬する。 「はいはいー、エミヤンも黄昏てないで、折角カッコいい水着買ったんだしさ、遊ぼう、遊ぼう!」 「な、朝倉! 誰が元凶だと思っているんだ。あ、放せ、やめて…」  白いビキニ姿の朝倉に引っ張られていき、強制的に海に持っていかれました。  あ、そういえば吸血鬼って流水や海も弱点のはず。日の光は大丈夫だけどこれはまだ未知の領域だ。 「ほいやー、行けー、エミヤン!!」 「わー、わー!」  結論からいうと吸血鬼として水も大丈夫でした。ただ、ここまで騒いだせいかみんなに散々遊ばれたのは言うまでもないことだった。 「はー。みんな少しひどくないか?」 「ゴメンゴメン、少しはしゃぎすぎた」 「悪かったって。ほら、これ飲んで機嫌直して」  夕刻も迫り、水上ホテルのオープンバー風の所に図書館探検部をはじめとしたみんなが集まっていた。  この人数の旅費を雪広さんが渋々ながらも持ってくれているのだ。お金持ちはやはり違う。遠坂風にいうなら凄い『金ピカ』ぶりだ。髪も金色だしな。いずれ何らかの形でお礼はしておこう。  トロピカル色満載の飲み物を飲みながらみんなの話が賑やかに盛り上がる。あ、これは美味しい。レシピを聞いておきたいものだ。 「最近の男子は情けないってゆーか、カッコ悪いってゆーか、元気ないところはあるよ」 「まーねー」  話はいつしか男の子の話題になってきていた。  女の子だから異性に興味を持つのは当然だけど、こちらとしては居心地が悪くなってきた。 「やっぱり男は戦ってないとね。夢に向かってさ」 「目標……夢か……」 「てことは付き合うなら年上ってことかにゃー」 「でも先輩とか兄貴も将来何になりたいとかわからんとか、よー言—てたけど」  交わされる年頃間近の女の子の会話。  あー、何か居場所がない。でも記憶が戻ってからはより『士郎』の部分が出るだろうと思っていたけど、このところの反応はみんな女の子寄りだ。遠坂に聞くと、脳をはじめ肉体全部が女の子なら精神が男でも肉体に引っ張られるのは当たり前だそうだ。このままいくといずれは精神まで女の子になるとか。 「(つまり、ここにいるみんなの話に混じっても違和感なくなるということか)」  自分の体を見下ろす。水着に包まれた女の子の体。客観的にみるなら胸はないが全体のバランスはよく、不健康ではない肌の白さ、髪の色、目の色、これらが遠坂の選んだ水着に良く似合っている。士郎の時に浜辺でこんな子とすれ違ったらまず振り返る。  そんな子がここにいる女の子と男の子を話題にした談笑に混じっている風景を思い浮かべる。違和感はない。むしろA組の美人度は全体的に高いためよく馴染むことだろう。 「(本当、いつか折り合いつけないとな)」 「アスナさーん 待ってーーアスナさん、話を聞いてくださいーーっ」 「うるさいわねっ」  これからの事を考えていたら、はしけを走る明日菜とネギ先生の姿が前を横切っていく。 「ついて来ないでよ!」 「あーーん、待ってー」  ここ数日ネギ先生の元気がない。  今こうして南国のリゾート島にいるのも雪広さんがネギ先生を元気付けようとしてのことで、私達はいわゆるオマケだ。  原因はこの通り明日菜とのケンカ。師匠によると「何か知らんが勝手に盛り上がっていたぞ」だそうだ。ネギ先生の師匠の修行初日、私が帰った直後にこのケンカは起こったみたいだ。  仲直りしようとネギ先生は努力したみたいだが、この様子では裏目に出ているみたいだ。 「ま、まあ10歳だしね……」 「情けない時もある————かな」 「カワイイけど」  知らない間に話題はネギ先生になっていたのか、みんなこの様子に苦笑していた。ここに、初めて口を出した人がいた。 「……でも——戦わなくて済むなら、ホントはそれがいいと思います——平和が一番……」  宮崎さんだ。きっとネギ先生が修学旅行のときに懸命に戦っている姿を見てのことだろう。子供に戦いが及ぶのは本当に辛い。戦場で銃を向けてくる女子供にあった経験がある身としてはネギ先生のような子は守らなくてはと思う。  でも、この場の話題としてはギャップがありすぎてみんなに笑われてしまい、宮崎さんがヘコむ結果になった。 「はぁーーー」  夕日に照らされるはしけをネギはため息ついて足取り重く歩いて行く。 「オ、見ろよ。スゲー夕焼けだぜ兄貴。マジでここは南国バカンスだな」  肩にとまっているカモミールが、ネギとは対称的にかなり暢気なことを言う。彼にしてみれば、この島に来て水着の女の子に囲まれかなりご満悦だったのだ。 「そんな場合じゃなよカモ君」 「おっと、そうそうアスナの姐さんだったな」  暢気な相方にネギは大弱りだ。  ここ数日何度となく明日菜に放しかけようとするが、悉く無視され、話しかけるきっかけさえ掴めないでいた。この島に来てから何か変わるかと思ったが、無駄であった。 「心配ねえよ、そのうちキゲン直してくれるって」 「あうう、そんな無責任なこと言ってー」  カモミールの能天気極まりない言葉に半分涙を浮かべ、ネギははしけをトボトボと歩いていくと、 「ネギせんせー、大丈夫ですか?」 「アスナさんとは仲直りできましたか?」 「……その様子では、まだみたいですね」 「あ」  はしけの行く先に三人の影。のどか、夕映、志保の三人がネギを待っていた。 「え、私達と図書館島へ行ったことが原因の一つ?」  はしけにある東屋。そこにあるベンチに私達三人が座り、ネギ先生は向かい合って立っている。話はここで行われた。  バーでネギ先生が通り過ぎるのを見て、いい加減この状態は何とかしたいなとお節介ながらネギ先生に話を聞こうと席を立った。  でも、それは綾瀬さん、宮崎さんと同時で、彼女達の考えることも一緒だった。修学旅行のこともあり、綾瀬さんから無言の威圧を受けるが宮崎さんが「でしたら一緒に話しませんか」と言ってくれ、その言葉に甘えることにした。  現在はケンカの原因をネギ先生から聞いていることで、そもそもの原因は先週、師匠の弟子入りテストが終わった翌日に明日菜に無断で図書館島に行ったことにある。  詠春さんからネギ先生にネギ先生のお父さんに関する手がかりを貰い、それが学園の地図であり、手がかりとなる場所が図書館島の深部だったとか。そこに半ば強引に綾瀬さんと宮崎さんがついて行き、なんでもドラゴンがいたせいで逃げて来たそうだ。 「ああ、それで師匠にドラゴンが倒せないか聞いたんだ」 「はい、そうです。あ、志保さんなら倒せますか?」  話がそこに振られた。 「うーん、どうだろ? 竜殺しの武装はいくつかあるけど通じるかな……」  一応、私の世界の中にはアロンダイトやグラム、ヤマタノオロチを斬った十拳剣などがあるけど、果たして『こちら』の竜に通用するだろうか? 「ともかく、それが原因なんだ。これがそのケンカの時の会話だぜ」  カモミール君が逸れかかった話題を戻して、私たちにA4サイズの紙を数枚渡してきた。 「これは?」 「葉加瀬さんが茶々丸さんのメモリーからプリントアウトしたものだそうです」  ネギ先生の説明を受けて紙に目を落とす。なるほど、内容は解散直後の会話文だ。ここからケンカの原因を探って欲しいということか。  三人して紙に目を通す。……あ、なるほどこれは怒るか。でも、後半にいくにつれ会話が単なる罵り合いになっているなー、おサルでクマパンでパイ○ンはないだろう……。 「なる程……」 「どうだ、何かわかるかい?」  一通り目を通して綾瀬さんが代表して声を出した。 「この部分が問題ではないですか?」 「綾瀬さんもそう思う?」 「ええ」  綾瀬さんの指摘する箇所。  そこは、ネギ先生が明日菜に「アスナさんは関係ないから迷惑をかけてはいけない」と言っているところだ。  これはネギ先生にしてみると「アスナさんは元々一般人だからあまり危険な目に会わせて迷惑をかけたくない」と言いたかったのだろうが、明日菜にしてみると「無関係なただの中学生だからもう首を突っ込むな」と聞こえるだろう。 「ええっ!? 僕、そんなつもりは全然」 「つもりはなくとも、そう聞こえてしまえばショックでしょう」 「そうだね、これでは今まで一緒に戦った仲なのを否定されたようなものだ」 「そ、そんな……そっかー」  綾瀬さんの言葉を受けて沈むネギ先生。でも、立ち直りは速かった。 「あ、ありがとうございます夕映さん!! 志保さん!!」 「女心わかってんな!!」 「いえ、常識の範囲内かと……」  そうだね、これは常識の範囲内だ。私がもっと女心が分かるなら、苦労はそうそうしてこなかったと思う。朴念仁とか言われているもんな。 「……ところで話は変わりますが、折り入って先生に相談があるのです」  話に一段落が着いたところで、綾瀬さんが表情を引き締めて新しい話をもってきた。 「いいですね? のどか」 「うん」  私とは反対に座る宮崎さんの意思を確認するように綾瀬さんは顔を窺う。その話は二人ですでに了解済みだったのだろう、宮崎さんの答えに迷いはない。 「あの、その……」  しばらくのためらいの後、出てきた言葉はネギ先生にとって大破壊のものだった。 「ネギ先生、私達も…魔法使いになれないものでしょうか?」 「……へ?」 「ええーーー魔法使いに!?」 「が、がんばって勉強します……」 「やはり、無理ですか? 一般人ではダメ……とか?」 「いえっ……必ずしもそうではないですが…」 「では是非!」  洪水のように交わされる三人の会話。  これも師匠に聞いた話だが、『こちら』の世界の魔法使いは私の元の世界の魔術師よりも血統にこだわりはないそうだ。必要とされるのは素養と資質、技術に魔力。それさえ満たせば一般人からでも魔法使いになれる。門戸は『魔術師』の世界よりも開かれている。でも、 「ダメですよっ、アスナさんのこともそうですけど、無関係なあなた達生徒を危険な目に会わせる訳にはいきません!」  非日常のリスクはどこの世界でも変わりない。  この世界の魔法使いは『魔術師』よりも外道の割合は低く、むしろ目標として陰ながらの社会貢献が金科玉条。でも、必ずリスクは存在してしまう。修学旅行の時がいい例だ。  でも、綾瀬さん達の決意は固く、 「ええ…ですから危険と冒険に満ちた『ファンタジーな世界』に足を踏み入れる決意をしたということです。あのドラゴンを倒すのを全部先生達に任せるのもムシがいい話ですし……」 「私達も何か力になりたいんです」  そう言ってネギ先生に決意の言葉を言っている。 ……力に、か。 「……綾瀬さん、宮崎さん、本気?」 「え? ええ本気です」 「……はい」  唐突に挟み込まれた私の声に戸惑いながらも答える二人。 立ち位置は二人と対面するような形にしている。 「そう……ネギ先生、ちょっとゴメン」  私としてはこんな良い子達に非日常のリスクは負わせたくないし、ネギ先生だってそうだろう。でも、それでも覚悟があるなら…… 「投影開始[トレース・オン]」  ——ドガンッ 「きゃ!」「わ」  虚空に長さ二メートルはある両刃の大剣を数本作り、二人を囲むように撃ち下ろした。大きな振動の後にはしけに深かぶか突き刺さる剣。同時に両手に黒白の夫婦剣を持つ。 「志保さん何を!?」  ネギ先生が慌てている様子だけど構わず、へたり込んでいる二人を見据え、双剣をちらつかせて私は聞く。 「こんな危険が当たり前のように存在する。それが魔法使いの日常だよ。それでも足を踏み入れるの?」  我ながら幼稚な方法だと思うけど、これ以外上手い方法は思いつかない。  見据えた先の二人の目。怯えが多くを占めているが、それでも決意は揺るがない。 「ええ、さっきも言いましたが足を踏み込む決意はしました。リスクを背負う覚悟も……」 「…それでも、力になりたいんです」  見極めが甘かったのは私か。強いんだな、二人とも。 「……分かった。ごめんなさい、試すような事をして。嫌っていいから。——投影終了[トレース・オフ]」  剣の檻を消し、両手の夫婦剣も消す。同時に床の穴は剣を[変化]させて塞ぐ。 「ネギ先生、すいませんでした。失礼します」  ネギ先生にも頭を下げて東屋を後にしようとしたが、止められた。  綾瀬さんに腕をつかまれて。 「どこ行くですか。まだ私は何も言っていません」 「いや、でも君達に剣を向けたのは許されないことだ。これ以上謝っても済む問題じゃないと……」 「そういう問題じゃないです」  こちらの言葉を一刀両断する綾瀬さん。 「衛宮さんは私達の決意が本物か知りたかったのですよね?」 「ああ、うん」 「そのために、今の事を行った。……やり方は不器用ですけど気持ちは分かりました。————嫌うはずないじゃないですか」  驚いた。本当に聡明な子だ。そして優しくもある。綾瀬さんの表情は穏やかなものだった。宮崎さんもその事が分かっているのか特には言わないけど、同意見みたい。 「……ありがとう、綾瀬さん、宮崎さん」 「夕映でいいです」 「私ものどかで」  二人の言葉に少し目頭が熱くなった気がする。いかんな、女の子になったせいで涙もろくなったかも。  この後、綾瀬、もとい夕映はさらにネギ先生に仮契約を迫るが、やってきた朝倉が契約方法がキスだと教え、断念したようだ。果てはカモミール君が勝手に『ネギと愉快な仲間達』なるメンバーを捏造したりもしていた。ちなみに私は前衛だそうだ。  ネギ先生達魔法使いの日常と私や遠坂のような魔術師の日常。それに共通して言えることは他の大多数の一般人からすると非日常の世界だというだ。  普通に生きて暮らしているほうが何倍も幸せだというのは言うまでもないことだろう。世界は異なれど、それぞれにシビアさは存在するのだから。でも、こうして仲間といられるのならきっとそれすら楽しみの内になるかもしれない。  翌日早朝、明日菜とネギ先生の大騒ぎがあり、それで二人が仲直りしたとベッドの中で知った。やはり二人はああいう風でないと嘘だ。そう思い密かに口を綻ばせていた。 ゴールデンウィークも明け、関東に所在地のある麻帆良では春もそろそろ終わりと言う時節。  学園都市を一望できる展望台には来る夏を思わせる爽やかな風が青い空から吹き抜けて来る。朝ということもあって少々肌寒いが、眼下に望む街並みと湖が相まってこの場所に来る人間の心を晴れやかなものにしてくれ—— 「はあーーーあ。アスナさん3日も口、きいてくれない……」  訂正、この場所に来ても心の晴れない者が約一名。  見た目は10歳ほど、赤毛を後ろでまとめ、可愛らしい顔にチョコンと眼鏡をかけ、背中には身の丈に不釣合いの長い杖をくっつけているその姿は最近ではここ麻帆良学園内で有名になりつつある子供先生、ネギ・スプリングフィールドその人だ。朝ということもあり、彼は普段の七五三のようなスーツ姿から年相応の私服姿にしている。  そして、その私服が包む体は子供に不似合いなほどの負のオーラでガックリと肩を落としていた。今の彼の目には展望台から望む素晴らしい景色もきっと何の感慨を与えないだろう。 「またまた問題が積み重なってきたな、兄貴」 「あうう……」  ネギの肩に乗ったオコジョ精霊のカモミールがここで口を開き、その言葉にネギは呻く。  カモミールの言う通り、今のネギには大小様々な問題が山積していた。  先ずは先日、ネギは自身が強くなるために真祖の吸血鬼にして最強の魔法使い、エヴェンジェリンの弟子入りテストに合格したところだ。その彼女が修行[トレーニング]の方向性のために提示された戦い方のスタイルを決めなくてはいけない。  魔法を放つ砲台と化す『魔法使い』か、自らも前衛に出るスピード重視の『魔法剣士』かという選択だ。エヴァンジェリンの言に寄れば、小利口なネギは『魔法使い』向きなのだが、ネギは父であるナギのスタイルである『魔法剣士』に惹かれている。  次に挙げられるのは図書館島のことだ。ネギは修学旅行で京都に行った際、関西呪術協会の長にしてナギの盟友である近衛詠春からナギに関して手がかりになる学園の地図を貰った。その地図が示す場所、図書館島の深淵部に彼の予想もしなかった物がいた。  竜〔ドラゴン〕。おそらくは深淵部の門番だろうそれに対し、ネギは手も足も出なかった。これではせっかく見つけた手がかりも意味がない。  だが、何よりネギが今一番気にかけている問題はそれらではない。 「そんなことよりアスナさんだよ、アスナさんーーっ! 何で怒っちゃたんだろう、ケンカするつもりなんて全然なかったのにーーっ!」  ここにきてとうとう感情が爆発したのか、ネギは頭を抱え込んでしまった。その時相方であるカモミールを肩から落としてしまっているが気付く余裕はないみたいだ。 「女の人の気持ちなんて、全然わかんないよーーー!!」 「ま、10歳の子供に女心っつーのが無理な話だよな」  落とされたカモミールはそのことに気にすることなく、何処からかタバコを取り出し、「色男は大変だな兄貴」と言いながら紫煙をくゆらせネギの慌てる様を意地悪く面白がっていた。  ネギの現在の最大の問題。それは彼の生徒にして寮で同室の女の子、神楽坂明日菜との仲違いだ。  一番の始まりはエヴァンジェリンの修行が始まった初日の事だ。初日ということもあり、様子見であっさりと終わり解散。仮契約を交わしてくれた宮崎のどか、衛宮志保の二人をはじめ、その場にいた半数が帰っていく中でアスナと交わした会話。  初めは件の図書館島にアスナを連れていかな事に彼女が不満を漏らしたことからだった。それがどこからか口論になり、口げんかになり、終いにはアスナがアーティファクト〔ハリセン〕でネギをハタいてしまったのだ。  その後、ネギは謝るべくアスナを仮契約カードで呼び出すが、タイミング悪く彼女は入浴中。しかも呼び出された先にはネギだけではなく偶々居合わせた高畑もおり、アスナは一糸纏わぬ姿を彼らに晒してしまった。  裏目に出てしまったこの仲直り作戦のせいで授業中はもちろん、寮にいても口どころか視線すら合わせてくれないのだ。  このままではいけないのはネギにも分かっている。ただ、どうしたら? ということでネギはこの三日間頭を抱え続けていた。  カモミールにしてもこの状況は良くないのは理解しているが、それ以上に面白く思っている。雨降って地固まるともいうし、上手くいけば前以上にネギはアスナと親密になれるだろう。慕う『兄貴』の幸せを願うのは使い魔の勤め、ただし状況は面白おかしくかき混ぜるけどな。などと不謹慎な思考がカモミールの脳を駆けていたが、その天罰か、  重厚なエンジン音。  ゴンッ! 衝撃〔インパクト〕 「ぷろっ!」  カモミールは見るからに高級な車に撥ね飛ばされ、麻帆良の朝の空を舞った。  そして高級車は止まる。ただし、撥ね飛ばした小動物を気にしてのことではない。その証拠に降りてきた運転手はカモミールの事などお構いないなしで後部座席に歩を進めている。  幸い当たり所が良いのか精霊としての力か、カモミールはオコジョの轢死体になることはなく、後部座席を丁重に開ける運転手に文句を言う元気はあった。ネギは車のエンジン音かカモミールが撥ね飛ばされる音で気が付いたようで抱えた頭を放し、高級車に視線を移した。 「おはようございます、ネギ先生」 「いいんちょさん!」  後部座席から降りてきたのはネギの担当する3年A組のクラス委員長にして雪広財閥の令嬢である雪広あやか。彼女は初夏の花々をバックに極上の笑顔をネギに向けて彼の手を取る。 「ここ数日程元気がないとお聞きしましたが……」 「えっ、いえ……」  あやかに手を取られ慌てながらもネギはどうにか答える。彼女はクラスでもおそらく一番ネギを慕っている生徒になるだろう。なぜなら、あやかが理想とする少年像がネギそのものだからだ。  あやかは俗に言うショタコンである。そんな彼女が理想とするネギの身を案じるのは当然のことだった。そのために財閥の力を振るうのに躊躇いはない。 「先日のGWはどこかへ?」 「いえ、どこへも……」  エヴァンジェリンの弟子入りテストのためにネギはゴールデンウィークを全て費やしたのだ。どこかに出かける余裕はなかった。あやかは僅かに目を輝かせた。これは好機だと。 「まあ! いけませんわ。いかがでしょう? せっかくの週末ですもの、私が『南の楽園』へ御招待させて頂きたいのですが……」 「え…………『南の楽園』……?」 「ハイ 南の島の『海』ですわ」  ネギとあやかの二人から僅かに離れた物陰に二つの影があった。 「ほほう……海、かぁ」 「そういえば、しばらく行ってないねぇ、海」  この二つ、二人はこの手の話を聞かせてはならない人物ワースト10に入ると麻帆良学園生の見解は一致している。  一人は赤毛の髪をアップに纏めた活発そうな印象。もう一人は黒髪を腰まで伸ばし、アンテナのような癖毛とメガネが印象に残る。 あやかの目論見はすでにこの段階で潰えていたのだ。 「どうする?」 「そりゃぁ、もちろん——」  出席番号32番 衛宮           EX  水着を買いに行こう! 「あんた、自分を着飾ろうとか思わない?」  そんな遠坂の一言が出てきた場所は食堂棟にある甘味屋だった。 「着飾るって、私は『男』だぞ。そりゃ今はこんな姿だけど……大体なんで遠坂が私の服装について突っ込まなくてはいけないのだ。よほどみっともない格好をしているならともかく」  反論しつつ、アンミツを口にする。うん美味しい。春休み辺りを境に甘味も口にする機会が結構ふえたなあ。  放課後、さらに明日は休みとあって、私たちのいる甘味屋の店内は中々繁盛している。そしてその客の殆どが女子生徒で構成されており、今の私がこの中に居ても違和感にならないのが少しガックリくる。  今日は弓道部が休みであり、教師をしている遠坂も早めに仕事が終わり、師匠のところに行くまでの空いた時間をこうして甘味屋で過ごしている。 ちなみにセイバーだが、一足先に師匠のところに行って、彼女の相手をしているらしい。修学旅行で会った当初からどうも二人とも仲が良い。やはり同じ欧州系だからだろうか?  甘味をつつきながら何気ない会話が続いた。話すことの大半はお互いの近況。元々教えるのが上手く、完璧主義の遠坂は3年A組の副担任としてすでに十二分の働きを見せている。他のクラスでも担当の数学を教え、来て一週間もしない内に評判は上々だとか。私の方はというと、弓道部に出て、遠坂とエヴァンジェリンという二人の師匠から教えを受け、その傍らで学園長からの仕事、学園で発生した修理等の依頼もこなすという忙しくも充実した日々を過ごしている。  ただ、ここ数日は気になることが身近に一件あるのだが……それはともかく、そんな会話の中で遠坂は先の言葉を言ったのだった。 「みっともないわよ。制服とあのロリ吸血鬼のところに居るとき以外のアンタは前と変わらずTシャツにGパンかチノパンよね。女の子でそれは十分みっともない部類よ。『男』だからという言い訳は聞きたくないわよ、先に言っておくけど」 「む」  話題はいつの間にか普段着についてに移行。現在追い詰められている状態だ。  確かに私の普段着といえば以前のようにTシャツとGパン。でなければ『教会』の法衣に似た黒い裾の長いワンピースと極端に地味。『女の子』のおしゃれにも一家言ある遠坂としては我慢ならなかったのだろう。  かく言う彼女の今の服装だが、例の赤いスーツにタイトスカートという出で立ちだ。聞くところによると、同じものを何着か持っているのだとか。で、私は学校帰りらしく制服。 「とはいえ、今の私にどうしろと?」  そのセリフを待っていたのか、ニンマリと笑みを浮かべる遠坂。あ、なんかマズイかも。  こういう表情をした遠坂に私は今まで何度無理難題を言われてきたことか……しかも狙いすましたかのようにピンポイントで致命的なことをだ。 「ふふ、それは「お、ちょうど良いところに! おーい、エミヤーン」ちっ」  救いの声は甘味屋の入り口から。赤毛をアップにして、いかにも活動的に見えるその姿はここ麻帆良でかなりの知名度を誇っている。  朝倉和美。麻帆良報道部に所属し、日夜デジカメを片手にトクダネを追い求めている突撃記者。一般人に秘匿されている魔法についてもある程度知っており、異世界出身の私達としてはいつ正体がバレないか警戒するべき相手なのだが、今は救いの女神に見えている。 「朝倉。ありがとう、声をかけてくれて」 「?? なんかよくわからないけど、どういたしまして?」  思わず近づいてきた朝倉の手をガッシリと取り、感謝する。遠坂がわずかに悔しそうな顔をしているけどどんな無理難題言われるか分かったものではない。ここは諦めてもらおう。 「で、私に声をかけたみたいだけど用件は?」 「ああ、うん。それなんだけどね。エミヤン、海に泳ぎにいかない?」 「はい?」  朝倉は私達と相席状態で注文をした宇治金時に舌鼓を打っている。打ちながら出てきた話は結構壮大なお話だった。  雪広さんがネギ先生を連れて明日からの土日、南の島に行くのだとか。しかもその場所は雪広さんの実家でもある雪広グループが所有するリゾート島で、そこを一日貸し切ってのことだとか。 「はぁ、お嬢様と思っていたけどとんでもない金ピカぶりね、雪広さんは」 「は? 金ピカ?」 「ああ、いや。こっちの話だよ」  遠坂独特の表現についていけない朝倉は怪訝な表情をしているが、私はヤレヤレと思う。相手を『金ピカ』と呼んだ相手はこの十年で二人。英雄王にルヴィアさん。そこに今回で雪広さんがランクイン。いくら生粋のお金持ちを敵視しているにしても自分の生徒に向けるのはどうかと思うぞ。  そんな意味をこめた視線を向けたが、当の遠坂は何か考え込むような表情をしだし、次に小悪魔めいた笑みを浮かべている。なんなのだ一体? 「——で、私達もついて行こうということかな?」 「ま、平たくいえば」  ニシシと笑う朝倉に今度は呆れる。雪広さんにリゾートを『たかる』とは……しかもすでにクラスのみんなにも声をかけてしまい、半数から島行きの希望があがっている。スケールの大きい話があったものだ。当然私は断る。他のみんなにも言っておきたいが、楽しみにしている人もいるだろうから邪魔はしないでおこう。 「悪いのだけど朝倉。私はそんなたかりみたいな真似はしたくないよ。第一、まだ水着とかは持っていないしね」  水泳の授業がこれからあるとは思うので、水着はその時に購入する予定だったため今は当然ない。  それにこの体は吸血鬼。流水に弱いかは確かめていないけど、用心したい。 「ありゃ残念。エミヤンが来てくれると色々楽しそうだったんだけどなー」  宇治金時を平らげて、「んじゃね」と朝倉が席を立とうとしたとき、今まで妙に黙っていた遠坂が声をあげた。 「待った朝倉さん。その話、乗った」  え、なんでさ? 「つまり、私の水着を買ういい機会だからこの話にのった、と?」 「ええ、ちなみに拒否権はないと思って」 「おー、引っ張り回されているねーエミヤンは」 「ニンニン」  朝倉の持ってきた話に乗るということが決まってすぐ、私は半ば引っ張られるように駐車場に向かっていた。これから車で都心にある水着を売っているブティックまで一っ走りするのだとか。  蛇足だが付け加えるなら『こちら』の遠坂の運転免許証は師匠がツテを使って調達してくれた。私も『むこう』では車を運転するが今はこんな外見だ、免許を持っても逆に警察に怪しまれるのでここでは免許持ちは彼女一人になる。  話を戻そう。ともかく私が女子用水着に身を包むことに突っ込みを入れたい。だが、その前に 「何で朝倉や楓まで一緒にくるのかな?」 「む、酷いでござるな。一緒に志保殿の水着を選んでやろうと思ってのことなのでござるが」 「そのこころは?」 「いや、去年の水着が入らなくなってさ。オニューのが欲しいと思っていたところだったんだ。特に胸の辺りが苦しくて……」 「……朝倉さん。今度の数学の小テストですけど、朝倉さんだけ特別メニューを用意しましょうか?」 「ご勘弁を……」  賑やかな道中だ。朝倉は食堂棟からそのままついてきて、楓はというと私が土日に一緒に修行する予定だったため断りを入れる電話をかけたら「拙者も行くでござる」と言い出し、現在の状態になっている。 「遠坂、今の私は吸血鬼なんだよ。ひょっとしたら海に入れないかもしれないんだけど、それでも行けと?」  朝倉達に聞こえない声量でどうにか思いとどまってくれないかと暗に言っているのだが、彼女はなんでもないという風にあっけらかんと返してくれます。 「別に海に入れなくても楽しむ方法はいくらでもあるわよ。私は明日出勤でセイバーはあの吸血鬼のところだけど、その分まで楽しみなさい。いいわね、これは命令よ」  め、命令ですか。 「さ、乗って」  程なく目的の車が置いてある場所に着いたのだが、その車というのがとんでもない。 「遠坂、この車ってダッジバイパーじゃないか?」  真紅に塗られた攻撃的な流線型のフォルム。アメリカ製らしく日本車のものより大柄な車体。エンブレムには毒蛇があしらわれている。よく見れば元が2シートのところに手が加えられており、大人四人が余裕で乗れるようになっている。  毒蛇の意味を持つこのアメリカ製のスポーツカーは麻帆良学園の駐車場にあって、一際の存在感を放っていた。 「これ? 高畑先生が車を買い換えるというから安く譲り受けたのよ。アメ車はいまいち好みじゃないんだけどね色が気に入ったから頂いたの」  本当はイタリア車が好みなんだけどねーと、事も無げに言葉を返して運転席に乗り込んでしまう遠坂。イグニッションキーが回され、大排気量のV10エンジンが低い唸りをあげる。 「…………とりあえず、乗ろっか?」 「了解でござる」 「はぁぁぁ」  朝倉と楓は気圧され気味に、私はため息まじりで4シート仕様のバイパーに乗り込む。それにしてもいつの間にこんな車を高畑先生から譲り受けたのだろうか? 高畑先生も高畑先生でよくこんな代物をポンと手放すものだ。第一、これを購入するお金がどこにあったのだろう。 「乗ったわね。じゃ、いくよ」  ギアが入り、クラッチがミート、低い唸り声を上げて進みはじめたバイパーのハンドルを握る遠坂の表情は実に楽しげだった。 幸いにして遠坂はハンドルを握ると性格が変わる性分ではないし、運転技術も確かなもので、何事なくバイパーは埼玉から東京へ走った。  そうして都心は某有名なブティックが立ち並ぶ場所。  五月に入り、早くも夏物商戦が熱を帯び始めているこの一帯。その商戦の目玉の中には当然水着もある。 「ここまで来て今更だけど、やはり私が水着を着るのはどうかと思うぞ」 「冗談。学園でも言ったけどアンタは着飾ることについて疎すぎるわ。これは男女以前の問題ね。そのためには少しの荒療治は必要と思うんだけど?」 「けど、下手をすればここは下着売り場並みの気恥ずかしさがあるぞ」  私達がいるのは件の水着売り場。下着と違い、表に出すためか形状も色も下着よりもバリエーションが豊富で、中には本気でこれを着る人間がいるのかと思うくらい露出度が高いものや、オーソドックスにワンピースとしてまとめられているものまで様々だ。  ちなみにお金は遠坂持ち。車の中で聞いたのだが、資金源は修学旅行のあの後、遠坂は天ケ崎千草が捕まって空となったアジトから活動資金を報酬分失敬してきたというのだから少し呆れる。その遠坂はというと「タダ働きなんてごめんだからね」だそうだ。  数々の水着が展示されている売り場を先行している朝倉と楓は嬉々として進んでいる。 「お、これなんかいいねー。ねえエミヤン、これ着てみない?」 「全力で拒否していいか?」  目の前に出されたものは最近よく見られる白いビキニタイプだが、重要な部分以外は紐でしかないというスタイルは勿論、精神の面でも着る人を選ぶ代物だ。 「これなんてどうでござる?」 「断固却下」  楓から出されたものは一見セパレートの普通の水着に見えるが、布面積が異常に少なく、さらにV形状の水着と合わせて着るもののため露出度以上にキワドイものがある。 「というか、二人とも面白がっていないか?」 「あははっ、まさかー」 「まさかでござるよー」  嘘だな。明らかに。  その様子をさっきから見ていた遠坂は後ろから声をかけてくる。 「志保だったら何が着たいの?」 「え? いや、私はそんなにキワドイものでなければ」  私の言葉に「ふーん」と言いつつ遠坂は店内をクルリと一望して、ある一点に視線を止める。伸ばされる彼女の形のよい指が目的のものを指す。 「アレなんかどう?」 「マジか……」 「マジよ」  指されたソレは一目ではネックホルダーの普通のワンピースタイプの水着。ただし、背中と腹の部分が大胆にカットされている。救いといえば、ハイレグタイプではなく色も黒一色のため特殊仕様の競技水着に見えなくもないことか……。 「セパレートよりは露出度は低いと思うし、きわどくもないわね」 「にしても、大胆ではないか?」  あれを着るのにはスタイルはもちろんそこそこの勇気も必要になるかと思われるのだが、どうでしょうか遠坂さん? 「すいませーん、あれを試着したいのですがー」  問答無用で店員を呼んでくれます。  試着室に水着を持って入る。 「はいはい、うなだれていないで脱いだ脱いだ」 「聞くけど、一緒に入る必要あるのか?」  遠坂も一緒にだ。 「あるわよ、水着もただ着ればいいものじゃないんだから。コツがあるのよ」  ピッと指を立てて心なしか彼女の胸も反らされている。  そういうものなのか。下着のときに茶々丸さんから教えられた時もそうだが、男物よりも女性用の服というものは細やかな気配りが必要だと感じさせられた。これは水着にしても言えるのだろう。  朝倉と楓はというと、すでに目的のものを買って外で待っている状態だ。ただ、突っ込みたいところは彼女たちが買ったものというのが、最初に私に勧めたものと同じデザインだということだ。  制服のベストを脱いでネクタイを外し、ブラウスを脱いでスカートを下ろす。 「——下着も……?」 「愚問ね」  やっぱりか。  覚悟を決めてブラとショーツにも手をかけた。  さらされる肌は若干の肌寒さを伝える。鏡には白い女の子が鏡に映っており、これが自分だと認識するのに相変わらず時間がかかる。 「で、これは具体的にどうやって着るのだ? コツとか言っていたけど」 「……」 「? 遠坂?」 「……あんたさ、色んな意味で女の敵ね」  そのセリフとともに背中から伝わる感触。何かが上から下にツツーと下がる感触。 「! ——っ! なんっ!?」 「肌はきめ細かい上に感度もいいか、スタイルもバランス面で文句なくいいし……」  背中の感触は指か? だけどなんで? 「これで本人は着るものに頓着していないなんて、宝の持ち腐れよ」  半ば敵意交じりの遠坂の声と一緒に背中から手が伸ばされ、肩に置かれる。鏡を見れば私と遠坂の顔が並び、彼女の息遣いがすぐ耳元で聞こた。身が縮こまりそうになる気分。  でも、離れられない。鏡越しの遠坂の表情が真剣だと語っている。  並んでいるのは白と黒。赤と銀。赤と赤。 「良い志保。確かにアンタは志保であり士郎でもあるわ。私としてもいつか士郎に戻れたらと思っているし、戻れないか手がかりも探しているわ。でもね、同時に今を否定することはできないわ。だから……」  ここまで真面目な口調の遠坂。  確かに、遠坂の言葉には頷けるものがある。近い将来『士郎』に戻ったとして、『志保』だった過去は消えない。ならば少しでも後で楽しかったと言えるようでありたい。  だから…… 「だから、オシャレの一つくらいはしなさい!」 「!? んわ!」  ここまでの空気を完膚なきまでにぶち壊す遠坂の声。  同時に肩に置かれた彼女の手が胸をむんずと掴む。当然、私のだ。少し痛い。 「何をする遠坂っ!?」 「ふんふん、Bの中頃というところか。若干硬いのは鍛えているからかな……ウエストは……う、やっぱり女の敵ね……」  この後さんざんだったということは言うまでもないことだろう。  ああ、こんな過去も消えないのだろうな。  土曜の朝。生徒と一部教職員を除けばこの日も麻帆良学園の先生方の仕事は存在する。何も授業するだけが教師の仕事ではないのだ。  その朝の空気に包まれた学園の廊下を葛葉刀子教諭は書類片手に歩いていたのだが、前から人の気配を感じて視線を上げた。  赤いスーツにパンツというスマートかつ特徴的な格好。緩やかなウェーブのついた黒髪を靡かせて颯爽と歩いてくる女性。  遠坂凛。  一週間ほど前に学園長の独断で数学教師兼3年A組副担任として採用された教師で、魔法使いらしいということ以外不明点の多い相手だ。  だが、人当たりはそつがなく、教師の業務にしても人並み以上にこなし、すでに実績を重ね始めている有能さは一般人、魔法教師どちら側にしてもこの数日で不明点の不信を拭うほどのものだった。 「遠坂先生おはようございます。今日はいつになく元気ですね」  刀子は言葉をかけつつ、いつもの朝なら若干低血圧気味の彼女が今日に限って妙に血色が良いと思った。(彼女自身は朝に極端に弱いことを隠しているようだが、教師陣では早くも周知の事実である) 「あ、葛葉先生おはようございます。いえ、昨日少しいいことがありまして……」  言葉を返す遠坂の声はやはりいつもの朝よりも張りがある。表情も心なしかにこやかで、言葉どおり『いいこと』があったのは刀子でなくとも見て取れる。 「そうですか。それにしても遠坂先生はお若く見えますね。なにかコツのようなものでもあるのですか?」  世間話レベルで何気なく口に出た言葉。刀子の聞くところによれば彼女の年齢は二十七。自分とそう大差ないはず。なのに遠坂の見た目は十代の少女のようにピチピチしているのだ。正直言って彼女には羨ましい限りだ。 「んー、そうですね……」  刀子の質問に遠坂はしばし考えるような仕草をしたが、やがて答えを得たのかニッコリした邪気のない笑顔で言葉を返した。 「——『恋』をすることでしょうか」 「……っ!! はっ!」 「いきなりどうしたの、志保?」 「あ、ああ。明日菜か……なんか今、全力で一言言わなければならない気になって……」 「? ……なにそれ?」 私はまたここにいる。  鏡のような一面の銀世界。それは『彼女』の心。  炎のように燃えている紅い空。それは私の心。  見渡す限りに突き刺さる剣は『彼女』にとっての従者であり、私にとっては分身。この身は千のツルギで構成されている……  故に口ずさむ言葉は一つ。  I am the bone of my sword[体は剣で出来ている] 「久しぶりね」  声がかかる。これで二度目の邂逅。けれど眠りから覚めれば忘れている出会い。 「君か」  振り向く。どうやら今回はキチンと体というものが存在するらしい。手足も認識できる。  視線の先には剣の従者達に囲まれた王女がいた。  可憐で、無邪気で、それ故に残酷。自身をイデアと名乗る自分の写し身がそこにいた。  二度目の再会。されど、目が覚めれば覚えていない泡沫の夢。 「記憶、戻ったようね」 「お陰様で。これは君が私の記憶を編纂した効果だろう?」 「まあ、ね」  イデアは雪原に突き刺さる剣を一振り一振り、愛しそうに撫でながら近づいてくる。彼女がイデア。死徒の王の一人。ナンバーは失われた19を冠する吸血鬼。けれど、彼女の風貌は今現在の私の姿をしている。そこに肩書きの物々しさは感じられない。  今の『知っている』私にとって彼女は自身の半分。敵愾心も嫌悪感もない。 「リョウメンスクナなんて最大級の幻想種を相手に固有結界、ね。アナタはわたしの思ったとおりの人だったわけだ」 出てくる声は大層嬉しそうだ。 「でもネギ先生との契約で得たアーティファクトがなければ仕留めれなかった。大口叩いておきながら情けないな」  私が出来る剣であの最悪の幻想種を仕留められる物は多くない。だから数で押そうかと思ったのだが、結果はあのとおりだ。つまりまだまだ未熟。たとえあの弓兵を越えたとしても、まだ先に世界は存在して未熟さを思い知らせる。 「ところで、イデア。話は変わるのだけど、二、三聞いてもいい?」  頭に引っかかっている事を彼女に聞いてみる。話しかけ方は数年来の友達に対するものだけど、問題はないだろう。 「うん? なにかな?」  彼女も気軽に応える。 「今の私はずっと『私』のままなのか? 例え元の世界に戻れたとしても……」  気になる事だ。遠坂やセイバーの手前、戻れないというのはちょっと考えさせるものがある。  この質問にイデアはコクンと一つ頷く。 「結論からいえばYES。今のアナタは女の子に変身しているのではなく、そうね……語弊を恐れずにいうなら『転生』したみたいなものかな。四散した肉体と魂魄、これをわたしが繋ぎの役割で新しい肉体に入っている状態だから。遠坂のお姉さんではどんなことをしても無駄ね」 「そうなんだ。はぁ、遠坂怒るだろうな……」 「大丈夫なんじゃない? 別に同性同士愛し合ってはいけないと日本の法律に書いていないでしょ。むしろ、今のアナタなら可愛がられること請け合いね」  素敵な笑顔でトンでもない事を抜かすイデアさん。  同性同士って……————うわぁ……顔が紅くなる。  この様子をニコニコ見ているイデアは一言、 「エッチ」 「ななな、これはちが…あー、もう! じゃあ次の質問!」 「ははっ、どうぞ」  誤魔化すようにイデアに質問をぶつける。 「今の私と君の状態ってどうなっているんだ?」 「なかなか良い質問ね」  イデアは出来の良い生徒に感心する教師のように一つ頷くと、驚くような話をあっさり話してくれた。 「私とアナタの魂魄は融合している状態なの。分離は不可能でしょうね例え第三魔法を持ち出しても……わたしが吸血鬼のせいで肉体まで影響があるし、アナタにも徐々に影響がきていると思うよ」 「融合……でも普段生活している上では吸血行為以外は何も変わらないよ」 「そうね、普段だと何も問題ないわ。でも、生命の危機になったり極度の興奮状態だとわたしの凶暴な面が表に出てくる。身に覚えない?」  言われて思い返してみると、こっちの世界に来る時にエヴァンジェリン、師匠を助けるときに何か価値観がクルリと裏返った感じがした。 「これはいわゆる『反転衝動』の一種。特異な血を持つものの宿業みたいなものね。気をつけなさい、下手をすると大切な人も傷つけるから」  イデアの表情は真摯で同時に哀しみがあった。私は首を縦に振って肯定するだけにした。 「さて、そろそろ時間ね。じゃ、前の様に帰ってもらうわね」 そう言って彼女はさっきとは打って変わって、どこかワクワクした表情でこちらを見やる。返すって、まさか!  「あ、いや、待って、もう少し穏やかな手段は……」 「ないわ」  キッパリ言い切ったイデアの周囲の空間に次々と装填される剣、槍、刀、銃剣、短剣、槌などの鋼たち。全て矛先は私。また、なのか。 「じゃ、またね」  イデアの素敵な笑顔と轟音と共に殺到する武器、武器、武器。千切られ、切り刻まれ、潰される私の肉体。  意識が途絶える間際、今度は余程のことが無ければ二度とここに来るかと思った。  出席番号32番 衛宮          第17話 悪魔が来たりて(前編) 「ラ・ステル・マ・スキル・マギステル 魔法の射手 連弾 雷の9矢!」  ネギ先生の魔法が成り、こちらに向けて魔法の射手が9本飛んでくる。  解析——雷の属性を持たせている魔力弾。威力は抑えられているため精々体が痺れる程度の威力だ。 「[変化]」  アーティファクトを弓に変化させ、投影した矢を放ち向かってくる魔法の矢を迎撃する。一つ、二つと射落としつつ最良と思われる位置まで回りこむ。 「——っ! 風精召喚 剣を執る戦友 捕まえて!」  こちらの意図を察したのか、ネギ先生はすぐさま次の呪文。詠唱が前よりも格段に速くなっている。  ネギ先生の姿を模し、剣や槍、中には大鎌をもった精霊が八人高速で襲い掛かってくる。一矢、二矢と矢を放ち、精霊一体を仕留めると弓を[変化]させる。  投影に比べ僅かなりともタイムラグが少ないのがコレの強み。変化させるのはいつぞやの吸血剣。 「ふっ! せいっ!」  襲い来る精霊を斬り倒しつつ力を略奪。剣に蓄積させる。  二体、三体と仕留めつつ、ネギ先生を窺う。詠唱に入っている——来る。 「闇夜切り裂く一条の光 我が手に宿りて敵を喰らえ 白き雷!」 「略奪解除————解放!」  ネギ先生の手から放たれた雷の魔法。それに向かって大仰な吸血剣を振り下ろす。精霊を斬って略奪した魔力が音叉を思わせる剣身にて共鳴・増幅、放たれる。風の精霊のためか放った魔力は風の衝撃波となってネギ先生の魔法と正面からぶつかる。  ——閃光、爆発  塞がる視界。狙い通り。剣を地面に突き刺し、足場にして跳躍、同時に両手に剣を投影————着地。  視界が晴れれば、私がいた場所に残されるのは突き立った吸血剣のみ。 「王手です、ネギ先生」 「あうーーまた、負けました」  悔しがるネギ先生の背後、投影した干将・莫耶を持つ私。 「そこまでです。休憩に入りましょう」  決着の付いたところで、横から様子を見ていた茶々丸さんが休憩時間を宣言する。 「あれ、もうそんな時間ですか。早いなー」 「それだけ鍛錬に身が入っていたということじゃないかな」 「そうですか……だったらいいですね」  話をしながら、ネギ先生、茶々丸さん、その頭に乗ってチャチャゼロの四人で広場から館に入っていく。  南の島から帰って来ると、ネギ先生が『別荘』で修行するようになった。  私に学校での生徒として学業があるように、ネギ先生にも教師としての仕事がある。その合間を縫っての修行では密度が足らないと師匠が言い、彼も『別荘』での修行をするようになった。一時間が一日になる師匠の『別荘』。ここで私と先生まとめて『三日』程の時間をここでの修行にしている。  今日の実践訓練は私とネギ先生が一対一の状況で戦うという設定。これが時折、ネギ先生対私含めて四人だったり、ネギ先生と従者の私対師匠陣となったりする。 「あれ、そういえばエヴァ、じゃないマスターはどこでしょう?」 「マスターでしたら遠坂先生のところです」  そう、遠坂も師匠との取引で『魔術』を教えるために別荘に来る。もちろん異世界の魔術のことはネギ先生には内緒にしているため、師匠が館の一室に厳重な結界を張って中を『魔術師』でいう工房にしてそのなかで遠坂の教えを受けている。  ネギ先生には遠坂と一緒に師匠が『魔法研究』をしていると教えている。あながち嘘ではない。 「マスターは研究熱心ですね。……僕もがんばらないと」  ネギ先生はそういって拳を握る。本当に頑張り屋だな。先生と魔法使い、その二束のわらじを完璧に履き分けている。そういえば遠坂も学園では完璧に授業をしているし、魔術師としても完璧に振舞っているんだっけ。私はそんなに器用じゃないからその場その場だ……二人とも凄い。 「シホ、ネギ、お疲れさまです。アイスティーを淹れていますからよろしければどうぞ」  休憩に使っている館の一室でセイバーがお茶を淹れて待っていた。 「ありがとうございますセイバーさん————うわぁ、おいしいですね。セイバーさんお茶を淹れるのが上手ですよ」 「いえ、私もまだまだです。これを教えてくれたのはシホや凛で、私の腕はまだ二人にはおよびません」  早速お茶を飲んで褒めているネギ先生に、謙遜しているセイバー。 「いや、セイバー謙遜することないよ。これならお茶にうるさいルヴィアさんだって充分満足するレベルだよ」  本当にセイバーの家事能力はここ数年で上がった。遠坂が整理の出来ない人間だったり、私が魔術協会の要請でいなかったりするときなどで腕が磨かれていったのだ。でも……冷静になってみると王様に家事をさせるのは何とも畏れ多いことだな。本人割と楽しそうにしているのが救いだけど。 「それで、どうだったさっきの戦闘評価は?」  ひとごこちついた所でセイバーと茶々丸さんにさっきの実践訓練の評価を聞いてみる。師匠がいない間は二人が評価を下す。  まずは茶々丸さん。お茶請けであるフィナンシェをキッチンから持ってきて、すぐに判定を言葉にした。 「そうですね————戦技評価を下しますと、満点を100ポイントにして、ネギ先生55ポイント。志保さん65ポイントです」 「はうう」 「相変わらず辛口だね。理由は?」  今度はセイバーも口を出す。お茶請けを頬張りつつなのは言うまでもない。 「そうですね、まずはネギ。遠距離からの魔法連携は結構ですが魔法と魔法の間がまだまだ開いています。あれでは隙を突かれますね。次にシホですが、目くらましの後、奇襲。それは問題ないのですが接近するのが遅いです。エヴァンジェリンレベルですと今の手は使えませんよ」  ピッと指を立ててお姉さんモードのセイバーさん。年齢的には確かに私たちの中では師匠に次いで年上になる。聖剣の力で歳を取らなかったけど、実際の彼女は藤ねえ位の歳はあった。お姉さん風になるのも無理のない話だ。しかも今は私の姿は女子中学生。ますます頭は上がらない。 「ふぅ……ようやく終わったわ……セイバー悪いけどお茶頼めるー?」 「……むう。有意義ではあったが少し疲れた。茶々丸、茶だ」  遠坂と師匠がやって来て、それぞれの従者にナチュラルに給仕を命じている。  ドッカリと二人してソファーに座り込む。よほど疲れたみたいだ。 「マスター、お疲れ様です。はい、お茶」  茶々丸さんの代わりにネギ先生が師匠にお茶を渡す。少し戸惑った様子を見せた師匠だけどすぐに気を取り直してカップを受け取る。 「…ボーヤ達も休憩時間か。ちょうど良い茶々丸、こいつらの実践訓練の映像は撮っているな」 「はいマスター。すぐに再生いたしますか?」 「やってくれ」  茶々丸さんが部屋にあるモニターに線を繋ぎ、自分の頭にあるコネクタと接続する。師匠は不在の時、訓練の様子をこうして茶々丸さんに記録させて後から見ている。  評価は辛かったです。「ヌルイ」と一刀両断されました。  別荘での『二日目』はネギ先生の実践訓練が主体。  ネギ先生の相手は茶々丸さんとチャチャゼロ。そして浮遊術を使って後方で浮きながら様子を見ている師匠が攻撃魔法を飛ばしている。そうかと思うと唐突に接近して魔力の乗ったパンチ、いや掌底をネギ先生にお見舞いする。自身に対する魔力供給の術式が完成したといっても、師匠の動きにはまだついていけてないようだ。面白いくらい吹っ飛んでいってしまった。  私はというと、現在決着が着くまでの待機。隣では遠坂もネギ先生の訓練風景を見ている。遠坂にしてもこちらの魔法使いの戦いは見ているだけでも勉強になるようだ。 「こっちの世界の魔法使いって本当に武闘派が多いわよねー。魔力とかの在り方はそう変わりないけど、扱い方が全然違うわ」 「むこうじゃ武闘派はいても、根源目指す研究派が主だからな。考え方も違えば神秘の扱い方も違うのは当然だろ」  ネギ先生の訓練が一区切り着くまで遠坂と話し込む。話題は先生に聞かせられない事。師匠や従者である茶々丸さんなら問題ないけど、なるべく聞き耳の立てられない時に話す類だ。 「『立派な魔法使い』ね……志保、あんた案外こっちの世界が向いているんじゃない? 正義の味方、こっちだと皆から評価されるわよ」 「……それは考えないことはないけど、だからと言って遠坂やセイバーまで巻き込む訳にはいかないよ。それに向こうでそれを成してみたいんだ」  遠坂の提案は魅力的ではある。『こっち』の魔法使いの多くが目指すのは『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』それは、陰ながら多くの人を、生命を救い、社会に貢献した魔法使いに与えられる称号。異世界人である私には与えられる事は無いと思うけど、それに近づくことは出来るだろう。そして憧れもする。  でも、それはこの世界の人が成すことだろう。私は私の世界で成すことを目指したい。それが正しい気がするからだ。でも、許されるのなら遠坂の帰還手段ができるまではこの世界でネギ先生を見守るのも良いかもしれない。  遠坂も「そう……」とだけ言いそれ以上は何も言わない。 「話題変わるけど、師匠に『魔術』を教えていたんだよな。どう? 師匠は」 「……はっきり言って反則の塊よ。魔術回路発現させれば馬鹿みたいな数を保有していたり、属性を調べれば貴重な架空元素だったり……『魔術師』としても一流になれるわあの吸血鬼」  取引で教えている魔術。そのことで先生役の遠坂は生徒役の阿呆みたな才能に半ば呆れ、半ば怒っている。 「そんなに凄いの師匠は」 「凄いなんてもんじゃないわよ、無茶苦茶よ! 制限されて枯渇していた魔力は限定的だけど回復しているわ彼女」 「え? 呪いで抑えられているはずじゃ……」  師匠に目を転じる。この『別荘』内では魔力が充溢しており、魔力不足に悩む師匠でも魔法薬なしで魔法を行使できる。それでも、今師匠がやっている魔法行使は結構魔力を喰うはず……あ、今師匠から凄い魔力を感じた。感知が苦手な私でも分かるほどだ。 「ね。ご覧のとおりよ。呪いで学園の外には行けないけれど、魔術回路起動時だとあの通り凄まじいものになっているわ」 「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック [我の影は剣を執る]」 「——! 風花 風障壁 って、みぎゃ!」  『こちら』の魔法では聞かない詠唱を師匠が唱えると、師匠の影がネギ先生に向かって刃を伸ばした。 「遠坂、あれって」 「ええ、操影術。こっちにもあるらしいけど、あれは私達の世界の魔術ね。呆れるくらいの飲み込みが早さよ」  その影がネギ先生の魔法障壁を潜り抜けて一撃。その上にチャチャゼロと茶々丸さんがトドメを決めて決着は着いた。 「一つ聞くけど、師匠の魔術回路って何本?」 「……メインで1000本。サブも入れると3000本よ……燃費も一般的な魔術師の十分の一以下。最強の魔法使いって自称も馬鹿に出来ないわ……」  この世界の『魔法使い』は魔術回路を持たない。自然界に存在する力を取り込み、自身の魔力量のキャパシティに合わせて『魔法』を行使する。師匠の場合、呪いと結界により、外から取り込む力を封じられている形になっているのだ。  これを、遠坂から魔術回路という概念を習うことにより自身の『小源』から魔力を汲めるようになったのだとか。ただし、回路の発動時のみで普段はこれまで通りと変わらない。  ともあれ、遠坂が呟く間にも師匠とネギ先生のレクチャーは続いている。 「さらにいくぞ」  師匠がネギ先生を蹴り飛ばす。魔力の込められた脚撃はネギ先生の体を容易く飛ばし、サッカーボールのように飛ばされていった。  悲鳴を上げて飛んでいく先生。それを追撃するように師匠が追いつき、 「手加減してやる」  そう言って、左手で先生の腕を取り空中で固定。もう一方を鳩尾に。  魔力が集中して、 「耐えてみろ」  ——バチッ  服を脱ぐときの静電気を何倍にも強くした音が響く。師匠の腕から一瞬映る稲妻。無詠唱で発動した雷撃の魔法だ。師匠はこの系統の魔法は得意ではないはず、にも関わらずそれを全く感じさせない。  感電したネギ先生が空中から地面へ自由落下する。その間に師匠の口が素早く詠唱を紡ぐ。 「リク・ラク・ララック・ライラック 来たれ虚空の雷 薙ぎ払え!」  完成した魔法が彼女の手に集中する。それを大上段から振り下ろす刃物の如く打ち落とす。  ——雷の斧[デイオス・テユコス]!!  名は体を現すそのままの魔法。雷の戦斧がネギ先生に振り下ろされた。 「ひゃああーーーっ!!」  打ち落とされた先生はたまったものではない。どうにか障壁を張って威力の大半は削いだけど、そのまま突っ伏してしまった。 「……今のが決めとしてそれなりに有効な、雷系の上位古代語魔法だ。ちなみに今のはサウザントマスターが好んで使っていた連携のひとつでもある。覚えておいて損はないぞ?」 「父さんが……」  倒れ伏しながらも、師匠の言葉に顔をあげた先生。師匠もわざわざ雷系の魔法を使ってまでサウザントマスターの事を意識させたかったのだろうか、口元が嬉しいという角度で上がっている。  ……ええっと、今の連携は無詠唱、且つ接近で出した低位の魔法の後に、詠唱の早く、威力も望める上位の魔法を繰り出すと……シンプルだけど堅実で応用もできる戦法だな。真似事でも自分に出来ないか考えてしまう——厳しいかな? 「じゃあ回復したら実践訓練、今度は志保も入れてさらに2時間だ。志保もいいな」 「ハ、ハイ マスター!」 「分かった師匠」  こちらにも向けてきた声に返事を返して、ネギ先生と視線が合う。多分、お互い微かに苦笑し合っていると思う。  日に日にネギ先生の修行内容が厳しくなってきた。でも、先生はそれに懸命に追いついており、師匠もそれを見越して内容を濃くしているようだ。つまり、厳しいながらも着実に修行は進んでいるということになる。 「う……」  師匠の上体がふらつき、後ろにいた茶々丸さんに寄りかかる姿勢になる。 「マスター」「師匠、魔力が……」  すぐに手を差し伸べて気遣う茶々丸さんと、足を速めて師匠に近づく私。遠坂は眼力を強くして睨んでいる。でも、女の子がふらついているのを放っておけるはずもない。軽く師匠の身体を走査する。  師匠は魔力を使いすぎたようだ。いくら魔術回路による魔力補給があっても、それは回路の活性時にのみ。師匠の呪いは通常時には相当押さえ込まれることになり、今のように魔力を使いすぎると通常時に戻った際に身体に影響がでるのだ。といっても、ふらついたりする程度なのだが。 「ちっ……覚えたばかりの『魔術』の行使の上に、少しハリキリすぎたな……二人とも、手助けはいい」  ふらつきながらも足元を固め、師匠は私達から離れてネギ先生に足を向ける。うつ伏せの状態から仰向けで、半身を起こしている状態になった先生だけど、未だに痺れは残っているみたいだ。 「ボーヤ、約束どおり今日も授業料を払ってもらうぞ」 「えっ……で、でも昨日もあんなにたくさん……」  ネギ先生の抗議を封じるように師匠がネギ先生に覆い被さる。 「あの程度では……全然足りぬ……」  先生が師匠に払う代償。魔力が不足した師匠のカンフル剤。それはネギ先生の…… 「あ……エ、エヴァンジェリンさん……」  二人の顔の距離が急速に近づき——通過。師匠の口がネギ先生の首筋につけられる。  ——カプ ちゅーちゅー 「ううー、ほどほどにして下さいよマスター。僕、明日も授業があるのですから」 「ふん、魔法の上達にはある程度犠牲を伴うものだ。この位軽いほうだぞ」  ネギ先生が師匠に払う授業料は先生の血液。別荘での『一日』の修行終了ごとにこうして先生は師匠に血を提供している。  私の世界の吸血鬼と違い師匠が先生を噛んでも問題はなく、師匠は首筋に牙を立てて血を吸っている。  はう、あの光景を見ているとこっちまで血に酔ってくる。  それを察したのか、遠坂が手を引っ張り館に連れていってくれた。 「志保、気をつけなさいよ。あんたの場合、噛んだら相手を死者にしてしまうかもしれないんだから。茶々丸、輸血パック用意できる?」 「はい、マスターの吸血が終わるまでこちらも休憩とします」  師匠とネギ先生を邪魔しないように私達三人は館に向かう。  修学旅行が終わってからも南国にネギ先生の修行参加、それに遠坂の先生稼業と私の周りは忙しく、さらに生徒としては近く中間テストもある。  今の私たちは忙しくも充実した日常を過ごしていた。  麻帆良学園女子中等部3年A組、今日の最後の授業は担任教師であるネギ先生による英語の時間になる。なるのだが…… 「で、では——次の所を……四葉さん」  ネギ先生の状態はふらつき、頬がこけている。はっきり言って貧血気味なのだ。  連日ハードな修行を『三日』も行い、その上師匠に授業料として血を抜かれるのだ。あの状態は必然だろう。チラリと横の席の師匠を見るが、平然としている。いや、むしろあの程度ぐらいでフラフラするとは情けないと目は言っている。 「ネギ君、疲れてるってゆかヤツれてない?」 「五月病か?」 「気の早い夏バテとかー」  教壇でフラフラするネギ先生の様子に教室のみんなもどうしのかと小声で言葉を交わしていた。教室全体でやっているものだから、個人の声は潜めても全体ではさざ波のように聞こえてしまう。でも、疲れているネギ先生にはそれにすら注意が及んでいないようだ。  幸か不幸かフラフラしていてもネギ先生はしっかりと授業を行い、授業そのものについては問題なく進んでしまった。  いつもの様に時間を区切る鐘が校舎に響き、授業時間の終わりを告げる。 「じゃ、じゃあ今日はここまでに……」  パタンとテキストを閉じたネギ先生は「ではーー」と情けない間延びした声を出して、これまたフラフラとした足取りでA組の教室から出て行った。しかも、途中黒板や扉に顔をぶつけながらだ。  先生が去った後は雪広さんをはじめ、教室のみんなが一層心配する状態になっていた。  それでもみんな帰宅準備が進む中、私もカバンにバインダーと教科書をしまう。中間テストも近いのだ別荘での訓練が終わったら学生らしく勉強もしなくては。 「エミヤさん、ちょっとイイカ?」  カバンを引っさげ、まずは部活にと思っていた矢先に声をかけられた。  ふりかれば黒髪をダブルシニョンにした女の子。超さんだ。こと中華料理では四葉さんと同じく私の遥か上をいく技量の持ち主で、いつかはこの子の味を盗んでやろうと考えている相手でもある。 「なにかな、超さん?」 「実はエミヤさんにお願いがアルね」 「お願い?」  中間テストが終了すればすぐに学園祭の準備期間となる。これだけの規模を誇る麻帆良学園、学園祭も相当なものとなり首都圏内でも名物として知られているのだそうだ。  超さんはその学園祭に中華料理の出店を出す予定で、そのために学内の料理人達に声をかけているのだそうだ。  お願いというのは、その出店『超包子』の料理人をやってほしいということだ。 「もちろん、報酬ははずむネ。お金はもちろん、私の秘伝レシピもいくつか伝授するのはドウカ?」 「む」  それはヒドク魅力的だ。超さんの秘伝レシピというのはとても魅力的に感じる。それにお金についても遠坂の『宝石鍵』のための資金としてためる必要がある。  でも、遠坂と師匠に相談したほうが良いと私の意思は訴える。 「うーん、魅力的な提案だけど私の一存では決められないよ。話をするから待ってはくれないか」  もうこのクラスでは副担任・遠坂先生は衛宮志保の親戚であり、保護者であるという認識が広まっている。  話す相手というのは遠坂であると超さんも分かっているようだ。嫌な顔ひとつせず、むしろ朗らかな表情でうなずき、 「分かったネ。色よい返事を待っているヨ」  そう言って軽やかな足取りで超さんは教室を出て行った。 「(しかし学園祭か、これからこの学園はますます賑やかになりそうだな)」  毎日が半ばお祭り騒ぎみたいな3年A組にいて、これからますます騒がしくなる事に楽しみを見出している自分がいることに少し驚く。私はもっと静かな環境が好みだった気がするのだが、どうもA組のみんなに感化されたようだ。 「でも、悪い気はしないな」  一人呟き、教室を出る。  今にも雨が降りそうな曇天の下、弓道場に向かう私の足取りは超さんのように軽くなっていた。「この辺だと思うんだけど……」  十数分前から降りだした雨の中を遠坂凛は傘をさして歩いていた。  彼女は現在、麻帆良に来た侵入者を探していた。その者は彼女の知っている人物だ。犬上小太郎。狗族ハーフの子供で、天ケ崎千草のリョウメンスクナ復活騒動の際に天ケ崎側についていた少年。天ケ崎に雇われていた遠坂も当然彼のことは知っている。  上手く立ち回った遠坂と違い、小太郎は騒動の後関西呪術協会に捕らえられたそうだ。そうして本山で拘束されていたそうだけどこの程脱走をした。  現在はこの学園に潜伏しているらしいのだが、例によっての人手不足。なんでも学園祭に向けての警備強化に対して魔法先生のスケジュール調整で今の時期が一番大変なんだそうだ。  そしてお鉢が遠坂に回ってきたというのがことの成り行きだった。 「警備の初仕事がこれとはね、幸先が悪いわね」  愚痴を口にしつつも捉えた魔力を感覚から離さない。  場所としては女子中等部校舎と女子寮を結ぶ通学路のひとつ。近くに民家はなく、川に沿ったこの道に街灯は少ない。夜には女の子があまり来たがらない場所だ。侵入者の魔力はこの周辺で感じられた。 「ただ、感じとしてはかなり弱いのよね」  そう、侵入者が小太郎というのは分かっているのだが、反応が相当に弱い。そのせいでこれ以上の場所の特定が出来ないでいる。 「いっそのこと炙り出してみるのも手かな……ん? あれは」  さっきまで人影がなかった道に二つの影が差した。  一人は赤毛に耳を隠す程度のショートヘアとそばかすの少女。  もう一人は腰まであるロングヘア、もう一人の少女と同年代と思えない身長とプロポーションを持っている女の子。  村上夏美と那波千鶴。インパクトの大きい外見を持つ者が多いA組の中で、あまり目立たない子と一際目立つ子の組み合わせだ。  二人でひとつの傘を差す凸凹コンビみたいな二人は、ネギ先生ほどではないが遠坂の教え子でもある。 「あら、遠坂先生こんにちは。こんなところでどうしたんですか?」  先に声をかけてきたのは那波の方からだ。彼女は何やら腕に黒いものを抱えていて、着ている制服も濡れている。 「こんにちは那波さん。少し探し者があったんです。それより、服が濡れているみたいですね」 「ええ、ちょっとこの子を拾った時に」  那波はそう言って、遠坂に見えるよう腕の中のものを少し下ろした。  中学生とは思えない豊かな胸に包まれたもの。それは黒い犬だった。しかし、遠坂の魔術師としての感覚はこの犬をただの小動物とは感じない。 「(この子は……そうか、狗族だから犬、ね)」  探していた侵入者・犬上小太郎は思いもかけない形で見つかった。感じた感覚が弱っているのも道理、現に目の前の黒犬は弱っている状態だ。魔法のせいか体力の限界のせいか、ともかく一般人である彼女達に小太郎を近づけてはいけないだろう。遠坂の魔術師としての良心はそう決断した。 「えっと、那波さん。その子をどうするのです?」 「そうですね、一先ず体力が回復するまで面倒を見て、その後ボランティア先で里親を探そうかと思います」  返ってきた答えは思ったよりも現実的なものだ。会話いかんではこちらが預かろうと言うつもりだった遠坂は少しアテが外れた。そこで、 「そう、でしたら私もその子を一緒に見てもいいかしら?」 「遠坂先生って犬好きなんですかー?」 「ええ、よく見るとその子って結構可愛いし、いいかしら那波さん」 「はい、先生さえよければ」  同行して様子を探ることに方針を変更した。  雨の小道を三人の人影と二つの傘が歩いていく。その後ろから察知できない脅威が迫っていることは学園の誰もまだ知らない。  エヴァンジェリンの『別荘』は現在、今までにない数の来客を迎えていた。  ネギの体調不良を心配した一部生徒たちが原因はエヴァンジェリンの修行にあると考えに至り、その際の邪推・妄想もあって、大人数で彼女の住んでいる家に押しかけた。そして地下にあるボトルミニチュアの形をした『別荘』を見つけてしまい、『中』に入ってしまったのだった。そうして今はというと—— 「んーーうまいアル!」  館の一番上にある展望台。そこで開かれた夕食会のなかで古さんの歓声が上がる。  秘蔵の食料を食われてはマズイと思った師匠が、茶々丸さんと私にみんなにあてがう飯を作れと言われ今の状況になっている。  部活を終わらせて『別荘』に来たときには驚いた。明日菜、朝倉、夕映など魔法の存在を知ったクラスメイトが別荘で待ち構えていたのだから。  このような状況では鍛錬もないということで師匠からは鍛錬は休みと宣言された。代わりにみんなの相手をすることになり、現在夕食のために包丁を振るっている。師匠のこだわりなのか展望台にもオープンキッチンがあり、調理しながらでもみんなの様子は窺えるようになっている。 「この飲み物、結構イケルよー」 「わ、バカ、未成年がそんなもん飲むんじゃないっ!」 「え? だってジュースって書いてあるよ」 「ただのジュースじゃないんだよ!」  朝倉がどこからか見つけた師匠秘蔵の『ジュース』をグラスに注いで飲みだしていた。これをきっかけに夕食会は酒宴に変わり、 「ねーちゃん、早くツマミを作ってねー」 「手早クシロヨ」 「ハイハイ」  私はおつまみを作ることになっていた。チャチャゼロもいつの間にか酒宴に加わっていて、人形なのにグラスに注いだ『ジュース』をあおっている。 「くっ、こいつらは……おい志保、私にもグラスを用意しろ今日は飲む」  ついにはみんなを止めようとしていた師匠まで酒宴に入り、宴会は加速していった。  のどかが指揮者のタクトのように杖をリズム良く振り、同時にこの世界に干渉するための言霊を口から発する。 「プ、プラクテ・ビギ・ナルーー 火よ灯れー!」  見習い用の始動キーの後、杖は振られ言葉の通り杖から火が—— 「あうう、出ないです」  火花も出なかった。 「つまり魔力とは空気、水、その他全て万物に宿るエネルギーということでしょうか?」 「大体あっています。そのエネルギーを息を吸うように体内に取り込み、杖の一点に集中するイメージで……」  その横では夕映がネギ先生に魔力というものの在り方を聞いて、メモを取っている。理論派としては魔法のメカニズムを知ってから行動に移りたいのかもしれない。メモを取り終えた夕映は納得したのか、行動に移る。深呼吸を何度か繰り返し、すっと呼吸を止める。 「……行くです」  先生から渡された杖を構え、唱える詠唱はのどかと同じ。 「プラクテ・ビギ・ナル 火よ灯れ!」  大いに気合の入った詠唱。けれど現実はそれに応えてくれなかった。  沈黙する杖。火花も灯りも出ない。  ——クスクス アハハハ  見ていた朝倉と古さんが容赦なく笑ってくれます。夕映はそんな二人を横目でギロリと睨むけどそんなことで怯む二人でもない。 「まあまあ、フツーは何ヶ月も練習しないと」  ネギ先生がフォローする。確かにこの別荘に魔力が充溢しているといってもいきなりは無理と私も思うな。  なんでこんな事になっているかというと、酒宴の終わりごろにのどかと夕映が師匠に魔法を教えて欲しいと願い出たからだ。  当然、師匠は『メンドイ』の一言で却下。代わりにネギ先生に頼んだらどうかという話も出て、南の島でのこともあったため先生は割りとすんなりOKを出した。私は師匠の命で館の倉庫から見習い用の小さな杖(杖というよりタクトが近い)を引っ張り出して、ネギ先生の魔法授業はこうして始まった。  教える魔法は火を灯す魔法。ライターを使った方が早いという代物で実用性に乏しいが、魔法使いの第一歩ともいうべき大事な魔法なんだそうだ。 「プラクテ・ビギ・ナルーーって何かハズカシイねコレ」  途中参加の朝倉がふざける様に杖をくるくる振る。当然魔法は発動しない。『こちらの魔法』は良く分からないけど、世界から魔力は汲み上げられていないし、精錬もされていない。これでは呪文はただの言葉になる。真剣に取り組んでいるのどかや夕映でさえ無理なのだ、杖を振る程度では魔法は起きない。 「えいっ、てやっ、あーーーん、出ーへんーー」  すぐ近くでは木乃香がブンブン杖を振り回している。振ることに夢中で呪文すらない。でも、木乃香の中の魔力がわずかに動いている気配がするあたり極東一の魔力保有者は伊達ではないのかもしれない。 「そんなにすぐにはできませんよ」 「そうだね、いくら木乃香でも相応の修練は必要だと思うよ」  刹那と並んで現在はみんなの監視員役を私はしている。まれに魔力の暴走なんてことも起こりえるからなのだけど、この分では杞憂かもしれない。  木乃香は何もしていないように見えるこちらを不思議に思ったのか、 「二人ともやらへんの?」  なんて声をかけてきた。 「私は出来ますから」 「同じく」  昔はこんな初歩の魔術すら出来なかったのだけど、要はイメージするものが『剣』に関係があればいいのだ。  剣の丘から炎を纏う剣をイメージ。そのものを引っ張り出さず、炎のみを手のひらに集約する。 「同調開始[トレース・オン]」  右手の平にロウソクの火を二倍にした大きさの火が生まれた。うん、これなら遠坂からも合格点を貰えるものだ。 「[ラン]」  同時に隣で刹那の指先にも火が生まれる。あれも陰陽術なのかな。 「キャーー スゴーーイ」  パチパチと木乃香から拍手を貰ってしまった。いや、こんな簡単な術で拍手を貰ってしまったのは初めてだぞ。横を見れば刹那も戸惑った様子だ。 「よし、ウチもがんばる!」  そう言って木乃香が気合を「ムンっ」と入れて再び杖を振り回しだした。この様子には私も刹那も顔を見合わせて苦笑してしまった。  ネギ先生の魔法授業初日はこのように杖を振り回す光景だけになった。  別荘にかかる架空の空はすでに青から茜色に変わって、夜を迎えようとしていた。『一日』が終わる。  ネギが別荘で夕食を摂っていたのと『同時刻』女子寮の665号室は本来の住人以外に二人の客人を迎えていた。 「遠坂先生、お茶飲みますか?」 「ええ、よければ。でもその前にこの子をどうにかしないと」 「夏美、バスタオルを敷いてちょうだい。その上に寝かせるから」  手早く床に敷かれたバスタオル。その上に客人その一である犬上小太郎は寝かされた。もっとも彼の今の状態は子犬のそれであり、遠坂を除いてその正体を知らない二人の認識は道に倒れた犬を拾った程度のものだ。 「先生、お茶です」 「うん、ありがとう」  村上からお茶の入ったマグカップを受け取った客人その二の遠坂凛は、カップに口をつけながら油断なく子犬状態の小太郎を観察する。額あたりに梵字が描かれている。サンスクリットは遠坂の知識範囲外だがこれが小太郎を子犬にしているのは容易に分かった。 「今更だけどさー、連れてきて良かったの? この子ノラだよ」  遠坂と同じく子犬を見ている村上が濡れた制服を着替えている那波に声をかけた。体力が回復し里親が見つかるまでとは言え、ペット禁止の寮の中に動物を飼うのは抵抗があるのだろう。 「見ちゃった以上、仕方ないでしょう。放っとけないわ」  離れた場所で体をバスタオルで拭いている那波はそんな心優しい事を言って村上の言葉に答えた。その様子は気負っておらず、ごく自然で当たり前のことだと態度が語っている。その姿に遠坂は「士郎みたいねー」と自分だけに聞こえる声で呟いた。もっとも士郎、現在の志保には那波の持つ妙な迫力は持ち合わせていないだろうが……。 「ケガの手当てするから少し体をふいてあげて」 「ハーイ、タオルタオルと」  那波の言葉に村上は答えてスポーツタオルを取り出して、まずは子犬の頭を拭こうとする。そこには小太郎の体を子犬にしている梵字があり、 「——あ。村上さんちょと待って……」  遠坂がそのことに気付いた時にはすでに遅かった。  タオルでこすれた子犬の額。梵字は体にプリントされたものではなく、額に貼り付けたお札のものだった。それがタオルで擦ったことにより剥がれてしまい、変身が解けてしまった。不幸中の幸いなことに変身はいきなりではなく、完全に変身が解けるまで村上は新しいタオルを取ってくるために席を外していた。  その間に遠坂の前では子犬が急速にその体を大きくして、体毛を減らし、人の形を取り、ものの数秒で子犬は一糸も纏わない裸の少年・小太郎になった。 「まいったわね。こんなところを見られたら大騒ぎよね」  元の子犬状態にさせる術は当然知らない。ひとまず、魔法の秘匿のために剥がれたお札を回収。間もなく村上が戻ってきた。  彼女は突然出現した男の子にしばらく目をパチクリさせていたが、ようやく理解におよび、 「キャーーーっ!?」  遠坂の予想どおり悲鳴を上げた。予想通りとは言え、耳に手を当てて塞ぐほどの悲鳴が部屋に響きわたる。 「どうしたの夏美」  悲鳴を聞きつけて、着替えていた那波が下着姿のままで戻ってきた。ちなみにその姿はとても中学生に見えず、遠坂は思わず「うっ」とうめいた程である。 「ちょちょちょ、ちょっと目を離したら、いぬっ、犬が消えて……裸の男の子が……?」  女子校育ちのせいなのか、年下とはいえ男の子に免疫がなさそうな村上が、半泣き顔で裸でうつ伏せに倒れている小太郎を指差す。  対して那波の反応はというと、 「あらまあ」  で済んでしまった。 「何で男の子が……? 遠坂先生、私がいない間に何かあったのですか?」  倒れている小太郎を前に困惑する村上が、事情を知っているだろう遠坂に話を聞く。遠坂もまさかさっきまでいた子犬はこの子が変身した姿ですとは言えるはずもない。 「さあ、私もちょうど目を離していた時だから。次の瞬間に目をやったらこの子がいたわ」  悟られないように平然とした顔で答える。声にも演技の動揺以外は感じさせない。 「そうなんですか。それにしても……さっきのワンちゃんがこの子になっちゃったのかしらねぇ」 「まさかーー、でもどうするちづ姉?」  二人は遠坂の言い分を疑ってはいないようだ。それよりも今は突如現れた男の子のことが気になっている様子。  遠坂も小太郎に目を転ずる。ケガの程度は悪くないようだ。狗族、すなわち人狼の一族ならば回復も早いだろう。でも、 「……熱があるわ」  額に手を当てて熱を測れば、かなり高い体温を感じる。呼吸も荒い。おそらく体力回復のための一時的なものだろうが放置して良いものでもないだろう。 「まあ大変。お医者さんに電話した方が良さそうね。夏美、その子をベッドに運んで」 「ええっ…でも裸の男の子……」 「何照れているの! 子供だから大丈夫でしょう? 軽い思うわよ」  那波が部屋の電話に向かい、村上は小太郎をベッドに運ぼうとする。普通なら遠坂は医者に診せるのは止めるところだが、ここは魔法使いが運営する学園。遠坂から一言医者に言い含めれば見合った対処をしてくれるだろう。 「そうだ、一応報告は入れておかないと」  目的の人物である小太郎はこうして見つかったのだ、学園長に連絡を入れておこうと携帯電話を取り出す。本来遠坂はこの手の電子機器は大の苦手科目なのだが、セイバーや志保など周囲の人間が当たり前のように使えるのを見て負けず嫌いの彼女は必死になり、どうにか日用の電化製品は使えるようになった。携帯電話もその一つ。  電話帳を呼び出し、登録してある学園長直通の番号にかけようとしたが……  ——ヒュ ヒュン  空気が裂ける音を間近に聞き、次の瞬間には手に持った携帯電話が破砕された。 「なっ!」  苦手な機械の取り扱いに集中していたため、周辺の警戒がおろそかになっていた遠坂はすぐさま臨戦態勢に思考を切り替えた。  飛んで来た物は——金属製のスプーン!?  放たれた場所は——……最悪。 「……やめろ。誰にも連絡するんやない」  棒手裏剣と化したスプーンが飛んできた方向に視線をやる。そこにはクローゼットを背にして、村上の首筋に鋭い爪をあてて人質にしている小太郎がいた。  目を横に向ければ那波も医者に連絡を入れようとして受話器を破壊されたようだ。遠坂は那波と肩を並べて小太郎と向かい合っていた。那波や村上はもちろん、小太郎にも悟られないように魔術刻印を起動。いつでもガンドを撃てるようにして、いざとなれば小太郎にはもう一度寝込んでもらう用意をする。 「あ……あの……あのっ、あなた誰……一体何の……」 「黙れ」 「うひゃいっ」  村上が混乱した台詞を吐くがすぐに小太郎に封じられた。見れば彼は熱と混乱で朦朧とした意識しかない。まともな会話は望めないかもしれないと遠坂は思考する。 「そ……そこの姉ちゃん達、何か……俺が着るものと食い物を持ってきてくれ」  小太郎がこちらに要求を出してきた。遠坂は自身の事が分からない彼の様子によほどの意識の混濁を見た。このまま放置しても勝手に自滅してくれそうなほどだが、一般人で生徒である村上は放ってはおけない。  一先ず小太郎の要求に従おうかと遠坂が考えていた時、那波が口を開いた。 「あなた……名前は? どこから来たの? 教えてくれないかしら? 私達が何か協力できるかもしれないわ」  その声に怯えはない。毅然としていながら、包み込むような言葉と姿勢が那波から覗える。交渉術としても悪くない。遠坂は彼女の様子に内心舌を巻いた。胆力といい、この状況下での冷静さといいとても中学生とは思えないからだ。 「な、何やて……名前……? 俺の名前? ……あれ、誰やったっけ俺……? 違う。俺、あいつに会わな……」  話しかけられた小太郎はふらつき、村上に当てた爪を引っ込めて手を頭に持っていく。その様子は痛む頭を抱えているみたいだ。  小太郎の異変に遠坂は集中していた。だから次の瞬間の出来事にとっさに動くことは出来なかった。 「『あいつ』って誰かしら?」 「!?」「あ、バカ!」  那波はたまたまなのだろうが、小太郎の集中が切れたところでズイッと彼のすぐ傍に近寄っていたのだ。  この行為は手負いの獣の間合いに入るようなものだ。 「ち、近寄るなっ!」  防衛本能からか、小太郎の爪が振るわれた。技巧も伴わないそれは普段の彼からは考えられない、ただ闇雲に爪を振るったものだ。それでも爪の鋭さは下手な刃物よりも切れ味があり、一般人にしてみるとナイフを振り回されたのと変わらない脅威だ。 「!」「ちっ、ちづ姉!?」  むき出しの那波の肩から血の華が散った。  幸いにして傷は浅い。でもこれをきっかけに小太郎が暴れるかもしれないと考えた遠坂は手を銃の形に取り、人差し指の銃口を小太郎に向けた。昔よりも狙いの精度は上がっている。この近距離なら小太郎だけをガンドで狙い撃てる。  けれど、ここでも那波は常人ではないところを見せた。 「……ダメよ」  彼女は小太郎の肩に手を回すとそっと抱き寄せた。身長差が相当にあり、小太郎の顔は那波の豊かな胸に埋められる。 「そんなに動いては、また倒れてしまうわ。40度近くも熱があるのよあなた」 「え……ぅあ……?」  この手の事に当然免疫がないだろう小太郎は固まった。暴れるでもなく、逃げ出すでもなく、ただ顔を那波の胸に埋めた姿勢のまま固まっている。 「ね? 腕の傷の手当てもしなくちゃ」  まるで慈愛の聖母のような表情をした那波はさらにぎゅっと小太郎を抱きしめた。これがトドメとなった。 「う……」  と、うめいたのを最後に小太郎は意識を手放した。原因は熱の所為か、胸での窒息の所為かは不明だが。  別荘の夜が来た。夜空は常に満月が昇り、吸血鬼にとっては偽りの月だけど快適な一時を演出してくれる。  あれほどのどんちゃん騒ぎがあったせいかみんな館でぐっすりと眠っている。気候は温暖だから寝冷えを心配することもないだろう。私も用意されたベッドで眠っていたのだけど、ふと何かが動く気配に目を開ける。 「……のどか?」  部屋を出て行ったのはのどかだ。それに部屋を見渡せば明日菜の姿もない。 「……」  お手洗いかもしれないが、少し気になる。寝ているみんなを起こさないように気配を殺してベッドを降りて部屋を出る。  月の光が部屋を出た廊下に満ちていた。窓がない廊下は月の光を直接取り入れ、日の光とは違う柔らかな銀色の光が差し込んでいる。その廊下を私は学校帰りの制服姿のままで歩いていく。  ほどなく、館の正面鍛錬場でのどかは見つかった。遮るものがほとんどない滑らかな鍛錬場の床が月の光を受けて昼とは違った印象を持たせる。のどかは物陰に隠れて、ある一点に視線を注いでいた。彼女に合わせてその方向に視線をやる。鍛錬場の隅、下に降りる階段のところに二つの人影。夜目が良過ぎる視覚はすぐにネギ先生と明日菜だと認識する。二人はカモミール君が作成した魔法陣に折った姿勢で向かい合っている。  再びのどかに目を転じると、いつの間にか現れた師匠がチャチャゼロを伴ってのどかと何か話し合っている。 「(師匠、のどかに何をやっているのですか?)」  先生と明日菜を邪魔しないように小声で話しかける。 「(ん? 志保か。いやなに、ちょっとした交渉をな。それで宮崎のどか、どうする?)」  こちらへの対応もそこそこに師匠は再びのどかに向き合った。 「(ダダ、ダメですよー そんなの……)」 「(どうやら、ボーヤの昔話のようだぞ。聞きたくないのか? 『好きな男』の過去を知っておくことは何かと有利だとは思うがな)」 「(はう!? なぜそれをー)」  ええっと、ネギ先生の居る魔法陣の効果と師匠から聞かされたのどかの持つアーティファクトの効果を考えあわて考慮するに……ネギ先生は明日菜に自分の昔話を魔法で見せるみたいで、師匠はそれをのどかの持つアーティファクトの『他者の表層意識を探る』力でもって覗き見ようしているのか? 趣味が悪い……のだが、気にはなる。でもな…  私が迷っている間にも師匠は詰めの一手を打っていた。 「(ボーヤは他のみんなにも話すと言っていた、だから大丈夫だ。マスターの私には聞く権利がある)」  そう言って師匠がのどかと合わせている目に魔力を込めた。魅了の魔眼だ。力が落ちているとはいえ、その辺りは流石吸血鬼、のどかはあっという間に術中に陥っている。 「(あのボーヤの『姉貴面』をした神楽坂明日菜だけに聞かれては、色々と先を越されてしまうかも知れんぞ? いいのか、ん? ホラ、どうする宮崎のどか)」  次々とのどかを襲う悪魔の甘言。彼女にはすでにそれに抗う力はなかった。 「(ちょ、ちょ……ちょっとだけならーー……)」  フラフラーと差し出されるのどかの本の形をしたアーティファクト。 「(よし)」  がっしりとその本を掴み、満足げな表情を浮かべる師匠。 「(よし、じゃないですよ師匠。良いのですか? 興味本位で人の過去を覗き見るというのは)」  そこでようやく正気に返った私が師匠につっこむ。ひょっとして私も魔眼に中てられたのかもしれない。 「(うるさい、お前だってボーヤの過去は気になるだろう? 何をいい子ぶっている)」 「(む)」  否定はできない。今のようなネギ先生の性格になるにはどれほどの事が過去にあったのか、正直見当もつかない。それに対する関心は無くも無いのだが無断で覗き見るのは気分のいいものではない。でも、師匠は構わず、 「(そういうのならお前は見ないのだな? 私はどうあっても見るつもりだぞ)」 「(ぐっ、降参です)」  結局、私も知りたいという欲求には勝てなかった。すまないネギ先生。 「ムーサ達の母ムネーモシュネーよ おのがもとへと我らを誘え」  ネギ先生の詠唱を唱える声が聞こえる。偽りの月の元魔法陣が仄かに輝き、額を合わせたネギ先生と明日菜の上に先生の杖が浮遊する。この魔法の効果は意識シンクロ。ネギ先生の記憶をシンクロさせた明日菜が体験できるというものだ。 「さて、私たちも見るとしよう。やってくれ」 「あ、はい」  師匠の声に応じてのどかはネギ先生の意識を読むためにアーティファクトの本を開いた。  白紙の本に書かれていくのは絵日記調の文体とクレヨン画。微妙に気が抜けるけれど実際にネギ先生の過去がそこに書かれていった。 ネギ先生の故郷は表向き通りイギリス。ただし、ロンドンなどのような大都会ではなく魔法使いが住まう小さな山間の村だった。  雪がその村にしんしんと降るなか、今よりもっと幼いネギ先生は向かい合って姉と思わしき年上の少女と話していた。 「お父さん、どこか遠くへ引っ越しちゃったの?」 「……そうね、遠い遠い国へ行ってしまったの。『死んだ』というのはそういうことよ」  死というものを知らない幼いネギ先生にその少女は優しい言葉を紡ぐ。 「じゃあさじゃあさ、もし僕がピンチになったらお父さんは来てくれるの?」  それは父が有名な英雄。スーパーマンみたいな人だと教えられた事から考え付いた子供の発想。誰かが危機になったらどこからともなく現れる。ならば自分がピンチになったら会えなくなった父親が現れるという幼い考え。  そのことで幼馴染のアーニャという女の子とケンカになったり、酒を飲んで酔ったスタンという老人の言葉に傷ついたりしていた。 「プラクテ・ビギ・ナル 火よ灯れー」  姉も幼馴染も当時ウェールズの学校の学生だった。そのため、親戚の家の離れを借りてネギ先生はほとんど一人暮らし状態だった。誰もいない広い部屋で練習用の杖を振るって初等魔法を懸命に練習するネギ先生は光景だけを見るなら寂しい限りだ。でも、彼には支えがあった。 「ピンチになったら現れるーー どこからともなく現れるーー」  歌混じりでグリグリとクレヨンで画用紙に描かれる子供の絵。自分の父、サウザントマスターを想像だけで書いた絵。これがネギ先生にとっての当時の支えだったようだ。 「ネギ先生——……ちょっとかわいそう……」 「ふん……どうでもいいが下手な絵だなお前の日記」 「でも、内容は十分に分かるから問題はないと思うよ」  ここまで読んでふと、気配を感じる。  振り返ると、 「どもー」 「面白そうアル」 「ネギ君のカコバナやて?」 「……すいません、お嬢様につれられて」  寝ていたはずのみんなが後ろでのどかの本を覗き見ようとしていた。 「むう、そう詰め寄るな狭い」  師匠は場所を取られるのがお気に召さない様子で、覗き見ることには反対しなかった。みんなネギ先生の昔には興味津々で、結局全員で鑑賞会みたいなノリになってしまった。  見ている人間の状態はどうあれ、ネギ先生の過去はまだ続く。  それから間もなく、ネギ先生は村の中で色々無茶をやるようになっていた。  村で一番獰猛な番犬にイタズラをしたり、木から飛び降りたり、止めは冬の湖に入ってしまうことまで。ここまで来ては流石に無茶なことで、高熱を出して倒れてしまった。知らせを聞きつけたのか姉がウェールズから押っ取り刀でやって来るほどだ。  ピンチになったらお父さんが来てくれる。  そう考えたネギ先生の幼い思考。だから色々無茶をやって父に助けてもらおうとした。  けれどそれは姉を悲しませるだけの事でしかなかった。姉に泣かれたネギ先生は幼い心ながらにも無茶は二度としないと誓った。  記憶の中の時節は巡り、もうすぐ春というところ。それでも山間の村には雪が降る。  その日はちょうど姉がウェールズから帰ってくる日。その事を思い出したネギ先生は湖での釣りも切り上げて一目散に村に走っていく。走っていた先にアリエナイモノが存在した。  燃え盛る村。石造りのお陰で焼け落ちることはないが、炎は村を抱きすくめて離さない。 「ネカネお姉ちゃん、おじさーん」  燃える村の道を走る幼いネギ先生。ようやく知った顔を見かけるが、 「おじ……さん……?」  そのおじさんとやらはすでに動いてはいなかった。誰かに指示を与えるポーズのまま固まってしまっている。体は石と化していた。他の魔法使いと見える人たちも同様だ。様子から見て抵抗する前に出鼻をくじかれたみたいだ。その様子を見ていたネギ先生の表情は絶望に沈んでいた。 「ぼ、僕が、僕がピンチになったらって思ったから……? ピンチになったらお父さんが来てくれるって……僕があんなコト思ったから……!」  そのまま泣きじゃくろうとするネギ先生。でも、状況はそれを許してはくれなかった。  重いものが瓦礫を踏みしめる音がネギ先生の背後で起こった。  後ろ、そこには有象無象の異形たちが群れを成していた。彼らを言い表すならば一言『悪魔』  彼らの視線は全て一点に集まっていた。幼いネギ先生一人にだ。向けられる無数の殺気。子供にそんな圧力は耐えられるはずもない。たちまちネギ先生の足はすくみ上がり、体は震えるばかりで言うことを聞かない。彼らを前にその当時のネギ先生はあまりに無力だ。  ネギ先生の前に一体の悪魔が進み出る。群れのなかで一際大きく、幼いネギ先生の何百倍もの大きさがある。その悪魔が拳を握り、振りかぶる。大きさといい、こめられた力といい、通常の人間なら一撃でつぶれてしまう。そんな拳を悪魔は振り下ろそうとする。  もう動けないネギは避けるのはもちろん、逃げることも頭にない。ただ願うのは父のことだけ。 「僕があんなこと思ったから。お父さん」 「お父さん」 「お父さん」  本来ならここで幼い子供の命は終わったことだろう。この絶望的状況を打破するにはそれこそ奇跡が必要なほど。  でも、起こりえないはずの奇跡は起こった。  振り下ろされる悪魔の拳。それはダンプカーの衝突力をもってしてネギ先生に殺到する。  インパクト。ぶつかったのは拳とネギ先生を守る掌。  どこからともなく現れたその男性はローブを着込み、ネギ先生と同じ髪の色、手にはいつもネギ先生が持っているものと同じ長尺の杖を持っていた。  悪魔の拳と男性の掌。大きさの対比からして拳が受け止められるのはありえない。でも現に拮抗している。ギシッと肉が軋む音が響く。  魔力が込められ、男性の手に雷光が奔る。無詠唱の雷撃魔法。悪魔の巨体が離れる。そこにすかさず男性が詠唱する言語は古代ギリシア語。それはいつか師匠がネギ先生にして見せた連携魔法の再現。けれどおそらくこちらが本家。  ——雷の斧!!!  一撃で重量級の悪魔が雷撃の斧(威力はすでに斧というよりギロチン)で縦に真っ二つにされる。  沈み消えていく悪魔の巨体。それを合図に取り囲んでた悪魔が一斉に襲い掛かってきた。いずれも男性の背後。  でも男性は危うげもなく悪魔たちを迎撃していく。殴り、蹴り飛ばし、なぎ払う。止めとばかりに再びの魔法詠唱。  ——雷の暴風!!!  名は体を現さない。男性の拳から放たれたそれは暴風などと生易しいものではない『大嵐(タイラン)』そのものだ。その雷の圧倒的暴力の前に悪魔たちはなす術もなく消滅していった。  圧倒的。数の論理も戦略、戦術、悪魔の知恵でも彼一人にまったく無意味だったのだ。 「ソウカ……貴様……アノ…」  この周囲で残す悪魔は一体。それも男性に首を締め上げられて風前の灯だった。燃え盛る村を背景に悪魔の屍の上での男性と締め上げられる悪魔。凄惨な戦場であるはずなのに、その光景はどこか宗教画を思わせる一場面になっている。 「フ……コノ力の差……ドチラガ化ケ物カワカランナ……」  ニィィと悪魔は皮肉るように男性に向けて邪気まみれの笑みをこぼす。無論、男性はこれ以上悪魔に付き合う気はないみたいで、  ——ゴキッ  締め上げた首の骨を握りつぶした。  骨が砕ける音がネギ先生の耳にも聞こえる。幼いネギ先生の体が震える。あの絶対的に感じた悪魔の軍勢を一瞬で蹴散らした相手だ。恐怖を感じてしまうのは無理もない話しだ。男性から離れたいがためにネギ先生が男のいる方向とは反対の場所を目指して走り出した。もちろん幼い当時のネギ先生に計画性などあるはずもなく、闇雲に逃げることしか頭になかった。  そうして走っていった先、瓦礫の上に一体の悪魔がいた。あれだけの数、男性が討ち漏らした相手がいてもおかしくない。  おもむろに悪魔の口が開く。口の奥、魔力の光があふれ出す。  魔力の光がネギ先生を貫……  貫かなかった。ネギの前にスタン老と姉の二人がネギ先生を庇い、魔力の光を正面から防いだ。だけど防ぎ切れなかったのか、彼らの下半身や足は石に成りかけ、ひび割れる音を立てている。 「ぐむ……」「う……」 「お……お姉ちゃ……」  石化した足がとうとう耐えられなくなったのか姉の足に急速にひびが入り、  ——バキィィン 「お姉ちゃん!」  砕けてしまった。当然、支えるものがない体は地面に倒れてしまう。  その隙に悪魔は地面から沸いて出たもう一体の悪魔と一緒に、ネギ先生のいる場所に一気に間合いを詰めていく。でも、スタン老は老いても魔法使い。やすやすとはやられはしなかった。  懐から手に収まる小さな瓶を取り出して詠唱。 「六芒の星と五芒の星よ悪しき霊に封印を 封印の瓶」  詠唱とともに瓶が詰め寄った悪魔達に投げ込まれた。瓶のふたが開き、魔術式が成る。急には止まれない悪魔たちは空いた瓶に吸い込まれていく。存在を封じ込めた瓶は悪魔を封じ終えるとひとりでにふたを閉め、地面に割れることなく落ちた。 「フゥ……無事かぼーず」 「おじ……おじいちゃん……」  石化の進行する体に鞭を打っての魔法行使は想像以上にきつかったみたいで、抵抗力が落ちたのか石化の進行が早まった。 「ぐむ……」 「スタンおじいちゃん!」  スタン老のうめき声に悲鳴を上げるネギ先生。でもスタン老はそれ以上の苦しみの声を上げることなく、ネギ先生に必死に言葉を遺そうとする。 「逃げるんじゃ、ぼーず……お姉ちゃんを連れてな。ワシャもう助からん。この石化は強力じゃ、治す方法は……ない」  言葉の通りに石化はすでに上半身にまわり、胸を犯そうとしている。 「頼む……逃げとくれぃ…それが……死んだあのバカへのワシの誓いなんじゃ」  石化が喉にかかろうとする。内臓への浸透も間もなくになる。 「誰か、残った治癒術者を探せ……石化を止めねばお姉ちゃんも危ないぞい…さあ、ぼーず。この老いぼれは置いて……はや…く……」  これがスタン老の最後の言葉になった。声が出なくなるとあっという間に彼の体は全身が石と化して、他の村人たちと同様一体の石像となってしまった。 「おじいちゃん……スタンおじいちゃん……?」  幼いネギ先生が石像になった老人をゆすろうとしても、石になった体は子供に動かせるはずもなかった。そこで今度はまだ石になっていない姉の体を懸命にゆすり、起こそうとする。だが、石化の進む彼女も容易には起きることはない。  ネギ先生が途方にくれていたとき、影が差した。ビクリと固まる体。また悪魔かもしれない。そう思って、恐る恐る振り向く。  そこに立っていたのは先ほどのローブ姿の男性。悪魔よりも恐ろしい魔法使いの男が立っていた。  雪の舞う草原。村を一望できるそこにネギ先生と姉は連れてこられた。  眼下に臨む村は未だに炎に飲み込まれており、男はその有様にわずかに頭を垂れる。 「すまない……来るのが遅すぎた……」  謝罪の言葉は静かで、深かい。  ここで、ネギ先生が立ち上がり、男と向き合う。手には練習用の小さな杖、後ろには倒れている姉の姿。体は恐怖でガタガタだけれど、それでも彼は守ろうと言う気持ちで男性と向かい合った。その様子に男性は何か感じることがあったみたいで、小さく言葉をつぶやく。 「……お前……そうか、お前が…ネギか……」  そう言ってゆっくりと、まるでネギ先生を刺激しないように優しく一歩一歩男は距離を縮める。 「……お姉ちゃんを守っているつもりか?」  近づき、男は手を伸ばす。その手は破壊を生み出す手。だけど、今は優しくネギ先生の頭を撫でた。いや、撫で方が分からないのかただ手を置いただけのようだ。そして次の言葉でネギ先生から男に対する恐怖は消えた。 「大きくなったな……」  それは明らかに親愛の情が込められた言葉。それにネギ先生が感じ入る前に男の手は離れた。 「……お、そうだ。お前に…この杖をやろう。俺の形見だ」  差し出された男の長尺の杖。幼いネギ先生はこの男性が誰かすでに分かったみたいだ。 「……お、父さん……?」  言葉に出たものの、渡された杖の重さによろめいてしまう。ネギ先生が父親と思う男性はその様にやや苦笑している。でも、すぐに彼の視線がネギ先生から虚空を向いた。 「……もう、時間がない」 「え」 「ネカネは大丈夫だ。石化は止めておいた、あとはゆっくり治してもらえ」  男の体が宙に浮く。 「悪ぃな。お前には何もしてやれなくて」 「……お父さん?」  宙に浮いた男はネギ先生から徐々に遠ざかっていく。幼い思考でも『お別れ』だと分かったのだろう、ネギ先生は遠ざかっていく男性を必死になって追いかける。けれど男性の方でも速度が出てきたのか追いつくことは出来そうにない。 「こんなこと言えた義理じゃねえが……元気に育て、幸せにな!」  この言葉を残して男性は雪の降る空に消えていった。 「お父さあーーーーん!!!」  後に残されたネギ先生は、ただひたすらに泣き声を空に上げていた。おそらくは声がかれるまで。  その後のネギ先生はというと、三日後に姉と共に救助され、ウェールズの山奥にある魔法使いの街に移り住むことになった。その街にある魔法学校でネギ先生は今に至る五年間、勉強の毎日を送っていたとか。  村のことを聞いてもみんな口をそろえて「大丈夫、心配ない」というだけで教えてはくれなかった。  以来、その日のことがとてつもなく怖くなったネギ先生はモノスゴイ勢いで勉強に打ち込むようになっていた。ネギ先生が望むのはただ、もう一度父親に再会すること。英雄とよばれ、立派な魔法使いだったお父さんに会いたいから……  でも、ネギ先生は今でも思う。村の出来事は『ピンチになったらお父さんが助けに来てくれる』なんて思った天罰ではないかと…… 「何言ってんのよ、そんなことある訳ないじゃん!! 何よ、あんな変な化け物、バッカみたい!!」  ここで魔法は終わった。現実に戻った明日菜がネギ先生の肩を持って叱り付けるように言い聞かせている。 「今の話にあんたのせいだったところなんか一つもないわ!! 大丈夫!! お父さんにだってちゃんと会える!! だって、生きてんだから!!」 「ア……アスナさん」  えー、感動の場面なんだけど、ギャラリーのみんなの我慢も限界みたいだよ? 「任しときなさいよ、私がちゃーんとあんたのお父さんに……ん?」  あ、ネギ先生より上背があるぶん明日菜がこちらに気がついた。 「うわっ!!」  明日菜の驚いた声にネギ先生もこちらに振り返り、顔を引きつらせている。  もうみんな涙目になっている。木乃香やのどかは言うに及ばず、刹那や夕映、果ては茶々丸さんでさえ涙こそ流さないものの悲しい表情をしている。例外は師匠や私のように自制している者か、チャチャゼロのように楽しんでいたものだ。 「ううっ……ネギ君にそんな過去が……」 「ネギ先生……」  のどかと朝倉がもうボロボロと涙をこぼしている。ついには、 「ネギ君ーーッ」 「ネギ先生ーー」  感極まってネギ先生に抱きつこうする始末だ。ちなみに、この場所は鍛錬上の隅。手すりなどなく、落ちれば下の砂浜まで数十メートルをフリーフォールしてしまう場所だと言っておこう。 「わああーーっ!?」  後ろの断崖絶壁に追い詰められ、前からは生徒のみんなに詰め寄られてネギ先生は大弱りのようだ。 「き、き聞いてたんですか皆さん!?」 「ネギ君!! 及ばずながら私もネギ君のお父さん探しに協力するよ!!」 「ウチもー!」 「ワタシも協力するアルよー!」 「いえっ、あのその」 「わわ、私もーー」  完全に包囲されたネギ先生は一縷の望みをかけてこっちに視線をむけた。 「協力って……そんなダメですよ。エヴァ……マスター、この人達に何とか言ってあげてくださいーー」  でも、話を振られた師匠はネギ先生の予想に反して、 「いや……まあ、私も協力してやらんこともないが……」 「師匠、どうぞハンカチです。こんな訳でネギ先生、諦めたほうがいいかもしれないですよ?」  誰にも見えないように鼻をすすり上げていた。 「志保、これは花粉症だからなのだぞ……まあ、ハンカチはありがたく受け取っておく」 「はいはい」  ぶっきらぼうにハンカチを受け取る師匠が微笑ましくてつい苦笑してしまう。 「ああーー、そんなー」  こちらの様子にガクっと肩を落とす先生。  でも、みんなを巻き込まない考えは立派だけど、ネギ先生ももう少し人に頼る方法を知ったほうがいいかもしれないな。人に頼らず、鋼の道を行った先は私の場合、あの弓兵だ。ネギ先生もこの先、一人で歩むことになればいく先は荒野だろう。そうはなっては欲しくない。でも、気付くのは自分の力でないといけない。それが少しもどかしく感じる。 「ほいじゃ、ネギ君のお父さんが見つかることを願ってぇもういっちょーー」 「カンパーイ!」 「お前ら、また宴会かーーっ!」  朝倉の音頭で再び宴の幕が上がった。悲しい気分を吹っ飛ばそうというかのように。その気分は嫌いではない。よし、朝まで付き合おうか?  食べ盛りの男の子。  今の小太郎を表現する一番ピッタリの言葉だ。 「んむ……うん、うまい!! うまいわコレ」 「あら良かった。どんどん食べてね」 「うん! おかわり」  小太郎が倒れてから再び目覚めるのにさして時間はかからなかった。目覚めてから再び襲い掛かるのではと遠坂は警戒したが、杞憂に終わり、お腹が空いたということで那波がこうして料理の腕を振るっている。そして出来上がった料理を小太郎は豪快な食べっぷりでガツガツ腹に収めているのだ。隣では村上が「うひゃー」と呆れに近い声を上げている。 「それにしても悪いわね、私までご馳走になって」 「いえ、遠坂先生には付き合わせてしまいましたし、お詫びの意味でもありますから」  遠坂も現在665号室の食卓についている。日頃志保の料理を食べて舌が肥えている遠坂でも満足できるほど那波の料理は美味しい。彼女が作った暖かい鳥雑炊を口に運びつつも、小太郎を観察するのを忘れない。実は今の彼は少々困った状態にあるようだ。 「いやホント、サンキュー、うまいわー」 「それで小太郎君、名前以外のこと思い出せたの?」  那波の言葉に小太郎はこめかみに指をやって、むーんとうなるがその様子では芳しいものではないみたいだ。 「いや……アカン……頭に霧がかかったみたくなって……」  現在の彼は記憶喪失中なのだ。自身の名前が小太郎と言う以外、何一つ思い出せないと彼は言っている。現にわずか三日間の付き合いとはいえつい最近顔を合わせたばかりの遠坂の事は分からないみたいで、遠坂でも突っ込んで聞いてみることはしなかったが演技ではないようだ。もっとも、小太郎は演技という小技は使わないだろうし知りもしないだろう。 「そう……仕方ないわね。それじゃあ……」  小太郎の話を聞いていた那波がおもむろに立ち上がり、左手に棒状のなにかを持った。 「お待ちかねのオシリにネギをいってみましょうか? ショックで記憶が戻るかも」 「それはない、それはない」  再び倒れていたとき、小太郎が『ネギ』とうわごとで口にしていたのを那波が聞きつけ、民間療法で長ネギを寝ている小太郎のオシリに刺そうとして寸前で目覚められたということが小太郎の目覚める前にあった。ただ、遠坂が思うに小太郎が口走っていた『ネギ』はA組担任のネギ・スプリングフィールドではないかと考える。彼は同年代の西洋魔術師であるネギのことを大分意識している、ここに来たのもネギに用事があってのことだろうけど…… 「(本山を脱走してまでネギ君に会いたがる用事、か……何かしら?)」  やはり一度学園長に報告をしておこうと考えた遠坂は、長ネギの恐怖におびえる小太郎を横目に席を立った。 「あれ、遠坂先生帰るのですか?」  気がついた村上が声をかける。 「ええ、生徒の部屋に教師が長居するのもなんだしね、もうお暇するわ。じゃあ那波さん夕食ごちそうさま」 「いえいえ、お粗末様。またいらしてくださいね」  今度は小太郎を風呂場に連行している那波はにこやかに答えた。小太郎のことはみんなには内緒という方向だが、魔法使いにはすでに知れている。せめて責任者である学園長に報告を入れて、無用な騒ぎが起きないようにしようと遠坂は心に決めて外にでた。  外の天気は雨が今も降りしきっていた。時折遠くで雷が光り、暗闇を一瞬のみ照らし出す。 「嫌な天気」  遠坂は天を仰いで思わず口にした。いや、天気が嫌なわけではない。雨の幕の向こうに言い知れない『何か』がある気がして、それが嫌な感じがしたのだろう。この嫌な予感を遠坂は信じる方だ。でもせめて、 「何事もなければいいのだけど」  むなしいと分かっていても、そう祈ってしまう。  麻帆良学園に曇天がかかり、天から雨と一緒に雷も降っている。  住人の殆どが学生と教職員である学園都市の通りには現在人気はまったくない。夜間となった学園内の殆どの学校は定時制を除き終了してしまい、雨というい天候もあって外を出歩こうと思う人間は存在しなかった。そう『人間』はだ。 「ヘルマン様、本当に我らが付いていなくて宜しいのですか?」  人気が絶えた場所にふと、幽鬼のごとく存在が現れる。その数、四つ。その内三つは雨にも関らず一つに傅く姿勢を取っている。声はこの三つの内からだ。声は青年のもののようだ。 「何、問題はない。何も私一人で出向くわけではないからな」  答えるヘルマンと呼ばれた一つの声は天候に似合わずどこか陽気さを感じるものだ。 「しかし、あのスライム達だけですとまた六年前のように封じられかねません。貴方様を守護する騎士としては賛成しかねます」  また別の声が非難めいたことを口にする。声は中年男性を思わせるものだ。 「解放されたヘルマン様を探すのは骨が折れましたよー。また同じ苦労はごめんですよ」  さらに別の声がどこか茶化すように声をだした。声は少年のものだ。 「ミルド! お前は口の利き方に気をつけろ」 「へーい」  青年の声か叱責を受けて少年の声をだしたものの気配が薄まる。 「これ以上叱られるのもごめんだし、先に偵察してくるよ」  三つあった気配が二つに減った。 「申し訳ありません。ヘルマン様が不在の間、作法を習わせてみたのですがごらんのとおりでして」 「構わないよ。ミルドの言っていることはもっともだ。ただ私はね、『あの男』の息子がどれほどのものになったか、それを確かめたくてね。だから再び雇われの身になったのだよ」 「なるほど、そこに私達が出てくるのは無粋ですな」 「分かってくれたかね?」 「得心いたしました。では、我ら三騎士はこれより貴方様の命により『麻帆良学園の調査』に臨みます」 「武運を祈るよ。それとハイデイライトウォーカーに気付かれんようにな」 「御意」  二つの気配も消えた。残った一つの気配。雨に打たれるままに立っている人影。形こそ人なれど、それは『ヒト』ではない。 「さて、スライムの三人も潜入を終えている頃だ。私もそろそろ行くとしよう」  この日学園に『悪魔』が来た。「遅いですね二人とも……」  教職員用の寮でセイバーは遠坂と志保を待っていた。  ——きゅるるぅぅ  彼女の腹部から非常に可愛らしくお腹が鳴る音が聞こえた。そう、今の彼女は空腹だった。朝は凛が作ってくれた洋風の朝食を食べ、昼はこの学園の食堂棟にあるバイキング形式の昼食をおいしく頂いた。そして夜は待ちに待った志保の作る和風メニューが食べられるはずだった。だが、予定の時間を一時間以上過ぎても彼女達は帰ってこない。 「——まだ一時間です。後二、三時間は待とうではないですか」  そうやって自分に言い聞かせるセイバーだが、体はどこまでも正直であり、胃袋はすぐにでも食事を所望している。  本来、英霊でもある彼女には食事と睡眠は摂らなくても問題のないものだった。体を構成するのは魔力であり、精神、魂が根幹だ。現在は凛と契約して、彼女からの魔力提供でセイバーは現界している。食事はあくまで活力、言わば嗜好品に近いものである。  それを変えたのが志保、いや士郎だった。彼は十年前のある出来事の際、セイバーを召喚した。その時彼は彼女を人間として扱い、守られるはずの身で守ろうなどともし、自分の身を投げ出しもした。今よりも未熟だった彼は非常に危なっかしく、常軌を逸してもおり、そして何よりまっすぐだった。契約している『マスター』が凛に移り、さらに士郎が志保となっても彼、彼女を守る剣たらんという誓いは生きている。  その彼女の作る料理は非常に絶品で、今まで食事は単なる栄養摂取と割り切っていたセイバーの考えを根底から崩した。もはや彼女の作る食事抜きの生活は考えられず、現在では食事は彼女の楽しみとなっているのだ。そのせいで元いた場所では『食いしん王』や『冬木の獅子』など非常に不名誉な称号まで貰ったのはセイバーの考慮の外の出来事であったが……  ともかく、食べなくても彼女が存在する事に問題はないのだが、食べなければ精神的に参ってしまう。それではいざという時に力を出せず二人を守ることは出来ない。これは実に由々しき問題なのだ。 「やはり、雨で立ち往生しているのでしょうか?」  セイバーが目を転じた窓の外ではかなりの雨量が降っており、セイバーの部屋の窓ガラスを濡らしている。時折、青白い稲光が奔り直後に雷鳴が辺りに轟く天候。この雨はちょうど中等部の下校時間と重なるように降り出しており、部活やエヴァンジェリンのところで修行した後ともなれば相応に濡れてしまうだろう。だからどこかで雨宿りをしている可能性を考えるが、志保の性格を考えるに約束を守るため濡れるのも構わず来てしまいそうだ。 「では……エヴァンジェリンのところで足止めをされているのでしょうか?」  これが一番考えられる。この麻帆良で志保の師匠であるエヴァンジェリンはかなり高名な魔術師であるのだが、かなり独占欲が強い。気に入ったものはいかなる手段を用いようと必ず手に入れる人物で、幸か不幸か志保は彼女のお気に入りになっているらしい。だから帰したくなくなり、あの別荘に『一泊、二泊』多く足止めされているのかもしれない。  ま、彼女の場合はそれだけではない所があり、それがセイバーの好感の持てるところなのだが…… 「やはり迎えに行ったほうが良いのでしょうか——……ん? この感じは……」  志保を迎えに行こうかと考えていたセイバーの思考が感覚からの訴えで中断させられた。  魔的な感覚が本当に微細に感じられた。再び同じ方向に感覚を向けても既に消えている。この程度の微細な感覚なら並みの魔術師なら見逃し、凄腕でも感じるのが難しく、感じたところで大した脅威ではないと判断する類だ。大方、どこかの低級な精霊が動いた程度だと。  でも、セイバーの未来予知に近い直感は嫌な予感を感じていた。これを見逃してはいけない、これは明らかなる脅威だと直感は訴える。今までこの感覚はセイバーを裏切らなかった。そして今回も彼女はこの感覚を信じることにした。 「まずは凛に連絡ですね」  こちらに来て購入したばかりの新品の携帯電話を取り出し、彼女の携帯電話の番号をコールする。ちなみにその手際は凛の数倍早かった。 「あれ……おかしいですね。いくら凛といえど電話に出るくらいは出来るはずですが」  電話が繋がらない。セイバーの知るところではないが、この十数分前に凛の携帯電話は小太郎の投擲したスプーンにより破壊されていた。これでは出るに出られない。そこでセイバーは別の手段を取ることにした。 『凛、聞こえますか凛』  セイバーとの契約で繋がった魔力ラインを通じた思念通話。これなら近距離で限定するなら携帯電話より便利である。最近は近代の生活にすっかり馴染んでしまったセイバーの通信手段は携帯電話となっていたが、このことを忘れるほど呆けてはいない。 『あれ、セイバーどうしたの? いつもなら携帯に……あ、壊れたんだっけ。ゴメン、それで何?』  返事はすぐにあった。どうやら凛が電話に出なかったのは壊れたためらしいが、今はそのことより重要な用件がある。 『凛は先ほどの感覚を感じましたか?』 『ああ、アレ? うーん、反応も小さいしどっかの低級霊でも学園の結界に引っかかったんじゃない?』  凛の返答は実に暢気だ。感じることは出来たものの、反応の余りの小ささに脅威を感じなかったのだろう。でも、 『私は少し気になるで様子を見に行きたいのですが……』  セイバーの直感は今だ警鐘を鳴らしている。いや、時間が経てば経つほど脅威が増すと訴えている。凛も彼女の直感に信頼を置いており、流れ込んでくる思考がすぐに気を引き締めたものになった。 『……それ、セイバーの勘? ——……分かったわ、私も行く。今学園長に報告を届けに中等部の校舎に向かっていたけど、中止ね。場所は?』 『では校舎の前で落ち合いましょう』 『志保にも連絡をお願い。じゃ、後で』  通信を終わらせ、立ち上がる。同時にセイバーの今まで着ていた服に変化が現る。  室内着としていた白いブラウスとデニムのスカートがたちまちの内に蒼いドレスと銀色のハーフプレートに変わる。これらは魔力で編まれたセイバーの武装。彼女の直感はこれから戦闘が起こると感じて、体はそれに応えて身を守るために鎧を発現させたのだ。 「さすがに風王結界[インビシブルエア]は魔力を消費しますか」  バックアップのないセイバーは凛の魔力で(時折志保の魔力もではある)支えられている。武装化だけでも魔力を消費するのだが、ここに彼女本来の剣を持つと消費量は跳ね上がる。それでは凛の負担となってしまう。  そこで、セイバーは飾り気のない自室の壁に立てかけた西洋剣を取る。これまた飾り気のない鞘とそれに収まった素朴な剣、形状も奇をてらったものではないシンプルな両刃の西洋剣。これは士郎がセイバーのために造り上げた剣。ただし投影物ではない。良質の鋼と相応の魔力を込めて槌と炎で打ったものだ。新造の魔剣で、セイバーが振るうものとしては貧弱かもしれないが、彼女はこの剣を貰ったときより大切に使っており、今では愛剣となっている。達人は得物を選ばない。これでも充分な戦力となる。  窓に向かい、鍵を開ける。時間が惜しい。いちいち寮の玄関に向かってはいられない。  セイバーの部屋は三階にあるが、そんな高さは彼女には無いも同然だ。 「これが杞憂であってくれればいいのですが……」  胸の中で膨れる不安に思わず益体もないことを口走ってしまう。今はそんな時ではない。頭を振るって思考を落としたセイバーは足に力を込めて窓の外に跳躍していった。すぐに雨と夜のカーテンで銀色の姿は遮られてしまい、後には主無き部屋が帰りを待つのみとなった。  出席番号32番 衛宮           第18話 悪魔が来たりて(後編)  時間は少し遡る。エヴァンジェリンの別荘は『一日』単位でしか利用できない。そこで別荘に押しかけた朝倉、明日菜をはじめとしたネギ査察団一行は別荘での『一日』を楽しむことにした。それが夕食会や酒宴だったりするのだが、家主であるエヴァンジェリンにしてみれば、さぞかしいい迷惑だったろう。  そうして現実で一時間が経ち、下校にしても遅い時間になって一行は別荘を出ることが出来るようになった。 「「「おじゃましましたーーっ!」」」  みんなが声をそろえて師匠に言って、外に出る。修行目的で別荘を利用する私やネギ先生も時間が遅いので帰ることにした。  …おっと、そういえば今日はセイバーに和風メニューで夕食を作ってやる約束があるんだった。寮の下のコープはまだ開いているはずだからそこで食材を調達しておかないといけないな。遅れたお詫びにデザートも考える必要もある。ふむ……ちょうど材料があるし葛切りなんかいいかも。 「うひゃー、スゴイ雨や」  木乃香の声に我に返ってみんなと同じように天を仰ぐ。  空にかかる雨雲は切れ間がなく、満遍なく空を覆っている。その雲から降ってくる雨も絶え間がない。ここに来るまでポツポツ降っていた雨は今では勢いをつけており、さらに稲光すら降らせている。 「カサ、一本しかないですね」  みんなの持つ唯一の雨具はネギ先生の傘一本のみ。これではみんなは傘の下に入ることは出来ないし、寮に戻るころにはずぶ濡れだろう。 「良ければ私の傘も使うか? 折り畳みだから少し小さいけど」  バックに常備している折り畳みの黒い傘を取り出しネギ先生に渡す。当然というか、ネギ先生はこれを拒む。 「えっ?! でもこれは志保さんのですよね? ダメですよそれじゃあ志保さんが濡れてしまいます」 「ご心配なく。まだ一本あるから」  予想はしていたため、保険を使う。バックに手を突っ込むフリをして、  ——投影開始[トレース・オン] 「ほら、このとおり。これで濡れる人は減るよ」  出したのは男性用の大型の黒い傘。このような日用品の投影は結構大変なのだが、なんとこの傘『剣』のカテゴリーに入っているのだ。鋭い先端の金属部分がチタンになっているのをはじめ、骨やグリップに徹底的に手が加えられて戦闘に耐えられるように改造されている。使用方法は刺突。つまりこの傘はエストック[刺突剣]の一種として私の剣の丘に突き刺さっている代物なのだ。いつこの傘に触れたか記憶にはないのだが、割と便利そうだ。 「おお、エミヤンの十八番暗器術アルか」  古さんが驚いたような感心したような声を出した。明らかにバックからはみ出すサイズの傘を取り出したのだ。驚かれもする。これに魔法使いのネギ先生は興味を引かれたようで、 「物品引き寄せ[アポーツ]ですか?」 「ま、似たようなものだよ」  興味津々の質問に私は曖昧に答える。引き寄せているのは間違いないけど、それは私の心象世界からと補足がつく。  ネギ先生をはじめ、明日菜や刹那が私の固有結界を目撃してはいるが、私の魔術の本質に気付くことはなかったみたいだ。気付いたのはおそらく師匠だけ。だからあの騒動の後ごまかしも利いた。もし私の全てを知られたらこの世界でも安穏としてはいられないだろう。遠坂とセイバーもいるのだ今更だけど用心に越したことはない。  今更ながら思えば、固有結界を展開したのは相当に迂闊だったな。でも、後悔はない。あの時はあれがベスト。それでいいではないか。 「エヴァちゃん、テスト勉強の時間足りなくなったらまた『別荘』使わせてよ」  別れ際、明日菜が師匠にそんなことを言う。あの期末試験の時のような事があれば、ここに篭って数時間を数日にしてテスト勉強としゃれこむつもりだろう。ついでにバカンスも楽しむと。  そんな明日菜の欲望まじりの言葉に師匠は無情なことを言う。 「別に構わんが……女には薦めんぞ。歳をとるからな」 「う!! そうか」  あの別荘はいわゆる『逆竜宮城』居れば居るほど歳をとるのが早くなる。師匠や私のような老いに関係のない吸血鬼、アンドロイドの茶々丸さん、英霊のセイバーには割りと関係のないことだが、遠坂には重大なことで別荘には『一日』ぐらいしか滞在しない。  でも、 「気にしないアルよ」 「いいんじゃない、2,3日くらい歳取っても」 「若いから言えるセリフだな、それ」  若さ爆発の彼女たちにはあまり関係のないことであった。これには師匠も呆れるしかないみたいだ。 「じゃ、急いでいきましょう。マスター、おやすみなさい」  ネギ先生の声をきっかけに、三つの黒い傘それぞれにみんなが体を潜り込ませ、寮への道を走る。  私が投影した傘には朝倉と古さんが潜りこんだ。傘は自分が持つ。流石に戦闘用だけあって一般的な傘の何倍も重量があるためだ。本当、いつこれを手にしたんだろうか? 不思議でならない。  師匠の家のある林を抜け、寮を目指して石畳の道を走る。雨は興奮を呼ぶのか気分が高揚した何人かが悲鳴に似た歓声を上げ、悪天候すら楽しむ雰囲気がみんなを包む。  その中で私はというと、傘の下で二人に挟まれているため、引っ張られるように走らされていた。 「いやー濡れたねー」 「これは部屋に戻ったらお風呂です。あ、志保さん傘ありがとうございます」 「いや、どういたしまして」  程なく寮の正面玄関に辿りついた。傘があったとはいえ一つあたり三人のすし詰め状態で走っているのだ、傘は役に立たなかったかもしれない。貸した傘を受け取り、ポケットからハンカチを取り出す。せめて顔ぐらいは水滴をぬぐっておかなくては。昔は気に留めなかったのにこの辺、すっかり女の子してきているな。はぁ、もうこの辺りは諦めた。  みんなも体をハンカチや持っているスポーツタオルで拭いている。そんな中、朝倉がネギ先生を向いて口を開いた。 「何かあったら、いつでも呼んでよ。協力するからさ、ネギ君」 「は、はいーー」  別荘の夜でネギ先生の過去を見たみんなの意見は『ネギ先生に協力しよう』である。あれはその場限りの言葉ではないみたいだ。その証拠に朝倉の言葉を聞いていたのどかと夕映の顔にも本気の色が浮かんでいる。覚悟は十分といったところか。  しかし向けられているネギ先生は困り顔だ。 「ううっ、困ったなー」  朝倉達が寮に入っていくのを見届けた後、口にも出している。 「何が?」 「ホントはあーゆー危険なことがあるかも知れないから、僕と関わるのは考えた方がいいって言うつもりで6年前の話をしたつもりだったんですけど……」  ネギ先生はそのつもりなのだろうが、あれではむしろ、 「あれはむしろ彼女たちの覚悟を促す結果になったな」 「えうっ! そんなー」  遠ざけるつもりなら何も語らず、胸のうちに秘め、静かにしていればいい。けれど今回ネギ先生がやったこと(半分以上は師匠だけど)は魔法を知るメンバーの決意を新たにさせるものだった。私だって表には出さないがネギ先生の過去に触れ、何か彼の手助けが出来ないかと思ったのだから。  だからネギ先生はもう少しみんなを頼ってほしいとも思う。なまじ才能があるので何でも一人で出来てしまう彼だが、必要なのは仲間だったり友達だったりすると思う。  それは明日菜も同意見のようだ。 「いいじゃん、協力してくれるって言ってんだし」  それは甘えろと言っている。けれどネギ先生には届かないみたい。 「でも、うーーん……いや、やっぱり僕が強くならなくちゃ。よし! もっともっと修行がんばるぞーっ」  拳を握りしめたネギ先生がそう自分に言い聞かせて寮に入っていく。おいおい、いくらなんでも…… 「って、ちょっとちょっと、これ以上がんばったらブッ倒れちゃうわよー」 「大丈夫ですよアスナさん」  明日菜の制止もヒラリと流してネギ先生は寮の中に入っていった。  ネギ先生の後ろ姿が消えた玄関前。残った明日菜達の表情は曇ったものになっていた。 「もー、あいつまた一人で気負って張りきっちゃって」  明日菜が半分呆れ、残り半分心配の声でぼやく。 「あやーー、ネギ君またフラフラになってまう?」 「師匠の血液摂取量はそれほどではないけど、疲れは溜まるものだよ」  木乃香の言葉に答えて、軽く後頭部を掻き、釣られてポニーテールがピョコピョコ動く。ただでさえ教師の仕事でストレスが溜まるのだ、その上で魔法使いとして精神を消耗させ、拳法を習って体力まで消耗させるのだ。今でもかなり無茶をやっていると思う。ちなみに師匠がネギ先生のいないところで言うには「ストレスでボーヤの血の味が変わっている」のだそうだ。 「ネギ君て少しがんばりすぎる性格やなー」 「……その性格もネギ先生の過去を聞いた後では納得とゆーカンジですが……」  刹那も言葉を選んで口にする。彼の過去。村を襲う悪魔の軍勢。その中での生き残り……なんだかな……。  思い出されるのは私の原初の記憶。あの炎に包まれた街を一人歩く記憶だ。状況こそ違えど、ネギ先生の話の光景とダブってしまう。 「うーーん……まあ、ホントだったら近所の悪ガキとバカなコトして遊んでいるような年頃なのよね……」 「そうですね……しかし先生の周りにいるのは年上のお姉さんばかりですし」  そうだな……私が『士郎』のままだったら歳こそ違えど同性だからまた違ったかもしれない。でもそれだったらここにいられないか。これを喜ぶべきか悲しむべきか。複雑だ。 「そ言えばネギ君て、カモ君以外にはいつも敬語やしねー」 「ま、まあな」  明日菜の頭の上にいるオコジョが答える。敬語は人と一定の壁を作る。つまり、彼以外心許せる相手がいないというわけか。……せめて、 「せめて、同じ年頃の友達でもこの麻帆良にいたらな」 「せやねー」  思わず口走った言葉に木乃香が賛同してくれた。一般人でもいいから彼には友人が必要と思う。私にとっての高校時代の友人である一成や慎二、魔術協会のときの同期の友人やルヴィアさんとかみたいな人がネギ先生の周りには必要だろう。 「……ん?」 「どうしたの志保、急に上を見て」 「いや、ちょっと……」  ふと、視線を感じてその方向をみたのだが、そこにあるのは空調の換気口だけ。気のせいだったかな。 「おっと、あーぶなかったゼー」 「勘がいい人がいるものデスネー」 「まったくダ」  志保の感覚は外れてはいなかった。換気口の奥、この学園に密やかに侵入した存在が息づいていた。  数は三つ。いずれも形状は一定ではなく、流動的だ。『それら』は一般にスライムと呼ばれる存在だ。不定形ながらそれらの出す声は女声で、形作った姿も少女のもののため仮に彼女達とする。  彼女達の学園侵入は密やかに行われていた。スライムといえばゲームなどでは最弱扱いされるが、現実ではそんなことはなく魔法使いの間では厄介な相手とされる悪魔の眷族だ。三体は上位者であるヘルマン卿という爵位を受けた上位悪魔の命を受け、この学園の威力偵察を行うことになっている。ただ、その前にやらなければならない事がある。  ヘルマン卿と彼女達を六年も封じた『封印の瓶』の奪還だ。瓶を奪ったのは狗族ハーフの小太郎と言う少年。あれが向こうの手にあると元も子もないので早々に片付けておきたい懸案だ。この女子寮にいるのは分かっている。見つけ次第へルマン卿に報告、自分たちは『目標』を捕らえる手筈がスライム達の知性に浮かぶ。 「小太郎というガキを見付けるまでは周りに気づかれちゃマズイゼ」 「あの白髪の少女、衛宮志保も『目標』ではないのデスカ?」  三体の内一体、メガネをかけたように見える個体がさっき換気口越しにこちらに視線を合わせかけた少女について言及する。この学園の調査、特に女子中等部3年A組の事前調査は念入りだ。担任教師のネギをはじめ、魔法無効化能力者、ネギと仮契約したと思われる少女、闇の福音と異名のとる真祖の吸血鬼など一般人、非一般人を問わず一通り調査は行われた。  先ほどスライム達の視線に気がついた衛宮志保も優先順位がネギや明日菜より低いが、悪魔の重要調査対象となっている。  どうやら魔法使いらしい、ネギと仮契約している、吸血鬼でもある、不確定情報だが京都でリョウメンスクナを消滅させたのは彼女であるとか。しかしてその正体は不明。二月に麻帆良学園に転入してくる前の経歴は全てアンノウン。ヘルマン卿の雇い主も気になっているため追加調査も悪魔の仕事に入っていた。  メガネのスライムはそのことを言っているのだが、やる気のなさそうな髪の長い少女の形を取るスライムが軽く首を振って否定する。 「確かに『目標』の一人だけど、あれの相手は三銃士がするそうダヨ」 「へっ、六年ぶりのヘルマン様復活にアイツらはおおはしゃぎダローゼ」  髪の短い少女を模したスライムが呆れたように肩をすくめるポーズをとった。  この学園に潜入した悪魔は眷族である彼女達を含めて七体。上位者のヘルマンが潜入者達の指揮を執っている。そのヘルマンを守護する騎士の位を持つ三人の悪魔。それが三銃士になる。主であるヘルマンが封印されている間はなりを潜めていたが、彼が復活した今、スライムたちがいうように大いに張り切っている。 「ともかく、瓶を奪った小太郎という少年を見つけるのが先決デス」 「そうだな、行くとするカ……」  そう言って少女の形を取っていた彼女たちは再び不定形の粘体となり、通風孔を音もなく進んでいった。  麻帆良の雨はまだ止まず、等しく地にいるものに降り注ぐ。人にも人以外のものにも。  今はまだ何も起きてはいない。  スライム達が潜伏している女子寮から直線で四キロ。学園都市に多く見られる欧州風の鐘楼の一つに三つの影があった。 「さて、ヘルマン様はネギ・スプリングフィールドとカグラザカ・アスナの調査に乗り出したみたいですな」  雨をかろうじて凌げる鐘楼の中で一番に口を開いたのは一人の青年。北欧人種に見える彫りの深い顔立ちをしており、手足がバランスよく長く、ともすればファッション雑誌の表紙を飾りそうな青年だ。黒いロングコートを着込み、同色のボトムとシャツ。腰のベルトにはなぜか剣が差してある。 「その前に封印の瓶の奪取。我らに命じてくださればいいものを、あの方は……」  青年の言葉に真向かいにいた40がらみの中年見える男性がため息をついてヤレヤレと首を振る。少し太っているように見える体なのだが、それは彼の体格がアンコ型であり、実際には筋肉の塊である屈強な体を仕立ての良いスーツの下に持っていのだ。青年のような美形ではないが、どこか愛嬌がある顔立ちをしている。それを助長するようにスーツ姿なのに彼の背中には丸い中華鍋みたいなものと、彼の身の丈ほどの細長い鉄棒が背負われていた。よくよく見ればそれは丸い形の盾であり細長い鉄棒は長柄の武器になっており、スーツとの組み合わせは最悪だ。 「ヘルマン様はバトルジャンキーなところがあるからねー、特に今回の場合あのネギってガキにご執心だし」  中年男性に答えるのは彼の斜め向かいにいるストリートファッションの少年だった。身の丈はネギと同じくらい。黙っていれば愛くるしい容姿でその手の趣向の女性にはたまらない美少年なのだが、口を開いて動けばいかにも悪ガキといった印象が強くなる。その少年の背中には彼の身長に釣り合わない長大なものが布に包まれて背負われている。  少々変わった風貌をしているがどこから見ても人間に見える彼らは、その実人間ではない。騎士の位に叙され、伯爵であるヘルマンに忠誠を誓う三人の悪魔の騎士。スライム達曰く、『悪魔三銃士』と呼ばれている三人だ。 「ふむ……そうなると我らの任務は学園の調査となるのだが——ああ、そうだ忘れていた。ヘルマン様が相手する二人とは別に調査する必要がある人物がいました」  青年が思い出したようにコートの中から一枚の写真を取り出す。それを覗き込む二人。 「ふむん? この女子(おなご)がか?」 「ひゅー、マブイじゃん。この子が調査対象?」  中年が怪訝な声を、少年は口笛を吹いて感嘆の声を出した。写真に写っているのは白髪赤眼の少女、衛宮志保の姿を捉えたものだ。集合写真の拡大で、画像に粗が目立つが志保の容姿を見分けるには十分だ。 「その通り、衛宮志保という名であの3年A組に所属している中学生だ。彼女もネギ君の仲間で、任されたのは彼女の能力を調査……む」 「どうしたカール?」  青年の突然の話の中断に中年が彼の名前を呼ぶ。 「いや、スライム達からの報告だ。今話している志保なる少女の位置が分かった。ミルド、お前の眼なら視えるだろう」 「お、マジ? どれどれ……おー、いたいた。写真よりも生のほうがやっぱ良いよな」  カールという青年が少年に話しかけ、彼の言葉に従い女子寮の方向を遠視した少年は写真を見たときの数倍の感嘆の声を出した。 「で、如何するカール。あの少女の調査といくのか?」  中年の言葉にカールはコクンと一度頷き、肯定の意を表した。 「無論。ヘルマン様が任された依頼が『学園の調査』である以上、私達はお助けしなくてはならない。この少女の調査もその一環とあれば是非もなかろう」 「待ってました。んじゃあ早速僕がここから一発やっちゃうよー」  ミルドと呼ばれた少年ははしゃいだ声を上げて、背中の長大な布包みを手に取る。布が取り払われその中身があらわになる。  異様に長い鋼の筒、その鋼に付いている年季を感じさせる木の部分には火薬の臭いが染み付いている。それは二メートルほどの異常に長い銃身のライフルだ。それも現代のものではなく、銃口から火薬と弾丸を詰め、雷管で発火するという軽く百年以上は前の先込め雷管式の代物で、少年の容姿にはますます不似合いのものである。  でも、似合わないからといっても少年のその手際は異様に早く、火薬を詰めて弾を込め、特製の長い突き棒で押し込み、ハンマーを上げて雷管をセットしてとあっという間に射撃体勢に入ってしまう。狙うのは四キロ先の女子寮にいる白髪の少女。普通だったら絶対に狙撃を考えない距離。だけど少年は悪魔であり、持っているライフルも見た目通りの物ではない。  鐘楼の柵に長尺の銃身を置き、木製の銃床が少年の肩に当てられる。スコープは少年の目には不要だ。 「彼女は吸血鬼だという情報がある。色々と油断がならないぞ」 「OK、まずは挨拶といくよ」  中年の言葉に少年は軽く頷き、トリガーを引き絞った。  ハンマーが落ち、雷管に火が入る。その火花が詰め込まれた火薬に引火して爆発、圧力が弾丸を押し出した。響く銃声はもはや砲声。立ち上る黒色火薬独特の白煙を突き破り弾丸が目標である少女に襲い掛かっていった。  ここに開戦の号砲が文字通り鳴らされた。 自室にてタオルで髪と身体を拭き、濡れた制服から私服に着替える。お風呂で体を温めるのも良いのだが、今の時間は他のみんなが入っている可能性が高い。自分の裸には慣れたが流石に他人のはまだ抵抗がある。もう少し時間を空けてからにしよう。 「そうだな、それまで頼まれていた修理をやっておくか」  勉強という気分でもないので、楓を通じて鳴滝姉妹から依頼されたゲーム機の修理をやることにした。なんでも彼女たちの最近のマイブームはレトロゲームなのだそうで、修理を依頼されたものも私が中学生のときに流行ったゲーム機になる。当然修理サービスの期間はとうに過ぎているため、修理の依頼が回ってきたのだ。  にしても、慎二の家でやったことがあるこのゲーム機がレトロになるとは、時代の流れだな。それとも平行世界だからか? 「基盤に異常はなし、と。やっぱり配線が古くなって接触不良を起こしているか、これなら修理は楽だな」  解析の目をゲーム機に向けて故障箇所を視る。幸いにして軽度の故障で、すぐに直せるものだ。  工具箱からドライバーを取り出す。そういえば、何時だったか別件で修理したときのチップが余っていたな。これに組み込むと解像度が上がるそうだ。どうしようかな? あの双子から許可をもらえれば改造したいのだけど。  ドライバーを片手に悩んでいるとき、遠くで聞き慣れた、そしてこの場所では聞いてはいけない音が聞こえた。 「——銃声? 龍宮か?」  そう思ったがすぐ否定。彼女の愛用するデザートイーグルやレミントンどちらの銃声でもない。これは——  ——ビシッ  窓を穿つこの音は私の耳には入らなかった。その余分がなくなったから。 「くっ! 狙撃!?」  物体が空気を裂く感覚だけを頼りに飛来するものを避けた。それは音速より遅く。現代のライフル弾よりも精巧さに欠けるもの。なれど、 「——弾丸?」  避けた『弾』は空中に静止していた。それは直径10センチほどの鉄球。それが物凄い回転をして空中に止まっていた。それを認識すると間もなく、鉄球が襲い掛かってきた。  上から下へ、弧を描く軌道で脳天に襲い来る。後ろに避けるとさらに跳ね上がり今度はこめかみを狙う軌道を取る。これを頭を逸らして凌ぐ。  上下左右前後。弧を描く軌道で鉄球が襲い掛かること八度。直感と目の良さと身体能力の高さを生かし避ける。避け続け、目の慣れたところで—— 「投影開始[トレース・オン]!!」  右手に最速で夫婦剣の片割れである陽剣を投影して、正面から来た鉄球を叩き落した。鉄と鉄が衝突する音が部屋に響き、鉄球が床にめり込んだ。  動く様子はない。素早く解析の目を向ける。フリントロック式や雷管式の古い先込めライフルに使われる銃弾らしいが、これほどの大口径は滅多に無い。それに変幻自在なあの軌道はもはや通常の銃ではないことは明らか、弾に神秘がないとするならタネは銃か射手にある。  弾痕の残る窓から外を見る。あの変化できる軌道をもってすれば、ひょっとすると寮の反対方向からの狙撃とも考えられる。けれど、果たしてそこに射手はいた。  四キロ先の雨中の鐘楼の上、信じがたいほど長尺のライフルを持った少年が撃った直後の白煙に包まれながらこちらを見ている。本来合うはずもない距離で目がお互いに結び合った。 ニィと少年の口元が歪む。なまじ美少年だけあって凄絶さは増している。  次弾を込めている様子もない。この一発は挨拶代わりということか。彼が口元を指差し口を動かす。読めということか、形の良い彼の口は私の知っているある場所を指した。  机の上にある携帯電話が鳴る。少年に目を向けたままそれを取り、ディスプレイを見る。発信者はセイバーだ、すぐに出る。 「もしもし、セイバー?」 「シホですか? 先ほど微細な結界の変動を感じました。不確定ですけど侵入者ではないかと思います」  その声に、外していた視線を戻す。一瞬視線を外していた鐘楼にはすでに人影はない。漂っていた白煙も降りしきる雨にかき消され、ただの雨天の光景があるだけだ。 「もしもしシホ?」 「セイバー、さっき侵入者と思われる奴に会った」 「なっ! それは本当ですか」  電話越しにセイバーの驚く声が伝わる。 「うん。そいつは私を狙撃してきたよ。挨拶代わりみたいなもので手加減されていたけど並じゃなかった」  電話口でセイバーの息を呑む音が聞こえた。心配させちゃったな。  あのネギ先生ぐらいの年頃に見える少年の雰囲気は普通じゃなかった。戦場育ちの子供よりも瞳が底知れず、そして間違いなく強い。師匠のように人外の気配も感じたことから見た目通りの存在ではないだろう。 「それに、そいつから場所も指定された。どうする? セイバー」  言わずもがなのことを私はあえて彼女に聞いた。 「無論、相手をしましょう。この学園の守護を任された以上、私はその任を負いたいと思います」  そう、たとえ罠だとしてもそれを打ち破って正面から挑むのが実に彼女らしい。 「同感。遠坂は?」 「現在私と一緒に中等部校舎にいます。どうも凛は携帯を壊したらしくて……」  ——は? 壊した? 「なんでさ。いくら機械オンチの遠坂でも壊すか?」 「話を聞くにコタローと会った際のドタバタで壊れたようですが」 「コタロー?」  誰ですか? その人。 「あ、シホには分からない話でしたね。後で説明しますから今は合流しましょう」 「む——そうだね、じゃ、すぐに向かう」  思考を戦闘用のそれに切り替え、セイバーに場所を告げて電話を切る。次に学園長に侵入者の報告を入れようとしたが繋がらない。学園長は学園長で何かしらの動きを取っているのかもしれない。師匠はきっと動かないだろうし、ここは私達で何とかする必要があるか。  修理途中のゲーム機を片付け(あれほどのことがあったのに傷一つ付いていない)、クローゼットから聖骸布の外套を取り出し、服の上に着込む。今着ているものは動きやすさ重視のGパンとTシャツの上から着込んだキャミソールという出で立ちだ。外套を着ても問題はないだろう。ポケットの中に仮契約カードを確認。今はネギ先生に助けを呼ぶべきではない。彼のことだ、報告した途端フラフラの今でもその場所に飛んでいきかねない。だから今回の用途はアーティファクトの呼び出しだけ。  出来る準備は万全にしてブーツを履き、寮から雨天の下へ。途中、誰にも見られなかったのは幸いだ。足に魔力を通し雨の石畳を蹴りつけ、一気に加速していく。  目指すのは世界樹広場、大階段。それが指定の場所だった。  大階段の周囲に人気はなかった。まるでそこが今日のためにあつらえた舞台みたいだ。そうなるとこの雨でさえ舞台装置に思えてしまうのは考えすぎだろうか。  寮から街を駆け抜け、階段下を視界に捉えた。そこに銀の鎧を纏った蒼い騎士王が待っていた。 「セイバー、待たせた」 「いえ、私も今来たところです」  武装化し戦う者の目をしたセイバーが階段の上を見上げたまま答える。視線の先、大階段の踊り場に『敵』はいた。  影は三つ。一つは狙撃を仕掛けてきた少年。残りの二つはというと、なぜか腰のベルトに剣を差した美形の青年と何かを背負って、手に持っているポールウェポンが似合わないスーツ姿の中年男性になる。  外見の年齢、体格も違う彼ら。ただ、共通して彼らの纏う雰囲気が人のものではない。見た目で判断できない何かが彼らにある。そして闘気をすでに纏っており、端から戦う気でいることか。 「ほほう、仲間がいたのか」 「衛宮志保に関する情報はネギ君よりも圧倒的に少ないからね。だから依頼されたんだろうけど」  中年と少年がこちらに聞こえるように話をする。こちらの事はある程度調べているみたいだが、どこまで知られているのか…… 「お前たちが侵入者、だろうな。何が目的だ?」  無論そんなことは答えるはずはないだろう。この会話は半ば前座、戦闘への足場を固める時間稼ぎみたいなものだ。地の利はこちらにある。にも関わらず、彼らに焦りはなく超然としている。 「(セイバー、遠坂は?)」  小声で隣のセイバーに声をかける。彼女はすでに剣を鞘から抜き、いつでも踏み込めるような姿勢で答える。 「(凛でしたらこの周囲に人払いの結界を張りに。さらにタイミングを見計らって奇襲するそうです。場所ですが——)」 「(そうか、あいつの事だ。仕掛けるのは最高のタイミングだな)」  それまでの間に遠坂のための舞台を整えてやらないとな。すでに魔術回路に火が灯っている。一挙動で剣が手元に現れるようにしてある。そんな中、私の質問に三人を代表して青年が答える。 「私達はある伯爵に仕える三騎士。今回その方が依頼を受けてな。依頼は『麻帆良学園の調査』そこにネギ・スプリングフィールド、カグラザカ・アスナの調査も含まれている。そして二人とは別に君、エミヤシホの調査もあってね。主の手間を減らすため私達が乗り出したというわけだ。どうかね、質問には答えたよ」 「……ありがとう。貴方達の目的は分かったよ。一応聞くけど引く気は?」 「無論あるはずなかろう」  あっさり返される。  にしても、まさかここまで素直に答えられるとは思わなかった。でもそうなると急がないといけない。もたもたしているとネギ先生と明日菜が危ない。 「ちなみに、あの二人なら我らが伯爵様が直々にお相手しているぜ。あの方一種変態だからなー」 「——っ!」  こっちの心を読んだように少年が意地の悪い言葉を出した。同時に背中に背負った長尺のライフルを手に持つ。 「月並みで申し訳ないが、ネギ君を助けに行きたければ私達を倒してからにしてくれないかな」  青年が腰に差した剣を抜く。中東でよく見られた反りのある片刃の剣。シャムシールの一種だが、何らかの神秘を持っていることは確実だろう。 「我ら三騎士を踏み越えられるものならな。調査といえど、生死は問われてはおらんのでな……遠慮なくいくぞ」  中年男性も背中に手を回して背負っていたもの——丸い金属の盾をグレイブの一種と見えるポールウェポンと一緒に構える。  三人の構えが終わったと同時に闘争が始まった。  まず動いたのは中年男性。盾を構え、こちら目掛けて階段を飛び降りるように一直線に間合いを詰めてきた。 「シホは援護を!」 「分かった」  対するこちらも前衛のセイバーが中年男性目掛けて弾ける様な跳躍を見せる。  お互いの距離が一秒と経過せずゼロになる。 「はぁぁぁ!」  一閃。スピードと魔力放出が乗ったセイバーの斬撃。たとえ防がれても防御の上から相手の力を削るその攻撃を、 「ぬん!」  男は盾で防ぎ切った。金属が打ち合う音と火花が散る。男はよろけもしないし、盾に傷も付いていない。 「くっ!」  すぐさまセイバーが連撃を加え、手数とスピードで攻めるがその十二撃を事もなげに防いだ。 「相手は私だけではないぞ! カール!」 「っ!」  男の声と同時にセイバーの上から斬撃が降ってきた。青年の剣が直上からやってきたのだ。とっさに剣を弾くセイバー。その隙を盾の男は見逃さない。 「とった!」  グレイブを振り、横合いから薙ぎ払われる。けれどこれが待っていたこちらの好機。  すでに私の手にはカードから呼んだ弓があり、投影した矢には戦車砲並みの威力が込められている。男がグレイブを振ろうと防御がおろそかになる一瞬を狙い、矢を放った。  雨のカーテンを切り裂き、一直線に男の頭部に向かう矢。気が付き、驚愕の表情を浮かべる男。だが、必殺を期した矢は曲線の軌道を描く魔弾によって迎撃された。  空気が爆発した。 「むうっ!」 「油断が過ぎるよオルガ。目の前の敵に固執して肝心の相手を忘れるなんて」  黒色火薬独特の白煙を周囲にたなびかせて少年が男を嗤う。少年のいる位置は戦う前から変わらず大階段の踊り場だ。そこでは通常味方が射線軸に入るため銃器の類は使えないはず。けれど私の部屋に撃ち込んだ弾丸のような真似ができるならその限りではない。 「確かに油断だった。相手剣士が思いの外優秀であってな、つい熱くなってしまった」  間合いを離した男が顔をしかめてセイバーを見る。お互い間合いを離し、セイバーは私の傍で剣を構えなおす。 「まさかセイバーの剣をあそこまで完璧に防げる相手がいるとはね」 「はい、少々驚いています。それとシホには謝罪を。せっかく鍛ってくれた剣を駄目にしてしまいました」  見ればセイバーの構える剣の所々に刃こぼれがあり、青年の剣を受けたと思える部分にはヒビすら入っている。彼女の剣は私が初めて自分の工房を持ったときに鍛ったものだ。良質の鋼と剣に特化した私の魔力を込めた新鍛の魔剣。あれから何回か改良や鍛え直しを経て、新鍛に限って言うなら魔術協会の所有するどの魔剣にも負けない自信がある一品だ。それがあのやり取りだけでここまでのダメージを負うとは、剣も盾もよほどの神秘と見るべきだ。 「いいさ、剣は振るってこそだし、後で鍛え直せばいい。それより今から剣をあげる。この場はそれで凌いでくれ」  セイバーにそう言って、急速に自己に埋没する。剣の丘に突き立つ剣の群れからセイバーに合わせた剣を検索する。  第一候補——勝利すべき黄金の剣[カリバーン]。セイバーの担う剣で、エクスカリバーに比べると投影の難度は低い。ただし骨子の想定がまだ甘く、相手の持つ盾と剣には数合しか対することができないと推測。却下。  第二候補——約束されし勝利の剣[エクスカリバー]。同じくセイバーの担う剣。だがこれほどの神秘を投影する難度は高く、出来たとしても外見だけの代物になるだろう。却下。  第三候補——これはセイバーの担う剣ではないが、形状、重量配分、共にセイバーの使い慣れた物に近い。投影難度、神秘強度も問題なし。この投影を実行。 「投影開始[トレース・オン]」  理念を鑑定し、  骨子を想定し、  材料を複製し、  技術を模倣し、  経験を共感し、  年月を再現し、  全ての工程を凌駕し幻想を剣と結ぶ。  右手に感じられる重量。それを確認するとセイバーにそれを渡す。 「すまない、まだセイバーのカリバーンは完璧ではないからコレになった」 「いえ、充分です」  彼女は持っていた剣を丁寧に鞘にしまうと、渡された剣を構える。形状はセイバーの剣より身幅があり、柄の部分は十字架を模したものになる。本来はこの中に聖遺物を納めることもできる剣。  絶世の名剣[デュランダル]。聖騎士ローランの振るいし名剣で、セイバーが振るうには少々重いかもしれないが許容範囲内だと結論付ける。 「うむん……目標が取り出したあの剣、相当の魔力が感じられる。私の盾でも防げるか……」 「ならば今度の先鋒は私がやろう」 「あい分かった。ミルド、援護を頼むぞ」 「はいはい」  向こうでも再度の交戦準備は出来たようだ。 「真名の開放は一回だけしかできない。二回やると剣が崩壊するからそのつもりで」 「分かりました。ところで、凛ですが——」  こちらも最終的な打ち合わせを手早く済ませる。  膠着は一分もなかった。すぐに剣戟が交錯する。  青年の剣とセイバーの剣がぶつかり合い、そこに男のグレイブが差し挟まれ、私は少年と男を弓で牽制する。 「きゃはっ! いいねー、この戦いは数十年ぶりに血が沸くね!」  少年がそう言って魔弾を発射する。螺旋を描く軌道でセイバーと私をまとめて倒すつもりだ。させない!  弾丸の軌跡を予測し、そこに向けて見通し射撃を敢行。射落とす。  その直後後ろに気配。迫るのはグレイブの刃先。盾の男に回り込まれていた。 「[変化]干将・莫耶!」  弓を夫婦剣に変え、繰り出されるグレイブを捌く。 「ふむ。それが君のアーティファクトの力かね。興味、深いね!」 「——つ!」  同時に反対の盾が迫る。打撃。これを交差した双剣で防ぐも結構な距離を飛ばされる。同時に横合いから空気を切る音が迫る。思考も捨てて反応のみでそれを弾く。いつ撃ったのか再びの魔弾。けれど今回は毛色が違った。弾が弾かれたと同時に膨れ、マズイと思ったときには遅く、爆発した。  いきなり音が消え、すさまじい衝撃が体を襲う。飛ばされる体が大階段の下まで落ちていた。 「シホ!」  炸裂する弾丸の爆発を受けた志保の体は階段を転げ落ちる。セイバーは思わず声をかけるが、青年はその隙を見逃すほどお人よしではなかった。 「余所見をしている場合かな?」  空を斬り、青年の持つ中東風の剣がセイバーに襲い掛かる。その技は一撃一撃が恐ろしく速く、鋭い。 「っ!」  隙を突いたような斬撃だが、セイバーの剣士としての能力はかなりのものになる。すぐにデュランダルで捌き、間合いを取る。視界に立ち上がる志保の姿。一先ずは安心といったところか。  志保に渡されたこの剣も手に馴染んできた。仕掛ける頃合だ。  青年との距離は五メートル。一足の距離。それをセイバーは、 「はぁっ!」  瞬きすら許さぬ速度で詰めた。魔力放出を加えた剣戟を青年が似たような魔力発現をさせた剣で捌く。捌くが、剣士としての力量はセイバーに及ばないのか押されていく。押されているのに青年は楽しげだ。  数十合交えたところで一際高い剣戟音。お互いの間合いが再び離れる。 「いやいや、剣士のお嬢さん、貴女は相当にお強い。さぞ名の有る方と思えるのですが、はて? 貴女のような剣士は裏の世界では聞きません。貴女のお名前をお聞きできますか? 私はカール。カール・ヴァンヘルム。伯爵様より騎士の位を与えられし者だが、あのお方は現在没落中でして、誇れるものではないのですが……」  自身、不利な状況のはずなのにカールと名乗る青年がセイバーに名前を聞いてくる。  これにはセイバーは若干の驚きが顔に出た。まさかこの状況で名乗りを上げるとは……  一度剣を下げる。この場は彼の『聖杯戦争』ではない。ならば騎士の礼儀として堂々と名乗ろうではないか。 「名乗りを上げられたからには答えなくてはいけませんね。私はアルトリア。これが貴方を討つ者の名です」  王ではないクラス名でもない名を対峙する青年に告げる。 「アルトリア……その名、しかと刻んだ。では——」 「はい」  青年と少女が互いに剣を構える。  階段の上と下。距離は五メートルもない一足一刀。 「「参る」」  再び剣戟が始まった。  一足跳びで再び青年に迫る。視界の隅では志保が二人を相手に戦っている。凛がいるとはいえ、決着は早くつけなくては。  青年が構えをとる。その構えは今まで見せた八相のものではなく、特異なものだった。剣を片手で持ち、持っていない左手をセイバーに向かって突き出し、剣を持っている右手はその反対の方向に剣を水平に寝かせているのだ。剣の長さを悟らせない構えに見えないこともないが、今更ではなかろうか?   でも、その奇妙な構えにセイバーの直感は最大レベルの警報を発した。だが、すでに跳躍の最中。すでに遅い。 「唸れ、六魂刀」  剣が振られた。同時に青年が振った剣とは別の斬撃が五つ、セイバーを取り囲むように襲い掛かってきた。 「——!」  一つ迎撃、二つ捌き、三つ篭手で弾き、四つ柄で防ぎ、五つ身を捻り、六つ目が鎧を浅く削った。  どうにか着地したセイバーは青年を見据える。 「今のは……次元屈折……いえ、単に魔法の刃を複数使役しているだけですか」  対する青年はここに来て初めて驚いた表情をした。 「いや、感嘆ものでした。まさか私の六魂刀全てを凌ぎきるとは……こんなのは発生して数百年、初めてですよ……貴女になら、本気で挑んでも問題ないですね」  驚きから一転、喜びの表情を浮かべた青年がその姿を変える。体が五割り増しで大きくなり、着ていた服が全身鎧を思わせる硬質な物に変化し、何より頭部が青年のものから角の生えたのっぺりしたものに変わり、尻尾にコウモリのような形の翼。  見る人が十人いて十人ともその姿からその言葉をいうだろう。 『悪魔』と。 「なるほど、人ではないと思いましたが魔の類ですか」  青年の変身にやや呆気に取られるものの、気を引き締めなおしたセイバーはデュランダルを構える。 『驚きませんか。ま、私達の伯爵曰く、自身が悪魔と言っても若い者には笑われてしまうらしいので残念ではないんですけど』  青年が変身した悪魔の『六本』の腕が上がり、それぞれが持つ剣が構えを取る。 『これが六魂刀の正体です。人の状態のときに『腕』の剣を一時的に出しているものでして……さて、本気の剣を貴女は凌げますかな?』  自慢げに語る悪魔にセイバーは少し興が乗る。 「その挑戦、受けた」  セイバーは悪魔に向かって突っ込んだ。一見無謀な突撃。だが、  突撃するセイバーのあらゆる方向から剣が迫る。だが、すでに手品のタネは割れている。聖杯戦争の時の佐々木小次郎と名乗る剣豪が振るう剣と比べて数は多かれど、一撃が実に軽い。人の身で神仏に挑むあの絶技に比べればこのような剣、児戯に等しい! 『……なん、だと』 「はぁぁぁぁ!」  五つの剣を瞬く間に掻い潜り、さらに迫り来るセイバーに悪魔は初めて脅威を覚えた。所詮は人間。魔法の力を得たところで、限界は見えていると侮っていた。だが悪魔は知らない。対峙する相手は最高位の剣の英霊、ブリテンのかつていた王にして聖剣の担い手。そして、よく考えれば勝てる道理がなかった。悪魔を倒すのはいつでも人の強靭な意志なのだから。 『くうっ!』  必殺を期して残りの一振りの剣に全てを賭けた。最悪止められれば良い。その間残りの剣を戻せばいいのだから。けどそれすら、  避けられ、  無防備な懐を晒してしまい、  そこに致命的な一撃を受けてしまう。 「絶世の名剣[デュランダル]!!」  真名が開放された。彼の剣に与えられた力の一つ、斬撃の延長。それが発現する。聖なる剣の聖なる斬撃が悪魔の最後の攻撃を避けたセイバーから振るわれた。エクスカリバーの極光とはことなる優しい光が悪魔を襲う。エクスカリバーが太陽ならこの光は月光のそれ。  されどその威力と神秘は完全に再現されていた。 『■■■■ーーっ!!』  光に両断された悪魔が人には発音不可能の声を上げ消滅していく。爵位級の上位悪魔になると肉体が滅んだところで関係なく、自身の『国』に帰るだけだ。よって大抵は封印で対処するしかない。けれど何事にも例外は付き物で、悪魔の神秘すら超越する神秘や彼らを打ち滅ぼせる超高等呪文を持ってすれば消滅させることができる。そしてこれもそれに当て嵌まる。デュランダルという最高クラスの聖剣の一撃は贋作とはいえ真物に迫り、悪魔を完全消滅に至らしめた。  この場での決着は付いた。でもセイバーにはまだ護るべき相手がいる。  互いに名乗りを上げた対決。そして決着。  ここで何か言葉を発するのは今までの戦いを軽くするようなもの。故に彼女は消滅した悪魔の跡を振り返ることなく護るべき二人のもとへと急いだ。 時間はやや遡る。  怪我を負った志保が立ち上がり、反撃を開始しようとする。  右手の外面は整えられたが握力はこの戦闘中の回復は難しい。弓は諦める。でもまだ手の内は彼らに見せていない。付け入る隙はまだ存在する。視界の隅ではセイバーと青年の剣戟が続いている。幸いにして三人の内二人をこっちに引き付けているから邪魔立てなくセイバーは剣を振るえている。いや、目標は当初から私なのだからメインは私でサブはセイバーと彼らは考えているのかも。  ——工程終了[ロールアウト]。全投影待機[バレットクリア]。  相手は盾を構える男と長尺ライフルを扱う少年の二人。武装の解析は終了。両方ともかなりの代物だし、それを事もなげに扱う二人も只者ではない。が、弱音は吐かない。遠坂だって機会を窺って待っているのだ。これ以上待たせては駄目だろう。 「いくぞ」 「来るがいい少女よ!」  男の声に応えるように足に魔力を最大限通わせ、瞬動。男の横に出る、 「そこか!」  と見せかけて残像を残し、グレイブを振らせる。本命は上空。 「なん!?」  そこから左手の指に挟み持っていた三本の黒鍵を投擲する。二本は男に向けて、もう一本は少し外している。 「ち!」  男が盾で黒鍵を完全に防ぐ。一応鉄甲作用も働かせているのだがビクともしない。けれどこれで良い。外した一本が狙い通り男の傍に突き立つ。見切りが良いのがこの場合、悪く働く。 「鳥葬式典展開!」  黒鍵が剣の形を解き、大量の黒い鳥となり周囲の標的をついばみつくす。もちろん傍にいる男が標的となる。 「むう! これは一体!?」  男が面食らっている一瞬で地面に着地。この手の魔術に関して私は構成が甘いので鳥はすぐ消えてしまうし、人外らしい男には余り効かないだろう。でも今という僅かな時間が欲しかったのだ。 「停止解凍[フリーズアウト]——全投影連続層写[ソードバレルフルオープン]!!」  男を取り囲むように新鍛の魔剣を四十本空間に投影、撃ち放つ。 「なっ! オルガっ!」  少年が男の名前を呼び、銃を構える。すでに火薬と弾、雷管もセットされて銃口は私を狙う。でも、これは好機。攻撃の瞬間こそ防御が一番甘くなる。 「遠坂っ!」  私は最愛の人の名を呼ぶ。少年の真後ろ。世界樹の枝の一つで彼女はこの好機を待っていた。  重力制御を行いながら枝から飛び降り、少年に宝石を向ける。 「そんなインチキ!」 「九番、十二番、十五番、全財産投入、『凍れる氷河』!!」  驚愕する少年に向けて三つの宝石から放たれる巨大な氷塊。この一つで元の世界にある私の屋敷が土地ごと吹き飛んでしまう威力を持っている。それが三つ、少年に向かって襲い掛かる。  同時に男には私が投影した大量の剣が降り注いだ。  一瞬世界が揺れた。  大質量の氷の魔術に四十本もの剣一斉射撃だ。大階段以外に被害が及ばないのが不思議なほどだ。 「よしっ! とったわ」  着地と同時に遠坂は指をパチンと鳴らした。勝利を確信したときの彼女のくせだ。にしても、 「遠坂、やりすぎではないか? 目的は侵入者の殺害じゃないのだが」  あれほどの破壊力だ、今やあの二人がいた地点はもうもうと土ぼこりが立ち上っている。クレーターすら出来上がっている。これでは捕縛ではなく破壊だ。 「油断がならないから念には念をおしただけよ。そっちだってあんなに沢山投影することないじゃない」 「む、それは……」  確かに人間ではない感じを受けたため、こちらも念を押したのだが。やりすぎたか?  その時、セイバーが戦っている地点で光が奔った。この魔力は間違いなくデュランダル。セイバーが真名を開放したようだ。同時にあの青年の気配も消えうせた。 「完全に決着が付いたわね。さて、セイバーと合流してネギ君のところに応援に行こうかしら。アンタ、怪我は大丈夫?」 「ああ、大したことでは……って、ネギ先生も戦っているの?」  騎士たちが仕えているらしい『伯爵』なる人物がネギ先生達の相手をしていると聞いたのだが、戦闘なっているのだろうか? もしなっているとしら果たしてネギ先生が負けないでいるだろうか? 心配が募る。 「こっちとは世界樹を挟んで反対ね。そこに学祭のステージが準備されているんだけど、そこで戦闘が起こっているみたい。多分ネギ君ね」 「そっか、じゃあ急がないと」  二人でセイバーと合流して大階段を後にしようと一歩を踏み出そうとする。 『逃がすと思うかお嬢さん方』  声と共に今だ立ち上る氷の魔術の水蒸気の向こうから金属のきらめきが超高速で飛んできた。 「っ!」  何たる油断!   それは男が使っていたグレイブ。狙いは遠坂。彼女は間に合わない。失うのは嫌だ。 押し退け、体と服に強化を施して——  ——ドズッ 「が——はっ!」  多少の強化なぞ役に立たなかった。あっさり服と肉を貫通してグレイブは私を串刺しにする。刺された位置は右胸、乳房はもちろん、肺も潰れている。まともな呼吸が出来ない。気を失いそうだが、吸血鬼としての頑丈な肉体はそれを許してくれそうもない。もはや痛いというより熱い。熱くて、窒息しそうだ。 「志保! またこんな馬鹿をやって!」  遠坂が倒れそうな私を支える。良かった、彼女は無事だ。これなら体を張った甲斐があったものだ。それに今の私は昔よりさらに頑丈になっているはず。この程度、問題ない。 『いや、あのカールがやられるとは思わなんだ。君たちは充分脅威だし、君たちが所属する麻帆良学園の重要度も今後裏の世界で上がることだろう』 『ちっ、カールの奴、僕たちのリーダー役なのに一番先に逝きやがって』  水蒸気の向こうから姿を現したもの。それは正しく異形の者だった。  一体はあの男性が変じたものらしく、横幅があり、筋骨隆々とした体がそのまま三倍ほど体積を増したみたいで、愛嬌のある顔は消えて角のある頭に瞳が煌々と光っている。両腕に巨大な半月状の盾が腕と半ば融合している状態だ。さらには漆黒の翼とトカゲのような尻尾まである。  もう一体はあの少年だろう。体積を五割ほど増したと言ってもやはり小柄なことに変わりなく、大柄な大人ほどの体つきに留まっている。やはり角のある頭に尻尾、翼はないが腕は右腕や両肩に長い筒状の銃器らしいものが体の一部として存在している。 「……もしかして悪魔ってやつ? ヒトじゃないと思っていたけど、こんなのだったら手加減するんじゃなかった」 『もしかしなくても悪魔だよ。いやーっ、さっきのはキツかったぜネーちゃん』  遠坂の呟きに律儀に答える少年だった悪魔。仮面のような顔に表情は浮かばないが、きっと愉悦に浸っているのだろう。声が弾んでいる。 『借りは返すぜ。きっちり三発分だ』  悪魔の腕と肩にある大筒の砲口が遠坂に向けられる。当然彼女に支えられている私も巻き込むつもり満々。  ——ガシャン  砲身から弾丸を装填する音が聞こえる。あの弾は避けても何度も追いかけてくる類のものだ。それが今度は三発。セイバーがこちらに向かっているようだけど間に合いそうない。あの青年と剣戟を交わしているうち割と距離が離れてしまっていた。魔力が充分に乗った砲撃だ。今の私では捌くことは無理みたいだ。遠坂の表情も厳しいものになっている。詠唱する前に確実に仕留められてしまう。  対処を考えろ。この場で死ぬわけにはいかない。ましてや遠坂や引いては学園にいるみんなを脅威にさらすことは許せない。  今の肉体で出来る最大を知れ。  今の魔力で出来る最大を識れ。  この身は剣——鏡だ……ならば不可能ではなかろう?  狂裏(クルリ)と自分の中で何かが裏返った。痛みで視界が真っ赤になった。 『喰らいな!』  ——投影開始[トレース・オン]  砲撃を今にも行うところだった悪魔の声と、私の投影は同時だった。  ——ボムンッ!  直後、悪魔の三つの大筒が爆発した。 『ぐぎゃあ■■■ーー!!』  この世ならない悪魔の絶叫が夜天に木霊する。悲鳴には怨嗟や疑問なにより痛みがたっぷりと滲んでいる。  ふーん、悪魔でも痛いものは痛いか。面白いね。 「ふふっ、それでお終い?」 「え? 志保……?」  支えてくれたリンの体から離れる。彼女の血は熟したワインを思わせるような香りがあるのだけど、今は噛む訳にはいかない。離れると少し体がよろける。ありゃ、少し血を出しすぎたか。胸を貫くグレイブに左手をかけ、力を込めて引っこ抜く。痛覚を遮断しているけどこの感覚は嫌なものだ。あーあ、胸に穴が空いちゃったよ。  派手に血が飛び散るけど、すぐに傷口を塞ぎそれ以上の出血を止める。ついでに聖骸布の穴も塞ぐ。体を構成する刃がお互いを求めるようにして傷口が塞がっていく。 『な、何をしやがったてめぇ』 「別に大したことはしてないよ。発射直前の君の大砲に私が栓をしただけ。暴発するのは必然だよ」  詰まらない事を聞いてくる悪魔にわざわざ教授する。あの大砲に投影した剣を何本も詰め込んだだけなのだ。その位のことは分かってほしいな。 『ぐっ! くそ』 『ミルド落ち着け、あの者の雰囲気、先程とは別物だぞ』  砲撃の悪魔が苛立たしげな声を上げるのを盾の悪魔がたしなめる。あー、もうそろそろ良いかな? 流れた血の分の代価を払ってもらうよ。  私の変化に戸惑っている周りの状況を捨て置いて、瞬動で間合いを詰める。 『この!』  いち早く反応した盾の悪魔が巨腕を振るって私をなぎ払おうとする。速度も技術も伴っている。並みの戦士なら相手にならないだろう。でも図体が大きくなったのはマイナスだ。 「——ふっ」  二段階目の瞬動でわずかに軌道を変えてなぎ払われる腕の上に乗る。そして三段階目の瞬動で一気に悪魔の顔を目掛けて疾走する。 『な、何——』  悪魔の驚く声が聞こえるが構うことはない。左腕を弓を引くように後ろに引き絞る。手は開いたまま、いわゆる貫手。ただし、貫くのは指ではない。  左手の指五本とも刃に変化させている。親指から小烏丸、村正、大典太、乾雲丸、兼定と日本の名刀、妖刀を爪と成し、引き絞った弦を放つように刺し貫く! 『がぁぁぁっ』  目を中心に悪魔を貫く。当然、悲鳴と同時に悪魔が暴れる。 「分離[パージ]」  貫いた刀はそのままに手から分離する。すぐに手足をばたつかせる悪魔から距離をとる。左手はすぐに復元呪詛で指が生える。  顔を五本の刀に貫かれた悪魔に後はトドメの一撃を加えればいい。 「壊れた幻想[ブロークンファンタズム]」  五本の刃の幻想が膨れ上がり、悪魔の頭に刺さった状態のまま幻想は爆発し、崩壊。  後には断末魔すら上げること叶わず上半身を吹っ飛ばされた悪魔の遺骸が残るだけ。腕にある盾は健在だが、こうなっては盾も意味がない。魔法反射という中々素晴らしい概念を持った盾だが、悪魔は生かしきれず逝ってしまう。脆いものだ。ま、心象世界に登録はされたし、これからは私が有効活用してあげる。 「さて、残るは君だけなのだが……」 『ひっ!』  自慢の大砲を壊された悪魔が後ずさる。悪魔の面相は仮面みたいに変化がないから分かりにくいのだが、どうも怯えているということでいいのかな? それは大いに結構。吸血鬼たるもの恐怖は与えるものでなくては。でも、吸血鬼よりも人に恐怖を与えるべき悪魔が怖がってどうするのだろうか、情けない。 「私は外連は嫌いでね、相手を倒せる時にきっちり倒しておく主義なんだ。だから死に方は選べないからそのつもりで」  一歩一歩悪魔に近づく。近づきながら打倒手段を思考する。こいつはいわゆる『魔』の体現というべき存在だ。だから神聖の概念には弱いはず。削るなら黒鍵、一気に決めるならデュランダルのような聖剣が望ましいか。 『くっ、くそぉぉぉ!』  叫んだ悪魔の体が再び変化する。肩にあった大砲の残骸が翼に変わる。ダメージがあるせいでボロボロだが飛行に支障はないらしく、体が宙に浮いて高度を上げる。一瞬逃げるのかと思ったが、違う。破壊された砲身をもつ腕と反対の腕が変化を起こし、これまた砲身、いや細く短い銃身に変わる。 『死ねぇぇぇ●●●●———!!』  もはや人間に発生不可能の奇声をあげて上空から悪魔が攻撃を降らせる。実体のある弾丸ではなく、魔力を弾丸状に加工して撃ちだしている。一発一発が致命的な威力をもっている。一発あたりの威力が低く、数撃っている『魔法の射手』と違い、雨のように降り注ぐ魔力弾は連射速度といい威力といい、軍艦に搭載されている速射砲の連射サイクルを上げた代物に近い。 「面白い芸だね。でも、田舎演芸どまりだ」  左手を上げ、さっきの言葉通りさっそく有効活用させてもらう。  ——投影開始  左手に集約する魔力が悪魔の盾を幻想として結ぶ。大きさは悪魔サイズの方。よって私の全身はすっぽり隠れてしまう。  魔弾が着弾し、盾がそれを跳ね返し射手である悪魔に弾丸が殺到する。この盾、向けられた魔法を術者に返す復讐の概念がある。外見はそっけないが、中身はいかにも悪魔好みだ。 『オルガの盾を!? ——ぐぎゃ、ぐげぇえええっ!」  反射された魔弾が次々と上空の悪魔に返される。雨のように降ったものがすぐに逆経路をとって発生元を穿っていく。浮力を維持できないのか、高度を落としていき、ベシャリと不時着する。 『ぐぐ、くそ、来るな、来るなよ!』  無様に倒れ伏す悪魔に再び歩みを進める。喚きながら魔弾を撃ち散らすけど、それは全て盾が跳ね返して、むしろ撃てば撃つほど自身を傷つけているのだ。そんなことにも気が付かないのか、何十発と撃ち、その全てを自身で受けて完全に倒れてしまった。  やがて至近距離。相手はもはや動くこともままならない様子。立つことはできない悪魔の首を握力を戻した右手で無造作に掴み上げる。目が合う。相変わらず表情は掴めないがどこか苦笑する雰囲気がある。 『ば、化け物め……』  無駄口に付き合う義理はない。 「さて、代価を払ってもらうよ」  悪魔の体の周囲に何本もの神聖概念のある剣を投影。ドカドカと突き立てていく。同時に首を捻じり切り、その首筋に牙を突き立てる。そうして悪魔の体消えうせるまでの間、代価分の血を吸い尽くした。のだが、 「うえ、血が不味いや」  内包する魔力は質、量ともに文句なしだがいかんせん味がよろしくない。でもいいか、普段味わえない悪魔の血を飲んだのだ。気分は悪くない。  とにかく戦闘は今度こそ終了。ネギ君を助けに行くそうだけど……うん、向こうでも戦いは終わっているね。  天を見上げてみればいつの間にか雨雲が晴れており、欠け始めの下弦の月が大階段を照らし出している。  志保のいる場所に戻ってきたセイバーはその光景を眺めてしまっていた。凛が立ちすくむなか、あの志保が悪魔を剣で串刺しにした挙句首を捻り切り、もぎ取った首から血の飲む光景を。目を見張る。自分がいない間に一体何があったというのか。  その様は本来醜く映るものだが、彼女がそれを行うと不思議なほど一幅の絵になってしまう。それほどまでに今の志保は『魔的』な存在だった。  首を巡らせ、セイバーと遠坂を視線に入れる志保。その瞳は普段は硬質なルビーを感じさせる紅色なのだが、今は同じ紅でも血の色を連想させるほど瞳が潤んでいる。顔も上気したようになっており、例えるならお酒に酔ったみたいだ。 「終わったよリン、セイバーもご苦労さん。ネギ君だけど向こう戦いは終わっているみたいだよ。私達も帰りましょう」 「……アンタ、誰?」  志保の呼びかけを無視して今まで呆然と見ていた凛は、まるで敵を見るような目つきで志保を睨む。  確かに変だとセイバーにも感じられる。あのような振る舞い、決して志保はしない。例え人の身でなくったとしても心は人であるのが志保だと彼女は信じている。なのにさっきの光景はおかしい。まるで志保の外見はそのままに、中身がそっくり入れ替わったみたいだ。 「誰、か……回りくどい言い回しはリンは好きではないよね。いいよ貴女が私に関わる限り知っておいたほうが良さそうだしね」  フフッ、と悪戯をした子供のような笑顔を志保はする。普段だったら絶対しない表情だ。 「私もね一応衛宮志保だよ。ただし、『士郎』ではないね。吸血鬼としての気質が表に出てきた状態といえばいいのかな? 普段の私は無意識かもしれないけどこの手の人外の気質を忌避している。それがきっかけさええれば、裏返り今の私になる。納得?」 「『反転衝動』!? しかも……別人格? なんなのよ……」  凛はもはや完全に『志保』を敵視する。半ば殺気に近いものを向けられているのも関わらず『志保』は悠然としておりゆっくり階段を降りて、凛とセイバーに向かって足を向けた。咄嗟にセイバーが凛の前に出てデュランダルを構える。 「これ以上近づかせません。よく分かりませんが、今の貴女はシホではない。ただの吸血鬼です」  セイバーの敵意にも『志保』は動じず、足を止める。距離は六メートル、両者とも一足の間合いになる。そして無造作に左手を上げる。 「投影解除[トレース・アウト]」 「あっ!」  持っていたデュランダルが一言でかき消された。それもそのはず、志保の投影物だからだ。たちまち素手になってしまうセイバーだが、それでも腰に差した剣を抜いて再び構える。打ち合いでヒビの入ったあの魔剣だ、数合と持ちはしないだろう。でも、依然『志保』から敵意を感じない。 「そう突っかからなくても敵対するつもりはないって。確かに今の私はただの吸血鬼よ、少しイデアの残滓の影響はあるけど」 「っ! イデアですって!? まさか19位の」 「そうだよ。この身は衛宮であると同時にイデアの成れの果てかしら。鏡と剣。思った以上に相性が良くてね」  凛がこの言葉に頭は真空状態だろう。しばらくポカンとしてしまい、次にはすでに臨戦態勢で『志保』に向かい合っていた。手に宝石を握り、魔術刻印が光る。激発一歩手前だ。 「じゃあ、アナタが志保、いえ士郎を今の状態にした犯人ということでのね」 「だから、今の私はもうイデアじゃないよ」 「それはどういう……」 「いずれ分かるよ。それにしてもいい加減眠くなった——志保が起きるからそのつもりで」  そう一方的に言って、『志保』の体がガクンと沈み階段に倒れこんだ。 「ちょ……なんなのよ一体」  倒れこんだ志保の体を凛は戸惑った様子で見下ろした。  呼吸はしている。生きている。でも、さっきの志保は『士郎』ではなかった。あの振る舞いはまるで一介の死徒の王のそれ。そのことに凛の表情は困惑を拭えないものだ。 「凛、とにかく今はシホを寮に運びましょう。風邪をひいてしまう」  セイバーが困惑する凛に声をかけつつ、志保の体を背負う。  その途中、 「……あれ、セイバー? 遠坂?」 「っ! 目覚めましたか」  彼女の背中で志保が目を開ける。表情は寝起きのもので、状況を考えないなら少々微笑ましい光景だろう。  眼は硬質のルビーに戻っており、雰囲気も普段のものになっている。その事を察した凛は心の中で安堵して口を開こうとして、 「ごめん。二人には酷く嫌なものを見せてしまった。自分でもよく分からないけど、あれが今のもう一人の私だと思う……」  志保に先を越された。 「志保、記憶があるの!?」  凛の問いかけに志保は軽くうなずくだけ。その表情は沈んでいる。 「遠坂、もしかしたら私はこのまま吸血鬼としての道を歩むかもしれない。それにあの衝動にいつまた襲われるとも限らない……今回は悪魔を撃退するのに力が向いたけど、下手をすれば遠坂やセイバー、それにネギ先生をはじめとしたみんなを巻き込んでしまうかもしれない……だから、」  それ以上のことを志保が言おうとしたが、遠坂に止められた。  手刀で、チョップで。  志保の脳天に炸裂する音。かなりの快音が響いた。 「いったー……何をするんだよ遠坂!」 「あんたが馬鹿なこと言おうとしたから止めたのよ」 「それにしたって、強化した手刀はないだろ。かなり痛いぞ」 「ふん! 吸血鬼なんだからその位大したものじゃないでしょ……——まったく」  ここまで言って、凛はセイバーに背負われている志保を後ろから抱きすくめるように覆いかぶさった。 「馬鹿なんだから」  この一言にどれほどの意味があるのか、志保には痛いほど分かった。また、泣かせてしまうところだった。 「すまない」  志保も言葉少なに謝罪の言葉を口にする。  そのまま暫く時間が流れるかと思ったのだが、セイバーが実に申し訳ないように声をかけてきた。 「すみませんが、二人ともそういったことは後にして欲しいのですが……」  この言葉に遠坂がパッと離れる。志保も体を動かせる状態ではないけど、顔が赤い。彼女は肌が白身を帯びているため赤くなるとすぐに分かってしまう。 「あ、ごめんセイバー。そうよね、志保の怪我とかも見ないと。私の工房に行くけど、志保もそれでいい?」 「あ、うん。異存はないよ」 「じゃ、じゃあ行きましょうか。後始末は学園長がしてくれそうだし、このまま行っても問題はないわね」  どこかぎこちない雰囲気の中、三人は世界樹広場を後にした。  残ったのは遺体無き戦場跡と、それを見守る世界樹。そして雲から顔を出した月だけだった。 「こちらも終わったな」 「ネギ先生同様、かなりハラハラものでしたねマスター」 「……茶々丸、もうやめろ」 「いやー、志保殿の力は凄いでござるなー」  月に照らし出された世界樹。遠坂が飛び降りてきた枝よりさらに上に二つの戦いを見つめていた三つの人影があった。エヴァンジェリン、茶々丸、楓である。  彼女たちは悪魔達の侵入に気がつき、現場に駆けつけたが既に戦闘は両方とも始まっており、しかも相手をするのはエヴァンジェリンの弟子二人とくる。  本来なら悪魔を追い払う役を担うのが彼女の役目だったが、気が変わった。学園長の真似ではないが二人に試練を与えることにした。これを乗り切ってこそと思ったのだが、二人ともに予想以上の成果を見せてくれた。 「ボーヤ同様、志保の在り方を見れたのは収穫だったな。反転する思考とは面白いものを……あの三匹にも感謝だ」  普段、志保は人ならざる気質は毛ほども持っていない。それが、生命の危機などに陥ると反転。吸血鬼としての気質十分の思考になる。それは人外の力を十二分に振るう思考と嗜好。普段の善良な志保と合わせて、実にエヴァンジェリンの好みにあった在り方を志保はしていた。 「フフフ……やはり志保を手の内に入れて正解だったな。ボーヤ共々面白くなりそうだ」  その吸血鬼の真祖の笑い声は、静かで、それでいて月に届きそうなほど澄んでいた。  ここに悪魔の一夜が終わった。ネギにとっては過去の、志保にとってはこれからのことを思い知らされた、そんな雨の一夜だった。 暗く昏い場所に落ちて、堕ちていく感覚が彼の身を包む。 「なかなか楽しめた、といったところだな。六年も瓶の中にいた甲斐があったものだ」  彼の外見は人のものからすでに異形に変わっていた。大まかな形こそ人のものだが、背にコウモリのような翼があり、頭にねじれた角があり、尻尾がある。その姿を見た人は誰もが口をそろえて言うだろう。 悪魔と。  実際、彼は悪魔。それも伯爵に叙せられた上級悪魔になる。名前はヘルマン。本名はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンと長いのだが、名前など記号にしか思わない彼には関心の無いことだ。  そのヘルマンは、今まで闘争の場にいた。  六年前、イギリスのある村を襲撃した際、老いた魔法使いに封印された。それがこの度封印を解かれ、その解いた者に雇われ、その者の命で麻帆良の地を調査することになった。伯爵とは名ばかり、領地はなく、従者は数えるばかり。今やしがない雇われの身だ。でも、不満はない。なにせ、目標があの『ネギ・スプリングフィールド』だ。あの男の息子で、六年前は襲った村で無力な子供に過ぎなかったあの少年。どれほどの物になっているかと思ったが…… 「ふふっ、いい具合に成長しているではないか。再会が楽しみだ」  先ほどまでの心躍る闘争の相手、現在十歳になったネギは見事へルマンを打ち倒した。でも、高等な悪魔にとって肉体はこだわりの無いもの。『国』に戻れば元通りだ。故に人間は封印するか、対悪魔の高等呪文を用意する必要があり、ネギは復讐のためその魔法を手にしていた。  しかし、ネギはヘルマンを悪人ではないと言い、見逃した。ヘルマンからすれば甘いと思われる行為。が、一方で好ましくもある。次の再会が一体何年後になるか判らないが待つのも一興だとヘルマンは思う。人間よりも悪魔は時間を味方にしているのだからいくらでも待てる。 「さて、スライム達は封印されて、私の騎士達は……おや?」  意識を自身から外に向ける。探るのは数少ない自身の手勢である三人の騎士について。だが、判明したことは驚くべき結果だ。 「全滅、か。まさかな……これほどとは」  知覚できるのは彼らの最後。  散り様は三者三様。  リーダー格の剣の騎士カールは銀の鎧を身に纏う女騎士に文字通り月光のような剣閃を身に受けて両断された。  三人で一番忠義深い盾の騎士オルガは、目標の一つでもあった赤い外套を纏う少女と対峙。途中、少女の仲間の奇襲もあったが、彼女の胸を投擲したグレイブで貫いた。けど、そこから少女の異様さが物語られる。変容する雰囲気、中身が別物になった少女。  その少女の繰り出した五本の爪。いや、刃はオルガの頭部を貫き、そのまま爆発。断末魔すらあげられない最後だった。  より無残だったのは銃の騎士ミルド。オルガの散り様に激昂した彼は魔弾を連発。一発でも当てれば人体なぞ塵も残らないそれを、少女は取り出した盾で反射、魔弾の全てをミルドに返してしまった。自身の魔弾を受けて、動けなくなった彼に少女はさらに剣で串刺しにして、首を捻じり切り、ミルドの首に牙を立てる。知覚はここで止まった。  カール以外はまさに血の香が今にも鼻をつくような凄惨な場面。戦闘というよりそれは屠殺場のごとしだ。  にも関らず、その少女の『魔的』な美しさは変わらない。否、それどころか増していた。返り血を化粧に、目標であった少女は悪魔好みの美しさをその場に現出させていたのだ。  その様は血に濡れた美しい一振りの剣のようだ。  三人の騎士も一応上級の悪魔。肉にダメージがあっても帰ってこれるはずだが、振るわれた剣全てが悪魔を霊的に滅するものだった。これではたまったものではないだろう。始めはまさかと思っていたヘルマンだが、理解が及ぶにつれ納得していた。 「なるほど。これでは無理は無いか、せめて三人には私が冥福を祈るとしようかね」  悪魔が悪魔の冥福を祈る。そんな皮肉に苦笑しつつ、堕ちていく先をヘルマンは見据える。もうすぐ『国』だ。次に人間の世界に呼ばれるのは何時になるか……その時に再びあのネギとアスナ、そしてシホという血の香が薫る少女と対峙することが出来るか。ヘルマンは知らず口元が緩んでいるのを自覚した。三人の騎士や再び封印されたスライム達については惜しく思う。だが、この先には待つ価値のある未来があるのだ。 「何年後か分からないが再会を楽しみにしているよ」  悪魔の『国』に堕ちていくヘルマンは心底愉快な言葉と呪いを地上に残して還っていった。  出席番号32番 衛宮         第19話 ソードスミス  自室において目を閉じ、結跏趺坐で瞑想する。  目を閉じればあの夜の血が頭をよぎるが即座にそれをカット。思考すべきは剣のみだ。  自身の内にある無限の剣。それら一つ一つを丹念に思い浮かべ、目前にある一振りの剣に幻視を重ね合わせていく。  自分がセイバー用にと鍛ち上げた新鍛の魔剣。飾り気はなく、王であるセイバーに振るってもらうには畏れ多いくらいに貧弱に見えてしまう。そのため、機会を見て今まで何度か改良を重ねて打ち直し続けてきたのだが、今回もその必要性に迫られている。  その魔剣——両刃の西洋剣はあちこちにヒビが入り、刃こぼれが目立っていた。まるで何度となくロクな手入れもせずに使い回したような有様だが、実際にこうなったのは僅か一度の戦いで使用された結果だった。  打ち合った相手の武装は相当な硬度の神秘。『悪魔』の武装だ。それらと何度となく打ち合った結果、刃はこぼれ、錆びれ、呪詛の類のせいか溶けている部分すらある。不幸中の幸いなことは剣の芯は曲がることなく修復は比較的容易だということだ。  ただ、問題がひとつ。 「修復は割りと簡単なのだけどな。問題は素材か」  それが今回の改良の課題部分だ。今後ともこの世界にいるであればあのレベルの武装と打ち合う機会は何度もあると思われる。そのため新たな素材を溶かし合わせ打ち直して強化しようと考えていたのだが、強度、相性の問題でこれという素材が見当たらないのが現状だった。 「ふう。現状仕方ないか……あ、そうだ今日も遠坂の工房に行かないといけないか」  無い物を望んでも仕方がない。一先ずは遠坂と約束した『診察』を受けるため結跏趺坐を解き、自室を後にした。 「うぅぅん……やっぱり『剣』以外に『鏡』の意も出ているわ。こうして属性にまで結果が出ているところを見ると詳しいことは言えないけど、魂魄レベルでの融合の可能性が高いという事になるわね」 「そう」  整理できても整頓できない遠坂凛の工房。そこにあるものが彼女にしか分からないルールで置かれており、掃除する志保でさえおいそれと触れない物品がひしめく一室に当の二人はいた。  机の上にあるタロットカードを数枚見た遠坂は出た結果に思わず唸り声を上げていた。  以前より属性の診断を仔細に行ったのだが、出てくる結果は『剣』に付随して『鏡』の意が陰のように存在している。前に診たときは今よりも大雑把な診断のため比較はできないがほぼ間違いなく以前の士郎より変化していると彼女は確信している。  そしてその原因は『鏡』の二つ名を持つあの死徒の王が原因であることも間違いないとも。  カードから視線を上げるとどこか沈みこんでいる志保の顔がある。 (まだ吹っ切れていないのね。こいつは)  なまじハイスペックな吸血鬼としての才能を持ってしまい、太陽も流水も気にしなくてすむ身体だったため自身が吸血鬼である自覚に薄かったのだろう。それを今回のことでその事実を突きつけられて思い悩んでいる——遠坂は志保の悩みを分かっていた。伊達に十年の付き合いではない。 「『血』が怖い?」  沈黙に小石を放り込むような一言。 「……!」  唐突な言葉にあからさまに肩が『ビクン』と動く志保。この様子に彼女は大きく息を吐く。志保の性格を考えれば自身のことが許せない可能性だってある。  人を守る事を自身の命題にしている彼女が人の血を飲む。そんな矛盾。  静かになった室内で志保は目を伏せたままポツリポツリと話し始めた。 「記憶がないときは今のように意識せずに血を飲んでいたんだ。けど記憶が戻った辺りからこれでいいのかなと思って、その上で今回のことでね……ハハハッ、こんなのは半端者の台詞だよな」  苦笑する志保の目は虚ろを見て、表情は悲しみを映していた。  『士郎』の時を含めてもここまでの表情を見たことは遠坂にはない。 「——……」  この表情に遠坂の感情は一定幅を超えてしまった。 「まったくその通り、半端者ね」  出てくる声は冷厳なもの。これに志保は顔を上げ、遠坂の顔を見るが彼女の目は射抜くものだ。発言が自然とできなくなる。 「今まで意識せずに血を飲んでいて、そのことが自覚できるとなると罪で飲めなくなるなんてバカよ。自身が化け物? そんなことは誰も決める事じゃないわ。今更やいのやいの言うなんて本当にバカみたい。悲劇のヒロインぶるのもいい加減にしなさい」  相手の発言を封じておいてここまでガーと一気に捲くし立てた遠坂は、フンと鼻を鳴らして話をしめた。彼女のこの剣幕に志保は一つの所感を持った。  ああ、また気を使わせてしまったなと。  志保の状態が気になるのは遠坂も同じ、いやそれ以上になる。なにせ自身の恋人兼付き人兼弟子がいきなり女の子になっており、あまつさえ吸血鬼になっているのだ。心配してしまうのは当然の話。そこにその本人の弱気な発言なのだ。 「すまない、またバカをやったな私は」 「……分かればいいのよ」 「ありがとう、遠坂。また道を間違うところだった」 「——————(その笑顔は反則よ)」  このまましばらくどちらも話さない時間が流れる。  職員用の寮の一室を改造した遠坂の簡易工房は簡易といいながら堅牢な結界が何重にも張られ、内と外の空気がまるで別物になっている。窓から見える五月終盤の風景と室内の繭の中を連想させる雰囲気。  一般的な魔術師の工房に見られるジメジメした空気は遠坂の工房にはない。それが志保には好ましく感じられ、沈黙の空気は重たいものではなかった。穏やかな、陽だまりの中の時間が砂時計の一粒一粒のように流れていった。  口を開いたのは遠坂からだった。話はすでに次の話題。 「あんたの体は大体だけど調べた。吸血鬼化なんて付加属性があるけど肉体面は完璧に女の子。精神もこれに引っ張られ始めているわ」  話は志保の体について。  遠坂の教師としての勉強で延長があったものの、これまで数回志保の『診察』が行われてきた。やることは魔術的手段を使っているがほとんど医者のやっていることと変わりが無いことで、志保の体を魂魄から精神、肉体に及ぶまで調べ、衛宮志保というヒトの現状を調べ上げるものだった。 「精神が引っ張られているのか?」 「ええ、あんたの今の外見年齢は15,6ぐらい。言動がその辺りの女の子っぽくなってきているわ。これには環境もあってあのA組に囲まれているのも原因になっているわね。例えば、あの歳辺りの子達に『さん』付けなんてしなかったでしょ?」 「言われてみれば」 「あの吸血鬼の『教育』とういうのがなくても、女の子化は進んでいたってことね」 「——それはまた……」  出てきた話の内、自身の精神が少女のものに近づいていることに志保は少なからぬショックを受けてしまう。現状はどうあれ、元は27歳の『士郎』なのだ。それが何の因果か女子中学生をやっている。もうここまでくると笑いすら浮かんでしまいそうだ。 「そういえば、味覚も少し変わったかな? 前はどら焼き以外は甘いものは食べなかったけど今じゃ結構色々な甘味を食べるしな」  この部分で遠坂は少し思うところがあるのか表情をピクリとさせるが、志保が気付くことはなかった。 「——それは肉体面の影響ね。脳まで女だから五感に違和感はないけど男の時とは確実に違うと思う。その辺り思わぬ事があるかもしれないから気をつけてね」 「ああ、分かった。ところでさっき『悲劇のヒロイン』とあったけど……」 「それがなに?」 「いや、今更だったな」  壁にかけてある時計は夕食時が近づいていることを知らせていた。  窓の外の空はまだ夕日を知らない。  唐突だが、師匠ことエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの嫌いな食べ物にネギとニンニクがある。この弱点を突かれてネギ先生の父親ナギ・スプリングフィールドに手痛い敗北を被ったこともあるのだとか。  そのためか、師匠はこの弱点を克服しようとこの十五年努力をしてきたらしい。その結果、生では今だ無理なものの、熱を加えたものなら無理なく口にすることが出来るようになった。師匠はこれで努力の人なのだ。  なんでこんな話をしているかというと、 「ふんふん、スパイスの配合が見事だな。隠し味はチョコか……」 「うん、カカオがコクを増してくれるんだ」 「ほう」  今夜の夕食で師匠が玉ネギの入っているカレーライスを食べているから。 「(コクコク)」 「また腕を上げたわね。わたしもウカウカしていられないなー」  昨日作り、一晩寝かせたカレーにセイバーは一口ごとに満足そうに頷いているし、遠坂は対抗心を燃やしている。私はというと、食卓に座っている動けないチャチャゼロの食事の世話のためスプーンをせっせとチャチャゼロの口元に運んでいる。 「悪クナイナ。コレデ酒ガアレバナー」  などと愚痴をこぼすチャチャゼロを微笑ましく思いつつ、カレーに合う酒があっただろうかと考えていた。  夕食を師匠の家でみんなそろって食べることが多くなっていた。  師匠は嫌な顔をするときもあったが、私や遠坂、それに近頃は腕を上げてきた茶々丸さんが交代制で作る夕食に強く出る気はないようだ。やはり食事はみんなで食べるのが良いしな。 「スパイスの配合率はターメリックが通常より少なめに設定されていますが……」 「茶々丸さん。カレーの解析まで出来たんだ」 「はい。食べることが出来ないため詳細は不明ですが」 「一応、我が家の秘伝なんだ。スパイス表を後で教えようか?」 「はい、是非」  給仕役をしてくれている茶々丸さん。チャチャゼロみたく食べさせてあげられないのがこちらとしてはすごく残念に思う。 彼女の料理の腕は私が来てからみるみる上がってきている。教えた覚えはないのだが、どうやら私が調理しているところを見て技を盗んでいるらしい。マスターの師匠に似ているのかこの辺り茶々丸さんも努力家だ。  まったくの余談だが、この衛宮家特製カレーには逸話がある。  七年ほど前、協会の仕事で聖堂教会と合同で動くことがあった。その際に埋葬機関の『弓』という二つ名の人と知り合うのだが、この人が無類のカレー大好き人間であることがしばらく行動を共にして分かった。  そんなにカレーが好きならと特製カレーのレシピを教えたら、いたく感激したこの人が教会の武装である黒鍵の様々な使用法を伝授してくれた。  剣を通しての魔術しか出来ない自分としてはこの黒鍵は使い勝手が大変よく、今では私のメインの一つとして使っている。  ただ、この事を知った遠坂は怒り狂って、以降この『弓』の人と相性は最悪だとか。  曰く、「料理のレシピ程度で教会の秘伝を教える代行者なんて聞いたことがないわ!」だそうだ。  食事も終わり近くなり、デザートであるアイスを突いている時、師匠が『あの話』を持ってきた。 「そうだ。志保、お前が頼んでいた件だが了承だ。すでに人形達に準備をさせている」 「あ、そうなんだ。ありがとう師匠、本当に助かったよ」 「……志保、何の話?」 「遠坂、そう怖い顔しないでくれ」  学園長への悪魔襲撃の報告書製作と、中間テストの製作及び採点で寝不足気味の遠坂はここ数日機嫌が悪くなりやすい。隠し事をしている訳ではないのでここは早々に説明しておく。  数日前の悪魔襲撃のときに破損したセイバーの剣を修復するには鍛冶場が必要だった。最初は学園長に相談しようと考えていたが、そこに茶々丸さんが師匠の別荘に鍛冶場があると教えてくれ、その日の内に彼女に相談を持ちかけたのが昨日。  そうして今日になってその返事をもらった訳なのだ。 「ふーん、でもなんでアンタのところに鍛冶場なんてモノがあるのよ? 志保と違って純粋な魔法使いなんでしょ」  一通りの説明に納得のいった表情の遠坂だが、唯一気になったことを本人にぶつける。それは私も気になった。師匠は体術にも優れているけど大型の武器を振り回すようなことはしないイメージだ。さらに言えば鍛冶師のイメージもない。その彼女の住まいに鍛冶場があるのはちょっと不思議。 「別に私が自ら武器を作ったり振りましたりするわけではない。人形達の武装用に場所を作っただけだ。封じられている今では使いもしないから志保に場所を貸してやる、それだけだ」  遠坂の質問にぶっきらぼうに答える師匠。相変わらず二人の仲は良いのか悪いのか分からない微妙なものだが、私はこういう仲も悪くないと思うな。  そんな穏やかな気分で二人を見ていたのがいけなかったのか、唐突に師匠がこちらに視線をキロリと移してきた。 「さて、志保」 「な、なんですか師匠?」 「鍛冶場は貸してやる。資材も用意してやろう。だが、当然代価は頂く。それはいいか?」 「ああ、それはもちろん」  何かをしてもらうにはこちらも見合う何かをする。等価交換は魔術師の基本だが、こちらの『魔法使い』はその限りではない——師匠のような『悪い魔法使い』を除けばだが。  けど、私は別段『悪い』とは思わない。何かをして貰うのだ、こちらも何かの形で礼をしたい。その位の気持ちだ。 「志保に何を要求する気よ?」 「なに、どうせ剣を打ち直すならばこちらにも一振り剣を鍛ってもらおうと思ってな」  遠坂の睨みの利いた問いに師匠は事もなげに要求を言う。  でも、そのぐらいなら 「いいよ。その位のことで鍛冶場が借りられるのなら喜んで」 「またそう安請け合いして——大体、なんで代価が剣なのよ?」  遠坂は咎めるような口調で師匠にスプーン片手で詰め寄るが、これも彼女はさらりと受け流す。 「以前にアルトリアにお前の鍛った剣を見せてもらった。見事な仕事だった。あれほどのものが鍛てる鍛冶師というのは魔法界でも片手で数えるほどだろう。その業で鍛たれた剣を見てみたい。これで答えとしては満足か?」  なんか珍しくベタ褒めの師匠。褒められている側としては酷く気恥ずかしくなる。今までずっと協会内でコツコツ剣を鍛っていただけの身でそんな高評価を受けるとは思わなかった。 「そういえば、志保の鍛った剣が武闘派の魔術師の間で高値取引されていたわね……よく考えれば代価としては十分、か」  どこか納得いかない口調で師匠の言葉に頷くより他がないという顔をする遠坂。でも、私の剣が取引されていたなんて初耳だ。『むこう』では身内にしか剣を鍛ってないはずなんだけど誰だ、市場に流したのは。  ともあれ、剣を作るのは決定事項。ここは職人(ソードスミス)としてお客の注文に答えよう。 「それで、師匠用に剣を鍛てばいいのですか?」 「いや、それも興味深いのだが今回はチャチャゼロのものを鍛ってもらおうか」 「ヨロシクナ。イイ得物ヲ期待シテイルゼ」  師匠の言葉にチャチャゼロが嬉しそうにカタカタと身を震わせている。刃物好きの彼女としては自分に誂えた得物が増えるのは嬉しいイベントなんだろう。でも、『今回』はって次の機会もあるのか? 「じゃ、まずは軽く質問するけどチャチャゼロはどんな剣をお望みかな?」  深くつっこんでも怖い答えが返ってきそうなので、チャチャゼロに注文を伺うことにする。  突いているアイスはもうほとんど溶けており、シェイクの状態になっていた。 「ソウダナー……長物ハ大鉈デ十分足リテイルカラ短剣ヲ鍛ッテモラオウジャナイカ」 「短剣ね」  一口に短剣といっても様々なものがある。ナイフが代表的形状だけど、中にはジャマダハル(俗にいうカタール)や小太刀のようなものまであり、バリエーション豊かだ。 「形状としてはどんなのが良い?」 「大抵ノモノナラ使イコナス自信ハアルカラ、コダワリハネーゼ。タダ『痛ソウ』ニ見エルモノガイイナ」 「痛そう……つまり、相手に恐怖を植え付けやすい形がいいのか?」 「オウヨ」  これにはちょっと考えさせられる。短剣で相手に恐怖を与えられるのは難しい。なにしろ元々が携行のしやすさを念頭に短剣は作られているのだ。恐怖は与えず、持っていても分かりにくい。暗殺者が短剣を好む理由だ。  それで『痛そう』とはまた……ん? まてよ 「投影開始[トレース・オン]」  思い当たる代物が自分の剣の丘にあった。それを手の中に紡ぎ出し、チャチャゼロに見せる。 「こんな物はどうだろう? あくまでサンプルとしてだけど」 「オオー、マサシク俺好ミジャネエカ!」  チャチャゼロに手渡すと彼女ははしゃいで、動けないのをすごく悔しがっている。この場合はそれが良いと思う。渡したものを振り回すだろうし。 「シホ、それはアヴェンジャーの……」  今まで黙ってかつ、幸せそうにアイスを食べていたセイバーが嫌なものを見るようにチャチャゼロの握っている短剣を見据えている。 ——あ、よく考えると無理もない。これは余りいい思い出の品ではない。 「ごめん、少し軽はずみだったか」 「いえ、もう過ぎたことですし」  血を思わせる赤黒い刀身は獣の爪か牙を連想させるように複数に枝分かれし、持ち手は逆手以外は握りにくい。それが二振りで一組。  左歯噛咬[タルウィ]と右歯噛咬[ザリチェ]。これには色々と一言では言えない感情がある。でもチャチャゼロの注文に答えられそうなものは他に思い当たらないので仕方ない。本当にごめん。 「どうしたんだアルトリア。妙な顔をして。あの短剣になんぞ思い入れでもあるのか?」 「ええ、少しあれの本来の担い手とありまして……」 「ほう、アーサー王ともあろう人物が随分と弱気だな。よほどそいつに苦手意識でもあったのか」  クックックと悪役笑いでセイバーの反応を面白がっている師匠。このあたり実に人が悪い。  師匠、茶々丸さん、チャチャゼロにはセイバーが彼の騎士王だということはスクナをエクスカリバーで両断した時にバレていた。その師匠が用意した学園側の書類には、セイバーのことが『アルトリア・S・ペンドラゴン』なる微妙に正体が分かりそうな名前で登録されている。そこから師匠はセイバーのことをアルトリアと呼んでこの頃は結構仲がいい。 「勘弁してくださいエヴァンジェリン。あのことは色々あった、としか言えないのです」 「ふむん、興味は尽きないが、ま、いいだろう」 「感謝します」  師匠が引いてこの辺りの話は終わった。  正直これ以上追求されなくて良かった。あの『四日間』は本当に色々あったからな。  ともかく、このタルウィ・ザリチェをベースに新たな剣を鍛つ事を条件に師匠の鍛冶場の使用権を得ることが出来た。  デザートも食べ終わり、食器を茶々丸さんと一緒に片付ける。  洗剤をつけたスポンジで洗い、水ですすぎ、茶々丸さんが渡された食器の水気を布巾で拭って棚に収めていく。すでにお互いの呼吸は分かっているので洗い物はみるみる片付く。  こうしている間、師匠は居間でハーレクイーンを読みながらくつろいでおり、セイバーはチャチャゼロが気に入って弄っている例の二刀を複雑な表情で見つめ、遠坂はテレビから流れる夜のニュースを見ていた。  食後の弛緩した、けれど穏やかに流れる時間。  もう一つの話を持ち出すなら今だろう。 「遠坂」 「ん? 何?」 「中間テストも終わってもうすぐ学園祭だけど、そのことで話があるんだ」  こちらの話に遠坂はテレビの画面から顔を離してこちらに向ける。  先日、中間テストが終了し、採点され即日発表された。期末テストの時のような大騒ぎは流石になかったが、魔法関係のところで悪魔の襲撃などがテスト前にあったため勉学に響くかと思われた。けれど蓋を開けてみればA組の成績は学年で三位。まずまずの結果を残すことが出来た。  不安視されたバカレンジャーが頑張り、内容としては期末テストと見劣りしたものではなかった。ただ、明日菜だが自身の成績がクラスで最下位のため大暴れするハプニングがあった事は付け加えよう。  さらに付け加えるなら、今回のテストで最高難易度を誇ったのは遠坂の数学だった。彼女が教え上手でそう問題視されなかったが、問題の中には高校レベルのものすらあった。でもこれも「ちゃんとわたしの授業を聞いているなら簡単に解ける問題ばかりよ」との事。  そんなことがあった中間テストが終わると学園祭が控えている。通常の学校ならば二学期にあるのが大抵だが、ここは独自教育の麻帆良。夏休み前に学園祭が存在する。  もともとお祭り体質なところがある麻帆良学園。これが学園祭になるとどれだけの大騒ぎになるか、想像すら出来ない。もうすでに水面下では着々と祭りへの準備がされており、高等部のテストが終われば本格的な準備期間に入るのだ。  私がこれから話すこともそれに関係することだ。 「超さんに料理の腕を買われて屋台で料理人をしないかと誘われている……ねえ」 「前から誘われていたんだけど、話す機会がなかったんだ。準備期間だけという話だけど、どうだろう?」  遠坂に話すのは以前から超さんに誘われていた『超包子』の料理人のポスト。  最初に誘われた時から『超包子』についての話をあちこちで小耳に挟んだ。 超さんが来た二年ほど前から学園祭期間に開かれる路面電車を改装した中華料理屋台の屋号。安く、美味しく、尚且つ早いと三拍子がそろい、この時期の名物だという。 「どうだろう? ってその様子じゃあんたはもう決めているでしょ。わたしがどう言っても変えそうにない、違う?」  話を持ち出した段階で遠坂はすでに呆れ顔になっている。 「……一応超さんは報酬も出すと言っているし、超包子の秘伝レシピもいくつか教えると言ってくれているんだし、損な話ではないと思うよ?」 「はいはい」  お互い長い付き合いだ。私は超さんの誘いに乗ろうとすでに心に決めているのはすでに彼女はお見通しだ。  ここで、こちらの様子を見ていた師匠が口を開いた。 「ほう、志保の中華料理が超包子で食べられるのか。それは楽しみだな」  持っていたハーレクイーン本を閉じ、今から楽しみだという表情で師匠は目を閉じる。 「そうですね、凛の中華もいいですがシホの中華もいいものです」  同様にセイバーも師匠と仲良く今からその料理に思いを馳せている。先ほどまでの複雑な表情も何処へやら、本当に幸せそうだ。 「あんたたち、随分仲良くなったわね。にしても、志保の料理は別に家でも食べられるでしょうに……って! なに二人とも!?」  この遠坂の言に、師匠、セイバーは揃って遠坂を見据えた。聖緑と魔蒼の瞳がそれぞれの眼光を放ち、彼女はそれに気圧されてしまう。 「風情を理解できんとはな……屋台の雰囲気で食すとまた違うというのに……」  ヤレヤレと師匠。 「ええ、全くです。凛、食事の風情は大切なのですよ」  どうしたものかとセイバー。 「……仲が良いのもたいがいにして欲しいわね」  呆れ顔の遠坂。  食器を洗いながら様子を見ている私の存在に構わず、食事談義に華を咲かせはじめる三人。茶々丸さんは構わず黙々と食器を片付け、チャチャゼロは未だにタルウィ・ザリチェを弄っている。 異世界に来ても私達に暖かい食卓があった。この小さい奇跡に私は感謝している。 麻帆良に今日も朝が来た。欧州建築と現代日本建築物の混在する独特の空気があるこの学生の街の朝は早い。部活動の朝練のために登校する生徒だったり、朝早くに職場である校舎に出勤する学園職員もいるからだ。  ただ、この学園の朝の名物はやはり刻限間近の風景だろう。  朝の登校風景は見慣れてしまうともう日常だ。  地鳴りを轟かせて走る生徒達、路面電車に鈴なりに乗り込む生徒、大型バイクに乗り込んだ移動購買から朝食を買い求める生徒も存在する。  みんな一様にそれぞれの校舎に急ぐこのレミング大移動のような光景は学園に来て数ヶ月でもう慣れた。そうそう遅刻しそうな事態はあまりなかったのだが、今日のようなことは最近よくある。 「ここの生徒はみんな元気ねー」  遠坂が歩きながら脇を走り過ぎていく学園生のパワーに半ば感心すら覚えた声をあげる。  一見のんびり歩いているように見える彼女は、キチンと時間を計って一定のペースを崩すことのないスピードで歩いている。この辺り、常に余裕を持ち優雅たらんとする遠坂の家の家訓を遵守しているのだから凄いと思う。 「その分癖の多い人も数多くいるけどな」 「そうね。A組以外でも結構アクが強い連中もいるし……」  こんな遠坂とのとりとめもない会話を交わしつつ、並んで登校する。  吸血鬼の血を引いているらしいせいか、朝が弱い遠坂は少し時間をかけないと頭脳が起動しない。だから遅刻間際のこの大移動に遭遇することが増えてきた。  ところで、こうして肩を並べてみると、やはり遠坂よりも背が縮んでしまっているのを改めて実感できる。元が180センチ中頃、遠坂を見下ろす格好だったのが、今は見下ろされる身の上だ。ちょっと、否かなり悔しい。 「おや、あれはネギ君ね」 「む、そうだな」  遠坂の声にその方向を見ると特徴的なスーツ姿と赤毛、背負っている長尺の杖はもう学園生では『子供先生』として日常化してしまっているネギ先生。  いつもの様に同室の明日菜と木乃香、肩にカモミールを乗せて一緒の登校なのだが、今は立ち止まって誰かと話している。  学園では珍しい黒い詰襟の学生服を着崩した、ネギ先生と同じ年頃の黒髪の少年。 「小太郎じゃない」 「? ——っ! 遠坂のねーちゃん! 何でここに!?」  近づいた遠坂が声をかけるとその少年が驚いた表情で目を見開いていた。その様子にネギ先生達もこちらに気付く。 「あ、遠坂先生、志保さんおはようございます」 「おはよう、ネギ君」「おはようネギ先生」  きちんと挨拶をしてくるネギ先生に言葉を返すが、ここで 「なんで遠坂のねーちゃんがおるんや!? あれから行方を眩ましていると思たらこんなところに現れておって」  割り込む小太郎という少年の驚き様と反対に遠坂はとても冷静だ。 「こっちにわたしの親戚がいたのよ。それとここでは先生だからよろしくね」  ニッコリと笑顔とともに出る言葉に毒気を抜かれた小太郎はあんぐりとして、こちらに視線を移す。移して数秒でその毒気が抜かれた表情にみるみる生気が満ちる。なに? 「遠坂のねーちゃん、その親戚ゆうのはこいつかいな」 「ええ、志保よ。志保、前の仕事の時の仕事仲間の小太郎君よ」  遠坂の言葉に前の仕事、すなわち修学旅行のときの騒動の際に一緒に行動した相手だと分かった。魔法関係の子か、そういえばセイバーの言葉の中にも『コタロー』という名前が出ていた、この少年のことなんだろう。 「えっと小太郎でいいのか? 衛宮志保だ。よろしく」  とりあえず握手しようと右手を差し出したら、小太郎はニッカリ笑って差し出した手をがっしり力強くつかんだ。 「おう、よろしくな志保! 犬上、いや今は村上か。ともかく小太郎や、よろしゅうな! お前なかなか出来るようやないか、雰囲気で分かるで。やっぱこっちに転校して来て正解やったな」  握った手をブンブン振って楽しそうな表情を浮かべる。  彼の嬉しそうな雰囲気に一瞬戸惑うが、こちらも悪い気はしない。まっすぐな子なんだろう、戦闘者の空気を持っていても剣呑としたものは持ち合わせていない。 「え、小太郎君こっちに転校して来たってホント?」  ここで小太郎の言葉を聞いたネギ先生が驚き半分、嬉しさ半分といった声を出す。 「ああ、こっちはお前や刹那みたいに強い奴ぎょーさんおるし、本格的にな。現に早速見つかった」  ネギ先生に向けていた視線が再び私に向き、楽しそうだ。  つまり、戦うこと強くなることに楽しみを見出しているような子か。なんかこの辺り昔会った蒼い槍兵を思い出す。 「今、一人暮らし出来るとこ探しとんのやけどな」 「え、一人ぐらし? スゴイねー」  小太郎とネギ先生の会話はまるで友人同士のものだ。普段生徒相手に使う敬語も今のネギ先生にはない。  いい友達が出来た、のかな? どちらかと言うと悪友という気もするが。  そうして小太郎が一人暮らししようとする話をするなか、彼の背後に 「うふふふ、ダメよーー。小太郎君はウチに住むの」  那波さんが大迫力の気配を纏って現れた。 「ちっ、ちづ姉ちゃ……はうっ」  何か口に出そうとする小太郎の頭を片手でがっしりホールドする那波さん。その様子を見ていた遠坂は、 「そっか、あれからずっと彼女の部屋で暮らしているのね、彼」  と納得顔をしている。その間も那波さんが小太郎を立派に育て上げると空に向かって誓いの言葉を言い、小太郎は気恥ずかしさからか那波さんを止めようと無駄な努力をしている。 「遠坂、『あれから』ってどういうこと?」 「ああ、彼ね。あの悪魔が来たときに那波さんと村上さんの部屋に転がり込んできたの。そっか、だから村上小太郎か」  関西呪術協会から脱走した小太郎。子犬状態で那波さん達に見つかり、部屋で一悶着あったものの、どうも小太郎はその後も村上さんの弟ということで彼女達の部屋で暮らしているらしい、ということを遠坂の掻い摘んだ話で理解する。するのだが、 「脱走って、今ここにいるのは大丈夫なのか?」 「大丈夫なんじゃない? 関西と関東の上層部は身内だし、ここにいられるって事はなんらかの許可が出たんでしょうね。それも小太郎君の知らない間に」 「そっか」  ネギ先生の友人となれそうな子だ。彼にはこのままこの学園にいて欲しいと思う。  いつだったか思っていたネギ先生に同年代の友人が出来ること。それが叶ったような光景が目の前にあった。  十五日も前から活気に沸く学園祭の準備期間。下は初等部、上は大学部のサークルに至るまで様々な出し物が考案され、試験され、実施され、中には学園祭運営委員会に出店却下を喰らったりもする。  登校風景に怪獣の被り物やコスプレイヤー、工学部のロボットなどが混じり、学園の大通りには屋台が建てられ、大規模な宣伝活動もすでに始まり、さらにパリの凱旋門を意識した学祭門までそびえ立つ。  やはり私には想像も出来ないくらいの巨大な祭りが始まろうとしているのだ。  それで、当然私の所属する三年A組も学祭に参加する。 大学部のようにそう凝ったことはないと思うから精々、喫茶店やお化け屋敷だろうと私は考えていたのだが、甘かった。A組は常に常人、凡人の考えの斜め上をいくクラスだということを忘れていた。 「で、朝倉。私にこれを着ろと?」 「いいじゃん。エミヤンはエヴァんとこで家事をする時似たような服装するでしょ」 「っ! 何時それを見た」 「ふふふ、それは秘密ですなー」  教室に入るなりクラスの出し物で着るものだと手渡されたもの。黒の丈長のエプロンドレスにヘッドドレス。それは見間違うこともなくメイドの服装だった。  メイドカフェ『アルビオーニス』  古い言葉でイングランドのことを指した言葉を屋号にしたメイド喫茶。これがA組が出そうとする出し物だ。  すでにクラスのほとんどが着替え終わって気分が盛り上がっている様子。そして今私も朝倉に衣装を勧められている状態だ。OK、現状認識完了。 「メイド服は師匠の家以外で着るつもりはない。却下していいか?」 「ならさ、こっちを着てみない?」  却下するや朝倉はすぐに別の衣装を用意した。  白のシャツに紺のベストとパンツ、とどめに赤い蝶ネクタイ。まるでウェイターかバーテンダーのような服装。こちらが断るのを予め知っている手際の早さだ。  にしても…… 「ひとつ質問。衣装の調達は誰がやったの? メイド服にしてもそれにしても上等な生地が使われているし、仕立てもいい。高いと思うんだけど」  しかもいずれもアクセントが利いているものの、服装そのものはトラディショナル。メイドや執事の本場である英国で着ていても遜色のない代物だ。 「ああ、それはあそこ」  朝倉が親指でクイクイ指す方向。  そこにはメイド服を着込んだお嬢様がいた。 「ネギ先生はイギリス出身。ならば本場のメイド服を再現するのもまた当然ですわ」 「さっすが、いいんちょ!」 「やるじゃん、いいんちょ!」  明石さんと早乙女さんにおだてられてウキウキ顔の雪広さん。丈長のメイド服を自らもきてご満悦の表情をしている。 「あー、納得」  納得させられてしまいました。 「んじゃ、納得したところでコレ着て頂戴。サイズはエミヤンに合うはずだから」 「……了解した。地獄に堕ちろ朝倉」  逃げ道はないのだ。ここは大人しくお仕着せを着ることにしよう。  お仕着せは朝倉の言葉通りサイズがぴったりだった。邪推だが、誰かが身体データーを横流ししてこの服は作られたのだろう。誰かはもう見当はつくが。  で、着てみた感想だが、 「……昔を思い出すな……」  こうぴっしりとした服を着るとロンドンで執事の仕事をしていた時を思い出す。あの頃家計を助けるためにある屋敷の執事助手を務めて、その後正式に執事として雇われたっけなー。お陰で魔術が上達しないのに、執事としての所作ばかりが上達してたなー。 「志保殿、遠い目しているところすまないでござるが、これの振り方を教えてもらえないでござろうか?」 「あ、ごめん。で、シェイカーの振り方なんだけど——」  楓の言葉に我に返って、彼女にシェイカーの振り方をレクチャーする。  カクテルの作り方を知っているのは私と四葉さんぐらいで、この格好をした段階で私のバーテンダー役は決定していた。  だが、冷静に考えてみると店の雰囲気が喫茶店とは少し違うような気がする。『メイド喫茶』という場所に入ったことがないから何とも言えないのだが……。 「一つ、注文しようか?」 「あ、師匠」  即席で作ったとは思えない重厚な木製カウンターに師匠が来ていた。傍らにはいつもの様に茶々丸さんも連れている。 「ブラッディーマリーをオーダーしよう」 「師匠、ここは中等部でみんな未成年ですよ。お酒はない」  カクテルといってもノンアルコールのみの販売だ。なにせ師匠や私のような例外を除けば全員20歳未満。どこの国の法律に照らし合わせてもこの辺りの年齢での飲酒は褒められたものではない。  だが、師匠は私の言葉を気にした風もなく、同じくカウンターでシェイカーの練習をしていた四葉さんを見やる。 「サツキ、あるだろう?」 『はい、みなさんには秘密ですよ』 「分かっている」  四葉さんが師匠の言葉をうけて、カウンター下に隠れるように設置している小型冷蔵庫に手を伸ばす。中にはジンやリキュール、スコッチウイスキー、ウォッカなどいずれもアルコール度数の高いお酒がびっしり入っていた。 「……コレ用意したの四葉さん?」 『いえ、早乙女さんが「雰囲気が出ない!」とか言って、いいんちょさんを言いくるめて用意させたみたいです』 「……」  ときどき、トンでもない事をするんだね、あの娘さんは。 「ともあれ、モノはあるのだ。オーダーに応えるのがバーテンであろう?」 「了解師匠」  あまりおおっぴらにアルコールの扱いはよくないが、日頃世話になっているのだ。融通は利かせてやるか。幸い、相手は20歳なんて余裕で超えている人だし問題はないだろう。  冷蔵庫からブラッディーマリーに必要なトマトジュースを出し、楓から渡されたシェイカーを準備している時、教室の扉が開かれ担任のネギ先生が入ってきた。 「いらっしゃいませーーー ようこそ3−Aメイドカフェ『アルビオーニス』へ!!」 「わああっ!? なな、何ですかこれは!?」  遊び心たっぷりでネギ先生を迎える雪広さん達に、教室のあまりの変わりぶりに驚くネギ先生。肩にいるカモミールは何やら大いに喜んでいる。  金儲けが許可されているこの学校。どうも昨日の内に誰かが「お小遣い稼ぐならメイドカフェだ!」とか言い出し、雪広さんを言いくるめたのが始まり。それでここまで形にするのだからA組の行動力の高さが窺える。 シェイカーを振りつつ、そんな思考をしているとネギ先生がお客第一号として席に連行、もとい案内されていく。 「まぁまぁ、ネギ君どぞどぞ」 「ホラホラ、ミルクもいっとく?」 「ネギくぅん、私もこのカクテル飲んでいーかなー」 「は、はあ、どうぞ」 「よっ、社長太っ腹!!」  ——明らかに喫茶店ではないね。 「あれはどう見ても『喫茶店』に見えないのだけど、いいのか? っと、ブラッディーマリー出来たっと」  喫茶店とは言いがたい光景に呆れながらも手は休めず、シェイカーからグラスに深紅の液体を注いで師匠に差し出す。 「うむ……良いのではないか? どうせ能天気な連中だ。深く考えもせずに決めたんだろう。だったら放って置け————ふむ、いけるな。カクテルの腕も悪くない」 「ありがとう」  カクテルグラスを見た目の年齢にそぐわない所作でクイッと飲む師匠。動きそのものが洗練されており、貴族のお姫様を容易に連想させる。食事のときもそうだったが、彼女はセイバー以上に高貴な雰囲気で飲み食いが出来る人だ。  その間もネギ先生が店の雰囲気に戸惑い、法外な料金に驚いたりしている。カモミール一人が大変喜んでいるのは気のせいではないだろう。  さらに、 「ネギ君見て見て、まだ色々衣装用意してあるよー」  この声と共に、チャイナドレス風味の古さんや、超さん、葉加瀬さん、袴姿の佐々木さん、猫耳ウェイトレスの明石さん、果てはバニー姿の大河内さんともはや『メイドカフェ』という趣旨から離れていっている。 「はっはっはっ、これはもうどこまで暴走するか見ものだな」 「師匠、楽しんでません?」 「当然だろう」  さらなる法外な料金を請求され愕然となるネギ先生をグラス片手に面白おかしく師匠が観察している。これは彼女の常からいう『悪』というより『いじめっ子』の雰囲気だ。まあ、これを止めない時点で私も同罪か。 「うーん、しかし今イチグッと来ないなー。もっとこう客を引ける何かを……」  この朝倉の発言で事態はさらに暴走。 「なんだこの袴」  龍宮がむやみに丈の短い袴の巫女服を着せられ、 「お許しを……」  春日さんがこれまた丈の短い法衣のシスター服、 「いゃあぁん」  丈が短いのはデフォルトか。和泉さんもミニスカートのナース服を猫の耳と尻尾付きで、 「おー」「いえー」  鳴滝姉妹は赤ずきんとブルマの体操服、 「————」  とどめに刹那がスクール水着を猫の耳付きで着せられた。ご丁寧に胸には『せつな』の名前入り。 「……いい加減止めておきたいんだけど」 「止めるか? お前もさらに何を着せられるかわからんぞ」 「うっく」  龍宮や刹那のような格好はかなり恥ずかしい。下手に止めようとするとヤブヘビになり、このバーテンダー服以上のものを着せられそうだ。 「やりすぎたか……」 「うん……」  暴走の主動源の朝倉と明石さんもようやくやりすぎたかと反省しているが、もう走り出した暴走は止まらない。ネギ先生への要求額もさらに増し、もう悲鳴も出ない様子。  このまま暴走が続くかに思えたとき、 「てめぇら、よく聞け!! 今からこのちう様がメイドカフェの真髄ってやつをだな……あ……」 長谷川さんの何やら怒りのこもった声と同時に、ガラリと教室の扉が開かれた。  時間が経ちすぎていたのか、もう一時間目の国語教師・新田先生が様子を見に来ていたのだ。 「お前ら、朝っぱらから何をやっとるかーーッ」  雷が落ちた。 「新田先生、私達はマジメに学園祭の出し物の討議を……「もうHRは終わっとる!! ネギ先生もネギ先生です」」 「はううっ」  ひとしきり新田先生の怒鳴り声が響いた後は先生の定番のお言葉。 「全員、正座ーーッ」 「「「ギャーーー」」」  不幸中の幸いに、師匠に提供したアルコール類は私、四葉さん、早乙女さんを中心に隠匿され、騒ぎになることはなく、当の師匠も酒精が入っても様子に変化はないため、見咎められることもなかった。  こうして三年A組全員は一時間目の国語の授業を正座で受けることに。正座に慣れない人から足が痺れていき、そうして二時間目の数学の時、大半が痺れて遠坂から呆れられるのだった。 「いやー、衛宮サン。話を受けてくれてありがとネ」  部活に顔を出した帰り、超さんに少し話があると言われ師匠のところに向かう道中を二人で並んで歩いていた。  まず話を切り出したのは超さんから。今日の昼休みに屋台の件を受けることを話したら、そのお礼がしたいのだとか。 「いや、お礼だったら学園祭が終わってからがいいんじゃないか? 売り上げがどうなるか分からないんだし」 「大丈夫ネ。その辺は抜かりナシ、無問題ヨ。今年の売り上げも鉄板、言うなれば鬼。衛宮サンは金棒ネ」 「鬼に金棒か……それはまた高評価ありがとう」  微妙な評価のされ方だが、褒められているのは分かる。『超包子』の学園祭での評価は高い。そこに私が入ることで心強くなると言ってくれているのだ。 「ついては、今前払い分を渡したいと思うネ」 「え? 前払い?」  心の間隙を突くように、超さんから言葉が投げ込まれた。 「そうネ」  こちらが何か言う前に超さんは、肩にかけていたバックからなにか小さなものを取り出してポンと私の手の中に入れてしまった。  手には長さ十センチ。幅三センチ、厚さは一センチに満たない板状の金属片。鈍い銀色の輝きが夕日に照らし出されている。  これはいわゆる延べ棒、インゴットというやつだ。ただ、インゴットに付き物の刻印はない。それにこの金属は—— 「これは……」 「フフフ、衛宮サンならそれが何か分かるはずネ」  分かるも何も、私はトンでもない物を貰おうとしている。 「これ、ミスリル銀じゃないかっ、それもこんな大きなインゴットで!」 「声が大きいヨ」 「ああ、ゴメン。——じゃない、なんだってこんな代物を!?」  ミスリル銀。  名前だけなら表の世界でも聞くことがある有名な魔鉱。銀と言われる様に基本的には銀と同じ性質を持っているのだが、魔術的な目で見ると通常の銀より何百倍も魔的な力を持っている。  元々銀は魔術的な意味合いの強い金属なのだが、その力が何百倍もある。しかも通常の銀と同じく加工は割合に容易、金属的な相性も良く、まさに至れり尽くせり。魔剣を鍛つ鍛冶師には夢の金属なのだ。  ただ、数が圧倒的に少ない。通常の銀よりも埋蔵量が少ないのもあるが、魔術師相手の流通だから市場もないに等しい。よって、ミスリル一グラムを手に入れるのに札束が必要なほどだ。  私は以前、ルヴィアさんの伝手でこの金属を加工する幸運に出会うことがあったが、その時も量は一センチ四方の小さなものだった。それが今、手にあるのはその何十倍。  異世界だと入手は簡単なのだろうか? それでも、あまりの代物、あまりの量にクラクラしそうだ。  超さんはこちらの反応を知ってか知らずか、あっけらかんと言葉を返してくれやがります。 「さっき言ったヨ。前払い分とネ」 「屋台の料理人の給料分としては多すぎるよ。受け取れない」  ミスリルを返そうとするが、彼女は手で拒むジェスチャーを見せ、 「遠慮なく受け取るとイイ、剣の素材としては申し分ない代物ネ」 「っ、その事はだれから?」  ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる超さんの言葉に、背中の筋肉がビクンと動く。彼女は魔法の事を知っているのか? 「ハカセが茶々丸の定期メンテをする時に茶々丸から聞いたネ。志保さんが素材がなくて困っているとネ」 「そうなんだ……」  この時にはすでに意地の悪い笑みは消え去り、代わりに花が咲いたような笑みが彼女の顔に表れていた。  実際、困っていた。鍛冶場の資材を師匠は用意してくれたが、そのなかにセイバーの剣に合う素材が見当たらず困っていたのだが、こうも都合よく超さんが聞きつけるとは思わなかった。 「だから、私の手持ちからお近づきの印にあげるネ」 「いや、でもこんな高価すぎるものは……」  『こっち』のミスリルの相場は分からないが、そうポンポン人にあげられるものではないと感じられる。確かに剣の補修・強化には申し分ないが、果たしてお近づき程度で受け取っていいものだろうか?  そのことを超さんも感じ取ったのか、一瞬何か考える素振りを見せ、次にはいかにも名案を思いついた風に口を開いた。 「そんなに言うなら、もう一つお仕事頼んでイイカ?」 「『超包子』以外での仕事? いいよ、ミスリルの代価になるか分からないけどやろう」  そうして出てきた話は学園祭中のある大会の話。 「『まほら武道会』?」 「そうネ」  毎年開かれる武道会なのだが、昨今の総合格闘技ブームに押され、弱小大会になってしまっているこの大会。それを超さんが丸ごと買い取り、大いに盛り上げる予定だというのだ。  ついては大会運営側からも何名か選手を出すことになり、その選手枠に私を推したいと超さんは話す。 「武道、って私は素手での格闘は得意ではないんだけど……」  一応、剣を扱うからにはある程度の体術は心得、『こっち』に来る前は格闘の指導も受けてはいた。けど、『この』麻帆良ではその程度の格闘能力がどこまで通用するか甚だ疑問だ。 「心配無用。武器の使用も認められているネ。呪文の詠唱と刃物と銃火器、矢尻のついた弓矢じゃなければOKネ」 「……どんな大会だ、それは」  なんか、恐ろしく物騒なことになりそうな予感すらしてくる。 「そうそう、龍宮サンも出場することになっているネ」  物騒決定。  とはいえ、ミスリル銀の代価としては安い過ぎるくらいだ。受け取りを拒み続けるのも超さんに悪い。折角むこうが代価を提案してくれるのだ、乗ってあげよう。 「分かった、ミスリルの代価として料理人とその大会の出場の話、まとめて受けるよ」  この辺り、昔とは随分変わったと思いつつ、超さんに返事を出した。 「おお、受けてくれるカ。謝謝」 「いや、この程度の代価でミスリルをくれるんだ。ありがたいのはこっちだよ」 「そうカ? ならどういたしまして。っと、私はこっちだから。『超包子』は明日からネ」 「ああ、じゃあ、また明日」  手を振りながら夕日の向こうに離れていく超さん。彼女は彼女で学園祭で色々やることが多いらしく今から準備を手伝いに行くそうだ。  遠くには金槌の鳴る音と材木が擦れ合う音。祭りが近いことを耳でも認識できる。 「さて、『今日』は忙しくなるな」  手にはこっちの世界でも貴重と思われるミスリル。その銀の表面が綺麗な綾の紅い夕日を照り返す。 これを使えばセイバーの剣をこれまで以上の物に仕上げることができる。  その期待に少しばかり胸を躍らせて、気付けば師匠の家への道を弾んだ足取りで歩いていた。「いいか、魔法剣士の基本は無詠唱呪文だ。まずは昨日の復習。無詠唱で魔力供給をやってみろ」 「はい!」  マスターの言葉に従い、まずは深呼吸して呼吸を整える。練習用の杖。そこに意識を持っていき、外からの大気に満ちる魔力を自身に引っ張り込み、一気に満たす。 ——戦いの歌[カントウス・ベラークス]!  魔力が体に満ち、目で見ることが出来るほどのオーラが体から噴出し、みるみる力が湧き上がってくる。  これが自身に対する魔力供給の完成系。前の契約執行からの延長でやっていた魔力供給はマスターであるエヴァンジェリンさんが「無茶な術式な上に回りくどい」といった事で今の形を教えてくれました。それで、無詠唱での発動を現在は練習中。  僕の体の中で暴れる魔力の流れを制御し、落ち着かせる。よし、なんとかスムーズに無詠唱で出来た。 「50点」 「はうっ!」  ばっさりとマスターは採点結果を下してくれました。うう、どこが悪いんだろう? 「形になり始めたのは評価するが、制御に時間が掛かりすぎている。目指す無意識レベルでの魔力供給からすると程遠いぞ」 「そ、そうですか……」  がっくりうな垂れてしまう。まだまだだと実感してしまう時間だ。 「そら、落ち込んでいる時間はないぞ。いかに別荘の時間が長いとはいえ、無限ではないのだからな。チャチャゼロ、相手してやれ」 「アイサー御主人」  マスターの言葉にチャチャゼロさんが前に出てくる。早速この状態で戦闘訓練が始まるみたいだ……って、チャチャゼロさんの持っている刃物がいつもの物と違う。  ナイフとしてはかなり大型。四十センチくらいで、すごく歪な形をしている。爪を生やした魔物の手とか、猛獣の牙を連想してしまう形。つやの無い黒い刀身で、二本で一組。見るからに痛そうだ。 「チャチャゼロさん、その短剣は?」 「オオ、コイツハナ志保ガ鍛冶場デ造ッタ出来タテホヤホヤノモンダゼ。折角ダカラ試シ斬リヲシタクテナ」 「志保さんが?」 「あいつは『五日』前からここに来ている。志保には剣の製作の代わりに鍛冶場の使用権を与えたのだが、やはり良い物が出来たようだなチャチャゼロ」 「オウサ。コイツデ肉ヲバサバサ斬リ刻ミテーゼ」  今日もチャチャゼロさんが物騒なことを言うけど、それより気になったのは志保さんだ。 「志保さんがその剣を造ったのですか」  ちょっと驚く。確かに志保さんは魔法で色々武器を出していたけど、こんな風に武器を造ることも出来るなんて。 「刀身はハイカーボン鋼ダマスカス。ブレードの部分部分で焼入れの硬さ、カーボンの含有率を変えているんだ」  横から声がかかる。  顔を向けると、当の志保さんが訓練に使っているこの広場に来ていた。 「そんな専門的なことを言われても良く分からん」 「——ごめん……寝不足で頭が回っていなかった。要するに、切れ味の向上と刃こぼれに対する強さ、折れにくさを実現させたんだ。頑丈さ重視で、魔法戦にも耐えられるはずだよ」  青いツナギに耐火の頑丈な前掛け姿の志保さんはマスターとチャチャゼロさんに造った剣の説明をしている。 「チャチャゼロ、使い勝手はどう?」 「順手デモ握レル様ニナッタガ、グリップガイマイチダゾ」 「それは後でチャチャゼロの握り型を取って、削りだしていく予定。今は試験運用だと思って」 「分カッタ」 「じゃあ、邪魔をしたね。ネギ先生修行がんばって……」 「あ、はい」  そう言って、志保さんは手をヒラヒラ振って、広場の端の方まで歩いていった。向こうでは茶々丸さんが飲み物を用意して待っている。休憩でしょうか。  心なしか、足取りがふらついてもいる。大丈夫なのだろうか? 「なんか、ふらついている気がするのですけど、志保さん大丈夫なんですか?」 「さて、五日間続けて鍛冶場に入っていたからな。吸血鬼としての身体能力があっても疲れが出て当然だろう」 「うわあ、五日間ずっとですか……」  もう一度その場所を見やると、志保さんは茶々丸さんから飲み物を受け取って、グッタリしている様子みたいだ。相当に参っていいるみたいだ。 「さて、人の心配をしている場合ではないぞ、ボーヤ。チャチャゼロ」 「リョーカイ」 「っ!」  マスターの言葉で、志保さん謹製の剣を持って飛び掛ってくるチャチャゼロさん。今日も修行が始まった。  炎が鋼を溶かし、溶けて真っ赤に燃えた鋼が振り下ろされる鎚で剣の形になっていく。  ひっきりなしに響く鎚の音。鼻の奥がすすける様な金属が焼けるニオイ。部屋の外からでも感じてしまう異常な熱気。  普通の人が長時間いるには余りにも苛酷な環境で志保さんは全身を汗だくにして鎚を振るっていました。  マスターの今日も厳しい修行が終わって、帰り支度をしている時に連続して響く金属音が聞こえたのが始まりでした。  今日はカモ君がチャチャゼロさんとお酒を飲み合うということで、部屋には僕一人。その中で響く謎の音。  ここは音の正体を知っておかないと不安さが増してしまう。そう考え、聞こえてくる音を頼りに発信源を辿ることにしました。  普段は来ない別荘の屋敷、塔の最下層近く。音はそこからで、なにやら周囲の気温も高く、気がつけばオデコに汗が出ているほど。  そうして恐る恐るその石造りの部屋を覗けば、先の様な光景が僕の目に飛び込んできたのです。  炉の中の炎は赤と言うより金色みたいで、それだけ炎が激しいことを示している。近くにいるだけでも火傷しそうな熱さなのに、志保さんは表情ひとつ変えずにその炉の前で鎚を振るい続けている。  音の正体はこれだった。  師匠から言葉でしか聞いていなかったけど、見ると聞くとではやっぱり違う。これは五日どころか一時間だってまともにいられない。  鋼と炎が支配する世界に人は存在できない。  なのに志保さんはその只中で鎚を振るっている。炎に灼かれた赤い紅い鉄、志保さんの汗に濡れた白い色。冷えた金属の黒。三色で描かれた絵を僕は呆けて魅入っていた。  どのくらいの時間見つめていたのか、 「ん? あ、ネギ先生」  ボーっとしていた僕の視線に気がついた志保さんが顔を上げてこっちを向いてきました。さっきまでの一心不乱の表情はなくなり、ぶっきらぼうだけど人の良い顔に戻っていました。 「ちょっと待って、すぐ一区切りつけるから」 「あ、僕の事は気にしなくていいですっ、構わず続けて下さい」  僕のために折角の仕事が中断されるのは申し訳がない。構わないように言っておこうとするけど、 「いいんだよ、私もちょうど休憩するところだったし」  志保さんは構わず手袋を取り、頑丈な革の前掛けを外し、その下から見える素肌をあらわにして—— 「わぁぁっ! 志保さん! 前、見えていますっ」  慌てて体ごと反対方向を見ます。僕は見てません。上半身裸の志保さんは見てません。英国紳士として女性の裸はむやみと見るものではありませんから。はい、すぐに忘れます。 「ああ、ゴメンゴメン。鍛冶場での習慣でつい上を脱いでいたよ」  こっちの慌てぶりとは反対に、当の志保さんは全くのんびりした調子答えて、何かを着込む布ずれの音。そして、 「いいよ、ネギ先生」  この声に振り返ると、志保さんの上半身には腰の位置で縛られていたツナギの上半分が簡単に引っ掛けられています。でも、これはこれで目のやり場に困ります。  うう、皆さんもそうですけど志保さんも僕を異性と見ていないみたいです。 「大したもてなしは出来ないけど、何か飲む?」  こちらのドギマギした様子に志保さんは気がつかないみたいで、鍛冶場の片隅にある小さな冷蔵庫に手をかけて僕に聞いてきます。 「い、いえ特に喉は渇いていないので……」  本当は部屋の乾いた暑さに喉が渇き始めていたけど、気分の上で水分を摂る気になれません。 「そうか。あ、座るんだったらそこの座布団を使って」 「は、はい」  冷蔵庫にかけていた手を離した志保さんが今度は座布団を勧めてくれました。流石に立ち話もなんですから座布団に正座で座ります。  座りつつ、部屋を見渡す。  まず正面に鍛冶につき物の炎を納めている炉。そこから金属を鍛えるための鍛床。鍛冶場の事が良く分からない僕では使い方不明の道具が整然と並べられ、鍛冶に必要な道具以外はほとんどない。 「これが鍛冶場ですか……」  石造りのこの部屋はまさに武器を産み出すための部屋だった。その武器達は人を傷付けたり、人を守ったりするために産まれてくる。そして今、この部屋から産まれてくる武器の母は志保さんになる。こうしてこの場にいるだけで暑いのに落ち着くような、不思議な気分になってくる。 「やっぱり物珍しい?」  僕の横で同じく座布団に志保さんが腰を下ろします。声は僕にかけられていますけど、目は製作途中の剣に向いています。やっぱり邪魔だったかな? 「はい、魔法使いでも戦士系の人達用の鍛冶場があるとは聞いていましたけど、村でも魔法学校でも見る機会がなかったので」 「そっか、今までネギ先生は『魔法使い』寄りの事を勉強していたから『魔法剣士』の世界は初めてづくし。かな」 「そうですね。同じ魔法使いでも違いがここまで出るとは思いませんでした」  マスターは強くなれば区別に差はなくなると言ってますけど、今の僕には『魔法使い』と『魔法剣士』の差はかなり感じます。それだけ僕はまだまだなんだろうな。  ——と、いけない。 「それにしても、志保さんが鍛冶を出来るとは思いませんでした。チャチャゼロさん、喜んでましたよ」  沈みそうな気分を話題を変えて切り替える。  実際、チャチャゼロさんは志保さんの造った短剣をいたく気に入ってました。形からくる凶悪さが志保さんにしては、と感じましたけど振り返ってみるとあの短剣の持つ魔力といい、この鍛冶場に満ちる暑いながらも落ち着いた空気といい、やっぱり志保さんのイメージ通りです。 「そうか、そこまで気に入って貰えたなら仕上げも張り切りますか。こいつももうすぐだし」  志保さんがずっと見つめている視線の先、剣の形をして炎に真っ赤に焼かれている鋼。この段階でもう魔力を感じる。きっと完成したらものすごい剣になるんだろうな。  でも、一体誰が使うんだろう? 「あの、その剣は?」 「うん? ああ、こいつはセイバー用の剣だよ。悪魔が来たときに酷い状態になってね。修復と強化をしているんだ」 「悪魔が……」  すぐに思い出されるのはあの夜のヘルマンさんという悪魔。村のみんなを石にしたという敵。六年前の怖いもの全てが詰まったようなヒトだった。  ヘルマンさんが残した言葉はまだ胸のなかでくすぶり続けているけど、今は志保さんの方が気になります。何しろ、僕が思いに耽っていたわずかな時間で彼女の目に険しさが浮かんできているのですから。  志保さんも僕がヘルマンさんと戦っている時に同じように悪魔と戦っていたと師匠から聞いています。彼女の方でも何かあったんでしょうか? 「志保さん。辛そうですけど、何かあったんですか?」 「……参った。ネギ先生にも気付かれるとは私は相当参っているみたいだ」  気になって声をかけたら、こんな事を言って志保さんは苦笑い。そしてどこか疲れたように肩を落として「まだ私は未熟者だ」と呟きました。 「まあ、色々とね——でもネギ先生、他人を気遣うほど今のネギ先生は余裕なんですか? ネギ先生は私以上に何か思い悩んでいるように見えるのですけど」 「え、いえ、そんな…」  そんな事はありません、とは言えない。  志保さんが切り返してきた言葉に僕は自分で思っている以上に体が反応してしまっている。これじゃあ説得力皆無です。  そのまま黙っていると、ふんわりとした感触が頭に乗ってきました。下がっていた頭を上げると、志保さんが僕の頭に手を乗せています。 「何を悩んでいるのか私は知らないし、あえて聞こうとは思わない。けど、ネギ先生の周りには相談する人がいるじゃないか。それに小太郎という友達も来たし、月並みだけどもう少し回りの人に頼ったらどうだい?」  ポンポンと撫でるのと軽く叩かれているの中間で志保さんが頭に乗せていた手を動かし、すぐに手を戻してしまいました。  そっか、そうですよね。僕はまた一人で抱え込んでいたみたいです。アスナさんに怒られてしまいますね。 「ありがとうございます志保さん」  座布団から立ち上がり、まずはアスナさんと何か話をしようかと考え鍛冶場を出ようとしましたが、はたと気付きました。 「あの、志保さんは? 志保さんには頼る人がいるのですか?」 「ああ、大丈夫だよ」  返事はすぐでした。  その表情は嬉しそうで、紅い目は力強く、さっきまでの辛さが微塵も感じられません。それだけその人を信じていると僕でも分かるほど。 「そうですか——では、志保さん僕はこれで」 「お休みなさい、ネギ先生」  僕が部屋を出るとすぐに鎚が鋼を叩く音が屋敷中に響きます。  優しく、それでいてどこまでも力強い音。不安になったこの音も、今では規則的で単純ながらも出来のいい音楽のように聞こえます。  耳に残る鋼の音。それは志保さんの心臓の鼓動みたいでした。  規則的な音。それはリズミカルにかつ素早く。  中華包丁が野菜を刻む音である。 「茶々丸さん、三番テーブル小龍包三つ出来たから運んで」 「了解しました」 「エミヤン、十番テーブルのオーダー、モーニングセット四つアル」 「分かった」  朝から殺人的な忙しさだ。なるほど、これでは人手が欲しいのも頷ける。  今日から中華料理屋台『超包子』がオープンするとどこかで聞いたのか、開店前から屋台の改造路面電車の前に長蛇の列が出来ていた。いかにこの店が繁盛しているか良く分かり、超さんの繁盛確実の言葉も嘘ではなかった。  私はというと、セイバーの剣を仕上げてそのまま別荘で『一日』休息を取ってから寮に戻ったのが午前四時。昨日の午後六時からだから実に十時間、『十日』も別荘に篭っていたことになる。  戻ってから超さんとの約束の時間まで間がないため、休むことなく現場へ直行。屋台にしている改造路面電車内で超さん、葉加瀬さん、四葉さん、古さん、茶々丸さんの五人に歓迎されつつも忙しく開店準備。超さんから渡された店のレシピに目を通し、四葉さんから渡された調理師用の服に袖を通して、古さん、茶々丸さんと一緒に椅子とテーブルを並べていく。この段階ですでに店の前に客列が出来ていた。  そしてオープン。開始三十分としないうちに現在のような状態になったのだ。 「いやー、思ったとおり衛宮サンを雇って正解だったネ。去年よりも味が旨くなっていると評判ヨ」 「それは良かった、っと五番のチンジャオロースあがったよ」  中華鍋から皿に移されるチンジャオロースを茶々丸さんが持っていく。彼女は片手で二十個重ねの蒸篭を持っている。これでバランスをまったく崩さないのだから恐れ入る。向こうでは古さんがインラインスケートを履いてテーブルからテーブルに忙しく動き回っており、これも技量がないと出来ない芸当だ。 「お、あれはネギ先生と遠坂先生ネ」 「ん?」  隣で蒸篭を見ている超さんの声に視線を上げると、屋台から少し離れたテーブルにネギ先生と明日菜、刹那、木乃香。隣のテーブルに遠坂とセイバーがそれぞれ座っている。ふむ……ちょうどセイバーがいるし、今渡したいところだけど。 「行ってくるといいネ」  こちらの考えを読んだかのような超さんの声に彼女の方を思わず見る。 「アレを渡したいと思っている。違うカ?」  天真爛漫ないたずらっ子とでも言うような表情で超さんは屋台の隅に置いておいた包みを指差す。別荘で鍛ち上げ生まれ変わったセイバーの剣。今日中に渡しておきたいと屋台に持ち込んでいたのだ。 「えっと、いいの?」 「いいネ。だけど忙しいから余り時間は取れないヨ」 「ありがとう」  この手の考えが読まれるのはもう諦めた部分がある。ここは素直に超さんの言葉に甘えさせてもらおう。包みを手にして路面電車屋台から降り、遠坂達のいるテーブルに向かった。 「よーし!! ウチのクラス結局出し物決まってないし、朝のHRから先生の仕事がんばるぞーーッ」 「わ、何よ突然?」 「おお、ネギ君が燃えとる!?」 「今のスープ、何か面白い成分でも入っていたのかしら」  兄貴が四葉の姉ちゃんの出したスープを飲んで妙に元気になった。遠坂の姐さんの言うようにスープに何かあるのか? ともかく、兄貴が元気な事は良い事だ。四葉の姉ちゃんが言うように体が資本で、健康第一だもんな。 「おはよう、みんな」  兄貴がスープパワーで燃えていると、また声がかかった。  振り返ると、四葉の姉ちゃんと同じ服装をした衛宮の姐さんが長い包みを片手にこちらにやって来た。 「あ、志保さん。おはようございます」 「志保も超一味に仲間入り?」 「料理人として雇われたんだよ。遠坂、セイバーおはよう」 「ええ、おはよう志保。似合っているわよその格好」 「完璧ですねシホ」 「ハ、ハハハ……魔術師が料理人の格好で完璧に似合うのもね……」  いや、姐さん。複雑そうな顔してるけど、今の姐さんは本当に良く似合っているッスよ。魔法使いが料理人でもいいじゃないッスか。 「そうそう、忙しいから時間が余りないんだった。セイバー、これ出来たよ」  気を取り直した姐さんがアルトリア姉ちゃんに持っていた包みを渡した。  アルトリア・S・ペンドラゴン。修学旅行終了から学園の警備員として学園長のジイさんに雇われている姉ちゃんだ。明らかにここの中等部か高等部にでも通ってそうな外見だけど生徒ではなく、職員としてここにいる不思議さが最近学園内で噂になってきている人でもある。  悪い噂ではなく、むしろ『困っていると助けてくれるお姉ちゃん』だとか『若いのに感心な子』だとかいい噂が大半だ。ただ、一部不良の間では『命が惜しかったらあの金髪に絡むな』とか『場合によったらデスメガネ級におっかねー』などと言われているところを見ると、この姉ちゃんも相当な猛者なんだろうなー。  そんなアルトリアの姉ちゃん。衛宮の姐さんと遠坂の姐さんの関係者だ。姉ちゃんをミドルネームと思われるセイバーの名前で呼んで結構仲がいい。相当に長い付き合いだとすぐに分かる。 「もう出来たのですか? いくらエヴァンジェリンの別荘の中とはいえ、『一日や二日』では無理なのでは」 「九日」 「はい?」 「九日集中的にやってみた。出来は見て判断して」 「志保さん、あれからさらに四日も?」 「まあ、ね」  衛宮の姐さんを中心とした会話の内容がよく分からない。兄貴も何か知っている。ここは聞いておくか。 「兄貴、何のことですかい?」 「え? あ、うん。僕もマスターや学園長から聞いた話なんだけど……」  兄貴の話では、あのヘルマンという悪魔が学園にやって来たと同時に別の悪魔も学園に来ていた事、コイツの相手を志保の姐さん達が引き受け、撃退したこと、その際にアルトリアの姉ちゃんの剣が壊れてその修復のためにエヴァンジェリンの別荘の鍛冶場が使われたことが出てきた。  なるほど、チャチャゼロと飲んでいたときにトテカントテカン聞こえていたのは姐さんの出す鎚の音だったわけか。 「で、九日間もぶっつづけで剣を造っていたの志保は?」 「いや、気がつけば九日経っていたんだ」 「また無茶を……」 「丸一日休んだから大丈夫だって、多分……」  遠坂とアルトリアの二人の姉ちゃんに責められている衛宮の姐さん。二人には完全に頭が上がらないみたいで見ている側としては結構面白い光景だ。いや、姐さんには悪いけど。 「ふう、とりあえず見てみましょう——っと、この人の中で剣を抜いてはマズイですね」 「大丈夫ッスよ、アルトリアの姉ちゃん。今は学園祭準備期間。本物の剣を抜いても演劇用か何かに見えるだけッス」  包みに手をかけて躊躇しているアルトリアの姉ちゃんに助け舟を出す。確かに人前で真剣を抜くのはマズイけど、これほどに雑多な学園祭の環境ならそれに紛れて騒ぎにはならないと思う。現に周囲の客も着ぐるみやコスプレで食事を摂っている人もいる。これも学祭ならではの光景なんだろうな。 「確かに。では、見せてもらいます」  俺っちの言葉に納得したアルトリアの姉ちゃんが志保の姐さんを見やり、彼女はコクンと頷き返す。  包みから出てきたのは、飾り気のまったくない鞘に納まったこれまた飾り気のない西洋剣。実用本位といえば聞こえはいいけど、ここまで飾り気がないのはどうだろうか。  けど、その感想も姉ちゃんが鞘から剣をだした時に変わった。  鞘から現れたのは銀。  朝の日差しを浴びる刀身は濡れたように日差しを照り返す。  飾り? そんなもんこの刀身の前に何をつけたところで見劣りしてしまうだろう。それほどに心奪われるものがそれにはあった。 「ふえー、これ志保が造ったの?」  アスナの姐さんが声を上げたのを皮切りに今まで止まったような時間が動く。 「凄い……業物ですね」  刹那の姐さんも剣士のためか出てきた剣に魅了されたみたいだ。 「きれーやわー」  木乃香姉ちゃんも同じ様子で刹那の姐さんと仲良く並んで鑑賞状態。で、兄貴はというと固まったままで剣から目を離さないのだ。  確かにこれほどの業物、魔法使いの間でもそうは存在しない。これが志保の姐さんが鍛え上げた剣ッスか…… 「——見事です。シホ、剣鍛の腕を上げましたね」 「いや、今回は素材の良さに支えられたようなものだよ。もっと腕を上げてセイバーの剣を良いものにしていくから」 「楽しみにしています」  こ、これ以上の物になるんスか……  朝日に映える銀のツルギ。その剣は人を打ち倒すものでありながら人を惹きつける美しさがあった。  志保はチャチャゼロの二刀と共に吸血鬼となってから初めての剣製を学園祭前のこの日、ここに成した。 朝のHR。出席が取られた後、ネギは教室に全体に良く通る声を出した。 「えーー、それでは皆さん。学園祭の出し物を何にするかですが……」  学園祭開催まで半月を切った。そろそろ出し物を決めて準備にかからなければいけない時期に差し掛かっている。  すでにA組以外のクラスは大半が出し物を決めており、準備に取り掛かっているところもある。このクラスが中等部三学年で一番遅いのだ。遅いのには遅いなりの理由があり、悪魔の学園襲撃の影響により中間テスト以前に出し物の検討は出来ず、襲撃の事後も担任のネギの修行等により話し合いは延びていた。 「いや、しかしそいつは難しい問題ですぜネギの親分」 「え」 「ああ、メイドカフェを超える集客力となるとねぇ……なかなか」 「はぁ」  芝居がかったため息を吐きながら立ち上がる朝倉と裕奈。  一度は出し物にメイドカフェが検討されたが、HRでの大騒ぎの末、新田教諭にダメ出しを食らってしまい一から考え直さなくてはいけないのがA組の現状だ。 「ハイハーイ!」 「さ、桜子さん」  二人の芝居がかる憂いを破るように最前列の椎名が元気良く手を上げ、ネギも釣られるように彼女に発言を促した。けど、これがいけなかった。 「『ドキッ 女だらけの水着大会・カフェ』がいいと思いまーす」  言葉は衝撃になって教室に拡散した。  余りの事に机から転げ落ちる、顔を赤らめる、そも言っている内容が良く分からないの三通りの反応が現れた。 「何なのよ、ソレ! 意味分かんないわよーーっ」 「えーー、フツーに楽しそくない?」 「くないわよっ!!!」  明日菜がたまらず声をあげるが、騒ぎが加速するだけだった。 「「……それだ」」 「「ウソつけーっ」」  ハルナと裕奈が目を光らせ、すかさずツッコミがかかる。  もう後から出てくるのは信じられない意見のオンパレードだ。  曰く、 「じゃあじゃあ、『女だらけの泥んこレスリング大会喫茶』!!!」  とか、 「負けねーぞ、『ネコミミラゾクバーッ』」  果ては、 「もう素直に『ノーパン喫茶』でいいんじゃないかしら?」  もはや本気なのか冗談なのか分からない意見が次々飛び出て、クラスの雰囲気が学園祭の効果も相乗されてドンドン加速されて歯止めが利かなくなってきてきた。 「あ、あのオンナダラケとかノーパンキッサとか全然イミがわからないんですが……」「ナニサセラレルノ?」 「う、ううーん……そ、それは……ごめんギブアップ、龍宮たのむ」 「うむ。君達は生涯知らなくていいことだ。そして良い子は意味が分からなくても決してお父さんお母さんに尋ねてはいけない。君達とお姉さんとの約束だ、いいね?」  クラスの異様な雰囲気に恐怖を感じたネギは堪らずのどか、史伽と一緒に志保と龍宮に話を振る。これに志保は頭痛を堪えるように頭をかかえ、龍宮は知らないほうが良いとありがたい忠告を返した。  普段からお祭り体質の麻帆良学園。その中で一際その気質がある三年A組だ。最近ようやくクラスの雰囲気に呑まれることなく授業を進められるようになったネギだが、学園祭の雰囲気で盛り上がるクラスを抑えるのは至難の技だ。  朝倉、裕奈、ハルナを中心に騒ぎは天井知らずに盛り上がり、カモミールは出てくる嬉し恥ずかしい意見に大興奮。 「確かに……カワイイ女の子を見せ物にするというのはいささか単純かも知れないわね。逆ならいいんじゃない?」 「「「おおっ」」」  ハルナのこの言葉をきっかけにさらにさらに事態は捻じ曲がっていく。 「じゃ、ネギ君をノーパンにー」 「キャアアアアーー!?」  教え子である女子達に胴上げさせられるネギ。戸惑う暇も与えられず、次々と衣服を剥がされていった。 「コラーーッ」「あなた達ーッ」  明日菜とあやかが止めようとするが朝倉と千鶴にすかさず動きを止められる。  もう誰にも止められない。そういう時だ。外から抑止力が働いたのは。 「コラーーお前ら朝っぱらから何を……」 「あ……」  前日に引き続き、再びA組の騒ぎを聞きつけて現れた新田教諭。  今度はどんな騒ぎかと駆けつけてみれば、生徒達に衣服を脱がされ、代わりに猫耳、猫尻尾を付けられている担任教師ネギの姿が彼の目に飛び込んできた。  ——!?  流石に麻帆良学園での教師生活が長い新田教諭でもこの光景には数秒間時間が止まる。が、すぐに再起動。 「なっ、ななな……何をやっとるかーーーっ!!! 全員、正座ーーッ」  昨日と同じように落ちる雷。昨日と同じように正座させられるクラス。  三年A組は今日も懲りない。  出席番号32番 衛宮         第20話 それぞれの学園祭前夜  /志保の場合  授業が終わって、弓道部に顔を出す。練習もそこそこに師匠のところに行く私は部員としては余り真面目な方ではないのだろうが、弓には思い入れがあるため出来る限り部活には参加していたい。それは学園祭前だろうが変わりはない。 「こんにちはー……って、どうしたの、みんな?」 「ああ、衛宮さんか。うん、今日部長が学園祭の出し物を決定するんでね」  道場に入ってみれば部員全員が道着も着ずに制服姿で神妙というか、不安そうな表情で何かを待っている。聞いてみれば返ってきた言葉は学園祭について。  思えば、今朝のHRも酷かった。泥レスやらノーパン喫茶やら、本気でみんなやるのか? と聞きたくなるものばかり。果ては暴走。昨日の焼き直しのように新田先生からお叱りが下ったのだ。  この弓道部でも出し物があるようだが、それを決めるのは部長の霧矢さんであり、決定がなされるまで部員達は待機していたのだ。 「部長一人で決めるんですか?」  学祭の出し物という重要な決定を他の部員を介さず霧矢さん単独で決めるのはいささか乱暴ではないか?  私が言いたい事は話をしてくれた高等部の男子部員が察してくれたのか、さらに事情を話してくれた。 「君は転校生だから知らないと思うんだけど、霧矢部長は中等部の時、上級生を押しのけて部長に就任して以来、そのままずっと部長を続けている猛者なんだ。こと弓道部内では絶対君主といったところかな……普段は一切口出ししない放任主義なんだけど、学祭とか体育祭とかのイベントのときに限って強権を振りまくるんだ」 「はあ……それはまた、スゴイ人とは思っていたけど」  その強権で毎年の部での出し物を決定してきたのだ。中、高、大の合同サークルのため、大学のみのサークルより資金面で切迫していないが、資金はやっぱり欲しい。そのため部長は毎年かなり変わった出し物を部員に提示しているとか。 「ちなみに去年はなんだったんです?」  参考までに聞いておく。 「去年は……お化け屋敷だったな」 「随分とオーソドックスですね」 「甘い。ただのお化け屋敷じゃなかったよ。あまりのことに出店禁止スレスレだったし……」  化けキノコだとか、ヤカンヅルだとか、化け猫だとか、医学部からの検体用リアル死体だとか、その男子部員は妙な単語を呟いたが私には半分も理解できなかった。理解できなかったが、大変だったのだろう。その部員の遠くを見つめる目には覚えがある。苦労した者が見せる表情だ。 「皆の衆、出し物を発表する!」 「「「っ!!」」」  道場の奥からスパンと引き戸を開けて話題の人物、霧矢美沙都部長が現れた。四十人からなる部員全員が一斉に部長の方に不安が混じった視線を送る。  視線を受ける彼女はニンマリ笑顔を全員に返し、 「発表! 今年度の学園祭での弓道部の出し物は」  片手にもった紙を両手に持ち替え、裁判所の判決のように道場全体に見えるほど大きく広げた。 「これだ!」  そこには筆で書かれた達筆な文字で『食い逃げメイド喫茶』と書かれていた。————メイド喫茶?  部員のみんなも書かれている内容を理解するのに時間が必要だったのだろう。反応が出るまで十秒はかかったはずだ。 「あの、部長……メイド喫茶というのはもしかして秋葉原とかにあるというアレですか?」  私の隣でさっき話をしてくれた男子部員が、霧矢さんに恐る恐るといった風に質問した。 「その通りだ神田川伍長。時代は『萌え』だ。きっと近い内にこの『萌え』という言葉は流行語大賞に選ばれると私は確信している。現に、衛宮兵長」 「は、はい?」  妙な軍隊調で話が急に振られてきた。 「君のクラスでは当初、メイド喫茶を企画したそうじゃないか」 「ええ、結局企画倒れで中止でしたけど」  私の話にうんうんと頷く霧矢さん。次には部員全員を睥睨するように見渡し、普段の放任主義が嘘のような独裁者ぶりで口を開く。 「三年A組は粒ぞろいの美少女が多いからねー、メイドの格好で接客されれば確実に客は集まるだろう。だが、我が弓道部だって負けてはおるまい! 今年は客の回転率より客の満足度を優先させる事にした。さあ! 皆の者、普段着ている道着や制服の代わりにあれらの衣装を身につけ、メイド喫茶という戦場(いくさば)を作り上げるがいい!!」  ズバッ! と擬音が聞こえそうな勢いで彼女が指したのは自身が出てきた部屋。中にはメイド服一式とウェイター服一式がハンガーに掛けられ、人数分用意されている。  でも、あれは—— 「部長、あの衣装見たことがあるのですが」 「それはそうだろう。A組のメイド喫茶が中止になったから余った衣装を雪広兵站長から安く譲ってもらったんだ。ああ、それと手芸部によってすでにサイズは手直しされているから安心するように」  やはりか。どうりで見たことのある服があると思ったら。 「霧矢部長、ちなみに拒否権は……」 「ないと思へ」  続く女子部員の言葉にあっさり言葉を返す霧矢総帥。この言葉で私を含め部員全員ががっくり肩を落とした。 「うむ。皆良く似合っている。やはり我が軍もやれるではないか」  更衣室から出てきた部員たちを見渡して自身もメイド服に着替えた霧矢さんは満足げだ。  男子はウェイター、女子はメイド服で当然私も今回はメイド服を着せられた。 「ふう」  頭のヘッドドレスの位置を調整しつつ、姿見を見る。  この姿見、部活では自身の姿勢の確認のために用いられるのだが、今回は衣装用になり、何人もの女子が自身の姿を確認してはしゃいでいる。  なんだかんだ言いながらもかわいい格好が出来るので喜んでいるのだ。 「はあ」  私の場合はため息しかでない。  鏡にはため息を吐いて肩を落とすメイドさんが一人。白い髪はポニーテールから三つ編みで一つに纏められている。犯人曰く「メイドは三つ編みが基本」だそうだ。そんな基本英国では聞いたこともない。  試しにその場でクルリと一回転。長いスカートの裾と一本に編んだ三つ編みの髪が翻る。そして丈長のエプロンドレスの裾を摘んで一礼、その後鏡に向かってニコリと挨拶————やめよう、自己嫌悪度数が増すだけだ。 「さて、着替えてもらって早速だが、店に出す料理は菓子は私、軽食は衛宮大尉が中心にレシピを考えたいと思う。衛宮大尉、それでいいかね?」 「え? ええ、ですけどお菓子は部長が?」  兵長から大尉に大昇進させられた。  店に出すことになる料理のレシピ、それの決定を私と霧矢さん自身がやるという。軽食は良いが、菓子が部長というのがちょっと意外。まあ、私は菓子作りの経験は余りないから少し困惑していたところだった。けど彼女は—— 「大丈夫、部長はああ見えて菓子作りは天才的だから」 「へえ」  隣で女子部員がそっと耳打ちしてくれた。  そうか、霧矢さんにそんな一面があるとは。見た目いかにも体育会系だがそんなところがあるとは驚愕というか、驚異というか……。 「衛宮大尉、何か言いたそうだね」 「い、いや何でもないです。サー」  いかん、顔に出ていたか。 「ま、いいか。ここまでで何か質問は?」 「あ、はい」  質問ということで、一人の中等部の男子から手が挙がる。 「なんだね。木村二等兵」  霧矢さん、ここに現れてから妙な軍隊調が抜けない。このまま学園祭終了までこの調子なのか? 「あの、喫茶店というのは分かりましたけど、なんでここにアメフトや剣道の防具があるんですか?」  彼が指すのは道場の隅に男子全員分と思わしき量の防具がうず高く積まれている。これも部長が持ってきたものだろうが、喫茶店を開くのになぜに? という事なのだ。  これに彼女は再びニンマリとした笑みを浮かべ、手に持ったままの紙をまた開く。 「それは、ここが『食い逃げメイド喫茶』だからだ」  だから、その『食い逃げ』ってなにさ? おそらく部員全員そんな表情をしていたのだろう。霧矢さん、その様子にいたずら大好きな表情のままその恐るべき内容を語る。  霧矢部長が考えた食い逃げメイド喫茶とは、食い逃げしても店舗から逃げ切れればお咎めなし、タダ食い万歳の店なのだ。もちろんみすみす見逃す訳もなく、用心棒役の男子が防具を身に纏い全力でもって阻止し、捕まえる。捕まえられた者は通常の五割り増しの料金を加算され請求される。などという、考えた部長の正気を疑いたくなる内容だった。 「「「「…………マジ?」」」」 「マジ」  全員の揃った声にも霧矢さんは当然と答える。  呆然とする部員を尻目に話は進んでいく。 「さて、料理はよし。次に接客だが、当初中等部のさるコスプレイヤーにアドバイザーを頼もうとしたんだが、断られた。そこで、衛宮大尉」 「はい、何です?」 「普段からメイドをしている君にメイドの真髄を部員に教え込んでくれ」  ————え? 何ですと?  私が女子部員全員にメイドの所作を教えろと言っておられるのですか霧矢総帥? 「超包子には遅れると話は通してある。存分に教導するがいい」  私が師匠の家でメイドをやっているのを何故知っているとか、私はメイドよりも執事だとか、色々言いたいことはあったのだが結局何も言えなかった。  なにしろ—— 「「「よろしくお願いします衛宮(さん・先輩・大尉)」」」  女子部員全員からそう頼まれては断りきれなかったのだ。  麻帆良の夜道を一人寮に向かって歩く。麻帆良は周辺の街よりも格段に治安が良い。魔法教師や魔法生徒、さらに学園を囲む結界等で相手が一般人、魔法使い関係なく犯罪が浸透しにくいのだ。この辺り、学園の魔法使い達の普段からの行動が実を結んでいる。  だからか、今は結構夜遅いのに道には学園祭の準備で出歩く生徒たちがまばらだが絶えない。中には女の子一人が出歩いているのもあり、流石に大丈夫か? と思ってしまう光景もある。  今日も大変だった。  超さん、葉加瀬さん、茶々丸さんがそろって今日は休みで、部活の出し物の接客指導で遅れてきた私は普段の数倍の回転で仕事に当たらなくてはいけなかった。四葉さんと古さんも忙しくしていたが、途中でネギ先生が来たり、大学部の格闘団体によるケンカが発生しかけたりで中々に騒がしかった。  閉店近くになると、今度はネギ先生が甘酒で酔っ払い、泣き上戸なのか同席していた新田先生、瀬流彦先生、高畑先生相手に「僕はダメ先生でダメ魔法使いですー」なんて泣き叫ぶ始末。一般人もいる前で魔法使いはマズイ単語だけど、酔った先生はそれどころじゃないんだろう。今日の事がよほど響いたのかな。  結局、ネギ先生は酔いつぶれて眠ってしまい、動かすのもなんなので四葉さんが付き添いで屋台である改造路面電車の中で一晩寝かせることになった。  私も付き合おうかと思ったが、明日の朝食を考えるとそうも言っていられない立場だ。けど、あんなネギ先生は初めて見る。気になる。折を見て話を聞いてみようか……?  上のような事に夜の鍛錬のこと(店に来ていた師匠は休みでいいと言っていたが、自主的に欠かさずにやる予定)、明日の朝食の献立のことをつらつら頭の中で考えつつ、『MAGGY』という店名のコンビニを横切る。  ————?  ふと、何の根拠もないが振り返ってみる。  何の変哲もない夜のコンビニがこうこうと明かりを照らしている。学園祭近くのため、生徒の姿が見受けられる……ん? あのセーラー服の生徒、教室にいる幽霊では?  幽霊のほうでも私の視線を感じたのか、顔を上げてこちらを見る。当然、目が合う。合うが、幽霊の方で見られているのが自分だと思わなかったのか後ろを見て、次いで私の前に来て手をひらひら振るう。 「何かな?」 「うひゃっ! あ、あの——私の姿が見えるのですか?」 「まあ、見えるというより『視える』のだけど」  魔術的な感覚が身についた目は霊視を可能とする。それは見る行為の一段階上、『視る』という事。幽霊を視ることは前から出来ていたが、肉体的ポテンシャルが上がっているためか、今は視る事に特別意識を払わなくても自然と目は像を結んでくれている。 「? えと、良く分からないですけど、私がいる事は分かるんですよね?」 「うん、分かる」  こちらがそう言うと、幽霊少女は驚きから一転、急に俯き、彼女の長い髪が表情を隠した。 「う、ううう」  髪の間から呻き声みたいなものも聞こえる。  あ、あれ? 何かマズイことを言ったかな? 「な、なあ君「嬉しいですーーーっ!!」うわっ」  俯いた幽霊少女の様子を伺おうと身をかがめたが、そこに彼女が飛び掛り、いや飛び付こうとしてすり抜けてしまった。やはり、幽霊。すり抜けるか。 「うう、掴むことはできませんか……」  すり抜けて後ろに回ってしまった幽霊少女はさっきまでの嬉しさからさらに一転、がくりと肩を落としてしまっている。目にはなぜか涙まで。  ここは、声をかけるべき、だよね? 「で、でもこうして私と話すことができるじゃないか。それだけじゃダメ、かな?」 「…………確かに、今まで何年も誰にも話しかけられませんでしたし、話し相手が出来るだけでも…うん。そうですね」  表情の変化もころころと豊かに幽霊少女は、涙目からさらにニコリと笑みを浮かべた顔を見せてくれた。 「つまり君は六十年以上も幽霊をやっているのか」 「はい、私はこの通り存在感がないせいで今まで数える程度の人としか話したことがありませんでした」  幽霊少女——相坂さよ。三年A組の最前列窓際の席に座っている女の子だ。みんなからは空席に見えるその席、隣席の朝倉から聞けば座ると寒気がするため『座らずの席』となっているのだとか。  色が薄く長い髪に純和風の顔立ち。木乃香に通じるところがある容姿の彼女だが、幽霊のためか彼女の方が儚げに見えてしまう。  幽霊というと、私のところでは世界に残る強い思念。いわば残留思念が形を結んだものだ。けど、この相坂さんの場合はまるで魂が具現したかのごとくだ。こんな『魔法』のような存在、時計塔の降霊科の連中が見たら絶対卒倒して、そのあと工房に篭もること請け合いの存在だ。実際、セイバーの時がそうだった。  私たちはコンビニ近くのベンチに座り、隣り合って話している。彼女は地縛霊らしく、A組の教室から離れすぎている寮までは行けないのでこういう形で話すことになったのだ。時折通りすがる人がこちらを不思議そうに見るが、気にしない方向でいこう。 「六十年以上ということは、君は戦前からここにいるのか」 「ええ、よく覚えていないですけど私が生きていたときはまだ戦争中だったみたいです」  話すのは割と取り留めのないこと。話し相手が出来て興奮気味の相坂の話を聞き、私が返し話を進めていく。その繰り返し。けれど時間が過ぎていくのを忘れるほどだ。 「む。もうこんな時間か」 「あ、そうですね」  何気なく取り出した携帯電話の時刻表示を見やった。もう時間は日付が変わろうかというところだ。道理で妙に体の調子が良いと思ったらここまで夜が遅かったのか。 「もう少し話を聞きたいところだけど、ごめん相坂」 「いえ、衛宮さんにも明日がありますし」  ベンチから腰を上げて、お互い一時の別れの言葉を交わす。明日になればまた会えるのだ、焦ることはない。でも相坂は残念そうだ。  ベンチに背を向けて、さて一歩というところ。ここで、 「あ、あのっ!」  相坂から声がかかる。振り返ってみれば彼女は何か重大なことを話そうかというところ。凄まじい意気込みが感じられ、気のせいかオーラみたいなものまで出ている。 「な、何かな?」  ここまでの意気込み、どんな言葉が飛び出るのかと身構える。  文字通り全身全霊を持って彼女が紡いだ言葉。それは、 「と、友達になってくれませんか……?」  意気込みとは正反対に言葉は小声だ。でも、しっかりと耳には届いている。  なんだ、そんな事。意気込んで言う必要はない。なにせ、 「もう友達じゃないか、相坂?」  こちらの言葉になぜか呆気に取られている相坂。でも言葉が浸透していったのか、表情が見る間に変わっていく。 「は、はいっ! よろしくお願いします!」  ペコリと頭を下げる相坂。表情はとても嬉しそうだ。でも、そこまで意気込まなくてもいいだろうに……。  吸血鬼の師匠に魔法使いの先生、アンドロイド、剣士や忍者、銃使いのクラスメイト。ここに来てさらに幽霊の友人か。合縁奇縁という言葉はあるが、ここまでバラエティー豊かだと騒がしい、楽しいを通り過ぎてきっとため息しか出てこない。でも、悪い気分ではない。 私にはもったいな過ぎる位ほどだ……  緑が豊かなこの場所は息を吸い込むほどに肺一杯に清涼な空気が流れ込む。差し込む太陽は穏やかで、初夏らしく暑さも含んでいる。  近くにある渓流は私がここに来た当初に落ちた川だ。あの時よりも水が温かく、川遊びにはもってこいの水温になっている。  無論、私はここで遊びをしているわけではなく、 「楓、以前より瞬動の入りと抜きが鋭くなっているのだけど……」 「いやいや、この位でかからないと今の志保殿には敵わないでござるからなー」  修行をしていた。  もう恒例ともいえる楓との土日の修行。学園祭が間近のため今回は中止かと思っていたが、楓の方からやると言っているので付き合う事にした。  これも毎度のようにリュックに差し入れ一式詰め込み、渓流沿いの彼女の修行場まで跳躍を繰り返して辿り着く。食材の調達は楓。調理は私と役割はすでに決まっており、今回も彼女の用意してくれた食材で満足できる一品を昼食に作ることができた。  そうして今はというと、食後の腹ごなしで試合をしている。  背後から一気に懐に飛び込んでくる感覚。けど気配が希薄。これは楓お得意の分身。つまりフェイク。本体は—— 「上か!」  すぐさま竹刀を振り上げ、迎撃。  手にガキリと重い手応えが返ってくる。 「いや、気配を消したつもりでござったが見破られるとは剣呑、剣呑」  手応えはすぐ掻き消え、楓が身を引いたと分かる。  残る声だけが今いる林に響き、消えていく。あちこちで楓の気配がするがこれも分身の気配だ。木々に身を隠し、気配を欺瞞し、虚を突き、死角から必殺の一撃を叩き込む。まさに忍者である彼女らしい戦い方ではあるが、 「気配は確かに消えているよ。でもね楓、君の気配は『キレイに消え過ぎ』ている。分かる人には分かるよ」  投影した弓を手に、先ほど楓の一撃を受けた竹刀を矢として番えてその場所に向ける。  気配はない。『なさすぎる』。周囲にある樹木でさえ微細な気配を持つのにその一角だけが切り抜かれたように気配がない。そこに楓はいた。  ——スコン  的中。 「むう、また負けでござるか……ここのところ拙者の負けがこんできたでござるなー」  竹刀が中ったオデコをさすりつつ木の上から楓が降りてきた。 「でも大抵紙一重だ。今日のようにキレイに勝つような事なんて滅多にないでしょ」  彼女を下で向かえ、川の水で濡らしたタオルを渡してあげる。  受け取った楓はタオルを先ずは撃たれたオデコ、次に顔全体、首筋と当てていき、火照った体を冷やしていく。「うー」などと唸りや呻きともつかない声も唇から漏れて何か温泉に入っているみたいだ。 「でも悔しいでござるな。志保殿は全力を出しておらんでござるし……」 「本気ではあるよ?」  ニュアンスが似ているようで異なる言葉。  全力はそれこそ剣の投影、真名開放すら視野に入れた実戦の思考。本気は言わば心構えだ。これは鍛錬なのだ、けれど実戦の心構えは忘れずに。それが私の本気なのだが、楓には分かって貰えただろうか? 「先程の試合の話しでござるが、志保殿の体捌きは最初の時と違ってきているでござるな」  対戦が終了した時点で食材集めの時間となり、このまま林に分け入り山菜を探すことになった。食材の調達は前も言ったが主に楓の領分なのだが、時折こうして私も手伝いに入る。そして逆もしかり。  山菜やキノコを取りつつ出てくるのはやはりさっきの試合の話。楓は私の体の使い方が変わったことを指摘してきた。 「あ、うん。今までは無理をしている部分があったから、それを修正している最中かな」 「ほう」「なるほど」「修正でござるか」  倒木に生えているキノコを食用か否かを見極めつつ、カゴに入れて楓の質問に答える。  180センチ以上あった体からいきなり150センチの現在の体になったのだ。体の使い方に差異があって当然なのだが、そこを今まで身体能力で補っていたのだ。当然、無理と無駄が出る。  記憶の戻った修学旅行の帰りから少しづつ動きの確認と体に合った修正をしてきたのだが、形になりだしたのはつい最近だ。  身体能力にものをいわせた力技は少なくなるが、受け流しとカウンターに重点を置いた私本来の剣技が戻ってくる。あとはプラスで再び身体能力を取り入れ、速度を上げれたらと私は目論んでいる。 「さて、この位でいいか。楓は?」  十分な量のキノコが収穫できたことを確認して立ち上がると—— 「この位でいいでござるか?」「山菜はこれぐらいでござった」「なかなかな量でござる」  楓が十六人に分身していた。  彼女の抱える籠には溢れんばかりの山菜が詰め込まれている。十六人の楓による山菜一斉採取を敢行したようだ。 「楓、そんなに量はいらない。私は明日、クラスで出し物の手伝いだから」 「「「そうでござった」」」  こちらの指摘に十六人の楓が揃って頭をかいた。  A組の出し物が『おばけ屋敷』に決定した。  候補として挙がった大正カフェ、演劇、占いの館、中華飯店などの候補を一票差で出し抜いて決まった。決め手はネギ先生が幽霊の相坂が挙げた手も数えることが出来たことだろうか。  そうして決定したおばけ屋敷。準備は休日を返上して行われるのだけど、誰も嫌な顔はしなかった。やはり学園祭の準備は下手な娯楽より彼女たちに刺激的なのだろう。  私も当然手伝う。弓道部の出し物の準備で忙しくはあるが、私もこのおばけ屋敷の案に手を挙げた身。賛同した以上行動もしなくては。幸い、準備は夜もやっているので昼は弓道部、夜はクラスのと行動することが出来る。  んー、でも最近私の周りは忙しいな。遠坂は何か思うところがあるのか、他の教師陣にはない動きをしているし、セイバーもセイバーで何か楽しみでも見つけたのか夕食前に鼻歌めいたものを歌っているところを見かける。しかも手はどう見てもギターを弾いているようにしか見えない手つきでだ。  学園祭を前に私たちはそれぞれにやることが出来たみたいだ。 /凛の場合  推測しうることはまだ可能性の段階。けれど見逃すことのできない類の物。あの存在は学園は勿論、わたし達も脅かすかもしれない。だから向こうがまだ態勢を整えていない早期の内に手を打っておくことが肝要なのだが、いかんせん尻尾すら掴めないのが現状だ。 「————はぁ」  見回りの仕事で夜の廊下を歩きつつ、ひっそりため息をつく。  こんなことをしている場合ではないのだが、これもあの妖怪じみた外見の学園長との契約の内だ。それに教師としての仕事も嫌いではない。志保からは「どう見てもノリにノッているようにしか見えない」とも言われていることを考えればひょっとしたら適職なのかもしれない。 「でも、いつまでもって訳にはいかないよね」  この状態こそ本来の流れから見れば不自然なのだ。いつかは必ずそれぞれの本来の流れに帰らなくてはいけない。その鍵を握っているのは他ならない自分。だから、 「超鈴音の動きぐらいはつかんでおきたいわね……」  きっかけはごく些細なことだった。  志保がセイバーの剣を鍛ち直しするために素材を探していて、わたしも暇を見つけて手伝ってやろうと思っていた時の事だ。  セイバーの剣に使われている鋼材は装甲機像(パンツァー・ゴーレム)の装甲板にも使われる魔鋼。硬く魔術的な耐性が極めて高いものだが、相性が良いものが少ないのが唯一の欠点だ。素材探しは難航しそうだろうと思われた矢先、志保が素材を持ってきていた。それも『あの』ミスリル銀をインゴットでだ。  どこから持ってきたかと志保を問い詰めると、出てきた名前が超鈴音。彼女は志保に自分が出す屋台の『超包子』の料理人と自身が主催する武道会の出場を対価にミスリルを渡したのだとか。  こちらのミスリルの相場を後になって調べたが、わたし達の世界と違いはほとんどない。つまり、対価があまりにも安すぎる。投げ売り、いや物の貴重さから言えばタダ同然だ。  第一、ミスリル銀などというこの世界でも極めて稀少価値がある魔鋼をなぜ超は持っているのか? 気になって調べ始めたのだが、彼女が麻帆良学園に来たのは中等部の入学時から。それ以前の経歴は一切不明なのだ。  これはクサイ。直感的に感じたわたしは二人には悪いと思ったけど、独自に超鈴音に調査の手を伸ばすことにした。何しろ場合によってはわたし達にも何らかの累が及ぶかもしれないのだ。  そして調査開始から四日目。漠然とだが、超について輪郭が出てきた。  彼女の持つ資金は相当なものであり、小国なら丸ごと購入できるほど。その元になったのは株のやり取りによるものなのだが、運用方法はまるで未来が見えているかのようなもので、一切の無駄がない。  彼女のもつ科学技術は明らかに現代の技術を何歩も先を行っているものだ。茶々丸も半分以上は彼女の技術によるところがある。学園内では当たり前のように認識されているが、やはりこれは異常だ。  そして、現在超の資金の動きは学園祭を前に活発に動いている。明らかに学園祭中に何かを仕掛ける。だが、具体的には何を? となるとまるで分からない。 「せめてあの子の目的ぐらいは掴んでおきたいわね——?」  視線の先、A組前の廊下に志保がいる。何やら隣の何もない空間に対してしきりに励ますというおかしな素振りをみせているのだが…… 「志保、あんたなにやっているの?」 「あ、ああ遠坂か。いや、相坂を励ましているのだけど……見えない?」  志保の言葉に彼女が差す何もないと思われた方向に魔的な目をこらす。すると、うっすらとだがセーラー服を着た女の子の幽霊と思わしき姿が視えた。純和風の儚げな雰囲気を持つ可愛い子だ。A組、幽霊でさえもレベルが高いとは。 「この子が?」 「うん、同じクラスの相坂さよ。副担任なんだから名前ぐらいは知っているよね」 「ええ、まあ」  こちらのやり取りが伝わっていたのか、幽霊少女・さよがペコンと頭を下げた。でもうっすらとしか見えず、なかなかに分かりづらい。 「で、励ましているってなんでまた?」 「これ」  示されたのは掲示板。に貼られた一枚の学園新聞。その名も『麻帆良学園スポーツ新聞』と微妙に信憑性に欠ける名前。その一面、でかでかと書かれた記事。  『3−A教室に「霊」再び』  記事の内容は昨日、学園祭の出し物の準備を夜遅くまでしているA組の前に幽霊が現れ、一騒動あがったというもの。ご丁寧にも決定的瞬間を捉えた写真まで掲載され写真のさよちゃんは完全に悪霊に見えていた。 「う……ううっ。私、写真写り悪いからみんなに誤解されてしまいました」  がっくり肩を落としてうな垂れているさよちゃんに志保がパタパタと肩を叩いて励ます。叩くもそこは幽霊、手がスカスカとすり抜けてしまう。  ま、大体のところは分かった。 「相坂、何でまたみんなの前に出ようと思ったの?」 「それは……志保さんとお友達になれたので、今年はがんばって他にもと思ってしまいまして……」 「そっか……」  話をする方もされる方もごく自然な雰囲気。ただ、話しているのは幽霊で、聞いているほうは吸血鬼というのは絵面としてどうなんだろう。それに、志保ってまた妙なことに巻き込まれていない? 「にしても、ウチのクラスってまだ準備をやっているの?」 「え? 今日はもう終わりのはずだけど……」  電気を消したA組の教室から未だにもれ聞こえるさざめき。学園祭の準備で残ることは許可されているけれど、それも午後九時までのはず。現在は午後十時過ぎ。明らかに時間オーバーだ。 「あ、エミヤンここにいたんだ。それに……ゲッ、遠坂先生までいたんだ」  教室からやって来るなりなかなか面白いことを言ってくれる朝倉さん。 「朝倉さん、規則では九時までではなかったかしら? うるさく言うつもりはないけど、見回りの先生がいることぐらいは考慮にいれてくれないかしら」 「ははは、大目に見てくださいよ遠坂センセ。今日はちょっと用事があるんですから。エミヤン、もう少し手伝ってもらうことがあるんだけどいいかな?」 「ん、私で出来ることなら」  って、志保もまた安請け合いしない。せめて何をするかぐらいは聞きなさいよ。 「悪いね。今からさ、幽霊討伐をやるんだ。ネギ君のサポートをよろしくお願いしようかと思っていたんだよ」 「「幽霊討伐?」」  期せずしてわたしと志保の声がユニゾンした。 「そ。そこに出ている悪霊のお払い」  朝倉さんが指したのはさっきまで読んでいた掲示板の新聞。そこに書かれているのはさよちゃんのことで、討伐する幽霊とはつまりさよちゃん? 「いや、怖がるヤツが出てきてねー準備が遅れるから超と葉加瀬の協力で除霊銃を作ってもらって討伐隊を組織したんだよ。ネギ君も協力するというし、ここはエミヤンにも……と……」  朝倉さんの視線が話しているうちに脇にそれていく。視線の先には志保の後ろで縮こまっているさよちゃん。  あちゃーー 「で、で、で、出たーーーーーッ!!!」  止める間もなく朝倉の口から出てくる絶叫。  後は坂道を落ちるように状況は転がっていく。 「ま、待て朝倉、相坂は……「幽霊が出たって!?」「状況開始!!」「総員戦闘態勢!!」って! そんなもの人に向けるな!」 「わ、エミヤンがいる!」「構うな! 除霊銃撃てーー!」  教室から一斉に出てきたA組が銃器らしきものの銃口をさよちゃんに向け、  ——ビーーーームっ 発砲。志保がかばう。バッタリと倒れ、分かりやすくピクピクと痙攣らしき動きの後パタリと動かなくなった。 「あっちだーー」「追えーーー」  逃げていくさよちゃんを追い、みんな教室を飛び出ていき、残ったのはわたしと志保だけだった。 「…………えっと……」  ここまで僅か十秒弱。余りの急展開にちょっとついていけなかった。  とにかく、 「志保、大丈夫?」 「————」 「見事に気絶中、ね。コイツ結構頑丈になったはずなのにそれを気絶させるなんてどんな武器よアレ?」  倒れた志保に近づき、状態を伺うが気絶をしている事以外は外傷なし。弾丸を使ったものではないみたいね。  そういえば、色つきのビームみたいなものが出ていたわねアレ。超の作と言っていたが、人体に有害でなければいいのだけど。  ——パタタタタン  ——斬魔剣!  下ではさらに豪快に物が崩壊するような物音が聞こえる。銃声とか、剣の刃鳴りとか……ふう。 「出会って間もないけどさよちゃん、成仏なさい」  志保を背負って職員寮に行くことにした。これも見捨てているのだろうか?  士朗に比べれば断然軽い志保を背負い校舎を後にする。背後からは断続的に響く破壊音。——明日が大変だわ……。  あの大騒動が巻き起こった、さよちゃんの出現騒動から五日。あの事件の大変な後始末の後も色々なごたごたがあったらしいけど、わたしの周囲に限って特別変わりはなかった。けど、今は変化がないのがいけない。  都合九日、超鈴音に関して調査を進めていたのだがこれといった進展のないままだ。学園長に頼むという手も考えたが、いまだ確証のない状態で切り出せる話ではない。仮にも彼女はこの学園の生徒、いくら怪しくても教師としては警告ぐらいしか超には出せないだろう。  決定的な何かが欲しい。けれど相手が動くのは恐らく学園祭。それまで尻尾を掴ませることはないだろう。ならば—— 「ほい、やっつけ仕事だけどこれでいいか?」  志保から渡された物を手にとって確認する。 「うん、相変わらずいい仕事ぶりね。文句はないわ」  物は短剣。以前に使っていたアゾット剣の改良を志保に頼んでいたのだ。改良としては柄頭に付ける宝石を付け替えが利くものに、刀身自体もわたしの魔力に合わせた物に仕上げている。これでやっつけ仕事というのだから呆れてしまう。 「それと、こっちの世界に来る前から頼んでいたやつだけど、こっちも出来た」 「え?! それも?」  引っ張り出されたのは靴が一足入るほどの木製の小箱。中身は私の長年の悩みを解決してくれるというものだ。これは思っても見ないこと。僥倖ってこういうのをいうんだろう。 「うん、ネギ先生が持っているアンティーク品がいいヒントになったよ」  渡される小箱は小振りながらズッシリした重量をもっている。 「案外重いわね」 「ベースは龍宮を通して手に入れた本物だからね。使い方は後でいい?」 「ええ、でも学園祭までに使い方はレクチャーして」  アゾット剣はシースに入れて仕舞い、小箱は小脇に抱える。 「分かった。けれど、今になって何でそんな物の改良を頼んでくるの?」 「うん、今はちょっとね。後で必ず話すわ」 「そっか、なら聞かない。でも、本当に危なくなったら頼ってほしい」 「ありがとう」  本当にありがたいと思う。ここで志保のクラスメイトが何か企んでいると聞けば絶対こいつは動く。でも、今はその時ではない。悪いと思うのだけど今しばらくはわたしに任せて欲しい。  学園祭まで尻尾を掴ませないつもりなら、学園祭当日、超が動いている最中を探ってみるしか方法はない。  聞くところによれば彼女は魔法使いではないが魔法関係者。なら場合によっては多少の魔術行使も辞さないつもりでいる。そのためにこっちに持ち込んだ魔術礼装を引っ張り出し、万全の態勢を取る。志保にアゾット剣の改良を頼んだのもこの一環。 「にしても、さよちゃんはまだ成仏していなかったの?」 「あ、うん。なんか今では私か朝倉にくっついていることが多くなったよ。朝倉は彼女のステルス性能を生かして潜入特派員に仕立てたがっていた」 「——見捨てたわたしが言うのもなんだけど、あの子も大変ね」  さよちゃんの出現にA組の大半が討伐に乗り出し、ネギ先生がそれを止め事なきを得た事件。  あの一件からさよちゃんの存在は周囲に認識されたみたいで、順応性がむやみに高いA組のみんなはさよちゃんをクラスの一員と認識するようになっていた。ただ、存在感のなさは相変わらずで普段から視えるのは志保と朝倉、それに態度で分かったのだけどロリ吸血鬼も視えているみたいだ。  ふと、時計を見れば十時過ぎ。頃合だろう。 「っと、もう遅いわね。じゃあわたしは戻るわ。それとも……今日はこのまま泊まったほうがいい?」 「————いい」  いたずらっぽく出したこちらの言葉に俯いてしまう志保。ふふん、何を想像したのか分かりやすいわね。士郎でも志保でもこういうところはウブなままだね。 「フフッ、残念。じゃ、おやすみ志保」 「ああ、行け、行ってしまえ……」  顔を俯けたまま手を振って送り出す彼女の部屋を出て行く。  なんか最近前にも増して可愛くなってきている志保。これは精神と肉体の差異が修正されてきているからかしら? とすると、元に戻すなら早い内、この一年以内が目安ね。  元の世界に戻る資材集めに志保を士郎に戻す研究。その上で今回の怪しい動きを見せる超鈴音の調査、か。自分から背負ったこととは言え、結構大変ね。 「ま、愚痴ったところで始まらない。そんな暇があるなら事を一つでも進めておかないとね……」  差し当たり学園祭当日に超一味に気付かれないようにするにはどうしたら……うん? 「ウチも一肌脱ぐわ」 「わ、私も協力しますアスナさん」 「いや、ちょっ、勝手に話を進めないでよ。私は別にっ……」 「って、このか姉さーーん、ホントに脱げてますって」 「カモ君、ウチこの薬気にいったわ」  夜だというのに騒がしい一室。ネギ君が居候している部屋ね。騒ぎたい盛りなのは分かるけど、ちょっとね。 「何騒いでいるの、騒ぐなとは言わないけどもう少し…………」  ————志保じゃないけど、何でさ? と言いたいわ。  一応仮にも教師として夜に騒ぐ生徒の指導のつもりでノックなしで部屋に踏み入ったのだけど、これはちょっと予想もしなかった光景ね。  まず一番に目に飛び込んできたのは下着姿のプロポーション抜群の女性。次にサイズの大きい学園の制服のシャツとネクタイ以外は着ていない小さな女の子。そしてこちらを見て固まっているネギ君、神楽坂さん、カモ君。 「あ、あの遠坂先生……これは」 「待って、何も言わないで。今整理しているから」  口を開いたネギ君を手で制して、残る手を頭に。よーし、状況確認。  部屋にわずかに感じられるのは魔力の残滓。つまりこの状況は魔法で起こったこと。次にこの部屋にいる違和感である二人に目を向ける。 「えっと、近衛さん?」 「はい、そうえ」 「で、桜咲さん」 「は、はいそうです」  確認完了。このプロポーション抜群の女性が近衛さんで、小さくなっている方が桜咲さん。二人からも何らかの魔力の残滓が感じられる。この中で魔法使いはネギ君だけど、この子は面白半分にこんなことはしないと思う。となれば残るは一人。 「犯人はカモ君ね」 「うっ! 見事な推理っす遠坂の姐さん」  あっさり犯行を認めてくれるカモ君。問題は手口なんだけど、 「さて、キリキリ吐いてもらうわよ。何を二人にしたのかしら?」 「ひぃぃぃっ! はいっす! 答えます!」  あらやだ、知らないうちにアゾット剣を持って威圧していたわね。って、皆もそこまで怯えなくてもいいじゃない。  犯行の手口、もといこの状態の原因はカモ君が『まほネット』なる魔法使い専用のインターネットで購入した魔法薬にある。  『赤いあめ玉・青いあめ玉年齢詐称薬』という思い切り犯罪の香りが漂う名前のマジックポーション。食べれば外見年齢を調整できるという代物だが、実際に肉体が変化するのではなく、一種の幻術だという。 「でも実際に主観でも客観でも肉体を感じられる幻……視肉みたいなものかしら?」 「原理としては近いっす。どうですか遠坂の姐さん、お一つ」 「結構よ……」  まほネットだとか手渡されたマジックポーションがいかにも飴玉だとか突っ込みどころ満載なのだけど、置いておこう。この世界にはこの世界なりの常識があるのだ。そう思っておかないとやっていられない。  ————でも、これは使えはしないか? 「カモ君、この魔法薬の値段だけどいくら?」 「えっと、日本円で二万ほど……」 「へー結構するわねー」 「でもカモ君そんなに高いものを買うお金をどこから……ハッ、まさか僕の預金通帳……」  また一騒動盛り上がりそうだけど、こっちの用事は終わってはいない。 「カモ君、五万出すわ。それでこれをネットで買ってくれないかしら」 「へ?……は、はいっす」 「学園祭前に必ずわたしの手元に届くようにして。お金はその時に。代金から引いた三万は報酬分よ、じゃ、お願いね」  部屋を出て行く。出て行った後の部屋が妙に静かだけど、頭の中は学園祭での計画を着々と練っている。作戦はあの魔法薬を使用することにより幅を広げるだろう。最悪、魔法使い相手はともかく一般人相手には効果はあるはず。  来る学園祭に思いをはせる。もし超鈴音がわたしの思ったとおりなら学園祭はタダでは終わらないだろう。  あの子の目に宿っている光。それは見覚えのあるものだ。十年前のあの戦いで見たわたしの従者が見せた横顔。その目に宿った光に酷く似ていた。  止めるのはわたしではないかもしれない。けれど、超鈴音を今見逃してはいけないとわたしの勘が告げている。  学園祭まであと六日。時間は迫っていた。  /セイバーの場合  電気で増幅された音がステージに響く。  爪弾く弦に従い、一音一音がスピーカーから流れていく。その音に乗ってミサの歌声が、サクラコのドラムが、マドカのギターが、アコのベースが、私の弾くエレキギターに合わせて調和されていく。  リハーサルとはいえ、客席で見ているギャラリーはかなりいる。手を抜くことは考慮の外です。  ステージを借りられる時間一杯まで私達は練習に費やした。 「ふぅー、今日も手ごたえ十分だったねー」 「ホントホント。アルちゃん来てから私達絶好調だもんねー。ありがとうアルちゃん」 「いえ、礼を言うのは私の方です。ですけど、そのアルちゃんというのは?」 「アルトリアだからアルちゃん。ダメ?」 「……」  終始この調子なのだ。元気のいいことは美徳ですが、この有り余るパワーには私でもたじろいでしまいます。それだけ彼女たちが若いということなんでしょうが……  私がこの状態になったのは、志保から鍛え直された剣を受け取った日の午後のことでした。  学園祭を前に表でも裏でも学園の警備の重要性が増しているため、その日は午後から日常業務の巡回を始めました。 警備中の私の服装は周囲に溶け込む意味もあり、私服であることがほとんど。ただ、『警備』の腕章は忘れず着用します。武装は竹刀袋に入れた愛用の竹刀(凛とシホは獅子竹刀などと呼んでいる)とシホに鍛えなおして貰ったばかりの剣。これで事が表でも裏の事情でも対処できる用意は万全です。  担当地区である女子校エリアを一通り見て回り、異常や事件事故がないことを確認。異常はありませんね。常に騒がしい気質がある麻帆良ですが、深刻な事態はそうないのでしょう。  祭りの準備のためか何処でも人の往来が激しい。あちらこちらで屋台が作られ、金槌が釘を打つ音、声を掛け合う音が背景になり祭りの機運が盛り上がっているのが肌で感じられます。かなり大きな祭りになるのでしょう。  ですが、これだけ人がいるとなると当然、 「やめてください!」  耳に聞こえるのは拒絶の声。危惧した早々ですか。  声が聞こえた場所。女子エリアの入り口近くで数人の男女が何やら揉めている様子。正確には男性陣が女子陣を追い詰めているように見受けられますね。 「そんな騒ぐことないじゃん、ちょっと肩に触っただけだってば」 「そうそう、やっぱあれ? 女子校だけに男に免疫なかったりするの?」  体格が良さそうな体に反比例して軽薄そうですね。対して女子陣三人は中等部の方達ですか。表情には明らかな拒絶の意思が伺えます。私の出番ですね。 「失礼ですが、揉め事ですか?」  男性陣と女子陣の間に割って入る。  男性の数も三人。いずれも身長は六フィート以上ある。何かスポーツでもしているのでしょうが、武術は嗜んでいない。一番奥の男性がポケットに手を入れているところを見るに、フォールティングナイフぐらいの武器を所持と予想。彼らの雰囲気が明らかに学園のものから浮いているところを見ると学外からでしょうか? 「お、なんだお前」「へーカワイイじゃん」  彼らは戸惑った声もそこそこにすぐに油断しきった表情で私を見やる。 「私はここの警備員です。あなた方は学外の方ですか?」  やや威圧を目に込めたが、鈍いのか彼らには通用しない。  さらに、私が警備員だということがよほど意外な発言だったのか、三人が三人とも目を見張って驚きを隠しもしない。無理もないですけど、少し気に障りますね。 「はいはい、そうですよーカワイイ警備員ちゃん。俺たちこの麻帆良まで遠征してきたんだ」  訂正。大いに気に障ります。 「学園祭の手伝いなどの用事というのでしたら、どうか管理棟で通行書を受け取って下さい。特別な用事もないのでしたらどうかお引取りをお願いします」  気に障りはしますが、激情に駆られても意味はない。この男たちを女子陣から引き離すのが優先事項だと自身に言い聞かせます。 「特別な用事ならあるよ。それは……」  男性の手が私の肩の上に乗る。 「君のような子を口説く用事さ」  ——————ほほう。 「そうですか。そう言うのでしたら少々私に付き合っていただけないだろうか? 三人全員」 「え? ——うんうん行く行く」「なにかなー」「ははっ」  三人の男性を女子陣から引き離しつつ、物陰に誘導していく。  後のことは語るまでもないでしょう。と言いますか、思い出したくない。ただ、ボロ雑巾になった男三人を電車に放り込むのは少し骨でした。 「いやー助かったよ。流石麻帆良の獅子。やるねー」 「ミサ、なんですかその二つ名は?」 「アルトリアさんは最近周囲にそんな風に呼ばれているんですよ。知らなかったのですか?」 「む、それはまたなんと言いますか……」 「カッコいいじゃん。ライオンだよ、金のライオン」  助けた形になった女子陣三人はそれぞれカキザキ・ミサにクギミヤ・マドカ、シイナ・サクラコと名乗って、驚いた事にシホと同じ中等部の3年A組の生徒だというのだ。彼女たちの方でも転校生のシホと親戚だというと一様に関心の声を出していた。  こうした会話を交わしつつ、三人のエスコートで同じ目的地に向かう。場所はあの巨大な世界樹の下にある特設ステージ。 「三人とも遅いよ」 「うん、ゴメンゴメン。性質の悪いナンパに会っちゃってさ」  ステージのある場所で待っていたのは髪や目の色素が薄めの女子。彼女も同じクラスなのでしょうか?  視線が合い、訝しげな目を向けられた。 「ねえ、こっちの子は?」 「はい、私は「亜子も知っているでしょ、最近噂になっている麻帆良の獅子。この子のことだって」あ、いえ間違ってはいないのですが、もう少し言い方はないのですか」 「へぇー、話には聞いとったけどこの子なんや。あ、ウチ和泉亜子っていいます」 「アルトリア・S・ペンドラゴンといいます。よろしくアコ」  京都辺りで聞いたイントネーションで話すアコと握手するが、すぐに—— 「うん、よろしく。でもちょっとゴメン。時間ないから」 「あ、そうだった私たちの持ち時間ってあとどのくらい?」 「三十分くらいやって」  慌しく何かの準備を始める四人。一体なんなのでしょう? 「そうだ。よかったら私たちの練習見ていく?」  電気的に増幅、アレンジされる音。旋律は最近良く聞く音楽にあるように鋭角的。ですがステージの上で懸命に音楽を奏でる四人の熱意は確かに伝わってきます。そういえば、『生ライブ』なるものを見たことはありませんでしたね。  十分ほどで一区切りがついたのか、四人がステージを一度降りてくる。現代の音楽にさして詳しくはありませんが人に聞かせる価値があると思います。だから拍手で出迎えましょうか。 「熱気ある音楽でしたよ、みなさん」 「ありがとうアルトリアさん」 「ふー、結構叫んだからノドカラカラ」 「ミサ、良ければこれを」  歌を歌いっぱなしのためか、喉の渇きを訴えるミサに携帯していた小さな水筒を手渡す。 「え、あ、サンキュ————へえ、アイスティーだ。しかもかなりおいしい」 「シホが淹れてくれたものです」 「そういえば、家庭科の授業のとき衛宮さんすごい手際だったね」 「さっちゃんとか超といい勝負だよね」 「料理の鉄人三号A組に見参、ってかんじかなー」 「シホの料理は心づくしが良いのです」  気が付けば、料理談義で盛り上がっている私達。そんな中、サクラコがこんな事を言い出した。 「でもさ、アルトリアってイギリスから来たんだよね?」 「はい。イングランドですが」 「じゃあ、本場のロック聴いたことあるんじゃない?」  何やら雲いきが怪しくなってきました。  ——そして案の定。 「ギター弾いてみない?」  ——シホではありませんが、なんでさ? と誰ともなく言いたいです。 「アルトリアーがんばれー」  ステージに立たされ手にはエレキギターなる弦楽器。それもフライングVだとかいう特異な形状のものを持たされました。  見渡せば四人だけでなく他にも興味本位でこちらに視線を送ってくる人がちらほらと見受けられます。くっ、さらし者ではないですか。なんで私は断りきれないんでしょうか? とにかく、こんな茶番はさっさと終わらせましょう。  ええっと、弦の数は六本ですか。嗜みとして習った楽器との差異はありますが感覚は弾いているうちに合わせるとしましょう。曲は習ったものが一番ですね。  意を決すれば後は実行のみ。ピックで弦を弾き、曲を弾き始める。  昔、王となる前に覚えた音楽。それが楽器や環境が違うと印象も異なりますね……これが現代の音で奏でるあの時の音ですか。  音と一緒に追憶する記憶はすでに遠い。でも、残念とは思いません。私には守るべき今があります。  始まった当初に聞こえたさざなみのような周囲の音は、曲が佳境に入るに従いなくなっていく。そのお陰でより曲に没頭できる。  楽器の差異はすぐになくなった。お陰でよりペースをあげて楽句を進めていく。  どのくらいの時間か。曲の長さとしての時間は知り抜いているつもりですが、いざ弾いてみると時間の感覚は喪失してしまい、一分たったのか、一時間経ったのか分かるものではなくなった。でも、曲はここで終わり。時間の感覚が戻ってきた。  改めて周囲を見渡すと、唖然というか呆然とした表情のみなさんがいました。 「あ、あの……何か私は良からぬことをしてしまったのでしょうか?」  これだけは聞いておきたい。私は何か不文律の掟みたいなものでも知らないうちに破ってしまったのではないか? けど、返ってきたのは会場全体の拍手。 「すっげーーー!」「シビレターー」 「アルトリアさんって凄かったんだ……」「生意気な事言ったかな私達?」 「ブラーバー!」「これ、リハだよね? 本番じゃなくて」  えっと、これは……大盛況?  ステージに駆け上がってくる四人。マドカが開口一番、 「アルトリアさん! 是非私たちのバンドに入って!」  これが、現在に至るバンド活動の始まりでした。 「そういえばアコ、集合遅かったですね」 「あ、ゴメンな。荷物重くて……今度から余裕見て寮を出てくるわ」  何度目かの練習とリハーサル。今日の練習は終わり、私たちは連れ立って帰宅の途についています。六月でも今の時間ではさすがに日が暮れて、空に赤みが差してきている。  話しかけたアコの反応がすこしおかしいような気がします。見れば、彼女の顔は夕日だけではない赤さがあるような…… 「アコ、熱でもあるのですか? 貴女の顔が微細だが赤く見えますよ」  反応は過敏。アコはワタワタと顔を手で覆ってしまいました。はて、何なのでしょうか? その答えはミサが知っていたようでした。 「亜子ー、まき絵から聞いたよー今朝あのカッコいいお兄ちゃんとハプニングがあったんだって?」 「なっ! で、でもハプニングゆうても大したことないし……」  ミサの言葉は正解だったみたいです。アコの様子が目に見えて変わってきています。ふむ…… 「ミサ、その『カッコいいお兄ちゃん』なる人物はなんなのです?」 「お? アルちゃんも気になる?」 「はい、気になります。不審な人物を学園に入れてしまったとあっては警備員の立場上、褒められたものではありませんので」  そのためにその人物のことを聞いておきたいのですが、なにやらミサ、どころかマドカやサクラコまでため息をついています。これは呆れられている? 「ま、アルちゃんだもんね。私達も朝に実際に見たけど、ホントイケメンっていうのはあんなのをいうんだろうねー」  そんな明らかな呆れ半分でミサが話すその人物の身長は百七十センチ半ば、細身で伸ばした天然の赤毛を後ろで結んでいる。顔立ちは欧米型、でも日本人にも受け入れやすい顔つき……やはり実際に見てみないことには何とも言えませんね。  そう思ったせいか分かりませんが、突如ミサが声をあげた。 「ほらっ! あの人あの人!」  彼女が指す方向にはアスナを懸命に追いかけ、私達の前を横切っていく青年の姿。年のころは十代半ばでしょうか。なるほど、ミサ達が騒ぎ立てるような容貌を持っています。幼さが多分に残ってはいますけどね。ですけど、あの顔立ちどこかで見たことがあるような…… 「あの二人知り合い?」「みたいっぽいけど、なんなのかな?」  それぞれに見たものを言い合うミサ、サクラコ、マドカとあの青年の様子が気になる様子のアコ。ここは、声をかけるべきでしょう、ね。 「アコ、彼のことが気になるのですか?」 「っ!」  言葉をかけた瞬間、彼女の表情は劇的にクルクル変わった。照れたような、恥らうような——なるほど、凛の時とは若干異なりますがこれも恋する乙女というものですか。 「否定は無意味です。アコの態度は明らかにあの青年が気になっていると示しているものですよ」 「あうあう……」  窒息寸前の魚のように口をパクパクしているアコ。興味深い反応ですね。凛がシホをからかう気持ちが少し分かりそうです。ですけど、追い詰める気はさらさらありません。 「それほど気になっているのでしたら、機会を見て声をかけたらどうです? 差し当たり、今度の学園祭での私達の演奏に誘うなどは?」 「そ、そうだね……」  頬を紅く染めてコクコク頷く彼女は見ていて実に微笑ましい。幸い、他の三人は見ていないようです。  学園祭開催まで五日。月並みな言葉になりますが、今から楽しみです。 /再び志保の場合 「全く、もーーバカ……」 「す、すいません朝は半分寝ぼけてるので……」  麻帆良のいつもの朝。ただし、学園祭が目前のため騒がしさは数割増し、数日前よりもコスプレするものや着ぐるみを着ているものも格段に増えている。教育番組に出てきそうなものや、背中に『七つ夜』と刺繍されているパンダやらが往来をバタバタと走っていく。にしてもあのパンダ、着ぐるみなのにキビキビと動くなー。  その中を恒例になったメンバー、明日菜、ネギ先生、木乃香、刹那と一緒に校舎に駆け急ぐ。でも、遠坂は最近早くに起きて登校している。どうもここのところアイツは裏で何か暗躍している。この間もアゾット剣の改造とかあの魔術礼装のことだとか……ま、後で必ず言ってくれるんだ、それまで待つか。  明日菜とネギ先生はどうも朝から色々あったようで、明日菜の方がやや不機嫌気味。そういえば、早朝に彼らの部屋から気持ちのいい快音が聞こえたっけ、こう人を思い切りハタいたみたいなパカンって感じの音が……。 「あ、そ、それよりアスナさん。タカミチは学祭に誘えたんですか?」 「ヴ」  ネギ先生の声に明日菜は後ろを走っている私でも分かる反応をしてくれる。ただ、準備期間中は教室か超包子、もしくは弓道部に出ずっぱりのせいで少し話が見えない。ちょうど隣をインラインスケートで走っている木乃香に聞いてみるか。 「木乃香、あれは何の話?」 「フフフ、それはなー、アスナは高畑先生を学園祭でデートに誘う気でいるんえ」 「へぇ」  なるほど。年上好みを公言している彼女のことだ、高畑先生は確かに明日菜の好みだろう。  ただ、どうもこの様子では、 「何度か電話をかけようとしたんだけど……その…ね」 「えーーまだ誘ってへんの?」「マジかよ姐さん!?」 「う、うるさいわね」  まだのようだね。 「でも、アスナさん。このあいだ告白するって言ってから何日も経つのに」 「もう学祭もすぐですからマズイですよ、アスナさん」 「わかってる。わかってるけど、携帯持つとどうしても手が震えて、心臓バクバクして息もできなくなって、ダメなのぉーー」 「し、深刻だね、明日菜」  携帯を持った明日菜の手は確かに分かりやすい位震えており、指もまともに動かない様子だ。 「情けねぇなー、俺っちがナシつけてセッティングしてやろうか?」 「いい!! やめて!! 自分でするからもうちょっとだけ放っといて!! アンタが手出すとロクなことないし」  カモミールの言葉もキッパリ断るが、表情は勝算のない勝負に挑むように悲壮的だ。 「アハハハ、一大事やなーアスナ」 「クククッ、確かに姐さんにとっちゃ大変な学園祭になりそうだな」 「ううーーー」  木乃香とカモミールの言葉にとうとう明日菜が頭を抱えてしゃがみこんでしまった。木乃香、トドメ刺してどうする。まあ、下手な励ましより笑い飛ばしたほうがいいのだろうけど……  一方でネギ先生は実に暢気そうだ。 「でも、いよいよしあさってから学園祭かー。楽しみだなーー」 「ま、姐さんと違ってこっちにゃ何も用事はねーからな。ま、ゆっくり祭りを楽しませてもらおうぜ。な、兄貴」 「あはは、そうだねー」  刹那の頭から私の頭に乗り移ったカモミールが気楽な発言をして、ネギ先生も暢気に返す。ふむん、ネギ先生には予定なしか。ちょうどいいな。 「ネギ先生、暇でしたら弓道部の出している店に来てみませんか?」 「え? 志保さんのいる部活のですか?」 「はい、これなんですが」  制服のポケットから霧矢部長謹製の優待券を取り出し、ネギ先生に手渡す。 「えっと、食い逃げメイド喫茶——ですか……あの、メイド喫茶って……」 「ああ、安心して下さい。ウチのクラスでやったアレではないですよ。ちゃんとした喫茶店です。これはその優待券で、もって入ると料金が半額になるそうです」 「へぇー、じゃあ是非行かせてもらいますね」  どこぞのブラックカードを模した優待券をネギ先生に渡す。暇なときにでも気が向いたら来てくれればいいと思うのだけど、律儀な先生のことだ。この後予定が詰まってきても来てしまいそうだな。 「いいわね、あんた達気楽で。他人事だと思って……」  こっちの暢気さを恨みがましい視線で射抜く明日菜。いや、さすがに悪いとは思うんだけどね…… ——パッパー 「やあ、おはようネギ君」 「あっ! タカミチ」  クラクションとエンジン音と共に高畑先生が車に乗ってすぐそばに来ていた。にしても、遠坂に車を譲って新車を購入したと聞いたけど、新しい車もバイパーですか。それもオープンカータイプ。先生って意外と車道楽なのかね。 「丁度良かった。タカミチ、アスナさんが話が……ってアレ!?」  丁度いい時に高畑先生が来たと思って、ネギ先生が明日菜のことを話そうとするも、 「早ッ!?」「確かに速い、もう百メートル離れたよ」  すでに彼女は駆け出していた。今の明日菜は面と向かって高畑先生話せないようだ。しかし、速い。あ、もう校舎近くまで。 「ど、どうしたんだい?」  車から降りた高畑先生が戸惑った声を出すが、この状況で答えられる人はいなかった。 「ダメだなありゃ……」  頭の上で呟くカモミールの言葉だけが妙にこの場に残るだけだった。  南国の暑さと爽やかさを兼ね備える気温と湿度が保たれた師匠の別荘。ここのところ出し物の手伝いが忙しいため鍛錬はここにいるときに集中的に行うことにしている。  今日もクラスの出し物の準備が忙しかった。雪広さんは余りの忙しさに混乱するし、他のみんなも多かれ少なかれバタバタしていたっけ。一人落ち着いていたのが早乙女さん。夕映の言によれば毎月修羅場のため慣れっこなんだとか。  でも、密かに大変だったのはネギ先生じゃないかな? クラスのほぼ全員からそれぞれの出し物に誘われたみたいだし、体がいくつかなければ無理だろう。 朝の他人事から一転、夕方ごろ、寮ですれ違った先生の顔色はかなり悪かった。それでもみんなの出し物には全部行くつもりのようだ——何というかネギ先生を無理に休ませる方法はないものかな。  それで、現在の私はというとだ、 「この礼装の使い方はだけど、基本的にはベースになったものと変わらないんだ。ただ魔力をグリップ通してシリンダーに送り込んで、トリガーを引けばそれで弾が出るように出来ている」 「ふーん、威力は?」 「魔力を送る度合いにもよるけど、拳銃レベルから最大で大砲レベルかな」  遠坂に造った礼装の使用方法を説明している。  遠坂の使う魔術は彼女自身も言っているように戦闘向きではない。何しろ簡易の魔術礼装として使う宝石を魔弾として使用するのだ。やっていることは札束で敵をハタくようなもの。威力は確かにあるけど、家計にもダメージが返ってくるのだ。  このため聖杯戦争が終わった辺りからこれをなんとかしようという試みが繰り返されてきた。これによって生み出された遠坂の戦闘用魔術礼装は元の世界にいくつかあるのだが、今回は私が一からこれを作ってみることになったのだ。  着想はネギ先生の持っているアンティークマジックアイテムから。それは大型の拳銃の形状をした魔法銃。  余り融通が利かないということで廃れてしまった品のようだが、効率という点では見るものはある。そこで、龍宮に頼み彼女経由で手を加える銃器を入手。それに魔術的な改造をこれでもかと加えたのが今遠坂の手にある拳銃だ。 「この大きさで大砲レベルの威力なんてアンバランスね」 「その代わり、威力が上がる分連射は利かなくなるから気をつけて」  遠坂のしなやかな手にすっぽりと収まる大きさの拳銃。  S&W M36。通称チーフスペシャルともいわれる小型拳銃をベースに2インチの銃身を魔鋼製の物に代え、魔弾に耐えうるようにして、グリップは魔力の通しやすさ握りやすさを考えて胡桃材。そして最大の特徴はというと、この銃はカートリッジと呼ばれる実際の火薬で撃つ弾を使用しない点だ。 「シリンダーを出してみて」「えっと、こうね——へえ、中身は加工した宝石ね」  本来五発の弾丸を入れるべきシリンダーには形状と同時に魔術的な加工を施した五大宝石がそれぞれ詰め込まれている。この宝石は魔弾として直接撃つものではなく、あくまで変換機。グリップから流れ込んだ魔力を宝石の属性に合わせた弾に変え、トリガーを引くことでその変換された魔力のみが発射されるというもの。つまり、弾丸は遠坂でこの拳銃は銃身兼発射機構ということだ。  これなら宝石の浪費はなくなる。ただ、それでも使うたびに宝石の概念が擦り切れていくので交換は必要になるけど。 「遠坂の属性は五大属性だろ? だからそれに合わせた宝石を詰めた」 「ふんふん、やるじゃない。でも撃つたびにシリンダーが回ってしまって任意の属性が撃てないんじゃないかしら」 「あ、その心配はないから」  本来のチーフスペシャルみたいな所謂リボルバーはハンマーを起こしたり、トリガーを引いたりするとシリンダーが回り、次弾を用意するようになっている。でもこの場合だとシリンダーが回れば宝石が変わり、撃つべき魔弾の属性が変わってしまう。そこで、ハンマーとトリガー、シリンダーを連動させないよう内部のメカニズムにも手を加え、ハンマーを起こして戻したときだけシリンダーが回るようにした。トリガーはそれに関係なく引けるようになっている。 「ま、色々御託を並べたけど、後は実際に使ってみてからということで」 「ん、そうね」  そう言って、遠坂は銃を両手で保持してすっくと腕を持ち上げた。この手の銃器を扱うのは素人のはずなのに妙にさまになっている。場所は別荘の最下層。塔の下にある砂浜で、遠坂が標的にしているのはあらかじめ用意した木製のマンシルエットターゲットだ。 「言っておくけど、全力出して目標を吹き飛ばしたら照準確認の意味ないからな」 「分かっているわ、よっ!」 ——パァン  火薬を使用してもいないのに引き金を引くと何かが爆ぜる音が響き、ほぼ同時にターゲットの頭の部分が消し飛んだ。確か渡した状態で出せる魔弾は風属性のはず。だけどあんなに威力が出るものだったけ? それとも遠坂の強大な魔力出力を侮ったのかな? 「良いわね、コレ。気に入った!」  もう後はパンパンとガンドのように乱射しまくる遠坂。——知らなかったけど、遠坂ってトリガーハッピーな部分があったのかもしれない。普段高い宝石を魔弾として使うせいか抑えられているが、こんな機会でもあると普段抑えていたタガが外れて今のような状態になると。 「言っておくけど、この宝石も撃ちすぎると概念が擦り切れるから気をつけて」 「了解!」  そうはいっても、聞いているのかいないのか怪しい。  彼女の銃撃を受けてターゲットはどんどん穴だらけになっていき、しまいには火属性の魔弾で消し炭になってしまった。  アレ? ひょっとして私はとんでもない人物にとんでもない物を渡してしまったのではないだろうか?  そうは思っても口に出す気にはならなかった。ああ、これが惚れた弱みなのかもしれないな。 「衛宮さん、パスタだけどこれは何分茹でればいいの?」 「ペンネだよね? それは強火で五分だよ」 「衛宮大尉、オリーブオイルが予定より少ないであります!」 「分かった、後で業務用スーパーに行こう。後、大尉はもういいって」 「えっみー、私眠いよー」 「あっちに仮眠用ベッドがあるから……それとえっみーはやめて」  メイド喫茶が行われる弓道場。そこにキッチン道具一式が運び込まれ、板張りに床に絨毯、テーブルにはクロスが、天井にはランプが吊るされ、純和風の弓道場の内装は多少無理やりだけど西洋の装いに変わっていた。  学園祭を明日に控え、部活での出し物の準備も大詰めを迎えていた。  昨夜、クラスのおばけ屋敷の準備が間に合わないため、禁止されている泊まりこみが敢行され、今の私は徹夜明けだ。けど、やることはまだまだ山積み。弱音は吐けない。  私の今の服装は例によってトラディショナルなメイド服に三つ編み。霧矢さんの言葉では、前もって服に馴染んでおく必要があるのだそうだ。だから他の部員の服装も私同様にメイドかウェイターの格好。みんなすでに何度も袖を通した服装のためか最初のころの戸惑いはすでになくなっていた。これも霧矢さんの狙い通りなんだろう。  ——RRRRRRR  準備が一段落ついたところで、ポケットに入れた携帯電話が鳴る。  相手は、学園長? 何の用だろうか? 「はい、衛宮ですが」 『おお、衛宮君。学園祭の準備で忙しいところすまぬが、今出て来れるかの?』 「えっと……」  周囲をさりげなく見渡す。喫茶店の準備はほぼ完了したと言って良い。考えたレシピは調理担当に渡したし、メイドとしての所作は教え終わったし、後は私も一人の店員として働くばかりだ。 「大丈夫です。用件はなんでしょうか?」 『詳しい話は世界樹前広場にて話そう。できれば今すぐ来て欲しい』 「はい、分かりました」  通話を切ると後の行動は早い。部長に話を通して弓道場を後にする。  学園祭前日とあって道を行く人々の風景は奇異そのもの。アジアンテイストなものや、騎士甲冑、本当に人が入っているのか疑わしいほどの怪しい着ぐるみ。黒いフードを被った割烹着や、法衣を着た人など何でもアリのごった煮状態だ。こんな風景にメイドが一人増えたところで問題ないだろう。  この世界でもあり得ないほどの大きさを誇る巨大な世界樹を目印に、広場を目指す。奇妙なことにその方向に歩を進めるたびに人の密度が薄くなり、世界樹前広場が見える頃になると人影一つ見当たらなくなった。  どうも結界ではなく、空間に作用する魔法。京都であの呪術師が見せた人払い系統の魔法なんだろう。つまり呼ばれた用件は魔法関係の事か。  気を引き締めなおして広場の大階段。その先にいる魔法使い達を見据え、階段に足をかけた。 「よう来たの。衛宮君」 「あ、はい。急ぎましたから」  大階段の踊り場にいる十七人。その全てが魔法関係者。おそらく学園都市に散らばる各学校の先生や生徒として在籍している人たちだろう。高畑先生や高音さんや愛衣ちゃん、小太郎もいる。ん? あの脇でコソコソしているシスター、同じクラスの美空さんでは? あ、遠坂とセイバーはもう来ているのか。私の格好を見て呆れている。 「ほほう、それでその格好なのかのぉ?」 「これについては突っ込まないでいただけるとありがたいのですが」 「ふぉふぉふぉ。ま、いいじゃろ。後からネギ君と刹那君も来る予定じゃ。それまで待ってくれんかね」 「分かりました」  学園長に言葉を返して、遠坂とセイバーのいる場所に向かう。途中、魔法先生から挨拶をされ、こっちも返事を返しつつ二人のいる場所に落ち着く。 「……志保、その格好は何?」  遠坂からの開口一番はこれだった。 「これか。これは弓道部の出し物がメイド喫茶だからとしか言えない。さっき学園長から連絡を貰って着替えずに来たから」 「着替える暇はなかったのですか?」  と、これはセイバー。 「うん、学園長が今すぐ来て欲しいというから余り時間をかけるのもなんだろうと思ったしね」  このメイド服。構造自体はシンプルだが、あちこち細かな装飾があるものだから着替えに時間がかかる。先方を待たせるのも良くないためにこうして着替えずに来たのだけど、やっぱりマズイかな? 「「……まあ、いいんだけど(ですけど)ね」」  キレイに二人が口を揃えて諦めの言葉らしきものを口走ったときに、待っていたネギ先生と刹那は来た。  ネギ先生は学園にこんなにも魔法関係者がいることに驚いていたが、私の所感では少ないほうだろうと思う。全員ではないとは学園長の言葉だから、総勢はこの二倍以上を考えたほうがいいかな? 「今日わざわざ皆に集まってもらったのは他でもない。問題が起きておる。解決のため諸君の力を貸してもらいたい」  ネギ先生も来て、この場で集まる全員が揃ったのか、学園長は話を切り出した。 「敵か!?」「ま、また何か大変なことが!?」 「いや、修学旅行のような深刻なことはないぞい」  問題と聞いて、小太郎とネギ先生が勢い込んで学園長に詰め寄るが、事はそう火急のものではないみたいで、学園長も二人をやんわりと抑える。 「まあ、別の意味で深刻じゃがな。『世界樹伝説』を知っとるかの?」  話し始めに学園長が持って来たのは生徒の間に広まる噂からだ。 「あーー、俺のクラスのガキの間でも有名やで。くだらんわ、学園祭最終日に世界樹にお願いすると願い叶うんやってなー、七夕かっつーの」 「あれ? 恋人になれるんじゃないの?」  小太郎が心底馬鹿にしたような声を出す。けど、この手の話は確かによく耳にする。A組でも明石さんや、柿崎さんなどが話題の中心になってその手の話に疎い私でも結構耳にする話だ。 「まあ、大体そんなとこじゃな。それがのーー……事実なんじゃ」 「へ?」  学園長の言葉に動きが止まるネギ先生達。いや、私も止まる。 「マジで願いが叶ってしまうんじゃよ。22年に一度じゃがな」  横目でセイバーや遠坂を見れば、驚きつつもどこか納得している感じがうかがえる。遠坂はさらになにか考え込む例のポーズをしてブツブツしている。 「そこでじゃ、諸君達には学園祭期間中、特に最終日の日没以降。生徒による世界樹伝説の実行、つまり告白行為を阻止してもらいたい」  学園長は魔法関係者全員に向けて任務を告げた。これも仕事、か。 「えーーーっ叶ってしまうんじゃって……」 「よ、よくある迷信ではなかったのですか?」  ネギ先生はようやく理解したのか驚きを前面に出して、刹那でさえ驚きを隠せないでいる。ここに学園長は「ふぉふぉふぉ」とあの人を食ったような笑いをあげ、ネギ先生に分かるように説明を続ける。  この樹高270メートル。こちらの世界でも明らかに異常といえるのに誰にも騒がれないこの樹は説明では正式名称『神木・蟠桃』といい、強大な魔力を内包する所謂『魔法の樹』だ。22年に一度の周期でその魔力は極大に達し、外へ溢れ出て、樹を中心に六箇所の魔力溜まりを形成する。そして、この魔力が人心に作用する。即物的な願いは叶わないが、こと告白に関する限りその成就率120%(学園長内部比)だとか。 「ホントは来年のハズだったんじゃが、異常気象の影響か一年早まってしまった。そこで今回の緊急召集となった訳だ」  なるほど……人心を永久に縛るのは一種呪い。それを阻止するのも重要な魔法使いの仕事なのか。  そのことでネギ先生が妙に打ちひしがれた表情をしているが、何かあったのか? 小さく「僕犯罪者、僕犯罪者」なんて聞こえるのだけど。  学園長の話は続く。 「すでにこの噂は生徒の間にかなり広まっとる」 「ハイ。『学園七不思議研究会』『学園史編纂室』の研究や、『オカルト研究会』『世界樹をこよなく愛する会』の世界樹発光現象の観測により、かなり真実に近付かれています——」  学園長の話を引き継いで、皆に報告をするように女性教員——確か遠坂のから葛葉刀子さんと聞いた覚えがある——が手元の書類を読み上げる。  問題の件は生徒の噂に疎い私でも耳に入るところからかなりの流布がされていると思っていたが、実際に数字で聞くと結構深刻だ。  浸透率でいえば、男子で34%、女子で79%。この流布には学園新聞『麻帆良スポーツ』やネットでの書き込みも一役買っている。本気で信じる人は少ないだろうが、占い好きな女の子などは実行したがるだろう。げに恐るべきは情報化社会か。ささいな噂があっという間に全体に広まってしまう。 「マジでマズイのは学祭最終日じゃが、今の段階からそれなりに影響は出始める。生徒には悪いが、この六ヶ所で告白が起きないよう見張って欲しい」  学園長がここで話に一区切りつけた。  話の内容が頭に染み込むにつれ、事態の深刻さが理解できてきた。呪いとも言える行為が何も知らない一般生徒によって実行されかねないのだ。それを阻止する重要性は高い。  む? 何か……が覗いている?   やたらと無機質なものと感じ覚えのあるものの二つ。その方向に目を見やる前に、 「誰かに見られてます」「何?」  愛衣ちゃんが感付いて、声をあげた。  動いたのはサングラスにダークスーツの男性教諭。教員というより、どこかの秘密警察めいた雰囲気のその男性は口にタバコをくわえたまま、スイッと片手を上げた。  ——パチン  きっかけは指を弾くフィンガースナップ。繰り出されたのは真空の魔法(刃) 「おお!?」  ネギ先生は彼の魔法に感嘆の声を上げた。無詠唱であれだけの威力を乗せた風の魔法だ。相当な実力者と伺える。 「あんなのがこの学園にはゴロゴロいるのね。魔窟じみているわこの学園」 「でも遠坂だって負けてないと思うぞ。似たことならガンドで出来るだろ?」 「まあね。でも、狙いの正確さは敵わないと思う」  狙い? 真空の刃が向かう先を見やると、 あ、相坂!?  こちらの様子を伺って空中を浮遊している幽霊・相坂に向かってその刃が向かっていた。 「ひゃああ!?…………へ……?」  刃は彼女のすぐ横を通り抜け、そこにいた機械を両断した。  感じた視線の無機質なのがあのカメラで、感じ覚えのあるほうが相坂、そういうことか。 「魔法の力は感じなかった……機械だな」 「生徒か……やるなー人払いの魔法を抜いてくるとは」 「ウチの生徒達はあなどれないですからねー」  教員達が感心半分で両断された機械の方向を見やっている。どうも相坂の存在は彼らには感じられなったみたいだ。  その彼女だが、半泣き、いや完全に涙目で逃げていくのが見える。後で声をかけてやろうか。いきなり魔法の刃を向けられたんだ。相当な恐怖だったろう。 「追います」 「深追いはせんでいいよ。こんなことができる生徒は限られとる」  高音さんと愛衣ちゃん、それに確かガンドルフィーニという名前の黒人教師がその場から離れる。いまだある気配を追いかけるようだ。 でも、機械の気配を感じ取るとはこっちの魔法使いは本当に実戦派だな。しかも『魔術師』と違って電子機器の使用にまったく抵抗を感じないし、魔法はあくまで手段の一つとしているその在り方は『魔術使い』そのものだ。  高音さん達が場を去ってすぐ、学園長から見回りのためのシフトが告げられる。私は刹那と一緒で、遠坂とセイバーはあの葛葉教諭と一緒。分かれたか……一緒じゃないと寂しいというような歳では当然ないけど、残念ではある。 「さて……たかが告白と思うなかれ! コトは生徒達の青春に関わる大問題じゃ。但し、魔法の使用にあたってはくれぐれも慎重に! よろしく頼むぞ!! まずは今言ったシフトでパトロールに当たってくれ。以上解散!!」 「ハイ」「了解」  学園長が話を威厳十分の貫禄で締めて、緊急召集は終わった。すぐさま魔法先生がそれぞれの仕事に戻っていく。遠坂とセイバーも—— 「いくのか?」 「ええ。ごめん志保、最近忙しくしていて。でもこっちでもやらなくてはいけないことがあるから」 「ん、分かった」  遠坂は私だけではなく、他の魔法関係者にも隠れて何かをしているみたいだ。でも、その表情は決意で固められている。これは遠坂が私を必要とする時まで首は突っ込めないだろう。 「で、セイバーは……」 「そ、その……私は凛のように深刻なものではなく、こちらに出来た友人のために発生した用事でして……サーヴァントである私が私用で主の下を離れるのは大変心苦しいのですが……」 「いいって、友達は大切。遠坂もセイバーの助けなくても大丈夫?」 「ええ、当分は下調べだから。セイバーも志保も学園祭を楽しみなさい」  そう言われたセイバーは複雑な表情をしつつも、提案に乗ることにしたようだ。 「じゃ、私は行くから」「途中までですが供をしましょう。ではシホ」 「ああ、二人とも気をつけて」  大階段を降りて去っていく二人。それと入れ違いに広場に次々と人がやって来る。召集が終わったため人払いの魔法を解除したみたいだ。そうなると元々人通りの多いこの広場のこと、三分もしない内に人の通りが出来てしまった。  後に残る魔法関係者はネギ先生に刹那と小太郎、学園長と私ぐらいになった。 「ネギ君」 「ハ、ハイ」  急激な変化を見せた広場の光景を見ていたネギ先生に学園長が声をかける。 「ネギ君も生徒に告白されたりせんようにな。まあ、ネギ君のことだから大丈夫とは思うがの」 「はうっ……」  大丈夫……ではないんですよ学園長。告白しそうな生徒はA組の面子ですぐに数人の名前が挙げられるほどだ。それだけネギ先生が生徒から愛されている証拠だけど、この場合はマイナスに働きかねない。 「ん? 何か心当たりでもあるのかの?」 「いやーー、まさか、ハハハハハ」 「(ありまくり、だよなカモミール君)」「(……だな)」  学園長の言葉にごまかし笑いをするネギ先生を見て、一抹の不安を感じる学園祭を向かえそうだ。 「でも驚いたなーー、世界樹伝説がホントだったのもだけど、あんなに魔法先生がいたなんて」  広場から大通りの路上市場に私達は来ていた。まるっきり欧州の路上市場みたいな風景だが、行きかう人々の人種のほとんどはアジア系。それだけでもこの麻帆良がいかに特異なところか良く分かる。  会合が終わったため、弓道部に戻り手伝いの続きをしなくてはいけないのだが、少し祭りの雰囲気を見ておきたい事もあって私は三人と一緒に行動していた。 「けど、あいつら戦ったらほとんど大したことない奴らやで。やっぱ西洋魔術師はアカンなー」 「もう、コタロー君はすぐそっちに話持っていくんだから」  小太郎が市場で買ったリンゴを齧りながら、やれやれと魔法先生の戦闘能力評価をして、ネギ先生はそれに呆れている。  確かに直接戦闘能力という点では小太郎より劣る人があの中では多いようだが、それだけではないのが彼らだろう。でなければ程度の差こそあれ厳しい魔法使いの裏社会では生き残れないはずだ。 「でもよ、兄貴。魔法先生の仕事入ってスケジュールが超ヤベェんじゃねえか」 「うっ……そ、そうなんだよね。ただでさえキツキツだったのに……」  カモミールの発言に、ネギ先生がの表情が一気に陰性のものに変化した。それはもうどんよりしたものに。  肩にかけたバッグから出席簿を取り出し、中身を見るたびに途方にくれた表情を浮かべる。 「こ、これってもうどう考えても無理だよー」 「うーん、こりゃマジでお手上げかもな」  そんなにマズイ状態なのか?  「うげっ」 「確かに、これは大変ですねー」 「これはまた、賑やかだね」  ネギ先生が出席簿の中のスケジュール表を見せてくれ、三人で見てみた感想がこれだ。魔法でスケジュールが絵柄で表されてるのだが、全ての日程に生徒の顔を模した絵柄がうじゃうじゃと描きこまれていた。  これ、全部行くのは無理だろ。断言できてしまう。 「先生、どこか削らないと無理があるよ」 「うーん、分かっているんですけど先生として生徒の出し物には顔を出しておきたいんです」 「その心がけは立派だけど、今は物理的に無理でしょ。これを解決するにはスケジュールの絞込みか、それこそ『魔法』が必要だと思うんだけど」 「はうー」  頭を抱えてしまうネギ先生。気持ちは分からなくもない。……よし。 「じゃあ、まずは私のところはキャンセルしても結構です。後はそれぞれみんなに直接会って断りを入れていきましょうか。手伝います」 「え、でも志保さん……そんな」  ネギ先生が何か言おうとする。けど、彼に向かって何か——人が落ちてくる! 「ネギ先生!」「えっ! わあ!?」  ネギ先生に近付き、庇う。  ——ドガッ  その人物は市場の売り場に突っ込み、売り物のレモンを巻き込んで大転倒をかました。着弾地点はネギ先生のすぐそばだった。人物には悪いが、ネギ先生とぶつからなくて良かった。 「だ、大丈夫ですか? あれ!? あなたは……」 「超さん?」  売り場に突っ込んだ人物をネギ先生と一緒に見やるが、その人物は超オーナーだった。息を切らせ、必死な様子からして尋常ではない状況。 「ネ、ネギ坊主。丁度良かった、助けてくれないか。私、怪しい奴等に追われてるネ」  怪しい奴?  思考している間はさしてなかった。 「ネギ先生、こちらに近付いてくる気配が多数。囲まれています」 「ええ!?」  刹那の言葉にネギ先生は戸惑っている。気配の先、そこには謝肉祭とかに出てきそうな仮面中心の仮装をした人型が複数。こちらを囲んでいる。 「この場の離脱を勧めるけど、ネギ先生?」 「そうですね、刹那さんは超さんをお願いします」 「分かりました」  私が声をかけると、ネギ先生の表情は一気に引き締まった。刹那が超さんを抱える。横では小太郎がどこか嬉しそうにしている。闘争の場の空気がよほど好みみたいだ彼は。 「一先ず、場所を変えましょう。超さん、しっかり捕まっていて下さい——ハッ!」  言うが早いが、刹那が気で体を強化して大跳躍。超さんを抱えたまま街灯を蹴り、建物の外壁を蹴り、屋根の高さまで登っていく。 「僕たちも行きましょう!」「おっしゃ!」  後に続いて、ネギ先生、小太郎、私が刹那の後ろを固めるように跳躍。その速さは一般人の認識外のため、見咎められることはない。  状況は唐突で、一切が不明なのだが一般人を巻き込まないことを考慮して場所を変えなくてはいけないことは絶対だ。  こちらが跳躍したのに合わせ、人型達も跳躍。追いかけてきた。黒いマントをコウモリの羽のように翻して跳んでくる様はいかにも怪人といった風情だ。  ——でも、アレ? あの人型見覚えがあるのだけど……  両手に干将・莫耶を投影しつつ、屋根を蹴り、再度の跳躍。状況は明らかな戦闘。でも思考はあの人型は味方だと訴える。 「オイオイオイ、何やアレ!? やってえーんか!?」  追いかけてくる相手の姿に小太郎は戸惑った声をだすが、手にはしっかり苦無を持っている。 「超さん、これは一体!?」  ネギ先生が前を走る刹那に抱えられている超さんに声をかける。で、彼女から返ってきた答えはというと、 「実は私、悪い魔法使いに追われてるネ。ネギ先生に助けて欲しいヨ」 「えっ!? わ、悪い魔法使い!?」  と、かなりワザとらしい泣き真似を入れたものだった。どこまで本当のことだか分かったものではないが、追われているのは事実。まずはあの影を何とかしないといけないか。  屋根に一度着地。すぐに刹那が次の跳躍に入るが、その先。 「刹那! 前!」 「む」  跳躍する先の屋根から滲み出るように人型が三体。発生してすぐに飛び掛り彼女、正確には刹那の抱える超さんに手を伸ばす。  刹那の行動は曲芸じみたものだった。抱えた姿勢から超さんを空中に出し、手だけ繋いでいる状態に。すぐに夕凪に手をかけ、竹刀袋にいれたまま棒術の要領で人型の伸ばしてくる手を捌いてしまった。  これらをすべて空中でこなし、屋根に着地。被害は超さんが着ていたコートのみ。 「大丈夫ですか超さん」「アイ! サンキュネ、せつなさん」  超さんの運動能力も標準を大いに上まっているのか、危なげなく着地した。すぐにその場所に追いついてネギ先生、小太郎、私の順で着地。  これら人型は影を媒体にした魔法のようだ。でも、そうなるとますます覚えがあるんだよな。こんな魔法を好んで使う魔法使いなんて私の知る限りでは一人しかいない……でもなんで? 「!」  深い思考は許されるものではなかった。私達に向けて影が一斉に襲い掛かってきた。 「迎え撃ちます!!」 「こいつら俺の狗神みたいなモンや! 殺ってええやろ?」  刹那が竹刀袋から夕凪を出し、小太郎が戦闘態勢を取る。さっきから彼の頭から出ている耳(犬っぽい)からして純粋な人とは違うようだ。  私も双剣を構え、相手を見据える。数は十五。こちらの三倍以上の数だ。 「ううっ、事情は分からないけど仕方ない。倒すよ」 「よっしゃ」  ネギ先生の言葉で戦闘は開始された。  降るように襲い掛かる影。これを小太郎は気を込めたパンチで吹き飛ばし、回し蹴りでなぎ払う。刹那も夕凪を巧みに操り、相手の伸ばす腕より長いリーチを生かして次々と凪ぎ切る。  その間にネギ先生は魔法の詠唱にかかり、当然その隙を狙ってくる影に対し、私が壁となる。 「ラ・ステル・マ・スキル————」  後ろで小さな杖を片手に詠唱に入っている先生の言葉を聞きつつ。先生に手を伸ばす影を切り払い、捌いていく。小太郎と刹那のが大半を削ったお陰でこちらに回ってくる数は少ない。 「兄貴! あまり派手なのはマズイぜ」 「大丈夫!」  ネギ先生の周囲に光球が十七個生まれ、呪が成ったことを意味した。  ——魔法の射手 連弾・光の17矢!!  空気を叩く衝撃音とともに魔法の矢が撃たれた。それら光の矢は態勢を整えようと集まる影の集団に殺到。殲滅。その音は白昼の空に響きわたる。 「ふー」  ネギ先生は脱力するように息を吐く。けど、その後ろ。 「ネギ先生!!」「刹那さん、うしろ!」  私と同時に気付く刹那の声。でも彼女の後ろにも影が立ち現れる。ならば! 「二人とも伏せろ!」  二体の影を同時に捕捉できる位置にいるのは私だけ。両手の剣をそれぞれの方向に腕を広げるように投擲。すでに捕捉はされていた。問題は二人の反射神経だけど、 「見込んだ通り、やるやないか」  心配はなかったみたいだ。影を切り裂いた双剣はその特性でお互いが引かれ、同じ位置に回帰し、再び私の手に戻った。 空には祭りの始まりを告げる花火が打ち上がって、青空に白煙を出していた。 「ふーーー、助かったヨ。ありがとネ」  建物と建物の隙間の路地。当座の落ち着き先である場所につくと超さんが大きく息を吐いた。まだ油断のできない状態だけど、超さんから事情を聞く位はできそうだ。 「まだ安心はできません。あの影法師を操っていた本体が近くにいるハズです」  戦闘状態で表情の引き締まった刹那がみんなに告げるが、その前に、 「刹那、聞くけどあの影法師に見覚えなかった?」 「えっと……言われてみると……ですがそうなると…」 「だよね……」  刹那も思い至ったのか私と同じ結論に達したみたいだ。一層表情が厳しくなる。  そうなるとあの会合の時、追っ手がかけられたのは目の前の超さんと言う事になるのだけど、その本人といえば、 「みんな強いネー、私驚いたヨ。この時代に機械のサポートもなしにこれだけの戦闘力を個人で発揮できる人間がこんなたくさん残っていたとはネ」  何やら気になる単語を混ぜてこちらを賞賛している。 「花火に紛れて魔法を放つ手際も見事! さすがネギ先生」 「い、いえ僕なんかまだまだで……」  超さんの言葉にネギ先生は照れながらもまんざらではない表情だ。確かに見事な手際のネギ先生。やっぱり鍛錬の時より本番に強い。その辺り、天才たる所以といったところか。 「超さん、魔法使いのコトは御存知なんですね」 「まあ、ハカセと同じくらいにはネ」  ネギ先生は超さんが魔法関係者だということは初耳だったみたいだ。でも、葉加瀬レベルでミスリル銀なんていうものが手元に持ってこれるだろうか? 「でも、一体誰に追われていたんですか? 学園内で悪い魔法使いなんて……」 「アハハハ、いやーー……」  で、肝心のネギ先生の質問。これに超さんは笑ってごまかしている。追いかけてきているほぼ確定。でもそうなると色々厄介だ。  しかも、 「む、待ってください。どうやらこっちの居場所に気付いたようです」 「近付いてくるな、数は3」  状況は停滞を許さないみたいだ。 「あやー、マズイネ。今度また捕まったらさすがに記憶消されてしまうかもしれない」 「えっ……!? どういうことですか」  超さんの台詞を聞きとがめたネギ先生が驚きの声を上げる。それだけ常習犯かこのオーナーは? 詳しく話を聞きたいが、周りの状況はすでに次の段階に移行していた。 「ここはもう囲まれているで。距離、右から50・80・70、一人は屋根の上や。どうする?」  小太郎の目算は正確だ。魔力を帯びた気配がこちらを巧みに囲ってその包囲の網を狭めてきている。連携がとれ、この事実だけでも戦闘慣れしていることが分かる。  相手の目算はついている。戦闘は致し方ないが、殺傷は論外だ。 「先手必勝。こっちから出向いて雑踏のなかで決めます。刹那さんは上を」  ネギ先生の作戦は上策だ。仕掛けようとする相手の出鼻をくじき、まさか衆人環視の中に出てくるかという油断もつける奇襲。今は学園祭前夜のため、起こったことは何らかのアトラクションで片付けることが出来る。 「私からも一つ。相手を傷つけてはダメ。多分、相手は私たちが知っている人達だから……」  刹那と小太郎を見やる。小太郎は実に不満そうで、刹那はコクリと一つ頷いただけで肯定を表した。次に超さんを見やる。私が今の状況の理由を勘付いたことに気付いたのだろう、ポリポリと頬をかいてすまなさそうに笑顔を作っている。ふう、やれやれだ。 「応援を呼ばれたら厄介だぜ」  カモミールがネギ先生の肩の上で呪文詠唱。小さな魔法陣が浮かび上がる。  ——オコジョ魔法 念波妨害!! 「こいつで念話が妨害できたはずだ!」  へえ、これなら応援は勿論、相手の三者の連携も出来ないだろう。ここ最近のカモミールは実に役立つネギ先生の使い魔役をこなしている。認識を改める必要があるな。 「今だぜ! GO!!」  カモミールの号砲で第二ラウンドが始まった。  刹那が壁面を蹴り、上へ。小太郎は人波を縫ってこちらとは別の目標へ。私とネギ先生は影と一緒にいる方向へ。それぞれ一般人に察するのが難しい速度で駆けていく。 「相手の影は私に任せて、ネギ先生は術者を」 「分かりました! ——戦いの歌[カントウス・ベラークス]」 「投影開始[トレース・オン]」  ネギ先生が跳躍し、上から相手に飛び掛る。私は手に武器を投影。選択したものは例の傘型刺突剣[エストック]。人の目があるのだ、いくらアトラクションに見られると言っても念を入れておくに越したことはない。 「何?」  相手が上を跳躍するネギ先生に気取られた。その隙に瞬動——使い魔である影との間合いを地這うように下から一気に詰める。 「っ!!」  こちらの存在を相手、聖ウルスラの制服を着た女子生徒は気付くが遅い。彼女の後ろに控える二体の影の使い魔に対し、エストックを繰り出した。 擬似的な肉を貫通する手応え。一体を貫通し、二体目も貫通。速度が乗った一撃は反応も許さない必殺の刺突となった。 「このっ!」  こちらに杖を向けようとする術者。けどそれも、 ——風花・武装解除!!  跳躍したネギ先生からの魔法により武器となる杖と学帽が吹き飛ばされた。  影が消滅するのを確認して、剣先を収める。着地してさらに魔法を繰り出そうとするネギ先生と、新たに杖を出して対抗しようとする『高音さん』。 「ネギ先生、ストップ。高音さんもだ」  その間に傘を突き出し、止める。 「!」「え?」「あれ?」  お互い向き合う相手が確認できて、自分が誰と相対しているか理解でき、動きが止まった。 「だから言ったでしょ? 私達が知っている相手と……」  見渡すと愛衣ちゃんを投げ飛ばして驚いている小太郎。屋根の上では銃と刀を向け合いながらも驚いている刹那とガンドルフィーニ先生。 「「「あれ……?」」」  図らずも言葉が一致した。 「一体どーゆーことなんですか!?」  辺り一帯にネギ先生の声が響く。それだけ今の状況は彼には理解不能なんだろう。何しろ自分の生徒を追いかけているのが自分と同じ魔法使いなのだから。 「事情を聞きたいのはこちらだよネギ先生。なぜ君が問題児、要注意生徒の超鈴音をかばっているんだ?」 「え……問題児……」  ガンドルフィーニ先生の言葉に一瞬言葉をなくしたネギ先生が超さんを見やるが、当の超さん本人は「ハハハ」と笑って手をヒラヒラ振っている。 「なぜって、僕は超さんの担任ですから。生徒が襲われていたら先生が助けるのは当たり前です」 「何!? 超鈴音の担任? 君が?」  取り合えずガンドルフィーニ先生の言葉に答えるネギ先生だが、今度は向こうが驚かされている。なんだろうねこの連絡の行き届いていない状態は? 学園長の策謀の臭いがするのは被害者妄想だろうか? 「なるほど、そういうことか……いや、しかしどこぞのゴロツキの魔法使いが学園内に侵入したかと肝を冷やしたぞ」  ふうと息を一つついたのも束の間、すぐにネギ先生にズイと詰め寄る。 「と言うことは、超鈴音については何も聞いていないんだね?」 「は、はあ……何をですか?」  ネギ先生の言葉にガンドルフィーニ先生はふむ、と一つ言ったきり、次には 「では、ここは私達に任せてもらおう。来なさい超鈴音」  超さんの両脇にいた高音さんの影が彼女の腕を掴み、連行して行く。む、色々あったが彼女に恩はある。無理に連れて行こうとするのはね。  意識下の回路に剣の設計図を次々と装填しつつ、口を開こうと—— 「ネ、ネギ坊主ー」 「ちょ、ちょっと超さんに何をするんですか?」  その前にネギ先生が動いた。  返答は高音さん。 「まだわかりませんが……魔法使いに関する記憶を消去させてもらうことになると思います」  記憶消去か。殺害でないだけ『魔術師』よりも穏当だけど、乱暴なことには変わりない。 「で、でもそんな突然……」 「突然ではない。超君には再三に渡って警告してある」  それだけ超オーナーは常習犯か。次にガンドルフィーニ先生が語るには現代社会と魔法使いがへいわ裡に共存するには自身の存在を秘匿することにあると言及する。  ネギ先生も思い当たるのか口を閉ざす。  超さんはある事情から多少のリークは許されている立場だが、今回のように秘密の会合を科学技術を使用しての覗き見は彼らの許容範囲外のようだ。  彼女が警告を無視したのはこれで三度目。相応の罰が下されるのは当然とガンドルフィーニ先生が断ずる。  これでネギ先生は言葉に完全に詰まった。横では小太郎がいかにも下らない物を見たという表情をして、刹那は仕方ないという表情だ。——さて、遠坂に迷惑かけちゃうかな……? 「で、でも嫌がっている人の記憶を消すなんて良くないんじゃないですか? 魔法使いとして」  でも、ネギ先生はまだ食い下がってくれている。 「超君は危険人物だよ、当然じゃないか。あの凶悪犯、エヴァンジェリンにも力を貸しているんだ。油断はできない」  途中、私にもチラリと視線をやるガンドルフィーニ先生。どうも私と師匠の関係は知っていると見るべきかな。でも、師匠の過去の罪状を知る者、つまり普通の魔法使いの認識はコレだろう。違うのは私、遠坂、セイバーを除けば学園長に高畑先生、それとネギ先生ぐらいか。  この言葉にカチンと来たネギ先生が語気を強くする。自分の師匠が貶されているのだ当然だ。 「な……エヴァンジェリンさんはそんな悪い人じゃ……「ネギ先生」」  ここでさらに高音さんが言葉を継ぐ。 「あなたはクラスの生徒の何人かに魔法がバレているという噂がありますが大丈夫なのですか?」 「えっ……」  明らかな脅迫。でも、コレを言われるとネギ先生は弱い。すでに明日菜を初め、結構な数の生徒に魔法がばれている。噂と高音さんは言っているが、彼女自身は確たる情報を得ているだろう。 「う……」 「さ、いいね? 超君は渡してもらおう」  言葉を再び詰まらせたネギ先生にガンドルフィーニは声をかける。潮時か、と思ったがそれでもネギ先生が言葉を放つ。 「……いえ、3−Aの生徒に勝手に手を出さないでください」  声は次には力強いものになり、ネギ先生の意思をぶつけるものになった。 「僕の生徒を勝手に凶悪犯だとか危険人物とか決めつけないでください!! 超さんは僕の生徒です僕に全て任せてください!!」  その言葉は一種晴れやかな魅力となって聞く人に感慨をもたらすものだった。  言葉を正面で受けたガンドルフィーニ先生はふっと、何かに気付かされたように目を見開き、超さんも似たような反応だ。 「……ふむ」  顎に手をやった彼は、一つ頷くと、 「……わかった、今日の所は君を信頼しようネギ君」  彼は彼なりに思うところがあるのか超さんを解放した。  これは、私のしようとすることは無粋だな。  ——仮定終了 是無也[オールカット・クリアゼロ]  装填した設計図全てを棄却した。 「では、後は任せたよネギ君」  小さく口元だけの笑みを残してガンドルフィーニ先生は高音さんと愛衣ちゃんを連れてその場を歩み去っていった。 「ふぅ……」  三人が角を曲がって見えなくなってから気を張っていたネギ先生が小さく息を吐いた。どうやら、今度こそ事は終わったみたいだ。大事にならなくて何よりだ。 「何でえ、あいつ教師なんてどこ行ってもエラそーなんばっか」  つまらない顔していた理由はそれか小太郎。 「まぁ、あちらも仕事ですから」  そんな小太郎の様子に刹那が苦笑する。で、肝心の超さんだけど、 「いやー、ホントに助かったヨ。ネギ坊主は私の命の恩人ネ」 「いえ、そんな大ゲサですよ」  ネギ先生の手を取っていっそ大袈裟なほどに感謝の言葉を出している。『魔術師』に比べればここの魔法使いは温和な方と認識していたけど、その人達から危険視されるとは一体に何をやったのだかこのオーナーは。 「でも超さん、危険人物って言われちゃうなんて一体今まで何をしてたんですか?」 「フフフ、それはヒミツネ」 「あ、ダメですよ。僕責任あるんですから」  妙に漫才めいた遣り取りがネギ先生と超さんの間で展開されている。気のせいかどこか息があっている。 「それより、ネギ坊主。何か今困ってることはないか?」 「え?」  あからさまな話題転換だけど、ネギ先生は乗っている。 「恩に報いるためにネギ坊主の悩みを一つ解決してあげるヨ。この超鈴音の科学の力でネ」  そう言って微笑む彼女は小悪魔めいた天使か、天使のような小悪魔、そのどちらかをすぐに思い浮かばせるものだった。  それはとても無邪気で悪意は全くなく、それでいてどこか非情さを感じさせたのは私だけだったろうか? 「それで、これもらったの?」 「はい……スケジュールが忙しくて大変だって言ったら……」  あれから弓道部の手伝いを無事に終了させ、メイド服から制服に着替えて、前夜祭に出るべく明日菜達と行動している。すでに夜の帳は降り、それでも人の波は一向に収まらない。むしろ狂騒的な祭りを前に今か今かと待ち望む声が高まるばかりだ。  そのなかで、ネギ先生は明日菜に昼間の出来事を語って、超さんから貰った代物を見せている。  それは形状だけをいうなら手に納まる大きさの懐中時計。シックな金色のボディに天文時計を思わせる文字盤。昔、プラハに行ったときに見た旧市庁舎の天文時計みたいな天動説を取り入れた神秘的な文字盤だ。しかも、一度手にとらせてもらったが、解析しきれない部分が多々あった。科学技術の産物だけではない何かがこれにはあるのだけど…… 「で、何の役に立つのこれ。超さんの発明は怪しいからなーー」 「さあ……後で説明してくれるってことでしたけど」 「科学ってより、マジックアイテムみてーだな」  説明するべき超さんはこれを渡して早々にどこかに行ってしまったのだ。危険物ではなさそうだけど、何とも言えない胡散臭さは確かにある。そういう意味ではカモミールがいうマジックアイテムと通じるものが確かにあるな。 「あ、いたいた。ネギくーん」  呼びかけの声にネギ先生と同じ方向を見る。 「こっちこっちー、早くしないと前夜祭、始まっちゃうよー」  クラスのみんなが前夜祭の会場に向かっている。呼びかけたのは当然佐々木さん。隣では雪広さんも「どうぞ御一緒に」と誘っている。 「あ、はーーい」  すぐに返事を返して彼女たちの中に向かっていくネギ先生。 「あっ……みんな見て見てーっ」  和泉さんが上を見上げて声を上げる。視線の先には世界樹。その世界樹が、 「世界樹光り始めとる」「ホントだ! キレー」「スゴーイ、いつもは最終日にならないと光らないのにね」「22年に一度って、ありゃホントかもねー」「うーーん、なんか盛り上がってきたよーー」  樹全体が眼に見えるほどの光を纏って闇に浮かび上がっている。でも電気の光のように暴力的ではなく、しっとりとした、でもしっかりとした明かり。これは純粋な魔力の光。漏れ出た樹の生命力の光だ。  その神性の高い光を見つめるみんなが口々に感嘆の声を上げて、祭りの機運がますます盛り上がる。 「いよいよ麻帆良祭の始まりだーーー」 「いえーーー」  声と同時に打ち上がる夜の花火が祭の始まりを華やかに彩る。  熱狂的な三日間が始まる。  夜空を彩る花火の影となるように空に一隻の飛行船。麻帆良祭実行委員会名義の飛行船だが、実際は超の所有物だ。  その飛行船の上部。まともな人間なら立っていられない足場に三人はいた。 「ネギ先生達はいかがでしたかーー?」 「うむ。茶々丸のデータやハカセの話で知ってはいたが思たよりも良い奴だたヨ。気にいたネ」  そこには絡操茶々丸、葉加瀬聡美、そして超鈴音。彼女らが水面下で計画する事が学園祭で行われる。実に用意周到、実に大胆不敵、実に冷静沈着に事は進められてきた。後は計画の実行を前にするばかりなのだ。  そこに投げ込まれたある要素。ネギ・スプリングフィールド。 「うまく仲間に引き込めば、かなり使えるかも知れぬヨ」  不敵に笑みを浮かべる超鈴音。 祭は始まった。 はじめに断っておくと、これはif[もしも]の話である。  学園祭において、もしも少しばかり異なったことが遠坂凛・衛宮志保の二人の身に起こったらという可能性の話だ。本来の話には一切関わりが無いし、そもすでに結末は違っている。  だが、人知を遥かに超えた数を誇る並行世界の中でこういう事が起こった世界もあった……かも知れない。  出席番号32番 衛宮        EX㈼ 学園祭・マジカルルビー麻帆良強襲作戦[オペレーション・こすぷれ]  時は学園祭一日目。この日遠坂凛はある準備を進めていた。 「えっと、これは持っていったほうがいいわね。後、これとこれ……宝石はトパーズとルビー、トルコ石にアクアマリンっと……」  ひょいひょいと宝石を取り出し、手馴れた扱いで礼装を準備していく。  学園祭の裏側で怪しい動向を見せる超鈴音。事前の調査でそのことに気付いた遠坂は、職員としてのパトロール業務のシフトを三日目に変更してもらえるよう学園長とパートナーを組む予定だった葛葉教諭との交渉を済ませ、セイバーには暇を出している。セイバーは最後まで護衛を申し出ていたが、彼女の存在は探知されやすく偵察・隠密活動にはお世辞にも向いているとはいえない。数時間に及ぶ説得に何とか成功し、渋々引き下がったセイバーに感謝しつつ、現在遠坂は職員寮にある自身の工房で魔術礼装の装備を整えていた。  これから彼女は超の手が及んでいると睨んだ施設に潜入するのだ。そのための装備をここで整えている。なにせ今回は単独での行動になるのだ、念の入れすぎということはない。  証拠も確証ない。だが嫌な予感は脳内の警戒アラームが鳴るほどだ。伊達に世界を回ったわけではない。実戦における勘働きは磨かれており、信頼に値するものになっていた。だから今回の潜入で確証を得る。それが遠坂の目的だ。  だが、当然表立って動くことは出来ない。魔法などの神秘は秘匿されるものであり、さらにこちらの魔法使いにも異世界の魔術師だと知られてはならないからだ。そこで—— 「安全性は保障済みとあるけど、自分で作った薬じゃないから今ひとつ不安なのよね」  取り出したのは先日カモミール経由で手に入れた『赤いあめ玉・青いあめ玉年齢詐称薬』だ。ガラスケースに入れられた赤と青の色鮮やかなあめ玉が遠坂の不安を煽り立てる。  これは食べることにより外見年齢を調節できるというマジックポーションであり、遠坂はこれを変装用に使う予定だ。が、今ひとつ決心がつかず手に持ったまま迷っている。 「とにかく、先に装備の用意だけ済ませてしまおうかしら」  結論は先送りにして、再び装備を取り出す作業に戻ることにした。  ところで、遠坂凛が数々の礼装を出したりしまったりしている入れ物について説明をしよう。  外見は旅行用のトランクケース。革張りがなされ、シンプルながらも見栄えするトランクは彼女に良く似合っている一品だ。そして当然だが、魔術師の持ち物だけにただのトランクケースではない。素材レベルから魔術的処置がなされ、対物理・対魔術両面での防御力に優れ、盾としても使えるほど。中の物を保護する措置も当然なされている。だが最大の特徴はというと、これが『魔法のトランク』だということだ。  遠坂の屋敷に今も置かれている宝箱。遠坂の魔術の大師父がその業を持って作り上げた代物で、中に入るものなら容量を問わず収納でき、副次効果で宝箱内部の時間すら変動させてしまう魔法の宝箱。遠坂凛はそこに使われた業を縮小版ながらこのトランクで再現させていたのだ。よって見た目によらない収納容量を誇り、遠坂とセイバー、志保の三人の荷物のほとんどを収納できてしまう。  だから普段使わない礼装なんかはこの中に仕舞い込まれており、遠坂はそれらを引っ張り出していた。  そして、このトランクがこれから起こる黒歴史のきっかけにもなったのだ。  遠坂邸にある宝箱と現在遠坂凛が中身を掻き回しているトランク。両方に共通するのはある『魔法』が用いられていることにある。  第二魔法。無限に存在するといわれる並行世界、それに干渉し運営する。そんな途方もない業。宝箱もトランクもその技術が使われている。遠坂は今だ『魔法使い』ではないため業の極々一部しか使えない。だが、このトランクに使われた業の再現には成功していた。そう、『成功しすぎ』ていたのだ。  ごそごそとトランクの中身を漁る遠坂。片付けに不自由な彼女にかかると、トランク内部は混沌と化す。どこに何をしまったかは覚えているのだが、上手く取り出せずに四苦八苦する。そのたびに中身が混じり、混沌の度合いがます。そしてさらに悪戦苦闘と悪循環になっているのだ。 「ああ、もう。こんな時に限って必要のないものが出てくるし、いつもは探しても出てこない大師父の宝石が出てくるし……ん?」  ぼやきつつも何とか当初の目的のものを取り出していると、手に感じたことのない感触を覚えた。いや、正確には感触にはおぼろげに覚えはあるのだがこのトランクに入れた記憶のないものがあるのだ。 「何かしら?」  疑問に思って取り出してみる。  不幸なことにこの時、トランクの中身は混沌としていたため掴んだ物の正体を彼女は目で見ることは出来なかった。さらに不幸なことに現在遠坂は各種礼装を取り出している最中で、ついでに起動させて調子を見ていてもいた。この起動のために必要なものの中で血液による起動式があり、そのために彼女の左手の指先は自ら付けた切り傷があり血が付いていた。そしてソレを掴んだのも左手だった。  トランクの混沌から抜き出されるのは、プラスチックのような軽量で硬質な棒状の物体。長さからいってものは笏杖だろう。笏杖とは貴人の威を表すものだが、どうもこれは威を表すことなど出来そうもない。何しろ先端の構造物というのがまるでテレビアニメに出てくる魔法少女が持っていそうな翼の生えたステッキだからだ。 「————……なんでさ」  思わず相方の口癖を口走ってしまう。  このステッキは遠坂凛にとって悪夢の一品だった。なにしろ、 『わぉ、お久しぶりです凛さん! 十年振りですか? すっかり(歳をとって)成長していますねー、ルビーちゃん感慨深いです』  この愉快型魔術礼装に関わって今まで一度としてロクなめに会っていないからだ。  カレイドステッキ——それは遠坂の魔術の祖にして現存する五人の『魔法使い』の一人、ゼルリッチが作り上げたと言われる他に類を見ない愉快型魔術礼装。 外見こそ玩具のような杖だがその能力は特筆すべきものであり、なんと手に取ったマスターの能力を変更するものである。平行世界の別のマスターの知識、技術のみを外装として憑依させ、その道のエキスパートに変身させるものだ。機械に強くなりたいのなら技術者になった可能性がある自身の知識と技術を、剣技を修めたいというなら剣士になった可能性がある自分から業を借り受ける。このように必要な情報と技術を並行世界から体にダウンロードさせる『多元転身[プリズム・トランス]』という夢のような力をこの杖は持っているのだ。  これほどに非常に役に立つ魔術礼装だが、魔法使いのミスか、はたまた意図的なものなのか致命的な欠点、というか制約がある。故に、過去・現在・未来を見渡してもマスターとなった者は二人しかいない。そして、その内の一人が不幸なことにこの遠坂凛ということになっていた。 「じゃあ何? トランク内部の空間の歪みと屋敷の宝箱内部の歪みを繋げて、こっちに転移してきた? ……どんなデタラメよ、それ」 『あは、これでも私は魔法の杖ですからー。これぐらいはやってのけないと威厳がでませんよ。例え凛さんがどこの世界居ようと地獄の底まで追いかけていく所存です』  こちらにやって来た方法を知り、呆れる遠坂相手に妙な気炎をあげるカレイドステッキ。いや、正確にはステッキの制御管制、気持ちの代弁をする精霊マジカルルビーなる存在が喋っているのだ。その声は同様の被害にあった士郎(志保)曰く、『破滅的なまでに可愛らしい』。そう、この杖は喋る魔法の杖でもあったりする。 「……で、何の用なの? 前回はわたしがあんたを手に取った時点で問答無用で洗脳してくれたけど、今回はそれがないし何を企んでいるのかしらね」 『企んでいるなんて! 心外ですよ凛さん。私は愛と正義のために今日ここに新たなマスターの気配を感じ、馳せ参じたというのに』 「なんですって!? それどういう事」  ルビーがここに現れた理由を知り、思わず驚き手に持った杖に詰め寄る。どうせ大した理由も無いだろうと高をくくったら、とんでもない事に新たなマスター(被害者)を探しに現れたというのだ。見逃せる事態ではない。  遠坂に詰め寄られながらも当のルビーは平然と語る。 『前回、士郎さんにはマスターになった人は過去・現在・未来でも二人とお答えしましたが、あれからそれとは別に並行世界に後三人ほどマスター候補がいることが分かりました。そこで、凛さんが並行世界に移動できる時を待ちました。まだ見ぬ新たなマスターと契約するために。永かったですよー……目標は五人戦隊です。きっとセーラーな戦士のレギュラーメンバーや、ミュウな獣娘戦士、ましてや最近のYESなファイブなんて目じゃないですよーー!!』  話の途中で感情がさらに高ぶったのかますます気炎をあげ、放射能ばりに不吉な魔力をギュンギュン放出するルビー。一方、気分がどんどん白けていくのが自覚できる遠坂は言葉も無く手に持った杖をトランクに突っ込んだ。 『あっ! ご無体な、何をするんですか凛さんっ! 折角十年ぶりに外の空気を吸ったというのに』 「黙りなさいバカ杖。そう言われてはいそうですか、と外に出せるわけないでしょこの高レベル放射性廃棄物並みの危険物! 二度と出てこないよう今度こそ永久封印よ……ってあら?」  カレイドステッキをトランクに突っ込み、後は手を放してトランクの蓋を閉めれば終わり。そのはずだったのだが、どうしても手から杖が放せない。手首から先がまるで言うことを聞かないのだ。 『ふふふ、甘いですね凛さん。大甘です。私を手に取った時点ですでに式は成っています。契約をすでに終えている凛さんの場合、私を手に取った瞬間に愛と正義の伝道師としての使命を果たさなくてはならないのですよ』 「くっ、つまり手に取ってしまったわたしの負け、なのね……」 『さあさあ、私の説得(洗脳)を受けて素直になってくださいませ』 「後で覚えていなさい……うっく」  杖から送られるヨクワカラナイ不思議エネルギーを受けた遠坂は負けを悟り、悔しそうにガックリと体を落とす。が、次にはすぐに持ち直し立ち上がる。その時にはすでに魔性の杖カレイドステッキの忠実な下僕になってしまった元・遠坂がいた。 『説得(洗脳)及び契約(呪い)再起動完了。大人になった凛さんの抵抗力は上がっていましたけど、やっぱり凛さんですよねー、中はまだまだ無防備です。そこがまた可愛いのですけど。——さて、場所は図書館島と言いましたっけ? そこを私達のストロベリーな血塗れの愛でフィーバーさせちゃいましょう!』 「ええ、分かったわルビー。でも少し待ってくれる? 今のわたしでは変身はキツイと思うのだけど……」  洗脳、もとい説得を終え、意気揚々と出陣宣言するルビーに待ったをかける洗脳済み遠坂。確かに現在27歳になる彼女に『あの』格好は色々と不味いものがあるだろう。その事が洗脳されてなお抵抗する思考の原因になる。 『うふふ、それこそ心配無用です凛さん。この世界の魔法は本当に素晴らしいものを作ってくれます。アレですよ』  そういって翼でテーブルの上を指し示す。その上には赤と青で彩られたガラスの容器。年齢詐称薬だ。 「そうだったわね。じゃあ青いのを二粒、と」  さっきと打って変わり、遠坂は何のためらいも無く容器から青いあめ玉を二個取り出し、パックンゴクンと飲んでしまう。  効果は瞬時に起こり、軽く破裂音をたてて爆発するように広がる魔力の煙。それが晴れた後には身長130センチ半ばほどの見た目十歳前後になってしまった遠坂が立っていた。当然、サイズの急激な変化に服が追従するはずもなく今まで着ていた服がブカブカの状態でまつわり付いている。でも少女の持つ魅力のお陰か、そんな様子さえ第三者には微笑ましく見えてしまうだろう。 「こんな感じかしら。どう?」 『きゃー、凛さん可愛いさ大爆発ですー! ノってきましたよーーーっ、このままの勢いで図書館島に進撃です!』 「おーっ!」  もう気分最高潮のルビーとそれに応えて裾の余る腕を振り上げるチビ遠坂。この二人を止めることはすでに何者をもってしても不可能になっていた。  一分後、ルビーの用意した服装に身を包んだ遠坂は足取りも軽く図書館島へ進撃していった。彼女が目指す図書館島、現在そこでは公式プログラムにも載っていないゲリライベント『麻帆良祭?コスプレコンテスト』が行われていた。  黒歴史がその全貌を現すまであと僅か。 「しかしネギ先生、私はパトロールがこの後あるんですけど本当に大丈夫なんですか?」 「心配無用ってもんだぜ、衛宮の姐さん。今ここじゃあ詳しく言えないが、絶対大丈夫だって」 「そうです。手はあるので、志保さんも一緒に学園祭を楽しみましょう」 「むぅ、ネギ先生にそこまで言われると断るのもどうか、だな。分かったよ」  正午前に志保が所属する弓道部の出し物『食い逃げメイド喫茶・アイルズベリ』にやってきたネギ、小太郎、雪広、そしてカモミールの三人と一匹。彼らは出されるプロも裸足で逃げ出す見事な料理に舌鼓を打っていたのだが、ネギが志保に学園祭での予定を聞いた辺りから様子が変わってきた。  仕事である世界樹のパトロール、クラスと部活の出し物の手伝い、後は精々武道会の出場。学園祭での志保の予定は少ない。それを知ったネギが一緒に学園祭を回らないかと提案してきて、先のような問答となったのだった。  午後からパトロールの予定があるから断ろうとした志保だが、ネギとカモミールが絶対を付けるほど大丈夫という。カモミールはともかく、ネギはパトロールをサボるような真似を推奨するとは思えない。きっと何がしか手段があるのだろうと思う上に、頼み事を無碍に出来ない志保は了承。今の仕事が終わり次第一緒に行くことにした。 (しかし——)  志保は良かったのだろうか? と思ってしまう。突き刺さる視線を辿ればそこに雪広あやかの姿。その表情は新たな邪魔者を見るようなものだった。  何にせよ、ここでもまた本来の流れとは異なる分岐が生まれていた。事態の収束する地は図書館島。黒歴史の幕はすでに上がっていた。  麻帆良学園都市の名所の一つに図書館島という場所がある。学園都市の傍に存在する湖、そこに浮かぶ島のことを指し、大きさは学園の校舎一つの敷地面積ほどを誇る。そしてこの島の地下を含む全てが図書館という施設の巨大さも誇り、当然蔵書量も世界屈指の量になっている。その他、色々と内部には多数の秘密を抱えているがここでは割愛しよう。  学園祭においてはこの図書館島は一般来場客にも解放されて、図書館島探検ツアーなる企画を図書館島探検部が行っている。が、それとは別に危険性のない島の地上部分では学園祭実行委員会に無断でゲリライベントが行われようとしていた。 「こんな所で何があるんですか?」 「えーと……確かこの辺のハズなんですが」  雪広さんの質問に先導をしているネギ先生は何かを探している様子で巨大本棚の隙間一つ一つに視線を投げつつ答えている。  あれから弓道部でのウェイトレスとしての仕事を終えた私は、いつものジーパンにTシャツ、その上に外套を羽織った服装に着替えるとネギ先生達と一緒に学園祭を見てまわった。  この麻帆良という場所は都市全てが学園としての機能をもっている。だから学園全てが合同で行われる学園祭だと一つの都市全部が祭り一色に染まりあがるのだった。何が言いたいかというと、終始圧倒されっぱなしだったのだ。この麻帆良という学園都市がもつパワーに。  道という道には思い思いの衣装を身に纏った人が溢れ、道端には露天が列を作り、空からは止むことなく紙吹雪、花吹雪が舞い落ちて、あちこちで開催されているイベントが人だかりを作っていた。学園祭の三日間、この麻帆良にて入場者約40万人という大人数が、昼夜問わずの乱痴気騒ぎを展開するのだ。その騒ぎ様は半端ではなかった。  とてもじゃないが、三日かかっても全てのイベントを見て回ることは不可能で、ネギ先生もクラスの人間が参加しているイベントに絞って見回っているようだ。それでも相当なものではあるのだけど。  そしてこれもクラスの誰かが参加するらしく、ネギ先生の案内で図書館島に来ている。図書館島というと真っ先に思い浮かぶのは夕映やのどか、早乙女に木乃香という探検部の事だが、どうもネギ先生の様子からすると違うらしい。  しかしどうでも良い事だが、ネギ先生や小太郎、雪広さんまでが仮装している中で自分だけ一人普通の格好というのは少し落ち着かない。学園全域でも仮装が許可されてもいるし、機会があるなら私も何か仮装をしてみようか?  などと、割と徒然に頭に浮かんだ思考だったのだが、後にしてみればこんな事を考えなければ良かったと後悔してしまう。今この時から悪夢の午後が始まろうとしていたのだ。 「あっ、いた!! ちさ……いえ、ちうさーん!!」 「げえっ!? て、てめーら……!?」  探していた人物が見つかったのか、ネギ先生は本来の図書館にあるまじき声を張り上げ、手を振り上げる。幸いにして今回は学園祭のためこんな無作法を咎める人はいない。そして、声をかけられた相手というのは一人の女の子。こちらを見るなり凄く驚いた表情をして固まっている。彼女の服装はリボンとフリルを多用した非常にフリフリヒラヒラなもの。それを着る彼女だが、見覚えが……と言うか教室で前の席に座る長谷川さん? ツーサイドアップのカツラと普段見られない衣装のせいですぐには分からなかったぞ。 「な……な……な……なんで先生がここに……いいんちょや衛宮まで」  呆然としている長谷川さんだが、この様子だとネギ先生がここに来るのは全くの予想外なのだろう。数秒呆としていたが、 「てめぇっ、ちょっとこっちこ……きてください!!」  ネギ先生の手を引っ張り、本棚の向こうに連れ去って行ってしまった。 「今のは長谷川さん……? でも何でこんなところに……?」 「さあ? でもネギ先生の目的はアレじゃないか」  不思議そうな表情をする雪広さんに答えるように、ネギ先生が連れ去られた方向とは反対の方向を指差した。そこには人だかりが出来ており、横断幕も掲げられている。間違いなくこれから何かのイベントが始まるのだが、そのイベントというのがなかなかにクセ物だ。 「なあなあ、姉ちゃん達。コスプレコンテストって何や?」 「さあ……? でも何だか皆さん楽しそうですわよ」 「せやなー」 「…………コスプレ、ね」 「あら、衛宮さんはご存知なのですか?」 「まあ、世間一般レベルだけど」  横断幕には『麻帆良祭?コスプレコンテスト』と書かれている。持っているイベント表に一切記載されていないところを見るとゲリライベントなのだろう。 集まっている人達が身に纏っている衣装も仮装が当たり前の学園祭の中でもさらに異彩を放っている。興味のない私なんかじゃ元ネタが何かなど分かりもしないのだが、きっといずれもゲームやアニメとかの登場人物を模したものだろう。  コスチュームプレイ。略してコスプレ。特定の職業の制服やアニメ、ゲームなどの登場人物の服装を模したものを身に付け、その役になりきるというものらしい。門外漢の私なぞ詳しく知るべくもない世界だが、それなりに奥深い世界らしく世間の認知度も上がってきている。でも流石にお嬢様の雪広さんと、戦いに明け暮れる毎日を送ってきている小太郎には知りえないことだったみたいだ。  そのことを二人に説明したが、その説明の最中に乱入者が現れた。 「ふーん、つまり美女コンテストみたいなもの?」 「いや、若干違う……のかな? 男子でも出場できるし……って、佐々木さん?」 「そだよ。やっほーエミヤンにいいんちょ。それにコタロー君!」 「お、おう」 「まき絵さん……貴女がなぜここに?」 「さっきそこで見かけちゃって、追いかけて来たんだー」  白のレオタードに猫ミミというある意味において、雪広さんよりも目に毒な格好をした佐々木さんが現れた。こういったイベントが起こるたびに思うことだが、まわりに同性しかいないためかA組のみんなはこの手の服装に抵抗ない手合いが本当に多い。  そして不覚。油断のせいとはいえ、素人尾行にすら気付かないとは……鈍ったか? 「ホラ、はじまっちゃいますよーー」 「わ、バカ、コラッ」  声が聞こえてきたと思えば、向こうに行った時と立場を変えて、今度はネギ先生が長谷川さんを引っ張ってきた。 「あ、おーーい、ネギくぅーん」  真っ先に声を上げる佐々木さん。これが通常の図書館だと大顰蹙ものだろうという大声だ。浮かべる表情は満面の笑み一色。ネギ先生大好きということを隠さない佐々木さんらしい笑顔である。 「あれ? まき絵さんどうしたんですか」 「さっきそこでみかけて、追いかけてきたんだよーー」  ネギ先生の質問にさっきと同じ内容を口にする彼女だが、こちらの喋り口の方が甘さ大盛りになる。その一方で後ろ、つまり私の隣では雪広さんの表情が険しいものになっている。これも邪魔者を見るような目つきだということは言わずもがな。  話題は当然目の前で行われようとしているコスプレコンテスト。ネギ先生はどうも長谷川さんがこのコンテストに出場するということを知り、この場所にやって来たようだった。でも当の彼女に出場の意思は見る限り薄い、のかな? 「いいんちょさん達も出てみたらどうですか?」  話が進んでいると、ネギ先生からこんな言葉が飛び出た。長谷川さんだけでなく、雪広さんや佐々木さんにも出場を薦める動きが出てきた。 「ネギ先生がそうおっしゃるのでしたら」 「あ、面白そーだね。いーよいーよ」  二つ返事で快く応じてしまう二人。コスプレが何かもよく知らず、本当にチャレンジャーな……ん? 「『達』って、ネギ先生、ひょっとして私も出るのですか?」 「え? 志保さんはコンテスト駄目ですか?」  こちらの問いかけに心底不思議そうな顔で見つめてくるネギ先生。いや、その純朴さは好意に値するけど時と場所を選べないものか? 彼の脳内では私がこのコンテストに出場するのはすでに決定事項だったようだ。 「駄目、だな。衆人環視を前に何かをするという芸当は私にはない。すまないがこの場は観客の立場でいさせて欲しいな」  横断幕の下にあるあのステージの上に立ち、観客を前にパフォーマンスをする自分という想像自体がしにくい。そんな行為、恥ずかしくて出来るかと声を大にして言いたい。  私の言葉にネギ先生は少し残念そうに口を開いた。 「そうですか……それは「却下よ志保。愛と正義を世に知らしめるため、貴女には嫌でもステージに上がって貰うわ」……え?!」  途中から割り込む声。その方向にこの場にいる全員が振り向いた。  そこに居たのは紅い、お子様だった。  水流のようにうねる見事な黒髪をツーテールに纏め、シンプルながら高級と一目で分かる仕立ての良い赤色のツーピースで身を包んでいる女の子。身長は130ほどで、ネギ先生と同年代ぐらい。そして、幼い顔立ちの中にある勝気な瞳には酷く見覚えがある————もう気付いているだろ衛宮? こんな現実でも認めなくてはいけないだろ? ……目の前にいる少女は紛れも無く、 「と……遠坂……??」 「当たり前じゃない。それ以外の何に見えるのかしら貴女には」  全く無い胸を反らせて、えっへんと可愛らしい態度をとるチビっ子一人。舌足らずな口調で容赦のないお言葉。けれどそれすら可愛く見えてしまう彼女が現在の遠坂凛女史。その可愛らしさは場合が場合じゃなかったら抱きしめたいほど————って、何ィィィィィィっ!!!? 「ハ、ハハハ………ネギ先生……一緒にちょっと来てくれないかな?」 「え? あ、はい」 その場で冷静になれたのは日頃からハプニングに巻き込まれどうしの毎日で鍛えられたお陰だろう。事態は魔法関係それも特大の。ならば関係者であるネギ先生はともかく、事情を知らない雪広さんや佐々木さんの前に晒しておけない。ネギ先生と遠坂の手を引いてコンテスト会場から離れ、いくつもの机と椅子が置かれた静かな空間に入る。どうやらここは閲覧室になっているみたいだ。人気はない。物音も感知しやすく、これなら聞き耳を立てる相手にも対処できるだろう。 「で、だ。君は本当に遠坂なのか? なんで、そんなに若く……いや、幼くなってしまったんだ?」 「こ、この女の子が遠坂先生ですか?」  まず初めに軽く確認。動揺するネギ先生の手は離しても、少女の手は取ったまま向き合った。いつもと逆ベクトルで身長差が十センチ以上もあるため、こちらが屈んで彼女と目線を合わせる。手の中で握る小さな手の主が今の遠坂だというのだ。確信はあっても気持ちは少し信じられない。  こちらの言葉に遠坂の口が開こうとしたが、その前にネギ先生の肩に乗っていたカモミールが私の肩に飛び移って耳元で話しかけてきた。 「姐さん、多分すけど遠坂の姐さんは『年齢詐称薬』を使っていると思うんすけど」 「…………何? その犯罪チックな名称の代物は?」 「コレの事っす」  一体どこにしまっていたのか不明だが、ガラスケースに収まった赤と青の二色が色鮮やかなあめ玉らしきものを取り出された。カモミールが説明するには正式名称『赤いあめ玉・青いあめ玉年齢詐称薬』といい、外見年齢を調整できる魔法薬で原理としては師匠が使うものと同じ幻術の一種になる。だが、幻と言っても実際に肉体として作用するスグレモノ。 「遠坂の姐さんが欲しがっていたんで、姐さんの代金持ちでまほネットから通販で手に入れたんす」 「通販……」  スゴイな『こっち』では魔法薬が通販で手に入るとは。そしてよくそんな商品名で販売許可が下りたな。でも、これで目の前の少女が遠坂本人だと確信が持てた。ま、最初から疑ってはいなかった。こんな目を持った女性なんて知る限り遠坂しかいないのだから。 「で、だ。遠坂、なんでそんな格好をしているんだ? それになんか変な杖なんか持って………」 「そんなの決まっているわ。志保、貴女を愛と正義の執行者として任命しに来たのよ」  握る手とは反対の手にプラスチック製らしい妙な形をした杖を持った遠坂は、私の質問に自信満々にそう答えた。気のせいかこちらを見つめる彼女の瞳は妙に熱っぽい。なんか正気っぽくないような気すらする。 「は? おい遠坂何を言っているんだ。魔法を隠す演技だったら周りに人はいなから問題ないぞ」  改めて周囲の気配を探ってみるが、ここには私たち以外の人間はいない。誤魔化すための演技は必要ない。とすると考えられるのは…… 「ねえ、カモミール。その魔法薬に変な副作用とかはないんだよな?」 「その点だったら大丈夫っすよ。安全性は保障されているんすから。じゃないとまほネットじゃ販売できないようになっているんすよ」 「——なるほど」  よくは分からないが、一応は安全基準みたいなものが設けられているのだろう。おかしな副作用で思考まで幼児化という線は消えた。では遠坂は一体どうしちゃったのか……ん?  顎に手をやる動作で自然と下に向いた視界のなか、遠坂の握り締める杖が再び映る。プラスチック製みたいな安っぽい印象だったが、よく見ると所々重厚な作りになっており、子供のおもちゃにあるまじき高級感が出ている。まあ、翼の生えた魔法少女ステッキみたいなふざけた形状が目を曇らせたのだろう————って、原因発見!! 「お前かーーーっ!! ルビーーー!!」 『お久しぶりですー。でも相変わらず志保さん鈍いですねー、私の存在に気づくまで五分ぐらいはかかっていますよ』 「何でお前がここにいるんだ!? お前って遠坂の家にある宝箱で封印されているんじゃ」 『ちっちっちっ、このルビーちゃんを甘く見ては困ります。魔法の杖である私にかかればインポッシブルなことなんてねーのですよ? ねえ凛さん?』 「そうよ、カレイドステッキに不可能なんて存在しないわ。この力で世界をストロベリーな血塗れの夢に浸からせてあげるんだから」 『きゃー、素敵ですー』  十年経っても変わらない精霊と洗脳済みの遠坂(小)。これは十年前の悪夢の再現。遠坂にしてみれば三度目の悲劇だ。一体どういう原理でコレがここにあるのか分からないが、これから引き起こされる悲劇は予測不可能。だが絶対ロクな事にはならないと断言は出来る。出来てしまう。 「あ、あの志保さん。これって……」  さっきから事の成り行きを見守っていたのか静かだったネギ先生が戸惑った声をあげた。無理もあるまい。いきなり遠坂の持っている杖が喋りだしているのだから。 「ああ、コレはな『初めまして、ネギ・スプリングフィールド君。私はこの魔法の杖・カレイドステッキの制御官制、感情の代弁を行う人工天然精霊マジカルルビーと言いますー。気軽にルビーちゃんって呼んでくれると嬉しいですぅ』……だそうだ」 「は、はぁ……人工? 天然? それに僕の名前……」 『ふふふ、このルビーちゃんに知らないことは存在しません! それにしてもネギ君は本当に惜しい逸材です。男の子でなかったら即座に(私に忠実な)マスターとなれたのに……残念』  悪魔的に可愛らしい声をだす杖を前に流石のネギ先生も戸惑いっぱなしだ。しかしこの場合、ネギ先生が男の子で本当によかった。犠牲者は増やしたくないからな。 「要するに喋る魔法の杖だ。詳しいことは分からないんだが、遠坂の家に代々伝わっていたものなんだ。ご覧の通りの危険物、封印されていたんだがどう言う訳かここにあるんだよな」 「喋る杖……スゴイ、ですね。でも封印されているってどうしてです?」 「今の遠坂、コレに乗っ取られているんだよ。過去に三回、コレが表に出たんだがいずれもひどい目に遭った」 「うわぁ、呪いのアイテムっすか」  カモミールが『うわぁ』といった表情をして、ネギ先生も『えぇ!?』という表情でルビーを見つめる。 『いやん、そんなに見詰められちゃ恥ずかしいですぅー』  翼で顔らしき部分を覆い、恥ずかしいというポーズをとるルビー。繰り返すが声『だけ』は壊滅的に可愛い。 「ともかくルビー、遠坂を返すんだ。言っておくが十年前と同じだと考えるなよ? いざとなれば……」  小さく口の中で呪文を口ずさみ、剣の丘から一振りの刃を呼び出す。  手に現すのは曲がりくねった異形刀身の短剣。あらゆる魔術、契約を初期化させる裏切りの魔女の宝具。その名も—— 『破戒する全ての符[ルールブレイカー]ですかー。そんなものが余裕で投影できるようになるなんて志保さんも成長しているんですねぇー。でも、凛さんと私との(呪い級の)契約はそんなもので破戒できると思いますか?』 「……」  どうだろう? 投影したこのルールブレイカーの精度はオリジナルに迫るほどになってはいるが、果たしてコレに通じるのか分からない。これのデタラメさ加減は十年前の事で嫌というくらい思い知らされている。下手すればオリジナルでも通用するか疑問だ。なにしろコイツの契約は『魔法使い』である遠坂の大師父さえも褒め、いや呆れるほどだ。不安が残る。 「くっ! 仕方がない……それで、今回はなんで現れたんだ?」  ここはコレの用件を聞いてやってさっさとお帰り願うという方向でいくか。ルビーの考えはともかく、実質遠坂を人質に取られているようなものだ。これ以上妙な真似は出来ない。  こちらの質問にルビーはニヤリと目を輝かせた、ようなイメージを見せる。うわ、嫌な予感。 「さっきから言っているじゃない。貴女を愛と正義の執行者にするためよ。正義ばかり信じる貴女にルビーが手助けしようというのに、何を揉めているんだか」 「な、に? ま、まさか」 『はい、そのまさかです。志保さんにも私と契約を結んでいただこうと、こうして参上しました』  なんたる悪夢。  遠坂やルヴィアさんだけに留まらず、こいつは私にまで契約を迫るのか!? 「や、でもお前って女の子限定の魔術礼装……」 『いやですねー、志保さん。今の志保さんはバッチリ女の子ですよ』 「……女の子」  その容赦のない二つの宣告に知らず力が抜けて、ガックリと膝を付く。後ろでは「志保さんっ! 大丈夫ですか!」とネギ先生が声をかけてくれているが、これは少し立ち直りに時間は掛かるかも。自覚は出てきても他人にここまで断定されるのはヘコむ……そうだ、コイツ確か、 「お前、前は自分のマスターが過去・現在・未来を探しても二人しかいないって言わなかったか? 私を勘定に入れると変じゃないか?」  十年前、確かにコイツは自らの口でそう語った。一人は遠坂だし、もう一人はルヴィアさんになる。ちなみにルヴィアさんが契約したときのドタバタは遠坂のときと同レベルの騒動だったとだけ言っておこう。ともかく、マスターはこの二人になっているのに、そこに私が入ると三人になる。それではコイツは嘘を言っていることになるんだが、あの時はそんな素振りをみせていない。どういうことだ? 『良く覚えていますねー、それなんですがね。あれから時間系列だけではなく並行世界も見渡したんです。そしたら後三人の候補がいると判明しまして』 「……なんでさ、どうしてそうなる?」  いや、コイツが第二魔法の産物だとは分かっているんだが、並行世界と来るか普通。 「その三人の内一人が私か……ちなみに残りの二人って誰だ?」 『はい、後の二人は黒役の桜さんに白役のイリヤさんになりますよ。後、黒役の補欠でカレンさんも』  どこの世界の妄想だろうか? なぜに桜やイリヤ、果ては補欠でカレンまで。 『これで戦隊モノを結成するのが当面の野望ですねー。戦隊名はどうします? カレイドファイブ、ゼルレッチエンジェルス、だと三人ですね……どこぞのセーラーと同じように敢えて名付けないのも手ですねー』  脳裏に浮かぶ光景はもっとも恥ずかしいもの。私を含む五人が色違いの例の格好で華麗にポーズを決めている場面。————精神の重大な危機だ。もしそんな事になったら死ぬ。精神的にも肉体的にもそして社会的にも。  決めた。こいつは今ここで倒さなければいけない相手だ。遠坂とセイバーと私、後は他の並行世界にいるだろうイリヤや桜、ルヴィアさん達のためにコイツを何としても打倒しなくては。 「悪いがそんな恥ずかしい野望は私が止めてみせる!」  いったんは下ろしたルールブレイカーを振り上げ、ステッキ本体に向けて振り下ろす。お互いの間合いは二メートルとない。決着は一瞬で終わるだろう。問題にするべきは果たしてこれで契約が破戒されるかということ。そう刹那に思っていたのだが、 『ふふ、心配無用です。だってすでに志保さんとは契約を結ぶところまでいっていますから』  そんな声が握り締めた自分の手から聞こえた。 「え?」  そこにあったルールブレイカーは無く、代わりに喋る悪夢のリリカルアイテムが握られていた。さらにどういうことか、遠坂の手にもあの杖は握られたままになっている。 『『カレイドステッキ第七秘儀、多重存在ーー! この技により私は最大五人まで分身することが出来るんですよー』』 「す、スゴイ……凄過ぎです」 「いやー、俺っちも兄貴も言葉出ねぇっス」  ステレオで喋るルビー(×2)に次々と起こる事態に呆然自失のネギ先生。カモミールは呆れているのか諦めているのかタバコを吹かしだした。いや、今はそれよりも私の意識が薄れだしているのが…… 「る、ルビー、いつの間に契約なんか……私は血なんてやってない……」 『それは簡単です。分身のときに寄り代にさせていただいたルールブレイカー、あれって志保さんの心象風景から取り出された投影品ですよね? これは血よりも濃い触媒にも成りえましたから。ノープロブレムです。さて、触媒によるマスター契約完了、接触による使用契約完了。さあ、新たなカレイド戦士の誕生ですっ!』  ぎゅんぎゅんと怪しい光を放つカレイドステッキ。何てことだ。  この声を境に私の意識は暗転した。ただ、予感、否、確たる未来として悲劇は起こりえてしまうだろうと暗転する間際に思った。 「志保さんっ! 大丈夫ですか!? 志保さん!」  杖から放たれた光が収まり、急に力なく倒れてしまった志保さんに駆け寄り介抱しようと思ったけど、その行動は横から入った遠坂先生に阻止されてしまった。 「待ちなさいネギ君。カレイド戦士の覚醒を邪魔させる訳にはいかないわ」 「で、ですけど! 遠坂先生も志保さんが心配ではないのですか?」 「心配無用よ。すぐにあの子はすぐに起き上がるわ。ほら」  年齢詐称薬で同じくらいの年恰好になってしまった遠坂先生が後ろを示すと、ゆっくりと起き上がる志保さんの姿がそこにあった。見た限りだけどケガとかはなさそうだ。でも、 「し、志保さん?」  こちらを見る彼女の目が気のせいか虚ろです。これって、今の遠坂先生と同じ状況? 僕がそうやって二の足を踏んでいると、遠坂先生は志保さんに近付き声をかけました。 「志保、目覚めはどうかしら?」 「ああ、すこぶる快調だよ遠坂。本当に目が覚めた気分だ。ルビーの愛と正義って素晴らしかったんだな。よしっ! 遠坂、それにルビー準備は出来ているか?」 「ええ、もうエントリーは済ませているわ」 『私達の愛と正義(ラブ&パワー)でこの世界をいい感じに染め上げちゃいましょう! あ、そうでした。今の凛さんとのバランスを考えて志保さんにもこれを食べていただきます。服は私が用意いたしますので』 「ん、分かった——はむっ」  さっきまで言っていた事と反対のことを言い、なんか起きて早々に気合が入っている志保さん。ルビーさんが取り出した青い色のあめ玉を躊躇なく食べ、  ——ボウンッ 『きゃーっ! 志保さん、萌え萌えですぅ! ううん、凛さんと甲乙付けがたいですねー』  遠坂先生と同じ位の幼い姿になってしまいました。ああああ……どうしよう。  僕が何も出来ずにいると、遠坂先生も志保さんも揃って閲覧室を出ていこうとしています。 志保さんの服装はちょっと目を離している間に変わっていました。さっきまでTシャツにジーパン、その上から紅いロングコートという志保さんが定番にしている服装だったのに、今はというと遠坂先生が今着ているのと同じデザインのツーピースの色違いを着こなしています。志保さんの特徴でもある白い髪は、肩にかかる程度の長さから腰までの長さになっていて纏められています。着ている黒いワンピースと合わせるとモノクロみたいな印象。赤の遠坂先生と黒の志保さん。傍目には仲の良い女の子同士の友達という感じに見えますけど……手にあるルビーさんから放たれる尋常ではない魔力のせいで全部台無しです。 「呪い系、それもとんでもないレベルのもんっすよ兄貴。関わりにならねえ方が身のためっす」  部屋を出て行く二人を見てカモ君はそう言ってきます。確かにアレを前にして僕に勝ち目があるとは思えない。でも—— 「でも、僕の生徒、それに先生が危険な目に遭っているのを見過ごすわけにはいかないよカモ君っ! 志保さんと遠坂先生を助けるよ!」 「……ええいっ! 仕方ねぇ! 衛宮の姐さんにはメシ関係で世話になっているしな、ここでやらなきゃ漢じゃねえ! 行こうぜ兄貴っ!」 「うんっ!」  見捨てるなんて出来ない。二人をルビーさんの手から助けなくては!  カモ君と一緒に閲覧室を飛び出し、さっきのコンテスト会場に戻る。会話の内容から考えて二人はこのコスプレコンテストに出場するはず。助けるタイミングとしては二人がステージに上がる前か上がった後。ですけどルビーさんの狙いはステージに上がる事みたいだったから、何としてもステージに上がる前に二人を見つけなくちゃ! 「おう、ネギっ」 「あ、コタロー君。丁度よかった。コタロー君、志保さんと遠坂先生見なかった? 薬で小さくなったんだけど」 「え? じゃあさっきの二人が姉ちゃん達やったんか……なんか様子が変やったから声かけにくかったんやけど」  戻ったところにいたコタロー君はすでに二人を見たようだ。いいんちょさんとまき絵さんは—— 「イベントがイベントなんだから、もっと濃くいかなきゃダメだろ!?」 「はぁ……濃く?」 「ホラ! 私の衣装貸してやっからよ!!」 「あ、あらどうもー」 「出るんだったら賞目指せよな、もー。てめーら素材いーんだからよー」  普段無口な千雨さんが何か凄く熱っぽい調子でお二人に衣装を勧めています。あれはあれで貴重な光景ですけど、今は志保さんたちを探さなくてはっ。 『続いて、エントリーナンバー10番・赤キツネさんと、11番・馬鹿スパナさん。キャラクターはなんと無限妖精カレイドルビーから劇場版シリーズのカレイドスカーレットの二人です!!』  アナウンスとともに舞台に上がる二人が視界の隅に見えた。 「あっ! もうあんなところに!」 「早っ! いつの間にエントリーしたんだ!?」  舞台に上がる二人の服装はさっきと変わらず赤と黒のツーピース。何かのコスチュームを着ている感じはまだありません。観客ではそのことに戸惑いの声が出ようとした時、異変は起こりました。  二人同時にステッキを振り上げ、 「コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開!」 「Der Spiegel form wird fertig zum Transport!」  二人で何か呪文の詠唱みたいな言葉を口にする。するとそれに応える形でステッキ、いえルビーさんが二個同時に言葉を返す。 『『Ja meine Meisterin』』  そこから魔法使いである僕でさえも、ちょっと信じられない光景が展開されていきました。  元々大量の魔力を放出しているステッキが、爆発するように七色の光とともに魔力を放出させ、ステージの上の二人を包み込んでしまいます。  数秒にも満たない僅かな時間、二つの人影が急激に変化していく。  まず遠坂先生は白い背景に赤いシルエットを踊らせ、赤い光が小さくなった先生の体を包み込みます。同様に幼くなった志保さんの方でも黒い背景をバックに紅いシルエットを翻し、白い光が志保さんの体を包む。  そして全ての工程が終わり、光が引いて二人の姿が見えるようになると、 「「「「————う、うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!?」」」」  観客の皆さんの大歓声が図書館内に轟きました。無理もありません今の二人の姿というと、  遠坂先生は紅くどこかフォーマルさを感じさせる袖なしで前開きの服。後ろがとても長く白い襟や服の刺繍とかに金色の十字架などの意匠があしらわれて、足元は膝上までくる赤いソックスに赤いブーツ。頭にはなぜか黒い猫の耳まであるそんな衣装に身を包んでいました。  一方の志保さんは、全体のデザインは遠坂先生と同じですが所々の色が違います。足元は赤ではなく黒いソックスとブーツ、前開きの服から覗くスカートも黒。金の意匠に対して銀の意匠。襟まで黒で、頭の猫耳は志保さんの髪に合わせるように白い耳です。ここまでだと遠坂先生の色違いで済むけど、最大の違いは志保さん自身より手に持ったステッキです。巨大化しています。そして翼が大きく伸び、グリップやダクト、マズルとかが出来ていて、ほとんど原型を留めていません。それはもうステッキではなく、弓、でなければ銃器といったものになっているみたい。  どちらにしても一言で言うなら、日本のアニメでよく見られる『魔法少女』そのものになっていました。 「正義の使者っ! カレイドスピネル!」 「愛の使者っ! カレイドルビー! 二人あわせて……」 「「愛と正義の執行者、カレイドスカーレット!! 」」 「この手には正義と鉄槌と大勝利」 「振り撒くのは愛とストロベリーな夢!」 「「今日も赤と紅で並行世界にラブ&パワーっ!!」」  決めゼリフと共にビシッとポーズを華麗に決める遠坂先生(小)と志保さん(幼)。うわぁ……魔法で変身しちゃったよ。いいのかな、あれって。  僕の心配を他所に、ポーズを決めた途端に観客の皆さんは更なる大喝采を二人に送っています。 ——スゲーぞー!! ——ルビー、モエー! ——スッピー、さいこー 『凄いっ! なんと変身シーンを再現してしまったお二人、これは高得点間違いなしですっ!!』  アナウンスの人も興奮気味。そして僕の近くにいるカモ君やコタロー君達はというと、 「とんでもねー、アリかあれ?」 「すげー、なんか分からんけど、スゴイっちゅうことは分かる」 「わー、あの二人かわいー」「そうですわねー」 「何なのだあれは? リアル変身? 莫迦な、そんな話があり得るはず……たぶん光で姿をくらまして……」  こっちでも色々反響があったみたいだ。  ステージオンした遠坂先生ことカレイドルビーと、志保さんことカレイドスピネルのお二人はこの後、持ち時間一杯の三分間で図書館島に集まったコスプレイヤーの皆さんに笑顔を振りまき、惜しまれつつも去っていきました。いや、何事もなくて本当に良かったです!  何事もなかった……とは言えないだろうこの状態は。 『いやー、麻帆良の皆さんって本当にノリが良かったですよ。ルビーちゃん大感激です! これでこの世界に新たな橋頭堡を作ることが出来ますねー、カレイドスカーレット麻帆良の平和を守る! とか言ってみたりしてー』  いつもハイテンションのルビーが何時にも増して興奮気味に喋っている。手に持った巨大な弓形状(ルビー曰く、カレイドアローなんだとか)の元ステッキからの声……いや、答える気力ないっす。 「遠坂……お前の気持ち、今になって理解できたよ。これは、辛い」 「……うん。わたしもこの歳で魔法少女やる羽目になるなんて思いもしなかったわ」  薬の効力はまだ残っていて小さくなった姿のまま、二人揃ってガックリと手を床について項垂れてしまう。  あれから正気に帰ったのは、観客ににこやかに笑顔を返しつつステージ袖に戻った時のことだった。今回もルビーの記憶操作はなく、観客に向かって笑顔を振り撒きつつ色々なポーズや決めゼリフを言っていたのはバッチリ覚えていた。生涯においてさえあまりにも恥ずかしい三分間だった……いっそ記憶がなければどんなに楽だったかと思うほどに。  舞台袖で見守っていたネギ先生達ともまともに話は出来そうにない。ネギ先生以外はこっちの事情は知らないのだろうが、それでも顔を合わせられず、遠坂と二人連れ立って人気のない閲覧室に逃げ込み、なかば引き篭もっていた。  賞の授与があるみたいだが、これは当然辞退。繰り上がりで準優勝の人が優勝扱いになったとか。 『あ、では私めは広報を終えましたのでこれにてー。補足ですが、志保さんの聖骸布は部屋のハンガーに掛けておきましたのでご安心を。ではでは、引き続き面白おかしいパラレルワールドライフを楽しんでくださいね、凛さん、士郎さん』  最後だけ私を『士郎』と呼んで弓形状の元ステッキは投影物が解呪される時と同じように空気に溶けていき、遠坂が持っているオリジナルのほうでもあれほど放射された魔力を感じられなくなった。 「今回は引き下がるのが思ったよりも早かったな」 「ええ、でも被害は甚大だったわ。ゴメン志保。わたしが不甲斐ないばかりにあんたにトンでもない呪いをやってしまったわ。ホント、ごめん」 「————」  猫ミミまで垂れさせ、俯く遠坂。非常に珍しい彼女の素直な謝罪。どういう経緯かはまだ分からないが、遠坂がルビーを誤って外に出したのだろう。謝る理由は分かる。けれど、愛する人のこんな萎れた表情は見たくない。なら言葉をかけないと。 「謝ることなんてない。それを言ったらあの時のルビーを止められなかった私だって悪い。こうなった以上、先送りにせず本格的にルビーとの契約を破棄する方法を一緒に探そう。な?」 「……志保」  うん、これでキレイな形で終わらせることが出来たらどんなに素晴らしい事かと思うのだが、 「あ、それにしても遠坂、また前みたいにトイレの前だったとかはないんだよな? ああ、閉じ込められた訳ではないから大丈夫か。でも一応場所を教えておくとここを出て廊下の突き当たり……」 「またそれかアンタはーーーっ! どうでもいい事ばっかり覚えていて……いい加減進歩しろっ! このノンポリ頭!」 「ぐえっ! がふっ! どはぁ!」  本当に進歩無く、ふつーに墓穴を掘ってしまいました。当然といえば当然の帰結で、遠坂から小さな体に似合わぬ素晴らしい三連撃をもらい、空中遊泳、その後無様に墜落、落ちて床を滑っていき本棚に激突。追い討ちで落ちてきた本で意識が飛びかける。  蛇足だけど、最初の「ぐえっ」で崩拳、「がふっ」で肘、「どはぁ」で双掌打を繰り出されている。いずれも震脚が利いていて、実戦でも磨かれているせいで技のキレはネギ先生以上とも言っておく。  薄れいく意識。閲覧室に入ってきたネギ先生がこの惨状を遠坂に問いかけている声が薄く聞こえる中、こんな悪夢がそれこそ夢であればと願い、目が覚めればこんな事実は存在しないくれ……と何がしかに祈り、意識を手放した。  ちなみに蛇足だが、 「むむう、たこ焼き、ですか。————ネギ、この私に異界の魔魚を食べろというのですか」 「あ、スイマセン。たこ焼きダメなのですか?」 「以前はそんなことはありませんでした。ですがその具材としてあの海魔の触手を使用していると知り、どうにも……くっ! 二十年以上も前なのにあの斬っても斬っても果てがなかった敵はいまだに苦手です」 「は、はあ……魔魚、海魔ですか?」 「そっとしておきな兄貴。アルの姉さんなんかトラウマみたいなのが発動しているっぽいぜ」  同時刻暇を出されたセイバーが異なる時間のネギとたこ焼きを挟んでこのような会話をしていたのは全くの余談である。 拝啓、オヤジへ。  私はオヤジの目指していた正義の味方とは何かという事を模索しながら、日夜鍛錬と人助けを続けています。以前は無償でやっていた人助けでしたが、師匠であり恋人でもある遠坂にその在り方を矯正されてからは僅かなりとも報酬を受け取ることにしています。もちろん、私なりにですが。  オヤジに関わるなと言われた魔術協会の本山である時計塔に遠坂の弟子という形で行き、その後は人助けをしながら彼方此方の裏社会の修羅場を遠坂、セイバーの三人で何度も乗り越えてきました。少しでもこの手で救える人がいるようにと。  ただ、人生は一歩先が暗闇でした。自身の未来の可能性の一つと戦う経験をしたけど、こんな可能性は考慮、いえ想像の外—— 「衛宮先輩、二名様ご来店です」 「分かった、教えた通りにやればいいから」 「はい————お客様、当店『アルズベリ』へようこそいらっしゃいました。まずは席へご案内したいのですがよろしいでしょうか?」  平行世界へ来て、女の子になって、果ては吸血鬼になって、中学生をもう一度やっている……で、今は学園祭でメイド喫茶を催し物にしてメイドの格好をしています。  ごめん、オヤジ。正義の味方はまだちょっと遠いかもしれない。 「衛宮さん、またお客様一名です」 「私が接客するよ————む……。いらっしゃいませ、ようこそ当店へ。荷物をお持ちましょうか? ——結構ですか。では、席へ……分かっているよ。君が好みそうな席ぐらいは把握している龍宮。だから任せてくれないか?」  出席番号32番 衛宮      第21話 学園祭・剣茶(けんちゃ)  注文されたオリジナルブレンドのコーヒーを目的の席まで伝票と一緒に銀の盆に乗せて運ぶ。運ぶ先の席は改装した弓道場のもっとも奥まったところにあり、店全体を見渡せる場所にある。客として来た龍宮が選択しそうな席に私が案内したのだ。 「ご注文のブレンドコーヒーになります」 「ああ、ありがとう」  案内した龍宮はライトグリーンのワンピースの上にジャケットを着て、いつでも動けるように席に浅く腰掛けている。彼女の服装は褐色の肌に合ったものであり、周囲から格好よく見える事だろう。現に店の客や店員の中に彼女を見て小さく騒ぐ者もいる。それも男女の区別なく。  ソーサーに乗せられたコーヒーカップを丁重にテーブルに置く。無闇に音をたてないのが基本だ。それが例えクラスメイトであっても礼を失することはあってはならない。 「しかし、様になっているな衛宮。イギリスでは奉公人でもやっていたか?」  様子を見ていた彼女のからかい半分の言葉だが、正解。 「一応ある屋敷でね」 「……半ば冗談だったが、本当にやっていたのか」  似合いすぎだな、とこちらの言葉に呆れながら、彼女は添えられた砂糖もミルクも入れずブラックで一口、立ち上る薫りを楽しむようにして口に運ぶ。 「ほう、いいじゃないか。オリジナルのブレンドと聞いたが、衛宮が?」 「そう。ブレンド内容は企業ヒミツだ」 「ふむ」  そう唸って、次に龍宮はカップの残りに砂糖とミルクをたっぷり入れて飲みだした。ブラックは最初だけ。彼女は甘党だった。  この店『アルズベリ』での主力の飲み物は英国のティーサロンを意識して紅茶なのだが、コーヒーも充実させている。ブレンドも衛宮家のレシピを使用。若干コーヒー豆の配合を変えて、この店の料理に合うようにしたものだ。 「それで龍宮、私に用があってここに来たんだろ?」 「ああ、午後のパトロールのことだ」 「む」  自然声は潜めたものになる。この様な魔法関係の話がされるのも予想の内。だからそれも含めて店の奥に案内したのだが、こうも予想通りとは。あの会合には龍宮の姿はなかったが、大方学園長辺りに依頼された仕事なのだろう。 「長くなるか?」  ぐるりと店内を一瞥する。霧矢さんが『客の回転率より、満足度を優先する』と言った言葉のためか、一般的な日本の飲食店にあるような忙しなさはここでは皆無だ。お客の入りは閑静な場所にあるため席全体の五割ほど。それでもお客は入ってくるので、話が長すぎると備えておかなくてはいけない。 「いや、用件はすぐ済む。渡しておくものがあるだけだ」  龍宮はいつも銃器を入れて持ち運ぶギターケースから二つの機械類を取り出し、テーブルの上に出した。一つは明らかに携帯型デジタル無線機。これは連絡用だろう。それともう一つは……? 「龍宮、これは?」  見た目は手に治まるサイズの細長いリモコン。だけど押すべきボタンは少なく、代わりに計器類が大部分を占めている。何かを計測するもののようだけど。 「こいつは、告白生徒を見つけ出す機械だ。パトロールに出る魔法先生や魔法生徒に配られている。衛宮に渡すように高畑先生に頼まれた」 「へえ、これがね……」 「詳しくは知らんが、告白しそうな生徒の数と位置を知らせてくれるんだそうだ。私と衛宮は場所こそ違うが、同じ時間帯でパトロールをするだろう? 今から渡しておこうと思ったのさ。無線機は連絡用だ、周波数は私のと合わせてある」 「そうか、わざわざありがとうな」  無線機と発見機をスカート部分のポケットに入れる。このメイド服、実用性が高い仕立てなので、ポケットの容量が大きい。だからこの位は余裕で入る。 「時間は午後の一時半でいいんだっけ?」  後は軽い確認事項だ。 「ああ、私はそれより前に世界樹前広場で仕事についているが、衛宮はその時間から刹那と北側のステージだったはずだ」 「分かった。それまではここに居るから何かあったら……」 「フッ、了解。だが、学園祭を見ていかないのか?」  外を見やる龍宮に釣られるように私も外に視線を向けていた。 前夜祭が終わる前に寮で睡眠をとって、学園祭本番が始まる前にここで開店準備、そのまま今に至っている。当然店の外を見てはいない。この弓道場は学園でも割合に静かな場所に立てられており、周囲からの雑音は少ない。そのため大通りで行われているパレードや各種出店の喧騒はここでは遠い潮騒程度にしか聞こえない。 「いや、どうせ後のパトロールで学園祭を見て回ることに事になるから問題ないよ」 「そうか————ん、勘定を頼む」  飲み終わって空になったカップをソーサーにストンと戻した龍宮が伝票片手に席を立つ。店に来て十分も経っていない。 「もういいのか?」 「ああ、元々そいつを渡すために来ただけだ。パトロール以外でもやることがあるからな。お互い、忙しい身ということだ」 「……そうだね」  顔を見合わせて苦笑する。————こんな少し穏やかな空気が流れる中で、 「食い逃げ発生!! 防衛隊出動せよ!」 「ヤーヴォール! 神田川隊、出ます! 木村、内藤、目標の前面に出ろ! 俺が後ろから追い込む。突撃[アングリフ]!」 「了解! 隊長、トリプラーの許可を!」 「許可する。かかれ!」  どたどたと足音を店内に轟かせ、アメフトの防具を身につけた男子店員三人が食い逃げしている挑戦者を追い込んでいた。挑戦者は一人、どうも大学部の人のようだ。三人の思わぬ連携ぶりに驚いている様子。 「衛宮、アレはなんだ?」 「この店の方針で、食い逃げ歓迎なんだよ」  少し呆気に取られている龍宮に説明するため壁に張られた紙を指差した。  そこには『食い逃げ上等! 信賞必罰 当店は食い逃げ自由です。当店の防衛隊から逃げ切り、当店から三十メートル離れたレッドラインを超えると当店での料金は一切頂きません。ただし、途中で防衛隊に捕まりますと通常の五割り増しの料金を請求させていただきます。 汝タダ食いをしたければ逃げ切れ!』と綺麗な毛筆で書かれていた。当然書いたのは部長だ。 「ここの部長は正気か?」 「さ、さあ?」  大真面目に龍宮が私に問いかけてくる。私の中で霧矢さんの変人指数がまた一つ上がった瞬間だ。 「捕まえました!」 「く、くそ、何てことだ」 「では、挑戦者様には規定どおり五割り増しの料金を請求させていただき、1275円をお支払い願います」 「ちっ! 払うよ、払うさ」  本来落ち着いた雰囲気の喫茶店であるはずなのに、『食い逃げ』という要素が入ったせいでどうにも騒がしく、怪しげなものになる。  普通、五割り増しの料金を覚悟で食い逃げする人は居そうにないのだが、あくまで『普通』ならだ。お祭り体質、賑やか至上主義の気質がある麻帆良学園生はその限りではなく、その気質に引っ張られるように一般入場者も食い逃げをかましてくれる。祭りが始まってわずか一時間。食い逃げ発生件数は今ので六人目となっていた。  喫茶店『アルズベリ』防衛隊戦績・六戦全勝中 龍宮が店を出てからも私の仕事は続く。  来店するお客様への接客、テーブルの後片付け、調理の補助、場合によっては私自身がメインを張る。等等、挙げれば案外やることが多い。 シフト表では、私がここの店員として働くのは学園祭一日目の午後一時までとなっている。割合人数多目の弓道部だけに一人一人のシフトは余裕がたっぷりある。霧矢さんは部員にも学園祭楽しんで欲しいとのコトだ。お陰でパトロールや超さんから依頼された武道会にも出場できる。 「あ、そういえば龍宮も武道会にでるんだったよな。しまったな、会場を聞いておくんだった」  龍宮が店を出て三十分、お昼もほど近くに今更ながら思い至る。  うかつながら、超さんに武道会の開催場所を聞いておくのを忘れていたのだ。同じ出場者である龍宮がさっきまでいたのに場所を聞いておくのを忘れるとは、何とも粗忽な話だ。 「ほおー、お前も武道会に出場するのか」 「っ! あ、師匠。いらっしゃいませ」  急に後ろから声をかけられ、振り返ってみればフリルやレース、リボンがふんだんにあしらわれた服装の師匠がいた。  少女趣味全開の服装だが、師匠が着ると実に似合っており、まるで生きたビスクドールのようだ。彼女の存在に気付いた周囲の人はお客、店員問わず突然現れた幻想的な姫君に驚き、次には見とれている。気配や存在感を消して来ましたね師匠。 「邪魔シテイルゼ、メイド」  テーブルの上にはチャチャゼロもいる。セーラー服調の黒のワンピースを着て、手には最近お気に入りにさせてもらっている私が鍛ったタルウィ・ザリチェ(改)を握っている。 「チャチャゼロもいらっしゃい。でも、動けるんだ?」 「学園祭中は世界樹の魔力が外に溢れ出るからな。学園内なら問題なく動けるし、私も多少だが魔法薬なしでも魔法行使ができるぞ」  答えてくれたのは師匠。  原理としては別荘と同じで、魔力の満ちた学園という空間がこの主従に力を与えているのだとか。世界樹から出てくる魔力が多ければ多いほどかつての力を取り戻し、魔力放出最大となる最終日にピークを迎える。 「まさか師匠、この機に何か企むなんてことしません?」  当然といえば当然の疑問だが、よく考えれば彼女の気性では答えが分かってしかるべきだ。 「フフフ、それも考えなかった訳ではないが詰まらん。折角の酒の肴が控えているのだ無粋に騒ぐ気にならんさ」  返ってきた答えはこれまた当然と言えば当然。ただ、どこか『お楽しみ』が後で控えているから待ってやろうという含む感じがする。 「コッチハ肉ヲ切リ刻ミテーンダガナー」  一方のチャチャゼロもやはりと言うべきか物騒な台詞を吐いて、手の二刀をチャリチャリと刃鳴らす。むう、チャチャゼロにタルウィ・ザリチェは似合いすぎだ。早まった事をしたかな……?  師匠とチャチャゼロ。片やフリルとレースを多用したドレスを着こなすお姫様。片や見た目にも凶悪そうな二振りの凶器を持ってカタカタと嗤う殺戮人形。この二人が揃っている様子は不思議と違和感がない。ごくごく自然に見えてしまい、周囲の客も師匠の可憐さに気を取られることはあっても物騒さについては分からないみたいだ。きっとこれも学園祭ならではの空気がなす業なのだろう。 「でだ話を戻す前に、私はここに『客』として来たんだが?」 「……あっと、失礼いたしました。コホン……ではマクダウェル様、こちらがメニューとなります」  すっかりいつもの調子で師匠と話をしていた。これでは接客係のコーチとして面目がたたない。即座に『サーヴァント調』に口調を改めて師匠にメニューを丁重に渡す。 「うむ……茶々丸がいないから朝を抜いて来たんでな、軽く食事でもしようと思うのだが、この店のお勧めはなんだ?」  メニューを受け取った師匠の雰囲気は堂々としたもので、そこにいるのが当然、居ることを拒否する方が悪いといったもの。心なしか王気(オーラ)すら漂っている。 「軽食でしたら本日学園祭一日目のお勧めといたしまして、魚介類をふんだんに使いましたフィッシュメニューが充実しております」 「ほう」  私はといえば、この王気に中てられた訳ではないが心身ともに完全に侍従状態に移行した。感覚としては仕える館に賓客を迎える姿勢だろうか。ただ、師匠の場合だと主人に仕える姿勢になるのは普段からやっている事だから。 「マクダウェル様の好みからしますと、こちらの舌平目がおすすめですが、いかがいたしましょう?」 「よかろう、料理人はお前か?」 「お望みとあれば」 「ではお前の料理を所望しよう」 「かしこまりました」  すすっと一礼して下がり、キッチンに入る。  調理係と話をしてキッチンを使わせてもらいすぐに調理にかかる。けど、何か皆驚いた表情で私を見ている。なんでさ? 「いや、何か絵になる光景ってあるもんだよね」 「全く。完全にちっちゃな御主人様とそのメイド、だもん。ビックリ」 「なんか私達のなんちゃってメイドが霞む感じ」  口々に言ってくれる。つまり何か? 私のメイドっぷりと、師匠のご主人ぶりが余りにも様になっているため驚いていると……?  何とも複雑な気分だ。でも手は休めず一時的に間借りしたスペースで調理を進めていく。下拵えは完了。料理は愛情以前にどれだけ手間を掛けたかによって味が変わるのだ。手は一切抜かない。でも事は迅速に進めていく。味を良くする工夫と同時に調理時間を短縮する工夫を盛り込み、調理時間を短くしていく。 「ん、出来た」  調理用の前掛けを接客用のエプロンドレスに換え、銀の盆に料理を載せて師匠の下に料理を運ぶ。注文から出来上がりまで二十分弱。手間と味を両天秤にかけていかに早く、いかに手間を掛けられたかを競った結果のタイムだ。これが普通だったら三十分はかかるものらしい。よってメニューには時間がかかる旨を書き込んでいる。 「お待たせいたしました。こちらが本日のお勧めで、舌平目のセットメニューとなります」 「うむ」 「オオ、ウマソウジャネーカ」  テーブルに並べられていく料理と彩を加える食器。それを待っていた師匠は別口で注文をしていた食前酒、もといグラスに入った林檎ジュースを片手に並べられていく様を満足げに眺めている。流石に人前で飲酒はしないようだ。 「ご注文のお品は以上になります。どうぞごゆっくり」  最後に伝票を無粋にならない位置に置き、一礼。歩み去ろうとするが、 「まあ、待て。話はまだ終わっていない」  引き止められた。こういう時は極力応じるのがこの店の方針でもある。 「何でしょうかマクダウェル様? なにかご不明な点でも?」 「さっきの話の続きだ。それと口調を元に戻せ、いくら仕事と分かっていても背筋が寒くなる」 「む、そこまで言うことないだろ」  『メイド』喫茶と銘打つからには完璧に侍従の所作をして置かなくてはなるまい。そう思ったから執事時代の所作でいったのに師匠には不評のようだ。少しヘコむなぁ。  こちらの気分などお構いなしに師匠は食事を始め、優雅な手捌きでフォークとナイフを操り、料理を食べていく。その様子は気品溢れる貴族の所作そのものだ。私は彼女の傍に控え、話を伺うことにした。 「武道会の話だがな、私も出ることにした。ボーヤが腕試しで大会に出場するというからな……くくっ、大層驚いていたぞ」 「でしょうね。師匠のことですから何か賭けでもしたんですか?」 「察しがいいな、その通りだ。大会で無様さらすような事をすれば学園祭の最終日丸一日、私に付き合うことになっている。無論、ディナーもその後もな」  悪役笑いを浮かべ、早くも一皿片付けた師匠を見て私はネギ先生の苦労振りに心から同情する。十歳の子供に何を要求するんだろうかこの人は……。  少し思考が内側に向いていたせいだろう。師匠の悪戯を考える表情に気がつかなかったのは不覚だった。 「当然、お前も私の弟子だからな。私に負けた際の罰を与えようか……そうだな、貴様には私と『本契約』を結び本格的な従者となる。というのにしようか」 「はい?」  なんてコトを言うのですかこのお方は。 「曲がりなりにも貴様も私の弟子、成長が気にならんでもない。それにボーヤやあの赤いのとも契約に関して決着を着けておきたいしな」 「ケケケ、便利ナ従者ガ欲シイダケノクセニ良ク言ウゼ」 「黙れ、チャチャゼロ。それとこれは師匠命令だ、拒否は許さん」  負けてしまったら色々と面白、いや面倒な事になりそうだ。すぐに脳裏には、怖い微笑みを浮かべて宝石を構える遠坂とエクスカリバーを構えるセイバーの姿が鮮明に浮かんでしまう。恐ろしい。これは是が非でも勝たなくてはいけない。 「ん、堪能した。なかなかの美味だったと言っておこう。腕を上げたな」 「そっか、喜んでもらえたらこちらも嬉しいよ」  料理を完食した師匠は食後の紅茶を一口飲んで一息つく。ここ『アルズベリ』では紅茶はカップに一杯で来るのではなく、本場英国に習い二三杯分入るポットでやって来て時間をかけた紅茶の楽しみをさせるというものになっている。  私は師匠の家でもやっているようにお茶の采配をする。余裕があるとはいえ、人員を『優待券』もないお客一人のためだけに割くのは文句の出そうなものだが、師匠の出す雰囲気がそれらを封じ込めている。傅かれるのは当然、むしろメイド喫茶と言うからにはここまではヤレと彼女の雰囲気が語っている。 「そうだ、話は変わるがボーヤを見なかったか?」 「ネギ先生? いや、今日は見ていないけど先生に用事でも?」  最後の一滴である『ゴールデンドロップ』までお茶を堪能した師匠がふいにネギ先生の話を振ってきた。彼とは前夜祭以降は会っていない。店に来るという話があったけど、あの調子では無理そうだ。なにしろあの過密スケジュールだ、一つ二つ削ったところでどうにかなるものではない。 「いやな、ボーヤが何やら面白そうなものを持っていたんだが、よこせと言ったら逃げられた。全く、師を敬わん奴だ」 「……威圧したんじゃないですか? 先生あれで小動物なところがあると思うから」 「何を言う、あの程度の威圧で参るようでは私の弟子として話にもならんぞ」  威圧したことは否定しないんだね。 「まったく、逃げおってからに……追いかける身にもなれというのだ」 「イジメッコミタイダッタゼ、御主人」 「シバき倒すぞ」 「オオ、怖」  いつもの師匠とチャチャゼロとの主従漫才だが、ここは人の目がある喫茶店内だ。今更だけど、マズイかなーと周囲を窺う。  周囲の客は出来の良すぎる腹話術に驚いて見入っている。でもすぐに納得したような顔をして、むしろ感心したようにこちらを窺っている。何? 「大方、腹話術の練習と思われているんだろう」 「道ヲ歩イテイタ時ニハ御ヒネリナンカモ貰ッタナ」  ああ、納得。この学園祭の空気が異常を異常と思わせないのか。こんな中なら例えどれだけ魔法を振るってもアトラクションだと言い張ることも出来そうだ。勿論、そんな事はやらないけど。  あ、でも…… 「師匠とチャチャゼロで人形芝居をすれば結構売れるんじゃないですか?」 「ソレハ基本ダナ」  基本ですか。対する師匠は遠くを見やる目で、 「吸血鬼になって間もない頃は日銭を稼ぐために色々やったな」  などと冗談とも本気ともつかない事を言って、実に師匠らしくない。うわ、地雷踏んじゃったかな?  「ボーヤに会ったらよろしく言っておいてくれ」と言い残し、支払いを終えた師匠は店を出て行った。てっきり食い逃げに挑戦するかと思っていたが、「そんな阿呆なことするか」だそうだ。  師匠が出て行ってしばらく、店は派手ではないけど順調に売り上げを伸ばしている。静かな環境とおいしい料理がお客を呼び込むのだろう。ただ、時折巻き起こる食い逃げ攻防戦は相当に騒がしい。 「食い逃げ発生! 数3、防衛隊出動!」 「ヤヴォール! 三ツ屋隊出ます!」 「後藤、志村、奴にジェットストリームアタックをかけるぞ!」 「「了解」」 「うお! なんだこいつらは!?」 「ひょえー!」 「や、やりおるわ!」  防具を身につけた男子陣が巧みな連携プレーで散り散りになって逃げようとする三人の食い逃げ挑戦者達を取り囲む。これでアウト。戦績はいまだ全勝、弓道部男子防衛隊は鉄壁を誇っていた。「次は——志保さんの弓道部での出し物ですね」  軽くスケジュール表に目を移して僕は次に向かう場所を確認。午後に入って最初に向かう場所の弓道場では、志保さんが所属する弓道部がメイド喫茶を開いているそうです。  メイド喫茶というと、準備期間中にうちのクラスがやったことを思い出してしまいますが、志保さん曰くそんな物ではないから安心して欲しいそうです。大丈夫かな? 「お、次はあの姉ちゃんのところか? 」  横で狼男の仮装をした小太郎君が僕の言葉を聞きつけ、身を乗り出してきた。 「確か弓道場は学園でも有数の閑静な場所です。さぞ落ちつた喫茶店でしょうね」  後ろでは蝙蝠をイメージした……その、目のやり場に少し困ってしまう仮装の雪広さんがこれから行く喫茶店に思いをはせています。  本当に超さんの発明品があって助かっています。  超さんから貰った懐中時計。これはなんとタイムマシン! 魔法でもこんなのを実現したことはないというのに超さんは科学の力で実現してしまっていたのです。  にわかには信じられない話ですが、ここまでですでに三回時間を跳んで学園祭一日目を四回経験したことになります。A組の皆さんの出し物のおばけ屋敷に入ったり、のどかさんと一緒に学園祭を回ったり、武道会の予選にでたりとここまでかなり忙しかったです。  そして今はA組の皆さんがそれぞれ所属する部活での出し物に顔を出していくことになり、小太郎君が三回目から一緒に来てくれ、雪広さんはおばけ屋敷のお客を呼び込みのために一緒に回ってくれています。 僕や小太郎君もそれに協力して、小太郎君は狼男、僕は吸血鬼の仮装です。誰かが『前の僕』と間違わないよう服装をこまめに変える。カモ君の助言ですけど騒ぎになってないところからして効果はあります。  歩を進めるたびに静かな場所に入っていきます。あれほど人の波が絶えなかった通りがまばらになって、道行く人の歩調ものんびりしたものになっている。  道の横には竹林が広がり、風が吹くたびにさらさらした音を昼の空気に残していく。うん、こういうのが和風というのでしょうねー。  竹林が途切れたところに瓦の屋根の建物。喫茶店である弓道場が見えてきました。あれ? 何か騒がしい? 「食い逃げ発生! 防衛隊出動!」 「ヤヴォール! 神田川隊出ます!」 「くっ! 速い!?」 「マズ、初の食い逃げ成功者を出してしまう!?」  く、食い逃げですか!?  騒ぎに気を取られて足を止めていた僕たちの前に、高校生位の男の人が外に飛び出て来ました。その後ろを何やら剣道の防具を着込んだ人が何人も出てきて男の人を追いかけています。 「ふふん! 弓道部では陸上をやっている僕の足についてこれまい、これでタダ食い成功だな!」 「く、くそ」「無念」  得意満面の男の人が防具を来た人達を尻目に弓道場から走り去ろうとして、  ——ヒュン ドン 「ぷぎゃ」  唐突にその場で倒れてしまいました。よく見ればすぐ傍には鏃の代わりに丸いクッションが付いた矢が落ちています。えっと……撃たれた? 「神田川さん、今の内です」 「おお、衛宮助かる」 「まだレッドライン内だからアウトにできるな」  防具を来た人達が男の人をおみこしのように抱えて弓道場に連れて行きます。  ふと、上を見上げれば瓦屋根には長い和弓を持った黒いメイド姿の人影。それは見間違うことなく志保さんでした。 「お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」  席についた僕達に志保さんが謝っています。  服装は前にクラスの皆さんが着ていたものに若干手を加えたもの。雪広さんの話ではウチのクラスでメイド喫茶がボツになった時に余った服を使っているそうです。あの時志保さんはバーテンダーの格好をして格好良かったですけど、トラディショナルなメイドの服装も良いですね。普段ポニーテールで纏めている白い髪が今は三つ編みで一本に纏められ、丈長のメイド服はフリルやレースは少なく実用本位ですがシックで落ちつた雰囲気を出して志保さんに良く似合っています。 「何なんや、さっきのは?」 「それについては私の口からは……詳しくはアチラを」  小太郎君の質問に志保さんは壁の一面を示します。えっと何々? ……食い逃げ……ですか? なんと言うか、スゴイですね? 「食い逃げ歓迎とは変わっていますわね」 「そうだよね、やっぱり……」  雪広さんの言葉に苦いものを口にした表情を志保さんはしている。でもそれもすぐに元の顔に戻し、 「では、ご注文を伺います」  伝票を取り出して注文を聞く姿勢をとりました。  今になって思うのですが、志保さんは出会った当初はぶっきらぼうな感じを受けたのですけど、実際は表情豊かで優しい人だと感じますし、それにとても綺麗な人です。背格好や普段の雰囲気は刹那さんに似通っていますけど、志保さんの方が大人びてどこか老成しているような気がします。吸血鬼だと聞いていますけど、ひょっとしてマスターのように何百年も年を取っているのかも……?  あ、注文しなくてはいけませんね。 「えっと……わぁ、紅茶とかコーヒーの種類が充実していますねー」  メニューを見ればその種類の豊富さに声が出てしまう。インド茶、中国茶にセイロン茶、あ、ロシアのもある。それに周りの客席を見れば紅茶はカップではなくポットで出てくるなんて本格的なティーサロンみたいです。 「なんや、お茶ばっかかいな。何か食いモンはないんか?」  小太郎君はこのメニューの内容に不満みたい。でもさっき五月さんのところでお昼を兼ねた試食会に行ってきたのにまだ食べるの? 「食事のメニューはコチラですよ。ネギ先生と雪広さんはいいのですか?」 「はい、さっき五月さんのいるお料理研究会の試食会に行ってきましたら」  志保さんが軽食用のメニューを渡してくれ、小太郎君がメニューを物色しだしている。僕も隣から軽く見ますけど、結構凝った料理が出てくるみたいだ。 「試食って、足りるの?」 「ええ、お昼としては充分な量でした。そこの腹ペコのお猿さんを除けばですけど?」 「なんやと!? そんならあやか姉ちゃんはネギの女装見て鼻血出したヘンタイやろ!」 「まだ言いますか!?」  あ、あのー二人ともその辺で……他のお客さんに迷惑だよ……。  口論が発展して、すぐにでもテーブルを挟んでぽかぽかと取っ組み合いが始まろうとしたその時、 「そこまで」 「「!」」  二人の間に衛宮さんの銀のお盆が差し挟まれた。 「まずは小太郎。それ以上騒ぐなら店の外でやってくれ」  穏やかな物言いですけど、目はあの猛禽類の眼光で志保さんが小太郎君を見据えています。周囲のお客さんも静かになってこちらを窺っている。 「う……分かった」  意外というのか、小太郎君は素直に志保さんに従って席に座りなおした。 「次に雪広さん。一応年上なんだから大人げないのもどうかと思うぞ」 「す、すみません。確かに大人げなかったですわね」  いいんちょさんもストンと席にすわり、その様子を確認した志保さんは「うむ」と一つ頷く。 「他のお客様方もお騒がせして申し訳ありませんでした。気を取り直してどうか引き続きおくつろぎを」  最後に周りのお客さんにペコンと一礼して騒ぎは収まってしまいました。本物のメイドさんは見た事ありませんが、きっと今の志保さんみたいだという気がしてきました。 「うわぁ……おいしいです」  注文したダージリンを志保さんは手ずからカップに注いでくれました。そこまでしてくれなくてもと思いましたが、なんでも僕が志保さんから貰ったあの『優待券』は単に料金を半額にしてくれるだけではなくメイドさんを一人給仕として専属にできる権利を得るものなんだそうです。そのことを説明され、僕はやはり志保さんに給仕をお願いしました。  そして、その選択はとても正しいものだったみたいです。 「本当ですわ、衛宮さんはお茶を淹れるのが大変上手です」 「恐れ入ります」  いいんちょさんも一口飲んですごく幸せそうな表情です。無理もありませんこんなおいしいお茶を飲んだ日には誰だってそんな表情になってしまいます。きっと今の僕の顔もこんな感じだろうなぁ……自分でもある程度お茶を嗜んでいますけど、志保さんの足元にも及びません。スゴイです。ジャンピングは絶対条件ではないですけど、確実なジャンピングを起こすことに志保さんは拘っています。こういう人の淹れるお茶はおいしいといいますけど本当ですね。  弓道場本来の静かな空間に紅茶のなんとも言えない豊かな香り。落ち着きます。お昼時直後で賑わっているはずですが、みんなこの静かな空気を壊さないようにしているみたいで席は満席なのに聞こえてくるのは囁き合う程度の声だけ。とても静かです。  でも、ここって『食い逃げ』歓迎なんですよね…… 「食い逃げ発生! 数1、防衛隊出動!」 「ヤヴォール! 神田川隊出ます!」  突如静かな空気を破壊する大声が店内に響き渡る。すぐに始まるドタバタとした音。どこからともなく出てきたアメフトのプロテクターを身に着けた人達がお店から逃げようとする黒い学生服姿の男の人に向かっていきます。あれ? あの学生服の人って、武道会の予選の時僕にガムをくれようとした人じゃないかな? 確か遠当てが出来る人だ。 「へぶっ」「ぶおっ」 「ぐ、こいつできる」 「フハハハ! この程度でこの豪徳寺薫を止められるか! ただ食いさせてもらうぞ」  あっという間に防衛隊の人をやっつけてしまった豪徳寺さんは豪快に笑いながら堂々と店の外に出て行きます。うわぁ、防衛隊の人大丈夫かな? 「衛宮!」 「はぁ、了解部長」  部長さんらしき人が志保さんに声をかけました。渡されたのは和弓とクッション付の矢が一本。 「ネギ先生達はゆっくりしていて下さい。少し場を外させていただきます」  そう言うやオープン席になっている射場から一足跳び、屋根を掴むとグルンと鉄棒の逆上がりみたいに回ると、屋根の上に消えてしまいました。 「あ、し、志保さん!」  僕も気になったので行儀悪いのですけど、志保さんと同じように屋根に上がります。  すでに志保さんは射撃体勢でした。いきなり人を弓で撃つのは良くないと言おうとしたのですけど、そんな言葉、今の志保さんを目にした瞬間に脳から消えてしまいました。声をかけにくい、のではなく、声をかけることが出来ないのです。志保さんを中心に音が消えてしまうような錯覚。目は獲物を狙う隼か鶚(ミサゴ)みたい—— 「はぶう!」  いつ、矢が放たれたのか分かりませんでした。気がつけば矢は豪徳寺さんの首の後ろ、日本では『ぼんのくぼ』とか言われる場所に矢は中っていました。これではクッションが付いていても気絶してしまう。 「よーし、目標確保」 「了解」  部長さんの声で男子の皆さんが気絶した豪徳寺さんを担いでどこか別室に連れて行きます。まさか武道会の前に豪徳寺さんがこんな目に会っていたとは知りませんでした。  で、豪徳寺さんを撃っちゃった志保さんはというと、 「ふう」  いつもの状態に戻ってはいるのですけど、すごく申し訳なさそうな表情をしていました。  ネギ先生が店を出るときには私のシフトが終わる時間帯が来ていた。 「大活躍だったねエミヤン」  霧矢さんはそう言うが、食い逃げ挑戦者を矢で射るのは気が引けた。ホント申し訳ない。更衣室でメイド服から私服のTシャツとジーパンに着替えつつ一寸反省。 「自分でやっておいてなんですけど、何も矢で射ることはなかったかなと今では思います」  鏃の代わりにクッションの付いた矢を使ってはいるけど、威力はかなりのものになる。もちろん怪我させないよう加減を考えているけど、今更ながら大丈夫なものかと思ってしまう。 「大丈夫。麻帆良の学生はあの程度じゃどうこうかならないよ」 「なら良いのですけど」  髪を三つ編みからポニーテールに戻す。常々思うのだけど、色々な髪型を自分一人で出来るのだから女性は本当に器用だと思う。まだ私では髪を纏めるだけで精一杯だ。いっそ切ろうかな? 「で、これからまた別の用事?」 「ええ、学園祭中はアチコチに用事がありますので」 「忙しないねー」  今日だけでも大きな用事はパトロールと超さんから依頼されたミスリルの代価である武道会の予選がある。ゆっくりしていられる時間は少ないかな?  髪を刹那から貰ったリボンで纏めると、最後に聖骸布の外套に袖を通す。これで準備は完了。事前に投影する武装は特にない。ポケットの中に財布と一緒に仮契約カードの存在を確認する。そう派手なドンパチはないだろうけど、実力行使は覚悟しておこう。後は、龍宮から渡された無線機と発見器の状態を確認して外套の中にしまう。 「じゃあ霧矢部長、私はこれで」 「おう、衛宮大尉の武運を祈る」  妙に決まっている霧矢さんの敬礼に苦笑しつつ返礼した私は更衣室から裏口を使って外に。  扉を開けると途端に初夏の風が吹き込んで、外套をはためかせる。緑の匂いと一緒に祭りに来た人達の高揚した空気が薫る。  さて、行くとしようか。  喫茶店『アルズベリ』防衛隊戦績 午前全勝 ここ最近、俺は不運ではないかと思う。  俺こと、財前純一の日常は同じ学校の須藤と長田と一緒にツルんで、渋谷などの繁華街でイケている女の子に声をかけてはその日その日を楽しむことにある。近い将来来るであろう日々の糧の為にあくせく働く現実を忘れるために。ま、世間で言うところのモラトリアムってやつだ。  で、不運だと感じ始めた切っ掛けはちょうど二ヶ月前の事、いつもの様に三人で原宿に繰り出した時のことだ。  その時の俺たちは目ぼしい女がいなく、これだと思って声をかけても素気無くあしらわれて、いい加減ストレスが溜まっていた。そこにあの娘が現れたのだ。  まず目に飛び込んできたのは原宿の人ごみの中でも一際目立つ白い髪。バンドの追っかけしている連中の様に染めたものではなく、明らかに天然色だ。次に身に纏った真っ黒いシスターみたいな丈長のワンピースと上に羽織った赤いジャケットのコントラスト、そして何より彼女の意思が強そうな紅い瞳が目を引き付けて離さない。確か、どっかのテレビ番組が身に着ける物の色は三色ほどが一番望ましいと言っていた。その例で言うならソイツは見事に赤と黒と白を自分の色としていた。  掛け値なしの美少女。声を掛けてみたいと半ば衝動に近い感覚に正直に従う。相手は明らかに日本人の様には見えず、緊張はしたが腰は引けなかった。  で、結果から言うと惨敗だった。すげなくあしらわれるのは予想していたことで、二人にちょっと囲んでもらい、強気に出るつもりだったのだけどソイツは囲んだ長田の体を押しのけたのは予想外だった。 俺たちは学校でバスケ部(もちろん俺達の様なもんが入っているのだ三流もいいところの弱小クラブ)に入っていて、大抵の奴から大学生だと思われてしまうガタイを持っていた。取り分け、長田は一番体格が良く格闘技のジムにも通っている。なのに、俺たちから三十センチ以上は背の低い小柄なソイツは顔色一つ変えずに長田をなんと片手で押しのけて、何事も無かったかのようにさっさと歩み去ろうとしているのだ。  半ば反射でソイツの肩を掴もうとしたが、逆に横から伸びてきた褐色の手に掴まえられた。その手の主はこれまたトビキリの美女。白髪の奴と知り合いらしいこの美人さんは白髪から話を聞いて、去れと言外に込めて睨んでくる。コレだけなら俺たちは構わず白髪と一緒に美人さんもナンパするのだが、相手が悪かった。  とにかくこえーのだ。美人が怖い顔をするとより恐怖を覚えるという話があるが、そんなレベルを超えちゃっているのだ。なーんか、理性とか本能とかより上にある何かが『コイツニカカワルナ』と囁いている感じなのだ。  須藤と長田も同じ事を感じたのか、しけた顔を一瞬見合わせて、俺たちは逃げた。もう、尻尾を巻いたり、ケツをまくったりして。  後で長田の奴が「あの女絶対人を殺していやがる。俺の知り合いのおっちゃんが似たような雰囲気をしていた」とか言っていたのが印象に残ったものだ。こいつの知り合いのおっちゃんは俺も知っている。ヤクザ屋さんの殺し屋だ。それとあの美人が一緒とは世の中ふざけまくっている。  次はかなり最近、あれは二週間前の土曜のこと、今俺たちがいる麻帆良学園での事だ。  埼玉にあるこの麻帆良学園、世界でもトップクラスの巨大さを誇っているのは関東に住んでいる人間なら大抵知っていることだ。そこの学園祭が近く行われると聞いた俺たちは普段とぐろを巻いている渋谷から遠征することに決めた。  何せ世界的な視点で見ても巨大なマンモス学園が開催する学園祭だ、関東はおろか日本中、いや世界中から人が集まる。祭り期間中は色々楽しむには絶好の場所となる。  この学園祭、実は準備期間となる二週間ぐらい前から出店とかも出て、学園内の身内で祭りを始めている。俺たちはその時期に突っ込むことにした。本番の時もいいが、準備期間なら美人指数が高いと噂される麻帆良女子とお近づきになることが出来るだろうと踏んでのことだ。  で、コレも結果から言うと惨敗だった。  学園都市に着いて早々に相当にレベルの高い三人組に出会うことが出来た。 制服マニアの気がある須藤の話だと、三人組は学園本校の女子中等部の生徒で相手は中学生になるのだが、ここまでのレベルの美少女だ声を掛けねばと思った。  しかし、向こうはいきなり騒ぎだした。こっちがちょっとアプローチしただけなのにキャーキャー騒ぎやがる。そういえば、相手は女子校生。男に免疫がないのか?   そうこうしていたら、凄い奴が現れた。ソイツは自分を警備員だとかいっていたけど信じられない。信じられないほどの美少女なのだ。  金髪に緑の瞳、本当の白面にほっそりした体。人体の黄金率ってここまで極めることが出来るのかと思い、次にこんなファンタジーみたいな奴って実在するんだと心の中で感動したものだ。  この感動の中、やはり男に産まれたからにはこんな女の子にコナをかけるぐらいではなくては、と果敢にその娘にアプローチ。するとそのファンタジー美少女は付いて来てと人気のない場所に誘ってくるではないか……おお、期待大。  須藤も長田もしまりのない表情で女の子の後について行く。大いなる期待を胸に持って。  その後は————————  気がつくと埼京線の電車の中だった。何が起きたのか俺も須藤も長田も記憶がない。ただ体のあちこちが痛み、あの金髪少女に得体の知れない恐怖を感じていた。きっと、記憶が無い方が幸せなことが起きたに違いない。  そして、現在。  あんなことがあってもやっぱり諦め切れず、今度は学園祭本番に俺たちはやってきた。  学園祭というと大抵、屋台やクラスでやるしょぼい出し物が想像されるが、麻帆良は違う。まず、各部活やサークルが一年の成果の結晶を出してくる。技術やエネルギーが半端でない麻帆良、その成果の完成度はすごい。次にこの麻帆良に資金提供している団体が凄い。あの雪広グループをはじめ、各種有名企業が技術提供なんかもしてくる。で、クラスの出し物もそれに触発されるようにハイクオリティーになる。  結果、まるでテーマパークみたいな賑わいの出来上がりだ。祭りが行われる三日間だけは、千葉にあるのに東京と名のつくネズミが有名なテーマパークもそこのけの騒ぎになるのだ。  ここでは各種イベントも充実している。やってきて早々に俺たちは世界樹前広場で行われる『ねるとんパーティー』に参加することにした。やっぱり祭りを楽しむなら野郎が三人より華があったほうがいい。これは俺たち三人の共通認識だ。 「ねるとんパーティー、告白タイムに入りまーす」  司会進行役の声に顔を上げる。  やっぱり麻帆良の美少女レベルは高い。こんなイベントに参加する女なんて大したことないと思っていたけど、認識を改めよう。粒ぞろいです。隣の長田なんてさっきから緊張しっぱなしだよ。らしくねー。 「おい長田、お前何番の子に声かけんだよ」 「な、七番……」  ほお、あの背の高い元気ありそうな子かぁ。確かに長田の好みに合うよな。須藤は……十番? 髪の長い清楚そうなあの子か。二人とも見事に好みが別れているなぁ。俺は二番の子。うん、声を掛けたときの反応からして脈アリとみたんだが、さて?   告白一番バッターとして二番の子に向かって歩を進める。距離は十歩。  一歩。  二歩。  三歩。  四歩目で俺が二番の子に向かっていることが周囲に分かる。二番の子がどうしよーとか騒いでいるけどまんざらではなさそうだ。では五歩目を——  視界がライトグリーンと褐色に染まる。  はい?  ドガガガガガガガガガガガ  腹に拳もらったような衝撃。戦争映画かガンアクションの中でしか聞けない音も耳に入る。 視界がブレて、ズレる。あれ? 長田、須藤、お前ら宙に浮いているぞ。いつからそんな面白隠し芸を身に着けたんだ? って、俺も地に足が付いてない。凄いな人って宙に浮くことが出来るんだ。新発見だ。  ズレる視界にもう一度ライトグリーンと褐色が映る。それはどこかで見た覚えのある美女。両手にはデカくて黒い金属の塊。  それが拳銃であり、俺らは彼女に撃たれて宙を舞っていると認識が追いついた瞬間。意識が暗転。 その間際にこの走馬灯。ここ数ヶ月の出来事が次々と蘇る。 振り返ってみるとここの所の俺は本当に不運だ。  出席番号32番 衛宮       第22話 学園祭・告白阻止戦線、異状なし  見上げる空に白い雲はあれど雨の気配は全く無い。青い空には麻帆良大の航空部の複葉機がアクロバティック飛行などのデモンストレーションの軌跡を描き、飛行船が降らす紙吹雪が舞い、浮かぶ気球が空の華になっている。  見下ろせば、大通りには相当に凝った趣向の服装と仕掛けのパレードが練り歩いて、道という道に人が溢れて絶えることはない。その道行く人達も皆思い思いのコスチュームに身を包んでいて、私のようなTシャツにジーパンという普段着の人は殆ど見かけない。まあ、聖骸布の外套がコスプレっぽく見えないこともないのだが。 「これが、学園祭かぁ……」  視力の良さにものをいわせて廃校舎の屋上にある塔から学園都市を眺め、この規模の大きさに圧倒されている。お祭り好きの麻帆良が本気になればここまで凄いのだと認識させられる。  見える人達の表情は一様に楽しそう。来場する方も出迎える方もだ。  しかし、これだけ圧倒的人数の治安を魔法教師や生徒で守るのだ。この仕事、思った以上に大変かもしれないな。  ——PPPP  ん? 発見器に感あり。懐から取り出して方位、距離、人数を確認。その方向を視界に入れる。  場所は担当区域の北側の特設ステージ。二日目には音楽ライブなどが開かれる場所であり、現在は『マホレンジャー』なる地元ケーブルテレビで人気の戦隊物特撮番組のヒーローショーが行われている。そこの裏。林になっている場所にいる高等部の生徒の男女が目標のようだ。男子生徒が女子生徒に何かを言おうとしている。  携帯電話を取り出し、明日菜の携帯をコール。すぐに出た彼女に声を掛ける。 「明日菜、告白生徒発見。ステージの裏の林に一組」 『えっ!? 裏?! うわっ、間に合わないかも』  あわてた声が受話器から流れ込む。明日菜は……客席のほうか、ヒーローショーを見に来た子供たちに揉まれている。あれは間に合わないな。刹那と木乃香は別方向だし、ここは私がやるしかないか。 「私のほうで対処しておくから、明日菜はフォローを頼める?」 『あ、うん。分かった。けど、できるかな?』 「誤魔化しで押し通すしかないな。どっきり、とか……」 『うわぁ……』  疲れたような声が聞こえる。すまない明日菜。  ともあれ、時間がない。むこうは今すぐに告白しそうだ。  アーティファクト・ハジマリノツルギは既に弓に変化させており、左手に持っている。後は矢だ。 「投影開始[トレース・オン]」  右手に投影する矢は喫茶店で霧矢さんから渡されたような『たんぽ』が付いたもの。これに『変化』で催眠の矢へと変える。中れば対象を即座に眠らせる強制睡眠の矢が手に現れ、すぐに弓に番える。  目標までの距離は610メートル。風は北東の風・風力2、その他に湿度、コリオリなど各種データーで照準補正。八節を踏む。  魔力充填完了。威力を極力殺し、その代わり射程距離に魔力をつぎ込む。ここまでで約三秒。目標は告白直前だ。  目標に中るイメージはすでに出来た。中てる箇所は人体でも一番頑丈な頭。ここなら深刻なことにはならない。  後はこのイメージ通りに矢を放つだけ。  射という弦が風を切る音。しばらくの後、遠くで「ぷぽっ」という少し愉快な断末魔が聞こえたような気がした。  矢はイメージ通りに男子生徒の頭に中り、怪我一つ負わせることなく眠らせた。相手の女の子は突然倒れた男子生徒に驚き、騒ぎだしたがそこにやって来た明日菜がどうにかフォローしている。  こちらも事後処理をするため、今度は無線機を取り出す。周波数は龍宮ではなく刹那に教えられた救護室のチャンネルだ。 「こちら衛宮。北側ステージ裏にて告白生徒一名を処理しました、搬送の手配をお願いします」  返事はすぐに返ってきた。 『了解。対象の状態を知らせて欲しい』  相手は魔法関係の方と聞いている。撃たれた生徒のためにも詳細に伝えなくては。 「先ほどと同様、対象に対し、強制睡眠の効果を込めた矢を使用。箇所は頭。呪の効果は一時間の設定」 『了解。二分で到着する予定です』 「お願いします」  無線機独特のノイズ音が切れて交信終了。すぐに明日菜の携帯に連絡を入れて二分場が持てば良い事を告げて、自分もその場所に向かう。彼女だけというのも酷な話だしね。  廃校舎の屋上から跳躍。三階の高さから飛び降り、音薄く着地。すぐに身体は風となって祭りの空気に浸る麻帆良に飛び込んでいった。  そもそも、今の状況になった原因は何だったか……  刹那との待ち合わせ場所である北側のステージには時間の十分前に着いていた。丁度着いた時を見計らうように龍宮から通信が入り、ネギ先生と合流したことが伝えられた。ネギ先生からも「刹那さんはもうすぐそちらに着きますから」とのこと。  実際、その通りで待ち合わせた一時半の時間に刹那は明日菜と木乃香を連れて現れた。二人もこの魔法関係の仕事を手伝うと申し出てきたのだ。出会った当初の明日菜達なら断るところだが、この数ヶ月で明日菜も木乃香も魔法面で急激な成長を見せている。  まず明日菜は、修学旅行から帰ってきた辺りから刹那に剣術を習いだした。刹那曰く足技を中心に相当に筋がよく、私も手合わせして分かったが剣の才能というなら私より遥かにある事が分かった。今では彼女が朝刊の配達の帰りに練習している風景が日常のものとなっている。  木乃香の方はというと、元々修学旅行で西の刺客に狙われるほどの魔法の素質を彼女は持っている。そこに師匠からの教えが加わり魔法の才能が開花しようとしている時だ。木乃香の得意分野は回復魔法の系統で、師匠はその分野は苦手。人の事は言えないのだが、教えるほうも教えられる方も問題アリなのだ。けど何故かネギ先生の時より噛み合わせがいいのか、鍛錬そのものは順調なのだとか。  そんな二人も交えての告白阻止のお仕事。初めに数分話し合い、布陣を打ち合わせることに。その中で私の目の良さを知っている刹那が、 「衛宮の目で対象を発見して私たちに知らせる——所謂、司令塔の役割をするというのは?」  と言い出した。その案はなるほど、悪くないということで即可決。担当地区のステージ周辺を見渡せる場所にある廃校舎を見つけ、そこに陣取り携帯で刹那と明日菜に連絡を取り、無線機で他の魔法関係者に状況を知らせる態勢を取った。  始めて数分、早速発見器に反応が現れそのことを近くにいる明日菜に知らせた。だが、問題はここから。 「ね、ねえ志保。今気付いたんだけど、告白を止めるってどうやって?」 「ん? それは、場を濁すとか色々手段はあると思うけど?」  何しろ告白というのは微妙なバランスのある空気の中で行われるものだ。ここに外から茶々が入るとあっという間にそのバランスは崩れ、告白という雰囲気は無くなる——以上は遠坂の受け売り。だけど言いたいことは少しは分かるようになっている。要はその空気を外からの干渉で無くして告白を他所でやってもらおうということだ。 「むーー、やってみる」  そう返した明日菜だが、どうもうまくいかない。阻止目標の二人の周りで騒いでみたり、ぶつかってみたりと色々やってはいるのだがその目標カップル、相当なもので完全に二人の世界に入っていたのだ。で、とうとう明日菜が痺れを切らしてしまった。 「だーーーーっ! あったまきた! 来たれ[アデアット]! 寝てなさい!!!」  すぱーんとカードから呼び出したハリセン型アーティファクトでカップルをハタいてしまった。力が入りすぎたのか、カップルは二人とも気絶。無線で救護室に連絡を入れることになった。  その後はと言うと、明日菜が「こっちの方が手っ取り早いじゃん」といってハリセンで目標を叩きまくる事態に……下手をすると『麻帆良祭に現れたハリセン辻斬り少女』ということで噂になりかねないほどだ。  これはマズイと思い、矢で援護をするようになって、気が付けば今のように私も告白生徒を矢で狙撃するような状態に……つまり今の状態の原因こそ明日菜だが、助長させているのは私、か。まったく、麻帆良の空気がそうさせるのか最近の私は手段が過激化している気がしてならない。祭りが終わったら要反省だな。  眠らされた告白生徒がやって来た救護室の担架によって運ばれていくのを見届けると、時刻は午後三時半。時間的にも状況的にも一息入れるには丁度いい頃合になっていた。 「明日菜、一息入れようか」  早速隣に立つ明日菜に提案してみる。 「え? ——ああ、もう三時過ぎなんだ。時間経つの速いなー」  取り出した携帯電話の時刻表示を見て、そうかと思うと近くの円柱に据えられた時計を見て呟く明日菜。その声には何か必要以上に感情が込められているように聞こえるのは幻聴だろうか? 「明日菜?」 「あ、うん。そうね、そろそろ一息入れよっか」 「じゃあ、刹那と木乃香にも声をかけるよ。場所はあそこのカフェにしようか」 「そだね、まかせるよ」  何かいつもの明日菜らしからぬ印象を受けたけど、先ずは刹那達に連絡を入れるため携帯を取り出した。  休憩場所としたカフェは高等部二年の出し物、なのだが学生側の出店にしても相当に凝っているのが麻帆良学園。店の本体は四tトラックの荷台を改造したもので、そこで調理と会計が行われ、客席は外に出されているテーブルセット。つまり全席オープンとなっている。  ここなら休憩途中で告白生徒が現れてもすぐに対応が出来る。そう考えての選択だったのだが、思いの他ここの出すお茶や甘味が美味しく、木乃香や明日菜にいたっては完全にくつろいでしまっていた。 「はぁー……ネギの淹れる紅茶も良かったけど、ここの紅茶もいいわーー」  カップ片手に至福の声を上げる明日菜。 「このケーキもウチは好きやわー」  フォーク片手に三個目のチーズケーキを食する木乃香サン。  えっと君たち、まだパトロールの時間があることは忘れてないよな?  ふと、視線を感じて向かいの席を見れば、この状況に少し困り顔の刹那の顔があった。顔を見合わせることしばし、どちらからとも無く苦笑しあっていた。その苦笑顔、次の瞬間には何かに気付いたものに変わる。視線は、後ろ? 「どうした?」  刹那に聞くと同時にその方向に振り返る。何か変わった事でもあったのか? 「いえ、衛宮のリボンですけど——って、あっ」  彼女が言い切る前に理解した。振り返った拍子に髪を束ねていたリボンが解けて髪が散らばるように広がった。視界に入る白い髪の流れ。 「あー、なるほど。結びが甘かったんだ。教えてくれてありがとう刹那」  うまい具合にテーブルの上に落ちた黒いリボンを拾い、後ろ髪を纏めて再度結び直す。弓道場を出る時に急いで結んだものだから、緩んでいたのか。これが屋上にいる時でなくて良かった。風に流されていたら目も当てられない。  今度は時間をかけてしっかりと結び直す。————ん、これでいいか。 「そのリボン、こっちに来た時にはしていなかったよね? 今更だけどどうしたの?」  結び終わったところで、気になったのか明日菜が質問をしてきた。そっか、確かこのリボンを貰ったのは…… 「春休み中に刹那から貰ったんだ。戦闘中とかに髪が邪魔になるから纏めるものが欲しいなと言ったらね」  刹那を感謝の気持ちを込めた視線で見やり、質問に答える。思えば、あれからまだ半年も経っていない。なのにこの学園でもう何年も過ごしたような錯覚がする。それだけここで過ごした時間が濃いということなんだろう。 「へぇー、刹那さんがリボンかぁ。ちょっと意外かも」 「その、長から頂いたものなんですが身に着ける機会がなく、かと言って死蔵したままというのもなんでしたので衛宮に渡した次第で……それに——」  明日菜の心底意外といった声に刹那が答え、次に自身の黒髪を縛る紅い布を指して、 「衛宮からも相応のものは頂いております。貰うというよりは正確には交換でしょうか」  少し照れくさそうに説明をして話を締めた。 「ほぉおー、前から思っていたけど刹那さんと志保って仲いいんだ……」 「ええなぁー……せや、せっちゃん。ウチともなんか交換しよ?」 「え!? お嬢さまとですか?」 「いやなん?」 「いえ! 決してそのようなことは……」  女三人寄れば『姦しい』。その言葉そのままな状況が目の前にある。でもそっか、これは詠春さんが刹那にあげたものなのか。貰う貰わないの話はもうついている。ならば大切にするのが一番の礼儀だろう。  そんなことを心に刻み、後ろ手にリボンを触りつつ何気なく視線を巡らせる。  それは百メートル先のステージ上で行われているマホレンジャーのヒーローショー。午後に入って二回目の公演だが、親子連れの客から大人気のようでステージ前の席は埋まり、立ち見客も出ている。着ぐるみの怪獣をヒーロー戦隊が戦闘員と一緒に退治していく。その分かりやすさと爽快感に子供たちは歓声を上げている。  追い詰められた怪獣。そこで、客席の子供一人を人質にしようと動き、戦闘員が客席から子供一人を連れてくる。四、五歳くらいの男の子。赤毛と意思の強そうな目を持っているが、突然の事態に混乱している様子だ。傍にいる親はちょっと意地が悪いようで平然とカメラを息子に向けて構えている。ヒーローショーではお馴染みの展開だ。ステージの上に立つことになった男の子は戸惑うばかり。観客はその光景を微笑ましく見守っている。  でも、私の視界に入ったのはその上。ちょうど怪獣と男の子が一緒に立っている場所の上空。ステージの照明が不安定に揺れている。固定が甘くなっており、あと少しでライトが落ちそうだ。  拙い! 「三人とも、ちょっとゴメン!」 「えっ!? あ! 志保!?」 「どうしたのです!?」  席を立ち、駆け出す。後ろから明日菜達の声が聞こえるが今は説明する時間も惜しい。あれは少し強い風が吹いただけでアウトだ。下にいる人は重量推定二十キロの照明に潰される。そんなこと、目の前で起こしてなるものか! 「あっ! お客さん!」  受付をすり抜け会場へ。この手のヒーローショーでよくあるように料金は取らないようだが、飛び込んできた私に驚いたのかすぐに係員の声がかかる。けど、こちらの身体能力には追いつけないだろう。 「——っ、同調開始[トレース・オン]!!」  会場に入ったら身体強化。脚力を中心に魔力を割り振り、一気にトップスピードに持っていく。幸い、立ち見客は通路にはいない。こちらはステージに通じる花道を全力で駆け抜けるだけ。  照明は……マズイ! もう落ちる!  「逃げろっ!!」  無駄と知りつつ、声をかける。客席とステージの注目を集める、その前に事は起こる。  ——パキン  軽い金属音を立てて、拘束が外れる照明。すぐにバランスをなくし、後は万有引力の法則に則りそのまま下に。  重量感のある落下の衝撃がステージを揺らす。金属とガラスの音が混じる破壊音。客席は一瞬事態が飲み込めない。だが、 「優ーーー!!」  ステージ上の子を呼ぶ親の声でその場にいた人間全員が我に返った。 「大変だ!」「おい! だれか救急車を!」「それよりステージの上!」  あっという間に混乱の坩堝と化す会場。誰もが悲劇を予感していた。  でも、 「おい、見ろ!」  ステージの上を誰かが指差す。釣られるようにその場にいた全員が悲劇が起きたであろう場所に視線を向けた。  悲劇は起きてはいなかった。 「ふぅぅぅ、ま、間に合ったぁぁーー」  紅い外套を纏った白髪の少女が小脇に男の子を抱え、落ちた照明の横三メートルのところでへたり込んでいた。当然男の子は無事、傷一つなかった。また、一緒に居合わせた着ぐるみの怪獣氏だが、 「あの、そっちは大丈夫ですか?」 「(こくこく)」  何故かステージの隅で同様にへたれて、少女の質問に力なくうなずくだけだった。 「もうっ、いきなり飛び出して行ったからびっくりしたわよ」 「すまない、説明する時間もなかったんだ」  今だ混乱するヒーローショー会場で私は合流した明日菜にお叱りを受けていた。  でも、間に合って本当に良かった。  あの瞬間、身体強化に使った魔力を全て足に振り分け、瞬動を敢行。傍にいる怪獣役の人も被害に会う可能性大なので、まずこの人をスピードの乗った蹴りでステージ端まで退避させる。加減は一応したし、着ぐるみで十分衝撃は和らぐと踏んでの荒い処置だ。  それが終わるとすぐに蹴り足を戻して軸足に。男の子にアメフトのトライよろしく飛び掛り、すぐに抱き寄せて跳躍。照明を避けた。この間一秒ほど。本当にギリギリだった。 「ですが衛宮のお陰であの子も助かったのですし、結果としては最良ではないですか?」  なおも明日菜のお叱りが続くのではというところで、刹那が間に入ってくれた。視線は助けた男の子に向かっている。  優と呼ばれた男の子は親と思われる年配の女性に強く抱きしめられている。こちらの視線に気付いたのかその親御さん、こちらに男の子を伴ってやって来た。 「あなたが、うちの優を助けてくれた人ですよね?」 「え、ええ。一応は……」  答えると、その親御さん私の手をガッシリ両手で掴んだ。 「ありがとうございます。本当に、ありがとう」  そうして掴んだまま、深々と頭を下げてきた。言葉には頭以上に深い感謝の意味が込められている。この様子に明日菜をはじめ、周囲の人も一言もなく見守っている。 「いえ、こちらとしては当然のことをしただけです。ですからそこまで頭を下げなくても」  ここの魔法生徒として登録されている身、それになによりも自分の信条と在り方、その両方からこれは当然の行いだと言っている。だからそこまで感謝されると少し困ってしまうのが正直なところだ。 「いえ、息子を助けていただいたのです。このくらいの感謝は当然と思ってください」  が、親御さんも見事な切り返し。でも、そうか素直に感謝を受け取れないというのも一種の非礼、か。この辺り、昔よりは改善できたと思うのだけどまだまだだなぁ。 「分かりました。その感謝、お受けいたします」  こちらも一礼して親御さんに言葉を返した。明日菜の「コレじゃどっちが助けた方か分かんないわよね」という言葉は取り敢えず聞き流そう。 「ほら優、あんたもちゃんとお姉ちゃんにありがとうは?」  親御さんに背中を押されて優くんが私の前に。子供特有の何の含みもない真っ直ぐな瞳に私が映る。彼は親に背中を押されて少し戸惑った様子を見せたが、すぐにあの意思の強そうな表情でこちらを見て、 「ありがとう! レッドのお姉ちゃん!」  なんてことを言ってくれた。なんですと?  この優くんの言葉に周囲で様子を見ていた人達も何故か「おお、そういえばあの子はレッドチックだよなー」とか、「マホレンジャーのマホレッドより凄いから……真マホレッド?」などのたまってくれます。本気か、君たち? 「こらっ、優! すいませんこの子ったら……」  親御さんが優くんの頭を無理やり抑えて一緒になって頭を下げてくる。 「いえいえ、気にしていませんから。レッドでいいですから……」  少しだけ、そう、本当に少しだけだが『アイツ』の気持ちが分かった気がする。それに『お姉ちゃん』とくる。ショック……だな。  この後、目撃者の口コミで志保のことが広まり、『麻帆良のレッド』という話が出来るのに半日もかからなかったというのは別の話。話を広めたのが何処の団体で、主犯が誰かは聞くまでもないことだった。「こちら、ご注文のイチゴジャムジュースになります」 「あ、私です」  極めてトラディショナルなメイドの服装をしたウェイトレスによって運ばれてきた赤い液体の飲み物をセイバーが受け取り、早速嬉々として飲み始めた。名前の通りイチゴジャムを飲み物として改良したものだが、甘ったるさは無く、むしろ果実特有のスッキリした甘さがノドを通り過ぎていき、セイバーはその心地よさに暫し浸っていた。  その様は例えるなら陽だまりで丸まっている猫とか、昼寝中の子犬とかに見られるほんわりしたもので、周囲にもその空気が伝わっていくみたいだ。 「へえ、その様子だとアタリみたいね」  テーブルを挟んで向かいに座る凛が紅茶の入ったカップ片手にセイバーの様子を見ていたが、彼女の放出する空気に中てられたのか少し脱力気味。 「はい、このイチゴの風味を生かした甘酸っぱさは実に素晴らしいです。凛の方は如何ですか?」 「ん? そうね……」  問われて手に持ったカップに視線を戻す。注文した紅茶がポットで出てきたものをカップに注いだもの。淡い橙赤色の液体が薫り高く揺れている。 「一応合格点かしらね。志保の指導だけあって基本をしっかり抑えているわ。少ない時間でここまでの出来ということは案外教え上手なのかもね、アイツ」  一口口に含み、舌全体で味わうように飲んでいく。注文したのはヌワラエリヤというセイロン茶。特徴であるさわやかな香気としっかりした味が嗅覚と味覚を楽しませる。特徴を生かした淹れ方がなされているのだ。これは実に凛好みの風味であった。  この空間には学園祭の騒々しさは届いておらず、あるのは小波のような談笑の声と香る紅茶と料理の匂いぐらい。学園祭の賑やかさに疲れ、静けさを求める来客が好んでこの場所に来ていた。その場所の名は『食い逃げメイド喫茶・アルズベリ』  遠坂凛とセイバーの学園祭初日は一応順調な滑り出しを見せた。 祭り期間中もあれこれと忙しい志保が別行動なのは業腹ものだが、頼まれたらよほどの事でもない限り断らない志保(士郎)に付き合って十年近くになる二人としては心配ではあるが、同時に諦めにも似たものがあり、よほどの無茶をやらかさない限りは手を出さないことを三人の間で決めていた。もっとも、その無茶を度々やってしまうのが志保(士郎)なのだが。  簡単に朝食(と言ってもセイバーの機嫌を損ねない程度は手を尽くしている)を摂った後、身支度を済ませた二人は魔法教師と警備員として学園長から伝達された仕事を片付けるべく寮から現場に向かった。  場所は麻帆良大学工学部のキャンパス中央広場。日本の学園では他に例を見ないほどの豪奢な噴水がシンボルの欧州然とした広場だ。そこで今回の仕事の相方である葛葉刀子教諭も待っていた。  担当する学校が大学部と中等部に分かれているため会う機会は少ないものの、歳が近いこともあり凛と刀子は少ない機会ながらも結構話し、気心はある程度知る仲となっていた。  そのお陰もあってパトロールそのものは順調だった。  告白阻止といっても他でしているような実力行使は凛の性には合わない。そこで、担当地区であるキャンパス中央広場の周囲に宝石で基点を置き、広範囲の結界を張ることにした。  一流の結界はそれと知られることがない。この言葉通り、凛の張った結界は一般人はもちろん魔法関係者にも察知されることはなかった。当然、一緒にいた刀子も気付けなかった。この結界の効果は結界内部の人間の一定の心理操作。と言ってもそう大した事はなく、単にこの結界内にいると告白という気分にならないだけというものだ。  でも、効果は十分。刀子、セイバー、凛と三人連れ立って担当地区を見回ったが、結界の効果に綻びはなく渡された告白発見器は結局最後まで反応を示すことはなかった。これには流石の刀子も首を捻ったが、凛の仕業とまでは見抜くことはなかった。  告白生徒が担当地区から一人も出ることなくシフトの交代時間が来て、刀子とは現地解散で別れた。「遠坂先生も学園祭を楽しまれたらいかがです?」と言い残して。  無論、快楽主義を自認する凛のこと学園祭は堪能する気でいる。ただ、その前にやる事と気がかりをなくしておく必要があった。  それは、超鈴音の学園祭での動向。下手をすると平行世界から来た自分たちにも累が及ぶ危険を凛はこの時点で勘のみながら感じていた。 「でも、いいのですか? 私だけが楽しむような事で」 「いいのよ、杞憂で終わる可能性だって十分あるんだから。それに危機になっても自分一人で切り抜けられらないほど半端な鍛え方はしていないつもりだから」  パトロールが終わり、昼食を兼ねて一休みということでこの喫茶店に二人は足を運んだ。志保の所属する弓道部が出店する喫茶店ということもあるが、なにより志保が料理面で監修を行ったという理由でアルズベリという喫茶店が選ばれた。その選択は間違いの無かったもので、料理はセイバーの満足するものであり、出てくる紅茶は凛の合格点が出るものだった。 「なるほど、それでその重武装ですか」 「あ、流石にわかる?」 「ええ、この感じからするとこちらに持ってきた魔術礼装ほぼ全てですか……」  セイバーの指摘どおり、現在の凛は服の下に大量の魔術礼装で武装していた。動きやすい赤いパンツ&スーツ姿(余談だが、このスーツは凛の父である時臣が生前着用していたものを仕立て直したものだそうだ)の下にはアゾット剣、いくつもの宝石、先日志保に製作されたばかりのチーフスペシャル・マジックカスタムも収められ、セイバーの目には完全武装という言葉が似合う風情だった。 「なにが起こるか分からないからね、用心にやりすぎはないわ。でも、問題は相手の出方なんだけど……」  言葉に答えつつ、自分の思考に埋没してしまった凛にため息をつくセイバー。寝起きの悪さ同様にこの悪癖は十年経っても改善しそうにない。これは帰ってくるのに時間がかかりそうだ。イチゴジャムジュースに口をつけつつ周囲を見やる。 「いらっしゃいませ。ようこそアルズベリへ」  メイド姿の店員の丁寧な挨拶と同時に一人の客が店内に入ってきた。コウモリを意識した黒い外套に、これまたコウモリの絵柄が描かれたキャップをかぶった小柄な黒髪の少女。セイバーの記憶は志保のクラスメイトだと訴えている。  実際、店員に席を案内されて隣のテーブルに腰を下ろした彼女はこちらを見て反応を示した。 「あ、遠坂先生。こんにちはです」 「…………」 「遠坂先生?」  思考に没頭していて、反応のない凛に少女は戸惑っている。次にセイバーに視線を向ける。 「すいません、直ぐに戻します」 このままでは彼女が気の毒だろうと思い、セイバーはこんなときに一番効くやりかたを実行した。 「凛、今月の家計がピンチですので凛の宝石を「ダメよ! それは!!」」  言葉を言い切る前に神速で復帰した凛が言葉を挟む。その声は店内によく通り、居合わせた客の注目を一身に浴びてしまった。 「——あ……あはは」  ようやく自分がどのような状況にあるのか理解した凛は、愛想笑いを周囲に振り撒いてこの微妙な空気を誤魔化した。その直後にセイバーに険を含んだ視線で見るが、当のセイバーは涼しい表情のまま、 「凛。貴女にお客さんです」  隣のテーブルにいる少女——綾瀬夕映の存在を示した。 「ごめんなさいね、綾瀬さん。気付けなくて」 「いえ、こちらは挨拶程度のつもりでしたのでお気遣い無く」  やって来たウェイトレスに注文を済ませた夕映——なぜか彼女の注文を聞いたウェイトレスの表情が凍りついていたのがセイバーには気になった——は凛の言葉に答えつつ、メニューと一緒に出された水を一口含む。  夕映から見た凛は良き教師だという印象があった。授業内容は勉強嫌いな夕映でも面白く感じられ、そのくせレベルの高い内容をスルリと教えていく事が出来るのは稀有なことだ。お陰で夕映の数学の成績は二年期末に続いて先日あった中間考査でも上昇を続けていたのだ。  この教え上手に加え、同性でも嫉妬よりも羨望が先立つ美貌の持ち主。彼女が副担任を受け持つA組の他に数学を教えるほかのクラスでも凛は年上の女性として憧れの対象。とは、夕映が良く聞く彼女の評判だった。  凛の全身を視界に納める。白面を縁取る黒く艶やかな長い髪に、派手なはずの紅いスーツを着こなすバランスの取れたプロポーション。そして何より威厳ある空気が自然に滲む雰囲気。なるほど、憧れの対象として周囲に騒がれるだけはあると夕映は一人納得した。  ふと、この人に少し聞いてみたい事が出来た。 「ですけど、少し話、いいですか?」 「ん? いいわよ、生徒の相談を聞いてあげるもの教師の勤めですもの。答えられる事なら」 「はいです。では——」  席を移動して、凛達と同じテーブルに夕映は着いた。正面に凛。二人に挟まれる位置にセイバーと丸いテーブルに三角形を描く構図で夕映の話を聞く態勢が取られた。 「——……なるほどね……今まで気付かないフリをしていた感情と抑えつけていた気持ち、か」  話を聞いてしばし、凛はそう言葉を漏らした。これに夕映はピクリと肩を震わせる。まさか多分にぼかした話だったのにこうも簡単に見抜かれるとは思わなかったのだ。 「あの、どうして分かってしまうんですか?」 「わかるわよ、貴女ウソが下手だもの」  カップに新たに紅茶を注ぎ、立ち昇る香気を楽しみつつ凛は夕映の質問に答える。  聞かされた話は親友である宮崎のどかとネギの話が中心だったが、見え隠れする夕映自身の感情を凛は見逃さなかった。  親友が好きな人を好きになってしまった。どこのドラマの話よ、と胸中で突っ込みを入れながらも凛は夕映の真剣な表情を笑うつもりは一切無かった。 「(さて、隠していることを言い当ててしまったからには何か適切な助言が出来ればいいのだけど……)」  カップに口を付けつつ、しばし思案する。他人の恋愛事に相談とは言え口出しをする趣味は持ち合わせていない。だが、仮にも相手は教え子で、隠していたとはいえ彼女の方から話を持ってきたのだ。何か助けにならずとも気を落ち着かせる言葉はないものか……そう考えに耽り始めたとき、『ソレ』はやってきた。 「お待たせしました。ご注文の『謎ジャムジュース』です」 「あ、はいです」  ウェイトレスが硬い表情で運んできたモノを夕映が受け取った。  ——ざわ  店内にいる店員たちが一様にこの様子にざわめいている。何やらただならない状態にあるのだが、何故なのかはセイバーにも凛にも理解できない。どうもやって来た液体に原因があるようなのだが……? 「……えっと綾瀬さん、それは?」 「私も噂で聞いた限りですが、この喫茶店には幾つかの隠しメニューが存在しているのです。これもその一つでして、私がかねてより飲みたかったものです」 「志保からは聞いていないけど……」 「そうなんですか?」 「でも、この様子だと志保が言っていないのも納得という気がするわ」  夕映の語るところによると、この謎ジャムジュースはとある地方都市に在住するジャム作りの名人の主婦とこの喫茶店を出店した弓道部部長に親交があり、学園祭にて主婦の作るジャムを飲み物にして出そうという話になり、正式なメニューにもマーマレイド、イチゴジャムなどのジャムジュースが供されている。その中で主婦が推していたのがこの謎ジャムだったのだが、試飲の段階でメニューから外されてしまった。嘘か真か病院行きになった人がいたのだとか。しかし、部長はその主婦との義理のためか隠しメニューとして残しているのだとか。 「学園祭の準備期間から噂になっていた一品です」 「そ、そうなんだ」  夕映の話す裏話に凛は呆れつつも、グラスに注がれたその黄色い液体に視線を向ける。  見た目はセイバーがイチゴジャムジュースの前に飲んでいたマーマレイドジュースに似ている。ただ、匂いが一切無く気のせいかも知れないがどこと無く不吉な空気を漂わせている。 「では」  凛が声をかける前にすでに夕映はグラスに口をつけてクピリと一口、二口と飲んでいた。その様子に店員たちは緊張した様子で見守っている。  とん、とグラスがテーブルに戻り一言。 「中々、興味深い味です。素晴らしいです」  さっきの憂い顔もどこへやら、満足した表情だ。  そして、その様子は店員たちには信じられない事のようで、 「ねえ、アレを飲んだよあの子」「何者!?」「確か中等部3年A組の子じゃない?」「ああ、あの超人集団クラスの……」  口々に信じられないといった感想を口にする。 「遠坂先生もこれ、飲みませんか?」 「……遠慮しておく」  件のジュースに愉快な成分でも混入されていたのか、どこかハイになっている夕映がジュースを勧めだしたが、店内の不穏な空気の中心である液体を飲むほど凛は無謀ではなかった。 「さて、すっかりくつろいでしまったわね。もう行かないと」 「そうですね」  手首に巻いた腕時計を一瞥した凛はセイバーとともに立ち上がる。  二人ともこれから重要な用事がそれぞれにあった。セイバーは二日目にあるライブのために釘宮たちと打ち合わせやリハーサルがあり、凛には超鈴音の動向を探るという予定が存在していた。学園祭の空気のせいか少し和んでしまった二人だが、これよりそれぞれの場所に赴くことになっていた。 「お仕事ですか?」  立ち上がる二人に夕映は二杯目の謎ジャムジュースを飲みつつ声をかける。 「ええ、そんなところ。——あ、すっかり忘れていたけど貴女の相談についてのわたしなりの意見だけど……」  現在も夕映が飲んでいる不吉な飲み物の出現ですっかり答えそびれた事を凛は思い出した。これに夕映はハイな状態から一気に覚めるような顔色になった。 「本当に好きだったら正面から対決してでもアタックしてみたら?」 「で、ですけどのどかは親友ですし……」  出てきたトンデモナイ意見に夕映は戸惑いの声を上げるが、凛の言葉は苛烈なものだ。 「親友だからこそよ。トコトンまで対決すれば後腐れなんてなくなるわ。それとも、宮崎さんとの友情はその程度で壊れる類のものかしら?」 「………………思ったのですけど、遠坂先生って案外体育会系だったんですね?」 「別に、そう思ったことはないけど。単にわたしの場合、悩んでウジウジやっているより白黒つけてサッパリしたいだけよ」 「…………」  凛の言葉にどこか打ちのめされた表情の夕映。だけど、凛とて追い詰めるために言ったものではない。ささやかだが、逃げ道を作っておく。 「ま、今の言葉は単なる意見。参考よ。聞き流して結構。若いうちに悩むのはそう悪いことじゃないしね。大いに悩みなさい」  そう言って、ポケットを探り財布を探ろうとする凛だがだんだん様子が変わってきた。 「あ、あれ? まいったわね、財布を忘れてしまったわ」  そう、完全武装のために用意周到に礼装を身につけた凛だが、武装に気を使うあまりうっかり財布を寮の自室に忘れてきていたのだ。 「セイバー、悪いのだけどここは立て替えてくれない? 遅くても学園祭が終わるまでには返すから」  パシンと手を合わせてセイバーにお願いをする凛。  立場的にはセイバーは凛の使い魔という位置にいるのだが、しばしば逆転が起こる。主に金銭面で衛宮家の財務卿たるセイバーに凛は頭が上がらない現象が起きているのだ。  ただ、その財務卿。どうにも顔色が優れない。 「その、凛。申し訳ないのですが、実は私も今は持ち合わせがありません」  ここの支払いは凛がするとあらかじめ決まっていた。その後にセイバーは打ち合わせとリハーサルで金銭を使うことはなく、余計なお金は持ち歩かない主義のセイバーも部屋に財布を置いてきたのだ。 「…………どうしようか」 「……凛、非常に屈辱的ではありますが、手はないこともないです」  そう言って壁に貼られた『食い逃げ上等』の張り紙。それこそがこの喫茶店が食い逃げ喫茶と呼ばれる所以。  午前中において鉄壁を誇る防衛隊のことは学園に広まっていた。だからか、午後に入ってからは流石に挑戦者の数は減っている。その挑戦者の末路も言うまでもないことだ。 「やるの?」 「それしか今は方法はないかと」 「……分かったわ」  それから丁度十秒後。この食い逃げ喫茶店は最強の挑戦者と対決することになった。 「食い逃げ発生!! 数二! 防衛隊出動せよ!!」 「ヤーヴォール!! って、早っ! 」 「くそ、三ツ屋隊、回り込め!!」 「了解! 後藤、志村、奴にジェットストリームアタックをかけるぞ」 「「了解」」 「てりゃーー! っ! ぐあ!」 「なに! 後藤を踏み台にした!?」 「志村、後ろ後ろ!!」 「あ、いつの間に!?」 「奴は悪魔か!?」 「ぎゃーー!! ラインを超えられた……」 「あの人って確か中等部の先生じゃなかったけ?」 「もう一人は確か女子エリアの警備員だったような」  攻防わずかに十五秒。ここに無敗を誇ったアルズベリ防衛隊に初黒星がつけられた。つけた相手はどうも教師と警備員。その事実のセンセーショナルさもあってその二人組みには『紅白の悪魔』という異名が付けられることになったのは間もなくのことであった。  その様子を間近で見ていた夕映。凛の言葉もあって気持ちがグチャグチャになっていたけど、言葉は出てきた。 「アホ、ですね」  果たしてそれは誰に向けた言葉か? 夕映自身にも分からなかった。 ステージでの一件があった後もパトロールは続く。  龍宮からの連絡では向こうはネギ先生に続き、小太郎と合流をしてパトロールを続け、今しがた彼らのパトロールが終わったところだという。 「分かった、龍宮はまだ続けるのか?」 『ああ、武道会までには間に合わせるつもりだがな』  返ってきた無線機特有のノイズ交じりの音声。武道会の会場を尋ねることもあって連絡をとったのだが、龍宮は祭り期間中のスケジュールをかなり仕事に割り振っているようだ。 「仕事もいいけど、ほどほどにな」 『フフっ、そのセリフはそっくりお前に返すよ。で、武道会の会場と時間はさっき言った通り、対戦形式は予選はバトルロワイヤルで本選はトーナメントだそうだ。詳しいことは向こうで説明されるはずだ』 「ん、分かった。ありがとうな」 『いや、では交信を終了する』  ザピッ、とエンドラインのノイズ。会場は龍宮神社、か。名前から察するに龍宮の家が営んでいるのだろうか?  超さんに依頼された武道会の会場は分かった。開催時間まで時間もある。出場受付はギリギリまでやっているそうだから、パトロールはもうすぐ終わるし、ここに夕食を摂る時間を入れても余裕がある。  再び陣取った廃校舎の屋上から麻帆良の街を見下ろす。季節は初夏を迎えて日が長くなり始めているが、午後五時近くにもなると流石に日が傾こうとしている。斜陽が街を照らし、ここからも見える湖もその光を照り返して街を光に埋めていくかのようだ。  で、こういういかにもロマンティックな状況だと告白率というのが格段に高まるようで、 『てりゃーーーっ!!』 『おぷすっ!』 『アスナ、やりすぎやわ』  現在進行形で明日菜達が告白阻止に動いている。見下ろす街の一角ではその現場で明日菜がハリセン片手に告白生徒をハタいているところが見える。気合と力が十分に乗ったハリセンが告白生徒と吹き飛ばす。木乃香がストッパー役を買って出たけど止められないようだ。そして私にも止められそうにない。告白生徒の人は実に気の毒だ。  ——PPP  この時間帯に入ってから何度目になるか分からない発見器の警告音。位置と数は……うん、位置的には刹那が近いか。携帯を取り出し連絡を入れる。 「刹那、また告白生徒。位置はそちらから見て十時方向。距離は三十。数は二つ」 『分かった。む、あれか』 「実力行使の際は援護を入れるね」  すぐに返ってきた返事に応える。弓による援護はいつでも出来るようになっている。目標までは射線は十分開いている。援護の要請があり次第すぐに撃てる状態だ。 『大丈夫です。穏便に済ませられるようにいたします』 「それが一番だね。あ、そうだ。もうすぐ交代の時間だからパトロールが終わったら四人で夕食としようか」  いつも夕食を一緒にするセイバー、遠坂、師匠、茶々丸さん、チャチャゼロの五人が今日に限って揃って用事があり、夕食は各自ということになっている。それに学園祭の飲食店にも興味はあるからこの三日間は外食が中心になるだろう。 『いいですね。では、これが終わったら私からお嬢様とアスナさんに声をかけておきます』  そう言って通信を締めくくると、告白生徒(男女一組。どうも両想いのようで双方共に告白しようとしているようだ)に向かっていく刹那。穏便に済ませるというけど、その背中は相当に気負っている様子。さながら戦場に赴くサムライのごとし。  結果のみを言おう。また一人救護室行きの人間が増えた。ただ刹那の努力は無駄ではなかったと信じたい。信じてみたい。信じようと思う……。 「自身の修行不足を痛感しました」  パトロールがドタバタの内に終了して、私達は超包子七号店に夕食をとりに来た。そして席に座るなり刹那のこの言葉。まぁ、がんばったんだけどね。相手の二人が完全に自分たちの世界に入ってしまっていて刹那に付け入る隙なんてなかったのだ。 「せっちゃん、気落とさんと。せっちゃんはよう頑張った」 「お嬢様……ありがとうございます」  気を落とす刹那にすかさず木乃香のフォローが入る。この二人、修学旅行以降急速に仲が良くなっている。いや、正確にはかつての仲を取り戻していると言った方が正しいか。木乃香は隠されていた魔法関係の事柄を受け入れ、その上で刹那の烏族としての血のことも受け入れている。刹那が思い煩ってきたであろうこの二つの事柄に決着がついていたのだ。二人の仲を阻むものは無くなって、刹那の表情には出会った当初の険が薄れている。  こういう風なものもいいな。うん、善哉善哉。 「志保?」 「っ! あ、ああゴメン。で、なに?」  明日菜の呼びかけで意識を外に向ける。いかんな、妙な方向に思考が飛んでいたか。  声をかけてきた明日菜はメニューを片手に内容を示してきた。 「何を注文しようかって話なんだけど、確か超包子って店ごとにオススメメニューが違うんでしょ?」 「ああ、そうだよ。私は働いていた本店以外のメニューは良く知らないんだけど……」  超包子は複数の路面電車でもって学園都市各地に支店を持っている。そしてオーナーである超さんの方針で各店舗は独自のメニューをもっているのだ。例えば、私が準備期間中に働いていた本店では飲茶セットと中国茶が売りだった。では、この七号店ではどうかというと、 「オススメは麻婆豆腐とありますね」 「…………」  これだ。よりにもよって麻婆豆腐とは……。 「あれ? 志保、マーボー嫌いなの?」 「いや、そういう訳じゃなんだけど……苦手……かな?」 「へー、意外。志保って好き嫌いが全然ないと思っていたんだけど」  そう、嫌いではない。ただ、麻婆豆腐にまつわる事でこの料理に相当の苦手意識を持ってしまっているのだ。原因は故郷の商店街にあるあの中華店……昔中華料理に手をつけていなかった時があったが、この店の事が遠因ともいえなくもないかな。 「と、ともかく適当に注文して食べようか?」  この事にこれ以上思考をまわすのは耐えられない。明日菜からやや強引にメニューを取り、やってきたウェイトレスに注文を告げてお茶を濁してその場をやり過ごした。 「よほど、苦手なんでしょうか?」 「吸血鬼ってマーボーが苦手なのかな?」 「いや、それはどうかと……」  小声で話す刹那と明日菜の声が耳に入る。勘弁して下さい、いや、本気で。  ——四十分経過。 「ふぅ、超包子の料理ってみんなおいしいからつい食べ過ぎちゃうよね」 「せやな、肥ってしまうわぁ」 「コノカの場合だと胸に脂肪がいくんじゃない?」 「せやろか?」  食後、鉄観音茶をそろってすすり、明日菜と木乃香がこんな話題に花を咲かせ始めている。なんとも女の子らしい話題だ。私個人でいうのならば二人ともまだまだ細いと思う。ただ、この事を話すのは無粋だと体で思い知らされているため一言もなくお茶をすすっている。 「ん?」  気付いたのは視線を上に向けたときだ。日もほとんど沈み、西の空に残照を残すのみとなった麻帆良の空をあの世界樹の光が太陽に代わって照らしている。  その光が急に強くなり、それに伴い学園に漂う世界樹の魔力が収束しているのが感じられた。これは…… 「三人とも、大変だ。告白生徒がどこかで告白を成功させてしまったようだ」  立ち上がり、財布からお札を取り出しテーブルに。急いでその場に向かって事態の解決をしなければ。 「あっ、待って待って! 志保、タンマ!」  グイッと明日菜に腕を捕まえられる。 「ちょっ、明日菜どうして!? 告白成功生徒が出たかもしれないのに」 「ええっと……うん、あわてなくてなくても大丈夫だから」 「そうです。あ、連絡が……事態はすでに解決されているそうです」 「せやから、な、落ち着こうシホ?」  視線が定まらず私より慌てて顔を紅くしている明日菜に、無線機を取り出し解決したという連絡を受けている『フリ』をしている刹那。二人よりは落ちついているが明らかに行かせたくない意思がありありと窺える木乃香。  何だというのかコレは? 「わ、分かった。落ち着くよ」  釈然としないが、席に戻る。私のこのアクションに三人は一緒になって胸を撫で下ろしている。どうも私のあずかり知らないところでこの三人は何かに関わっているようだ。 「でさ! 話変わるんだけど、みんなこの後何か予定ある?」  明日菜が強引に話題を変えてきた。よほど今の話に触れてはマズイのだろう。他の二人も同じ意見なのか、明日菜の話題変えに積極的だ。 「私は特にないですね。お嬢様は?」 「ウチも中夜祭までなんもないわ……シホは?」 「私は人から頼まれた事があって、これから行く場所があるよ」 「へえ、どこ?」 「うん、龍宮神社」  瓦の屋根と白い土壁。朱色の柱に金の装飾。目的地の龍宮神社は地方都市の一介の神社とは思えない豪奢な造りをしていた。ここだけでも観光名所の一つにでもなりそうなその神社には今、ツワモノが集っていた。 「はぁ、凄い人だかりねぇー」 「私もこれほどの人数が来るとは思っていなかったよ」  神社の門前に多数の人ごみ。その殆どが武道会の参加者らしく、動きやすい格好の人、何か武道を修めているのか道着の人、果てはそれで本当に戦うのかと問いたくなる格好の人までいる。  この人数の多さに私も付いてきた明日菜達も驚いている。移動中に武道会の事を話し、そこに参加すると話したのだがここまで大きな大会だとは知らなかった。 「あ、ネギ。何やってんのよこんな所で」 「あ、みんなお疲れ様です」  前を歩いていた明日菜がネギ先生を見つけた。後ろには小太郎と夕映も一緒だ。どうやらパトロールの後でここに来たみたいだ。 「パトロールはどうでした?」 「何とか」 「もーー大変だったわよーー」 「アスナハリセンで叩きまくり」 「そうだな、あれはやり過ぎだと思う」 「それを言ったら志保なんて矢で撃ちまくりじゃない」 「む、それを言われると痛い」  ネギ先生を交えてパトロールの成果を話す。どうもネギ先生のほうでは龍宮が告白生徒を次々狙撃で仕留めているようで、先生が見かねて魔法で穏便に解決していったのだとか。 「それにしても何なのよ、この騒ぎは?」  いい加減周りの騒ぎが気になったのか、話に一区切りがついたところで明日菜が先生に話を繰り出した。 「ええ……実は……」  先生が渡してきたのは一枚のチラシ。内容はこの武道会の広告。場所の変更を知らせると同時に、極めて大きく優勝賞金の金額が表示されていた。その額なんと—— 「ええーーーーっ!! いっせんまんえんーーー!!」  そう、優勝賞金一千万円。パンフレットを見てもこれほど大きな金額が支払われる大会は他に存在しない。それでこの人数か、納得。 「一千万かー……一千万はスゴイわねーー……一千万あったら学費と生活費全額払えるかも……」  チラシを手に感慨深く一千万あったら……と呟く明日菜。新聞配達で生活費を工面している苦学生ならではの台詞だ。苦労しているんだな。でも…… 「一千万あったら、遠坂の資材集めの足しにはなるかな?」  こっちも資金面で切迫していることがあった。元の世界に帰るための宝石鍵。これの製作のために多数の宝石が必要となっている。それを購入する金額だが……下手をすれば国が買えてしまうほど。技術ではなく魔力でもなく、資金面で魔法に届かないとは実に遠坂らしい。  もしこの大会で優勝して一千万を手にしたら少しは助けになるだろうか? 「とにかく、一千万だぜ!! こりゃ優勝頂くしかねーぜ、兄貴!!」 「カモ君、賞金が欲しいだけでしょ」 「おお!! 賞金につられてかなかなか強そうなんが集まってきとるで。おもろなってきたわ!!」  賞金一千万に目を$にして叫ぶカモミール君と、集う強者との対決に胸を躍らせている小太郎、そして一人置いていかれているネギ先生。 「ネギ先生も武道会に参加するんですか?」 「ええ、腕試しに参加しようかと……ちょっと待ってください、今、『も』と言いませんでしたか? すると志保さんも?」 「はい、参加しますよ。対戦になったらよろしく」 「………はい」  よろしく、声をかけたものの何故か元気がなくなるネギ先生。どうもこの大規模な大会に気後れしているみたいだ。この様子に苦笑しつつ、 『見学者と参加希望者は入り口よりお入り下さい』 アナウンスとともに開門した神社の門を潜っていく。  夜の帳に紙吹雪が絶えることなく降り続く。麻帆良に巣食うツワモノ達の饗宴と狂宴が今宵より始まる。 /B  志保が明日菜達と一緒に龍宮神社に向かっているのと同時刻、学園内の一角にある貸衣装屋に遠坂はいた。 「むー、効果は実際に目で確かめたんだけど、見るのと実体験じゃやっぱり違うわね」  貸衣装屋の更衣室の中で下着姿のまま手を開いたり閉じたり、鏡で姿を確認しつつ体に触り感触を確かめる遠坂。その姿は見事な変貌を遂げていた。  顔は意志の強い瞳の輝きはそのままに幼くなり、背も若干縮み、さらには彼女が常から気にしている部分のサイズも縮んでいる。鏡の前には十年前、聖杯戦争当時の遠坂凛の姿があった。 「魔力量はそのまま回路も異常なし、違和感もまったく無いわね……この件が片付いたらこの飴玉の成分分析でもして複製を作ってみようかしら」  そう、学園祭準備期間中にカモミールを通して入手した『年齢詐称薬』を遠坂は飲んだのだ。目的は変装。超鈴音の動向を探るためには教師であるより、一般人もしくは生徒として振舞う方が行動の自由度は高いと思った故の決断だ。  前夜祭の時にカモミールから受け取り、教師としての業務が終わるのを見計らって人目のない更衣室の中で服用。現在はその効果に少しばかり驚いている。  幻術等で見た目の年齢を偽るというのは遠坂のいた世界でもよくあることだ。しかし、ここまで再現度が高く主観でも感触を感じられるというのはそうあるものでは無く、それを魔法薬一個で済ませられるというのは遠坂には驚きだった。 「しかも、これが魔法使いの間だけとはいえ普通に販売されているなんて……ま、時間がないんだし考えるのは後からにしておくか」  これ以上は深みにはまりそうだし、と考えを切り上げた遠坂は着替える衣装を備え付けのカゴから取り出す。修道女の法衣を意識した黒のワンピース。首元には色で学年が分かるリボンをあしらい、スカート丈は今風の女子が着るためか短い。それは聖ウルスラ女子高校の制服だった。 「へぇ、地味だけど悪くないわね。本校中等部もそうだけどここの制服ってみんなセンスいいわねぇ」  感想を呟きながら着替え始める。付属品でナースキャップ風の学帽があるが、遠坂は被らないことにした。この学帽、ウルスラで真面目に被っている生徒は少ない。その数少ない例があの高音・D・グッドマンである。  制服を着て、足にはオーバーニーソックス、髪は魔術品ではないがリボンでかつてのように二つに纏めツーサイドアップ。最後に黒いローファを履けば、そこにはどこからどう見ても完璧な聖ウルスラ女子の生徒が出来上がっていた。ただし、その制服の下に物騒な代物を大量に隠し持っているのだが。 「よし、こんなところね。さて、まずは何処だったかしら……」  姿見で最後の確認を終えた遠坂は更衣室から出て、学園の地図を取り出し前日までに目星をつけていた場所を確認することにした。  更衣室より現れた遠坂。それは周囲の男性陣の注目の的になっていた。彼女の魅力である流れる黒髪と印象的な瞳は、清楚さを前面に出したウルスラの制服とよくマッチしている。チラチラと窺う視線が彼女に絶え間なく飛ぶ。だが、当の遠坂本人は視線に敵意がないためさして気に留めずに地図を見ている。そんな一種奇妙な空気が数分間貸衣装屋に横たわっていた。 「ん、まずは武道会が行われる龍宮神社ね」  そこまでの交通を確認した彼女は、衣装のレンタル料を支払い(今度はきちんと財布持参)紙吹雪が止まない麻帆良祭の中へ颯爽と飛び込んでいった。  後には感嘆の溜息と羨望の吐息、そしてわずかばかりの嫉妬が残った。  出席番号32番 衛宮         第23話 学園祭・A面 龍[ドラゴン]への道                  B面 踊る 超捜査線  A/ 「ようこそ!! 麻帆良生徒及び、学生及び、部外者の皆様!! 復活した『まほら武道会』へ!! 突然の告知に関わらずこれ程の人数が集まってくれたことを感謝します!!」  龍宮神社境内、先ほどの会場案内のアナウンスと打って変わり、会場を大いに盛り上げる声を神社の門前にいる人物がマイク片手に上げていた。  特徴的な赤毛をアップした髪型に、実は中学生だということが信じられないプロポーションを惜しげもなく露わにする服装。それはアナウンサーというよりレースクイーンかモーターショーのコンパニオンガールのようだ。  言うまでもなく彼女の名前は朝倉和美。現在はなぜか武道会のアナウンサーを務めている少女だ。多くの人前に出るためか、顔には化粧が施され、ただでさえ中学生に見えない朝倉を成熟した女性に見せている。 「優勝賞金一千万円!! 伝統ある大会優勝の栄誉とこの賞金。見事その手に掴んでください!!」  朝倉のこの一声に会場の参加者たちは大いに盛り上がり、雄たけびにも似た歓声が沸きあがる。ただ一部、戸惑いの声が…… 「あ、あれー、朝倉さん!?」 「何であんな所で司会を?」  ネギ先生と明日菜が盛り上がる会場の中で呆けたような表情をして、隣では声こそ出さないが木乃香も呆気に取られている。無理もない。私もきっと今面白い表情をしているだろう。  後ろの少し離れた場所では、夕映が頭の上にカモミールを乗せて『俺の男汁』なる珍妙な飲み物を飲みつつ、司会者を勤める朝倉を眺めていた。驚きは表に出ないほうなのか彼女の表情にあまり変化はない。 「カモさん、大変です」 「何だい、姉さん」  そこにこの武道会の案内を見ていた刹那がカモミールに一枚の紙を見せた。 「このイベントを買収した人物!! 見てください!!」 「何……!? おい、こいつは……」  まるでその場面と同調するかのように門前で動きがあった。朝倉の後ろから人影がゆっくりと現れる。打ち合わせていたのか、朝倉は後ろを見ることもなく言葉を続ける。 「では、今大会の主催者より開会の挨拶を」  人づてで聞いた話なのだけど、この大会、長い歴史を誇ってはいるが二十年前より現在に至るまで賞金金額10万ほどの冴えない大会だった。それを今の主催者が複数のイベントを買収、合併により賞金金額一千万の一大イベントに仕立て上げたのだ。  照明の前に現れるその主催者。  大陸の宮廷服を意識した丈長の服装。髪はいつもの様にチャイナシニョン。着ている人物の出身もあいまって見る人誰もが納得してしまう存在感をその少女は持っていた。その人物は私にしてみれば改めて言われるまでもない人物。 「学園人気�1屋台『超包子』オーナー・超 鈴音!!」 「えーーーっ」 「超さん!?」  「ニーハオ」と登場した主催者 超鈴音にネギ先生と明日菜はまたも声を上げる。いや朝倉の事はともかく、驚きすぎじゃないか? 「二人とも知らなかったの?」  この驚き様は本気で知らなかったみたいだ。同じクラスメイトだからどこかで聞いていなかったのだろうか? 「って、志保さんは知っていたのですか!?」 「うん。出場にしても超さんからの依頼だったからね」 「それって、超さん何か企んでない?」 「…………どうだろう?」  私達がやり取りする横でも一般の学生たちが「ガキじゃねえか」と戸惑いの声をあげる。けれどそれも「バカ、知らないのかよ麻帆良の最強頭脳を」と言う言葉がすぐ返ってくるように、知っている人間からすれば納得できる出来事だったりするのだ。  それら戸惑いと納得の空気の中で超さんが開会の挨拶として口を開いた。 「私が……この大会を買収して復活させた理由はただひとつネ。表の世界、裏の世界を問わずこの学園の最強を見たい。それだけネ」  そう言ってニコリと片目をつむる主催者殿。それだけ見れば可愛らしい女の子そのものだが、言った言葉は一般人にも魔法関係者にも少なからず動揺を与えるものだった。 「裏の世界って何だ?」 「さあ、マフィアとか?」  後ろで大学生と思われる二人の一般人の方が話しているのが聞こえた。マフィアね……それも裏ではあるんだけど、魔法使いの世界はきっと『裏のさらに暗闇』という方が正確だろう。世界の暗闇の部分を担っているのは魔術も魔法も変わりないはずだから。  こんな他愛無い思考の間にも超さんの話は続く。 「二十数年前まで、この大会は元々裏の世界の者達が力を競う伝統的大会だたヨ。しかし、主に個人用ビデオカメラなどの記録機材の発達と普及により、使い手達は技の使用を自粛。大会自体も形骸化、規模も縮小の一途をたどた……」  へえ、そんな歴史がこの大会にはあったのか。確かに人の記憶でならともかく、確たる記録として残されては魔法使いの秘匿に関わるからな。  そんな少しためになる超さんの武道会歴史講釈、でも続く彼女の言葉は分かる人間には激烈なものだった。 「だが、私はここに最盛期の『まほら武道会』を復活させるネ。飛び道具及び刃物の使用禁止!! ……そして、[呪文詠唱の禁止]!! この2点を守ればいかなる技を使用してもOKネ!!」  おい! 超さん! そんな堂々と!?  動揺は他のみんなも同じ。 「えっ……」  あまりにズバリな事を大衆の面前で言われて驚き固まる魔法先生・ネギ。 「ち、ちょっとアレいいの?」  魔法の世界に入って日が浅いお陰で動揺は少ないながらも戸惑う元一般人・明日菜。 「あいつ……」「一般人の前で何てことを……?」  あまりの発言に言葉もないオコジョ精霊・カモミールに、動揺こそ抑えたものの言葉が上手く出てこない退魔剣士・刹那。 「ヒュウ」  あまりの正々堂々ぶりにいっそ感心してしまい口笛ひとつ鳴らす魔法関係者の小太郎。  裏の住人としてはこれ以上ない劇薬的発言。それを堂々と言ってのけた超さんはなおも余裕の笑みを浮かべて言葉を続ける。 「案ずることはないヨ。今のこの時代、映像記録がなければ誰も何も信じない。大会中、この龍宮神社では完全な電子的措置により携帯カメラを含む一切の記録機器は使用できなくするネ」  そして、話の締めくくりに大きく手を広げ宣言する。 「裏の世界の者はその力を存分に奮うがヨロシ!! 表の世界の者は真の力を目撃して見聞を広めてもらえればこれ幸いネ!! 以上!!」  主催者挨拶が終わると朝倉から詳細の説明が行われる。けれど、超さんの言葉がかなり会場をいい意味でも悪い意味でも刺激したようで、会場のボルテージは着実に上がっていた。 「なんかよくわからねえが、要するにルール無用ってコトだろ? 」「裏の世界、結構じゃねえか」「何が出ようとぶちのめしてやるよ」  会場の参加者予定の皆さん、大盛り上がり。言葉もだんだん過激になっている。この大会、無事に終わるかね? 「これが彼女の目的だったのでしょうか?」 「いや、わからねえ」 「『超包子』の売り上げを想像すると一千万は痛くないように思うですが……」 「繁盛していると思っていたけど、そこまで売れていたんだ」 「働いていたのに知らなかったですか?」 「ま、まあ」  周囲の喧騒の中で刹那、カモミール、夕映の二人と一匹と一緒になってさっきの超さんの行動の真意を話し合う。  神秘の隠匿は世界と目的が違えど共通事項だ。  私たちの世界の場合、神秘が世界に広まることによりその力が薄まるのを恐れてのことで、こちらの世界の場合は主に表の社会に与える社会不安が理由のようだ。その不安材料を今、超さんは限定的とはいえポンと表に出すというのだ。確実に何か目的があってのことだ。ただ『学園最強』を見たいだけが理由ではないだろう。 「みっ……皆さん!!」  ネギ先生の素っ頓狂な声が聞こえその方向に視線をやると、ネギ先生の前にはこういった大会に出たら凄いことになりそうな面々が勢揃いしていた。 「面白い大会になりそーネ」  私と変わらないサイズの体ながら中国武術の達人・古菲。 「一千万なら私も出てみるか、なぁ楓?」  出場はすでに決定しているのにぬけぬけと言ってくれる巫女の装束をした狙撃手・龍宮真名。 「そうでござるなぁ……バレない程度の力なら……」  龍宮の言葉を受けてほとんど出場する気になっている甲賀忍者・長瀬楓。  クラスでも、否おそらくは学園でも指折りの武闘派の三人。これが出場するというのだ。 「ええーーーっ!! でっでで出るんですかー!?」  ネギ先生、完全に目を丸くしている。無理もない。小太郎と話して無理だ、ダメだよとか言っているが、彼にとってこれはまだ序の口だったみたいで、 「私のことをわすれてんじゃないか? ん? ボーヤ」 「マ……マスターーッ!?」  横合いからチャチャゼロを供に現れた師匠にネギ先生、完全に涙目になっていた。そこに追い討ちとばかりに、 「やあ、楽しそうだね。ネギ君達が出るなら僕も出てみようかな——」 「タカミチ!?」  師匠の後ろから高畑先生まで出てきた。何でもネギ先生が小さい頃に力がついたら腕試ししようという約束を高畑先生と交わしていたのだとか。  ここへさらに、 「あ、あのっ……高畑先生が出るなら私も出ます!!」 「えーーっ アスナ君が?」「アスナ、ちゃんと考えてからモノ言ーとる?」  高畑先生出場に触発され、明日菜までもが手を上げて出場を表明した。  ここまでの話の流れでネギ先生は目に見えて元気がなくなっている。予定対戦者の全員がネギ先生の関係者。これは、ネギ先生にとってこの大会はひとつの試練だな。  余りの弱気ぶりに怒った小太郎により頬を引っ張られているネギ先生。身に覚えがある先達としてはガンバレとしか言えない。————ガンバレ。  ガンバレ、と隣で志保さんが小さく呟いているのが聞こえた。横目で見ると彼女は、ネギ先生を微笑ましい表情で見つめていました。  ネギ先生は出場する皆さんに気後れして、今はコタローさんにほっぺたを引っ張られています。それを見ている志保さんの表情は優しい。そこに言われなくあの感情が湧き出てくる。 「(のどかだけで十分すぎるのに志保さんにまでこんな感情を持つのですか私は?)」  大きく息を吸って、気を落ち着かせる。良く見てみれば志保さんの表情は弟分を見守る姉というものではないか、それにまで感情を尖らせては話にならない。第一、ネギ先生の周囲には明日菜さんをはじめとして魅力的な人が沢山いるのだ。私と違って…… 「恋する乙女は大変だねぇ」 「ひねりますよカモさん」  自分の肩の上に乗るオコジョが何やら面白いことを言ったけど黙らせます。  ネギ先生がコタローさんによってさらにぐいーんと頬っぺたを引っ張られようとしたときに、まるでタイミングを見計らったように超さんの声が飛び込んできました。 「ああ、ひとつ言い忘れてるコトがあったネ。この大会が形骸化する前、実質上最後の大会となった25年前の優勝者は学園にフラリと現れた異国の子供。『ナギ・スプリングフィールド』と名乗る当時10歳の少年だった。この名前に聞き覚えある者はがんばるとイイネ」  ナギ・スプリングフィールド……これって確か、 「い、今のはネギ先生のお父さんの名前では?」 「ああ、けどマジか!?」 「き、記録を調べてみます」  私の言葉にカモミールさんが半信半疑の声を出し、刹那さんは早速記録を調べようとこの場を離れていっていまいました。 「そ、そうだったんですか?」  ネギ先生の方でも当時の生き証人である高畑先生とエヴァンジェリンさんに聞いています。 「む?」「そういえば、そんな話を聞いたような……」  でも流石に25年も経てば記憶は薄れるようですぐに出てこないようです。エヴァンジェリンさんのほうは単に聞いたことがないみたいです。 「……父さんがこの大会で……優勝を……?」  呟き、俯くネギ先生の表情。でもその表情は一変していました。拳を握り何かを見据える。そんな表情です。 「コタロー君!! 僕出るよ!!」 「え!? お、おう当然や!!」  さっきまでの弱気はどこへやら、すごく気合が入った声にコタローさんも少し戸惑った様子です。でも、 「お父さんの名を聞いて目の色が変わりましたね」 「ああ」 「……少し、わかったような気がするです」 「ん? 何がだよ」  肩に乗るカモさんに向けて少し分かったことを露吐する。 「10歳と言えば小学4、5年生……好きな女の子がいてもおかしくはない年齢だとは思っていたのですが……」 「まあな……」  カモさんが幼馴染のアーニャ嬢ちゃんとかなー、とか言いながら言葉を返してくる。ネギ先生の過去に出てきたあの子ですね? 確かに身近にそういった子がいるのにネギ先生は見向きもしませんでした。それは、 「そんな余裕ないのですね。……おそらくネギ先生はあの6年前の雪の日からお父さんの背中を追うことでいっぱいなのですから……」  振り向くのも周りを見る余裕もない。ただ一生懸命にお父さんの後を追いかけるネギ先生。 「……そんな所にのどかもひかれたのだと思いますが……」 「ゆえっちもそこにホレたのか?」 「絞りますよカモさん」  また余計な茶々を入れるカモさんを黙らせます。結局はそこなのですかあなたは。 「——気が変わった」  ここまで話して隣からポツリとつぶやく声が耳に入ってきました。こんなに騒がしい場所なのにその微細な声は不思議とハッキリしています。音源は隣。さっきから静かな志保さんのいる場所です。目を移してみると、 「——————」  そこには表情が一切窺えない志保さんがいました。これは怒っている? 表情は一切なく、でも目は誰かを射殺さんばかりに鋭い。その視線の先にはコタローさんと話すネギ先生。  さっきまでの見守る優しい表情はかけらもなく、まるで獲物を冷酷に見据える猛禽類のようなその横顔。そのあまりの差にとっさに言葉が出てこない。 「最初は依頼されたからだったけど、今のを見て気が変わった。……ネギ先生、戦うことになるなら本気でいくよ」 「え? あ、あの志保さん?」  そうして志保さんは私の隣をすり抜けて、テクテクと人ごみに紛れていってしまいました。これって…… 「あの、これはネギ先生が非常にマズイ状況になっているような気がするです」 「ああ、何故かは知らねぇが衛宮の姐さんマジだった。兄貴がヤベーな、いやタダでさえヤベーんだけど……」  あっという間に人ごみに紛れて消えてしまった志保さん。会場に響き渡る朝倉さんのアナウンスが妙に空虚に聞こえます。  ネギ先生、気をつけて下さい。 「『まほら武道会』予選会は20名一組のバトルロイヤル形式!! AからHまでの各組より2名ずつが選出!! 合計16名が明日の本選に出場となります!!」  会場に響く朝倉のアナウンス。上空からは飛行船のサーチライトによるライトアップが行われ、門前に特設された八つのリングが照らし出されている。  その一つに私も上がっている。  規定人数である20名がこの木製の舞台に上がったところから順次予選会は始まる。逆を言えば20名に達するまで手持ち無沙汰なのだ。クジにより上がるリングはすでに決まっていて、私の場合は『G』。ネギ先生や明日菜達、龍宮、師匠のいずれともかみ合わないところだ。  現在、G組の舞台の上にいる人数は自身を含めれば15名。まだ余裕があるようだ。ざっと見渡し対戦相手の戦力を推し量る。今のところ全員一般人。麻帆良学園内の腕に覚えのある者達だ。相応に鍛えてはいる。が、問題はないだろう。むしろ、こちらが手加減しないと大怪我を負わせてしまう。 「……ふむ」  舞台の端で周囲を見渡しながら思考する。  武装は——なしでいこうか。この場で投影するのもなんだし、対戦相手の大半も武器なしだ丁度いいかな。そういえば、格闘はここに来てからやっていないなぁ……鍛錬はしてはいるが、対戦は久しい。鈍っていなければいいのだけど。それに体が縮んでいるからリーチも違うし、男女差で体格にも違いが出るだろう。それを考慮に入れておかなくては…… 『おおーーっと、強い!! 麻帆中 中武研部長 古菲選手!! さすが前年度[ウルティマホラ]優勝者!! 体重差2倍以上の男達が宙を舞うーーーッ!!』  思考に水が差し込まれるように朝倉のアナウンスが聞こえた。舞台の一つで早速第一試合が始まったようだ。  朝倉の言葉どおり、舞台の上では古さんが縦横無尽に暴れまくっていた。襲い来る男性陣の攻撃を捌き、吹き飛ばし、あるいは自ら懐に飛び込んで拳を叩き込んでいく。まるで映画のワイヤーアクションのように面白いくらいに吹き飛ばされていく対戦相手。その派手さから観客は大いに沸いている。  同じ舞台に龍宮もいたが、そちらは我関せずで何もしていない。対戦相手は全員古さんに向かっていて、龍宮は気楽そうにそれを見物している。楽できるところはとことん楽したいようだ。  その中で響く古さんとは異なる打撃音。その方向に視線を向けると重武装の剣道部員らしき人物がいた。えっと……剣道場が弓道場の場所に近いから何度か見かけた顔なんだけど、誰だったか…… 『これは強烈。D組、木刀による一撃!! スゴイ気迫だ、辻部長』  ああ、そうそう辻さんだ。その彼だが、剣道部らしく防具を身に纏い竹刀ではなく木刀で武装していた。 「剣道部が中武研に負けたままではいられない。今日こそ勝たせてもらうぞ菲部長」  得物を古さんに向けて正眼に構え、凄まじい闘志を背負っている。よほど古さんと因縁があるようだ。 「おい審判、いいのかよアレ!!」「木刀なんて卑怯だぜ」  ギャラリーからは辻さんの武装にブーイングがあがっている。でもアナウンスの朝倉の声はあっさり言ってのける。 『禁止されているのは飛び道具及び刃物!! 木刀はOKです』 「何じゃそりゃー」 『ちなみに[飛び道具]も[銃火器][矢尻のついた弓矢]等のことで、[投石]や[投げ縄]などは原則許可されています!!』 「ふざけんなーー」「つーか、銃とか禁止しなくても誰も使わねー」  朝倉のアナウンスにさらに大ブーイング。いや、学内で銃器を使う人間を約一名、いや二名ほど知ってはいるけど、もし禁止されないとしたら彼女は使うだろうか?  「武器持っているほうが圧倒的に有利じゃねーか」  確かに。一般的にはリーチ、打撃力等で素手よりも武器を持っているほうが有利だ。観客が言いたいのは武装の有無による不平等のことだ。持っている者といない者の差。  けど、あくまで一般的にはだ。  ——ベキャン  木刀が折れる音と拳が防具を貫く音。  数秒としない内に鳴り渡るその音は観客のブーイングをあっという間に黙らせるものだった。 『武器を持つ物が有利とは限らない。本大会の趣旨、御理解頂けたでしょうか』  辻さんを一撃のもとに床に沈める古さん。防具が俊敏な動きを妨げるし、木刀も極端に懐に潜られたら満足に振るえない。その上で古さんの格闘能力。気の毒だけど勝負にもならなかった。  周囲のどよめきの中、D組の決着はこれでほぼ着いた。出場は古さんと龍宮だ。 視線を戻す。自分のいるG組の舞台に上がっている人数は十八人。まだのようだ。私を除けば舞台の上に上がっているのは全員男性。それも高校生ぐらいから大学生だ。女性で中学生という私は舞台の上で大層目だっており、好奇の視線がちらちら飛んできて居心地が悪い。  視線の意味は『士郎』が理解している。本来なら格闘大会などという如何にも男臭い大会に飛び込む女の子という異分子。その異分子に向けられる類のものだ。そんな視線を向けられることに少し胸の中の何かが沈んでいくのが分かる。これは多分寂寥感だろう。女子であるということを嫌でも実感させられてしまう現実。普段は女子校で周囲を女性に囲まれているため実感が薄いが、一度こういう風に多数の男性陣と交わることで浮き彫りになるこの感情。 「はあ、女々しいな。そして情けない」  気持ちに整理を付けようと自身に誓うたびにこういった出来事にぶつかる。いい年した私がこんな事でどうする? 遠坂やセイバーにいらぬ心配をかけてしまうではないか。 「お、衛宮さんじゃないか」  横合いからの声。再び視線を転じるとそこには同じ弓道部に所属している神田川さんがいた。その服装は道着なのだけど、弓道のものと若干違うような気がする——ああ、合気道の道着か。 「神田川さん、如何したんですかこんなところで……ってまさか——」 「そのまさかさ、僕も出場するんだ。けど、衛宮さんがこんな大会に出場するなんて意外だな。大丈夫かい?」 「え? ええ、まあ……はははっ、いいところまで行ければと思っています」  言葉を濁して場所を移動する。舞台の隅から空間を確保できるやや中央よりへ。そろそろ始まりそうなので足場を固めておく。 正直、心配そうな声をかけられる事に漏れる苦笑が噛み殺し切れない。なんともまあ、そんなに私は頼りなさそうに見えるのか……  もう何度目か知れないため息が出そうになったとき、どっと会場が沸いた。 『B組とE組のほうで何か動きがあったようです。お!? おおーーーっとこれは、子供です!! 思いきり場違いな小学四、五年生にみえる子供!! 会場が笑いと生暖かい微笑みに包まれます。これは仕方ない!!』  朝倉のアナウンスで大体分かった。ネギ先生と小太郎か。視線を向ければ案の定、B組にネギ先生E組に小太郎の姿が見える。舞台の外では彼らを笑っている声一色だけど、無理もないよな。小太郎はまだ手合わせしていないので何とも言えないが、あの外見で二人とも相当な戦闘力のはずだ。見た目のギャップもあって恐ろしくもあるのは私だけだろうか? 『今情報が入りました。B組のネギ選手は一部で話題のあの子供先生とのことです!! しかし一体何を思ってこの大会に参加したのか!?』  素晴らしく芝居ががっている朝倉のアナウンス。知っているくせに……  舞台の上でネギ先生は他の選手に声をかけられ、それに返したが笑われた。口の動きを見るに手加減するしないで、ネギ先生は手加減しないと言って笑われたみたいだ。果たしてこの笑いがあと何秒続くか—— 『では、B組人数揃いました。試合開始!!』  規定の人数が揃ったB組の舞台。半ば一方的なアナウンスをゴングにネギ先生の戦いが始まる。  早速ネギ先生に向かう相手が一人。二メートルはあるだろうオーバーオール姿のヒゲ面でスキンヘッドの巨漢。筋肉は大いに盛り上がり、分かりやすいくらいのパワータイプ。そんな男がドスドスと足音を響かせて無造作に先生に手を伸ばす。大方、先生の襟首をつまみ上げて猫の子よろしく舞台から出すつもりだろう。  でもそんなことネギ先生の前では愚挙でしかない。  伸びてきた腕を両手で捌き、右の平手を巨漢の胸に当てる。これが起点。そのまま一歩前に歩を踏み込むと同時に震脚をきかせ、体の運動エネルギーを集約した左の拳を突き出す! ——八極拳 八大招式 絶招 通天炮!!  ズンという重い衝撃音と一緒に巨漢と観客の常識は吹っ飛んでいってしまった。笑いから呆然までわずか五秒弱。  あまりにキレイに決まりすぎたのかネギ先生自身も呆然としている。  ここでようやく巨漢がリング外に沈む音が周囲を揺らし、正気を取り戻した観客がどよめきの声を上げる。 『こ、これはぁっ!? 信じられません!! 何か武器を使ったのか、噂の子供先生体重差10倍はあろうかという巨漢を吹き飛ばしたーー!?』  舞台の上では間近に見たためかまだ呆然としている選手の皆さん。ネギ先生も呆然としていたが、思い直して今度こそがっしり構えを取る。 『それもそのはず。ネギ選手、古菲選手の一番弟子との情報がはいってます』  朝倉の再びのアナウンスに観客一同、主に格闘系の皆さんが驚きと一緒に納得の声を上げている。この話で魔力供給による身体能力向上をごまかそうというのか。抜け目ないね朝倉。  小太郎のほうは同じ組の楓と分身対決をしている。試合そっちのけで。でもあれなら心配ないか。  C組にいる明日菜と刹那も、パトロールの時のセーラー服姿のままで何の問題なく対戦相手を打ち倒していっている。ただ、私の目の錯覚だろうか? 倒される男たちの表情が妙に嬉しそうなのは。  そしてF組。ここには高畑先生と師匠の二人が上がっており、案の定二人が台風の目になっていた。  ポケットに突っ込まれる両手。それを鞘に収めた刃に見立て、一瞬で拳を抜き打ち拳圧で周囲を打ち倒していく高畑先生。狙いは主にアゴ。襲い来る拳圧に脳をゆすられ、何があったのか理解も出来ずに次々と昏倒していく対戦相手。師匠と並び悠然と舞台を歩く様子は無人の野を往くが如しか。  一方、師匠は何もしていない。龍宮のように楽をしたいようだ。気軽に高畑先生との会話を楽しんでおられる。  そこに一人の少年が突っかかる。どうも高畑先生の技が浅く、まだ動けるみたいだ。少年が師匠の肩に手を置く。ご愁傷様。  認識も出来ないスピードで少年がひっくり返され、指一本で抑えられてしまった。あれは人体の構造を熟知していないとできない技だ。流石、伊達に長くは生きていないか。  この調子なら組み合わせは順当なものになるな。思考を外の舞台から自身のいる舞台に向ける。人数は十九人。あと一人なのだけど、ここで舞台の一角にいる人影が気になった。  頭から被った黒いローブで全身をスッポリと覆った人物。わずかに窺える人体の線から女性だと分かり、フードに覆われながらも周囲を窺う目元で顔見知りだと分かった。 「ひょっとして、愛衣ちゃんじゃないか?」 「え!? わわっ! 衛宮先輩!? 」  後ろからなるべく脅かさないように小さく声をかけたのだが、思った以上に反応が大きかった。振り向いた目は大きく見開かれ、一歩二歩後退る。気配消して後ろからはまずかったか。 「ゴメン。脅かしたようだ。でも、愛衣ちゃんで間違いないね? なんでこんなところに?」 「は、はい、私はお姉様の付き添いのつもりで参加しているんですが、お姉様はネギ先生のことで大変怒っているみたいで『こらしめてあげます』とか言ってました」 「お姉様? ——ああ、高音さんか」  仕事で一緒して、先日は超さんの事であわや戦闘というところにまでいった聖ウルスラ女子の女の子。長い金髪が印象的でポンと頭にその姿が浮かぶ。派手な見た目に反して大変堅物な娘さんで、こんな大会に自ら進んで出場することはないと思っていたんだけど——ネギ先生を『こらしめる』? 「どういうことだい? こらしめるって」 「その……それはですね——」  答える愛衣ちゃんは何故か顔を赤らめて話してくれた。  事の経緯はネギ先生がのどかとデートらしき事をしていて、その時に世界樹の力が発動。のどかの願いである『大人なキスをする』という願望と世界樹の強大な魔力に操られたネギ先生が暴走。止めに入った高音さん愛衣ちゃんをねじ伏せ、その上同じく止めに入った刹那を押しのけ当初の目標ののどかの唇——ではなく、なぜかこれまた止めに入った明日菜の唇に対して筆舌に尽くしがたい濃い口付けをしてようやく事は収まったのだとか。  その後、大いにネギ先生は反省したようなのだが、その数十分後に舌の根も乾かぬうちにこの怪しげな大会に出場をしていて、高音さんは頭に来てしまったと————ん? なんか引っかかる。 「愛衣ちゃん、そのネギ先生が暴走したのは何時?」 「えっと、五時過ぎですね」 「……あれ? その場に明日菜とか刹那もいたんだよね」 「ええ、そうです。なにより神楽坂先輩が犠牲になりましたから」 「???」  どうゆう事だ? あの時刻、私たちは丁度パトロールを終えて超包子七号店で夕食を摂っていたときのはず。それにネギ先生の方でもパトロールの後とはいえ、動きが素早すぎないか? 夕食の時に世界樹に魔力が収束したのもネギ先生の暴走のせいだろう……あの時私を止めに入った明日菜達も気になる。折を見て彼女達に聞いてみるか。  ——でも今は、 『G組人数揃いました。試合開始!!』  大会に専念しなくては。 「愛衣ちゃん、接近戦は出来る?」 「いえ、あまり……いえ全然ですけど、無詠唱での攻撃呪文なら」 「そっか、じゃあ私の後ろについて。オフェンスは私。バックスは愛衣ちゃん。異存は?」 「ないです——って、衛宮先輩、後ろ!」  試合開始早々に二人の意見を纏める。前の仕事の時に見たが愛衣ちゃんは典型的な魔法使いだ。接近戦では動きに粗が目立っている。ならばここは私が前に出てあげよう。幸い他に顔見知りは——一名除いていないようだし、さして気兼ねはいらないだろう。  後ろから掴みかかろうとしている男の気配はすでに察知している。相手が女子中学生なので明らかに手加減している動きだ。その慢心、高くつくぞ。  振り向き様に伸びてくる手を払い落とし、がら空きになった腹部にボディーブローをみまってやる。前より身長が低くなったことを考慮に入れて一歩二歩踏み込むことを念頭に一撃。 「おぷすっ」  がっくり崩れ落ちる高校生くらいの少年。すまないね。願わくばこれにめげずに修行を積んでくれ。 「さて、始めますか」  /B 『おおーっと! G組でも異常事態発生! 紅いコートの少女、衛宮選手が次々と男どもを薙ぎ倒していっているー! 』  パパラッチで有名な朝倉和美のアナウンスを聞きながら、会場に来た遠坂は舞台の上の状況を呆れ半分で眺めていた。 「はあ、アイツってば随分と豪快にやってくれるわね……」  一言で言ってソレは巨大な独楽だ。舞台の上で回転を繰り返し、拳や蹴りで並み居る相手を弾き飛ばしている。独楽は独楽でもベーゴマとかケンカ独楽の類だろう。その正体は遠坂の弟子兼手駒兼恋人。現在の名を衛宮志保という。  その動きは尋常ではない。掴み掛かってくる手を払い、アゴ、人中、こめかみ、耳裏、鳩尾、レバーに正確に拳や蹴りを叩き入れ、本気で飛んでくるパンチや蹴りも物ともせずに捌き、懐に飛び込んで一撃で決めていく。  ただしいずれも本気でないのは遠坂でも分かった。仮に今の志保が本気でかかったら死人が出てしまうだろう。その辺りの力のセーブは弁えているようで、呆れはしても割と安心して見ていられる。  志保の現在の格闘スタイルは封印指定執行の武闘派魔術師による手ほどきを受けてか、キックボクシングが主体。ただ、相当に型をいじっているようで所々に肘や膝が入り、ベアナックルが牙を剥く。そのスタイルは速さを求めている所もあり、気がつけばほとんどの対戦相手はマット、もとい舞台の床に沈められていた。 「え、衛宮さん……」 「神田川さん……すいません」  志保と顔見知りと思われる合気道の道着姿の少年と会話。そして二人は対峙して、 「ぷふぉわ!」  数秒と経たずに少年はキレイなストレートをアゴに貰い、他の男子と同様に舞台に沈んだ。文句のつけようがないほどの華麗な負けっぷり。気絶するまでの数瞬、彼の視界は志保を捉えていた。そして何故か嬉しそうな表情を浮かべて気絶していくその顔に遠坂は言われもない気分になる。 「(そりゃあ、何も知らない人から見れば志保は魅力的に映るよね……でも、アイツは『わたしの士郎』でもあるんだし……)」  口調は以前とさして違いはないが、この頃は遠坂から見てもハッとさせられるくらい女の子らしい部分が出てきている。精神が肉体に引っ張られてきている証拠だ。無論、志保を士郎に戻す努力は怠っていない。だが仮令、元に戻ることが絶望的だと分かったら——それでも士郎(志保)を愛する事はできるか……? 「っ! 何弱気になっているんだか。わたしとした事が、当然じゃない」  10年前のあの時、紅の騎士との約束。それ以上に自身が士郎(志保)を問答無用で幸せにしてやると決めたではないか。 「それに、あれはあれで悪くないし……んんっ! 思考が脱線したわね……さてと、これが超鈴音の目的かしらね?」  志保を見かけて脇道に逸れてしまった思考を元にもどす。  超鈴音は学園祭の複数のイベントを買収・合併し、このような巨大イベントをほとんどゲリラ的に行った。しかも開会の挨拶の時に彼女が話した内容から察するに魔法使いの戦いを一般人に見せることが超の目的に思える。  でも、ただ普通に見せてどうする? 大抵の人は壮大なアトラクション扱いしておしまいだ。常識の壁というのは存外分厚いのだ。それに魔法の存在が学園内でバレたとしても魔法使いが黙っていないだろう。実際、この大会を監視するためか高畑先生と桜咲刹那が選手として出場しているし、それ以外でもこの大会を警戒している魔法使いはいそうだ。 「何かあると見たほうがいいかな」  あれから超の資金の動きを見ていたが、その膨大な資金の内三割がこの学園祭につぎ込まれている。国家が買えてしまう資金の内の三割、並の金額ではない。それをただこういった大会のためだけとはとても思えない。水面下できっと何かが動いていると遠坂は確信している。 「でも、それはそうと……」  大会の告知チラシを広げて見る。デカデカと一千万の賞金が表示されている。 「優勝賞金一千万円か……志保、優勝してくれないかしらね? でなきゃ、セイバーが出るべきだったか」  賞金の多さに少し目がくらむ魔術師・遠坂凛だった。  A/  実に心苦しいが、同じ部活の先輩である神田川さんに気絶してもらい、周囲に残る対戦相手は一人となった。 「あれは……どう見てもロボだよなぁ」  その相手。ガッシリした体型に革のジャケットとサングラス、逆立つヘアスタイルと一見すると、パンク系ミュージシャンかどこぞの未来から来た殲滅アンドロイドのコスプレをしている人なのだが、細かな部分がしっかりメカなのだ。解析の目を向ければよりハッキリして、感じとしては茶々丸さんと同じ印象を受ける。つまり、100%ロボの人だ。 「ええっと、アンドロイドの方とお見受けしますけど、ヤッパリ戦うんです、よね?」 「ソノ問イニ対スル答エハ肯定デス。最優先ターゲット、�008衛宮志保ヲ確認。リミッター解除、最初カラ全力デイキマス」  パクンと大きく口を開けるロボ。口の中からせり出すように出てきたのは大口径の望遠鏡? ——否。あれは『銃口』だ。  ——ピーーーッ!  間抜けた音だが、奔る光は熱を帯び明らかに兵器に類するものだと分かる。それを右にかわす。一瞬判断が遅ければ直撃だった。なにしろ撃たれたのは光の一種、いくら身体の反応が良くても光を見てからかわすのはまず不可能。見切るしかないか。 「うおおおっ!? 何だアレ!?」「口からビーム!?」  観客陣はビームなどという異常事態にどよめいている。 『情報が入りました。G組の田中選手は工学部で実験中の新型ロボット兵器・T−ANK−α3愛称[田中さん]だそうです。さあ、そんなロボット兵器を相手に衛宮選手、いかなる戦い方を見せてくれるでしょうか!?』  朝倉のアナウンスが会場に響く。ああ、つまりなんだ、茶々丸さんの量産型? いいのかな、そんなに大っぴらにして。観客の反応が気になって窺うが、 「ほおー、ロボットなら納得だ」「うんうん」「なるほどー」 「……なんでさ」  このアナウンスで納得してしまう会場のみなさん。まあ良いのですけど、ね。不審に思われないなら。でも釈然としないなぁ。  後ろに目をやる。愛衣ちゃんが田中の出したビームに驚いて動きが固まっている。まずいな、下手に動くと後ろの彼女まで被害が及ぶか。 「LOCK ON」  田中の両腕が持ち上げられ、突き出される。これには覚えがある。開発者が同じなら、設計思想も同じ。武装の趣味も同じということだ。でも、これは好機! 「愛衣ちゃん、右に大きく跳んで!」 「っ! は、はいっ」  点火される田中の腕のブースター。狙いは私のみだが、下手に避けたら後ろの愛衣ちゃんにまで飛んでいってしまう。そこで声をかけたのだが、返ってきた反応は悪くない。その辺りさすが実戦経験者。すぐに飛び退く気配。  点火、爆発、高速で撃ち出される両腕の拳。  確かに高速かつ、普通のリーチも無視したこれは脅威だ。しかし、あんな見え見えのモーションは私でも見切れてしまう。  飛んでくる二条のロケットパンチのすぐ左横をかすめるようにすり抜け、本体に向かって深い踏み込みを仕掛ける。  田中の口が再度開かれ、ビームの発射態勢。ただ、さっき撃ったばかりのためかチャージが必要のようだ。そんな暇はもちろん与えない。  ビームのチャージ前に右のアッパーを田中のアゴに決め、強引にその口を閉じる。手に返ってくる重い手応え。普通の人間ならこれで終わりだが相手はロボット、気絶ということはない。そこでアッパーを決めた体の捻りを生かし、体を一回転。勢いをつけた回し蹴りを相手の胴に叩き込み、舞台の外に吹き飛ばした。  放物線は描かずにほぼ水平に田中のボディは吹き飛ばされ、ズシンと見た目によらない重量感ある振動と一緒に舞台外に落ちた。リングアウトだ。 『決まったーーー!! 豪快な回し蹴りで田中選手をリングアウトっ! これで衛宮選手と佐倉選手が本選出場決定です!!』  朝倉の景気の良いアナウンスに会場が盛り上がる。  超さんには出場を依頼されているからね。本選ぐらいには出場しないと格好がつかないでしょう。それに—— 「わー、志保さんスゴイですねー」「あの位大したことないで。ネギ、お前もあの位は楽勝のはずや」「ら、楽勝かな……?」  自分の試合を終えて、私の試合を見つつ小太郎と話し込んでいるネギ先生の姿。蘇るのは予選前に夕映が話していた言葉—— 一度、どういう形であれネギ先生には聞いてみたかったことだ。いい機会かもしれない。  ところで…… 「朝倉朝倉っ! アレ、工学部の実験機みたいだけど壊しちゃって大丈夫なのか? 蹴り倒しておいてなんだけど、弁償とか言われても困るよ」  舞台から降りて、近くにいた朝倉に気になる事を聞いてみる。 「いーのいーの。大丈夫。先方では問題無しと言っていたし、中のデーターが無事なら大抵のことなら良いってハカセから言質はとっているよ」 「そ、そうなのか?」  あっさり返ってきた答えは『問題なし』。それは嬉しい事だ。 なにしろ相手は精密機械の塊。この手の機械の値段がどれほどのものか……おそらくは遠坂が所有する宝石レベルはすると思う。それが不問というのだから胸を撫で下ろすべきだろう。家計にこれ以上の負担を掛けたくはない。 「それより、トーナメントの抽選を始めるから門前のほうに移動して」 「ああ、分かった」  朝倉の促す言葉に従い、舞台を降りる。私達G組の試合で予選が終わったみたいだ。  舞台の上で今だのびている人は救護隊が担架で運んで行き、意識を回復した人はふらつきながらも自力で場を去っていく。敗者は去っていき、勝者は残る。予選が終わり、16名の勝者だけが龍宮神社の門前に残った。 「衛宮先輩」 「ん? ああ、愛衣ちゃん。怪我はないよね?」  後ろからの彼女の呼びかけに応える。田中のロケットパンチに巻き込まれてはいないと断言できるけど、何かしら怪我を負う可能性はあるのだ。一応聞いておこう。 「はい、怪我はまったく。それと、ありがとうございます。衛宮先輩のお陰でお姉様と一緒に本選に出ることが出来ます」 「そっか、それは良かったね」  門前に並ぶ16人。その中に今の愛衣ちゃんと同じ黒ローブ姿の人影を認める。あれが高音さんだろう。動機はともかく、出場する彼女についていきたいのが愛衣ちゃん。それが叶ったのだから良い事だ。 「で、ですけどそれはそれ、これはこれです。本選で衛宮先輩と当たっても手は抜きません」 「うん、了解。私もベストを尽くすよ」 「……お、お姉様のところに戻ります。では」  たたたっ、と軽快に走り高音さんのところに戻る愛衣ちゃん。うん、あれで黒ローブがなければかなり好印象を見る人に与えるのだがな。少し残念。  ——ゾクリ  触覚を通して針のような感触を受ける。これは戦場で慣れ親しんだ感触。すなわち殺気。  突如沸き立ち突き刺す殺気。周りの人に反応がないことからすると、私に限定して放たれたものだが、一体どこから?   見渡せど、本選出場者にも周囲の観客からもそれらしい人影は認められない。もういない。殺気だけ放つとその場を去ったのか?   訝しがっていると、門前に朝倉が現れる。 『皆様、お疲れ様です。本選出場者16名が決定しました。本選は明朝8時より龍宮神社にて!』  手に持ったマイクで会場全体に知らせる朝倉。その彼女の手が横を向き、 『では、大会委員会の厳正な抽選の結果決定したトーナメント表を発表しましょう————こちらです!!』  バサリと広げられるトーナメント表を示した。 「えっ……」「な……」  これは組み合わせに驚く声。確かにそんな声が出るだろう。大会委員会、本当に『厳正』な抽選をしたのかね? 気のせいか何かしらの作為を感じてしまうぞ。特にネギ先生の周辺なんかは……何しろ彼の第一戦の相手が、 「ええーーっ、タカミチ!? 無理だよーー!?」  ネギ先生の叫びにあるように高畑先生だ。うわ……よく見ると明日菜と刹那が一回戦から当るし、古さんと龍宮も一回戦からだ。愛衣ちゃんは小太郎とか……で、私は————あ。 「高音さん、か」  衛宮志保の名前の隣に並ぶ高音・D・グッドマンのという名前。その二つは線で結ばれ、対戦すると表示されている。これは早くも難題、だろうか? 「アイヤー、マ、マズイアルー」「ハハハ」「一千万はムリかなこりゃ」  みんなもこの組み合わせに目を丸くしている。特に龍宮を相手にする古さんなんかは動揺が激しい。小さく、「師匠の威厳が……」という呟きすら聞こえる。  明日の武道会はただでは終わりそうにない。それは私だけではなく、きっと全員が感じたことだろう。明日は長い一日になりそうだ。 /B  予選が終わり、明日の本選を待つ龍宮神社。観客は全て今日の中夜祭に出払い、今は嵐の前の静けさを保つ無人の伽藍。さきほどまでの人の気配はなく、中夜祭に沸きあがる学園に取り残されているかのようだ。  明かりのないその場所に気配はなく、人影はなく、機械の目ですら認識ができない。でも、確かに遠坂凛は存在していた。 「(会場の各所にカメラが存在する。電子的措置って分からないけど、それに無関係で大会主催者側で映像を公開するのかしら……)」  予選が終わり、人が出払うのを待って本選会場である神社の境内を進み、本選のリングである水に囲まれた舞台をざっと見渡した感想がこれだ。電子的措置とやらで観客の持ち込んだカメラなどの電気を使う記録装置は全て無力化される。と超は言っていた。けど、舞台を中心に要所要所に大会側が設置したと思われる記録用のカメラが見受けられた。  観客の記録は禁じて大会側の提供で映像の公開、しかも大会側の都合に合わせたものをだろう。 「(しかも、ここって妙に警備装置が厳重に張られている。何か隠していますって宣伝しているようなものね)」  警備装置を術で掻い潜り、裏手に回る。そこには人工的な水の流れ。コンクリートの無骨なトンネルが、夜の暗闇の中でも一際の闇をぽっかりと口を開けている。 「(下水施設? でもここまで巨大なのは日本では見かけないわね。欧州レベルはいっているかも)」  問題の龍宮神社の裏手にこの巨大地下下水施設。無関係だという事はまずない。現に神社よりも警備装置が厳重になっている。  飾り気が一切ない金属製の階段を無音で下りる。音に反応する装置すら存在するのだ、慎重に歩を進める。  正面にトンネルを見据えざっと外観を見渡す。いかにも何かを企む人間が根城にしそうな場所だ。『いかにも』過ぎてあざとい。 「(さて、そのあざとい中身はなんなのか拝ませてもらうわよ)」  一歩下水道の中に足を踏み入れる。赤外線やレーザーなどの各種センサー、暗視装置付の高性能監視カメラが侵入者を探知しようとしているが遠坂の前にはいずれも無意味に終わる。光学的にも電子的にも透明化している今の彼女を捉えることは通常の科学では無理である。ただ、一度声を発してしまうとこの術の効力は消えてしまうのが欠点。だから呪を唱えることは出来ない。唱えるとしたらそれは脱出時に『保険』を使う時だろう。  下水なのに特有の臭いがしない水の流れを横手に、遠坂の歩は乱れなく進む。  下水道を進む行程はきわめて順調だ。各所に警備装置は存在するが反応される事無く進むことができ、何の障害もなく遠坂は下水道の道を進むことが出来ていた。むしろ警備装置は道順を示してくれるようなもので、それを辿って超鈴音の根城の深部に潜り込んでいく。  視界は魔力で夜目を補い、行動するには問題ない。  順調に侵入している遠坂。ただ、思考の何割かはさっきまで見ていた大会の予選に割り振られていた。 「(まったく、アイツは……相変わらず無自覚でやっているんだから……)」  人が余裕ですれ違うことが出来る作業用のコンクリートの道をズンズン進む。ホコリや汚れは目立っていない。つい最近誰かが通った跡もある。その誰かは下水道の管理者か、超鈴音の関係者かまでは分からない。 次に思考に思い浮かぶのは大会予選の時の志保の表情。  志保は見た目ぶっきらぼうそうに見えるが、感情自体は豊かだ。ただ、心からの笑顔を見る機会は少ない。その少ない笑顔を見せるとき。それは他人のためになった時なんかがそうだ。  あの時の場合、一緒に組んだと思われる佐倉愛衣が無事だったことが純粋に喜ばしいからあの表情が出たのだろう。士郎のときも志保のときもあの笑顔は反則だろう。心から思っている。それがありありと分かる顔なのだから。  それだけに、誤解を招きやすくもある。分かってはいる。すでに十年来の付き合いになるのだから。それでも思わず殺気を放ってしまう心境…… 「(歯痒いわね。アイツがそれを分かっていないから問題なのよね————っと、階段。まだまだ下がある、か)」  見つけた階段を下り、さらに下へ下へと降りていく。どうも学園都市の地下は自身の想像を超えた広さを持った魔境のようだ。果てというのが感じられず、手を突っ込めばどこまでも深みにはまる底のなさ 。ここの全貌を知る人間は果たして学園都市でも何人いることやら。  どこまでも降りていきそうな階段を下る。彼女の思考の数割は変わらず志保についての事柄に割いている。  志保は今、ネギが気になっているのだろう。担任教師と副担任。職員室で接する機会は多かったのでそれとなく話を向けて色々と聞いてみて、その上で志保から聞いた印象を合わせると、ネギという人物は志保(士郎)レベルに大きく人としての何かが欠けていることが分かる。  原因までは志保は語らなかったが、おおよそ推測は立つ。ほぼ間違いなく圧倒的な悲劇に見舞われたのだろう。それこそ志保(士郎)のように。  類は友を呼ぶ。では決してないが、ネギも志保も似ているところがあり、それ故に志保はネギのいく先を気にかけているのだ。10歳であれほどだ。果たして五年後、十年後はどこまで壊れてしまうのか……。 「(ま、他人の気がしない。というのは分かるけど、志保も彼ばかりに構っている場合ではないのに……ん、ようやく一番下か)」  一先ず、ここまでの思考を遠坂は保留した。これは帰ってからの問題だ。  長い階段の果て。最下段の先、扉があった。軽く走査してトラップやセンサーの類がないことを確認。手早く開け放って、扉の向こうへ足を踏み込んだ。 「(なんとも……この学園の地下構造は随分と豪快な造りになっているわね。制作者の頭の中身を拝見したいわ)」  扉の先は巨大な空間が広がっており、暗闇のため全てを見通すことは出来なかった。道は扉からキャットウォークのような細い石造りの橋が一本、闇の彼方まで続いている。遠坂はここの空間を創った人物の精神構造を疑いながら、躊躇もなく橋へ踏み出した。  後ろを振り返ると、下水道の水が滝のように垂直に落ちており、水が轟く音が下から上がってきている。下までの深さは闇が濃く、知ることはできないが、この橋から落ちたら死ぬ高度はあることは確実だ。  左右の闇にはこの橋と同じ材質とおもわれる石の柱が立ち並んでいる。雰囲気としては遺跡だろうか? 空気の淀み方もそれに似ている。  志保(士郎)とセイバーを引っ張りまわして、世界のあちこちで魔術関係の場所に潜り込んだ経験が遠坂にはある。その経験が告げる。この場所こそがこの学園都市の基盤であり、文字通り深部だと。  そんな場所であの超鈴音は何を企み、どんな事をしようとしているのか。 ——見極めなくては。 決意を新たにしたところで都合よく向こう岸が彼女の視界に入った。  あるのは正面に扉が一つ。周囲の壁には世界樹のものだろう木の根が張り巡らされている。  遠坂が今身に着けている変装用のウルスラの制服。その上から手を当てて装備を確認する。  魔弾用の宝石が左右の袖に五個ずつ。背中にアゾット剣。腰のホルスターにリボルバーと予備の加工宝石。その他、携帯がしやすい礼装をいくつか。これほどになると、並みの魔術師相手ならまとめて三十人位の面倒は見れる自信は遠坂にある。  だが、相手は未知の存在だ。気を緩めることなく、扉を手をかけ慎重に開けた。  開いた扉の隙間から漏れてきたのは暴力的な光の奔流。  慌てて夜目に割り振っていた魔力をカットする。そうでもしないと眼が潰れる。その位の明るさだった。  何回か目をしばたたかせ、中の明るさに眼を慣らしたところでその身を扉の中に滑り込ませる。 「————っ!!!」  危うく叫ぶところだった。必死に視界に入る物の状態を観察し、気分を落ち着かせる。問題ない、アレはまだ動いていない。  アレ——さっきの武道大会の予選で出ていた『田中』と呼ばれるアンドロイド。それが扉を潜った遠坂の目の前に鎮座していたのだ。それも一体や二体ではない。数十体、もしかしたら数百体か? その数が整然と並んで動きを止めていた。 「(なんなのよ、これは……超鈴音、こんなもので何を……)」  並び立つ田中の列の間を歩き、周囲を窺う。  地下であるはずなのに、まるで自然光が差し込んでいるような柔らかな光がこの空間を包んでいる。世界樹の根が変化したと思われる樹木が周囲に生え、緑を生い茂らせている。湖さえもあり、その真ん中に—— 「(っ! あれは鬼神!?)」  湖に突き立つように異形の存在があった。  それは京都でも見た鬼神に似たシルエットの巨体。ただし、大きさとしては半分ほど。それに今は石像のごとく固まり、術が施された鎖で拘束されている。動く気配は皆無だ。 「(何てものを用意しているのよ……っ!)」  呆然と湖に突き立つ鬼神を見ていた遠坂だが、ふいに湧き上がる殺気に反応して体を思い切り横に飛ばした。  ——パァーン  乾いた破裂音。同時にさっきまで遠坂がいた砂地が小さく爆ぜる。  間違いない、これは銃撃。  横っ飛びから態勢を立て直し、膝立ちの状態に。射手の存在を視界に入れる。  相手は二十メートル先、黒いローブで全身を包み隠し、手には硝煙がたなびくイスラエル製の大型拳銃。わずかに覗くその肌は褐色の色をしていた。 「いい反応だ。——驚いたよ。まさかここまでの侵入を許すなんてな。私の魔眼でさえも捉えられない術者、か。こいつがなければ見逃していたよ」  とんとんと指で目にかけているサングラス風のバイザーを叩く射手。  彼女の正体に覚えは遠坂にあった。それも当然、なにしろA組の教室で毎日顔を会わせている教え子の一人だ。龍宮真名。まさか彼女まで超の仲間だとは……事態は想定を大きく超えようとしている。事ここに至って遠坂は確信した。 「それで、これを見たわたしをどうするのかしら? 殺す?」  術も龍宮に意味をなさないと知り、遠坂は自ら声を発して術を解除した。大抵の探査魔術や科学装置に引っかからない自信はあった術だが、相手はその上をいく方法で彼女を発見したのだ。今更隠れても意味はない。 「いや、依頼主の意向でな流血沙汰はご法度だ。ただ、学園祭が終わるまでの自由は奪わせてもらうがな」 「そう、随分とお優しい依頼主ね」  銃口を向けられても、余裕をもって遠坂は膝立ちから立ち上がる。余裕を崩さない表情の裏で思考は次々を次善の策を編んでいく。  ——さて、偵察の収穫としては申し分ない。さして期待していなかったが、いきなり大物を釣り上げることは出来たのは僥倖。でも、まさか見つかるとはね……結構自信があった術式なのに。どうする? 戦闘? 却下、今のこの状態では龍宮真名には勝てない。ならば撤退、か。『保険』をこんなところで早々に使う羽目になるなんて……恨むわよ。 「でも、折角の学園祭を棒に振りたくないの。悪いけど、帰らせてもらいます——Anfang[セット]」  心臓にナイフを突き刺すイメージで魔術回路を起動。詠唱はいらない。すでに『向こう』に術式が刻まれているのだ。こちらがやることは立ち上がるときに手の内に納めた宝石に魔力を込めることだけ。 「むっ!」  魔術の発動に身構え、拳銃の引き金を引こうとする龍宮。だが、その僅かな動作をする時間が遠坂には必要十分なものだった。  遠坂の体を包むエメラルドの緑光。手に持った宝石から漏れ出し、全身を包み込む。同時に彼女の体から色が薄れ、輪郭が薄れ、最後には存在すらうすれ光に飲み込まれるように消えていった。ここまでの工程、一秒に満たない時間だった。 「転移魔法! く、逃げられたか!?」  跡形もなく消えた人型。後に残るものは存在せず、龍宮は口元にある小型マイクに向かって呼びかける。 「龍宮だ。葉加瀬、そちらで位置を追えるか?」  返答はすぐ、耳に葉加瀬の声が返ってきた。 『ダメです。魔力の痕跡、追えません。跡形もないです。通常の転移ではないみたいなのですけど……』 「そうか、それでどうする? 見つかった以上、引き上げるのが上策とおもうのだが?」  ここはいわば格納庫。待機中の機動兵器群を貯蔵している場所になる。予定数集め、ここから発進させていく。そんな場所だ。  それが見つかった以上、すぐさま予備で用意した場所へと移さなくてはならない。今はまだ魔法使い側に見つかるわけにはいかないのだ。  だが、先方の返信はそれに反するものだ。 『いえ、まだ予定の三十%を残しています。ですから、せめて武道会終盤ぐらいまでの時間は欲しいところです』 「だが、見つかってしまっては元も子もないぞ」 『そうなんですよね……一応、監視を強化して機動兵器群の一部を守備に出します。龍宮さんも武道会が終わり次第、お願いできますか?』 「分かった、今は動かせないんだな。まあ、私も明日の武道会に備えるとするさ」  通信を終了させ、銃をしまった龍宮は早々にその場を去っていった。  後に残されたのは、猛威を振るう日を控えるヒトガタの群れ。その日は目前に迫っていた。  A/ 『麻帆良祭1日目。世界樹周辺では中夜祭に突入します。学生生徒の皆さんは自らの健康に留意し、徹夜のしすぎ、アルコールの飲み過ぎには充分気をつけるように!!』  会場アナウンスが学園全体に響くが、それを気に留める人間はきっと今ここにはいない。いつぞやも師匠と来たことがあるコーヒーチェーン店のオープン席。そこにA組が集結していた。 「「「ネギ先生ーー1日目、お疲れ様ですーー」」」  どっと、ネギ先生に集まりはしゃぎだすA組のみんな。口々に自身の出ていた出し物にネギ先生が来てくれたことに感謝の言葉を言っている。  あ、そういえば。武道会ですっかり忘れていたが私もこれに加わらなくてはいけない。那波さんが言い終わったところで、ネギ先生に近付く。 「ネギ先生」 「あ、志保さん」 「武道会のことで忘れていましたが、時間がないにも関らず弓道部の喫茶店に来ていただいてありがとうございます」 「え? ええ、はい。どういたしまして……」  言葉を返すネギ先生は何故か不思議そうな表情だ。  不思議といえば、今日のネギ先生の異常なまでのフットワークの軽さが気にかかる。パトロールにクラスのみんなの出し物にも顔を出し、さらにのどかとデートまでしているそうだ。とてもではないが、普通ここまでの真似はできない。何か魔法でも使っているのだろうか? 「ひとつ、聞きたいことがあるのですけど……」 「え? なんです?」 「先生は——「あ、あのー……すいませんネギ先生」」  横合いからの声。そこには教室で私の前の席に座っている長谷川さんの姿が。なぜか頬を紅く染めている彼女が顔を俯けてこちらに声をかけてきた。 「あ、いいですよ。私はこれで。では、中夜祭に」 「は、はい。それでは……」  思えば、改めて問いただすことではない。学園祭中はスケジュール管理が大変なネギ先生のことだ、きっと何らかの魔法的手段でそれを解消したのだろう。ここは長谷川さんに場を譲って離れることにした。  すでに席では飲み物が振舞われ、ボルテージが右肩上がりでドンドン上がっているのが分かる。このテンションで中夜祭の会場に繰り出すのだろう。 「シホ」 「あ、セイバー。お疲れ様、リハーサルだったよね?」  後ろからかかってきた声に振り向けば、エレキギターを収めたギターケースを担いだセイバーの姿があった。その姿はいつもの服装と変わりないが、それとギターケースの組み合わせは少々奇妙さを感じさせる。  振舞われる飲み物の内、グレープジュースを渡してあげる。 「ありがとうございます。リハーサルの成果は上々でした。明日は万全の態勢で臨むことが出来そうです」  クピリとワイン色の液体を飲むセイバー。その顔はどこか上気しているのか火照って見える。 「そっか、柿崎さん達に感謝だな。こんなに楽しそうなセイバーを見るのは気分良いよ」 「楽しそう、に見えますか?」 「見える。良いじゃないか、折角の祭なんだから楽しんだら」 「ですが、凛が動いているときに私だけ楽しむというのも……」 「ストップ。その話はした。それで学園祭が楽しむことが出来なければ遠坂がどんな顔をするか、分かるだろ?」  快楽主義を自ら認める遠坂凛。それは自身に対してでもあるし、身内に対してでもある。そうでなければ面白くない、とは彼女の言だ。  私も遠坂のここ最近の動きが気にかかる。でも、彼女が助けを求めているわけではない。であるのなら、ここは遠坂を信じてあげたい。 「……確かに。凛は余計な手出しは望みませんね。分かりました、ここでは私も楽しみましょう」  しからば、とセイバーがギターケースに手をかけて中から深い青色のボディのギターを取り出した。 「ミサっ、アンプはありますか?」 「持ち運び用の小型のやつがあったけど、ここで演るんだ」  近くにいた柿崎さんに声をかけるセイバー。運ばれてきたアンプにジャックが差し込まれ、手際よく演奏準備が出来ていく。  その様子に周囲にいたみんなが何事かと集まってくる。ここまで僅かに数分。その数分で即席のストリートライブが始まろうとしていた。 「明日のためのコマーシャルを兼ねたデモンストレーションです。ミサ、良いでしょうか?」 「OK、やっちゃおう!」  柿崎さんの声にすぐさま応え、弾けるようにセイバーのピックが弦を掻き鳴らした。アンプから軽快なリズムが流れ、集まったみんなのボルテージは早くも最高潮に届かんとしていた。  前奏から柿崎さんの歌声が入り、セイバーのギターと観客の歓声が入り混じって一つの和音を作り上げていく。通行人も何かのライブかと足を止めて見入り、観客の数は増えていく。  楽曲と観客の歓声。宴はまだまだ始まったばかり。朝はまだ先の事だ。「逃げられた……カ」 「すいません超さん。何しろほとんどの警備装置に反応がなく、格納庫の扉が開いた事でようやく分かったくらいなんです。あれほどの高度なステルス性能を誇る魔法はデーターにありません」 「そうカ。平行世界からの訪問者……茶々丸からのデーターでそういう報告があたガ、ハカセはどう思う?」 「そうですね。平行世界についてはあくまで量子力学での思考実験上の話としか受け止められません。(この後、数分量子力学的観点からの平行世界についての考察が語られるが省略)——ですけど、超さんのような例もあることですし、頭から否定できる材料も不足しています」 「科学は証明することは簡単でも、否定することは難しい……本当か嘘か、どちらにしても脅威が増えたことに変わりはないネ」 「そうですね。一応、下水道の警戒レベルを上げて機動兵器郡の一部を警備として配置しましたけど、他の魔法使い達に気付かれるのも時間の問題かと」 「構わないネ。武道会が終わるまで持てば目的は達成したも同然、今からここを放棄する準備ぐらいは進めようカ?」 「わかりました」  出席番号32番 衛宮         第24話 学園祭・Show Down  通勤が困難な職員、もしくは独身の職員のために存在する職員寮。女子エリアの職員寮は学生寮の程近くに存在し、生徒と職員の距離が近い場所のひとつである。  ただ職員は学生と比べ通勤手段が豊富で、学生のように全寮制という制度に縛られている訳でもない。よって、この職員寮は慢性的に空き部屋が目立つ状態が長く続いていた。  そんな職員寮の三階。ここに魔女の工房が存在することはごくごく一部の人間しか知らない。工房の主、その魔女の名は遠坂凛。この世界とは異なる魔道の薫陶を受けた妙齢の美女。正しく魔女たる存在だった。  工房には様々な物品が雑多に散らかっていた。ビーカー、フラスコ、試験管、アルコールランプなど理科の実験器具のようなものから、古い木材で出来た杖、所々に積み重なっている魔道書、机の上に無造作に置かれている色とりどりの宝石、秘文字が刻まれた短剣など、いかにも魔法使いといった道具まで混ぜこぜに存在する。  否、これで遠坂凛としては片付いている方だ。彼女の独自の感覚と法則で物が置かれ、傍目には雑然としているようにしか見えないだけ。 それでも、弟子の志保には「片付けに不自由」と評され、使い魔であるセイバーには「魔術師というものは皆このように独自ルールをもっているのでしょうか?」とかつて彼女に仕えていた宮廷魔術師と比べられる。そして決まってその二人は定期的に掃除をしてくれるのだが、片付いた端から遠坂が独自色を出すので二人ともすでに諦めの境地だ。  さて、そんな遠坂的に片付いている工房の中、一際場所をとっているものがある。それは部屋の中央の床に設置された畳二枚分ほどの広さをもつ魔法陣。余人には理解出来ない法則と式で幾何学模様を描くそれは、魔力を込め粉末にした金属で描かれている。  その中央、そこに掌ほどの大きさという巨大な宝石があった。見るものを涼やかな気分にさせる緑光。大粒のエメラルドだ。無論ただの装飾品でも観賞用でもない。表面には非常に細かい文字が呪刻されている。  このエメラルドは魔力を通すだけである魔術を発動させることが出来る。いわゆる礼装の一種。それが無人の工房の中央に据えられていた。  前触れも兆候もなく魔法陣に変化が現れる。  金属独特の鈍色の魔法陣のラインに光が奔った。その色は真紅。  真紅の光は魔法陣を染め上げていき、やがて中央に据えられるエメラルドに光が向かう。真紅の光に照らされる緑。表面の秘文字に活力が沸き、脈動する心臓のようにエメラルドの緑光が明滅を繰り返す。  その間隔が瞬く間に短くなり、数秒もしないうちに明滅の内『滅』がなくなる。魔法陣の真紅の光を押しのけ、緑光が部屋を支配する。  それこそ『門』だ。  部屋の全方位に満遍なく照射される緑の光。それが指向性を持って収縮。天井に向かってサーチライトよろしく光を打ち上げられる。  緑光を浴びせられた天井にも床のそれと対になるように描かれている魔法陣。エメラルドの光を浴びた天井の魔法陣は浴びせられた光と同様の緑の光をラインに宿す。  『門』は成った。赤と緑の二色の魔法陣に挟まれた緑光の柱。それが『開いた』 光の柱から現れるのは白磁のような繊手。続いて黒い修道服めいた袖に包まれた腕。そこから一気に体が出てくる。 「わっ!」  予想はしていたが、少し予定が狂った。それをありありと感じさせる声と一緒に少女状態の遠坂凛の体が何かにつまづくように『門』から飛び出てきて、ベシャリと床に無様にも突っ伏してしまった。  途端、役目は終わったとばかりに魔法陣にもエメラルドにも神秘の光が失せ、部屋はさっきまでと同様、暗闇の静寂包まれていた。  違うところはこの部屋に主が帰還したこと。 「あたた……高さがあることは知っているけど、予定値以上に高かったわ」  転移先の『門』と床との高低差に若干の計算違いを身をもって痛感しながら、修道服めいたウルスラ女子の制服を手で軽く整えつつ遠坂は立ち上がる。  暗闇に光るネコのような瞳。暗闇に対してすぐさま夜目を魔力で働かせる。辺りを見渡し、間違いなく自身の工房に戻ってきたことを確認した彼女は大きく息を吐いた。 「ま、最後は間抜けだったけど術そのものは成功ね」  空間転移。  触媒を用いないそれは魔法の領域といわれる魔術の中でも大技に分類される術式。それを遠坂は宝石を起点とした触媒で行ったのだ。  こちらで購入した大粒のエメラルドを術式加工し、カットした際に出た幾つかの粒宝石も加工。これを消費型の『鍵』とした。『鍵』で工房に設置した『門』を開け、学園都市内ならどこからでもこの場所に緊急脱出出来るようにした。これが遠坂が地下で用いた術だ。  一見、宝石の無駄と思われるこの魔術だが、これは『宝石鍵』を制作するための予備実験も兼ねているため彼女にしてみれば大変有意義なものになる。  部屋の電灯を点け、照らし出される工房。 壁にかけた時計は深夜を指している。だが、それでも窓から見える麻帆良の街から賑やかさは消えない。まだ続く中夜祭が学園都市を不夜城に仕立て上げている。 「さて……一つ、情報を整理してみようかしら」  デスク横のソファに深く腰掛ける。ここで紅茶の一杯でも欲しいところだが、いつも淹れてくれる志保やセイバーはクラスのみんなと一緒に中夜祭だろうし、自分で淹れる気力は空間転移に用いた大幅な魔力消費の後では沸かない。結局天井を見上げ、ゆったり気力の回復をしつつ思考をまとめることにした。 「まずはあのロボットだけど……」  地下で見た大量の人型の機械人形。外見は異なるが、全体的な印象としてあの吸血鬼の従者である茶々丸が近い。確か彼女の製作には超の他に同じクラスの葉加瀬里美が関わっていると聞いたことがある。 「早計かもしれないけど……」  今回の件には葉加瀬里美も関与している可能性がある。さらに状況次第では、自身の受け持つクラスからさらに何人かこの案件の裏で動いている生徒が出てくるかもしれない。 「頭の痛い話ね……」  本当に頭痛がしそうな気がして額に手をあててしまう。  大人顔負けの能力を保有している生徒がごろごろいるのが三年A組だ。それだけにこんな事態だと性質が悪い。あの学園長の意向か、訳アリ生徒を一箇所に集めて内外に対して保護している節がある。けどこの場合は逆効果だろう。 「で、あんな大量のロボットで何をする気なのかしらね超さんは」  これが肝心。  戦闘力なら武道会予選でみせた程度だと仮定して、一般人や並みの魔法使いなら手こずるだろうが、一流どころ相手だと完全に雑魚。でも、アレだけの数にあの鬼神だ。その気になれば学園制圧も夢ではない。  だけど、制圧してどうする? あの超鈴音という生徒は短いながら接してきて思うのだが、目的もなく動く人物ではない。そして目的のためなら手段を選ばない。憶測でしかないが、今超が開催している武道会も地下のロボット軍団も全て繋がっている気がする。  学園を制圧できるような武力を行使する目的——それは…… 「ダメだ。これ以上は推測の積み重ねに過ぎない……転移用の宝石一個潰してこれじゃあね」  ぐったりと天井に向けた視線をさらに反らせて後ろに。ソファに完全にもたれ掛かってしまう。  今日の遠坂の収穫といえば、超鈴音は地下に強力な戦力を隠し持っている。そしてそれをもって学園祭期間中に何か事を起こそうとしている。この位だ。  いまだ相手の目的も真意も見えてはこないため、攻めあぐねている。遠坂の今の状態は攻め手に窮する指し手だ。何も失ってはいないが、このままでは自身が窮地に陥ると理解している。しかし手がなく困っている。そんな状態。 「どうする? 地下のあれを魔法使いに知らせようか……? いや、相手が相手、正直に通報しても隠蔽工作でうまく逃げられるか。むー……地下の存在を臭わせておく。方針としてこれでいきますか」  学園祭二日目が終わればセイバーも戦力に入る。それに志保も暇が出来るから引っ張ってこれる。つまり明日、二日目が勝負の分け目だろう。 「よし、そうと決まったら……」  回復した気力でソファから勢いよく立ち上がる。 「寝ようか」  続く言葉はやや情けない。しかし必要な事。魔力の回復と英気を養っておく必要はある。  全ては明日、学園祭二日目が勝負だと遠坂は気を引き締めて工房を後にした。  常夏の陽気にからっとしたさわやかな風。ネギの耳に聞こえるのは潮騒とはしゃぐ少女達の歓声。 「ん……」  この無視しようと思えばいくらでも出来る微かな音に反応して、彼の意識は浮上する。ゆっくりと横たえた体を起こし、こみあげる欠伸の欲求に素直に従う。 「ふあ……」  欠伸で涙目になった目をこする。自分のいる場所と格好を見て現状をゆっくり確認する。 (そっか、今はマスターの別荘にいるんだった)  中夜祭が終わったのはなんと午前四時。武道会本選は午前八時。とてもではないが睡眠時間が足りない。そういう事でこの一時間が一日になる別荘を借り、休ませて貰うことになったのだ。  今ネギが寝床にしている場所は、普段修行の場にしている塔状の館の最下層。箱庭の砂浜に建てられた石造りの東屋だ。すぐにでも浜遊びが出来るとあって、ネギの格好もそれに相応しく水着にパーカーを羽織ったもので眠っていた。 「おはよう、ネギ先生」 「あっ、おはよーございます志保さん」  正面から声がかかる。顔を上げればそこに彼の生徒であり、同じ師に学ぶ姉弟子ともいうべき衛宮志保の姿があった。  今の彼女の姿は少々奇抜だ。海ということもあって前に南国の島で着ていた水着を着ているのだが、その上にシンプルなデザインのエプロンを着ていた。手には銀の盆。乗せられているのはグラスに入ったよく冷えた飲み物。どうも給仕よろしく運んできてくれたみたいだ。 「アイスティーだけど、飲む?」 「あ、いただきます」  英国人らしく目覚めの一杯のお茶。  志保からのグラスを両手で受け取り、一口。たちまち広がるふくよかな味わいと香りがネギの味覚と嗅覚を刺激して眠気を秒単位で拭い去っていく。  気がつけば、一杯空けていた。 「はふぅ…………美味しかったです。ありがとうございます、志保さん」 「いや、いい飲みっぷりだった。私はアイスティーを淹れる経験は浅くてね、感想を聞こうと思っていたんだけど、これは聞くまでもないかな」 「えっと、すいません。なんか美味しすぎてよく味わってなかったみたいで」 「構わないよ。それだけで十分。おかわりは?」 「いえ、ありがとうございます」  空になったグラスを受け取り、次にカモミールが注文してそのままテーブルに放置されていたトロピカルジュースも回収する志保。 背中がざっくり開いた黒の水着に黒のエプロン。それに反するように白く束ねられた髪と氷肌は後姿でよく映えていた。知らず、ネギは彼女の後ろ姿を見て、 「いや……確かに水着にエプロンっつーのも、悪くないっスね。兄貴」 「うん……って、カモ君!? いつの間に!?」  いつの間にか起きていて、ネギの耳元に現れる白いオコジョ精霊・カモミールに声をかけられ慌てることになっていた。 「おはよーっす、兄貴。で、志保の姐さんっすけど、あれはいいと思うっすよね?」 「え? あ、うん。可愛いと思うけど?」  カモミールの言葉に思わず素直な感想がポロリと出るネギ。 「うんうん、兄貴もようやく色気ってモンを分かり始めたっすか」 「い、色気って……」  何やら食器の回収ついでに東屋の清掃まで始める志保だが、カモミールの一言でまともに彼女を見れなくなったネギ。この状態を張本人は実に面白おかしく観察する。  そんな奇妙な状態が五分。志保の簡単な清掃が終わるまで続いた。 「よし、簡単だがこんなものか。ネギ先生、それにカモミールも起きていたか。おはよう」 「は、はひっ!」 「おはようっす、姐さん」  かけられた声に反応したは良いが、声が裏返ってしまうネギ。対してカモミールは平然と挨拶を返している。 「? どうしたんだ先生?」 「い、いえ……それでなんでしょうか?」  それでもすぐに立て直せたのは上等だろう。志保も特に疑問に思わず言葉を返した。 「食事だけど、どうする? 眠る前まで相当な宴会状態だったから、消化にいい軽いもので纏めようと思うのだけど、リクエストはない?」 「あ、いえ。特には」 「カモミールは?」 「俺っちもありませんっす」  一人と一匹の意見に短くそっか、と呟き顎に指を当てて考えている。内容は本日の食事の献立だろう。  その隙間を縫うように聞こえる複数の少女の声。 「志保さん、みんなは……」 「ああ、外だよ。食事の前に行こうか?」 「はいっ」  エプロンを取り去り、水着のみになる志保。エプロンに隠れていたが、水着の前もお腹の部分が開いているデザインだ。 「前から思っていたんすけど、姐さんのその水着は随分派手なデザインっすね」 「言わないでくれ。今この水着しかないからやむなくだ。近く、学園指定の水着を調達しようと思っている」 「スクール水着っすか……それもそれで味があるような——」 「なにか言ったか? カモミール?」 「いえいえ何にも、全然っす」 「…………はぁ」  肩の上に乗るカモミールの指摘と愉快痛快に不愉快な思考に肩を落とす彼女だが、ネギはすでに外に出ており、その姿を見られることは幸いにしてなかった。 「あ、ネギくーーん」 「おはよーございます!」 「ネギ君。ちゃんと休めたかー?」 「はーい」  外に出たネギ先生にかかる木乃香の声。彼の返事もすぐで元気あるものだ。  擬似的ながらも爽やかな青空の下へとネギに続いて体を出す。  外にいるのは明日菜、木乃香、刹那の修学旅行以降おなじみとなったメンバー三人とプラス1。三人とも着ている水着は学園指定の水着のようで、南の島に行った時のものだ。 何も履いていない足の感触が石造りの東屋のものから砂浜のものに変わる。 太陽の下、普通の砂浜だったら熱すぎて裸足でいられないはずなのだが、足に伝わる温度は適温だ。師匠の作った箱庭だけにこれも何らかの魔法の効果だろうか? 「志保もごくろうさん。大変やったろ?」 「いや構わないよ。慣れているし」 「慣れているって……」  木乃香に言葉を返したが、明日菜には少し驚かれた。  無理もない、か。あの飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎの中夜祭は相当な盛り上がりを見せたのだから。 あのセイバーでさえ柿崎さんや椎名さんに乗せられて結構はしゃいでいた。あれはかなり貴重な光景だった。あそこまでタガが外れたセイバーを見たのは何年ぶりだろうか?  そしてその大騒ぎの後始末となると当然相応に大変なもので、私は眠ってしまった人を起こして回って寮に帰るように促し、正気を取り戻したセイバーと一緒に会場を掃除するという役割をこなし、他と同様に眠気に襲われている明日菜に肩を貸してこの別荘に来ていたのだ。  セイバーは二日目の事もあるから寮で休むといっている。どうも彼女は二日目のライブにかける意気込みが半端ではない。何がセイバーをあそこまで駆り立てているのだろうか? 話がそれた。ともかく、その後始末の後とあって大変だったろうと木乃香に言われているが、本当に慣れている。時計塔時代、否あの聖杯戦争から様々な騒動に巻き込まれ、その事態収拾のために奔走した経験は伊達ではない。この程度は物の数に入らないだろう。 「不本意だけど、嫌というくらい後始末には慣れているから」 「なんか、過去に色々あったようですね」 「そ、そうね……」  察してくれているのか、それ以上聞いてこない刹那と明日菜が今はありがたい。今でこそいい思い出にできるが、当時は生き死にが関わる事が雪崩を打って襲い掛かってきたからな。語って面白いものではない。 「おっ、起きたかネギ! いやーースゴイなこの別荘!! 南国リゾートやん」  波打ち際では一緒に来たプラス1こと、小太郎がやって来たネギ先生に手を振る。 今のネギ先生と同じパーカーと水着という格好。その頭と腰にはイヌ科の耳と尻尾がくっついており、どうもそれは学園祭でよくあるコスプレではなく、天然だというのだ。聞けば狗族と人間のハーフだそうで、そのことはこのメンバーの中では周知の事実になっている。 「ホンマ、エヴァちゃんの別荘があってよかったなー」 「ホントねー……いやー、みんなに中夜祭に強制連行されて朝の4時まで騒いだ時には今日の大会どうなるかと思ったけど、ホント助かったねー」 「ま、お酒とか飲まされたりしなかっただけよかったなー」 「逆に言うと、酒も入れずにあのテンションを維持しているのもスゲーがな。アレが若さか……」  話題はやはり世界樹の下で行われた中夜祭。  みんな口々にあの騒ぎについて話しているが、やはり経験者のためか余裕が窺える。初体験の私にしてみれば、あれはもう学園祭とか言うものではない。精根尽きるまで騒ぐ一種サバトじみたものさえ感じてしまった。これが後夜祭含めて後二回、か。体力持つだろうか? 「キャーーーッ ちょっとちょっとー」 「いやーーん、アスナーー」  波打ち際でビーチバレーを満喫している明日菜、木乃香、そして刹那の三人。ネギ先生が起きてきて中断を挟んだようだが、再開といったところだ。 「気楽やなー、あいつら。あの二人も大会出るんとちゃうんかいな」  その様子を見て呆れ返る小太郎。大会を明日に控えて、何も準備していないように見える明日菜と刹那がお気楽に見えたのだろうが、あれも準備といえば準備だと思うよ。 「大会に向けて英気を養っている。と思えばどうだい?」 「せやけどなー、なんか調子狂うわ」  休息も重要な勤めと言ってみたが、彼は納得し切れていないようだ。刹那には通じてあのように休息を楽しんでいるんだけどな。 「ま、えーわ! 明日の大会の準備すっか!! いけるか、ネギ!?」 「うん!」  思考を切り替えたのか、すぱっと雰囲気が変わりネギ先生と一緒に浜辺で訓練に入る小太郎。これも準備のひとつの形ではある。 「志保の姉ちゃんはどうすんや?」 「私はそうだな、君たちの様子をもう少し見てから食事の準備にいくよ。——そうだ、小太郎。食事で何かリクエストは? 出来るだけ要望に沿うようにするけど」 「メシか……せやな……ま、ウマイもんなら何でもええ」  食事の内容をしばらく考えていたが、うまくイメージが湧かなかったみたいでシェフ任せにする小太郎君。けど、『ウマイもの』と言われたからには要望に応じてやるのも作り手の当然の責務。 「分かった。ウマイものだね。楽しみにしててくれ」 「お、おう」  私の返事に戸惑った様子で答える小太郎。彼は適当に言ったつもりでも、私には十分リクエストたる要望の言葉だよ、それは。  小太郎と話している少しの間、ネギ先生は数回呼吸を整えて魔法行使の準備に入っている。 「いくよ、コタロー君」 「あ、おういつでも」  ネギ先生の声に慌てて向き直る小太郎。私もネギ先生の今の上達振りを見るため食事の準備を少し待たせることにした。  ——戦いの歌!! [カントウス・ベラークス]  ネギ先生の体から吹き上がるように魔力が顕現する。一般人の視覚でも視認できるほどの魔力が彼を包むように立ち昇り、身に纏っているパーカーが魔力の吹き上がりに煽られはためく。 「おおっ、呪文言わずに魔力供給できるんやん」 「ああ、無詠唱呪文は魔法剣士の基本らしいからな。つっても形になってきたのはつい最近だが」 「ネギ先生頑張ったからな」  ネギ先生はあのシゴキともいえる師匠の訓練を乗り越えてきたのだ。そのことを踏まえて今の彼を見ると一種感慨深くなる。天才であると同時に相当な努力家、なんだろう。  当初と比べ、あの状態に持っていくまでが実にスムーズ。淀みも違和感もない。あれなら師匠も文句はないだろう。凄まじい上達振りだ。 「呪文なしだとほとんど『気』を集中させるのと見た目変わらへんな」  小太郎が腕に『気』を集中させて、そんな感想を漏らす。たしかにネギ先生の『魔力』と小太郎の『気』、見ている限りでは区別がつかない。 「まぁ、もともと根っこは同じもんだからな」  私の肩に乗ったカモミールが小太郎の感想に解説を入れた。  『魔力』と『気』。  どちらも森羅万象、万物に宿るエネルギーのことだが、『魔力』は大気に満ちる自然のエネルギーを精神力と術法で人に従えたもの。  対して『気』とは人に宿る生命のエネルギーを体内で燃焼させるもの。  この辺りが『魔力』は精神力、『気』は体力と一般に言われている所以になる。  カモミールの解説を聞きながら、私の思考はこの『魔力』と『気』をそのまま『大源[マナ]』と『小源[オド]』に当てはめていた。  何時だったか遠坂が話してくれたのだが、いくら世界が異なっても共通する概念や力というものは存在する。 例えば時の概念。年月を経た器物はそれだけで一種概念武装じみてくる。こちらでもそういった概念武装みたいなものが重宝されていそうなのだが、『魔術師』と違い魔法使いは機械も積極的に使うためか、本格的に導入はされていない。  そして魔力にしても同じのようだ。『こっち』では大源も小源と区別しているがどっちも魔力と呼んでいる。で、この世界では魔力と気で呼称が違う。  この世界の魔法使いは魔力を扱う存在。その線でいくと小源を魔術起動に使う私は厳密には魔法使いと呼ばれないかもしれない。(少なくても西洋魔術師とは見られない)逆に、私たちの世界では気を使う古さんなんかも魔術師、魔術使いと見られることになるかもしれない。  世界が異なると同じ力でもこういった呼称の違いが出てくる。少し興味深いな。 「ちなみに『気』は厳しい修練で自然と身についてくるため一般人でも使える奴もたまにいる。さらに————」 「ま、そんなややこしい話はどーでもえーわ。ネギーーッ!」  更なる解説をしようとするカモミールだが、小太郎には退屈極まりないものだったようでそれ以上話を聞くこともなくネギ先生のほうへ走り去ってしまった。 「話聞けよなー、もー」 「まあまあ、私で良ければ後で話を聞くよ?」 「姐さんが? いいっすけど、こんな基本的なこと姐さんに面白いかどうか……」 「そんなことないよ。私も小太郎と同じで、感覚的に魔法を使っていたからね。理論的に思考するいい機会と思ったんだよ」 「そうなんすか。それなら俺っちでよければ」 「ん、頼むよ。じゃあ、ネギ先生の様子も見れたし食事の用意をしてくる」 「ういっす」  肩に止まったカモミールを砂地に下ろし、浜辺にいる皆に別れを告げて館に戻る。  こちらの魔法に関する理論を聞ける機会と考え、すねるカモミールに声をかけたが、さして不審がられることもなかった。  カモミールに対しては完全に認識を改めた。彼の知識と機転のよさは素晴らしいものがあり、現に修学旅行などで彼の立案した作戦に助けられた。性癖に難はあるものの、カモミールは立派にネギ先生の良き相棒だろう。  さて、明日は武道大会だ。出場者でもあるみんなのために今日の食事はいつも以上に腕を振るうとしますか。 学園祭二日目。この日に起こる一大イベントを知っている人間は朝からボルテージが上がっていることだろう。  朝日に照らされる龍宮神社正門前にはすでに沢山の観客がやってきており、すでに熱気が篭もり始めていた。 「すごい人数だな。朝からこれだと決勝近くだとどうなっていることやら」 「そうですね。あの超鈴音が何を企んでいるか知りませんが、この武道会は間違いなく今回の学園祭一番の注目イベント。これだけの人が集まるもの無理がないかと」  正門前で入場時間を待ちつつ、周囲を見渡す。  見える限りで来場者はすでに二百を超えている。刹那の言うとおりこの学園祭一番のイベントになるだろう。  門の前で刹那、明日菜、木乃香と並ぶ。木乃香は昨日と違うタイプの魔法使い風の衣装を着ているが、後の二人は昨日と変わりないし、私も変化なし。 ネギ先生と小太郎はそれぞれ魔法使いを意識したローブ姿と学生服姿に身を包み、少し離れた場所で何か男同士の会話を交わしている。その二人の顔は実に楽しげで、これからあるだろう戦いを楽しむ気風すらうかがえる。 「(いいな、ああいうのは……)」  正直少し羨ましい。『士郎』の時にも確かに柳洞一成や間桐慎二など同性の友人はいたのだが、こと『魔術師』として話し合える友人は時計塔に行ってもついぞ見つからなかった。  それもそのはず。『魔術師』とは大抵自身のことにしか興味はなく、他人と交流を持つにしても研究のため、等価交換のためと損得ぬきに考えることなどできない人種だ。まして友情というのは望むべくもない。  そういった意味では、遠坂と出会えたのはある種奇跡みたいなことなんだろう。——でも、ああいったネギ先生と小太郎の仲を見ていると高望みしたい気分がまだある自身に少し苦笑してしまう。 『只今より、入場を開始します』  アナウンスと同時に門が開き、そこに向けて人が集まっていく。 「始まったみたいえ」 「そうですね。ネギ先生と小太郎は?」 「うん? あそこだけど」 「え? もう、あんなところに。ホラ、あんた達早くきなさいよーー」  明日菜がネギ先生達に声をかけて入場を急かす。小太郎はすぐ向かってきたけど、ネギ先生は駆け足で明後日の方向に駆けていく。向かう先は正門前に開かれている露店。氷水に入れられた缶ジュースなどが販売されている。  みんなの飲み物を買うのか? ならば手伝ってやらなくては。 「ネギ先生を少し手伝ってくる。何か特に飲みたいものとかは?」 「あ、志保……うん、頼むね。飲み物は何でも、任せるよ」 「任された」  一声かけて、門前から人の波に逆らいネギ先生のいる露天まで歩をすすめる。  露天ではネギ先生が色々ある飲み物の銘柄に少し戸惑っている様子が見られる。店員は相手が子供のためか苛立つことなくにこやかに対応してくれているが、混雑が始まろうとしているのは誰の目にも明らかだ。 「ネギ先生、手伝います」 「あ、志保さん。いいのですか?」 「構わないよ。急がないと後がつっかえてしまう」  すっと後ろを示す。ネギ先生も行列が出来ている後ろの状況を知り、少し慌てる。 「あ……そうですね。お願いできますか?」 「ん、お願いされた」  一応、刹那達三人の好む飲み物の傾向は抑えている。リクエストはカモミールのビールという注文だけ。らしいといえばらしいが、朝からアルコールとは感心しないぞ。  買ったジュースの全部を私が持ってみんなの下に急ぐ。  ネギ先生も持つといっていたが、年下の子に荷物を持たせるのは気が引けるし、奢らせてもらうのもどうかと思う。幸い、学園長からの給与は使い道もさしてなく貯まっているのでポケットマネーにも余裕があり、ジュースの七、八本ぐらい当然痛くも痒くもない。けど、そこはネギ先生の男の子の意地なのか代金は僕が持ちますと言って聞かず、役割として運搬が私、支払いがネギ先生というところで落ち着いた。  龍宮神社の恐ろしく立派な本殿の回廊。入場客がひしめく中でどうにか明日菜たちを見つける事が出来た。刹那が持つ夕凪や、明日菜の明るい色合いのツーテール髪がコスプレする観客たちの中でも目立ったお陰だ。 「ジュース、みんなの分買ってきました!」 「配るよ」  腕に抱えたジュースをそれぞれに配っていく。刹那が少々炭酸系に弱いことを除けば飲み物のセレクトにさして気を払う必要はなかった。夕映のように特殊な味覚の持ち主もいない。 「おーきに、シホ」 「お金はネギ先生が払ったから、お礼はネギ先生にね。ん? 木乃香、目に涙の跡があるけどどうしたんだ?」  木乃香の目尻に何か涙が伝った跡が見受けられる。  指摘したやると木乃香は面白いくらいに動揺して、くしくしと目尻をこするのだがそれで余計その部分が赤くなり目立ってしまう。 「ちゃう、ちゃうんや。ホコリや」  明らかな嘘、なのだが周囲の皆は深刻に受け取っていないところを見ると問題はないと見ていいのか?  そんな大会前の少し和んだ空気の中、ネギ先生が小太郎に近付く。 「あ……コタロー君、僕ちょっと気になってたんだけどさ……」 「ん? 何や」 「トーナメントでは僕達、敵同士なのにさ何で昨日はあんな色々教えてくれたの? 敵に塩を送っちゃってよかったのかなーー」  昨日、別荘では食事の前でも後でも小太郎がネギ先生にあれこれと教えていた。主に体術に関することで、瞬動術を会得しようと砂浜でネギ先生が悪戦苦闘しているのが見受けられた。ネギ先生が言っているのはそのことで、小太郎がなぜ大会で自身に不利になることをするのか聞きたいようだ。  けど、これに対する小太郎の回答は明白だろう。彼はひとつ鼻を鳴らす。 「フン……しりたいか? フフフ……それはな……」  クスリ、とその背後で明日菜と木乃香が不穏な空気を作る。その二人が一気にネギ先生に近付き、 「なーーにいってんのよ、バカネギ」 「友達だからに決まっとるやんか」  肘と手の甲による痛烈なツッコミを決めてくれた。決められたネギ先生は目を白黒させて数秒行動不能に陥る。 「何や友達て。ネギと俺がか!?」 「どっからみても友達じゃん」 「冗談いうな、気色悪いな。俺は一匹狼やで」  むきになって反論する小太郎だが、まだ甘いな。そうやってむきになればなるほどそうだと言っているようなものだ。 「俺とネギはライバルや!! ラ・イ・バ・ル!!」  ライバルと言い張る小太郎。だが、その言い訳はこちらの陣営には通用しないだろう。 「ライバルですか……」 「それって別名、友とも言うらしいぞ」  私も苦笑混じりで言ってみる。コレで友ではないというのは如何なものか? 「ほら、『宿敵』と書いて『とも』と読む」 「キャー、やっぱ友達やん」 「ちゃうっ!!」  ここで小太郎は大きく息を吐いて熱する思考をクールダウンさせた。思考の切り替えの早さはさすが戦闘者だろう。すぐに気持ちを落ち着かせている。 「とにかく……格闘に関しては始めたばっかちゅーハンデがネギにはあるんや。この場合、塩送るんは当たり前やろ」 「そーなん?」 「そう!」  入ってくる茶々を封殺して、小太郎は隣のネギを指差し見据える。 「俺はな……強いお前と戦いたいんや。それがライバルってもんやろ」 「……コタロー君……」  ネギ先生は小太郎の視線を受けてしばし、何かの気持ちが固まったみたいで軽く笑みを返した。小太郎もそれに答え、 「今日は絶対かてよ。決勝までいかな俺とお前は戦えへんのやからな」 「……うん。できるだけがんばるよ」  約束を交わす。いや、これは約束より重い意味がある誓いだろう。  やはり、少し羨ましい。私には天敵はあれどこういう関係になれた相手はいなかったな。周囲を見れば明日菜、刹那、木乃香の三人も二人の誓いの場面を暖かく見守っている。 「アホ! ちゃうやろ。こーゆ時は『がんばる』やなくて『絶対勝つ』ゆーんや」 「だ、だってやっぱりコレ難しいってゆーか……」 「お前、弱気治ってないやんか。オヤジみたく優勝したいんやろ」 「それとこれとは話がちがうよー」 「ホント仲えーわ」 『麻帆良祭へ御来場の皆様、今朝午前8時より龍宮神社特別会場にてまほら武道会が始まります。お誘いあわせの上……』  会場アナウンスが武道会の始まりが近いことを告げる。陰謀と術数、様々な感情が入り乱れることになる戦いの朝は存外あっさりしたものだった。  ネギ達一行が龍宮神社に入ること数分後の神社正門前。そこに金髪緑眼の王様がやって来ていた。 「まほら武道会ですか。話だけは聞いておりましたがこれほど大規模なイベントとは……これにシホが参加するのですか」  門前でセイバーは通り過ぎる人の注目を集めつつ、神社本殿を見据えていた。  神社正門前は武道会を観戦しようと集まっている黒山の人だかりがあった。まだ朝早く、他のアトラクションでは未だ開催していないところもあるというのにだ。それだけこの武道会は注目されていることになる。 「凛の話では、このイベントの主催者である超鈴音が良からぬ企みをしていると聞いていましたが、さて……」  呟き、思い返すのは中夜祭が終わって職員寮に戻ったときの事。  セイバーが寮に戻り、自身のマスターである遠坂の存在を確認、彼女のもとに参じたのは今朝の五時過ぎ。その時にはすでに遠坂は起きていた。  遠坂の姿は十年前、聖杯戦争当時の姿をしていたことに驚いたが、何でも生徒として動くための変装だという。実際、その身にはこの学園の制服を纏っていた。そしてその姿で語られる学園祭の裏で動くきな臭い状況。 「超鈴音に気をつけなさい。ともすれば、異世界から来たわたし達三人にも飛び火するような事態が起きる気がするわ」  制服の下に数々の魔術礼装を付けながらセイバーの主はそう語る。そして渡されたのは一枚のチケット。 「武道会の動きが気になって一枚手に入れたんだけど、やることが出来たの。お願いなんだけどセイバー、代わりに武道会を見てきてくれないかしら」  無論返答は首肯。事が守るべき遠坂と志保に関わることならば是非もない。  志保も参加するとあって断る理由は一片もなかった。ライブは午後からだし、武道会を観戦しつつ超の動向を探ることは何の問題もなかった。  ただ、またもマスター・遠坂と別行動というのが気になった。けれど今の探索段階では『裏方』を一人で動くほうがやりやすいという遠坂の言葉を受けてセイバーが了承、遠坂は学園祭の『裏』を探るべく行動を始め、セイバーは『表』に残る形となった。  かくして、セイバーは強者たちの狂宴に観客という立場でやって来るとこになった。のだが—— 「私も参加しておけば良かったかもしれませんね。シホから話を聞いた段階で決められなかったのが悔やまれます」  右手に持ったチケットを見下ろすセイバーの表情は渋い。  出来うるのなら自分も参加したかったというのがセイバーの偽らざる本音だった。彼女は戦闘狂ではないが、こういった力試しみたいな催しには殊更関心があり、この学園に隠れる実力者との対戦もしてみたかったのだ。  ただ、現在は天秤の片方に音楽という関心事が乗る。ミサ達とバンドを組んで音楽を奏で、人々を楽しませ同時に自身も楽しむという感覚も捨てがたい誘惑だった。 「かつてはこのような事で悩むなんて考えられなかったのですがね」  小さく苦笑する。  今の自分がこの様な状態になったのは間違いなく志保(士郎)と遠坂のせいだ。遠坂の使い魔的立場でありながら自身の楽しみを見つけ、はしゃぐなどと昔では考えてもいなかった。  でも、嫌な変化ではない。 「さて、超鈴音も気になりますがシホの戦いぶりも気になります。剣の師として弟子の成長を見ていきますか」  白いブラウスに鮮やかな蒼いジャンパースカートという簡素な姿ながら、清楚さで人目を引くブリテンの王様はそう言って思考を纏めると軽やかに一歩、武道会会場に踏み出していった。  『選手控え室』というえらく達筆な文字が書かれた額が鴨居に掲げられている一室の前。そこにネギ先生達と一緒に来ていた。  途中、観客の立場である木乃香と別れて回廊を進む。回廊はその全長の半ば以上が水上に建てられており、水上に据えられた舞台の三方を囲んでいた。おそらくあの舞台が本選のリングとなるのだろう。 「失礼しまーす」  控え室の襖。それを先頭で歩いていたネギ先生が控えめな声とともに開く。  室内にはすでに本選に進んだ選手全員が出揃っていた。  こちらの姿を認め微笑みで挨拶してくる龍宮、楓、古さん。  今の時点から激しく体を動かして型稽古をしている空手着の男。その後ろに不穏な雰囲気を感じるローブ姿の人物。  黒を基調とした服を着ている男に中華風の拳法着の男。  黒いローブで正体を隠している高音さんと愛衣ちゃん。  師匠はこの場にいないが、朝に弱いから後から来るだろう。  そして—— 「おはよう、ネギ君」  正面からすっと影のように高畑先生が現れた。長身で存在感があるはずなのだがその気配はなぜか視界に入れるまで希薄だった。この一事だけでも彼の強さが分かる。ベクトルは異なるだろうが、近い人物としてはキャスターのマスターとして聖杯戦争に参加した葛木先生がまっさきに頭に浮かぶ。奇しくも両者とも拳を主武装としている生粋の戦闘者だ。 「タカミチ……」 「あっ、おはようございます」  ネギ先生が言葉を返すのに便乗しているのか、明日菜も挨拶している。元担任とあってか刹那も頭を下げている。これも礼儀だ、言葉はネギ先生に向けられているけど私も軽く頭を下げて礼とする。 「昨日とは顔つきが違うね。嬉しいよ、今日ようやく君があれからどれだけ成長したかを見れるんだね」  口元を軽く緩め微笑んでいる高畑先生。ただ、これから直接一回戦で対戦することになるネギ先生にとっては猛獣の笑みに見えたのか、ごくりと唾を飲み込む音が彼の喉から聞こえる。  でも、ひるんでいるのも一瞬。 「……タカミチ、僕、今日はがんばるよ。父さんに負けないために。だからタカミチ、手加減はしないでね」  言い切った。それは事実上の宣言。  その宣言に高畑先生は目を細める。 「ふふ……ネギ君『男の子』になったなぁ……でも、そんなに気負うことないぞ。君は君、お父さんはお父さんなんだからね」  ここまで言った高畑先生はここでネギ先生の耳元に口を近づけ、「それに——」と言葉続ける。 「結局、ちょっとは手加減しちゃうことになると思うよ。あんまり本気を出して魔法がバレたらこまるだろ? 君も気をつけろよ」 「あ、そうか」  いくら電子的措置とやらが万全で記録されないといっても、魔法によって引き起こされる不可思議な現象を一般人の前でおおっぴらにするのも魔法使いとして問題ありだろう。  むぅ、その線でいくと私も余り派手なものは出せないな。  本選に向けて思考を少し自己に向けていると、ネギ先生に続き明日菜が高畑先生も前に出て行く。 「あのー、高畑先生。ネギのお父さん……サウザントマスターのこと、ご存知なんですか?」 「うん? あ……ああ、知っているよ」 「そ、それであのー……高畑先生はもしかして……やっぱり、その……まほ、『魔法使い』なんですか?」  顔を赤らめ、しどろもどろになって想い人に問う明日菜。ふむん、彼女は仕事時の高畑先生を知ってはいないのか? 明日菜は裏の世界に足を踏み出して間もないのは知っていたが、これまで濃密な時間を一緒に過ごしたせいかその認識が甘くなっているな。 「そうか……すまないアスナ君。君にはもっと早く言っておくべきだったね。木乃香君のこともあって、なかなか言い出せなかったんだ」 「あっ、いえ、私あの……」 「アスナ君が魔法のこと知っちゃったのはいつなんだい」 「実はあの、ネギが日本にきた……」「その当日だったんだけど……」 「えーーーっ アッハッハ そうか、そんなに速攻だったのか」  早っ  ネギ先生、いくら何でも日本に来た当日というのは早過ぎではないか? 一般人にばれるような事が即日で起こるというのもどうかとも思う。  割と深刻な話のはずだが、高畑先生はそれでも笑い飛ばし、次には真摯な目で明日菜を見る。 「…………アスナ君。まだ早いと思っていたけど、君にはそろそろ色々な話をしたほうがいいかもしれないね」 「えっ……?」  その真剣な表情に明日菜が戸惑うような声をひとつあげるが、ここまで。時間だ。控え室の奥から大会の主催者が司会者を伴って現れた。 「おはようございます、選手の皆さん!」  司会者の朝倉が昨夜の白いレースクイーン調の服装から一転、全身黒のノースリーブのミニワンピースという姿で現れ、マイク片手に司会進行役を実に違和感なく演じている。  横には主催者の超さん。昨日と変わらず大陸の宮廷服を意識した服装で選手たちの前に悠然とたたずんでいる。 「ようこそ、お集まり頂きました!! 30分後より第一試合を始めさせて頂きますが、ここでルールを説明しておきましょう」  朝倉進行の元、試合前の選手に向けたルール説明会が始まる。  リングは予想通り先ほどの能舞台。そこで15分の一本勝負が行われ、ダウン10秒、リングアウト10秒、気絶、ギブアップで負けと判じられる。時間内に勝負がつかない場合は観客によるメール投票に判断を委ねるのだとか。  武装については予選と同様、刃物、銃器はご法度、呪文詠唱も却下だが…… 「ハイ、質問です。呪文とかよくわからないんですが、技名は叫んでいいんでしょうか!?」  ここで空手着の男が質問の挙手をする。  技名、ね。ふと思うのだが、宝具の真名開放も技名を叫ぶのに入るのか? その素朴な疑問をよそに話は進む。 「え……えーとっ」  あんまりな質問に戸惑う朝倉が隣の主催者殿にマイクを向けた。 「技名はOKネ」 「よかった!!」  超さんの答えに安心と喜びの声を上げる空手着さん。よく見れば、後ろで拳法着の人や黒服の人も安心した表情を浮かべている。君たちも同じか。  選手各人が試合に向けた緊張感を張り詰めていく中、私はネギ先生に視線を向ける。  朝倉の説明を真剣な表情聞くネギ先生。彼の優れた能力のため時折忘れがちになるが、彼はまだ十歳の子供だ。それがあんな決意でこの大会に臨んでいる。  いや、この大会だけではなく彼のこれまでの歩み全てがそうなのだろう。それは私にとって懐かしくもあり、痛みを伴う気持ちにさせるものだ。  もし高畑先生を破り、勝ち進めば準決勝で私と当たることになる。そうなったならば一度聞いておこう。彼のそれがどれほどの決意なのかを。  本選が始まるまであと少し。 『ご来場の皆様、お待たせ致しました!! 只今よりまほら武道会・第一試合に入らせて頂きます』  朝倉のアナウンスが会場である能舞台一帯に響き、その宣言と同時に空に上がった花火が号砲を鳴らす。そしてそれ以上に集まった観客たちの歓声が何よりの開幕の合図だろう。  リング傍の選手控え席の長椅子に明日菜たちと一緒に座り、武道会の賑わいをつぶさに見やる。皆これから始まる血の沸き立つ試合を期待している。これは色々な意味で下手な行動は取れないな。  その歓声に押されるように舞台に上がる人影が二つ。観客の目から見ればその二人とも武道会に出場できるのか疑わしいほどに小柄だ。 『かたやナゾの少年忍者『村上小太郎』選手!! かたや中2の少女『佐倉愛衣』さん!!』  学生服姿の小太郎と黒いローブ姿の愛衣ちゃん。朝倉のアナウンスとともにローブのフードを払いのけ、素顔をさらす愛衣ちゃんに小太郎が何か驚いた表情をする。  ああ、そういえば一昨日超さんを助ける際に小太郎が愛衣ちゃんに投げ技を仕掛けていたっけ。それ以来か? 「何だアリャ、どっちもガキじゃねーか」 「どーなってんだ、主催者—」  アナウンスにすぐさま飛んでくる野次。と一部女性の「カワイイ」という黄色い歓声。  確かに素人目、いや一般人では修練積んだ者の目でさえこの二人が見た目に似合わない武力を持っていることを想像することは出来ないだろう。 「あの子って……」「どーゆーこと!?」  予選で私の事は見えても愛衣ちゃんまで見えなかったのか、明日菜とネギ先生がリングに上がった彼女を見て驚いている。 「ふふふ……」  すぐ隣で愛衣ちゃんと揃いの黒ローブが声を上げる。今更言うまでもなく、 「おはようございます、ネギ先生」  フードを取り払った中身は高音さんだった。 「おはよう高音さん」  とりあえず、挨拶が来たので返してみる。 「え、ええ、おはようございます衛宮さん。貴女もこの大会に参加とは意外でしたね」 「まあ、少し色々ありまして」  超さんにミスリルの代価として依頼されたうんぬんなど説明してもいいけど、少し長くなりそうなので割愛。いまはこれで十分だろう。 「ふふ、一回戦は貴女とですね。手加減はいたしませんよ」 「……できればお手柔らかに」  『丁寧』に挨拶が返ってきた。育ちと教育が良かったのだろうか、高音さんは黒いローブ姿という怪しいいでたちでも品を失う事は無い。  私は割りと余裕を持って対応できたのだが、ネギ先生と明日菜は違ったようだ。 「あんたは……」 「昨日の魔法生徒の……なんでこんな所に!?」  何か昨日も高音さんとあったのか、ネギ先生も明日菜も大げさなくらいに驚きの表情をしており、ネギ先生は席から立ち上がってしまっている。 「ふふ……驚きましたか……私がここにいるのは……あなたをこらしめるためですっ、ネギ先生!!」  勢いよく宣戦布告。勢いよく突き出される指がネギ先生を指す。 「ええっ」 「私たちは目撃したのです。ネギ先生……あなたが世界樹の力の件で失敗し、『反省します』といったその直後!! わずか数十分後に賞金一千万などという怪しげな格闘大会に軽率にも出場し、あまつさえヘラヘラと予選まで突破するのを!! これは、お仕置きしなければ分かってもらえないと思い私たちも参加した次第です!!」 「ええーーっ!?」  長い口上の後再び突きつけられる指にネギ先生が完全に動揺してしまっている。  お仕置きか、愛衣ちゃんから聞いたなそんな話。まさかここまで本気だったとは思わなかったけど。あ、そうだ一度明日菜か刹那に聞いておきたかった事があったんだ。 「なあ、明日菜、刹那。ひとつ聞きたいんだけどいいか?」 「え? うん、何?」  一先ず、ネギ先生は心配ないので二人に昨日から少し気になっていたことを聞いてみる。些細なことだからここに来るまで聞くのをすっかり忘れていたが、考えてみるとどうにも解せないところがある。 「昨日、私たちは一緒にパトロールしたよね? けれど、愛衣ちゃんに話を聞いたんだけど、昨日の五時ごろに世界樹の魔力が収束したその場にネギ先生と一緒に二人もいたって……その時には私達、超包子で夕食をとっていたよね。どういうことか知らないか?」  疑問形をとって話したけど、私は二人が何か知っていると確信している。でなければ昨日世界樹に魔力が収束した時、動こうとする私を止めに入ることはないはずだからだ。  二人は顔を見合わせて困ったような表情を浮かべてしまった。 「えっと、志保。その事なんだけど今はちょっと説明が難しいから後に出来ない?」 「すいません。衛宮には隠す気はないのですけど、何分信じがたい話ですので」  む。そこまで困った表情されると私も困ってしまう。別段困らせるために言った質問ではないのだがな。 「分かった。別に今すぐじゃなくてもいいよ。少し気になったから聞いてみただけだよ」  この疑問は保留だな。実際急ぎでもない、後でゆっくり話を聞こう。  隣ではネギ先生と高音さんのやり取りがまだ続いていた。 『第一試合 Fight!!』  控え席のやりとりに関わらず時間は試合開始の時となって、朝倉の試合開始の声がゴングとなった。歓声が一際大きくなる。  ローブを払いのける愛衣ちゃんに、構えを取る小太郎。  二人の間合いは五メートルとない。既にお互い間合いの内だろう。  愛衣ちゃんの右手に一枚のカード。それが光を放ち、箒の形に変わる。契約のカード、そしてアーティファクトか。アーティファクトである以上、箒という間抜けた見た目とは裏腹に強力な能力を持っているのはまず間違いない。 「あれはアーティファクト!! 何の能力が!?」 「ちょっとまずくない!? あいつ、相手が大人しそうな女の子で油断してんじゃない?」 「コ、コタロー君、女の子に弱いから……っ」 「ふふふ」  控え席が一気に賑やかになる。同時にどこからともなく現れた箒の出現に観客席には少しどよめきが走っている。 「小太郎さんはアーティファクトについて知っているんですか?」 「さ、さあ」 「コタロー君、気をつけてその人結構……」  控え席の心配をよそに小太郎は割りと余裕が見られる。構えからステップを踏み、間合いを計る。油断もあるだろうが、それ以上に自身の実力に自信を持っている表情だ。よほどのことがなければ問題ない、そういう雰囲気。  決着はあっという間だった。  距離を測るようなステップから一転、小太郎は瞬動で一気に間合いを詰め、愛衣ちゃんの認識が追いつかない速度で五メートルの距離を一瞬でゼロにした。  実戦を経験したとあって愛衣ちゃんの反応速度もそう悪いものでもないが、小太郎と比べるとやはり遅く、気付いた時には防御も回避も間に合わなかった。  大きく一歩踏み出す足と同時に繰り出される掌底。だが、それは愛衣ちゃんの体のどこにも当たらない。いや当てていない。当てるのはそれによって巻き起こる信じがたいほどの風圧だ。  空気が大音量をもって破裂した。その音が観客席に響いた時には愛衣ちゃんの体は風圧に跳ね飛ばされ、舞台の上空10メートルほどを飛ばされていた。  絶叫コースターに無理やり乗せられたような悲鳴を出して空中でもがく愛衣ちゃん。が、それも空しい抵抗となり、すぐにリング外の水面に飛び込む結果となった。 『こ、これは——? 小太郎選手、信じられないスピードで間合いを詰め……!? い、今のは掌底アッパーでしょうか!? 少女の体が10メートルは吹き飛んだーーっ!? これはエグい!?』  アナウンスの朝倉も半ば魔法関係者だが、戦闘に関しての素人。何が起こったかは全貌の半分も理解できていないため、アナウンスも全てが終わった後になる。  会場も歓声よりどよめきが半数を占めている。でもそこは麻帆良。大会の一発目での派手な演出にすぐに歓声が巻き起こる。 『大丈夫か中2少女!? リングアウト10秒で愛衣選手の敗北が決定します!!』  テンカウントが告げられる。愛衣ちゃんも魔法使いならば水に落ちた程度ではすぐに復帰しそうなものだが、 「あぶあぶ わたっ……あわっ……泳げないんですーー」 『おおーっと!? 溺れている愛衣選手!?』  どうもカナズチみたいで、自力ではリングに戻れない。決着はこうして開始十秒ほどでついてしまった。 『ここで10カウント!! 小太郎選手の勝利です!!』「ほほう、以前手合わせした時よりも進歩を遂げていますね。この短期間であそこまでとなるとよほどの修練を積んだのでしょう」  勝負が付き、溺れている佐倉愛衣という女生徒を水に入って助ける小太郎。どこか可愛らしく、そして微笑ましく見える光景に会場は暖かい拍手と笑いが起こっていた。セイバーも例外ではなく、京都で知り合った少年の戦いぶりと今の光景に頬を緩めていた。 「アルトリアさんはコタローさんのお知り合いなんですか?」 「ええ、以前京都で知り合いまして。その時に手合わせを請われたことがあります」 「そういえば、修学旅行のときアルトリアさんがいましたね。あの時ですか?」 「ええ、そうです」  リングである能舞台、それを囲む回廊にセイバーはいた。ただし何故か、夕映、のどか、早乙女、木乃香の図書館探検部の四人組と一緒になっての観戦だった。  最初はほんの偶然だった。たまたまセイバーの試合観戦場所と四人の観戦場所が隣り合い、修学旅行の一件で顔を知っていたため話が始まり、気がつけば五人での試合観戦になっていたのだ。  最初は金髪緑眼のセイバーにのどかや夕映が物怖じしていたが、そんな事とは無縁の早乙女と木乃香が積極的に話かけ、出会って十分ほど経った現在はお互い気兼ねなくなっていた。 「エミヤンの親戚ってことは、今日はエミヤンの応援で来たの?」 「はい、剣の師として今日はシホの戦いぶりを見に来ています」  図書館探検部メンバーの内、夕映、のどか、木乃香の三人が魔法関係について知っているとセイバーも志保から聞いていたが、残る一般人にして噂拡大能力者の早乙女の存在が話題を当たり障りないものにしている。 「ケンって、あの斬る剣ですよね……?」 「ええ、シホは今でこそ節操のない戦い方をしていますが、基礎となった戦い方は私が教えたものです」  聞けば予選ではキックボクシングじみた格闘で戦い抜いたとか。  その事実にいささか気分を害しながらも胸を張って答えるセイバーに、四人は少しばかり驚きの表情を浮かべている。 「へえ、同い年ぐらいでくーふぇみたいな人って他にもいるもんだねー」 「クーフェ、ですか?」 「うん、私たちのクラスメイトの古菲って子。すごく強くて今はネギセンセに拳法を教えているんです」  話題はいつしか反れて、古菲というクラスメイトの話に。セイバーも四人のクラスメイトなら志保のクラスメイトでもあるためか、その話に出てくる少女に興味を覚えていた。 「ほう、拳法家ですか。そういえば学園の各所で格闘系部活動の男子にとって圧倒的人気を誇る女生徒がいると聞き及びましたが、もしかしてそれが……」 「間違いなく、くーふぇさんです」 「ふむ……話を聞く限り、相当な強さを持っているとか。同じ武人として一度手合わせしてみたいものです」 「あはは……手合わせはどうかと思いますけど、くーふぇなら武道会の本選に出場しているし——ほら、もうすぐ試合だって」  のどかが舞台を指す。  舞台の試合は第一試合に続き、第二、第三ともにあっという間に決着がついてしまったのか、五人が話し込んでいる間に第四試合の準備が進められている。担架で運ばれていく第三試合の敗者と思しき空手着の男。入れ替わるように長身と短躯の長短の二人組みが舞台に横の選手控えの席に現れる。  二人とも褐色の肌を持ち、かたや漆黒の長い髪の美女、かたや白みがかった髪を二つに纏めた少女。この二人が第四試合の対戦者なのだろう。 「ほら、あれがくーふぇだよん」 「確かに、皆さんが言うようになかなかの実力者のようですね、あのクーフェという人物は」  早乙女が指す短躯の少女。セイバーの剣士としての観察眼をもってして見れば、見た目の愛らしさ以上にその内包する力に感心してしまう。  歩法、呼吸、学んでも倣えないその業を自然と身につけており、ただ歩いているだけに見えて一分の隙もない。それを僅か十代の内に自らの物としているのだ。経験を積めばどれほどのものになるか、その才気にセイバーはひたすら感心していた。  が、そのクーフェの対戦相手にもセイバーの感心は向いていた。  長身と長い腰にも届く黒い髪。妙齢の美女にも見えるが、ただ美しいだけではこの武道会に出場していないだろう。現に彼女が纏う雰囲気は必殺の機を待つアサシンを思わせる。  彼女の全身をすっぽりと包む長丈のコートも気になる。暗器などを隠すならもってこいの服装だからだ。ルール上刃物などは違反だが、暗器は何も刃物だけではない。  直感が告げる。あの少女は一筋縄ではいかないと。 「相手は龍宮さんか……只者じゃないと思うけど、くーふぇ大丈夫か?」 「タツミヤ……」  早乙女が口走った名前にセイバーは聞き覚えがあった。それもそうだ、何しろシホの魔法関係の仕事仲間だ。時折、食卓や鍛錬のときにその名を聞いたことがある。 「(なるほど、魔法関係の者ですか。しかもシホの同僚と)」  ならばあの雰囲気も頷ける話だ。日々実戦に身を置いている者の空気を彼女は身に纏っている。それはこの麻帆良という土地でなければ平和な日本において、周囲から浮いてしまうほどだ。  その二人が舞台で向き合う。何事か話しているが志保のようにこの距離で話はセイバーに届かず、唇の動きで会話を読む技能もない。ただ分かるのは、二人の闘気とも言える体から発せられる空気が濃度を上げた事。それは同時に舞台の上が戦いの場になったことを意味する。  最強クラスの一般人と裏世界に名をはせた殺し屋。その戦いは今始まった。 『お待たせしました!! お聞きください、この歓声!!』  朝倉のアナウンスに偽りなく、武道会会場はこれまでの試合の中でも一際の大歓声に包まれていた。第一試合からここまでの試合時間は合計しても十分とないほど短時間で終わってしまい、この第四試合の古さんと龍宮の対戦が早くも始まってしまったのだ。 そしてこれは会場に来た誰もが見たかった対戦カード。 『本日の大本命、前年度[ウルティマホラ]チャンピオン!! 古菲選手』  この一際盛り上がる大声援は、古さんが出場するためだ。彼女の人気は相当なものみたいで、特に格闘系統の部活動では熱狂的ともいえる支持を得ている。現に観客席からは「菲部長—!!」なんて声まで上がるほど。 「凄い人気だね古さん」 「そりゃね、くーふぇってほぼ毎日どっかで挑戦受けているでしょ? あれって人気の裏返しっていうか……あれで人気が出たというのもあるわね」 「ふむ……」  だが、あの容姿であの強さを誇り人柄も申し分なしとくるなら人気が出るも無理からぬ気がする。 『そして対するは、ここ龍宮神社の一人娘!! 龍宮真名選手!!』  その古さんに正対するのは、やはりここの神社の関係者だった龍宮。  いつも仕事時となるとその両手にはライフルや拳銃などの火器が握られているものだが、当然今回の大会ではご法度、その両手は徒手空拳。けど、銃器がなくとも戦えなくては裏の世界ではやっていけないだろう。それにあのいかにも武器が隠しやすそうな服装が気になる。暗器のひとつやふたつはあると見た。  向き合う二人の間に流れる空気が闘いを前に熱を持ち、熱を失う。対照的な熱で空気が軋むような錯覚。互いの気力は十分、後はただ号令を待つのみ。 『それでは、第四試合 Fight!!』  朝倉のアナウンスをゴングにまた一つ闘いが始まった。  ゴングと同時に構えをとる古さん。その額に向かう金属片。 『さあライフルの名手という龍宮選手。チャンピオンを相手にどう戦うのか……』  朝倉のアナウンスも半端に金属片は古さんの額に着弾。パンと乾いた音に倒されるように彼女は仰け反り、倒れ、舞台を転がり、そして止まる。  会場は数秒起きたことが信じられずに静まり返ってしまう。そして巻き起こる呻きにも似た同様の声が舞台を囲む回廊から轟く。 『こ……ここ、これは一体——ッ!? 開始早々、突然古菲選手が吹き飛んで……!?』  起こったことがうまく説明できないのか朝倉もいつもの活舌さを失っている。  起きたことは分かる。余りに単純な手段だが、龍宮の能力を考えると十分凶器になる手段だ。 「古老師!!」  隣ではネギ先生が悲鳴に近い声を出してしまっている。インパクトの瞬間、後ろに跳んで衝撃を減らす仕草を古さんはしていたが何分場所が頭だ。大丈夫だろうか? 『こ、これは……!? 500円玉!?』  舞台では朝倉が龍宮の使用した『弾丸』を見つけ、何が起こったかようやく理解したようだ。  羅漢銭[らかんせん]  中国の暗器術の一つにあるもので、どこにでもある硬貨を投げつけるというシンプルな技だが達人となれば一息に五打打ち放ち、その威力も侮れるものではない。龍宮の場合はそれを指で弾いていたから指弾に近いが、威力は狩猟用のパチンコほどだろうか?  暗器はあると思ったが、その暗器まで投射武器とは射撃の名手・龍宮はこの武道会でもスタンスを変えていない。  ちなみに極めて余談だが、私にこの知識を披露してくれたのは中華拳法を実践している遠坂だ。話す中で彼女の表情が終始どうだったかは言うまでもない。むしろ、忘れたい。  茶々丸さんがいる解説席でも同様の解説が入り、観客全員に何が行われたか理解が及ぶ。ん? だがあの解説者、昨日の昼前に私が矢を中てた相手ではないか? 霧矢部長によって別室に連れ込まれたところまで見たけど、よく無事だったな。 『優勝候補、トトカルチョ人気�1の古菲選手からあっさりとダウンを奪いました!! 無名の[羅漢銭]龍宮選手、強い!!』  朝倉がアナウンスする間もカウントが取られ、5,6とテンカウントが刻まれていく。古さんを慕う声が観客席から悲鳴じみたように発せられる。 「起きろ、古。自ら後ろに跳んで衝撃を緩和したハズだ。ダメージはないんだろ」  龍宮も古さんの体捌きを見ていたのか、そんな台詞が歓声に混じって聞こえた。応じる声は力強いものだ。 「……いやー、痛かたアルよ。ホントに容赦ないアルネ、さすが真名」  カウント9でスパッと宙を蹴って足が上がり、地に戻る。その反動で勢い良く古さんが立ち上がり、観客の歓声に喜色が戻った。 ダメージを減らしたといっても痛みは相当なはず。でもそれをおくびにも出していないとは凄い。 「さあ、くるアル」「遠慮なく」  古さんの求めに応じ、龍宮の手が閃く。袖から現れた硬貨の束が手に。その次の瞬間から龍宮の手は銃と化し、硬貨は装填されたカートリッジとなる。  指(撃鉄)が五百円硬貨(銃弾)を叩き、次々と弾き出される硬貨の弾丸。その連射速度は達人の五連打を遥かに超越している。前言撤回。狩猟用パチンコどころではない。舞台の床である木材に穴を穿つ威力も含めてまるでマシンガンだ。  硬貨が空気を切り、着弾した床の木材が飛び散る。  が、そんな連射を古さんは避け続ける。身を伏せ、捻り、跳ねる。一秒と同じ位置にいない。いや、いられないのだ。 『す、凄まじい攻撃!! 羅漢銭の連打。まるでマシンガンようだーーっ』  リングの外に退避している朝倉は飛び散る木材に悲鳴を上げつつも懸命に実況を続ける。記者魂がそうさせるのか、悲鳴を上げてもそれ以上一歩も引いていない。 『超人的な連射!! 龍宮選手のおこづかいは大丈夫か!? ——し、しかし避ける避ける、古菲選手辛くも弾丸の雨を避け続けるーーっ』  朝倉の実況通り、龍宮の羅漢銭が百発近く連射されているのに古さんは最初の一発を除いてクリーンヒットを受けていない。肩や足にかする程度にとどめている。それでも、攻められない。龍宮の連射は彼女を一定距離に縫い止める弾幕となり疲弊して足が止まった時が決着になってしまう。 「何とか接近戦に持ち込めれば」 「おう、それよ!」  隣ではネギ先生と、試合から戻ってきた小太郎が舞台の上の闘いを固唾をのんで見守っている。特にネギ先生は古さんに拳法を習っているためか、熱のこもり方が違う。  確かにネギ先生と小太郎の言葉にあるように、この状況で古さんに勝機があるとしたら専門分野であるクロスレンジでの勝負になる。彼女の拳法は妖怪に対しても戦果を上げるほど強力極まる。一撃でも与えられたら勝負は決するだろう。だが、龍宮と何度か組んで仕事をした身としてはその考えは少し甘いと感じる。なぜなら龍宮自身が自負する言葉がある。  曰く、『私に苦手な距離はない』 「はいっ」  呼吸を整え、一歩床を踏み込む古さん。ここで仕掛ける気だ。  踏み出した次の二歩目が爆発的加速を産みだし、二人の間にあった距離が瞬きの間に縮まる。  古さんの加速を乗せた肘が繰り出される。当然この程度の攻撃は龍宮には見切られ、かわされるがそれも予定の内。すぐさま龍宮の腕を掴み、懐に入り込んだ。 「やった!! 接近戦!!」 「今の瞬動か!?」「いえっ、あれはおそらく八極拳の活歩という……」  隣では一気にネギ先生たちの歓声が上がるが、私の見方としては龍宮の誘いの気がする。あのまま消耗戦に持ち込むのもアリだが、勝負を仕掛けるなら相手が避けようのない距離で必殺の一撃を叩きこむ。古さんにとってクロスレンジは必殺距離だが、それは龍宮にもいえるのだ。  腕を掴んだ古さん。このまま一撃を見舞おうとする。その眼前に龍宮の掴まれていない反対の手が差し向けられる。手には撃発寸前の弾丸。  ためらい無く引き金は引かれた。  アゴを撃ち抜かれ、空中に身を飛ばす古さん。やはり近接を許したのは龍宮の誘いだったようだ。射撃武器を接近戦でも使いこなす彼女ならではの仕留め方だ。  観客席から悲鳴があがり、ネギ先生たちも声を上げる。  空中から地上へ落下。受身を取るのが精一杯で立ち直れない古さん。そこに追撃を加えるべく龍宮が歩み寄り、さらなる硬貨の銃撃を浴びせる。  銃撃を浴びつつ立ち上がるものの、額に一撃。動きを止めたところに止めの九連撃。全て正確に関節と急所を射抜き、古さんは三度床に倒された。  とっさに起き上がろうとするが、それを許す龍宮でもなく起き上がるのに必要な脚と腕を撃ち、古さんを床に縫いとめる。  観客席の悲鳴は一際大きくなる。 「くーふぇさん しっかりーーッ!!」 「くーふぇ!」  悲鳴は選手控え席も例外ではない。私を除いた全員が席から立ち上がって古さんの応援状態だ。 「(龍宮ー、完全に悪役だぞ)」  仕事をともにした仲としては会場のこの機運は複雑な気分だが、本人はきっとどこ吹く風だろう。  床に縫いとめられた古さんに止めを刺すべく硬貨を再装填。放たれるのは四連。全弾必殺。これで勝負は決まったか……。  誰しもそう思った。次の瞬間までは。  四つの銀弾を弾く一陣の風。古さんの手に持った一反の布がそれを成した。彼女の腰にしっぽのように飾り付けてあった布だが、武術を修めたものが振るえばそれは十分に武器となるものだった。  突然の展開に驚く龍宮。一秒もない隙だが、古さんが布を翻し龍宮を捕らえるには決定的な時間だった。観客の気がついた時には頭を巻き込んで左手を拘束された龍宮の姿。その逆転劇に悲鳴から一転歓声が会場に沸く。 「フフ……ようやく捕まえたアル……弟子の前で情けない姿は見せられないアルヨ」  額から流れる血を舐め、千載一遇の好機に笑みを浮かべる古さん。これまでの苦戦を覆す絶好の機会に戦闘者としての血でも騒いでいるのか、さっきまでの痛みを感じる表情はない。 「古老師!!」  選手控えの席の前。ネギ先生も観客以上の喜びの声を上げている。後ろからは窺える横顔は半ば涙目だ。 『捕らえた!! 古菲選手!! ついに強者龍宮選手を捕らえた!!』  逆転劇の予感に朝倉の実況も熱が入る。  それでも龍宮は慌てない。まだ残っている右手が閃き、装填された硬貨が二連射される。標的は自身と古さんを繋ぐ布。  ピンと張られた布は横からの衝撃に耐えられない。一瞬で龍宮は戒めを脱する。 「あ……ああっ、外された!?」  観客にまたも悲鳴に近い声が上がる。けれど古さんに傾いた機運はまだ終わっていない。  素早く千切れた布を返し、反対の端が突き出される。それはあたかも槍の穂先のごとく速く、鋭い。 「布の槍!!」「おおおっ、珍しいモンを!!」  ネギ先生と小太郎が興奮気味で試合に見入っている。 「(あれは確か、布槍術だったけ?)」  門外漢なので今ひとつ分からないが、ここまでの古さんが使った一連の動きも中国武術の一つだったはず。  世界的に見ても布をああやって武器にするのは珍しい。私が知っているのは他にアジアの暗器であるザギーぐらい。やはり奥が深いな中国武術は。そしてそれを実戦投入する古さんも凄い。  連続して布の刺突が繰り出される。  戻りが恐ろしく短く、手数も並ではない。狙う場所も全て急所。しかしまだ冷静さを失っていないのが龍宮。繰り出される布の穂先を最小の動きで避け続ける。場面は両者の立場を逆転させて再現された。 ただ違うところがあれば龍宮の見切りが古さんよりも早かったことだ。  穂先が繰り出される回数が三十を数えた辺りで龍宮は銀弾を撃ち込む隙を見出し、素早く一撃を叩き込んだ。  ゴキンと異音が古さんの左腕から響いた。あれは、骨が折れた音だ。  それでも彼女は怯まず、わずかな隙に布を振るう。再び拘束される龍宮の腕。それを右腕一本で釣り上げ、引っ張り込む。二度目にして最後の接近戦。  会場の観客がこの瞬間黙り込み、静かになる舞台。そこに轟く衝撃。  二人はお互いの息がかかるような至近距離で向かい合い、その動きを止めていた。  硬貨が十枚以上舞台の床で弾ける。龍宮は接近の際に装填した弾丸だろう。それが全て発射後のもの、古さんの腹部に一度に十発以上の羅漢銭が散弾銃よろしく撃ち込まれたことになる。正直言って威力は計り知れない。  ずるり、と龍宮にすがるように膝を着く古さん。会場はどよめきの声がかすかに上がり、古さんの敗北を幻視した。  勝負は決まっていた。古さんの勝利という形で。  膝を着く彼女の右手は龍宮の鳩尾に添えられたまま、接近の時そこから必倒の衝撃が透っていた。遅れて透った衝撃が龍宮の背中まで突き抜けたのか、彼女の背中の布地が爆ぜた。  とさり、とあっさり倒れる龍宮。  一瞬の空白。  次には大歓声が会場を埋め尽くしていた。 『ダウン!! 龍宮選手ダウンです!! カウントをとります。1……2……』  観客はすでにカウントなぞ不要という騒ぎぶりで、実際カウントは最期まで数えられても龍宮は起き上がることなく、勝負は決した。 『——10!! 古菲選手勝利ーー!! 龍宮選手を下し2回戦に進出です!!』 「古老師」 「おお、弟子よ」  満身創痍の古さんをネギ先生が迎えたのをきっかけに、控え席の全員が彼女のもとに集まる。無論、私も例外でない。古さんの腕が気になる。 「スゴイです!! 龍宮さんに勝つなんて」 「いやー、どうアルかな?」  ネギ先生の掛け値なしの賞賛に古さんは苦笑気味。 「何のかんのといって、真名は手加減してくれた気がするヨ」 「え、そうなんですか」  ネギ先生がこれには少し驚きの表情を見せたが、身近で彼女の戦いぶりを見ている身としては古さんの言葉に頷ける。勝利のために手段は選ばない、そんなところが見受けられる龍宮が今回は随分温厚だという所感はある。  けど、それよりも古さんには尋ねなくてはいけない。 「古さん。左腕の骨、折れているみたいだけど救護室行かなくて良いの?」 「えっ!? え、えーと……何のことアルか?」  こちらの問いかけにとぼけた返答をくれる。演技力はゼロ、バレバレだ。それでは子供も騙せません。 「ええーーっ! お、折れてるんですか古老師!?」 「いやーー、まーその……」 「大変じゃないバカッ! 救護室にー」 「うん、早めの処置が大切だ。行こう」  あっさりバレて全員で古さんを救護室まで連行。かと思われたが、ここでさっきまで実況役をしていた朝倉がやって来た。 「おーい、エミヤン。あんた次の試合に出るんでしょ、準備があるから更衣室に行ってくれない?」 「え? あ、そうか。次は私の試合か」  古さんと龍宮の見事な試合ですっかり忘れていたが、次の第五試合は私と高音さんの試合になる。でも、準備? 更衣室? 「試合なのは分かったけど、なんで準備やら更衣室という言葉が出てくるんだ? 試合だったらこの格好で行く予定だけど」  ジーンズにシャツ、その上に防具の外套。動きやすさは申し分なく、準備はこれ以上特に必要としていないのだけど。 「いや、依頼主の意向があってね。頼むよ、エミヤン」  パシンと手を合わせてお願いポーズをとる朝倉。今の私よりも十五センチ以上も上背があるのに身を縮込ませ、上目遣いにこちらを見てくるその様子はとても中学生のものではない。意識したものではないのだろう。けれど、今の彼女の服装を合わせたそのポーズは目の遣り場に困る。 「…………分かった。元より依頼主の意向なら断れないか。古さん、すまないけど準備とやらで付き添えないみたい。みんなもごめん」 「いや、大丈夫ネ。それより、エミヤンも試合がんばるアルヨ」 「くーふぇを救護室に入れたらすぐに見にいくよ」  古さんを初めみんなに断りを入れるが、返事はすぐ返ってきた。本当にありがたい事だ。一度頭を軽く下げ、朝倉の案内で更衣室に向かう。 「志保さん。次の試合、応援してますっ」  後ろからネギ先生の声が届き、私は返礼として後ろ手を軽く振って応えた。さて、準備が何かは知らないけどひとつビシっと行きますか。  ビシっと……これを着ろということだろうか? 「これが、超さんの意向? ……はは、はははははは……あんまりだ」  朝倉に更衣室に連れてこられるなり、「中に用意した服に着替えてね」と言われ押し込められた。しぶしぶその着替える服を確認したのだが、確認して一分で頭痛を覚えた。 「なんでまたこんな服を着なくてはいけないんだ?」  ハンガーに掛けられているのはここ最近、学園祭準備で見る機会と着る機会が多くなった一種ユニフォーム。ただし、弓道部のものがトラディショナルなものならこちらはフレンチとか言われるものだ。  まず、圧倒的にスカートの丈が短い。これはクラスのみんなが制服の時くらいだろうか? 膝上二十センチ、私には未知の領域だ。こんなものハイキックした瞬間に中身が見えるだろうに……。  さらに背中がバックリと空いて、袖は独立したものを付ける仕様になって、肩が露出するようになっている。これを着ていてはメイドとしての仕事が出来るわけないだろう。なのに世間、特に上野とか浅草に程近い世界的電気街ではメイド服の認識で通るらしい。本職の人を舐めているとしか思えない。 「さらに理解不能なのが……」  視線を転じる。ハンガーの下には下着類の入った籠がある。つまり、下着も替えろいうこと。しかも中身は私には刺激が過ぎるものだ。具体的には、時折遠坂が着ていた派手な代物だ。うわぁぁ、ガーターベルトまであるよ……。 それだけでも脳死ものだというのに、 「なんだろうね、これは」  手に取って見たのは半月状のプラスチック製品。髪を纏める装飾品の一種でカチューシャとかいったものだ。ただ普通のものと違うのは、レースをあしらったヘッドドレス調であり『ミミ』がくっ付いていることだ。私の髪の色に合わせたのか、白いフサフサの三角形の獣の耳。それがカチューシャに付属されている。その上、ご丁寧なことに白いフサフサの尻尾まで存在している。 これはネコというよりイヌのイメージか。実際、なんの冗談か首輪まである。  これを着ろと? この『俺』が? そして試合に臨めと? どこの世界の刑罰なのだ?  これは死刑宣告のほうがまだ温情があるだろう。だが、この刑の執行人は無情で無体で無軌道だった。 「エミヤンーッ! 着替え終わったかな!? って、まだ着替えてないの? 舞台の修復で時間はあるけど、そうのんびりしてられないよ」 「……朝倉」  奇天烈な服(これをメイド服と言いたくない)を握り締めて固まっていたら、更衣室の襖が開かれ、にこやかないい表情の朝倉登場。ふふふ、ちょうど良い。  ギギギとグリスの切れた歯車みたいに首が回り、朝倉[標的]を睨む。 「これが超さんの意向なのか? 私には面白がられているようにしか感じないのだが……」  ああ、上手く感情を抑えられない。握り締める手の中で爪が刃物になりそうだ。きっと握り締めた拳から血が出るに違いない。いや、血が出るのは目からか?  睨まれる朝倉だが、そこは記者として鍛えた精神なのかあっけらかんと質問に答えてくれる。 「そうだよ。エミヤンって、転校生だから今ひとつ押しがないからね。せっかく可愛いんだし、それを生かそうと超からの指示で。ちなみにテーマは可愛いメイドさん」 「テーマ?」 「そ。エミヤン以外にも押しの足りないアスナや桜咲にも着てもらう予定だよ」  うわぁ、とんでもない事をする。超さんも朝倉も……そして第八試合で似たような格好をさせられるだろう二人に心から同情する。あ、小夜ちゃんがいる。助けてという意味を込めた視線を送るが、ゴメンなさいと頭を下げられた。援軍はない、か。 「ちなみに、超から伝言。衣装を着るのも依頼の内だってさ」 「————」  がっくり手を床につける。つまり初めから抵抗なんて無意味なのか。 この様子があまりに不憫に見えたのか、今度は励ましにかかる朝倉さん。 「い、いいじゃん戦うメイドさん。他に例もあるし——異星人や世界の黒幕と戦う元戦闘アンドロイドのメイドさんとか、炸薬カートリッジでロケットパンチを飛ばすメイドさんとか、サンタマリアの歌に誓いを立てる必殺メイドさんとか、吸血鬼のお嬢様に仕える完全で瀟洒なメイドとか…………あーー、ダメ?」  どこの平行世界の話だよ、ソレ?  結局、この服を着ることに変わりはないんだろ。 「もう良いよ……やるよ、やればいいんだろ?」  どうせ、弓道部の出し物のときにも着たのだ。これが二回着ようが、三回着ようが今更変わりはない。第一、依頼の件を持ち出された時点で決まったようなものだ。  ああ、やってやるさ。服に手をかけてばばっと脱ぎにかかる。それを見て取った朝倉(と背後霊化している小夜ちゃん)は更衣室から出て行く。引き際はしっかり見極めているんだな。 「それじゃあ、十分後にまたくるね」 「ああ、そうだ。超さんに伝えてくれ、地獄に堕ちろとね」 「あ……あはは……」  言うべきことは言ってやった。  以前言われたことがあったせいで、引きつった表情で撤退して行く朝倉。パタンと襖が閉じ、更衣室には自分一人。  さて、ここから十分間は自尊心を守る戦いだ。終わったら、こんな記憶さっさと闇に葬って地面に埋めてしまおう。 よく晴れた初夏の空。雨雲なぞ知らぬと言わんばかりの青空には色とりどりの熱気球が花を咲かせている。おそらく全国で最も騒がしく、最も豪快な学園祭、麻帆良学園祭の二日目の空も行楽にふさわしい日和だった。  そんな陽気のなかをふよふよと飛ぶ何か。  人の手に乗る大きで三頭身の体。巫女装束に似た服装で腰には刀らしきもの。まるで縫いぐるみみたいな愛らしい外見だが、その正体は主である刹那の姿を模した式神だ。  愛称『ちびせつな』刹那が使役する式神は現在主命を帯びて任務にあたっていた。  怪しい動向を見せる超鈴音。彼女が開催する武道会の会場周辺を探るべし。不審なものを見つけ次第、主に知らせ、主命を仰ぐこと。ちびせつなに与えられた命はこのようなものだった。 『怪しいところ……といっても難しいですねー』  命を受けたちびせつなは一先ず会場周辺をぐるりと一回りまわって、この会場で不審なものを探し出すことにした。 武道会会場の観客席を取り囲む結界みたいなもの、会場全体に流れる不思議な空気。そのどれもが魔法関係、もしくはそれに近いものを窺わせる。でも決定的なものは何一つ掴めておらず、ちびせつなは途方にくれていた。 『弱りましたー、怪しいって言うならみんな怪しいと思うんですけどねー……うん?』  少し、ごく微量の魔力の気配を感じた。これまでの何とも言えない曖昧な感覚ではなく、明確に魔力と分かるその気配。  場所は、会場横の湖面に突き立つ塔。西洋の風味が強い麻帆良にあって、龍宮神社本殿と同様にオリエンタルな雰囲気を持つ二本の塔の内の一本からちびせつなに感知できるギリギリの魔力が流れていた。  魔力が薄れる前に急いでその場所に飛んで行き、開いていた窓から塔の中へと侵入する。短慮な行動と彼女自身でも思おうが、その時は主である刹那のために成果の一つは上げておきたいという欲求が勝っていた。  果たして窓から侵入したちびせつなを迎えた場所は仕切りのない大部屋だった。本来は広々としたものだろうそこに、ところ狭しとデスクが並べられ、その上にいくつものパソコン、デスクが向かう正面の壁一面が特大のモニターになっており、武道会の情報が逐次表示されていく。  明らかにこの武道会の舞台裏。超鈴音の企みの一端がここにあるかもしれない。のだが、 『ううーー、機械ですか……苦手なんですよね』  機械音痴のちびせつなにはこの手の機械操作は荷が重かった。仕方なく部屋自体の探索を始めるが、重要な情報は全てパソコンの中にあるのか紙媒体の資料は一枚も存在しなかった。  ガックリとうなだれる。せっかく重要な場所を発見できたのに情報が引き出せないのだ。これでは主命を果たせそうにない。 『仕方ありません、せめて周辺情報を収集して帰りましょう』 後で主である刹那が侵入しやすいようにこの塔のつくりは把握しておこう。そう思い直し、ふよふよと部屋を横切るように飛行していくちびせつな。 ————[セット] 『…………? なんでしょう?』  一瞬、何かが体の中に入り込み、同時に意識が薄れる。そんな錯覚。 すぐに持ち直し、自身の体を見るが異常なし。主にも異常がなく、周辺を見ても無人の部屋が見えるだけだ。 『皆様、お待たせ致しました!! 板の張替えが終了しましたので第五試合に移らせて頂きます。それにしてもレベルの高い大会になってきました!!』  意識をハッキリさせる朝倉のアナウンスがモニターと窓の外から聞こえ、ちびせつなのささいな疑問は霧散した。 『おっと、ぼーっとしていられません。むむ、ここから下へ降りられるみたいですね』  部屋から下へ続く階段を見つけたちびせつなは探索を続行するため階段の向こうに去っていった。後には無人の部屋。多数のパソコンから吐き出されるファンの音が誰もいない部屋で合唱していた。  無人であるはずの部屋に唐突に人影が現れる。いや、実のところ彼女は最初からこの部屋に存在していて、ちびせつなにはそれが視えなかったと言うだけの話。 「うまくいったようね」  昨夜に引き続き、少女状態でウルスラ女子の制服を着ている遠坂凛の姿がその部屋にあった。  昨日に引き続き超の勢力が潜む地下に潜入、この塔にある部屋を発見したのだが、当然ちびせつなに負けず劣らず機械音痴の遠坂にはここにあるパソコンは手に負える代物ではない。  どうしたものかと窓から外を見たときに見えたのが空中をふよふよ飛んでいる可愛らしい物体。使い魔の類と分かったとき、遠坂は一つの決定を下した。  魔法使いにこの場所をそれとなく知らせ、向こうから行動を起こしてもらう。  となれば行動は早かった。魔力を少量放出して使い魔を誘き寄せ、自身は姿を隠す。ついでに使い魔には宝石を埋め込んだ。一瞬勘付かれはしたが、自身の異常に気付くことはないだろう。 「んー、術式はやっぱり異なるけどこの程度なら大丈夫ね」  思考の中で術式を編み、対象である使い魔との齟齬をなくす。これは埋め込んだ宝石を起点に使い魔の感覚を主人以外でも共有できるようにする術だ。術者と使い魔を繋ぐラインにバイパスを設け、いざとなれば主人に成り代わることもできる。いわばハッキングのような真似を遠坂はしている。  彼女にしては回りくどい事をしている。けれど自身はこの世界の住人ではない。表立って事件に関わるのをよしとはしないのだ。 「桜咲さんに良く似た使い魔だったけど、一種の形代ね。——ん、把握完了。早速あの子を地下にやってみますか」  出来たばかりのラインからそれとなく思念を送り、埋め込んだ宝石を通じてちびせつなを地下へと誘導させる。彼女自身には自覚はなく、ただ足が向く。そんな感じであるはずだ。  誘導されていると自覚無く、地下を進むちびせつな。後は誘導なしでも勝手に進んでくれる。地下の警報装置もあの大きさの使い魔なら探知される危険は低いだろう。 切りのいいところで足がつかないように思念を閉じる。 「ふう、こんなところね。これで魔法使いに超鈴音の事は知れる。あとはどう転ぶか、ね」  超鈴音に魔法使いをぶつけ、彼女の目的を探ってみる。それが今日の遠坂の行動目的になる。昨日の探索では物騒な手段までは探れたが、肝心の目的が掴めなかった。そこで今日はこの麻帆良に住まう魔法使いをけしかけてみようというのだ。その方法を考えていたところにやって来たちびせつなは渡りに船だった。 「我ながらせこい手段だけどね……さて、長居は無用っと。————はい?」  目的を済ませ、さっさと塔から去ろうとした遠坂の目に信じられないものが映った。  モニターには武道会の様子が生中継されている。第四試合で穴だらけになったリングの修理が終わり、これから第五試合が始まろうしている。リング横の選手控えに第五試合の選手が現れ、会場は大きく湧く。それは試合前の興奮と選手が着用している衣服が原因だった。  一人は金髪で目立つ容姿をしているが、何の変哲もないウルスラ女子の制服を着ている。律儀にもナースキャップを思わせる学帽までかぶっているところから相当にマジメな性格なのだろう。  問題はもう一人の選手だった。  それは遠坂が良く知っている人物である衛宮志保(士郎)のはずだ。この世界に来てどういう理屈か、可愛らしい女の子になってしまっているが、中身は変わらずに質実剛健で武骨な士郎であるはずだ。だが、今モニターに見えているものに彼女は呆気にとられていた。  それは遠坂には縁遠い世界の話。秋葉原か日本橋の住人にはウケるフレンチメイドの格好の志保がいた。 「————あの馬鹿。なにやってんのよ」  怒りのこもった視線はモニターから窓の外、武道会会場の舞台の上に。  そこにはこれから試合に臨もうという志保の姿。ただ、自身のあまりの格好に赤面気味ではあったが。  出席番号32番 衛宮         第25話 学園祭・Show Down㈼  朝倉のアナウンスで第五試合の開幕が近いことを告げられ、会場は賑わいを再び取り戻す。 「先ほどの試合は素晴らしい闘いでした。互いの技が冴えて、勝負がどちらに傾いてもおかしくはありませんでした」  さっきの試合である古と龍宮の試合を見たセイバーは、見所の多かった試合内容に賞賛を惜しまなかった。ただの硬貨を弾丸にする業や、拳で相手を制する業、布を武器にしてしまう業、そのどれもがセイバーには新鮮味があるものだった。そして何よりそういった業と技を競う試合は、見る立場であっても嗜好に合うものでもあり、彼女の気分は晴れやかであった。 「確かにスゴかったねー、あんまり緊張したもんだからノド乾いちゃったよ」 「よろしければ何か買って来ましょうか?」 「ううん、いいよ。もうすぐアルトリアさんの見たがっていたエミヤンの試合でしょ?」 「そういえば、そうでしたね」  試合観戦の緊張のため、飲み物で一息入れようという話が出てきた。セイバー自身もノドを潤したい気分だが、もうすぐ志保の出場する試合が始まってしまう。買いに行っている暇はなさそうだ。  と、横から伸びてきた手がパックジュースを差し出してきた。 「飲みます?」 「いいのですか? ユエ」 「備蓄は沢山ありますので、遠慮はいらないです」 「そうですか、感謝します」  夕映の手からパックジュースを受け取ろうとするセイバーだが、パック表面に描かれた表示に手が止まる。  『第二次すぱろぼα 楠葉監修 スタミナジュース』  メタリックなパック表面にこれまたメタリックな文字が踊っている。 「あの、これは?」  思わず訊いてしまう。この妙に楽しげな悪意が感じられる飲み物らしき物体は何なのかと。 「学生生協で新発売されていました。飲んでみましたが、かなりイケます。アルトリアさんにでしたらオススメです」  夕映の表情には敵意も偽りも一片たりとて見受けられない。これは実際に彼女が薦める一品なのだろう。しかし、セイバーの脳裏には昨日の喫茶店での出来事が蘇る。  喫茶店スタッフ一同が夕映の注文した飲み物に驚愕し、それを平然と飲む彼女に向ける視線は人外を見るかのよう。  果たしてそんな味覚の持ち主が薦めるものを飲んでも大丈夫なのだろうか? 「そ、そうですか。では——」  判断は数秒だった。  折角の好意で渡されたものなのだ。無下に断るというのは礼節を欠く。誇りを重んじるセイバーには出来ない相談だった。それに毒物というわけではない。口にしても問題なかろうと、結論を下した。  パックに刺したストローに口をつけ、おそるおそる中の液体を吸い上げる。口に広がるその味は、 「——ふむ。なかなか、いいですねこれは」 「そうですか、アルトリアさんの口に合ってよかったです」  思いの他セイバーの味覚を楽しませるものだった。今まで飲んだどの飲料にも該当しない味、匂いは程好く、舌は新たに感じる感触に歓喜している。知らず知らずのうちに口元がほころんでしまう。 「へー、アルトリアさんが大丈夫ならマトモみたいだね、それ。私も一個もーらい!」 「あっ! ハルナ!?」 「■■■■———っ!?」  夕映の手からパックジュースを掠め取った早乙女だが、一口中身を飲んだ途端人に発声できない声ならぬ聲を絶叫し、あたかもメデューサに睨まれ石像になった勇者のごとく棒立ちのまま固まってしまった。  その声に周囲に居た観客も何事かと視線が集まる。 「言い忘れてました。このジュースは飲むのに適性が必要でして、基本的はアルトリアさんのように武芸に秀でている人、でなければ私のように味覚が特殊でなけばいけないそうです」 「ちょ、ちょっとゆえ、ハルナは大丈夫なの!?」 「大丈夫です。ただ、この硬直が解けるには五分ほど必要になるです。後は後遺症もなく無害です」  飲むのに適性が必要だったり、後遺症を心配しなくてはいけない飲み物を普通の売店で売っていいのだろうか?  夕映とのどかのやり取りを見ながら、セイバーの思考はそんな益体もない方向にまわっていた。固まってはいるが早乙女のことは大丈夫そうなので、視線はリングである能舞台に移行していく。舞台では先の試合で損傷した床板を張り替える作業がイベントスタッフによって急ピッチで進めらており、作業開始から十分ほどで作業は終わろうとしていた。 『皆様、お待たせ致しました!! 板の張替えが終了しましたので第五試合に移らせて頂きます。それにしてもレベルの高い大会になってきました!!』  程なく修復作業は綺麗に終わり、スタッフたちが速やかに舞台を去っていく。入れ替わりに司会者でジャッジ、実況アナウンサーでもある朝倉が舞台に上がり第五試合の始まりを告げる。  試合の始まりに観客席からは再燃する興奮と歓声が立ち上る。 「それにしても、今更やけどシホってこないな大会に出るほど強かったん?」  パックジュースを飲みつつ舞台に視線を向けていたセイバーの横で木乃香がそんな疑問を浮かべた。  この五人の中で志保の闘う姿をまともに見たことがあるのはセイバーだけ、当然話すのは彼女になる。 「今まで見た試合がこの大会の平均値と言うのでしたらシホは問題なく戦いに臨めるでしょう。彼、もとい彼女の実力はここ数年で飛躍的に伸びていますし、不器用ながらも飲み込みはそう悪いものでもないです。相手にもよりますが、この大会に出しても安心して見ていられるでしょう」 「へぇ、てことは結構やるほうなんえ?」 「ええ、自己鍛錬も欠かさず、所々難はありますが鍛え甲斐のある弟子になりますね」  一歩間違えれば弟子自慢になりかねない話だが、セイバーの話し方は志保という人物の第三者的評価のように冷静だ。聞いている木乃香たちにはセイバーの話が素直に耳に入る。もっとも、衆人環視のうえ早乙女の存在があるせいで内容はやはり魔法関係抜きの当たり障りないものになってしまうが。  このまましばらくセイバーによる衛宮志保戦闘能力評価が続く予定だったが、それは選手入場の歓声に中断された。  オオオーーッ!?  ムッハーッ  カワイイー!  カメラカメラ! ——ああ、使えない!?  これまでの歓声とはかなり色合いが異なる。大半が男性陣の興奮によるどよめき、後は少数の女性陣による黄色い歓声だ。その対象はいま舞台に上がろうとしている一人の人物に向けられている。  妙に可愛い生き物がいた。  白い肩を露出した黒のエプロンドレス。スカート丈は短く、そこから生える足は太ももまである黒く長いストッキングで覆われて、ガーターで留められている。頭のヘッドドレスに犬を意識したような耳、お尻の位置には尻尾らしきものがついている。  それが衛宮志保だと理解するのにさしものセイバーも丸々一秒はかかった。 「————っ!!?」  理解に及んだセイバーは、はしたなくも危うく口に含んだジュースを吹きそうになる。それほどに目に映ったモノのインパクトは絶大だった。 「おおおおっ! フレンチメイドとはエミヤンもやるなー!」 「わっ!? ハルナ復活したですか?」 「あんな美味しそうな物を前にしてこの早乙女ハルナ、固まったままでいられるかっ」 「かわええなー、シホ。ウチもあんなん着てみたいわ」  隣の図書館探検部四人の反応は賑やかなものだが、セイバー自身としては心中複雑だった。舞台の上にあがる志保の姿は普段のシンプル&スパルタンな服装とは180度方向性が異なるものだ。ただ着ている服が違う、それだけで志保の印象が本来の性格とは違って見える。少なくともこの武道会に来ている一観客にしてみれば今の志保は可愛らしい女の子程度にしか見えないだろう。 「…………凛が見ていなくて幸いでしたね」  色々言いたいことはあっただろうが、一サーヴァントの立場としての感想しかセイバーの口から漏れなかった。ともあれ今の姿を志保、セイバー両名の師匠とマスターである遠坂凛に見られなくて良かった事を喜ぶべきだろうと。  セイバーは知らない。今この場面を件の遠坂がしっかりと目撃し、その表情が彼女以上に複雑なものだということを。『聖ウルスラ女子高等学校2年、高音・D・グッドマン選手!! 対するは今大会の華の一人、本校女子中等学校3年、弓道部所属・衛宮志保選手!!』  朝倉のアナウンスが終わる前に会場全体が沸き立つ。その原因は分かる。今現在自分が着ている奇天烈な服(しつこい様だがコレをメイド服とは言いたくない)が観客を喜ばせているのだ。 「……衛宮さん、その服は一体」 「高音さん、この服は本意じゃないことはあらかじめ言っておく」  どこか怒っている様子の高音さんに一言返す。そうさ、好き好んでこんなフリフリでヒラヒラな服を着る訳がない。これを着用して試合に臨まなければいけないことがあらかじめ分かっていたら私だって……いや、それでも出ていたか。超さんから貰ったミスリルの件があるから断れないだろう。 気の迷いと言える僅かな時間、自身の性格が恨めしく思ってしまう。 「い、いいでしょう。衛宮さんが不本意だということは分かりました。ですが、手は抜きませんよ。——さあ、いよいよ私の実力を見せる時が来ました。ネギ先生!! 私の真の実力を見て今更あわてても遅いですよ、今日こそこの私があなたのたるんだ職務態度に愛のムチを叩き入れて差し上げます!!」  気を取り直した高音さんの挑戦的な言葉は私ではなく、控え席にいるネギ先生にズバッと手と一緒に向けられた。 「えうっ! ぼ、僕ですか!?」  古さんに付き添った救護室から戻ってくるなりそんな言葉を向けられたのだ、戸惑いもするだろう。隣では刹那と明日菜が私の服装を見てやや驚いている様子。二人ともこれは他人事ではないよ。 『それでは、第五試合……』  朝倉のアナウンスに意識を試合に戻す。  手に持つ得物は、着替えの際に服と一緒に用意されていた中華用のお玉と北京鍋。調理道具で試合に臨むのは料理人と魔術遣い双方の立場からしてどうかと思うのだが、まさか投影した刃物で闘う訳にもいかない。これで何とかするしかない。  ——同調開始[トレース・オン]  ——構成材質、解明  ——構成材質、補強  同調完了。試合であるとはいえ、魔法使いである高音さんと打ち合いになる。渡された得物の強化ぐらいはしておく必要はあるだろう。扱い方はいつも使っている双剣と同じで大丈夫か。 『——Fight!』  朝倉のゴングと同時に一気に五メートルという距離をゼロに。間合いの内に踏み入り、お玉を高音さんに突き入れる。目標は彼女の鳩尾。奇襲としては申し分ないタイミングと威力。これにより一撃で意識を砕く。  そんな算段だった。けれど思った以上に私は高音・D・グッドマンという魔法使いを過小評価していたようだ。 「ふふふ、少し焦りましたが私の方が早かったようですね」  まるで手で阻まれたような感触がお玉を通じて伝わってくる。  突き入れるはずのお玉が彼女の体一センチ手前で阻まれていた。阻んだものは地から沸き立つ影。スピードを乗せ、身体を槍にしての一撃を高音さんは薄っぺらな影一枚で防ぎきったのだ。 「くっ!」  動揺する時間も致命的。一秒とその場に留まらず、突進と同じスピードで後退する。一秒前にいた空間に影が次々と沸きあがり、高音さんを包みこむ。その光景の変化に要した時間は一秒と半瞬。湧き上がる影が形を作ったときには高音さんの姿が変わっていた。 「最初から全力でいかせていただきます。操影術近接戦闘最強奥義!! 黒衣の夜想曲[ノクトウルナ・ニグレーデイニス]!!」  その名の通り、影から立ち現れた黒衣の巨大人形が高音さんを抱擁し、それに包まれた彼女自身もウルスラ女子の服装が変化した黒の戦闘服を身に纏っていた。 『おおおーーーっと!! 何かスゴイのが出てきたー!』  朝倉のアナウンスにも熱がこもる。観客席もあまりの大仕掛けにどよめきが広がっている。確かに凄いのが出てきたな。どうしようかアレ……。  黒のグローブに包まれた高音さんの手が私を指す。命を受けた影は体から伸びるいくつもの影の鞭を振るい、眼前の敵を叩きのめしにかかって来た。  迷う暇はない。ここは相手の力量を再度推し量らなければ。  再びのチャージ。襲い来る鞭は強化した北京鍋で打ち落とし、払い落とす。下手に後退してもいい的にしかならない。ここは近接して活路を見出す。  再度の接触。高音さんの死角を狙い、右のお玉と左の北京鍋でそれぞれ二撃を放つ。  右、わき腹を狙った胴。  左、腋の下を抉る切り上げ。  右、顎をかち上げる逆風。  左、頭部に打ち下ろす唐竹。 彼女はこの攻撃に反応を示していない。間違いなく反応できていないのだ。にもかかわらず、  ゴムタイヤを叩いたような感触と音が四度。  高音さんを抱擁する影法師はその影の裾を伸ばし、緩急織り交ぜた四撃を防いでしまった。つまりこれは自律防御。術者が反応できなくても使い魔が反応するため関係なしか!? 「この最強モードには打撃は通用しませんよ」  その台詞とともに腕が振るわれる。彼女の動きを忠実にトレースして影の巨腕が横合いからのフックを見舞う。素早くスウェーして避けるが、追撃で打ち下ろしのコンビネーション。床材が舞い上がり、舞台の床に大穴が開く。  避けるためと間合いを開けるため大きく後ろに跳ぶ。途中で鞭に追い立てられながらも舞台の端に。 くっ、やはりこの服は慣れない。必要以上に露出が高く心許ないし、ヒラヒラしているせいで肌に触れる布地がくすぐったい。お陰で動きが鈍くなる。 とった距離は十メートル。ここまでの攻防にかかる時間はわずかに二十秒。  そして、対戦相手の力量を推し量るのも二十秒だった。早々に手の内を晒したのは拙かったね高音さん。 『一瞬の凄まじい攻防。犬ミミメイドVS巨大人形! これは一体どこの無国籍無節操映画だーーっ!? これは流石に私も『CGなんじゃね!?』と言う疑問を拭いきれません!!』  間合いを測る最中に朝倉のアナウンスが会場の気分を代表しているかのように響き渡る。  確かに高音さんのド派手な魔法は観客達に大きな衝撃をもたらしており、中には完全に笑い話として見ている人間もいる。っと、思考が脱線したな。策はある、勝算もある、次善の策も用意できる。 なら問題ない。高音さんはネギ先生に執着があるようだけど、用事があるは私も同じ。すまないが勝たせてもらう。  お玉と北京鍋を床に放り、両手は拳をつくり、脚はステップを踏み、構える。この策には二つは邪魔になる。 『衛宮選手、武器であるお玉と鍋を捨てて拳を構えた! ここで勝負に出るのでしょうか?!』  アナウンスが続いているが耳を通り過ぎていくだけ。見据え、聴きとめ、嗅ぎ分けるのは標的のみ。相手もこちらの戦意を見取ったのか本腰を入れて迎撃態勢を取る。  試合開始三十秒、早すぎる決着を着けるため疾走する。  『黒衣の夜想曲』という高音さんの接近戦闘最強奥義。大型の使い魔を召喚し、使い魔の懐で守られながら使い魔のスピードとパワーで白兵戦を仕掛けることができるという攻防一体の魔法。これならば魔法使いに付き物の従者の護衛も必要としないだろう。最強奥義という文句は伊達ではない。 しかし、この攻め、守り、どちらにおいても付け込む隙を私は見出した。後はこれに今まで見た彼女の戦いぶりを考慮に入れて過小評価分を修正。これは今後気をつけなければ。  三度目にして最後のチャージ。これで決める。  飛んでくる複数の伸縮自在の鞭をかわし、あるいは拳で叩き落す。 「くっ! 打撃は効かないと言ったはずです!」  鞭を掻い潜る間もなく、使い魔の巨大な拳が飛んでくる。  飛んでくる拳を受け流し、勢いを利用して体を回し、使い魔の腕に沿って高音さんのいる懐に潜り込む。  使い魔のパワーとスピードは確かに恐るべきものだ。ただ、それを操作している人間が上手くものに出来ればの話だ。パワーとスピードは確かにあるが、接近戦の腕前がさしてない高音さんが振るう攻撃は単調で技がない。よって私ぐらいでも簡単に見切れてしまう。 「くっ!?」  高音さんの慌てる声。すぐに展開される影の防壁。これは彼女が自負するように並大抵の攻撃では揺るぎもしない守りだろう。しかも術者が反応できなくても防いでしまう。真っ正直にやっても無駄。ならば守れないものを出せばいい。  巨腕を掻い潜る一挙動で高音さんに接近。彼我の距離五センチ。間近にある高音さんの顔が驚きに固まる。すいっと拳を差し出し、ゆっくりとしたスピードで目標に拳を置く。  この守りの欠点。それは自律防御の際、守りの判断基準が使い魔任せになり、このような搦め手的な攻撃に非常に弱いことだ。術者本人が反応できなくても防御ができるのは素晴らしいが、攻撃の脅威度が判断できないのはまだ課題があるのだろう。 「っ!」  息を呑む声は至近。体に置いた拳。普通ではこのまま攻撃できるはずもない。ある程度打撃のためのスペースを必要とする。けどそれではすぐに影の守りが間に入り込み、元の木阿弥。私がこれから行うのは一種芸術にまで高められた武術の業。その片鱗の片鱗。  パアンと炸裂する拳。密着したまま、衝撃は目標である『胸』の中にある心臓に届いた。所謂、ハートブレイクショット。  大地を踏む両脚の力、腰の回転、肩の捻りなど全身の瞬発力を総動員して拳面に集約。これを極めると腕の振りという運動はほとんど必要でなくなり、その気になれば今みたいに密着した状態で攻撃を放てる。これはさっきまで見せたボクシングの戦い方ではなく、中国拳法の一種、俗称として『寸頸』といわれるものだ。  もちろん、遠坂から習ったとはいえこのような奥義は一朝一夕で極められるはずもなく、古さんが龍宮との試合で見せた芸術的な浸透頸とは雲泥の差がある。が、今はこの程度で十分。 「か……はっ」  ガックリと崩れかける高音さんの体。心臓に衝撃を受けてほんの一時血流を乱し、気絶を誘う。そこに念を押した駄目押しを入れる。  ——同調開始[トレース・オン]  検索、該当、属性抽出、集約。  バジリ、と拳とは反対の掌から静電気を数倍凶悪にした音が響く。剣の丘にある雷撃を放つ武装から、その力のみを掌に顕現させている状態だ。それを高音さんが態勢を立て直す間を与えずに、首筋にあてる。やっていることはスタンガンとなんら変わらない。そしてその効果も。 「——っ!!」  ビクンと震える体。悲鳴らしい悲鳴もなく、高音さんの体は完全に崩れ、糸が切れたマリオネットよろしくかくん、と倒れた。 決着に要した時間は四十秒 これで勝負はついた。私はその倒れてくる高音さんの体を腕を伸ばして支え、溶けるように消えていく巨大使い魔と、彼女の服装が戦闘服から制服に戻っていくのを確認して闘いの終わりを感じた。 『決まったーーっ! 高音選手気絶!! これで衛宮選手の第二回戦の進出が決定されました。ただ、期待していたモノが見れなかった一部男性陣は不服のようです! サービス足りないぞエミヤン!』  集中のためカットしていた外野の騒がしさが戻ってきた。朝倉のアナウンスと観客席の歓声が場内を包んでいる。その歓声を浴び、気絶した高音さんをかかえて舞台を降りることにした。あと、朝倉は一言多いぞ。サービスなぞするか。 「お姉さま!!」  すぐに駆けつけてきたのは予想通り愛衣ちゃん。慕う人物があっさりやられるのは衝撃だったのだろう、表情には驚きも混じっている。 「怪我はないよ。でも寝かせてあげたいから救護室に案内してくれないか」 「は、はい! こちらです」  救護室への案内をお願いするとすぐさま応える愛衣ちゃん。大会スタッフが担架を用意しているが、高音さんはこのまま抱えていこう。これも勝者の務めのうちだ。 「志保さんっ!」  次に来たのも予想通りネギ先生と明日菜に刹那だ。楓と小太郎も加わっている。 「スゴかったです! 高音さんのあんなスゴイ魔法を拳で凌いでしまうなんて、それに最後の寸頸も素晴らしかったです。キックボクシングだけじゃなくて中国拳法もできるんですね」  恥ずかしげもなく褒め言葉を……いや、ネギ先生のこれは素か。まるで自分のことのように喜んでいる彼の言葉には一切の飾り気はない。だから余計に照れくさい。 「いや、古さんのものと比べると未熟さ甚だしいんだがな。それよりネギ先生は次の次、試合なんだろ、準備はいいのか?」 「あ、そうでした。古さんに習うことがありました」 「まだ救護室だったね。一緒に行こうか」  はいっ、と言ってくるネギ先生と対照的に明日菜は何も言わずにジーっと私を見ている。正しくは私の着ている服になるが、 「志保、そのメイド服ってどうしたの? まさか趣味だとか」 「なんでさ。趣味違う。超さんと朝倉の陰謀に巻き込まれた結果だよ、これは」  口を開いたと思えばこれだ。こんな少女趣味な服が私の嗜好なはずないだろう。それと、二人も無関係じゃないからな。 「後、明日菜も刹那もこの手の服を着せられる予定があるらしいから覚悟は決めておけ。拒否権はないそうだ」 「「——え”」」  二人仲良く固まったところで愛衣ちゃんに改めて案内を頼み、ネギ先生と一緒に救護室に向かう。同情を申し上げるが、被害者が私一人というのも納得いかない。二人には悪いけどお揃いになっていただこう。  高音さんを抱えて勝者として舞台を去るなか、試合を讃える歓声と紙吹雪、花吹雪は止むことはなかった。こんなつたない試合すら讃えてくれる観客に心の内で感謝を返し舞台を去った。『ご来場の皆様、お待たせしております。舞台修復のため第六試合は今しばらく延期となっております。なお、会場でのカメラ、ビデオ等の使用はご遠慮願っております。ご協力お願いします』  高音さんを救護室のベッドに預け、部屋を出るとこんな朝倉のアナウンスが聞こえた。  確か次は師匠の出る試合だったな。もうそろそろ会場に来ないと拙いのだが、大丈夫だろうか?  「ネギ先生、私は控え席に戻るよ。そろそろ師匠の試合だから」 「あ、はい……って、マスターの試合!? あう……弟子としては必ず見ておかなければいけませんよね。ですけど……」  振り向いて部屋に声をかけたのだが、返ってきたのはネギ先生のとっても迷った声と表情。彼は救護室にまだいる古さんに教えを請い、瞬動術を自分のものにしたいそうだ。 別荘では歩法にまだ問題があり、移動から停止までの時に止まれず体がバタついていた。そこで拳法の師である古さんに八極拳の歩法を習いモノにしておきたいとか。 「いいよ、師匠には私から言っておく。それと練習するなら別の部屋でな。ケガ人がいるんだし」 「はい、ありがとうございます」  仕切りの向こうにいる高音さんと愛衣ちゃんを幻視する。  ベッド送りにした本人が言うのもなんだが、高音さんにはゆっくり静養をとってもらいたい。愛衣ちゃんは付き添いでベッド横に張り付いているし、何かあっても大抵は大丈夫だろう。 「じゃ、古さん。ネギ先生の面倒をよろしく」 「了解アル。任せるネ」  去り際に古さんへ一声かけて、選手控え席に向かうべく回廊を進んでいった。  戻った選手控え席にはすでに師匠が来ていた。昨日の服装とはうって変わり、今日は比較的動きやすさ重視の黒のワンピース。お供のチャチャゼロはこの気温の中では暑苦しく見えそうなもこもこしたコート姿だ。 「ふふん、似合っているぞ」 「メイドノ格好ニ磨キガカカルナ」 「……勘弁してください」  で、私の姿を認めるなり二人してこれだ。こちらが嫌がるのを分かっていての発言をしつつ、手に持った扇でパタパタ涼をとっているお師匠。 扇があるせいで今日は一層その女王様ぶりに磨きがかかっているように見える。 「お前の試合だが、見させて貰った。それなりに観賞に値するものだった——ただ、やり方が手緩いな」 「血ノ雨希望。惨劇ヲ楽シミニシテタンダゾ」  そして師匠らしく私の試合内容を評価してくれたのだが、決め方にご不満の様子。チャチャゼロにいたってはあの場を残酷劇場にしたかったようだ。 「手緩かったかな?」 「苦しみは最小限。相手に恐怖を与えることもなく慈悲深く一撃……ミディアンとしては失格だな」 「あ、あははは。失格、ですか……」  恐怖を与える側としては失格。そのことに喜べばいいのか、師匠の不興を買ったことに反省すればいいのか、どっちともつかず微妙だ。  師匠もこちらの心情を察したのか、「フン」といつもの呆れたような一声で話題を変えてきた。 「ボーヤはどうした? 一緒だったのではないのか?」 「ネギ先生は古さんのところ。瞬動術を試合ギリギリまで習っておきたいそうです」 「——そうか」  返ってきた言葉に師匠は不機嫌にならず、むしろどこか楽しみを待っているような表情をしていた。ネギ先生の試合が待ち遠しい、という事なのかな。 そのことは地雷だと理解できているので、こちらも話題を変えて試合について聞いてみるか。舞台ではイベントスタッフが凄まじいスピードで床材を張り替えており、この調子なら後数分もしない内に師匠の試合が始まるだろう。 「時に師匠、試合の方は大丈夫ですか? いくら魔術回路と世界樹の魔力があるとしても——」 「ハッ、舐めてくれるなよ志保。貴様のそれが要らぬ心配で、杞憂だということを証明してやる。おまえが心配することはひとつ、二回戦で私と確実に当たる事だ」  こちらの台詞も半ばまで言わせず、自信満々の言葉が返ってきた。お前の心配なぞ鼻で笑ってやると言わんばかりだ。 「そっか、じゃあ二回戦の時にはよろしく」  確かに余計な心配だった。知らず苦笑してしまう。  師匠の実力は別荘での鍛錬で嫌でも思い知らされている。彼女の真に恐るべきところは膨大な魔力でも、吸血鬼としての身体能力でもなく、数百年という歳月で培われ、営々と積み上げてきた戦闘技能、魔法知識といった莫大な量の経験だ。 それを持ってすれば、多少の魔力不足、多少の能力制限など歯牙にもかけない。だから第二回戦は胸を借りる気分でぶつかってみよう。 『舞台の修理が終了いたしました。選手のお二人は舞台へどうぞ!!』 「ん。では行ってくる。見ていろ志保、一撃で決めるにしろ格の違いというものを教授してやる」  修理完了のアナウンスが入り、会場に賑わいが戻る。 「うん、分かった。ちゃんと見ている」  すでに舞台の上には対戦相手の黒服の男性。そこへ師匠は急ぐことなく悠然と歩を進めていく。そのまとう雰囲気は王族や貴族などの高貴さに通じ、小柄な体が数割り増しで大きく見える。  この学園の隠れた達人、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが武道会という戦場[いくさば]に威風堂々と出陣していった。 「ごッ……かぺぽ?」  奇妙な声を出し、ただの一撃で舞台の床に沈む3D柔術の使い手・山下慶一。  第六試合の決着はわずかに二秒。エヴァンジェリンの力量を推し量ろうと慎重に構えた山下だが、それでさえ彼女には隙でしかなく山下が認識できない間の取り方で接近、拳で鳩尾を一撃。これで全てが事足りてしまった。 『一撃!! 一撃でダウン。子供のような少女の一撃で山下選手ダウン! この大会、何が起こるかわかりません!!』  朝倉の興奮したアナウンスと会場の歓声があっさり決まった試合の余熱のごとく響く。その歓声の中を勝者であるエヴァンジェリンは当然の事の様に振る舞い、舞台に上がった時と同様に悠然と舞台を降りていった。  結果として、この試合はエヴァンジェリンという最強種の圧倒的な貫禄を改めて見せ付けるものでしかなかった。 「あっという間、ですらなかったですね」  ぽつりと夕映が漏らした言葉はこの場にいる図書館探検部全員の感想でもあった。  第五試合、第六試合と総計しても一分にも満たない試合時間で終了してしまい、見ている側としては息つく暇もなかったのだ。 「志保さんも凄かったし、エヴァンジェリンさんもスゴイです……」  ほぅ、と何処か呆けた表情ののどか。かなり現実離れした試合内容の連続のため脳内の処理が追いつかなかったりしている。魔法に関わるようになった彼女だが、こういった事に慣れるほど時間が経っていないのだ。 「決め手は寸頸、ですか。確かに密着状態では武器は邪魔になりますし、身軽にもなれる。選択としては良策でした」  他方、上達した弟子の闘いぶりを見て満足そうに頷くセイバー。この十年コツコツ経験を積み上げて僅かずつ強くなっていく弟子。それを見守る剣の師匠は今日も厳しくも優しい。 「んーー。何かとんでもない大仕掛けが出てきたけど、エミヤンの勝ちってことだし、エヴァちゃんも相手を瞬殺だったし……ウチのクラスって超人ぞろいねー」  このメンバーで唯一魔法に関わりのない早乙女。試合中に出てきた高音の大型使い魔の事や、子供のような体格のエヴァンジェリンが体格の良い格闘男子を一撃で舞台に沈める事など、どこかヤラセじみた光景に戸惑いつつも展開される息もつかせぬバトルの連続に熱狂している。  そしてこの早乙女の反応が武道会にやって来た観客の反応の代表格でもあった。アクション映画やアニメ、小説、漫画の中でしか起こりそうもないスーパーバトルに観客はほとんど酔いしれているのだ。  そしてもっと見たいと思うのだ。それに応えるように朝倉のアナウンスが次の対戦カードを告げる。 『舞台の損傷もないため、引き続き第七試合を行いたいと思います。対戦者は麻帆良の不良達を震え上がらせる[死のメガネ]こと、タカミチ・T・高畑!! 対するは、昨年度麻帆中に赴任してきました噂の子供先生、ネギ・スプリングフィールド!!』  アナウンスが終わる前にどっと会場が沸き立つ。  その歓声に迎えられるように舞台に向かう身長差の激しい大小二つの人影。 「いよいよネギ君や」 「そんなに強いの? ネギ君」 「うん」  ネギの登場に生徒である四人のボルテージがにわかに上がり始めた。身近にいて気になる異性が公の前に出てくるのだ、彼女たちの気分は知らず高揚していきている。 「ネギ、ですか。シホの担任教師にして弟弟子だそうですが、さて……」  一方のセイバーは舞台に登る彼の姿を冷静に見つめていた。  顔を合わせるも、まともに言葉を交わす機会はこれまでなかった相手だが、警備員として麻帆良を巡る仕事をする彼女の耳には自然ネギ・スプリングフィールドについての噂が入ってくる。そのほとんどは好意的なもので、極少数の否定的意見もネギの実態を知らないが故のものだ。  選手控え席に視線を転じる。 「(彼には、人を惹き付ける何かがあるようですね)」  それがセイバーの所感だった。  二人を、いや、ネギを見送る大会参加者達の姿がある。明日菜、刹那、楓、古菲、小太郎、エヴァンジェリン、そして志保。思惑や抱く感想は異なるが、見送る気持ちに偽りはないようだ。その彼女たちの視線を背中に受けるネギの眼差しは真っ直ぐ前を見ており、緊張で強張っていても迷いはないようだ。 「どのような戦いぶりか、見させて頂きます。ネギ・スプリングフィールド」  試合を前に武道会の歓声は一際高くなり、舞台を焦点に衆目を集める。その中心は高畑とネギの二人。結果は火を見るより明らかという下馬評の試合。されど、観客の熱は冷めることの無く上がり続ける。  そこに更なる熱気を与えんと朝倉のアナウンスが会場に振り撒かれた。 『それでは皆様お待たせいたしました、第七試合を開始させていただきますっ!!』  熱気は膨れ、炎となった。 ネギ・スプリングフィールドと高畑・T・タカミチの闘いは拳のぶつけ合いという苛烈極まりない決闘という姿をとった。  ——二人の拳が空を裂き、肉を打ち、舞台を破砕していく。  互いの術理は、ネギが古菲から学んだ二つの流派、八極拳と八卦掌に魔法を組み入れてアレンジした拳法。高畑はこれまた師より学んだというポケットに突っ込んだ拳を鞘に収める刀に見立てた『居合い拳』という独自の闘法。互いに無手を得手とし、つまりは拳のぶつかり合いになったのは必然だった。  ——二人の闘気が大気を震わせ、お互いを高めあい、その気勢は会場そのものを飲み込んでいく。  小柄な身体による懐への入りやすさを生かしたネギの戦い方を、高畑の居合い拳が迎撃し叩き潰すという闘いの展開。一般の観客には感じえないが魔力のぶつかり合いと応酬も相応のもの。 当初は外見と風評からネギの圧倒的不利、火を見るより明らかな結果と思われていたところを激戦という出来事を前に、いい意味で裏切られた観客の熱はさらに加熱されていった。  火砲のごとき高畑の居合い拳の威力を前に倒れるネギに観客は息を呑み、不屈の闘志で立ち上がる彼に歓声を上げる。すでに観客の関心はネギにあり、舞台の空気は彼を中心に巡っている。  ——二人の熱気は伝播し、観客を呑み、観戦する選手を呑み、裏で暗躍する者すら惹きつけるほど目が離せないものになる。  そしてタイムアップを前にネギのとった起死回生の作戦が高畑を舞台のリングに沈めた。  無詠唱で発動できる最大本数の9矢。それをもって突撃。当然のようにあっという間に打撃でキャンセルされる。そう見せかけて術式を遅延魔法で封印。そこにさらに9矢。今度は正面勝負を誘って、全身に魔法の射手を纏っての突貫。繰り出される居合い拳は一瞬の障壁で防ぎ、そのまま魔法の射手とともに体当たり。  巻き起こる水煙。視界を奪われた高畑の背後に手を置き、遅延した魔法を拳に乗せて発動させる。ネギは最初からこの9矢を拳とともに放つつもりだったのだ。それを当てるために必要な間合いを体当たりで詰めたに過ぎないが、その方法を考え付く発想、それを実行する決断、実行力。いずれも並大抵のものではない。  それら一足の内面的跳躍『わずかな勇気』がネギを勝利へと飛び込ませるものになった。 打ち下ろされる豪風を纏った拳。高畑をリングに縫い付ける風圧と拳圧。それが二人の試合を決める最後の一手だった。 「この勝負、君の勝ちだネギ君」  そう言って倒れ伏す高畑。勝利の瞬間に巻き起こるどよめきと驚き。審判を兼任する朝倉のテンカウントで目の前の出来事が確定された事であると認識した観客たちは驚愕の目でリングの上に立つ十歳の少年を見た。  一方でネギを知る関係者の反応も喜色があった。選手控え席から、観客席から、あるいは屋根の上から。彼の戦い振りを見守った彼の生徒、ライバル、自称舎弟達は他の歓声を上げる観客たちよりもネギという少年を知っているため、その感情は深いものだ。 『ネギ選手勝利!! 10歳の子供先生、2回戦進出が決定しましたーー!!』  朝倉の勝利を高らかに告げるアナウンスが興奮冷めない会場に轟き、観客もまたそれに呼応するように一際高く歓声を上げる。武道会の熱は超鈴音の『狙い通りに』盛り上がりを見せていった。  ——そうして二人の闘いには誰も彼もが惜しみない賛辞を送り、正当な勝者と正当な敗者に祝福を降らせた。  出席番号32番 衛宮      第26話 学園祭・Show Down ㈽ 「よくやったアル。ネギ坊主」  古さんが弟子の大金星を笑顔で褒め、 「お疲れ様です。ネギ先生」  刹那が控えめながらも確りと労いの声をかけ、 「ハハハハっ! ネギ!! このヤロー」  小太郎が喜び満面で嬉しさを表してネギ先生を小突き、 「策を練ったでござるなぁ、ネギ坊主」  楓が試合終了間際の彼の作戦、気転に感心し、 「兄貴ィ」  カモミールが四肢をバタつかせて、慕う兄貴分の勝利に喜びを全身で表している。  激闘を終えて舞台を降りてきたネギ先生を迎えた反応はこんな具合である。みんな彼の勝利に素直に喜び、称えていた。舞台を囲む観客席でもこの熱闘を称える声が試合を終えた今でも絶えることがない。 「結局、五体満足カ。ツマランナ」  隣から聞こえるチャチャゼロの声のように一部例外はあるにはあるが。  ひとしきりネギ先生を囲む言葉が止んだところで、楓が神妙な面持ちで彼に言葉をかけた。 「あれからの成長……しかと見れたでござるよ」  その言葉の意味するところはすぐ分かった。なにしろ、その場に私も居合わせたのだから。それはまだ季節が春、今では師匠であるエヴァンジェリンがネギ先生の血を狙っていた時の事。三人で山の中を一日過ごしたあの日の事だろう。 あれから二ヶ月強。ネギ先生は見違えほどの成長を見せている。 その彼は楓の評価にいささかの照れの感情が混じった表情で返事をした。 「い、いえ。僕だけの力じゃとても……試合前に古老師にもらった言葉と、みんなが送ってくれた声援がなければきっと立ち上がれませんでした」  ここで言葉を切って、明日菜に向き直るネギ先生。 「アスナさんも……ありがとうございます」 「……」  ネギ先生の視線に合わせるようにこの場の視線が明日菜に集まった。向けられる明日菜は少し居心地悪そうに目をしばらく伏せたかと思うと、一歩ネギ先生に近付き、同時に左腕が大きく上がった。 「え」  勢いよく振り下ろされる。 「うひゃいっ」  背中に振り下ろされた平手が景気良く音を響かせて紅葉を降らせ、ネギ先生が面白い悲鳴を上げる。さらに明日菜は彼の体を捕まえた。 「全くもー、バカネギッ! また無視してこんなボロボロになっちゃって。おまけにあんた高畑先生まであんなボコボコにして! 試合じゃなかったら許さないんだからね!」 「あたたた、し、染みますー」  早口に怒りの声を速射砲のごとく並べ立てていく明日菜。その一方で手は取り出したハンカチでネギ先生の頬についた傷口の血を拭っている。ひとしきり拭い終わるとさらに速射砲は発砲される。 「ホラ医務室行って! バイ菌は入るわよっ、傷軽い所だけでも手当てしてもらってきなさい!」 「ハ、ハイ」 「がんばったわね! お疲れ様!」  そしてプイと顔をそらして、話はお終いと態度で表した。  いや、何と言おうか……人のことは言えないのだけど、 「ク……ハハッ……」  明日菜の不器用な優しさが非常に好ましくも微笑ましく見えて、笑みが抑えられない。見れば刹那や高畑先生、周囲のメンバーも似たような反応だ。 「アスナさん……」  ネギ先生にも彼女の優しさはしっかり伝わったみたいだ。 『いやー、素晴らしい試合になりました! 続けて次の試合に入りたいところですが、舞台修理のため今しばらくお待ちください。申し訳ありません!』  朝倉のアナウンスが会場案内を流れるなか、ネギ先生と高畑先生は試合会場を後にする。観客たちは彼らの歩く道の両側に集まり、素晴らしい試合を魅せてくれた二人に惜しみない拍手と声援を送り、花道を作り上げていった。さらには、 「あのっ、すいません、通してくださーい!」 「ネギくーん」「弟子にしてくれ!!」「サインちょーだい」  もみくちゃ寸前まで囲まれてしまう。高畑先生は上手く逃げたようだが、中心人物のネギ先生はそうもいかず、彼が救護室に辿り着けたのはこの十分後だった。 「う……」  観客の囲みからようやく抜けて、神社の本堂にある臨時救護室に入るなりネギ先生は弱い呻き声をひとつあげて蹲ってしまう。 「オ、オイ。大丈夫かネギ? 次の試合いけるか?」 「や、やっぱりかなりダメージあるみたい……」  崩れ落ちそうになるネギ先生の体を小太郎が支えつつ問いかけるが、返ってくる答えは思わしくない。 でも、私の見立てではそう深刻なものではないはずだ。試合中の高畑先生は力の出力こそ本気だが、要所要所で深い傷を負わないよう場所を選んで拳を繰り出すという配慮をみせていた。彼との付き合いは決して深いものではないが、アレはネギ先生の成長振りを見てみたいという思惑があってのことだと分かる。  そういう高畑先生の思惑があるのだ、きっと次の試合までには回復できると思う。思うのだが、やっぱり疲労も考えるべきだろう。 「……空きベッドもあることだし、次の試合まで横になるのはどうでしょうか? 」  五つのベッドがあるこの部屋を見渡してから提案してみる。 その内の一つのベッドに目を向けてみれば、高音さんがまだ横になっている。愛衣ちゃんは席を外しているのか姿は見えないけど、まだ高音さんの目が覚める様子は見受けられない。 「そうですね……いえ、やっぱりいいです。この後のアスナさんと刹那さんの試合は見ておきたいので」  私の提案にネギ先生はしばし考えたようだが、やっぱりこの後に控える二人の試合は見ておきたいのか首を横に振る。  こんな時でも教師として生徒を見守る立場でいたいのだろう。その心がけは心服に値するけど、また例によっての無茶でなければいいのだが…… 「フン、その通りだ。その程度で音をあげるんじゃない。奴は深刻なダメージにならんように打ってたハズだ」  そんな物思いをしていたらエヴァ師匠がチャチャゼロを伴って登場。ガラリと救護室の戸を開くなり情けない姿を見せていたネギ先生を一喝してくれました。 「あ……マスター。見ててくれました? 僕、タカミチに何とか勝ちましたよ」  師匠の姿を認めたネギ先生はふらつきながらも嬉しそうに彼女に向き直る。やはり弟子としては師に認められたいものだろう。けど、賭けたっていい。エヴァ師匠はそう甘くない。  無言で先生にツカツカと歩み寄り—— 「アホかーーーッ」 「へぷぅっ」  綺麗な左ストレートを右頬に決めた。ほら、やっぱり甘くないよこの御仁。 「はううう?」 「何が『勝った』だ。勝たせてもらったようなものだということにも気付かんのか愚か者が!!」  殴られた理由が今ひとつ分からない様子で殴られた頬を押さえるネギ先生に師匠の叱責が飛ぶ。 「や、でもタカミチは本気出してたんじゃねーのか?」  叱責はやり過ぎだと言うかのようにカモミールの弁護が出るけど、ここは私が言っておく。 「力の出力だけだったら、だな。技巧面、精神面とかはまだ余裕があったよ。本当の本気だったら、さてどうなっていた事か」  一度ならず彼と仕事を共にした身としては、実地における戦い振りと今回の闘いとでは明らかな差異を感じる。実戦においての彼は一片の容赦も無く敵を打倒し、相手が何らかの手段を講じようものなら講じる前に叩き潰す。それが今回はそんなところは全く窺えない。きっと半分以上は試合を楽しんでいたに違いない。  私の言葉に師匠は軽く頷き、容赦のない評価をバッサリと下した。 「ボーヤ。最後の体当たりと遅延呪文で上手くやったと思ってるんだろうがな、あんなものは当たって当然だ!! いいか?」  次の瞬間には師匠はネギ先生の頭を踏みつけ、説教を始めだしていた。一分の慈悲もなくフミフミと、時折グリグリと捻りも加え、それでいて説教は淀みがない。 「タカミチのバカは『ネギ君どれだけ成長したかな?』『ネギ君が何かやってくれないかな?』とウズウズ尻尾ふって待っていたんだ。喰らうに決まってるだろう!! それが何だ、あの中盤のグダグダは!! クズがっ、もっと早く反撃の糸口をつかめ!! 要するにお前はまだ全然ダメだ。分かったか!!」 「ハ、ハイィィィ、わかりましたーーー」 「ツケアガルナッテコッタ」  踏まれつつ返事を返すネギ先生の姿に遠巻きに見ている小太郎と古さんは「厳しいなー」という言葉を漏らす。私の場合は少し違う。 「あきらめるのか? 君の想いはそんなものか?」  試合中ダウンしたネギ先生に向けて高畑先生が放った言葉だ。無闇に性能の上がった耳が捉えてしまったこの台詞。この言葉に触発されるように彼は立ち上がった。それだけネギ先生が自分の父親に対する想いは深いと、他人である私にすら容易に感じとれてしまう。  そしてそれだけに危ういように見えてしまうのは自分だけだろうか? 単に自分の事を重ね合わせているだけではないのか? けれども———— 「——まあ、奴にも色々あってな。死にもの狂い修行であの力とタフネスを得た。お前も自らの才能に溺れることなく精進しろ」 「ハ……ハイ!!」  この真っ直ぐな少年が健やかであれ、という気持ちはうそ偽りなく、そして間違いなく存在する。  師匠の話の締めに元気のいい返事を返すネギ先生。その姿を見ている自分の表情は鏡で確かめたくない。胸のうちの複雑さで表情が消えてしまった詰まらなく、下らないものになっているはずだから。  私の内心はどうあれ、部屋の外では相も変わらず来場者の声が途絶えることなく聞こえ、武道会の進行は中断を挟みつつも順調に進行していく。  と、急にドタドタと廊下の板の間を賑やかに踏みしめてくる足音が幾つも聞こえて、それらがこちらに向かって来ていた。 「ネギ君、からだ大丈夫かーー!?」 「わわっ……ちょ、ちょっと——」 「ネギ先生、あんたスゴイよ!! 映画みたい!! ホレた!」  新たな闖入者が大挙して来た瞬間だった。 「動き出したわね、超鈴音」  事態が動き出した瞬間は遠坂がセイバーと共に臨時救護室に向かう途中だった。  超の拠点から引き上げた彼女は会場を監視する龍宮の目を掻い潜ってもう一度武道会会場に潜り込み、客席を兼ねる回廊のところでA組の生徒たちと一緒になって観戦しているセイバーを発見。試合が終わったところでこれを回収、その後救護室に向かった志保の様子を見に行くところだった。  遠坂は自分の視界に視えた事の成り行きに軽く顔を強張らせる。 「? 凛、どうかしましたか?」  先ほどまでのネギの熱い戦いぶりに思わず見とれていたため、非常にバツの悪い思いを味わっているセイバーは、唐突に表情を引き締める遠坂を疑問に思い声をかけた。 「うん。簡単に言うと高畑先生が超鈴音に攫われたのよ。今、使い魔の視界でそれを視たところ」 「っ! なんと」  あっさり簡潔に口にした遠坂の言葉はしかし、驚くべき事態が起こってしまったことを宣言していた。さっきまでの表情から一変、セイバーは驚くと共に事態の深刻さをすぐさま理解、戦闘に赴く者の表情に変わる。  刹那の式神である『ちびせつな』を利用して超鈴音の拠点をつつき、超側はもちろんこの学園を密かに守護する魔法使いをも動かそうというのが今回の遠坂の狙いだ。  その試みは彼女の予想した以上の効果を上げた。  当初は『ちびせつな』の主である刹那がこの事態に動くかと思われたが、武道会の進行上その役割は試合を終えたばかりの高畑になったのは遠坂としては嬉しい誤算だった。戦闘能力の高さはこの学園内では封印されているエヴァンジェリンや動く気配のない学園長を除くとトップに位置する人物になる。  超の拠点をつつくにはこれ以上ない破城鎚になるだろう。そう思ったのだが、今度は悪い方向に誤算があった。  一つ、高畑先生は先のネギとの試合で見た目以上に内側に損傷を受けたらしく身のこなしにキレがなかった。  二つ、現れた超鈴音本人の戦闘能力が強者揃いのA組の中でもトップランクに入るほどに高く、いつもの精彩がない高畑先生では無理があった。  最後の三つ目。超はさらに助っ人を雇っており、その人物は同じクラスの龍宮。彼女の戦闘能力について遠坂自身は知らないものの、志保から伝え聞いた限りでも相当な使い手だとか。  以上三つの要因によって、高畑先生と半自律式神『ちびせつな』の二人はさしたる抵抗もなくあっさりと超鈴音の手に落ちてしまったのだった。  この一連の様子は、超の拠点入り口になっている下水道に配置した翡翠の小鳥の使い魔によって逐一遠坂に伝えられていた。 これら宝石の使い魔は乗っ取った『ちびせつな』の補助的存在として引き上げる時に拠点の各所に配置していたものだが、『ちびせつな』が攫われて交信が途絶えた現在ではメインになっている。  臨時救護室に向かいながら以上の経緯をセイバーに話す遠坂。彼女の姿は未だに年齢詐称薬が効いており、傍から見ると同じ年頃の少女が二人仲睦まじく談笑しているようにしか見えない。ただ会話をよく聞く者が居たとしたら、言葉の端々に『誘拐』だとか『戦闘』とか物騒な単語が聞こえていたことだろう。 「なるほど……おおよその経緯は分かりました。潜入調査というのであれば私は不向きという自覚はありますので、凛の判断は正しい。昨日までは正直疑問を持っていましたが、その姿も今は頷けます」  一通り聞き終えたセイバーは頷き、それでいて遠坂の全身を見やり、さらに得心したように頷く。 「な、なによセイバー? わたしの姿って変なの? そりゃあ中身が20代の女がこんな女子生徒の制服というのはキツイ話だけど……」 「い、いえ。そのことでしたら問題はありません。年齢詐称薬なるものの効能は素晴らしい。凛が穂群原に通っていた頃を思い出し、大変愛らしく見えますよ」 「え、そう? ……ありがと。気分は複雑だけど、言葉は素直に受け取っておく」  聖ウルスラ学園のカソックを模した制服を弄りつつ、セイバーの言葉に反応する遠坂の姿はこれまた傍から見れば可愛らしい少女の恥じらいにしか見えない。ただ、すぐに表情は第一線に立つ魔術師のものに変化するのではあるが。 「んんっ! とにかく、志保にはこれからこの事を伝える。でも私達が動く時と場所は、裏方か最終局面になってから。それまでは伏せている方が上策ね」 「伏兵ということですね。事態は非常に流動的ですし、ここの魔法使い達も決して無能ではない。ならば私たちが出るのは——」 「超が駒を動かして勝機を掴み目的を達しようとした瞬間。もしくはその出鼻をくじくって事、かなっ!」  ここで気を取り直して話を締めた遠坂は、目の前の引き戸を景気良く引き開けた。場所はすでに本殿にある臨時救護室。中ではネギと彼女の生徒が揃っており、扉を開けた遠坂に注目が集まっていた。そして当然、驚愕に目を見開いている衛宮志保(士郎)の姿も含まれていた。 観客席でネギ先生の試合を観戦していた皆が彼を追ってドッとこの救護室に押しかけてきた。そのせいで今しばらくこの部屋は非常に賑やかな状態だ。 救護室に来た刹那と明日菜に付いてきたみたいで、明日菜が選手以外の立ち入り禁止と言ってもこの場のほとんどがA組の関係者のみでは説得力は薄く、結局そのまま黙認状態になっていた。 「あれで手加減!? どこの悪魔超人よあんた達!?」 「ネギ先生、いつもウチの小太郎がお世話に……それにしても本当に強かったんですねぇ、ネギ先生」 「ホントホント、コタロー君より強いんじゃない!?」 「なんやてー、夏美姉ちゃん」 「ああん、でもネギ君スリ傷だらけやん。大会と違たらウチが治してあげるのにー」 「このかさん、お気持ちだけでも嬉しいです」  ネギ先生、早々に自分の生徒たちに囲まれ、もみくちゃにされてしまう。もうこの光景はすっかり定番になりつつある。少々彼のことが気の毒に見えるのだが、この辺りはもう慣れたと言っていい。 「ううう……ていうか私、何であんな大観衆の前であんな大声で……!? 高畑先生の前で。バカバカバカバカ——高畑先生が『明日楽しみにしてる』なんて言ってくれたこの記念すべき日にーーっ」 「アスナさんっ気を確かに!」 「ハハハハ」  で、明日菜の方も大変な模様。ネギ先生と高畑先生の試合中に彼女が観衆の中大声でネギ先生に声をかけていたのをエヴァ師匠にからかわれている。  今更に気がついてしまった明日菜は顔を紅く染めて、頭を金槌のように柱に打ちつけている。その暴挙を刹那が宥め、そしてその二人を面白おかしく観賞する鬼なエヴァ師匠。  この二つの騒ぎで救護室内はキャイキャイ、ワイワイと和やかながらも賑やかになっている。現在進行形でベッドに眠っている高音さんもいるんだけどな。 「あー、悪いんだけどみんな——」 「何かな、メイドエミヤン?」 「……」  眠っている高音さんを起こさないように注意を口にしようと、したが至近距離にヒョッコリ出現した早乙女にからかいを多分に含んだ言葉を飛ばされた。一秒ほど自分の服装を見直す。前の試合から着替えていないので身に着けているのは変わらない。この世の真面目なメイドさんに喧嘩をふっかけるメイドもどきの服だ。これでは何を言っても説得力&威厳は皆無だろう。からかわれても仕方ない。 「やー……、ネギ先生の戦いぶりも驚いたけど、エミヤンのそのはっちゃけ振りにも驚いたよぉ。普段がマジメだから余計にネェ」  ぱしぱしと露出している肩を叩いてくる早乙女。私の目の錯覚か、頭の触覚も彼女に合わせるように上下にピコピコ動いている。  魔法関係のない純然な学校生活を送る時の私は、普通に麻帆良の一学生として過ごさせてもらっている。時折、備品や私物の修理依頼などを引き受けたりはしているが、ごく普通に勉学と部活に励む学生でしかない。 他のA組の面々の様に騒ぐことの無い物静かなクラスメイト。それが一般人から見た私の評価のようで、それが早乙女にはマジメに映っているのだろう。そんな学生がこんな大会に出場してこんな格好をしていれば驚かれもする。そういう事か。 「他の人にも言ったけど、これは断じて私の趣味ではないからな。ちょうど良い機会だから皆にキッチリ話しておくとだ——」 キッチリ話そうと——その直前に救護室の扉が勢い良く、それでいて乱暴にならない程度に素早く開いた。 部屋に入ってくるのは二人の人物。一人は間違いなくセイバー。白いブラウスに青いジャンパースカートは清楚な印象の強い彼女をより強調しており、とても似合っている。 そしてもう一人。聖ウルスラの法衣を意識した黒一色のワンピースの制服を着た十代後半の女の子。ウェーブのかかった黒髪は両サイドで纏め、猫のように瞳が印象的。地味になりがちな制服にも拘らず彼女の持ち前の美貌でそれを舞踏会のドレスに変えている。間違いなく私が良ーく見知った女性、なのだが数秒誰なのか、どうしてなのかと思考が止まる[フリーズ]。  再起動〔リブート〕。理解したらしたで、想像の折れ線グラフを垂直に駆け登る事態に思わず声が出てしまった。 「なっ!? 遠さ……もがっ!?」 「そんなはしたない声を出さないの。ここは救護室よ、静かにすること」  思わず声が出そうになった口が少女の手でふさがれる。その上で私にしか見えない位置でニコリと非常に悪戯っぽい笑みを向けてきた。もう間違いない。こんな表情をするのは私の知る限り遠坂凛、唯一人しかいない。  そんな悪戯っ子な表情も二、三秒。今度は救護室にいるみんなに顔を向けたかと思うとパンパンと手を叩き、有無言わさないほどの威厳ある態度と口調で注意を口にする。 「ほら、貴方たちもベッドで横になっている人がいるんだから。騒ぐなら外でやりなさい」 「あ、はい」「騒ぎすぎたね」「高音さんの同級生とかかな、あの人」「じゃあ私達は観客席に戻りましょうか」「せっちゃん、待ってるえー」  遠坂の注意を受けて、押しかけてきた人の大半が救護室を後にする。現れた人物に対する疑問はあるみたいだけど、言っていることは正論で、聖ウルスラの制服を着ている事から高音さんの関係者と思われたのだろう。みんな大きな疑問を持つことなく、意外と素直に部屋を出て行ってくれた。  残ったのはネギ先生とカモミール。明日菜に刹那、エヴァ師匠に従者のチャチャゼロとなった。小太郎は那波さんが連れて行ったし、古さんも図書館島探険部の四人と一緒に出て行った。そして、残る全員が若々しくなった遠坂に疑問の目を向けている。 「えっと、志保さん。この方は……?」  その場の気持ちを代表するようにオズオズとネギ先生が私に聞いてきた。遠坂と親しげな雰囲気だったので話を振ってきたと見える。だがそんな話を急に振られても非常に困る。 「えと、コイツはその……」  どうしたものかと言葉を詰まらせてしまう。どういう手段で今の姿をしているのかは分からないが、目的は理解出来る。変装だ。 現在の遠坂凛は臨時とはいえこの学園の中等部教諭という立場がある。そして今の遠坂はその立場でいることに不都合があるからこのような変装をしているのだろう。さらには、その不都合には自分達が異世界から来ている事も含めるのかもしれないのだ。  いずれにせよ、遠坂に口を塞がれた段階で本名を出すことは出来ないことは察しが着く。ではどうしたものか?   とっさに言葉の出ない私の前にすっと、人影が射す。遠坂が一歩前に出て、ネギ先生に手を差し出し、握手を求めていた。 「初めまして。わたし、遠坂凛の妹で『桜』といいます。ネギ先生ですよね? いつも姉がお世話になっております」 「は、はい……どうも……て、え? 遠坂先生の妹さんですか!?」 「はい。姉や志保、アルトリアからこの学園の事を聞いて、丁度学園祭だというのでお邪魔させていただきました。あ、この制服ですか? 貸衣装ですよ」 「は、はぁ……」  ニコニコと満面の笑顔を向けられ、ぎゅっと握手され、ネギ先生はどういう表情をしたらよいか戸惑っているし、頬がにわかに紅い。  にしても遠坂、桜の名前まで使ってなんという事をのたまうのか。だが、こちらの懸念に反して明日菜や刹那も信じている様子だ。残るエヴァ師匠はというと、 「ククッ、リンがあのような格好をするとは……」 「イヤァ、似合ッテイル似合ッテイル。ケケケ」  すでに幻術だと見破り、チャチャゼロと一緒にこの状況を面白おかしく笑っている。遠坂もその様子を分かっており、一瞬だけ鋭い視線を彼女に向けて余計なことは喋らせまいと釘を刺す。その視線のお陰ではないだろうが、エヴァ師匠は何も言わないでいてくれた。 「遠坂先生に妹なんていたんだ。確かに似ているわねぇ」 「……ああ、いつもあちこち飛び回っているから会うのは滅多になくて。なあ?」 「はい。ですので、サクラが麻帆良に来ていると聞いて驚きました」 「へぇー」  私とセイバーの言葉に明日菜は興味深そうな声を上げて、若々しくなった凛を見やる。正直騙しているので気が咎めるのと、バレはしないかと気を揉むので心中動転している。にしても、こういう時でも平然と話を合わせられるセイバーは流石王様というべきか。  私とセイバーの話で『遠坂桜』の存在を信じてくれたネギ先生達。それでもやっぱり、『これ以上追求されて欲しくないなぁ』と思っていたときに救いの声が廊下の向こうから聞こえた。 「間もなく舞台の修理が終わります。選手の二人は更衣室へお願いします」  声の主は武道会のスタッフだろう。救護室の外で次の試合の選手、つまり刹那と明日菜を呼ぶ声が響いてくる。 「……来ちゃったね」 「来ましたね」  声の指す『更衣室』というワードがどういう意味を持つのか、目の前に良い実例があるので二人の声は硬い。そしてその実例一号の私の出す声も同様。 「……がんばれ。二人なら何を着ても似合うと思うぞ」  うん。お世辞や励まし抜きで本当に何を着ても二人は似合うと思う。 「うう……ヒラヒラしたのじゃなければイイナ……」  同床相憐れむではないが、同じ目に遭うだろう二人に励ましをかける。でもやはり反応は鈍い。明日菜は盛大に肩を落として今から気落ちしているし、刹那も特に何も言わないが表情が硬いのがすぐに分かる。 「おっと、じゃあ私も戻るとしよう。そうそう、朝倉から聞いたのだが大会の華のテーマがメイドになっているそうだ。せいぜい笑わせてもらうぞ」 「……エヴァちゃん、ヒドイ」  間もなく試合が始まるとあって、エヴァ師匠もチャチャゼロを置いて出て行く。彼女の場合は警戒する遠坂が発する雰囲気が煩わしかったからかもしれない。 そして明日菜たちも。 「志保は? すぐに控え席に行く?」 「あ、いやもう少しここにいるよ。と……桜と話があるから」 「そっか、じゃあ気は重いけど行ってくる」 「あ……そ、そういえば次の試合はアスナさんと刹那さんの……」 「ええ」  刹那、明日菜、ネギの三人にプラスしてカモミールとチャチャゼロももうすぐこの部屋を出て行きそうだ。 「アスナさんも刹那さんもがんばってください!! 僕、二人とも応援していますから!!」 「……」 「ハイ」 「父親似ダナコレハ」 「まーな」  かなり気になる台詞のやり取りを救護室に残しつつ、ネギ先生たちも部屋を出て行った。両方取りをするネギ先生を明日菜が怒っていたな。刹那が肩に手を置いて宥めていたけど、大丈夫だろうか?  ともあれ、これでこの救護室には横になっている高音さんを除けば身内の三人になった。 「「「……」」」  救護室に来たほとんどの人が出払って数秒、互いに沈黙。セイバーも特になにも言ってこない。 ヤバイ、気まずい。こんな格好をセイバーや遠坂に晒さなければいかんとは。武道会で見知らぬ観客に晒すよりも数倍キツイ。  でも黙ったままというのも余計によろしくない。何か言わなくては。 「……遠坂?」 「何かしら? 衛宮君」  むう、この素っ気無い反応が怖い。でも、聞いておきたい事は確かにある。 「この部屋に自分達だけって理由、あるんだよな?」 「フウ、こういう時は妙に察しが良いわね。その通りよ————Das Schliesen——」  私の発言に遠坂はため息ひとつ。すぐに呪を呟き、それに反応して周囲の空気の質が変わった。私達三人がいる直径三メートルの範囲に遮音結界を展開したのだ。遠坂の技量ならこの中で爆弾が炸裂しても一切外に音が漏れることはない。聞かれたくない会話程度なら問題なく遮るだろう。 「こういう措置をとるってことは、よっぽどの事か?」 「ええ、だから眠っていると言ってもここの魔法使いには聞かせたくないのよ」  そう言って横になっている高音さんに視線を向ける。念には念をということか。  遠坂は単に私の様子を窺いに来たわけではない。確か超さんの事を殊更に警戒して独自に動いていたようだけど、彼女について何か分かったのか? 「そうね……まずはあんたも察していると思うけど、超鈴音についてよ。この姿をしているのもその為なんだけど……」  そうして遠坂の口から語られる話の内容は驚くべきものだった。話している相手が遠坂ではなく、内容に真実味が僅かでもなければにわかには信じられない話である。  超さんがこの学園の地下に大量のロボット兵器を貯めこみ、龍宮をも仲間に引き込んで学園祭中に何かを画策し、さらにはつい先程には調査に向かった高畑先生が彼女達に拘束されてしまい、この武道会自体もおそらくは超さんの策謀の一つになっているという内容だ。  確かに超さんがこの学園祭の裏で色々暗躍している気配は準備期間中から感じていた。が、それはあくまで学園祭を盛り上げ、楽しむためのものとばかり思っていたため、遠坂の話は寝耳に水であった。 「それで、遠坂は動きが取りやすい生徒の変装をして学園祭中の麻帆良を探っていると。それで超さんの狙いは分かったのか?」 「それが全然。沢山のロボットを準備したり、こんな武道会を開いたりで結構派手に動いてはいても肝心の目的が掴めないのよ。それだけに余計不気味ね」  今日までに遠坂が掴んだ超さんが絡む出来事。それらを聞き終え自分でも考えてみるが、やはり推測以上の事は出来そうにない。全体的印象として人目に付こうという雰囲気は窺えるけれど、それだけでは何も答えられない。  それに、今はただならない状況でもある。 「高畑先生だけど、拘束されているって本当なのか?」 「ええ、配置した使い魔からの情報だけど間違いないわ。いくら実力者と言っても消耗するような試合の後じゃ遅れをとってしまうわね。ケガを負わされたということはなかったけど、看過できる事態ではないことは確かよ。と言ってもここの魔法使い達にとってはだけど」  そうだ。超さんに高畑先生が拘束されているこの事態は見過ごせない。この学園でも指折りの実力を持っていてもあの激しい試合の後では無理が出来ないはずだ。すぐにでも救出しなくては。 「分かった。場所は裏手の地下水道でいいんだよな。すぐに——」 「ストップ。救出はここの人間に任せようと思うの。援護はするけど私達は裏方よ。第一、大会に出る選手がいなければ超が不審がるわよ」 「いや、でも……」  私が救出に行こうとするのを止める遠坂。確かに出場選手が突然いなくなれば超さんは怪しむだろうけど、そんなのは棄権と言うことにしておけばいい。棄権理由は師匠と戦いたくないとかだ。  でも彼女は首を振って、 「あんたもこの武道会でやりたい事があるんでしょ? 気がかり残して棄権なんて出来るの?」  こちらの胸を突く言葉で反論を封じてしまった。 「ぐ、む……なんで分かるの」 「分かるわよ。何年アンタといると思っているの? それでなくても分かりやすいくせに。ネギ君のことでしょ? 見ていて危ういものねぇ。セイバーもそう思うでしょ?」 「ええ、あれは私が出会った当初のシロウ並みです。ネギがあのまま成長したとしても、幸薄い生を送る可能性は大きいでしょう。シホが気にかけるのも無理ないことかと」  ぐうの音も出ないとはこの事か。私がネギ先生に対して持っていた感情を短い時間で看破されてしまった。それも二人同時に。 「そんなに私の顔は分かりやすいのだろうか」  両手を顔に当てて自分の表情を確かめてみる。うん、落ち込んでいるね。眉が下がっているよ。 「だから、救出云々はこっちに任せなさい。向こうだって高畑先生をすぐにどうこうする訳じゃないし、ここの魔法使い達だって有能なのが多いし、時間的余裕はあるわよ。それに事態もようやく動き始めたところよ」  つまり、遠坂は高畑先生をダシに超さん側を突付き、彼の救出に乗り出すこの学園の魔法使い側も動かす気でいる。そして遠坂は両者のぶつかる間隙をすり抜けて成果を得るのだろう。悪辣だ。でも効率的であり、こちらの手札を見せないやり方としてベストでもある。  しばらくの逡巡。でもここは遠坂を信じると決めた。迷っている時点でもう結論は出たようなものだからだ。この大会に気がかりは残せない。 「分かった、頼むよ。その代わり何かこちらがすることはないか?」 「ん? んー……そうね」  何気なく出た私の言葉に遠坂はしばらく考え込む仕草を見せ、次にこちらをとても素敵な笑顔で見詰めてくれる。ああ、これで何の邪気もなければ見惚れるんだがな。今の笑顔は何かきっと愉快な『迷案』を思いついた顔だ。 「学園祭でデートでもお願いしようかな。どう?」  ——案の定だ。 「どうって、超さんの陰謀とやらはどうするの? デートをする余裕はないと思うのだけど」 「勿論それは解決するわよ。でも、折角のこんな大きな祭りじゃない。楽しむ余裕はあって然るべきでしょ? ……第一、こっちに来る以前から半年ほどお互い忙しくしていてデートなんて久しぶりじゃない?」  笑顔から一転、遠坂の表情に影が差す。  ぬ、そう言えば前回からそんなにも経っていたのか。確かにご無沙汰ではあるなぁ。何だかんだで遠坂には迷惑もかけているし、寂しい思いをさせるのは論外である。むしろこれは準備期間中にでもこっちから提案すべきものだった。忙しさは言い訳にならないし、してはいけない。 「よし分かった。デートしよう……あ、いや、待って。今の自分はこんな風なのだけど、それでもか?」  そうと決めたら即断即決とばかりに言ってしまった。言ってしまってから、はたと思い直す。今の自分は衛宮志保。士郎ではない。こんなメイドもどきの姿も他から見て似合うと言われてしまう少女の姿。遠坂の恋人と胸を張れるようなものではない。ついでに身長差で釣り合いもとれない。これではデートと呼べるようなものにはならないだろう。  自分の言葉に自分でダメージを受けて、がくっと落ちる肩。今ほどこの少女の身が悔しいと思うことは他にない。今ほど遠坂に申し訳なく思うことも他に無い。  なんと、なんと言う事だ。こんな事もっと早くに気付くべきなのに……  知らず俯いていた顔。すると、肩にふわりと柔らかい感触が降りてきた。やや冷たいながらも柔らかなもの。それが遠坂の手だと分かり、顔を上げると至近の距離に彼女の顔があった。互いの距離なんてないに等しく、彼女の瞳に自分の姿が映り込んでいるのすら見えた時にはその僅かな距離もゼロになる。 「んんっ……んぁ」  前回と違って魔術的な意味合いはない、純粋に愛情表現の口付け。  しかも、 「っ! ぁう」  舌まで入れてきた。遠坂の舌がこちらの舌を絡め取り引っ張り出される。舌に感じる仄かな甘さと痺れる幻覚。  うあ、何か力が抜けてくる。前はこんなことなかったのに。  時間にして三十秒もない不意打ちの口付け。でも時間感覚も麻痺したようで十分のようにも三十分のようにも感じた。こちらの体から力が抜けすぎて自力で立っていられなくなりそうになった時、二人の距離は離れる。 「んぁ……ふぁ」  それでも至近の距離。遠坂の宝石のような目は私を捉えたままだ。そして彼女はこの距離で華麗に宣言を口にしてきた。 「それでもよ。アンタが志保だろうと、士郎だろうとわたしはアンタという存在を好きになんだから。これは誰にも文句は言わせない。それとも何? 文句あるの?」  宣言。まさに宣言とか誓いとかそんな堂々とした有無を言わせない言葉だ。 「お、おう。全く、全然ない。俺も遠坂の事は好きだぞ」 「ん、よろしい」  思ったままの言葉がポロリと零れてしまい、それに応えて今度は花咲くような笑み。先程のような邪気は一切なく、本当に見惚れる。やっぱりコイツには敵わない。それも一生涯だろう。でもそんな悔しさは今の遠坂の前では霞んでしまう。 こんな純粋な遠坂の笑顔が見られる機会はそうあるものではなく、だからこそ貴重で大切なものだ。こいつに付いてきて良かったと思う瞬間、間違っていなかったと思える瞬間。 「あの……二人の世界をお邪魔するのは非常に心苦しいのですが……」  互いに見詰める横からおずおずとしたセイバーの声がかかった。 「「っ!!」」  現状に気付いた私達。ほぼ同時にぱっと距離をとって離れる。具体的には一メートルほど。  全くどうかしていた。いくら身内のセイバーとは言え人前でいちゃつくとは、バカップルではあるまいに。セイバーも置いてけぼりを食らって、いい迷惑に違いない。目を向けてみれば、今の彼女は声を掛けて良かっただろうかと困惑した表情がありありと浮かんでいた。 「すまないセイバー。人目を気にしなかったこちらが悪かった」 「いえ、前々からお二人の事は承知しているので私については問題ありません。声をかけたのはこの部屋に人が近付いてきているからです」 「んっ、人払いの結界はかけていないから仕方ないわね。潮時かな——Das offnen——」  救護室に人が近付いているというセイバーの言葉を受けて遠坂は結界をすみやかに解除する。残留魔力も極めて微弱。この程度なら大源が豊富な麻帆良では周囲に紛れてしまうだろう。  私の耳も廊下を歩いてくる足音を聞き取った。普段ならセイバーに続いて自分でも気付ける距離だ。それだけ遠坂に魅入っていたんだろうな。 「じゃあ、ネギ君の時のように色々聞かれるのは面倒だし、わたし達は行くね」  結界を解除した遠坂は居住まいを正すと、セイバーと一緒に救護室本来の出入り口とは反対の襖に手をかける。確かに『遠坂桜』なる偽名はその場しのぎのようなものだし、人に広めるものではない。 「分かった。デートはこの大会が終わったらでいいか?」 「超の出方によるけど、そうね。詳しい事は後で携帯に電話するから」 「了解。それと、ありがとうな。なんかまた助けられた」 「……世話が焼けるんだから」 「では、後ほど」  若干頬を染めた遠坂と、微笑ましいという顔のセイバー。二人の印象的な表情を残してパタンと静かに襖は閉ざされる。その向こうからかすかに「あーっ、志保のメイド姿をからかい忘れたーっ!」などと素敵な科白が聞こえたような気がしたけど、きっと空耳、幻聴の類だ。  唇にそっと手をあててみる。愛しき魔女の感触がまだ残っているようで少し照れ臭く、そして嬉しかった。  遠坂が去ってカウント15で足音の主は救護室に入ってきた。 「あっ、衛宮先輩」 「ん、お邪魔しているよ愛衣ちゃん」  やって来たのは席を外していたと思っていた赤毛の魔法生徒、佐倉愛衣ちゃん。その格好はここに来た時と変わらず本校中等部の制服ままだ。一回戦の時小太郎に水へ落とされずぶ濡れになったはずなのだが、着替えた様子もないのに元通りだ。これも魔法によるものだろうか? 「いえ、構いませんよ。ところでお姉さまは目覚められましたか?」 「見ての通り私がここに来てから一度も目が覚めない。……ただの電撃、それも市販の護身用スタンガン程度の電圧なのだがな」  愛衣ちゃんの質問には胸が苦しくなる。あれから五十分ぐらいは経とうとしている。なのに、ここにやって来たみんなが騒がしくしても目覚める様子も無くこんこんと眠っている状態のままだ。  催眠の呪なんてかけた覚えはない。だったら何で? 「やっぱり、お姉さまは疲れていたのかもしれない」 「疲れ?」 「はい」  内心で困惑と心配をし始めていたところ、その疑問に答えるように愛衣ちゃんが口を開きつつ高音さんのベッドに近付く。そして彼女にかかっている布団を丁寧にかけ直しつつ、話を続ける。 「毎年この時期は学園祭の魔法面での警備、クラスの出し物の手伝いとかでお姉さまは忙しくしていますから。特に今年は前倒しでやって来た世界樹の大活性期ですし、多分寝る間もなかったんじゃないかな、と」 「そっか、疲れていたところを気絶。そのまま熟睡ね」 「おそらくは」  愛衣ちゃんの言葉を裏付けるように高音さんの呼吸は睡眠時のように規則的で、意識も多分深く沈んでいることだろう。個人差はあるがこれなら周囲の多少の雑音も気にならないはずだ。  寝る間を惜しんでの学園祭全般の仕事。真面目そうな高音さんのことだ表裏関係なくキッチリ全力で取り組んで完璧にこなし、その上でこの武道会に出たのだろう。無理がたたって当然かもしれない。 「ですので不謹慎かもしれませんが、衛宮先輩には感謝しています。お姉さまを休ませたかったのですが、私が言うといつも平気だとしか言わないので心配だったんですよ。正直言って今日一日は無理でも、この大会が終わるまではお姉さまにはこうしていて欲しいです」 「感謝はいいよ。結果としてそうなっただけだから」  救護室備え付けの折りたたみのパイプ椅子をベッドの傍に置いて愛衣ちゃんに勧める。後は私がいても邪魔にしかならないだろうし、彼女が座ったところで私は出て行くことにしよう。 「じゃあ、私はもう控え席のほうに戻るよ」 「はい。お見舞いありがとうございました」  踵を返して救護室の戸に手をかけ開く。後で聞いた話だが、この愛衣ちゃんのささやかな希望は結局叶えられなかった。なぜなら、高畑先生救出に動いた魔法使いが他ならない高音さんだったからだ。 舞台の方向からは歓声と白熱する朝倉のアナウンス。明日菜と刹那。二人の試合はすでに始まっていた。  ガンっと硬質な物体が素早く何度もぶつかる音がリングの上に積み重なる。その後に軽やかでしなやかな二人分の足音が追従し、時にリズミカルに時に無秩序に舞台の上を音で飾っていた。 「もう始まっているのか」  舞台の上で試合中の二人の服が動きに沿って翻る。明日菜は彼女の漏らした希望と反して随分とレースやフリルで飾り立てられたエプロンドレス。刹那は和服の割烹着を意識したミニ丈のワンピース。しかも猫の耳まで付いている。テーマはメイド及びお手伝いさん。今回も開催者の趣味が存分に盛り込まれた服装になっていた。救いがあるなら私よりも肌の露出が少ないことか。  お互いの得物は刹那がデッキブラシで明日菜がハリセン状態のアーティファクト。この二つがぶつかり合って先程から舞台を飾る音を作り出しているのだ。 「戻ってきたけど、もう始まっているね」 「ああ……遅かったな、志保」 「ホント、遅イゼ」 「お帰り姐さん」  大勢の観客に分け入って、どうにかリング脇の選手控え席に戻って来るなりエヴァ師匠のやや呆けた声に迎えられる。彼女がこういった驚きに満ちた声を上げるのは珍しい。  まともに出迎えてくれたのはチャチャゼロと彼女の被る帽子の上に陣取るカモミール(何故か包帯が体に巻かれている)ぐらい。少し離れた場所にいる楓と古さんもこの試合に目を釘付けにされている。 「どうしたんだ? 何かひどく驚いている様だけど」 「貴様、あれを見て分からんのか!? あの神楽坂明日菜ごときにあんな動きができるのだぞっ! ただの体力バカでは説明がつくものではない位お前でも分かるだろう」  がーっとした調子で舞台の上で刹那と剣を交える明日菜を指差し捲くし立てる。  その指の先、指された明日菜の動きは確かに尋常なものではない。刹那の動きに完全についていっており、太刀ゆき等細かな部分に素人臭さを残すも剣の早さにも合わせていた。 「うぅん、確かに今までの明日菜から考えると異常ではあるよな」  ぎこちなさはあるものの、一朝一夕で身についた動きではなかった。師匠の言うようにコレには違和感を覚える。修学旅行の後、朝夕と刹那に稽古を付けてもらっている明日菜だが、こんな動きが出来る気配はなかったし、何よりこの事に明日菜自身戸惑っているのが窺える。  こんな短い言葉のやり取りの間にも刹那と明日菜の剣戟は加速していく。  舞台を端から端へと移動しながら得物をぶつけ合う二人。並走しながら接近しては離れ、離れては接近するを五度。  そして明日菜の動きに何か思うところが刹那にもあるのか、一際大きく踏み込んで強打を打ち込み明日菜の動きを止めて勝負を仕掛ける。足を止めてのクロスレンジ戦へ。  互いの距離一メートルでデッキブラシとハリセンが弾け合う。数撃後、明日菜の横への大振りを誘ってふらりと下へ身を沈める刹那。気が付いたときには上下逆で身を縮めて攻撃態勢の刹那。体を伸ばし倒立。その勢いを借りた強烈な蹴り。揃えた足が下から明日菜を襲い、ピンボールの玉の様に舞台の上へと彼女を打ち上げた。  空中に飛ばされながらもハリセンで蹴撃を防いだ明日菜。それを見越してすぐさま倒立から戻り追撃に移る刹那。高速移動戦、接近戦ときて今度は空中戦に。  舞台の上空五、六メートルで追撃する刹那と迎撃する明日菜がぶつかり、互いの得物が噛み合う音が上から降ってくる。明日菜に空を飛ぶ術はなく、翼を使わない刹那も今は飛べない。当然引力に従い舞台に戻るわけだが、それまでに都合十合。  二人が舞台の上に着地するまで観客の誰もが言葉もなく、半ば呆然と試合を見ていた。その中で一番に呆けた状態から復帰したのはやっぱり朝倉だ。 「こ……これは意外!! 色モノかと思われたメイド女子中学生、予想以上の動き!! 先程までの試合にひけをとりません。予想どおりのモノが見れた男性陣からも賞賛の拍手が!!」  朝倉のアナウンスで会場に歓声が戻る。それは予想以上のものが見れた観客達の歓喜の声だった。  一連の二人の動きは時間にして三十秒にもならない。けれどその密度の濃い応酬に観客達は今まで言葉もなかったのだ。そしてその予想だにしなかった試合内容に良い意味で裏切られた彼らは、歓声を上げて盛り上がる試合に興奮の声をあげる。  さらにどうでもいい事だが、予想通りのモノが拝めた男性たちも喜んでいる。……やはり、派手だったな。コレも超さんの趣味と感性によるモノだろーか? 「むぅ……何故あそこまで動ける神楽坂明日菜。桜咲とのじゃれあいは知っていたが、それでああはなれないはず……」  隣でうんうん唸るエヴァ師匠。驚きは早くも疑問になっており、明日菜の一連の動きをつぶさに見、分析しているようだった。 「フフフ、あれはアスナさんが元から持っている力ですよ」 「——っ!」 「ぬぐっ、貴様……出たり消えたり」  驚いた。何しろ声と一緒に私の隣一メートルもない距離に突如として気配が生まれたかと思うと、ローブ姿の人影が幽霊のように出現したのだ。気付けば一歩大きく後ろに下がっている自分がいる。  こちらのそんな挙動を察したのか、ローブの人物は「おや?」という声を上げてこっちに顔を向ける。フードの下から覗くその顔は美麗に整い、とっさに男女の区別が付かないほど中性的だ。 「えっと……あなたは確か同じ出場者の……」 「はい。クウネル・サンダースと申します。クウネルとお呼びください」 「はぁ、クウネルさん、ですか。えっと、衛宮志保といいます。よろしく」 「はい。よろしく」  柔和な笑顔を浮かべて名乗るローブ姿の人物。  トーナメント表にもその名前はあった。明らかな偽名だが、突っ込まないのが礼儀か? すぐ脇ではクウネルさんの出現と同時に不機嫌度数が急激に増しているエヴァ師匠が彼を睨み付けている。敵意とまでいかないが好ましからざるのは明らかだ。  少し話を振ってみる。 「で、師匠、この方はお知り合いですか?」 「……お知り合いになんぞなりたくなかったがな。ボーヤの父親、ナギの友人の一人で本名はアル……「クウネルです」……貴様、その名前に何ぞ思い入れでもできたのか」  エヴァ師匠が本名を口にする直前にクウネルさんがそれを遮る。  まあ、本名を知らなくてもどういう人かは分かった。アクの強そうな人がまた出てきたものだ。しかも京都で出会った近衛詠春さん同様、ネギ先生の父親のナギ・スプリングフィールド氏の友人か。その上この人なんか、 「実体がない?」  本当に幽霊のように実体がない。存在感はあっても肉体としての厚みを感じないし、近いものでいえば小夜ちゃんだろうか? 「ほう? 初見でそれが分かるとはなかなかですねお嬢さん。しかもエヴァンジェリンの弟子、ですか……面白いですねぇ。貴女とも一度ゆっくりお茶をしながらお話を、と思いますが、どうでしょう? 学祭が終わってからでも」 「……考えておきます」  私の言葉にクウネルさんしげしげと興味深そうにこちらを見てくる。不快感はないがむず痒い。しかもこっちの様子を彼は理解している。理解している上でさらに楽しんでいる。ピンときた、この人嫌いではないが苦手なタイプだ。 「人の弟子を口説いている場合か。それに貴様。あの女、神楽坂明日菜に何かしただろう!?」  こちらの窮地を救ってくれたのは我らがエヴァ師匠。間に割り入ってクウネルさんに睨みを利かせる。その睨みは一種束縛の魔眼じみたものであることは実体験済み。なのに彼は平然と受け流している。コレだけでも只者ではない。 「まさか。私は少しきっかけを与えただけですよ」  ここまで言って何か思いついたのか、クウネルさんは割って入った師匠と向き合うと読めない表情で提案を出してきた。 「どうですエヴァンジェリン……古き友よ。ひとつ賭けをしませんか? 私はアスナさんの勝ちに賭けましょう」 「……何? ……お前の掛け金は何だ?」 「アスナさんについての情報」 「ふん……いいだろう。貴様が何をしようと奴が刹那に勝てるとは思わん」  提案されたのは賭け。Betされるのは明日菜の情報。提供される本人に無許可の提案だが、こちらが口を挟む間もなくトントンと話が進んでしまう。クウネルさんの言葉にあるようにそれこそ旧知の間柄で二人の呼吸は合っている。師匠は毛嫌いしているが、この間の取り方は付き合いの長さを感じさせるものだ。でも…… 「いいのかよ、提供される明日菜本人に無許可でそんな賭けをして」 「ええ、ですからアスナさんにはヒミツですよ、志保さん」 「え、あ、はぁ」  ポツリと漏らした私の言葉にクウネルさんは指を口元に立てて『シー』とポーズをとる。笑みを浮かべての態度だが彼の目は真剣な色合いを帯びている。秘密にしてもらいたいのは本心のようだ。こちらはその意外な真剣味に当てられて思わず頷くだけになってしまう。 「さて、賭けは成立ということでよろしいですね? そうですねー、ではあの神鳴流剣士のお嬢さんが負けた場合……」 「ん?」  スッと言葉と一緒にローブの袖から手が現れ、師匠は怪訝な声を出す。その手も細く、繊細そうで繊手という言葉がしっくりくるものだ。クウネルさんの中性さに一層拍車がかかる。  その繊手が再び指を立て、軽く振るわれる。すると『ポン』と軽い破裂音。同時にその手に何か物体が現れ、掴んでいる。凄い、無詠唱で物体の引き寄せ? そんな真似『こっち』の『魔術師』に出来る奴はそういないぞ。やはりこの人物は只者ではない。  が、その驚きや感心も引き寄せられた『物体』の正体を知るまでだった。 「あなたにはスクール水着[コレ]を着て次の試合に出て頂きましょう」 「待てぇい!! 何だソレは」  紺色の生地は師匠のサイズに合わせられ、胸が当たる場所には白い布地が縫いつけられてご丁寧に『えう゛ぁ』とマジックで書かれている。間違う事無くその形状はどこかの学校で指定されていそうな女子用水着。  詳しくもなければ知りたくもないが、一部男性諸兄におかれては魅惑のアイテムなんだとか。無論、その『一部』に自分は含まれていない。断じてだ。  ソレを賭けに負けたら次の試合で着ろというクウネルさん。驚きとともに顔を紅くする師匠。無理もない。あの舞台の上で衆人環視のもと水着姿とは、メイドもどきよりもキツいはず。 「うわぁ……」 「なっ……スク水!?」 「ドコマデ本気カワカンネンダヨ。コイツ」  クウネルさんの暴走に言葉もない私。スクール水着という魅惑のアイテム出現に驚きつつも興奮ぎみなカモミール。表情はなくとも呆れているのがありありと分かる声のチャチャゼロ。横で事態を見る立場の私達は、この後も弄られていく師匠を見ていくことになる。  こんな混迷する控え席の状況に関係なく、リング上の試合は中盤から終盤へと突き進んでいった。 あの空中戦から闘いは再び高速移動戦に移行していた。  明日菜も刹那もその高い身体能力と身の軽さをもって動き回ることを身上にしている。相手の攻撃を受け流し、捌くことを前提にする防御主体の私の剣術とは真逆の術理になり、足を止めての剣戟は二人にはほとんど存在しない。  舞台の上を右へ左へ、前へ後ろへと一秒とその場にいない。  二人の剣戟は刻まれ、出る音はとてもデッキブラシとハリセンがぶつかる音とは思えない。  ふと、唐突に剣戟が止まったかと思えば、あろうことか明日菜が後ろを振り向いてこちらに指を指してきた。 「ネギ、ちゃんと見ていなさいよ!!」  どうやらネギ先生にアピールしたいようだ。だが、彼は今ここにいない。私がここに来たときにはいなかったから試合開始前に移動したのだろう。「って、アレいない!?」などと彼女の言葉も空振る。 「アスナさーん、こっちでーす。ちゃんと見てますよー」 「何でそんなトコにいるのよ」  声は観客席になっている回廊から。見れば小太郎と、なぜか長谷川さんと一緒にいるネギ先生が手を振っている。大方、この控え席に戻れなかったため向こうに移ったと思う。私も戻る時大変だったし想像がつく。  一度空振った明日菜の指は今度こそネギ先生を指し、そうして試合を止めてまで彼女は宣言を始めた。 「と、とにかくしっかり見てなさいよ。私がちゃんとパートナーとしてあんたを守ってやれるって所を見せてやるわ!!」  実に高らかな宣言。うん、もう遠坂と張れるくらい清々しく純粋だ。  けれどまぁ、これで分かった。明日菜は一つの事柄に夢中になると周囲の状況が見えなく性分だと。でなければこの場所でそんな内容の台詞は言わない。 「え……」 「わ」 「……」  しばし会場の時が永遠と錯覚するほどに止まる。そしてどっと沸く会場。 『おおーーっと、これは大胆。試合中に愛の告白かーーー!?』  アナウンスする朝倉も「いやーん、アスナ」などと身をくねらせての実況。観客からは笑いとその大胆さを称える口笛まで鳴る。 「ちがーーーうっ」  大声で否定する明日菜ではあるが出てしまった言葉はそう簡単に引っ込めることは無理だ。彼女は言葉そのままの意味で口にしたが、それを信じる者はいないだろう。アレは朝倉の言うように誰にでも分かる熱烈な愛の告白以外何物でもない。 「こういうのも墓穴っていうのかね?」 「サアナ」  ポツリと自分の口から漏れた言葉はチャチャゼロにそっけなく返されて消えていった。 「あれ?」  大声で告白否定した直後、明日菜の体からカクッと力が抜けた。同時にこちらに来た時から彼女の周囲に感じていた圧力に似た空気が霧散する。明日菜の戸惑いぶりからすれば想定外の事態みたいだ。 「わ。ま、またあんた? ——で、でも私何だか全然わかってないけど……」  普通の人にはここまで耳に届かない声で虚空に話しかけている。……通信機を持っている風ではないし、あれは念話? それに答えている? じゃあ相手は……と消去法で思い至り、首をクルリと長身のローブ姿へ向ける。 「っ」  ウインクされた。ビンゴか。これも黙って欲しいのかまたも指を口元にあてたポーズ。 真意が見えないな、このクウネルさんと自称する人は。明日菜を手助けして何をするつもりなのやら。  幾ばくかこの気の抜けない人物に目を向けている間にも舞台の上の明日菜に変化は起こっていた。 両手に『力』を集約してそれを胸の前で合わせる。その瞬間巻き起こる颶風[オーラ]。帯電する空気を引き連れ、回転するジェットエンジンのような低い音をたてて、彼女の体から再び湧き上がる気配。それは先ほどと同じような張り詰めた剣気。  何をしたのかこれで分かった。高畑先生と同じことを明日菜がやってのけているのだ。こうして実際に見るのは二度目になる。観客たちは風圧で捲れ上がる明日菜のスカートに気が向いているようだが、私の目は昇り立つその『力』に引き付けられていた。 「あれも咸卦法……?」 「ああ……しかし、バカな! 『気と魔力の合一[シュンタクシス・アンティケイメノイン]』はタカミチも私の別荘で数年かけて修得したんだぞ!? そう簡単に……」  エヴァ師匠が古代ギリシア語で『相対立する二者の統合』と呼ぶ気と魔力を合一させる戦闘技法。聞いた限りでも相当な難易度を誇るらしいそれを、あっさり成功させてしまう明日菜。分る故の驚きなのか、師匠は二度目の驚愕の声をあげる。 「ええ、タカミチ君がんばりましたねぇ」  彼女の驚愕に応える声は暢気なクウネルさんの声だ。 「気と魔力を融合して身の内と外に纏い、強大な力を得る高難度技法。相反する力を融合して得る力の凄まじさは貴女も知ってのとおり。色々と素人なアスナさんは今のタカミチ君には到底及びませんが、それでもあの威力です」  楽しそうに解説をするクウネルさん。なるほど、賭け話を持ち出すからには何か裏がある。明日菜のコレがその根拠と。……明日菜はネギ先生に出会わなくても、元からただの一般人ではないのか? そしてソレを知るクウネルさんは一体? 「それをなぜあの女が使える!?」 「フフフ、なぜでしょうか」 「貴様!!」  にしても、二人とも本当に楽しそうだね。 「いきます師匠!!」 「ハイ!!」  停止していた闘いが再開される。お互いに踏み込んだ剣戟が弾け合い、剣舞は佳境に突入していこうとしている。魅せられる試合だ。個人的な意見を言わせてもらえるなら一回戦でもネギ先生の試合と甲乙付けがたい良い試合。ただ、賭けをしてしまい、隣で落ち着かない様子のエヴァ師匠は気が気でない。 「ええい、刹那!! 神楽坂明日菜程度に何を手間どってる!! 5秒で倒せ!! いや、殺(や)れ!!」 「冷静にね、師匠」 「ソウダゼ、オチツケ御主人」  とうとう野次まで入れだした。  そんな焦りを見せるエヴァ師匠に事態を悪化させる一言(猛毒)がクウネルさんによって注入される。 「エヴァンジェリン……賭け金をさらに上乗せしましょうか?」 「何!?」 「私の賭け金はナギ・スプリングフィールド……サウザントマスターの情報です」 「な……が……」  効果は劇的。エヴァ師匠は目を見開いてしばらくまともに言葉が発せられない状態で凝固してしまった。顔色も仄かに朱が差し、話だけ聞いている私でも彼女がいまだにかの人物を想っていることは明白だった。 「どうです、乗りますか?」  何と答えるか分かりきっているのにあえて聞き出すクウネルさん。口元が笑っているように見えるのは気のせいではないはず。 「の……ぐぐ……乗るに決まっているだろうがっ!」 「フフフ、了解です」  引くに引けない師匠が自棄みたいな声で返し、楽しげに応えるクウネルさん。正直ここまで追い詰められた彼女の表情はこの半年近くの付き合いで初めて見るものだ。そして、このクウネルさん本物の『悪魔』だ。破綻具合は時計塔のロードや聖堂教会の連中レベルではないか? 乗ってしまう彼女も彼女だが、にこやかに乗せてしまう彼も彼だ。 「な、なんかいいように遊ばれているような」 「アイツトナギダケハ御主人ノ天敵ナノダ」 「天敵か……分かるなぁソレ」  経験があるだけに天敵という単語は自分には非常に分かりやすい。師匠にしてみればこのクウネルさんはそれら天敵に類するものなのだろう。共感できてしまうなぁ、幸か不幸か。 「では、あなたにはさらに……」  クウネルさんがスクール水着を出した時のように指をひょいと一振り。現れるのは新たな物体。 「ネコミミとメガネとセーラー服を追加しましょう」 「ふざけるなーーーー」  今私が着用しているものと同じように獣耳が付いたカチューシャ、度の入っていないメガネ、夏服仕様と思われる半そでの白いセーラー服を両手に持ち、目を輝かせるクウネルさん。なんだ、その局地的な趣味が入っているセレクトは。これらを水着の上に着ろとでも?   ちょっと想像…………完了。非常に恥ずかしいことが分かった。あの水着をただ着るだけよりもきっと数倍トンデモナイ。 「な……わかってやがる!! コイツ只者じゃねえぞ!?」 「オ前トエロコンビ結成サセチマウカ」  後ろでは、新たなギミックの登場にボルテージが上昇するカモミールに新コンビ結成を提案しだすチャチャゼロが二人して盛り上がっている。  ここまでで頭をかすめた思考が一つ。それは、この新たな人物・クウネルさんは私にとっても『こちら』に来て最大級に苦手な人になるだろうという予感と予測だった。 『第八試合、神楽坂選手 対 桜咲選手!! 二人で舞を舞っているかのような華麗な攻防!!』  リング端で実況をしている朝倉の声に被る歓声が場内を埋め尽くしていく。二人の応酬も十分近くになり、そろそろ終盤になろうとしている。だが彼女達の試合に終わりが見える気配はなく、入れ替わりする足音、舞台上に響く剣戟の音が刻まれて、朝倉の言うように歓声を楽曲に舞台の上で舞を舞っているようだ。  一向に勝負が付く気配がない。それは隣にいる師匠がじれる要因でもある。隣を見てみれば先ほどから色々想像をめぐらしているみたいで、怒っているような、焦っているような、恥ずかしがっているような、そんな表情をクルクルと顔に浮かべて百面相をしている。それをさらに師匠を挟んで隣にいるクウネルさんが本当に面白そうに観察している。 「サウザントマスター……ナギ……」  余人には計り知れない想いがよほどあるのか、今度は思いつめた表情で自分の手を見詰めて物思いにふけ始めた。その思考を断ち切ってしまうのもやはりクウネルさん。 「結果が楽しみですねえ」 「ええい、うるさいっ」  試合はさらに進み行く。  果てが無いように思える明日菜と刹那の剣舞だが、刹那は明日菜に遠慮しているところがあり本気ではない状態。神鳴流の奥義を一度も使っていないのがその証拠だ。そこに明日菜が何故か使える咸卦法で身体能力を強化して食い付いていることで成っている拮抗なのだ。  刹那がこのまま遠慮している状態なら明日菜にも勝機があり、逆に刹那が本気の片鱗でも表せば明日菜の勝ち目は薄くなる。ここからどう転んでもおかしくない。その鍵を握るのはリング上のふたりではなく、 「セツナさんはまだあなたを侮っています。というか遠慮しています。隙を突けば今のあなたにも充分に彼女を倒せますよ。いいですか?私の言うとおりに動いてください」  私の隣で明日菜に念話をしているこのフードの人物だったりする。 確かにルールに抵触してはいないし、卑怯と言い出すほど甘いことを言うつもりはない。ただ、一体何の目的があってこれほど明日菜に肩入れをするのか分からないのが不安感を誘う。師匠もクウネルさんが明日菜に向けて念話をしているのに気付いており、不審の眼差しで彼を睨み上げている。それでも涼しげな表情を一切崩さないクウネルさん。この辺りの神経の太さは純粋に凄いと思う。  そして、クウネルさんのアドバイスを受けた明日菜の動きは目覚しいものに変貌した。  クウネルさんの念話で再び戸惑う明日菜の所作を隙と見た刹那が一気に攻勢に出て、勝負をかけてきた。首元を狙う軌道を描くデッキブラシ。それを明日菜は頭を下げてやり過ごすとすぐさま左手を跳ね上げ、刹那のブラシを持つ腕を逸らす。ほぼ同時に右肩は胴に当身を行い、さすがの刹那も転倒。そこに右手に持ったハリセンが振り下ろされ、リングの床に倒れた刹那の首の直ぐ横で停止した。  流れるような攻防一体の体術。相手の攻撃を捌くところから武器を突きつける段階まで遅滞なく、時間にして三秒と経っていない。  余りに唐突に訪れた拮抗からの変化に観客は咄嗟についていけず、場内は呆然とした静けさが訪れる。アナウンスする立場の朝倉も職務を忘れて目の前の事態に呆けている。でもそれも一時。次には大きなどよめきの声が場内を埋め尽くした。  この場で一番驚いているのはやった明日菜本人。ただ指示通りに動いただけなのに、彼女にとっての剣の師匠刹那が文字通り倒れているのだから。 「へ……?」  自分が何をしたのか今一つ理解できない表情で、ホケーっとハリセン突き出したまま固まっている。 「な……」  隣でもエヴァ師匠が完全に言葉を失っている。ただ一人、この事態を予想できているだろうクウネルさんは口元に微笑を浮かべたまま、静かに試合を見守っている。  倒された刹那もいつまでもリングの上で横になっているはずもない。明日菜が呆けている間に起き上がり、バネ仕掛けでもされているように素早くバク転を加え、間合いを取る。その表情は対戦者の素晴らしい動きに感銘を受けた喜びそのものだ。 「ス……スゴイ!! 今の動きは素晴らしいです!! アスナさん」 「えっ……ちょ、待っ……刹那さん。今のは違っ……」  刹那の高評価に戸惑うばかりの明日菜だが、『違う』と言うよりも早く刹那の次の攻撃が始まってしまい慌てて対応するしかなくなってしまう。彼女自身の思考はほとんど追いついていないにも関らず、体だけは的確に正確にまるで決められたルーチンをこなす様に動いていく。その事が余計に明日菜の戸惑いを大きくしているようだ。 間隙を窺う刹那が繰り出すデッキブラシの突きを、身を捻りつつしゃがんで避け、捻った体の勢いをハリセンに乗せてカウンターを繰り出す。その流れにも淀みはなく、いくらクウネルさんの助言があるとしてもこんなにスムーズに実行できるものではないはず。やはり、クウネルさんが最初に言った言葉にあるように『明日菜が元から身につけていた』のでなければ説明がつかない。 『ナゾのスチール製(?)ハリセンの神楽坂選手、デッキブラシの桜咲選手を動きでわずかに押しています。このまま押し切るのか!?』  ようやく復帰した朝倉のアナウンス。会場の盛り上がりも最高潮に達しようとしており、雰囲気としても試合内容としても終わりは間近になっている。 「……く、どうしても私に恥ずかしい格好をさせたいのかアルビレオ・イマっ」 「おやっ?」 「なっ!? 師匠!?」  隣で静かになっていたエヴァ師匠が突如としてクウネルさんに襲い掛かった。あまりの急展開に止める間もない。彼の首根っこを捉え、足を肩と脇の下に。見ようによってはクウネルさんがエヴァ師匠を肩車しているように見える風情だ。  次にキッと舞台の上を睨みつけ、大きく息を吸い込み、 「コラーーーーッ!! 桜咲刹那!!」  怒鳴りつけた。何か鍛えていることがあるのか半端ではない声量を誇り、舞台の上で名指しに呼ばれた刹那が驚きで体を震わせているのがここからでも良く見てとれる。 「京都神鳴流剣士がちょっとパワーが上がっただけの素人に何を手こずる!! さっさと倒せ!! 負けるなど私が許さぬ!!」 「い、いえしかし、このアスナさんの動きは本物……」 「騙されるな!! コイツが助言をしているだけだ!! ええい、貴様っ念話をやめんかあっ」 「ハハハハ」  何やら何処かの一線を越えてしまった師匠。恥も外聞もなく刹那を怒鳴りつけて、その腕は念話で助言しているクウネルさんの首をぎゅうぎゅう締め上げて前後に激しく揺らしている。いくら実体ではないとはいえ、涼しい顔をしていられるクウネルさんも豪の者だ。 「止めないのでござるか志保殿?」 「アレを止められると思うか?」 「……難しいでござるなぁ」 「エヴァにゃんがただの駄々っ子アル」  師匠がクウネルさんの首を締め上げている事に、さすがに見かねた楓が声をかけてきたけどコレは私達ではどうにも出来ないと思うよ?   クウネルさん実体ではない上、平然としているから問題はなさそうなのが救いか。その間にもクウネルさんの肩の上でエヴァ師匠はさらにヒートアップしていく。 「お……お前が負けるとだな、私がとてもハズかしいコトになる!!」 「ハ、ハァ?」 「とにかく勝て! いいか? もし負けでもしてみろ、お前には……あーー、お前にも私と同等の、いや私以上の恥辱を与えるとしよう。私が直々にだ。そうだな、お前の大切なお嬢様の眼前で……」 「ちょっとーーーッ!?」  刹那に『お仕置き』宣言までぶち上げてくれやがります。目は異常な光をたたえ、息も荒く、明らかに興奮のあまり正常な認識能力を失っている師匠。短い付き合いとはいえ、ここまで冷静さを欠いている彼女は初めて見る。いや、今日は初めてづくしだなぁ…… 「コレが悪か?」 「イヤ、テンパッテイルダケダ」 「エヴァ師匠、クウネルさんから降りた方がいいのでは? 迷惑な上にはしたない態勢ですよ、今の師匠は」  カモミールとチャチャゼロが半ば呆れるようにエヴァ師匠を見上げる中、興奮の熱が少しは引いた彼女に声をかけてみた。 「ぐっ……」  するとさすがに今の自分の状態に思い至ったのか、冷静さを取り戻した師匠は一度自分の締め付けているクウネルさんを睨みつけると、その肩から滑らかに飛び降りた。 「いや、助かりましたよ志保さん。いくら実体ではなくとも苦しかったですからね」 「はぁ、どういたしましまして?」  全然苦しそうだった様子もないクウネルさんに礼を言われるのもどうだろう? 師匠はその彼からそっぽ向いて、拗ねたような表情でご機嫌ななめ。大方、興奮状態でやってしまった自身の行状にバツの悪い思いをしているのだろう。  こんな控え席のやり取りに多少引っ張られながらも、舞台の上での二人の剣舞は終わりを迎えようとしていた。 『何やら選手席がもめているようですが、会場と試合内容はヒートアップ! さて、どちらが勝つ!?』  朝倉のアナウンス通りに舞台での試合内容に引っ張られるように観客席の歓声は熱を帯びだし、彼女自身気付いているのか朝倉の声も熱気を持ったものになってきている。 「それでは、次です」  そんな中、エヴァ師匠の束縛から解放されたクウネルさんは明日菜にさらなる助言を与えるように念話を再開しだす。ワザとなのか、さっきから実際の声としても小さく聞き取れる。  その念話に反応して打ち合っている明日菜に反応が出る。答える明日菜も念話には結構大きな声で返しており、事情を知らない者が見ればかなり変わった光景に見える。 「あっ……ちょ、ちょっと待ってよクウネルさん」 「どうかしましたか? アスナさん」 「あの……助言はいりませんので、その……やめてください!」 「何故です」 「だってヒキョーじゃん!」  再開された念話を明日菜が拒否した。きっと、さっきのエヴァ師匠とクウネルさんのやり取りを見て思うところがあったのだろう。助言を貰って闘う事が後ろめたく感じているのかもしれない。 「しかし、あなたはこの試合に勝ってネギ君と戦いたいのでしょう?」 「げっ、何で知っているんですか——と、とにかく。自分の力で戦わないと意味がないんです!! 本気でやっている姿を見せないと、あのバカ頑固だし届かない気がする……から。だから……私一人でやらせてください!!」  明日菜の本心はネギ先生と闘い、その上で彼のあの歪な部分をぶっ叩いて矯正することにあるのか……なるほど、彼女本当に面倒見が良いのだな。その上で体育会系……いや、人のことは言えないか。私もその考えが頭にあるのだから。 「ふむ……なるほど」  明日菜の言葉にクウネルさんのフード下に見える表情も思案顔だ。けれど彼の言葉はすぐに出てきた。 「しかし……それでは勝てない。いいのですか? ネギ君をあのままにして」 「……っ」  彼の念話を受けた明日菜の体が軽く震えて止まる。その言葉にどれほどのショックを感じたのか、念話を受けている間でも構えていたハリセンが下りてしまい、完全に棒立ちになっている。  無論、そんな隙だらけなのを見逃す対戦相手でもない。 「アスナさん!!」  刹那の裂帛の声に明日菜が我に返る。わざわざ声をかける辺りは正面勝負を望む刹那の剣士としての矜持ゆえだが、繰り出される攻撃に容赦はなくなっていた。  『気』を乗せた左の手刀を右から左に横一線に振り抜かれる。  ——神鳴流奥義 斬空掌・散!!!  手刀から水飛沫のように飛び散る幾筋もの『気』の弾丸。本気になった刹那がついに『気』を用いた奥義を繰り出し、倒しにかかってきた。 「!」  ハリセンを前に出し、どうにか防ぐ態勢でこれをしのぐ明日菜。その彼女の周囲に気弾が着弾し破裂、動きが『縫われた』これは間違いなく牽制。続いて来るのは本命の一撃。 「確かにあなたの言うとおりあのコには危ないところがある……あのままにしてはあのコ『をも』失うコトになるやもしれませんよ」  危機的状況なのに更なる念話を発するクウネルさん。これは流石に止めたほうがいいのか?  「えっ……っ!」  案に違わず。気が反れた明日菜が再び刹那の存在に気付いた時には必殺の一撃が叩き込まれる直前だった。動きが縫われた上に気が反れたことで、かわすのも防ぐのも手遅れの状態になっている。 「いきます!! アスナさん」  上空数メートルへ跳ね上がった刹那がデッキブラシを振り上げ、そこに『気』が密度を上げて集束される。落下速度と集束した気を合わせた一撃は防御も回避も困難な神速の一撃になり、真っ直ぐ明日菜に向かって落ちていく。  目を見開いて立ち尽くす明日菜。一応構えは取っているが動ける様子ではない。呆然と自分に向かって飛んでくる刹那を見上げるばかりだ。勝負あり、か。  そう思った瞬間に勝負は決した。時間にして一秒あるかないかの僅かな時間。おそらく一般の観客ではその様子を見て取ることが出来た者はほとんどいないだろう。 「うっ……」 明日菜が一瞬、何かの痛みを感じるように俯いた。と思えば、直ぐに顔を上げ迎撃に打って出た。  その時にはほとんど目の前に刹那のデッキブラシが迫ってきている。その距離、間四髪。 明日菜の左腕が高速で跳ね上がり、唸りを上げて螺旋を描く。咸卦法による身体能力強化というものは早さというものも加速させるのか、その動きはこの試合で最速であった。  『気』が込められた圧倒的な剣圧をものともせず、腕が振り下ろされるデッキブラシを巻き取り、外へと流した。同時に右腕はハリセンを振りかぶっており、受け流す動作で生まれた体の捻りをそのまま予備動作にして刹那の首筋へと剣閃を奔らせた。 「っ! ……かはっ」 刹那は驚く間こそあれ、防ぐことも回避も叶わず、意識を刈り取られ、落下。舞台に落ちた。  パーンと、ハリセンの乾いた音が会場に響き、直後にドサリと刹那が舞台の上に倒れる音。 「おや」 「な……が……」  流石に予想外という表情で首を軽くかしげるクウネルさん。隣ではあまりの大番狂わせに口を開いて呆けてしまう師匠。会場も一瞬で決まった決着を理解するのにしばらく時間が必要だろう。 「クウネルさん。何か助言しました?」 「いえ、私は全く。アスナさんの今の動きは彼女が自分からした動きです。にしても、あんなコトをアスナさんが出来るとは……今のは『化勁』に類する動きです。中国拳法なんて一体どこで……?」 「……あ」  クウネルさんの言葉に思い至った。明日菜は鍛錬として刹那と剣を交わすのが主なのだが、明日菜・刹那の二人に頼まれて私もそれに参加している事が多い。その折、ネギの習う中国拳法に興味を持った明日菜が参考までにと、聞いてきた事があった。その時に教えたのが化勁。螺旋を描く腕をもって相手の拳を巻き取って受け流す基本技の一種だ。思いの外飲み込みが早い明日菜であり、その日の稽古にはもう動きに組み込んでいたのを覚えている。  あれ以降は「やっぱりちょっと私には無理かも」と言って、目にすることはなかったがここで再び披露するとは。しかもあそこまで素早く完璧にだ。正直、驚くというより呆けてしまう。 「その様子では、アレを教えたのは貴女ですか」 「えっと、はい。参考程度に数回。でも実践であそこまで出来るとは思いもしませんでした」 「……なるほど」  得心がいったという表情のクウネルさん。その横では引き続き呆然自失の師匠。 『あ……えっと、桜咲選手ダウン!!』  ——ウオオォォォ  ようやく状況に付いていけた朝倉のアナウンス。それに呼応するようにどよめき混じりの歓声が会場を包み込んだ。 『解説の豪徳寺さん、今のは一体?』 『ええっと、一瞬の事でしたのでハッキリとは言えないのですが、神楽坂選手が桜咲選手のブラシを受け流してカウンターを決めたようですね。いやースゴイ』  茶々丸さんと解説役の豪徳寺さんが今の決着について解説を入れている。その間にも朝倉は「ナイン、エイト、セブン……」とカウントを取り続ける。そして—— 『テン! 神楽坂選手、勝利ーッ!!』  刹那がカウント内に起き上がることはなく、高らかに明日菜の勝利が宣言された。湧き上がる大歓声。途端、立ち尽くしていた明日菜が急に左右を見て動揺しだした。 「……え? あれ? 私は……っ! 刹那さん!? はぇ? ウソ、私の勝ち……?」  何やら、あの一瞬のことは全然覚えていない様子。自分が勝ったことが全く信じられないみたいで、今度はクウネルさんを睨んだ。 「ちょっと、クウネルさん! あなた、私に何かしたんじゃないでしょうね!?」 「いえいえ、私はそんなことは。アレは間違いなくアスナさんの力ですよ。それより、神鳴流のお嬢さんは大丈夫なんですか?」 「あ、そうだった! 刹那さん、しっかりして!!」  クウネルさんに指摘されて倒れた刹那に向き直る明日菜。見た目に外傷はなく、心配される内部のダメージも推測になるが『気』による恩恵か、深刻なことにはなっていないだろう。  深刻なのは隣のエヴァ師匠だ。 「負けた。そんな……バカな……私が下等な人間の前で恥ずかしい格好をしなくてはいけないなどと……負け……夢ではないのか? ハハッ……くっ、何て、何てことだ……」  舞台を囲む水場との間に設けられた柵にもたれ掛かり、力なくガックリとうな垂れ、小声でボソボソと独り言を呟く様はまさに敗者そのもの。 「スク水ダナ、御主人」 「何か見ているコッチが気の毒になってくるくらいの落ち込みぶりだな。そんなにイヤなのか? 悪くネーんだがな、スク水……」  すぐ傍で喋っているチャチャゼロとカモミールの言葉も届いていないみたいで、現実のあまりの非情さにとうとう両手で頭を抱え込み小さくなってしまった。  そんな打ちひしがれた師匠にかける言葉がとっさには見つからない。どうしたものかと内心思い悩んでいると、救いの手は賭けを持ちかけた本人から差し伸べられた。 「安心してください、エヴァンジェリン。賭けなどなくとも情報は二件とも教えて差し上げますよ」 「なに?」  師匠が顔を上げるのに呼応して、クウネルさんの表情がにこやかなものへとなっていく。 「私は久しぶりに貴女の慌てふためく姿を堪能したかったのですよ。フフフ、素晴らしい反応でした。満足です」  うわぁ……エヴァ師匠が本当に気の毒になってきた。まさか相手の反応を楽しむためだけに賭け話を持ちかけてきたとは思いもしなかった。  クウネルさんの言葉にようやく自我を取り戻した師匠の表情がみるみる怒りの色に染め上げられていく。 「貴様ぁっ! さては最初から!?」  顔を怒りで紅く染め、クウネルさんに再び踊りかかった師匠は、今度は胸倉を掴み、前後に揺すりだす。それでもやはりクウネルさんは涼しい笑顔で彼女に言葉を返すのではあるが。 「それはもう、賭けなどなくとも教えてあげますよ」 「おお己はぁ!! また私をからかうためだけに!!」  すぐ傍にいる楓や古さん、私やカモミール、チャチャゼロなど衆人環視のなかであるにも関らず、師匠の暴れぶりは収まらない。口ぶりからして、以前からクウネルさんによって似たような経験を何度させられたのか、その分鬱積した感情が爆発したようだ。普段見せる高貴さや尊大さなど一切かなぐり捨てて、クウネルさんの胸倉を掴んで暴れる姿は見た目通り、子供のかんしゃくにしか見えない。 「いい性格してんなー」 「相手ニシネーノガ一番ダ」 「確かに。私も苦手だな、あの手合いは……」  はたで見ている私達三人に共通する項目が今出来た。それは、クウネル・サンダースとは距離を置こうというまったく嬉しくない共通認識だった。 「ホラホラ、最強種ともあろう方がはしたない」 「あっ、バカ、コラ、離せ」  どこをどうやったのか、胸倉を掴み上げていたエヴァ師匠の襟を掴み、まるっきり子猫を扱うように摘んでしまうクウネルさん。ジタバタ暴れてもまるで動じず、平然としている。いくら師匠の力が制限アリといってもこうも簡単なものではないのに。底が知れない人物だ。 「それより情報は!?」 「まぁ、積もる話もあるでしょうし学祭後にでも……」 「ふざけるなーーっ」 「やれやれ、15年も待ったのに2,3日くらい……」 「う、うるさいっ……」  完全にクウネルさんの手玉に取られている師匠。もはや暴れる気力も尽きたのか、だらーんと手足が下がってそれが一層子猫のイメージを強くしてしまう。 「あ、それとですねエヴァンジェリン。やはり賭けは賭けです。そうでなくても情報の対価は払う必要はあるでしょう。ね」  本当に嬉しそうな声を出したクウネルさんが、師匠を摘んでいる手とは反対の手から例のスクール水着以下ネコミミなどのセット一式を取り出し、師匠に見せる。視認した途端、みるみる青ざめる師匠の表情。 「どうしても、なのか?」 「おや? かのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルともあろう人が、負けたからと言って賭けを反故にするのですか?」 「ぐ……むむ……くそっ! 分かった、着てやる! 着てやろうではないか! その代わり、情報を聞いた後どうなるか覚悟しておけ」 「ええ、楽しみにしておりますよ」  クウネルさんの腕から水着一式をぶん取る師匠。その表情は苦りきったものだ。ああ、本当にアレを着て次の試合に出場するんだ……ん? 待てよ、師匠の次の試合って確か—— 「私との試合でアレを着るのか?」 「ソウイウコトニナルナ」 「これは一体何の死刑宣告だ?」 「マ、成仏シナ。灰グライハ拾ッテヤル」  スクール水着一式を着せられ、屈辱に燃えるエヴァンジェリンの前に晒される犠牲者になるのは私。死刑宣告同然なことは、怒りと屈辱で瞳に炎を燃やしているエヴァ師匠を見れば一目瞭然。きっと犠牲者は丁度良い憂さ晴らしにミンチにリンチされることだろう。 つまり死ねと? 「運命というものを本気で考えたくなってきたよ」 「ケケケ、運命ッテナァ残酷ニハタラクヨウニデキテイルンダゼ。昔カラナ」  今日一番の至言がチャチャゼロの口から出てきた。確かにその通り。考えるまでもない。だったらそんな残酷な状況でどうにかするのが人というものか。 「分かってはいたつもりなんだがな……まだまだ甘かった」  ポツリと漏らす言葉は益体もなく、ただ武道会会場の歓声に飲まれて消えていった。  この試合で武道会第一戦は終了し、程なく休憩が挟まれ第二戦が始まる。華やかな武道会の奥深く、仄暗い場所でディスプレイを見詰める少女が一人。 「フフ、なかなか派手になてきたネ。そうでなくては」  微笑し、振り返る。そこには気を失っている高畑と機能を停止している『ちびせつな』の姿。それを見て、気がつくにはもう少しかかると少女は怜悧な脳で理解する。 「さて、ハカセの様子を見てこようカ」  少女は部屋を出て行き、残された二人は目覚めず暗闇の中。煌びやかで華やかな学園祭の舞台裏で少女の計画は順調に進展していた。 武道会一回戦、最後の試合。神楽坂明日菜と桜咲刹那の闘いは明日菜の勝利という形で幕を閉じた。紙吹雪と歓声は二人の少女の華麗にして苛烈な熱闘を称えて途絶えることなく降りしきった。  選手控え席でエヴァンジェリンがクウネルによってとことん弄られている場面と時を同じくして、舞台の上では明日菜が自身、訳も分からない間に自分が倒してしまった刹那の介抱をしていた。 「う……ん……私は……」 「せ、せつなさん……大丈夫?」  首筋を強く打ち気絶した刹那ではあったが、幸いな事に日頃から鍛錬した肉体と『気』の守りにより深刻な事にはならずに済み、明日菜が軽く揺すり声を掛けただけで意識が戻ってきた。目を覚ました刹那は数秒間その瞳を左右に漂わせていたが、明日菜が安堵の表情で自分を見下ろしている事実が気を失っていた事を自覚させて、それがどういう意味を指すかと思い至った。 「私は負けたのですね……」 「う、うん……なんかそんな事になっちゃっているんだけど……あ、立てる?」 「あ、はい。なんとか」 「よ、よかった……倒れたままだったらどうしようかと思った」  明日菜が差し出した手を借りてゆっくりと立ち上がる刹那。気絶の影響で多少フラつくものの大事にはならず、すぐ無事に立ち上がることが出来た。 「ゴ、ゴメン刹那さん。私、途中で訳わかんなくなって——」  刹那が立って、開口一番に謝罪の言葉が明日菜の口から飛び出てきた。無我夢中と言えば聞こえは良いが、打ち込んだ場所が首だ。一歩誤れば大怪我になるところであった。そのことに明日菜は自責に駆られ、気付かないうちに目じりにうっすら涙が出始めだしてもいる。 「私、あんなこと言っといて、刹那さんに大ケガさせる所だった。こんなんじゃパートナーとして誰かを守るどころか……ゴメン刹那さん。私……」  とうとう両手で顔を覆ってしまい、泣き出す一歩手前だ。  ここで今まで明日菜が言葉を捲くし立てていた分、発言の機会がなかった刹那がすっと手を動かす。その手は中指を丸め、その上から親指で押さえつける俗に『デコピン』の形状をしていた。  ビシッと撃発された指が明日菜のオデコを正確に打ち抜く。 「でっ!?」  神鳴流剣士の鍛えられた肉体から弾き出されたデコピンは、俯いていた明日菜の体を強引に仰け反らせる威力をみせた。俯いている明日菜に話は出来ない上に似合わない。そう思った刹那の強引な処方だ。 「バカですねアスナさん。不覚こそ取りましたが、私があれ位のダメージでどうにかなるとでも?」 「へっ……」  言われて明日菜は改めて刹那を上から下までざっと見てみる。  立ち上がるときにフラついた足はすでにしっかりと舞台の床を踏みしめており、こちらを穏やかに見つめる表情に無理をしている様子がないことは素人に毛が生えた程度の明日菜の観察眼でも理解できる。  つまり、気絶はしたが実質ノーダメージに近いのだ。 「やられてしまった手前説得力に欠けますけど、私を本気でどうにかしようと思ったらまだまだ修行が必要ですよ」 「え……」  何でデコピンをした上に急にこんな事を言い出したのか図りかねた明日菜が戸惑いの声を口から漏らしたが、答えはすぐに出てきた。 「ネギ先生のことが心配なら、私達で守ってあげればいいんです。あのコがまた無茶をしそうになったら、私達があのコを守りましょう。例えどんなコトがあっても」 「う……」  試合前に更衣室で交わした会話の中、ネギの行く末を危惧する明日菜への優しい言葉だった。一人きりで誰にも頼らず、父親の背中を追い続けるネギ。その姿に一種の危機感を抱いていた彼女に向けての一つの答え。  一人で走ってボロボロになるのなら傍に寄り添い守ろう、襲い来る危難を自分達が払いのけていこうという誓い。その時の刹那の表情は負けたに関わらず晴れやかで、どこまでも穏やか。同性であるはずの明日菜さえ思わず見惚れるほどの魅力的な表情だった。 「ネギ先生がお父さんしか見ていないのは歯がゆいかもしれませんが……」 「いや、まあ、それはどうでもいいんだけど」  すぐに転じて笑顔になる刹那に明日菜は完全に毒気を抜かれてしまって、当初の気持ちが跡形もなく消えていたのを感じる。その明日菜の雰囲気の変化を感じ取ったのか、刹那は気を引き締める表情をとり、続く言葉を口にした。 「そのためには、さらにまだまだ修行です。アスナさん。今の試合の感じなら本気で修行すればかなりいい線までいけますよ。……何しろ私をこうして負かしているのですから自信は持って良いかと思います。まあ、アスナさんが望むならばですが」 「う、うん……」 「油断したとはいえ、私はアスナさんの言う通り真剣に戦いました。次のネギ先生との試合、アスナさんが望んでいるものになるといいですね」 「ありがとう、刹那さん」  言外に胸を張れと背中を押されたような気がした明日菜。彼女の手は言葉と一緒にごく自然な動きで刹那の手を求め、刹那の方でも当たり前のように手が差し伸べられた。そして、二つの手は当然のように結ばれ固く握手が交わされた。  出席番号32番 衛宮      第27話 学園祭・Show Down ㈿ 『おおっ、激しい戦いで友情が芽生えたか!? 爽やかな握手です』  朝倉のアナウンスに続き、舞台の上の二人の闘いを称える観客から暖かな歓声と拍手が会場を優しく包む。  回廊にある観客席の一角、舞台の上で激闘を演じた二人の関係者達は大きなケガもなく終わった試合にホッと胸を撫で下ろしていた。 「はーーーー……よかったぁーーーせっちゃんケガなかったし、アスナも大丈夫やったみたいだし、ホントよかった」  木乃香が大きく息を吐いて、全身で安心したと表現している。同じくすぐ傍で観戦している図書館探検部の三人も、試合中の二人の尋常ではない動きに驚きが先立ってはいたが無事に終わったことに安堵していることに変わりはなかった。 「途中からの観戦でしたが、今回も素晴らしい闘いを見ることが出来ました。セツナは言うに及ばず、アスナのあの動きも瞠目に値しますね」  驚き半分安堵半分の図書館探検部の横で、セイバーは先程の闘いに惜しみない賞賛と、控えめながらも確かな拍手をリングから降りる二人に向けて送っている。  救護室を辞したセイバーは再び『舞台裏』に潜り込む遠坂を見送ると『表』で志保の戦いぶりを見守ると同時に、武道会の流れを見極めることにした。詠唱さえなければ魔法使用もアリというこの大会、何かしら超鈴音の仕掛けがあって然るべきだと思ったからだ。裏は遠坂が探るとして、表で事態の推移を見極めるのも重要だと認識したセイバーは試合の観戦と一緒に武道会会場全体を視野に入れることにしていた。  今のところは参加者が尋常でない動きを一般人に露出している以外問題は特に見当たらない。が、油断は禁物だ。身近なところでは———— 「アルちゃんの言う通りだねぇ、アスナの奴体力バカとは思っていたけど、あんなスゴイとは。あそこまでスゴイと何か『魔法』じみているよねぇ」  一般人・早乙女ハルナの妙に穿った発言に分かりやすく反応する魔法関係者・宮崎のどか、綾瀬夕映、近衛木乃香の三人。セイバーは曲がりなりにも権謀術数が常套手段として存在する国政の場にいた過去もあり、ピクリとも反応しなかったが内心拙い事態になっているな、とため息をついていた。  大会参加者の大半が魔法関係者のうえ、詠唱さえなかったら魔法使用も問題なく、刃物火器でなかったら武器使用も許可されるこの大会。必然、試合内容は常人が想像できない域に達する苛烈なものになっており、事情を知らない観客達はその内容に驚嘆していた。  そして何処からか囁かれ始める『魔法』という単語。いまこの武道会会場の中限定だが、その言葉はまことしやかになってきているのだ。セイバーはこんな観客達の雰囲気に嫌な予感を覚え、不安を感じていた。その不安を確定的なものにするアナウンスが会場に流れた。 『これで1回戦全ての試合が終了しました!! 試合結果を特別スクリーンで御覧いただきましょう!!』 「む、あれは?」  アナウンスと同時にリングとなった舞台の上空十メートル程の高さに四面の巨大なスクリーンが出現していた。しかもそれはワイヤーもなく、繋がっている機器の姿もなく、さらに投影されているホログラムというわけでもない。ただ純粋に巨大な画面がトーナメント結果を表示しながら浮かんでいるのだ。  ——オオッ スゲー空中に映像が  ——工学部の新技術か!?  明らかに現代の技術ではあり得ないスクリーンの出現に観客席にどよめきが奔るが、それも『工学部の新技術』で片付きそうだ。しかし安堵するにはまだ早い。  スピーカーから流れ出るアナウンスは2回戦までの20分の休憩を告げ、臨時観客席の設置を告知し、同時に本殿そばで大会スタッフがその臨時観客席を設置すべく、凄まじいスピードで資材を搬入し組み立てていた。これならば20分で設置が完了することだろう。問題はそのすぐ後だった。 『では、休憩の間1回戦のハイライトをダイジェストでお楽しみください。まずは1回戦 村上選手 対 佐倉選手……』 「なっ!」  観客席が浮遊するスクリーンに浮かぶ映像に改めて歓声を上げ、セイバーは言葉を失う。それは数分前まで行われていた試合がそのまま見事なカメラワークで映像として出ているのだ。『撮影禁止』で記録など残るはずがないことになっているのに。 「これは……主催者側の撮影は許可されているということですか?」 「アルトリアさん、どうもスクリーンばかりじゃないみたいです。ほら」  事態の変化に体に力が入り、身構えるセイバーの前に綾瀬の携帯電話が差し出される。その液晶画面にはネットを通じて広く武道会の様子を宣伝している。映像にはネギが高畑と闘う様子や、志保が高音の繰り出す影を捌く様子がアップされていた。 「……なんと」 「他にもネット上の掲示板ですが、この1回戦終了と同時に相当な数の書き込みがあるようです。ログによると下地となった話題は一週間位前からのようですが……」 「ネット……電子の海が彼女の武器でしたか。しかもすでに種は蒔かれている」  想定していなかった、いや想定できなかった盲点を突かれた。セイバーはそう実感した。 これまで戦ってきた『向こう』の相手は魔術との付き合いが深くなればなるほど現代文明の利器を避ける傾向にある。注意を払うべきは現実に存在する脅威。しかし今回は赴きが異なった。不確かな情報を電子の海を通じて操作し、無いものをあるように、秘めたものをより白日のもとにさらけ出そうとしている。揃える兵隊は電子機器の塊であるロボット。機械と電子を手足のように我が物とする超鈴音。これは今まで対峙したことのないタイプの相手だ。 「リンシェン。どうやら思った以上に途方もない相手のようですね」  この武道会の主催者・超鈴音。セイバーの意識は彼女に持っていた危機感をより強めて呟いく。学園祭二日目。前日に続いて好天に恵まれた空の下、確かに蠢く何かを剣霊は感じ取っていた。  1回戦のダイジェストを映すスクリーンは遠坂も見ていた。現在彼女はセイバーのいる回廊観客席より二十メートル離れた神社本殿近くに身を潜めていた。そこが会場各所に仕掛けられている監視カメラの死角になる位置であり、監視者に察知されない位置でもあるからだ。 どうも1回戦終了辺りから会場周辺の警備が厳しくなっており、迂闊に動けそうもない遠坂はこの場所で足止めを食っている。 「参ったわ……」  漏れる言葉はリング上空で試合の映像を映し出しているスクリーンに対してのものと、会場周辺を警備している監視者に対してのもの。  会場の内部と外部をくまなく走査している視線を辿れば、そこには黒いローブで身を包んだ長身の姿が窺えた。実に巧みにその身を隠しているが彼女が監視者で間違いないだろう。 「龍宮真名、か。この会場にやって来る邪魔者を排除するのが目的といったところかしら」  スッポリと身を覆うローブで身を包んでいてもその正体は一度交戦しかけた遠坂には理解できた。超の依頼のもと動いているだろう彼女がここの警備に当たっているとしたら、この会場はそれだけ超にとって重要な場所であると判断できる。 「さて、こうも監視の目が厳しいと迂闊に動けないし……打てる手は監視の使い魔を増やすぐらいか……後は乗っ取った式神とのラインを修復、と」  すぐ傍では臨時の観客席を設置すべく大会スタッフが大急ぎで資材の組み立てを行っている。その手際の良さと素早さは尋常なものではなく、すでにひな壇のような形状をした観客席の形が出来上がっている。各所のボルトを締める音が鳴り渡り、観客が腰を下ろす板が張られていく。この騒ぎに紛れて遠坂は服の下に収納している宝石を三つ取り出す。精巧にスズメの姿を模した翡翠。これに口を近づけ、小さく呪を呟き、そして腕を振るって空に放つ。  かりそめの命を受けた翡翠のスズメが三羽。それらは翼を羽ばたかせて遠坂の目として予め目を付けていた監視ポイントへと飛んでいった。これで武道会会場周辺に放った監視用使い魔の数は都合六つになる。 「これでよし。気休めかもしれないけど、何もやらないよりはマシね」  龍宮に気取られた気配がないことを確認し息をつく。次に打てる策としてラインが途切れた式神との再接続。そのために次なる工程に取り掛かる遠坂だった。  翡翠のスズメが飛んでいった空は地上の出来事に関わりなく、晴れ渡っていた。  エヴァンジェリンの心は現在二つの事柄に大きく揺り動かされている。両方ともクウネル・サンダースとふざけた偽名で自称する腐れ縁からもたらされたモノだ。一つは彼女がこの十五年忘れようがないナギについて。そしてもう一つは、目の前に用意された衣装についてだ。 「ぐぅぅ……やはり、着なくてはならないのか」 「アキラメナ御主人。賭ケニ負ケタンダロ? 今更反故スルカ?」 「……くっ、私の性分を知り抜いた上でぇっ! 相変わらず腹黒いぞアルビレオ・イマ」  神社本殿に仮設された更衣室の中、エヴァンジェリンはチャチャゼロだけを供に今は居ない相手に怒りをぶつけていた。 着替える対象となる衣装を睨みつける。それはハンガーに掛けられた紺色も瑞々しいスクール水着。それも昨今採用されているようなタイプではなく、一部で『旧スク』などと呼ばれて今なお熱狂的な支持者がいる古い型のもの。その上に夏仕様の半袖の白いセーラー服がスカートなしで掛けられており、視線を下に向ければ猫のミミを模したカチューシャに尻尾、度の無い伊達メガネが用意されている。  これらこそ、エヴァンジェリンが次の試合で身に着ける衣装になる。常の彼女だったらこの衣装を着ろと言われたら、衣装を斬り裂くか、言った相手を瞬時に八つ裂きに処すかのどちらかだ。ただ今回はどちらも出来ず、長年の怨敵のように衣装を睨みつけることしかできない。 「ジタバタシテモ仕方ナイ、覚悟決メロヤ御主人」 「むぅ、こういう時だけ妙に達観してないか貴様? 」 「サアナ、ソノ辺ハ自分デモヨク分カラン。ガ、アルノ野郎ガナギノ情報ヲ寄越スンダ、コノ位ハ対価ノ内ジャネエカ? トハ言エル」 「…………」  チャチャゼロの言ったことが妙にまともなので黙り込むしかなくなるエヴァンジェリン。そう、賭けに負けてもナギについての情報が貰えるのだ。それも『あの』アルビレオからだ。目の前の衣装を着るのは多少恥ずかしく、屈辱ではあるが対価だと思えば何という事ではない。  脳裏に蘇るアルビレオの言葉は明日菜と刹那の試合が終了した直後のもの。時間がないため簡単に結論だけと前振りを置かれ、出てきた言葉。 「彼はおそらく今も生きています。この世界のどこかに。それは私が保証しましょう。しかし……エヴァンジェリン、あなたが……あなたの求めた彼と再び会える日は来ないかもしれません」  後半の不吉な予言じみた言い分は半ば笑い飛ばしてやったが、生きていることは確実だと分かった。詳しいことは学園祭が終わってからゆっくり聞いてやることも了承した。  今は『ナギが生きている』それだけが分かれば充分。怒りの表情は変わり、ぐっと握る拳に力が篭もったその瞳は青く澄み、口元には微笑。 「お前が生きているならばいつか必ず会える。ジジイになる前に探し出してやるサウザントマスター……待っていろ、ナギ」  エヴァンジェリンは不死者。彼女に与えられた時間はたっぷりあるのだ、向こうが生きているのならいつかは必ずその時は訪れる。修学旅行前にネギから聞いた話よりも確度の高い情報に彼女は心を決めた。また会ってやると。 「人生ノ一大事ダト分カッチャイルガ……着替エナクテイイノカ御主人」 「水を注すな。だがまあ、確かにな。アルビレオとあの狗との対戦はすぐに終わるだろうし、今から準備しておくか。さて、不肖の弟子一号『で』遊んでやるとしよう。勝てばそれなりに使える従者の出来上がりだ。見逃す手はあるまいさ」 「ケケッ、シホニ餌付ケサレテイルンジャネエカ?」 「黙れ、私をアルトリアと一緒にするな」  チャチャゼロに言われるまでもない。不死者でありながら、およそ不死者らしくない志保。半ば以上の気まぐれで弟子にしてやったが、現在では愛着じみたものすら感じている。彼女を相手に戦うのは実に面白そうだ。フザけた格好をしなくてはならないのも、ナギ生存の情報を含めて帳消しにしてやってもいい気分になってきた。 「さぁて。久々に私を楽しませてくれる相手になるか? 衛宮志保」  何かを誓う表情から今度は喜悦を待ち望む表情へ。エヴァンジェリンは先程の怒りもどこへやら、意気込んで用意されたスクール水着に手をかけた。  二十分の休憩後に始まった2回戦最初の試合。あっという間に終わってしまった。 小太郎とクウネルさんという対戦カードだが、私の預かり知らないところでエヴァ師匠が言ったように、この試合はクウネルさんの勝利という形でほんの一分強で終了してしまった。試合の後、倒れ伏し担架で運ばれていく小太郎。それを見送る選手控え席一同の表情は私も含め曇ったものになっていた。  両者の戦いについて言えば、勝負にもならないというべきなのだろうか。小太郎の体術は圧倒され、分身はまるっきり意味をなさず、狗神という式神の一種を陽動にした必殺の一撃も効かないとくる。終始翻弄され、圧倒され、リングに叩き伏せられてしまった。彼は決して弱くはないのだが、あれは相手が悪すぎる。実体がないため物理的なダメージは皆無。その上で異常な戦闘能力だ。分が悪いこと甚だしい。 「少し、ここを離れさせてもらうでござる」  小太郎の付き添いを楓が買って出て控え席を離れ、勝者のクウネルさんはいつの間にか消えている。ネギ先生は今だ回廊の観客席。エヴァ師匠は更衣室で着替え中。明日菜は救護室へ行った刹那に付き添っている。いまここには古さんと私の二人だけになった。  お互い特に会話もなく、さりとて気まずい状態でもなく数分の時間が流れていく。リング上ではクウネルさんが小太郎を叩き伏せた際に出来たクレーター、弾き飛ばされたときに破損した石灯篭の修復が大会スタッフによって急ピッチで行われている。その一連の作業スピードはとても素晴らしく、これなら後十分とせずに次の試合が始まるだろう。  小太郎の事は気にかかるが、彼のようなタイプはきっと外野が下手に何か言っても聞き入れないだろう。それに私が首を突っ込むまでもなく楓達が何とかするだろうと信じてもいる。 何より次の試合は古さんがケガで棄権するため、私とエヴァ師匠の試合になっているのだ。今から気を引き締めておく必要があるだろう。今は自分に出来る目先の事に集中しなくてはいけない。 控え席の長椅子に座ったまま、気を落ち着かせ体を楽にしつつも精神をまとめあげ、練り上げていく。自己を律するのは魔術師として基礎の基礎、それ故に最重要といえる技能。これについては魔術の師・遠坂に褒められている数少ない特技だ。  精神を平定させ縒[よ]り上げていても、目線は見事な手際を見せるスタッフ達の動きを追い、その上空にある特設のスクリーンへ流れる。いかなる原理か実体のある四つの画面が浮遊しているそれは、先ほどまでは1回戦のダイジェストを流していた。 (まずいよな、アレって)  この会場でカメラなどの映像記録の機器の持ち込みは禁止され、持ち込めたとしても作動できないようになっている。それは『魔法』の存在を秘匿するために必要な措置だと思っていた。だが、伝え聞けばスクリーンに映った試合模様はパソコンでも見ることが可能でコピーも出来るとか……つまり秘匿もあったものではない。このことは超さんが知らないはずがない。ならばコレも彼女の何らかの策だろう。 「——そうだ、エミヤン。試合を見ていたアルが、相当な拳法の使い手と見受けたヨ。誰の教えアルカ?」  思考がそんな方向に飛び始めた時、隣の古さんから不意の質問が飛んできた。  彼女の左腕は龍宮との試合で腕を骨折したため、布で吊られ、ギブスこそしていないが包帯で硬く巻かれており、激闘を物語っている。こうも動き回って怪我に響かないか思ってしまうが、本人が何ともなさそうなので要らぬ心配のようだ。 そんな彼女からの質問は私の拳法の師は誰か、か。彼女らしい質問だ。 「拳法か。基本は遠坂からで後はほとんど独学になるな」 「おおっ、遠坂老師アルカ。確かに只者じゃない雰囲気があると思っていたが拳法でも老師だったトハ」  返ってくる返事はやや興奮気味。拳法家としての血が騒ぐのか、一度手合わせをと言い出さんばかりだ。 「あいつかなりの努力型だからな。結構小さい頃からやっていたそうだよ」 「その遠坂老師の師はダレでアルか? 興味あるヨ」 「…………ぁ」  遠坂の拳法の師……言峰だな、言峰綺礼。遠坂からの伝聞だが、若い頃は聖堂教会の代行者としてその腕を振るっていたとかで、曰く全盛期は徒手空拳の状態で、礼装武装した魔術師と渡り合えるほどの人外ぶりを発揮していたらしい。本人の性格はともかく、その身に積んだ功夫[クンフー]は疑いようもなく達人レベルだったろう。  今更ながら考えてみれば、私は言峰の孫弟子に当たるのだろうか。 ——正直、聖杯戦争から十年という年月が流れても嫌な気分になる事実だ。 「? エミヤン」 「っ! ああ、ゴメン。そのなんだ、今は亡くなっている人なんだ。だから取り立てて話すような事はないと思うよ」 「……そうカ、残念アル」 「悪いな。詳しく話せなくて」  すまないと思いつつも、内心胸を撫で下ろしている。言峰のことは話して楽しいものではないし、とある殺し合いの黒幕でした、などと言えたものではない。古さんの方でもこの話題はダメだと感じ取ったのだろう、すぐに話を切り上げてくれた。気を遣わせたな。  気を遣わせたため、こちらから軽めな世間話を持ちかけることにした。先刻まで互いにあった沈黙が嘘のように言葉が出てくる。私は話し上手ではなく、むしろ口下手に分類される人種と自覚があるのだが、人と話すのは嫌いというわけではない。それに古さんの明るい性格と聞き上手・話し上手なところもあって話は思いの他弾んだ。  話題はやはり拳法関連。日々の鍛錬の内容とか、使用する武具についてとか……ただどう話が飛躍したのだか、年頃の少女らしい話題には返答できかねたが。  そうして時間を潰しそろそろ時間かと見当をつけていると、後ろから蚊の鳴くような小さな声で名前を呼ばれたような気がした。 「? ——エヴァ師匠?」 「……エヴァにゃん……」  気のせいかと思いつつも、振り返ってみる。そして私も古さんもかけるべき声を失った。 「……何も言うな。言ったら殴ッ血KILL[ブッチギル]」  いや、何も言えません。こうなるだろうと想像はしていたが、実際に目の前に現れるとどうリアクションをするべきか分からなくなる。  振り返った先にいたのは、クウネルさんが寄越した衣装に着替え終わったエヴァ師匠その人。見間違いなどないはずだが、あまりの変身ぶりに自分の目と正気を疑いたくなった。  外見年齢十歳前後の体躯を包むのは紺色のスクール水着と白い半袖のセーラー服。ここにエヴァ師匠の金髪との三色が目に眩しい。その三色の縁を彩るように頭にネコミミとメガネ、お尻にネコの尻尾が飾られていた。元々ビスクドールのように非現実的な容姿をもった彼女だが、今の状態だと余計に夢物語じみている。と言うより、何かの法律に抵触していそうなのは気のせいか?  ——ウオッ!? なんだアレ!?  ——キャー! カワイイ、カワイ過ぎるよー  ——ネコミミ・スク水マンセー!!  師匠の登場に場内は色めき立ち、中には「ハァハァ、エヴァたん萌え……」などと非常に病的で危うい熱気の篭もった視線さえ存在する。そんな視線の集中砲火を浴びる師匠だが、すでに何かを吹っ切った、もしくは開き直ったらしく着替え前と変わらず悠然と控え席の長椅子、私の隣に座る。一体どういう心の変化かは余人に分かるはずもないが、どう声を掛けたものかきっかけが掴めない。まずは第一声をかけてみよう。 「えっと……エヴァ師匠?」 「なんだ?」 「その、チャチャゼロは?」 「ボーヤのところに行った。正確にはあのオコジョのところだな、最近妙に仲がいい」 「そう言えばそうですね。酒飲み仲間かな?」 「そうだろうな。というかお前の方が良く知っているんじゃないのか、奴らの酒の肴を良く作っているだろう」 「えっと、はい。そうでした、ね。ははは…………はぁ」  ここでブツ切りのように話が終わる。気まずい。話を振ってエヴァ師匠の気分を和ませようという試みは失敗した。でも、今の彼女を鑑みるに、答えてくれるだけ有り難いのかもしれない。クウネルさんから師匠が憎からず想っているナギ・スプリングフィールド生存の確たる情報が聞けるとあって気が気ではないはずだ。その上で今の姿とくる、無理はないかもしれない。  周囲の賑わいに反して私達二人の間には古さんのものとは違う重苦しい沈黙が降りてきた。 『先程お伝えしたとおり、残念ながら第十試合は古選手 左腕前腕骨折による棄権のため、長瀬 楓選手の不戦勝とさせていただきます』  この会場アナウンスにブー、ブーとブーイングが飛び、古さんの棄権を惜しむ声も会場から上がる。前者はトトカルチョで人気ナンバーワンの古さんに賭けていた人、後者は格闘系のクラブで古さんのファンだろう。長椅子から立ち上がった彼女はファンの声援に応えて手を振って「スマンアル」と苦笑いを浮かべていた。自身のケガのこともあるのにここまで気遣いができるとは。素直に感心できる。本当に良い娘だ。 『続きまして2回戦 第十一試合 衛宮志保選手 対 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手……』  とうとう時間だ。一度胸に溜まっていた空気を全て吐き出す。そして大きく息を吸い、立ち上がる。声は出さないがこれで気を引き締められた。次に自分の服装に乱れはないか点検。このメイドもどきの服装そのものが乱れだと思うがそこは考えない。……ひとまず問題はなし。  ふと隣の師匠を見ると、目が合った。師匠も同じく席を立っており、どうも二人同時に立ち上がったみたいだ。ジャスト二十cmの身長差で見上げてくる眼鏡越しの澄んだ青い瞳。奇妙な服装なのにそれが妙に様になっており、可笑しな気分になってきた。 「何が可笑しい」  不機嫌な声が飛んできた。あ、顔に出ていたか。しまったなーと考える内にも師匠の表情はどんどん険悪なものになっていく。 「フン、情報料だと思えばいいと我慢しているが、あまりふざけた事を抜かすと落とすぞ」  ピッとサムズアップされた右手が180度反転、親指が下を指し示す。どこに落とすの? は愚問だろう。 「言わないって。その、こうして正面切ってエヴァ師匠と闘うというのは初めてなものだから少しおかしな気分になったのかも」 「うん? そういえば、そうだな。まともに一対一というのは初めてになるな」  半ば誤魔化した発言だったが、師匠は乗ってくれた。それに半分は本気で思っていることでもある。鍛錬での模擬試合は主に茶々丸さんやチャチャゼロが付き合ってくれ、師匠は主に砲台役をやって一対多数が主だった。これは決して手抜きというわけではなく、彼女の現状の魔力量、『魔術』に対する慣らしもある。それに彼女が私に教えるのはネギ先生とは違い、この世界の『魔法』関係の知識と一種心構えが主体なのだ。まともに一対一というのは今回が初めてになる。 師弟になって半年近く、正面でぶつかる始めての試合。遠坂やセイバーとも違うこの師弟関係に妙に気分が高揚している自分がいることが何故か少し可笑しい。戦闘マニアの気はないはずなのに。  二人して舞台に歩を進める。アナウンスの朝倉を始め、観客のほとんどは私達の服装を騒ぎ立てているが、雑音だと思って聞き流す。その代わりに師匠の声は良く耳に通る。 「なあ志保。貴様は約束を覚えているか?」 「ええ、私が負けたら師匠のモノになるとか何とか……」 「そうだ」  学園祭一日目、弓道場で師匠命令のもと下された宣告じみた約束。私が負けたらこの身はエヴァ師匠のモノになるとか本契約だとか……かなり強引なものだ。こうして確認を取るところ、彼女は本気のようだ。でもなぁ、そうなると遠坂やセイバーはどうなるのか、それに元の世界に戻ることも考えると強引にでも断ったほうが良かったのかも。  その考えが表情にでも表れていたのか、私の顔を見つめる師匠は不敵な笑みを浮かべてくれる。 「なに、要は勝てばいいのではないか? 全力で抗って見せろ。貴様の力を私は全力でねじ伏せてお前をモノにしてやろう——覚悟を決めろ」  幼い容貌に妖艶で凄絶な鬼気。彼女は正しく人外。正しく悪。そして正しく欲望に忠実な人である。 上がったリングの上で向き合う対戦相手 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは言いたい事があるなら勝ち取ってから言えという。私はこれに全力で立ち向かう義務がきっとあるのだろうと納得した。  両手には控え席に置いていた強化済みの北京鍋と中華用お玉。これを双剣代わりに握る。向かい合う師匠は腕を組み傲岸不遜そのものでこちらを見据える。 『さあ、ネコミミスク水のマクダウェル選手か? 犬ミミメイドの衛宮選手か? 色モノ極まるこの勝負、勝つのはどちらだ!? 第十一試合 Fight!!』  朝倉のアナウンスをゴングに私の闘いが始まった。 対峙が始まったときから、自身の感情的な部分とは別に酷く冷徹な部分がこの闘いの分析を始めていた。  衛宮志保によるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの戦力分析。  基本的な身体能力は外見相応の十歳前後のものだが、魔力によってその力は幾らでも増幅することができる。封印されている現状では学園祭での世界樹のバックアップを考慮にいれても中高生程度と推察。ただし、回路が起動すればその限りではない。魔法戦もほぼこれと同じ。  戦闘能力という点で見るに長い年月で培った経験が彼女のアドバンテージになると思われる。魔力や体力に寄らない経験と技術で行う戦闘の脅威。どれほどの蓄積があるかは不明だが、これまで僅かに見てきた部分から推察するに非常に脅威的だと認識できる。  続いて自身、衛宮志保の自己戦力分析。  身体能力面では相手より上であることは理解できる。ただし、技術がどこまで伴い、それがどこまで通じるかはやってみなければ分からない。  武装は両手の北京鍋とお玉だが、状況に応じて投影物を準備できる。刃物はルール上禁止のため得物は打撃武器、模擬試合用に限定。  対策としては相手の戦力評価を進め、打開策をその都度練り上げていく。要はよく言えば臨機応変、悪く言えば出たとこ勝負。まずは相手の一撃を凌ぐところからだ。  朝倉の試合開始の宣言後でも開始位置を動かず、師匠の一挙手一投足を仔細に見る形の私。対してエヴァ師匠はゆったりとした速度で歩き、私を中心に円を描くコンパスのように弧の軌道に足を進める。その歩みは狙い定めた獲物の隙を窺う肉食獣に通じるものがあった。 「ふむ、高音・D・グッドマンの時の様に突っ込んではこんのか?」 「生憎と、師匠相手に一つの策なく突撃する気になれなくてな」 「そうか。その慎重さは買うが、臆病とも取られるぞ」  ほら、来ないのかと言う師匠の姿はいかにも無防備。それでいて張り詰めた空気はそれだけで厳重な警戒網を成している。 『さあ、動かない衛宮選手にマクダウェル選手は隙を窺うように周囲を回り始めた。どう出る——』  緊迫する初手の探りあいをアナウンスする朝倉。その会場に響く声に紛れて空気を微細に震わせ近付く何か。師匠の指が小さく蠢く。似た経験がある。これは!  何かと認識する前に腕が動く。近付く細い何かに音を頼りに北京鍋を振って叩き落とす。手応えはか細い、その数は十条。視認が困難だが認識はできる。手足に絡みつかんと宙空を這い回る微細な『糸』。体に接触される前にそれら全てをはたき落とした。 「糸……」 「初見で対応できる奴は珍しいな。目もいいが勘もいいようだ」  素直に賞賛の声を出す師匠というのも珍しい。が、意識は彼女の手に向けられる。左手を起点にして各指に十条の視認困難の極細の糸が伸びている。五本全てで五十条の糸は空中を含めリング内全てに張り巡らされ、気付けば自分はクモの巣の中にいるのだと思い知らされた。 「人形使いとしての私の技能だ。そう簡単に押さえ込めるとは思わなかったが、まさか初見から見切るとはいささか予想外だよ」  クイっと指が動くと、呼応してリングに張り巡らされた糸が波打ち微細に空気を振るわせる音が幾重にも連なる。これら糸がエヴァ師匠の武器であり、防具。攻防一体の一種魔術礼装じみた代物であることは容易に察しがつく。 「『前』に似たような武装をした魔術師を相手取ったことがあるから、音でまさかと思ってな」  糸を戦闘用の礼装にする魔術師は少数ながらも存在する。過去に仕事で目標となった魔術師にもそんな手合いが存在した。もっとも、師匠の方が十倍以上も脅威なのは言うまでもない。  私の返答を聞いた師匠は、面白い遊びを見出した子供のように無邪気で残酷な笑みを一層深め、口の端を吊り上げる。 「ふふっ、そうこなくては。では今この状態で出来る本気で相手してやろう」  言葉の終わりと同時、師匠はかざしていた左手を一気に握りこんだ。その意思に応えた五十の糸は一斉に私一人に牙を向けて襲いかかってきた。  上下左右前後、一切のムラなく均等に配置されている糸。襲い掛かるタイミングは五十全てランダム。  対応策——回避。五十全ての糸の配置、襲い掛かってくる軌道、変化予想を見切る。体をねじ込める隙間を見出すのに半秒。 ——同調[トレース]——  魔術回路に火を灯し、撃鉄を上げてトリガーと共に撃発。頬を掠める糸が二本、足を撫でた糸が五本、体を最小の動きでズラすように回避していく。 ——開始[オン]——ッ  身体を強化、集中させた魔力は思考の速度で脚をトップギアに放り込む。正面の糸の檻。その隙間を両手の得物で強引に押し広げ、駆け抜けるのに要すること半秒。  糸の檻を抜けた先に師匠。位置は二時方向、距離は三メートル。一足で届く距離だが彼女は踏み込ませてくれなかった。 「——薙げ」  その一言と同期して振るわれる細い右腕。彼女の影から闇色が沸き立ち、命令に忠実に履行、巨獣の尻尾のごとく影が私のいる空間を薙ぎ払ってきた。 「っ! くぅ」  とっさに踏み込む直前で急停止。思い切り後ろにスウェーしてこれも回避。履いたパンプスの靴底が床板との摩擦で悲鳴をあげる。鼻先数ミリを影が掠め過ぎる。胸元で服のフリルが欠片ほど持っていかれるけど当たらないものは当たらない。被害はなし。  エヴァ師匠はすでに魔術回路を起動させていた。試合開始前にそれらしい感じはなかったから、おそらくこちらが繰り出された糸に気を取られた僅か十数秒の間か。しかもすぐさま攻撃呪を放つ素早さ。彼女は『魔術師』としても超一級の遣い手だ。  わずかでも思考する間がいけなかったのか、私は師匠の次の手に反応できなかった。通過した影の背後に迫った視界一杯の左の掌底。気付くのと衝撃はほぼ同時だった。 「ぐがぁっ!」  アゴから頭にかけて突き抜ける衝撃に脳が揺さぶられ、視界がフラッシュする。鼻の奥に金属臭が広がる。  後ろに体が逃げていたため、さける余地がなく打撃が叩き込まれた。痛みより視界が奪われることに意識が向く。追撃は?   光が戻った目に白と金色の人影。こちらに腕を伸ばす師匠。目的は組み打ち。ならば、と不安定な姿勢なまま北京鍋を持った腕を伸びてくる腕に絡ませて北京鍋は彼女の側頭部を狙う。カウンター。  しかし、これすら師匠の予想の内、いや予想はしなくとも対処出来る内でしかなかった。 「ヌルい」  側頭部に襲い来る鍋は、絡み取られた腕とは反対の手に出現した扇子で止めた。ぶつかる音からしてその扇子は鉄扇。こちらの思考がそこまで至った時にはすでに彼女は動く。絡んだ腕を逆に絡み返し、腕に沿って背面に回りこもうとした。 「ん、くわぁ!」  組み敷かれる。その考えが出てくる前に体が動く。思考が出てからでは遅すぎる。半ば反射レベルに対応させた神経が、刷り込ませたプログラムに沿って体を操る。  得物の北京鍋を捨て、背面に回り込もうとするエヴァ師匠の背中を追うようにこちらも体を回り込ませる。同時に腰の回転を生かして強引に腕の拘束を振り払った。  ポーンと軽量な見た目に相応しく、師匠が腕を振り払った拍子に飛ばされてしまうが、五メートル離れたリング端にすぐさま着地した。 「強引な抜け方だな。下手すれば間接くらいは外れてしまうぞ」 「緊急だからね。それより今の動き、柔術を修めているとは思わなかった」  しかも昨今海外に派生したグレイシー柔術やシステマとかではなく、日本古来の柔術。その動きはとてつもない年月で無駄を削ぎ落として洗練、熟成され完成した達人のもの。後わずかでも私の動きが遅ければ床に組み敷かれただろう。  スピードもパワーも常人レベル。速いのではない、早いのでもない。彼女は異常なほど巧いのだ。 「なに、百年ほど前に日本を訪れたときにな。チンチクリンのおっさんに習ったものさ」  さして自慢するものではない、そんな口振りで鉄扇を広げるエヴァ師匠。 「以来一世紀、暇つぶしに研鑽を積んできた。魔力を失ってから存外に役立っている。何事にも手は出しておくものだな」  ……一世紀。さすが、としか言い様がない。彼女の実質的な鍛錬の密度は知る由もないが、確実に私の十年の研鑽は吹き飛ぶだろう。 人には出来ない長い歳月をかけての術理の研鑽。これが吸血鬼の畏怖すべきところだ。単純に力が強いのならそれを上回るものは存在する。不死性もこれに同様。真に吸血鬼が恐れられるのは、その永きに渡り蓄積され研鑽された知性と能力に他ならない。『魔術師』の中で死徒に転向する者がでるのも己が魔術の研鑽のための時間が欲しいがため。経験の蓄積はどちらの世界においても覆しにくいものだ。 「さて貴様の二十七年、私の積んだ歳月に迫れるか? 」  広げた扇をパシンと音高く閉じ、私を見据える師匠。彼女から吹き出す威風は『最強』と自ら謳う看板に偽りなしと知らしめる。肌に突き刺さる冷気、そのくせ噴き出る汗。試合開始から五分と経っていないはずなのに、すでに何時間も経過したような錯覚に囚われる。 『ハイスピードなマクダウェル選手の攻撃! それをかわす衛宮選手もスゴイ! 不可解な黒いモノとかがマクダウェル選手から出たりしましたが、今回の試合も色モノという前評価をひっくり返す試合になりそうです!!』  朝倉のアナウンスがやけに遠くに聞こえる。歓声も同じ。  右手のお玉を握り締める。大丈夫だ。自分よりも格上の相手をすることは今までの戦い全てでやったことだろ? ならば如何するか位は検討をつけろ。ここまでの応酬からどれほどの情報を引き出せたか考え、自身に反映させる。  呼吸をすぐに整え、まずは足を…… 「——!?」  動かない!? 足も、腕も、指も。糸かと一瞬疑うが、肌に絡みつかれる感触はなく、目にも捉えられない。でも師匠の糸を繰る指が動いているのは見て取れる。正面にないなら糸があるのは後ろ?  「これは!?」  首も動かないので目だけで背後を見れば、二十の糸が私の影を縫い止めている。文字通りの『影縫い』だ。  やられた! 正面の師匠に気を取られていたら後ろから糸で縫われるとは。いや、これは正面に気を逸らされたのか。 「気付いたか。僅かな音も拾うお前の耳を騙すのは骨だったが、効果は見ての通りだ。遠坂凛から教えられた『魔術』を私なりにアレンジしてみたが、悪くなかろう」  やっぱりこの人とんでもない。短期間で教えられた『魔術』を自己流に加工しやがりましたよ。どれだけの才能と経験、研鑽があればこんな真似を可能とするものなんだ!? 『あっと……これはマクダウェル選手のナゾの力か? 衛宮選手身動き出来ない模様!!』  朝倉のアナウンスを後ろに動けない私を眺めやり、ゆったり歩み寄る師匠。その表情は静かな怒りを含んでいる。 「さて……志保、貴様まだ本気を出していないだろう? ヌルい。甘い。それでも『人外』の怪物のつもりか? 夜族[ミディアン]のつもりか? 昼の太陽に当てられすぎて自身が人間ではないことも忘れたか? 半端者が」 「っ!?」 「お前は近頃の騒がしい連中に比べればだいぶマシな部類だと思う。そこは評価しているし、認めている。だが、吸血鬼としては失格だ。まだそこらのグールのほうが自身を弁えている」  投げられる言葉は今の私を確実に言い表す。  確かに私は吸血鬼としては半端者だ。自覚すら薄い。週に何度か体調管理のために摂取する輸血パックがなければ自分がそうだと思わないくらいだ。衝動が極めて薄いため以前の『士郎』とほぼ同じ感覚で日常を過ごしてしまっている。その意識の持ち方が彼女には気に食わないのだろうか。 吸血鬼の在り方を教育してやるという名目で私の師匠になったエヴァンジェリン。幾度も私の吸血鬼らしくない在り方に文句と注意を受けてきたが、ここまで怒るのは初めてになる。  でも、私は————  すでにお互いの距離は一メートルとなく、私の体も変化なく拘束されたまま。おもむろに伊達眼鏡を外した師匠の瞳が私の目を射抜く。青い瞳が魔性を帯び『蒼』に転じた。見詰め合った時間は一秒もないが、意識にノイズが奔る。急に目の前の出来事に現実感がなくなり、強烈な離人感に襲われる。 「!」  しまった、と思うときにはもう遅い。エヴァ師匠の魔眼だ。聖骸布の守りがない今の私は一般的な魔術師よりも劣る抗魔力しかない。そしてそのことは彼女も知っている。 だから、あっさりと意識が持っていかれてしまい、まずいと思う間もなく視界が黒く塗り潰されてしまった。  視界が完全に暗転する直前、彼女の声がした。 「教育してやる。人外というものをな」  視界が明けた。目に飛び込む色は青い色と白い色。その場所に見覚えはある。 「別荘?」  エヴァ師匠の創造した箱庭世界。一面の青い海に白亜の巨柱が突き立つ彼女の別荘だ。 私が立っているのはその巨柱の天辺。よく鍛錬に用いられる直径百メートルの広場。その隅に何の脈絡もなく自分がいる。——いや、脈絡ならあるか。 「幻術、か」  これは魔眼に囚われた私が魅せられている精神的空間。一種夢なのだろう。ただし、本当の夢とは違い痛みも苦痛も感じるだろう。現に肌には身を包む服の感触が感じられる。 「って、これは!」  自分の体を見下ろし、身を包む服を確認したところで固まる。  上半身は黒い革で出来たボディーアーマー。下半身は同じく黒革のパンツ。それらの上を真紅の色も鮮やかな外套が包んでいる。いずれも魔術的な守りで固められており、魔術師ならその防御の堅さに脅威を感じるだろう代物だ。だが、私が驚いたのはその脅威からではない。この戦装束が自分の知っている存在にそっくりだからだ。  弓兵[アーチャー]。十年前の聖杯戦争に現れた英霊。その正体は未来の『衛宮士郎』の可能性。理想に生き、理想に殺され、擦り切れた未来の自分。だからか、アイツの事は正体を知る前から気に食わなかったし、今も嫌いではないが好きにもなれない。  そのアーチャーそのままの装束、それが今の自分の着ているものだ。一瞬ここでは元の『士郎』の姿かと思ったが、見下ろす手は『衛宮志保』のほっそりとした繊手のまま、視界に入る自分の髪も純白のまま。つまり、アイツの戦装束をそのまま現在の私にダウンサイズしたものがコレなのだろう。 「にしても、これは何の皮肉だ? 」 「別段他意はないぞ。ここでは貴様の意識下で戦装束として認識された服装が現れる。その服を選んだのはお前自身だ」  応える彼女の声は広場の中心に据えられた石柱の上から。視線を上げると漆黒のマントと見事な金の髪をなびかせた吸血鬼がいた。その容貌幼くも備えた気風は絶対者のそれ。  絶対者は言葉を続ける。 「貴様は吸血鬼になって日が浅い。故に人であろうとすることに文句は言っても異議は挿まなかった。夜の住人が夕日の中を怖々歩くのも一興だしな。だがだ、お前の理想とする生き方を知ってな。少しばかりイヂメてやろうという気になったのさ」  掲げる手刀。そこに収束していく魔力の燐光と圧力。イヂメる? まさか! 彼女は本気だ。 「さあ剣を執れ、衛宮志保。貴様のためにこの場所を用意してやったのだ。余興に過ぎぬがここならば人目はない、ルールも無用だ。全力で来い」  収束する魔力がその言葉とともに倍化した。魔術回路まで起動させて乗算で繰り上がっていく圧倒的な力。普通の『魔術師』なら暴走させてしまうだろうそれをエヴァ師匠は事も無げに制御している。手刀に集う魔力は極寒の極致に至り、物理法則を無視しだす。 「もっとも、私も全力でいかせてもらう。この場所なら呪いは届かない。私もかつての力に『魔術』の力を乗せて存分に振るうことが出来るぞ」  この人も天才の類だ。習って数ヶ月もしない内に、こちらの『魔法』に『魔術』の力を組み入れる方法を見出している。  師匠を取り巻く魔力は視認可能なほどに収束し、手刀に集う魔力は極地で荒れ狂うブリザードを一点に集めたみたいだ。解放された時の破壊力は推して知るべし。  覚悟を決めろ、か。試合開始直前に言われた言葉をかみ締める。全力で来るエヴァ師匠に全力で応える。それが私なりの礼儀。 「投影開始[トレース・オン]」  目を閉じ、自身に埋没。もう何度も何度も繰り返してきた工程と手順を丁寧に一節一節踏み、全身の魔術回路がレブを上げ、鎚となってこの手に幻想を剣として鋳造し鍛造する。想定通りの重みが現実の手に現れ、目を開ければ手に馴染んだ黒白の夫婦剣がそこにある。  覚悟を、決めた。 「いきます」 「ふふっ、貴様のそういう所は好みだぞ……来い」  私が地を蹴ったのと師匠が空を蹴ったのは同時。お互い一直線に相手を目指し駆け抜け、瞬きの内に距離はゼロに。  魔力の奔流が渦巻く手刀が、白く細い腕が、金の髪をたなびかせ笑みを浮かべた顔が、黒衣に包まれた体が左肩の上の空間を一瞬で通り過ぎた。そして後は振り向く間もなかった。  音が消失して、轟音に塗りつぶされ体と意識が白く吹き飛ばされた。 「ど……どうなっているのよ」  リングの上で見詰め合う状態で全く動かなくなったマスターと志保さん。その二人を見てアスナさんが隣で戸惑った声をあげました。周りの観客さん達も同じように戸惑っている様子です。  次に試合がある僕は観客席からどうにかして控え席まで移動して、色々もみくちゃになったけど何とか戻ることが出来ました。その途中、チャチャゼロさんとカモ君、刹那さんを救護室で看ていたアスナさんが合流して遅くなったせいか戻った時にはすでに二人の試合は始まっている状態だった。  何とも言えない格好をしているマスター(何故かカモ君がとても興奮していました)とメイドさんの姿をしている志保さんですが、二人の戦意は本物。マスターは呪いのせいで最弱状態かという話が出ましたが、実際はとんでもなかったです。糸を繰り出し、影を操り、体術も凄まじいキレをみせます。最弱なんてとんでもない、マスターは今の状態でも十分にスゴイです。それを防ぐ志保さんもスゴイですが、数分とせずに今の状態になりました。 「これはアレだな。幻想空間[ファンタズマゴリア]で戦ってやがるな」  二人の状態を見たカモ君がチャチャゼロさんの上で口を開く。そっか、確かに言われてみると幻術の類に似ています。チャチャゼロさんも「正解ダ」と言っているから間違いない。 「兄貴! 見に行こうぜパクティオーカードに夢見の魔法だ!!」 「う、うん。カモ君」  カモ君に促され、いつも持ち歩いている仮契約カードの中から志保さんのカードを引っ張り出す。これに夢見の魔法をかければ志保さんとの繋がりを通じて二人の戦いを見ることが出来るはず。少し周りの様子を窺って人目を確認、僕達に注目している人はいない。これなら目立たない程度に魔法は使えるみたいだ。 「よし ラス・テル マ・スキル マギステル」  志保さんの仮契約カードを額に当て始動キーを唱え呪文開始。と思ったら肩に手が置かれた。振り返るとその手はアスナさんのもの。 「待って、私も行く」  手には自分の仮契約カード。その表情は行く気マンマンです。志保さんが心配なのはアスナさんも同じ、それが分かった僕は頷きだけを返して詠唱を続け、 「夢の妖精女王メイブよ扉を開けて夢へと——」  僕達は夢に没入した。  視界が開け、真っ先に見えたのは海と白亜の建物。距離があって普段見慣れない角度ですが、その建物には覚えがあります。 「マスターの別荘!?」  とっさに見て確信が持てないのは見慣れない視点だからもあるけど、何より所々形が大きく崩れて、いくつも大きな穴が開いているからだ。そうなった原因は今も別荘周辺で火花を散らして秒単位で建物を崩している。 「つーか、なんだよこりゃ、まるで戦だ」  カモ君の言う通り。強大な魔力の爆発が幾つも起こり、幾筋もの魔力光が迸る様子は簡単に戦場を想像させる。建物があんな風になるほど二人の戦いは激しい。志保さんは大丈夫でしょうか?  「ネギ! アレ、あそこ!」 「あっ」  最初に見つけたのはアスナさん。彼女の指す場所——別荘の巨塔の中ほど、壁沿いに貼り付くように据えられた階段の上に志保さんの姿がありました。  紅い外套に玄い鎧。手には火を纏っている長い剣。今の志保さんは一目で『騎士』という言葉が出てくるほど迫力に富んだ姿をしています。そこに宙から次々と撃ち込まれる魔法の弾丸。軌跡を追えば黒いマントを羽織ったマスターがいました。  志保さんの持つ大剣が振られ、纏う炎が剣の軌道を描き、魔弾を切り落としていく。でもそれは牽制。すでにマスターが突撃していた。志保さんもそれを見越している。  マスターが繰り出す手刀に凄い密度で氷の魔法がかけられている。手刀から刀身が伸び、それは氷の剣の形をして志保さんに斬撃が襲い掛かっていく。あんな魔法を受ければとんでもない事になる。マスターは本気だ。でも、同時に志保さんも本気だった。  ためらいが一切無くぶつかる炎と氷の二つの魔剣。爆発するほどの魔力と力場の反発が起こり、志保さんが足場にしている階段が崩れる。その前に跳躍して上を目指す志保さん。そしてそれを追いかけるマスター。  二人の軌跡が重なり、二つの剣が重なる度に魔力の反発で爆発が巻き起こり、上へ上へと二人が塔を崩しながら登っていく。二人が通った跡は壁が崩れ、穴が開き、なんかこのままじゃあ塔が崩壊してしまいそうです。 「急ぎましょう、アスナさん」 「うんっ」  急いで二人のいる場所に飛んでいき、二人のいる塔の頂上、いつも僕達が修行する場所に着く。そこも例外なく瓦礫の山になっていて、所々に何故か剣が突き刺さっています。骨董趣味程度の僕の鑑定眼でもそれらが名のある魔剣だと分かる。志保さんの物でしょうか?  瓦礫だらけになった頂上修行場を見渡し、そしてそれはすぐに見つかった。  向かい合って対峙するマスターと志保さん。その光景はとっさに言葉に出来ない。  波打つ奇妙な刀身を持ち、炎を纏った大剣を両手に構える志保さん。彼女の周りにも火の粉が舞い、彼女の周囲にも火が伝播して、そこだけ溶鉱炉のような熱気を感じる。  さっきのように氷の剣を造らないものの、かざす手に物凄い魔力を凝縮させているマスター。マスターの周囲には凄まじい量の氷の精霊の気配が存在し、居るだけで凍てつく極寒の空気が吹き荒れています。  炎と氷。向かい合う二人の魔力は反発し、弾け合い、周囲の空気が渦を巻いている。この場合なんと声に出したらいいんだろ? でも、何か言わなくちゃ! 「志保さん!」  声は上から降ってきた。見上げてみれば何やら幽霊のようにフワフワとした何かが浮いている。そしてそれはネギ先生やアスナ、チャチャゼロやカモミールの姿をしていた。 「むっ、ボーヤ達か。ここまで来るとはな。だが、邪魔はさせんぞ」  師匠も気付くが、隙はない。両手に持つ炎の魔剣・フランベルジェがやけに重たく感じる。冷静に見れば、ここまでの酷使と投影精度の甘さで後数度の使用が限界。二手先までは考えた。でもそろそろ決め手を考えなければ危うい。ここまでで十五分以上。どちらの勝利だとしても決着は近い。 最初の一撃は巨大隕石の激突もかくやだ。  爆風で木の葉のように煽られる体。そこに容赦なく巻き上げられた瓦礫が襲い来る。両手の双剣で弾き、防ぐが、思考はこれを盛大な目晦ましだと警告する。その警告は正解、気配は後ろから。吹き飛ぶ瓦礫に混ざって師匠が強襲をかけてきた。 「ぐ、このっ」  何とか迎撃をしようと試みるが、吹き荒ぶ爆風と瓦礫はどうしようもなく、先手は打てない。容赦なく飛んでくる掌底。それを交差させた双剣で防ぐ。  巨人の振るう戦鎚に打たれたのではと錯覚するほどの衝撃が体を吹っ飛ばす。実際、この身を襲ったダメージは巨人の一撃と大差ない。ポーンと面白いように体が吹き飛ばされ、足場のない中空に放り出されてしまった。  高さ数百メートルの高みからの落下。幻想空間とはいえこれは致命的。 「ハハハハッ!! どうした! 話にならんぞ、己が力の全てを私に魅せろ!!」  声と共に追撃の掌底を打ち落としに来るエヴァ師匠。ならばっ!  ——投影開始[トレース・オン]  衝撃を受けて歪みの生じた夫婦剣を投棄。再び幻想を結ぶ剣の名は摂理の黒鍵。左右に四本ずつ指に挟み、両手に持てる最大数を落下しながら投擲した。地表まで残り二百六十メートル。 「見えすいているぞ!」  腕の一振りで全ての黒鍵が叩き落とされる。もちろん、そんなことは先刻承知。次は黒鍵の結んだ幻想を過剰に膨らます。壊れよ幻想っ!  形に耐え切れなかった八つの黒鍵が破裂して、周囲に爆音と爆風の大輪を八つ形作る。残り百四十メートル。 「はっ! どうし……チィッ」  無論、これぐらいでは師匠に手傷を負わせるのは無理。爆煙の切れ間から姿を現す無傷の師匠への次なる手は四方から取り囲む魔剣の剣弾。その数十六挺。それぞれタイミングをずらし順次発砲。残り二十メートル。  その稼いだ時間を使い、手に投影するのは聖杯戦争時にライダーが使用した鎖付きの釘剣。それを残り十メートルのところで壁に突き立て、どうにか落下の危機を脱して足場を確保とした。 「ぐうっ」  釘剣がガリガリと壁を削り、腕に巻き付けた鎖が肉に食い込む。落下速度を強引に打ち消したツケが腕を襲う。脱臼しないだけ僥倖か。 「ククク……本気はお互い様か。ならば遠慮はいらんな」  やはり、まだまだか。  この後の展開は逃げる私に追う師匠という図式になった。降り注ぐ氷の魔法を炎の魔剣で切り払い、魔力弾を矢で射落とし、突撃を剣弾で迎撃し、双剣でいなす。  ——こおる大地[クリュスタリザティオー・テルストリス]  下から突き上げてくる無数の氷の杭を薙ぎ払い、血路を拓く。  ——氷爆[ニウィス・カースス]  吹き荒ぶ冷気の爆風の殺傷範囲を限界まで見極め、駆け抜ける。  ——闇の吹雪[ニウィス・テンペスタース・オブスクランス]  暗闇を孕む吹雪の猛撃を前に剣を盾に掻い潜り、肉迫する。 離れては激突し、激突しては離れる。その度に別荘の白亜の建物が虫食いのように崩れていくが、持ち主であるエヴァ師匠が遠慮なしで来るのだ、全力を出さなければこちらの命はない。  ——そして激突する事どれ程の時間が経ったか、私達二人の対峙は元の位置に戻っていた。広場に立つ私と、あれだけの闘いの中でも壊れなかった広場中心の石柱の上にエヴァ師匠。距離16メートルで私達は互いの目を見詰め合っていた。  ——はぁ、はぁ……  喉の奥がヒリつくのが分かり、耳元でうるさく息をしているのが他ならない自分だとようやく理解できた。両手に持った大剣がいつも以上に重い。 「お互い本気で戦い続けて15分、か。正直ここまで持つとは思わなかったぞ」  15分。この幻想空間内での調整された時間とはいえ、身体にかかった時間は本物。もっとも、今の私には時間の感覚は麻痺して一瞬すら永遠に等しい。  対するエヴァ師匠はまだ余裕があるのだと分かる。ブラフの類も考えられるがそれにしても余力がある証拠だ。自らを最強の魔法使いと豪語するのは虚偽でも虚勢でもなく、紛れも無い自負。さすがとしか言い様がない。私がこれまで戦ってきた数々の相手の中では、セイバーやかの英雄王を除けば間違いなく最大火力で最強クラス。そんな彼女を相手取ってここまで持ったこと自体が何かの間違いという気すらしてくる。  その彼女は石柱のモニュメントの上で腕を組んだまま、先ほどの賞賛してくる表情から一転、失望を覚えた顔をしていた。 「が、だ。貴様この程度の力量で『正義の味方』などと片腹痛いぞ」 「——っ! どうしてそれを」 「別段大したことではない。この別荘が私の領地であり、お前はここで何回寝泊りしているか、これだけ言えば検討はつくだろう?」  なるほど——『魔術師』は自身の工房に様々な趣向の仕掛けを凝らす。この別荘にも相応の細工が存在しているということか。居住している人間の心理を読み取ったり、無意識レベルで記憶を抽出するとか、多分そんな仕掛けだろう。 「本来の使い方としては招き入れた客の判別に使う機能で、使う機会も滅多にないのだがな」 「ちょっと趣味が悪くないか?」 「自覚はあるさ。それでも興味を持った相手を深く知るためだ」  悪びれもなく堂々と言い切る辺りが実に彼女らしい。にしても、師匠の口からその言葉が出るとは思わなかった。 『正義の味方』それは私が目指したもので、私が挑むもの。命を助けてくれた養父がなりたかったものであり、私が憧れて借りた意思そのもの。その理想の果てを知ってなお追い続けている在り方。思えば、ネギ先生が他人の様に思えないのも彼を通して自分を見ているからなのかもしれない。 「誰かを守るために別の誰かの命を奪い、泥にまみれ、血河に漬かってでも進むその姿勢は賞賛に値するがな。その貴様が幸福であることも目指すというのはどういう了見だ?」  掲げた手に再び収束する膨大な魔力。呼び寄せられた氷精が周囲の熱を奪っていき、大気中の塵が凍ってダイヤモンドダスト現象をたちまちの内に起こす。エヴァ師匠の感情に反応してか、荒れ始めた大気が渦を巻く。 「どういう了見、か」  握り締める大剣に魔力という薪をくべ、炎の魔剣の覚醒を促す。波打つ独特の刀身が赤く熱し、赤は更に白く熱して焔となる。火の粉が舞い、熱が伝播して極寒の大気の中で領域を広げはじめた。 「宣言された、からでは答えとしては不足かな?」 「——凛の事か?」 「ああ、正面から堂々と宣言されて『幸せになるんだから』と言われちゃ、ね」  だから私はあの弓兵とは違う。アイツほど強くないし、強固な信念もまだなく迷いがある。それでも独りではない。 「それに私は弱くて我侭なだけだよ。だから目に見える範囲の人達が苦しむのを見過ごせなくて、手の届くところの人達を守るので精一杯さ。そんな私が『正義の味方』を名乗るにはまだまだ程遠いよ。それでも守ると決めた人は必ず守る。それはこんな体になった今も変わらない」  偽善と言われても、その姿勢を最後まで貫いたあの赤き背中。私はまだアイツには及ばない。だから私はその背中を目指し今も駆けている。独りではなく、遠坂やセイバーと共に。 「そうか……それが貴様の在り方か」 「ええ」  空気が孕む二色の熱。焔立ち、極北の風が逆巻き深紅の外套と純白の髪がはためく。 「幸福も剣を執ることも選ぶか、例え人外の身であっても……」 「ええ」  炎の魔剣を握る手に痛みを覚える。これが熱さから由来するものだという自覚はある。ひょっとすると手が炭化しているかもしれない。それでも握る手を緩めない、送り込む魔力に遅滞はない。ヒリつく喉も治まった。(体/回路)を巡る魔力は循環し加速していく。ギアは上がり、スロットルは開け放たれ、際限を知らず上りあがる。  声はそんな時に降ってきた。 「志保さん!」 「!?」  ここではあり得ない幼い声はネギ先生のもの。見上げると空中に幽霊のように浮かぶ人影が幾つか。その姿がネギ先生、明日菜、カモミール、チャチャゼロの四人だと分かると、口から知らず言葉が漏れる。 「明日菜、ネギ先生……」  きっと、心配になってわざわざ幻想空間まで見に来てくれたのだろう。その事実に頬が緩む何かを感じた。こんな危機的状況のはずなのに奇妙に心穏やかになっていく。そんな気持ちにさせる不思議で稀有な資質をネギ先生は持っているのかもしれない。 「むっ、ボーヤ達か。ここまで来るとはな。だが、邪魔はさせんぞ」 腹は決まった。ネギ先生の方を見ていたエヴァ師匠との視線が混じる。今この瞬間だけ武道会の事や超さんの事は思考にない。 ただ、この勝負に勝つ。  と、意気込む私に師匠が口を開いた。 「最後の問いだ。貴様の行く手はきっと修羅道の類だ。それでもその道を迷わず歩むというのか?」  この問いが身に染みる。 私は静かに目を閉じた。まぶたに浮かぶ光景は色褪せつつある剣戟。打ち合う刃鳴りが今は少し遠くなっている。それでもそこを目指すことに変わりはない。たとえそれが修羅の道といわれるものでも。故に—— 「ええ——戦うと決めたから」  明瞭に誓いを口にした。 「フッ……フフフ。本当に、お前らといると歳を実感する」  見開いた視界に苦笑する師匠の姿が映る。その姿は私の気のせいかもしれないが、泣いているようにも見えた。 「……いくぞ、幻想空間とはいえここでの死は精神の死だ。心しろ」  そして、その瞬間が幻だったかのように次に見せた彼女の表情は歴戦の戦士そのものになっていた。闘気に呼応して呼び込まれる冷気が増幅するのが素人目でも分かる。南極のブリザードに火炎放射器で対抗するような気すらしてきた。 瞬間、その大質量の魔力を保持した腕は無造作に振るわれた。  ——フランベルジェ最大火力 「はぁぁぁぁぁぁっ!」  白い壁となって覆いかぶさってくる巨大な冷気の衝撃波に構えた大剣を大上段から振り下ろし叩き付ける。刀身はすでに焔そのもの、白熱した刃がブリザードの嵐を切り分けていく。  広場の瓦礫は舞い上がり、肌を強烈な冷気が焼いていく。大剣を握る腕が震え今にも取り落としそう。刀身ももう長くは持たない。焔と化した剣がピシピシと刃こぼれ、絶命の声を上げだしている。  それでも、まだだ。 「ぐぁぁぁ……」  理不尽ともいえる圧倒的な力。その巨大な力の奔流に私は杭を打つ。  ——壊れよ幻想っ 「むっ!?」  師匠とこの幻想空間で闘い始めて投影した武装は剣46振り、刀31振り、槍17本、矢57本、その他23本で合計174本。その内損失してこの場にないのは86。そして残り88。一振りは手に持ったこの大剣、後はこの巨塔の要所に突き刺さっている。それらを一斉に爆破したらどうなるか? 答えは明瞭だ。  四方八方から大音量とともに爆風と爆炎が飛び散る。投影魔剣の一斉崩壊は塔の要所を崩し、支えを失った建物が全体を巻き込んでより早く崩壊に突き進む。 「ぐっ! とんでもない手を打つ」  攻撃中に爆風に煽られた師匠の体が石柱の上から降りて揺れている。今が好機! 崩れていく広場の足場、舞散る瓦礫、視界を遮る爆煙、それら一切を無視して彼女までの16メートルの距離を三歩で詰める。 「ハッ! さかしいぞ」  師匠の突き出した手から最大出力で展開される物理障壁に、同じく最大出力を絞り出す炎の魔剣が噛みつく。グラウンドゼロで新たな爆発。師匠の金髪やマントが煽られ、障壁と魔剣の間で水晶をぶつけた音を何倍にも大きくした音が耳朶を打つ。  ここで剣が限界を迎えた。  ガラスが割れる様な澄んだ不調和音を奏でて大剣が四散した。その破片はすぐに大気に掻き消えていくが、そこまで見ている暇は私にはなかった。この隙を師匠が見逃すはずがないのだ。  飛んできたのは右の掌底。それも魔力も勢いも充実した一撃。防ぐ間などどこにもなかった。  衝撃[インパクト]ッ!!  一瞬どこを打たれたか分からない。うめき声を上げる間も与えられなかった。それほどに全身に激痛を与える衝撃が駆け抜け、次に背中が何かに叩きつけられていた。 「ぐふっ……ぁぁ……」  我ながら情けない声が口からようやく漏れ出てきた。打たれたのは胸か。あばら骨が三本折れているのが分かる。手には大剣の重みはない。すでに幻想に還ったようだ。背中に感じるのは硬い石材の感触。すると今の私は広場を囲む石の柵に背中を預けている状態なのか。 「まさか、これで終わりなどとぬかす気はないだろうな?」 「ぅっく……ははっ、それこそまさかだよ」  師匠の立ち位置は変わらず広場の中央。距離にして四十メートル。随分派手に吹き飛ばされたものだ。不敵な笑みを浮かべる彼女はまるでこちらの次なる手を催促しているかのようだ。  やることは一種賭けじみた真似だ。でも確信はある。この幻想空間での師匠は全盛期の力そのままだという。それをもたらしているこの空間は一種の結界、閉じた世界になる。その効果はここまでで大体理解できた。それが正しければ今からやることは実行可能だ。  だからこそエヴァ師匠をここまで焚きつけたのだから。 「上等だ。お前の意思の程、次の一撃で魅せてみろ リク・ラク ラ・ラック ライラック 契約に従い我に従え氷の女王[ト・シュンボライオン ディアーコネートー・モイ・ヘー クリュスタリネー・バシレイア]——」  ここまで一切詠唱を行わず魔法を行使していきたエヴァ師匠が、ここで初めて詠唱に入った。 武道会のルールでは魔法詠唱は禁止だが、この空間内ならばそれに該当しないし、私の刃物使用もそれに含まれる。始動キーから流れるように本文の詠唱へ。掲げる手にこれまで最大級の魔力が詠唱序盤で収束している。  この魔法こそエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの持ちうる最大級の魔法行使だと確信した。距離は変わらず四十。遮るものはないが、塔全体が崩壊に向かっており、今にも足場が崩れそうに鳴動している。けれど一撃を叩き込むまでは持ってくれそうだ。 「投影開始[トレース・オン]」  急速に自己に没入。イメージに時間は要しない。ゼロセコンドで心象風景から必勝の剣を引っ張り出す。  登録された当初から今に至るまで自身の未熟さで使いこなせなかった代物だが、この幻想空間内ならばそれを解決できる。イメージしたモノを明瞭にするここならば拳の上に顕現する神代の剣も容易に存在できる。 「——来たれとこしえの闇[エピゲネーテートー タイオーニオン エレボス]——」 「後より出て先に断つもの[アンサラー]」  歌うように紡がれるエヴァ師匠の詠唱に被せて、私は無骨に剣の真名の一つを呟き開放させる。弓を引くように後ろに思い切り引いた拳の上に現れた宝具が覚醒し、紫電を放つ。 「ぐ、ぅぁ!」  紫電が放たれるたびに発射台になる拳が灼かれる。回路が痙攣する。これの本来の使い手は魔術的保護をなした皮手袋で手を守っていたが、今の私にはそんなものはない。それに予想外なことに紫電が爆ぜるたびにこの体が崩れ出している。投影のキックバックか『魔』寄りになっているこの体には毒の一種だ。 それでも出来る事は発射まで歯を食いしばる事だけだ。鉄の味が口に広がる。  見た目も大きさも重さも砲丸投げに使用する鉄球そのもの。だがこれなるは古に戦神が振るい、現代まで伝えられた光の剣。  剣もエヴァ師匠の魔法に反応している。球体が展開され、ルーンの刻まれた輝く逆光剣の刀身が姿を現す。後は、彼女の魔法の後の先を見極めるだけ。  瞬間は来た。  ——えいえんのひょうがっ!![ハイオーニエ・クリュスタレ]  断罪のギロチンのごとく振り下ろされた腕。それとともに広場全体の大気が一斉に静止する悪夢。周囲を取り囲む全てが熱を失い、一瞬が強制的に永久化させられる絶対零度の静かな侵略。静止する死が降ってきた。  それがこの身に到達するコンマ数秒前、崩壊寸前の塔の上、崩壊しだした拳振るい絶対的な因果を逆光する矢を放った。  ——斬り抉る戦神の剣っ!![フラガ・ラック] 「とんでもねー悪夢の超バトルじゃねーか」 「マァ実際夢ダシナ」  横でカモ君とチャチャゼロさんがこの戦いの感想を呟いています。視線を前に戻せばどんどん崩壊していくマスターの別荘。その上でマスターと志保さんが距離を置いて向かい合っている。確かにこれは何か悪い夢のようだ。  どうやら志保さんが出した魔剣がどういう仕組みなのか全部爆発して、元々崩れやすくなっていた塔にとどめを刺したみたいです。崩壊に歯止めが利きません。  なのに広場の二人はピクリともせず向かい合い、そして構えた。マスターは呪文詠唱を始め、志保さんは構えた拳を大きく後ろに反らしまるで見えない弓を引いているような姿勢をとった。 「——契約に従い我に従え氷の女王——」 「ちょっ!? マスター本気だ!?」  漏れ聞こえたマスターの呪文は最高レベルの広範囲凍結魔法のもの。たった一人の相手に対してオーバーキル極まりない大威力のそれは冗談で出すようなものでは決してない。それに対して志保さんは拳に現れ浮遊する鉄球みたいなものを構えだしていた。 「——アンサラー」  囁くように出た言葉なのにここまで聞こえた何かのワード。それに呼応して鉄球が光り輝き始め、漏れ出た紫電が志保さんの拳を痛めつけている。苦しんでいるのが距離を置いたここからでも分かる。でも、この戦いに僕達が介入することは出来ない。してはいけない。これは二人の闘いだ。  そして二人が向かい合って五秒とせずに激突。  ——えいえんのひょうがっ!!  ——フラガ・ラックッ!! 「おおっ!」 「きゃっ!」  冷気をはらんだ爆風が僕達の視界をさえぎった。  魔法学校にあった超上級者向けの魔法書でしか見たことがない広域殲滅凍結魔法がマスターから放たれた。文章として書かれた効果、範囲、威力は頭に入っていても実際に目にするとそれらがみんな吹き飛んでしまう。それほどにマスターの魔法は逃れようのない絶対たる何かだと思うほどだ。  対する志保さんが放ったもの。それは一条の光。一瞬『魔法の射手』かと思ったけど、すぐに違うと打ち消した。その光はとてつもない量の魔力をたった一点に収束させた強力な『矢』だ。広範囲の攻撃力を捨て、あらゆる防御を貫き抉る針の一刺し。それがあの光だ。  広範囲殲滅攻撃のマスターに一点収束攻撃の志保さん。正反対の攻撃方法でぶつかった二人だけど、マスターの攻撃が早かったのは分かっている。打ち勝ったのはきっと…… 「あ、兄貴っ! アレ、あそこだ!」 「……え? あ……」  白い冷気の爆煙が晴れた後、崩落直前の広場に立っていた人影は予想を裏切り志保さんでした。最後の攻撃の時のまま、拳を繰り出した状態で固まっています。マスターはと言えば、爆発前と同じ位置であお向けに倒れています。そして広場は強力な広範囲凍結魔法に晒されたはずなのに霜一つ出来ていませんでした。 「コレって、もしかして志保の勝ち?」 「えっと……どう、なんでしょう?」  アスナさんの言葉に僕もとっさに言葉が返せない。  戸惑う僕達だったけど、ここの空間はそんな僕らの理解を待ってくれませんでした。幻想空間を支えるマスターが倒れたため、急速に周囲の空間から色がなくなりだし、形があやふやになっていく。気付いたときには言葉を発する間もない。  夢から覚めた。 『え? これは……どういうことだっ!? 両選手見詰め合って一分ほど、急にマクダウェル選手が倒れたっ!!』  ——オオオオォォォォ!??  朝倉さんのアナウンスと観客の戸惑いとどよめきの声で現実世界に引き戻された。目を開き、真っ先に目に入ったのはリングの上の様子だ。  舞台の上でさっきまで向かい合って見詰め合う形になっていた二人でしたが、今はマスターが倒れています。ちょうど幻想空間での決着と同じように。 「エヴァ師匠っ! 」 「ふっ、ふふふっ……見事、と言っておこう。私の負けだ。まさかルーの剣とはな、どこまでも反則じみた奴だ貴様は」  倒れたマスターに呪縛が解かれた志保さんが駆け寄り、マスターの口が負けたと呟いた。その瞬間、この試合の勝負は決まった。 『おっと! ここでマクダウェル選手がギブアップを宣言っ!! 両者見詰め合って静止していた時間は一分ほどでしたが、幕切れは唐突でした!! 』  朝倉さんのアナウンスが試合の終了を宣言する。観客席からは終盤殆ど動きのないまま終わった試合に少し不満気味な声が出てきている。でも僕達は知っている。二人がみんなの知らない場所でどれほど激しい戦いを繰り広げたかを。だから、 「ネギっ! 行くよ!」 「はいっ!」  僕達は控え席から飛び出て真っ先に二人に向かって駆けだしていた。アスナさんは大切な友達を思って、僕は大事な自分の生徒を思って。  学園祭・二日目の武道会決勝まであと少し。そうしたら僕は……  衛宮志保とエヴァンジェリンの試合が行われるのと同時期、武道会会場の龍宮神社本殿周辺に潜伏していた遠坂凛に進展があった。 「よし、レイラインの復旧に成功っと」  武道会開催序盤において桜咲刹那の放った式神『ちびせつな』に遠坂は不正なラインを潜り込ませていた。それを通じ、学園祭の影で動く超鈴音の動向をこちらの『魔法使い』達にそれとなくリークしていたのだが、一回戦が終了したところでここの魔法先生・高畑の誘拐と同時にラインが切断してしまったのだ。  会場の警備が厳しくなる中、どうにか決定的な証拠を押さえたい遠坂はその復旧に努め、そしてたった今成功した。 「さて、と。探知の恐れはないみたいだし、私に監視は……ないようね」  周囲を見渡して監視者やカメラの有無を確かめる。ついでに一般人の注目も集めていないか注意を払う。 ……本殿前に設置されたひな壇状の臨時の観客席。その近くにいる遠坂は通り過ぎる観客が振り返るほどの美貌の持ち主だが、極めて目立つほどではない。  さらには会場周辺に設置した宝石の使い魔[ウォッチャー]、六羽の翡翠のスズメの視覚情報を自身の視界に呼び出し最終確認——特に異質なものは感知されないが、彼女が副担任を任されている3年A組の生徒が数人、この会場に忍び込もうとして神社の壁をよじ登っているのが視えた。ここでも非常にアクティブなA組の性質がよく表れている。 「あの娘達……まぁ、わたしも人の事は言えないんだけどね」 ともあれ、派手な魔術行使をしなければ問題はないと彼女は判断した。  ちらり、と舞台の上に目をやる。そこでは珍妙な衣装に身を包んだエヴァンジェリンと同じく、色々問題のありそうな服を着ている志保の姿。遠坂個人としては二人まとめてからかい倒してしまいたい状態だが、現在お互い視線を合わせ見詰め合ったまま動かないでいる。  観客は戸惑っているが、魔術師である遠坂にはすぐに理解できた。束縛か催眠の魔眼を用いてエヴァンジェリンが志保を自身の精神世界に陥れたに違いない。表面上見詰め合っているだけだが、きっと内面世界では激しい戦闘となっているだろう。  だが、遠坂凛は割とこの状態を楽観していた。神秘の秘匿面で心配がないのもそうだが、二人の闘いが深刻なことにならないだろうという一種安心感が不思議と存在するのだ。十年来の付き合いがある志保(士郎)はもちろん、実質二ヶ月ほどの付き合いでしかないエヴァンジェリンにもだ。 「変な話よね。まったく」  遠坂自身思うには、彼女こそ『こちら』で会った人物の中でもっとも『魔術師』らしく、だから何を求め、何をもたらすかなど一種気心が知りやすいからだろう。それでもこんな短期間で気が知れるというのも変なものであり、遠坂が首を傾げるところなのだが。 「さて、それじゃあ始めますか——」  機を見るや早速詠唱に入り、彼女の視覚は隔てられた場所にいる式神『ちびせつな』の視覚と同期して繋がる。もっとも、優位性は遠坂にあり『ちびせつな』が自身の主以外の人間が盗み見をしている事は気付かないだろう。  視覚共有してすぐ遠坂の視界は暗闇の中に放り込まれた。  視界一杯に広がるのは床や天井は人工的で硬質な物質。視界全体が暗いので奥行きが今ひとつ不明だが、間違いなく『ちびせつな』が置かれているのは屋内だろう。  そしてこの部屋唯一の光源は一つの画面。機械全般に疎い遠坂でもブラウン管や液晶画面といったものは(原理はともかく)分かる。だが現在光を放っている映像装置はそれらには一切当てはまらない。なにしろ画面全体が浮遊しているだ。ちょうど先程のリング上空に現れた巨大ディスプレイと通じるものを感じた。  その画面の前に人影が一人。 「むむっ、最初は派手だたが、後半は頂けないネ。もう少し派手にいかないとネ」  映し出されるのは現在対戦中の志保とエヴァンジェリンの映像。至近の距離で向かい合って動かない二人の少女を周囲の観客達は戸惑った様子で見ているのが分かる。  それを画面の正面で見詰め、映画監督のごとく映像の出来栄えを批評している少女。いや、彼女こそ実質この大会における監督者だ。  超鈴音。遠坂は学園祭に入って二日目にて彼女の姿を捉えることに成功した。 『超さん! 一体何のつもりですか。クラスメイトのあなたがどーして』  視覚の主『ちびせつな』が超の背中に問いかけた。  この式神は拘束されていることを遠坂は知った。首を動かす程度は問題ないようだし、言葉も自由に喋れるが体が動いていない。それとなく干渉して式神の体を見てみれば、仄かに光る正体不明のエネルギー体が『ちびせつな』の自由を奪っていた。天井と床から伸びたそれは式神の体を中空に留めて吊るしているものだ。拘束用の魔法かと遠坂は考えたが、魔力が感じられないところをみるに超謹製のオーバーテクノロジーの一つかもしれない。 式神が自律型のせいか言葉の端に微妙な幼さ舌足らずさを感じるが、発した言葉は彼女にキチンと伝わった。画面を見ていた体が振り向き、典型的なチャイナシニョンで纏めた髪が揺れる。こちらを向いた表情からはこれから行う所業に恐れを抱いている様子は全くないように見えた。それどころか口元には微笑すら浮かべている。 「スマナイ、バカせつな君。手荒な真似をする気はなかたのだが……何しろ時間がなくてネ。それで急遽この大会も開いた。本来なら一年かけて準備する予定だたヨ」  時間がないという割りに余裕を持った言い方をする超。この映像を視ている遠坂は超の言葉を一言も聞き漏らさぬよう注意を払う。彼女の何気ない一言のどこに重大なワードが潜んでいるかもしれないのだ。  例えば、超が今回の事に要する準備は本来もう一年かけるというくだり。超鈴音にとって今年のことはアクシデントなのだ。その原因……それは案外あっさり脳裏に出てきた。遠坂自身、それどころか学園の魔法関係者が今年の学園祭に特に気を張っている原因。学園都市内に堂々と在りながら一般人に騒がれる事のない巨大な魔力発生存在。 「……異常気象で世界樹大発光が早まったからかな?」 「正解。さすが高畑先生ネ」  遠坂が辿りついた答えは『ちびせつな』の隣から言葉として発せられた。視線を移せば、すぐ隣に高畑の姿がある。彼も『ちびせつな』と同じ拘束具で身動きを封じられている。ただ、来ているスーツに乱れはなく、目立つ外傷もない。無事が確認できただけでも遠坂には収穫になる。  その場にいる全員が遠坂という観察者の存在を認識できない中、高畑はさらに言葉を続けた。 「……超君。君の目的は何だ。返答によってはいくら元教え子といえども見過ごすことはできないぞ」  学園と生徒を守る魔法教師として厳しい表情で高畑が超に問い詰める。遠坂としては期せずして彼女の目的が聞ける。神経が張り詰める一拍の間。  問われた超はすっと目を細める。若干俯きながら口を開く様子は十代半ばという彼女の年齢を裏切り、どこか艶めいたものを見る者に感じさせた。 「……何、大したコトではないネ。世界に散らばる『魔法使い』の人数、私が調べた所によると東京圏の人口の約2倍。全世界の華僑の人口よりも多い……これはかなりの人数ネ」  突然説明を始めた超。その口調は社会科の優秀な教師のように丁寧に、それでいて興味を引くように抑揚をつけた話し口だ。 「それにこの時代、彼らは我々の世界とはわずかに位相を異にする『異界』と呼ばれる場所にいくつかの『国』まで持っている」 「…………それで?」  この話は盗み聞く遠坂にも興味深い話だ。『魔術師』よりも多い『魔法使い』の人口もそうだが、彼らが住まう『異界』の存在。高畑の反応を見ればそれは事実なのだろう。そしてそれを知っている超は何をしようというのか。 「心配しなくても大丈夫ヨ、高畑先生。一般人に迷惑をかけるようなことはしない……つもり。私の目的は——」  そこで彼女は上げた顔に笑顔を浮かべ、それでも目は笑わない表情であっさりと自身の目的を口にした。 「彼等『魔法使い』総人口6千7百万人。その存在を全世界に対し公表[バラ]す。それだけネ。……ネ? 大したことではないヨ」  言葉の通り本当に大した事ではない。超鈴音の笑顔はそう語っていた。